なぜ?練習するのか?

 映像はアンコールで演奏したシューベルト作曲の「セレナーデ」
今まで二人でたくさんの小品を演奏してきた中で実は今回が初めての演奏でした。なんだか不思議(笑)こんなにみんなの知っている曲を忘れていたなんて!

 さて今回のテーマは「練習の目的」を考えるものです。
「うまくなる為以外になにがあるよ!」と突っ込まれそうですが、
うまくなってどうしたいの?どうしてうまくなりたいの?と言う本質です。
個人差の大きな「考え方の違い」はあります。ただ趣味であれ職業であれ。音楽を演奏することは、人間にだけ与えられた能力であり、何よりも自由に音楽を演奏できることは多くの人にとって「楽しみ」なのです。競技スポーツのように、誰かと競い合って楽しむ場合、当たり前ですが相手の人間が必要です。
 スポーツでも芸術でも「他人からの評価」で優劣をつける場合があります。
自己評価ではなく他人の感覚・感性・価値観で評価されることを望む人と嫌う人がいて当たり前です。それも評価される人の「価値観」の違いです。
 私は音楽に優劣や序列をつけることについて否定的な考えの人間です。
人それぞれに好きな演奏や憧れる演奏者がいて当たり前です。食べ物に好みがあり、ファッションにも好みがありますよね?
「多様性」と言う言葉をここ数年よく耳にします。人それぞれに、生き物すべてに個体差があります。それこそが本来の多様性…言い換えれば生物が存在する意味でもあります。多様性を認めない人や否定する人は、そもそもが自分の考え方祖物が「多様性の一部」だという事を理解できない知能の低い人です。

 さてさて、練習してうまくなったら?何が楽しい・嬉しいのでしょうか?
「競争に勝てたから」と言う人もいますが、私はちょっと違う気がします。
「誰かに喜んでもらえるから」それも十分に考えられる要素ですが他人の評価「だけ」を期待するのも練習の目的としては違う気がします。
 私の持論は「自己満足のため」に練習し、「自己評価」が高くなることが嬉しいのだと考えています。つまり練習は自分のためにだけするもので、練習してうまくなったと「思えれば良い」と思うのです。それだけ?(笑)はい、それだけです。
 どんな練習をしても良いのです。自分が満足できる練習こそが練習です。
もちろん!誰かに「じょうずになったね!」と褒められるのは、どんな人でも嬉しいことです。自分ではうまくなった気がしなくても、そういわれることもあります。それはそれで大切な事なのです。自分が自分に問いただすための一つの「違った基準」を聴くことはとても大切なことだからです。

 今回のリサイタルで、弓の持ち方を根本から変えました。右腕の使い方は以前に師匠から習った動きに戻しました。ヴィブラートも腕を使う方法を使わず、手首のヴィブラートに絞りました。理由は様々あります。ただすべては「自分の思う音が出したい」という一心です。自分で良いと思える音が出れば満足です。
 自分の基準を自分にだけ当てはめること。他人は他人なのです(笑)
最後までお読みいただき、ありがとうございました!

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

初めて聴く人にも楽しめる演奏を

 映像はデュオリサイタル15ムジカーザでの一コマです。
アルヴォ・ペルト作曲の「シュピーゲルインシュピーゲル」日本語訳で「鏡の中の鏡」をヴィオラで演奏する前のMC=トークです。思い付きですべてアドリブなのでカミカミ(笑)なのはご愛敬。演奏する曲に関心を持ってもらう事も、演奏する側の役割だと思っています。そして…

 こちらが演奏シーンです。どんな音楽でも、どんな人でも「初めて聴く音楽」があります。初めて出会う音楽を「紹介する」役割です。
自分の家族やパートナ^を、誰かに初めて紹介するのと同じです、
身近に感じてもらいたい…それが普通の紹介の仕方だと思います。
 実はこのMCの前にも(笑)「燃えよ!ドラゴン」のラストシーンを話題にしました。映画を見たことのある方ならピン!とくるかな?(笑)鏡張りの部屋で悪党のドンとブルース・リーとの対決シーン!およそクラシックコンサートのソリストが話す内容ではない?でも知っている人にはイメージが浮かんだはずです(笑)
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

15年目の…

 無事に?やっと?(笑)デュオリサイタル15を終えることができました。
何よりも浩子さんに感謝です、「夫婦なんだから」とか逆yに「夫婦なのに」と言う考え方もあるかも知れませんが、私自身の中で「伴侶」とでも言う言葉で表される人に支えられた15年間です。音楽を一緒に演奏する…それだけの存在なら誰とでも演奏は可能です。ただどんな状況でもひとつの事を続けていくために不可欠なのは信頼できる人との関りだと思っています。
 今回の演奏会で得られた多くの経験は自分、自身の今まで感じてきた多くの出来事をすべて…記憶から来てたものも含めて経験してきたことの集大成だと思います。
 演奏自体は満足のいくものではありません。それはきっと、これからも変わりません。ただ、今までのリサイタルで感じなかった「やればできる」と言う明日への希望を強く感じました。未熟な自分の演奏技術のひとつひとつを、変えていく勇気を得た気がします。「これでいい」と思っていた道の進み方を「これもいい」と思える新しい道を進むことでもありました。
 生徒さんに対して少しでも「道案内」ができる指導者になりたいと、改めて感じたリサイタルでした。
 演奏会後に多くの方に書いていただいたメッセージの中に、私たちの演奏でほんの少しでも癒された方がいらっしゃったこと。暖かい言葉の数々が何よりもご褒美でした。
 30年前に高校生だった生徒さんお二人が「覚えてますか?」と演奏会後に話しかけてくれたことも、時の流れと音楽の持つ不思議な力を感じさせてくれました。
 学生時代同門だった先輩ヴァイオリニストと演奏会後に「弓の持ち方」「ヴィブラート」「指が攣る」話で盛り上がったこと。
 すべてが新鮮な時間でした。これから何年?このリサイタルができるのか誰にもわかりません。信頼できるパートナーと一緒に出来ることを出来る限り続けます。
 応援してくださったすべての肩に、心から感謝を申し上げます。
ありがとうございました!そして、これからも見捨てずに(笑)お願いします!

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

本番前日だけどね

 はい。明日が本番のヴァイオリニスト・ヴィオリストです(笑)
右手の人差し指を弓に当てる位置を変えます。
本番、明日だけど。
ヴァイオリンを久保田良作先生に師事して以来、約50年間変えて来なかったことを本番前に替えます。
 リスクがゼロではないのは承知の上です。それでも!弾きながら気になったことなので、思い切って。
 細かく言うと?今まで右手人差し指の「第2関節」に弓を当てていました。
指には明らかにその部分に出っ張り=弓だこがありますが、それを約5ミリから1センチ指先よりに弓を当てる変更です。
 今までの位置は右手人差し指の中で、固く強い場所です。移動した場所は。そこよりも少し柔らかい場所になります。
大きな変化は「弓と掌の角度」が変わることと「人差し指=弓の毛への圧力のかけ方が弱くなる」こと。さらに右手親指の曲がり方が少し減ることになります。

 弓先では力=弓への圧力をかけにくくなりますが、弓元では圧力のコントロールが容易になります。先日のブログで書いた「弓元での癖」を矯正する中で試行錯誤した結果にたどり着いた変更です。
 たった1センチの差ですが、掌から弓が遠くなった感覚です。そのことで悪影響が出るのかな?と心配しながら試していますが今のところ、良い影響だけを感じています。写真はデュオリサイタル15もみじホール城山での私の写真と、恐れ多くもミシェル・オークレール女史の写真。どちらも映像から切り抜いたためブレブレですが(笑)自分にしか感じない「大きな変化」です。
 吉と出ようが凶と出ようが、これも修行です!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

一か月の間に進化・成長すること

 映像はデュオリサイタル15もみじホール城山での演奏です。昨年12月18日(日)に演奏したプログラムを今年1月7日(土)に代々木上原ムジカーザで演奏します。会場が違い使用するピアノも全く違います。
 たった20日ほどの愛第二何が変わるのか?
 同じなのは?演奏者とプログラムとヴァイオリン・ヴィオラ。
で?何が変わるのでしょうか?(笑)答え「演奏の内容が全く違います」
 そのことを「同じ演奏をする技術がない」と思われる方もいるかも知れません。そのことに敢えて反論はしませんが、私たちは常に自分たちの演奏を成長させたいと思っています。どんなに短い期間であっても、成長できることもあると信じています。まったく同じ演奏をすることに「意義」や「技術の高さ」を感じる人もいて当然です。ただ何となく「前と違う事をやる」のは無意味だと思っています。

 過去のリサイタルで演奏したことのある曲もあれば、今回のリサイタルで初めて取り組んだ曲もあります。どちらにしても、自分の演奏を少しでも満足できるものに近付けたいと言う気持ちは変わりません。
 たとえばレッスンに通う生徒の立場でも、次のレッスンまでに少しでも上達したいと願って練習するわけです。日々の練習がすぐに結果を出せるものではありませんが、紙一枚の薄さでも成長したいから練習するのはアマチュアもプロも同じだと思います。自分が演奏した音と映像を何度となく聞き返し、みなして気付いた課題は解決したいと感じるのは自然な気持ちです。「悪あがき」でも足掻かないより前に進める気がします。 

 もとより技術の足りない自分が人前で演奏すること自体、おこがましいことです。そんな演奏を何度も聴いてくださる方に、少しでも満足してもらえる演奏を目指します。あと一日あります。筋肉を休めながら適度な疲労感を維持しながら、演奏会に臨みたいと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

演奏技術の継承

 映像は1924年、パリ生まれのヴァイオリニストでパリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリに師事し、1943年、ロン=ティボー国際コンクールで優勝し、コンセルバトワールで長年ヴァイオリンを指導した「Michele Auclair~ミシェル・」オークレール」女史の演奏動画。
 学生時代、同門の優秀なヴァイオリン奏者たちが久保田先生の薦めて留学し師事した指導者でもあります。不出来の私にはそんなお話は一度もなく(笑)指をくわえて眺めていたのを覚えています。

 こちらはシャンドール・ベーグ氏の二重奏演奏動画です。ベーグ氏の公開レッスンも印象的でした。
 桐朋でヴァイオリニストの公開レッスンが頻繁に行われていました。
オークレール、ベーグなど偉大な指導者たちのレッスンがあるたびに、久保田門下生からもレッスンんを受けている人が多く、そのレッスンが終わると久保田先生は印象に残った「演奏技術」を他の生徒…私にも伝えてくださいました。


 ヴァイオリンの演奏技術に明確な「流儀」はありません。ただ指導者によって大きく違うのも事実です。それぞれに姿勢・右手(弓の持ち方やボウイング)・左手(親指の位置や指の置き方)などに個性がありました。
 音楽の解釈や細かい奏法を指示する指導者もいれば、生徒の個性を尊重する指導者もおられました。現代のヴァイオリニストたちを見ると。どうも姿勢やボウイングなどに個性が感じられなくなりました。それも時代の流れなのかもしれません。特に右腕・右手の使い方について、指導者の関りを感じられなくなった気がします。ヴァイオリニストが音を出す基本は、弓の使い方に大きなウエイトがあると感じている私にとって、演奏家の個性が薄くなってきた気がしてなりません。
 ヴィブラートの個性も指導者の「歌い方」が無意識のうちに弟子に伝承されるものです。それさえも「速くて鋭いヴィブラートが良い」とも感じられる現代のヴァイオリニストの演奏に、指導者が演奏技法を伝承する意味が薄れていく気がしてなりません。
 演奏家の個性は「基礎」の上に出来上がるものだと思います。ヴァイオリン演奏の基本をどこに置くのか?と言う問題でもあります。ヴァイオリンと言う楽器が300年以上前から変わっていないことを考えると、演奏方法を後継者に継承することも大きな意義があると思うのは老婆心なのかもしれません。
 せめて自分だけでも、師匠から習った多くの事を理解し、実行し、次の世代に継承できればと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

無くて七癖 無意識の修正

 自分の演奏に嫌気がさすお正月を過ごしております。(笑)
右手一生。私の場合、左手は2~3回生まれ変わらないと人並みになりません。
右手の小指。たかが小指。されど小指なのです。
恩師久保田良作先生に、何億回も指摘され続けたのが「右手の形」
特に、親指と小指の使い方。、今自分の演奏を見返すと、元弓で小指が使えていません。その結果がどれだけの悪影響を無意識に与えているか…、恐ろしや久保田先生であります。

 簡単に言ってしまえば、右手の親指・小指・人差し指の三点で弓の傾斜と圧力をコントロールしているわけです。その三点に加えて弓の毛と弦が振れる場所が4点目になります。理科で習った「てこの原理」を思い出しましょう。
支点・力点・作用点
弓の毛と弦が振れている状態、つまり弦に弓の毛を置いている状態の場合には、作用点が弓の毛と弦の接触点。支点が右手親指。そこまでは弓のどの部分でも変わりませんが、弓のバランスの中心点より先を弦に置いた場合には、小指は力の作用をしていません。極論すればなくても演奏は出来ます。
しかし弓の重さの中心より元に弦を当てた場合には、小指の仕事が急激に増えます。弓の傾斜を保つ力・人差し指と共に弦に対して直角方向の力が必要になります。
 特に私の「癖」が最も感じられるのが元弓で弓をアップからダウンに返す瞬間です。この部分では弓の音さのほとんどが、自分から見て左側=弓先方向にあります。最も不安定な場所でもあり同時に、最も弦に圧力をかけやすい場所でもあります。この場所で最大の仕事をするのが「右手の小指」です。」
 弓を元で返す一瞬前に弓先を下方向に下げ=小指側が上がり、弓を返した直後に弓先が上方向に上がる=小指側が下がるという「無意識の運動」
 恐らく学生の頃からこの癖はあったと思われます。ただ昔は映像で確認する方法が学生にはなかったので、本番中の癖までは自分では発見できませんでした。
現代、自分の弓の動きをこうして確認することができる有難さと同時に
「いい加減に直せよ!」とも思うのです。
 1月7日までに修正するべ!やってやる!
再度までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

一年の計は…

 2023年になりました。兎年。私?年ですが(笑)
一年の計は元旦にあり?あるのかな~?今までも元旦に「よし!今年こそはっ!」と誓ったものですが、年末にはそれさえ忘れてたような人生。とほほほ。
 今年の目標!「来年のお正月も平穏に迎えられること」って駄目ですか?
穏やかに一年を暮らせるなら、それが一番の事です。昨年末に「今年の10大ニュースってなんだろうね?」と二人で考えて、10個もないから3大ニュース(笑)
第一位! 浩子さんが電子楽譜「グイド」を使い始めたこと
第二位! お風呂の換気扇が壊れて新しくなった
第三位! 特になし(笑)
その位に穏やかな一年でした。つまらない?いえいえ。これぞ平穏!

 今までの62年間に、やり残してきたことは山ほどあります。
でもそれを悔やんでもいません。受け入れることができる年齢になって、それを共感できるパートナーと暮らせることが一番です。
 今年も一年、屁理屈ブログにお付き合い下さい!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ムジカーザでどこに立つか?

 今回は代々木上原ムジカーザでピアノとヴァイオリン・ヴィオラでリサイタルを開かせて頂いていながら、未だに立ち遺体が決まらない悲しい(笑)お話です。
 最初の動画は5回目のリサイタルの映像。下は14回目(2022年1月)の映像。
ピアニストの右横で少しだけピアニストの背中側になった5回の場合、私は上手側(客席から見て右側)にヴァイオリンのスクロールを向けて立ちます。
ピアニストから私の気配を感じられるぎりぎりの位置です。
 問題は私の視覚障碍「暗所が見えない」ということです。
この立ち位置ならピアニストを視認できるので方向が安定します。
 一方で下の動画のようにピアノの蓋を支える「柱」の辺りに立つとピアニストは視線をあげるだけで私の動きを確認できます。ヴァイオリン・ヴィオラを演奏する私はピアノの音を背中で聴くことができ、客席に届くピアノの音と私の音が「同時に溶けて聴こえる」と言う大きなメリットがあります。が!(笑)
 この位置からだと私の目で視認できるものが「何もない」状態になるので、どちらを向いているのか?わからなくなると言う問題が起こります。さらに、この立ち位置の正面だけでなく左右のすぐ近くにも客席があるため、楽器の向きを変えると極端に聴こえ方が変わってしまうと言うデメリットがあります。

 自分で演奏して自分で聴くことは「分身の述」を身に着けた人か「幽体離脱」ができる人にしか出来ません。演奏しやすさと、お客様への音の届き方。この両立が大切です!さて、どこに立つのでしょうか?当日のお楽しみ!(笑)
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

テンポで変わること

 今回のテーマ、演奏するテンポ=速度によって聴く人、演奏する人それぞれにどんな違いがあるのか?というお話です。
 映像はメンデルスゾーン作曲の五月のそよ風。
私はヴィオラで演奏してみました。下の映像はヴァイオリンでえんそうされているものです。楽器による違いはありますが音域は全く同じです。

 テンポを速めることで音楽の流れと、2小節や4小節と言ったある程度の長さの「音楽の塊=フレーズ」を感じやすくなります。その一方である瞬間の和声の為害性や意図的に半音下げられた旋律の印象が薄くなりがちです。
 人間の感じる時間の長さは、多くの場合脈拍に関係しています。いわゆる体内時計も人間の心拍数に影響を受けているという学説もあります。人によって歩く速さは様々ですが脈拍の速さは、大きな違いはありません。
 むしろ演奏を聴いて感じる「速さ」よりも、なにが?印象に残るか?という事の方が大切だと思っています。ゆったり演奏することで、音色の美しさや和声の美しさが印象に残ります。前に進む流れを優先すれば、一つ一つの文字ではなく内容=意味を強く感じられます。どちらが良い…というものではありません。
音楽によっても、楽器によっても違ってきます。聴く人の好みもあります。
 どんなテンポで演奏するか?は演奏者の伝えたい内容によって変わるものだと持っています。次回1月に演奏するこの局を、どんな速度で演奏するか…
 ぜひ会場でお楽しみください!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介