シンプルな美しさ

 映像はデュオリサイタル8で演奏したバッハ作曲チェンバロ協奏曲第5番の中から「アリオーソ」ヴィオラとピアノで演奏したものです。ビデオの撮影は人手不足で(笑)ありませんでした。
 音楽にはそれぞれに個性がありますよね。言葉にすると安っぽい気もしますが、シンプルな音楽は絵で例えるなら…水墨画やクレパスで書かれたようなイメージ。食べ物に例えるなら…素材の味が際立つ料理。もちろん、複雑な色遣いの絵画も多くの素材を組み合わせた料理も素晴らしいものですがシンプルなもので人を感動させるために、作り手のこだわりと技術が最大限発揮されるとも思います。
 演奏の形態も、使われる楽器の種類が少なくなればなるほど、一つ一つの楽器の音が際立ちます。
 楽曲の旋律が、順次進行と分散和音を中心にした覚えやすい旋律で、リズムも規則的な繰り返しが多いアリオーソ。和声進行も奇をてらわず聴く人の期待通りの進行です。
 余計な飾りを極限まで削り必要不可欠なものだけが残ったもの
それこそがシンプルな美しさだと思います。「簡単」とは意味が違うのです。
「素朴」とでもいうべきです。アリオーソを演奏する際に、装飾音符をたくさんつける人もいますが私は「素=すのまま」が好きです。「バロックとは!」と言うお話は大切ですが料理の仕方は、人それぞれに違って良いと思います。
 もっと純粋な美しさを求めて、この曲に再挑戦したいと思うのでした。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

新作ヴァイオリンに難癖付ける人に物申す

 映像はデュオリサイタル05ムジカーザでの演奏です。
滝廉太郎作曲の荒城の月をアンコールで演奏しました。
このリサイタルを実施したのが2013年1月です。前年2012年の5月に陳昌鉉氏が逝去されました。ご病気で亡くなられる直前に私の生徒さんが陳さんから直接購入させていただいたヴァイオリンが、この動画で私が演奏しているヴァイオリンです。生徒さんからお借りして演奏しました。陳さんが大好きだった「荒城の月」を陳さんに捧げました。

 新作のヴァイオリンを殊の外に悪く言うヴァイオリニストが見受けられます。
オールドの楽器と比べ、音に豊かさがないとか中には「ストラディバリウスの音とは比較にならない」と言い切る人もいます。
 言うまでもなくヴァイオリンはどれひとつ、同じ音のするものは存在しません。それがストラディバリウスのヴァイオリンであっても一丁ずつ個性があります。オールド偏重主義ともいえる人たちにとって、新作のヴァイオリンは「良い音がしないヴァイオリン」と言う完全な先入観に凝り固まっています。
 ピアノの世界でも「スタインウェイだけがピアノ」のように思われていた時代は終わりました。新しいピアノメーカーが世界的に注目され評価査定ます。
 ヴァイオリンや弦楽器の世界だけが「非科学的な神話」に未だに縛られています。新作ヴァイオリンにも150年以上経ったヴァイオリンにも「鳴りにくい楽器」「バランスの悪い楽器」「演奏しにくい楽器」は存在します。製作者の技術も様々なら、製作者が理想とする音も様々です。それが当たり前なのです。
 陳昌鉉さんの作られた楽器に「金銭的な価値」を付けたがる人がいます。
いくらで取引されているか?それで楽器の価値が決まるでしょうか?
私には自分が良いと思った楽器が新作であれオールドであれ、全く関係ありません。
 新作が嫌いならその根拠を科学的に語るべきです。
少なくても人間の聴覚で判別できるものではありません。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

弓と右手の一体化

 映像はチャイコフスキー作曲の歌曲「ただ憧れを知る者だけが」をヴィオラとピアノで演奏したデュオリサイタル15ムジカーザでの演奏です。
 以前のブログで紹介した弓の持ち方を変えるというテーマに関連する話題です。
 恩師久保田良作先生に教えて頂いた右手の「形=型」は、一言で言えば右手の甲(こう)を平らにするものです。もう少し詳しく言えば、右手の掌に一番近い関節(拳の骨)が出っ張らないように持つイメージです。言葉にするのは難しいですが(笑)机の上に右手の甲を下にして=手のひらを上に向けて置いてみます。
その状態で右手中指・薬指・小指を「指先からゆっくり上に向ける」曲げ方をします。その時に指の第2関節を机から離さないように曲げるのがポイントです。
その状態で親指の指先=爪の先端を、中指の指先=肉球部分に触れるように親指を移動します。必然的に親指と掌の隙間は、ほとんどなくなります。その状態のまま掌が下になるように180度回転させます。人差し指は、ほぼまっすぐに伸びた状態で、中指・薬指・小指の指先が机にあたるはずです。
 この状態を弓先でも維持することを久保田先生は繰り返し言われ、私はその指示に従って約50年間継続してきました。生徒さんの中でも数名に、この持ち方を伝承してきました。多くの生徒さんはこの「形=型」になる以前に、それ以外の修得するべき腕の動きができなくなり、強いて教えることはしてきませんでした。
 この持ち方の良い一面は、弓のどの部分でも一定の圧力を弓の毛に加えやすいと言う利点と、不用意な「指弓」を使わずに腕の柔らかさを使って、ダウンからアップ・アップからダウンの際の衝撃を吸収する習慣が身に付くことです。
 簡単に言ってしまえば「指のクッションではなく腕と肩のクッションを使う」奏法です。
 ただ物理的に右手首を左右に曲げる運動が必要になるという難点もあります。
手首は掌と手の甲の方向=上下方向に曲げる運動可動域が大きく。その運動対して90度方向=左右に動かす可動域は狭いのが普通です。この運動を腕を立てて掌を前にして行うと、一昔前に流行した「まこさまのおてふり」ができますのでお試しください(笑)
 弓先に行った時は前腕の骨に対して左側に手首を曲げます。弓元ではまず右手肘を上方に挙げることで弦と弓の毛の「直角」を維持します。それでも右手ー弓元が前方に出すぎる場合=弦と弓が直角にならない場合は、弓先の場合とは逆に手首を右方向に曲げることで直角を維持します。

かなり難しいことを書きましたが(笑)この奏法で必要になる作用方向への手首の柔軟性と、右撃て全体で衝撃を吸収する弓の返しが年齢と共に苦しくなってきました。今思えば恩師もまだ若かった!のです。いえいえ、久保田先生は健康をとても大切にされておられ、特に全身運動の重要性を説いておられましたので、年齢よりも若い肉体を維持されていたことは事実です。見習うべきですね(涙)
 とは言えやはり弓元での運動が苦しくなってきたので、手の甲を平らにする持ち方から掌全体を「楕円」にする形に変えました。円ではなく楕円です。
円のイメージはピンポン玉を掌で包み込む形です。つまり右手5本の指で球体を作る形です。弓を「つまんで持つ」形になりますが、私はこの持ち方には様々な違和感を感じています。
 最も大きな問題は、親指と人差し指のてこの原理による、弓の毛と弦の接点への圧力をかける「向き」がずれてしまう事です。演奏中の理想的な圧力の方向は、表板方向に向かう力が9割以上で、手前方向への力は1割以下だと考えています。弓をつまんで持てば圧力は?手前方向に多くかかります。下向きの力を得るためには弓を強く「挟む」事が必要になります。この力は本来不要な力です。
 楕円にすることで、下向きの力を保ったまま(多少はロスしますが)指の柔軟性を作り、腕の負担を下げられることになります。

 実際に持ち方を変えてみて感じたこと。
弓の圧力方向と下限をコントロールしやすくなりました。
出したい音色によって、数ミリ単位で弓を置く場所を変えています。その際に手前に引き寄せる運動と緩める運動で、音色の変化量が増えました。
 さらにこのことで客席に響く音量も変わりました。言い換えれば「楽に音が出せるようになった」のかもしれません。
 まだまだ改善途上です。さらに研究して自分の身体に会った演奏方法を模索したいと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

オーケストラ指揮者と打楽器奏者の信頼関係

 映像はNPO法人メリーオーケストラ第42回定期演奏会で演奏した「エビータ」メドレー。メリオケでは今回が初めての演奏です。その昔(笑)教員時代にみなとみらいホールで指揮をして以来の指揮です。
 私が思う指揮者とオーケストラメンバーとの演奏における信頼関係の要=かなめは、打楽器奏者を信頼できるか否か?以外にないと思っています。
 もちろん、すべての演奏メンバーとの信頼関係が重要ですが、多くの楽器の中で打楽器はオーケストラ演奏の「核=コア」だと考えています。
 打楽器演奏を学んだわけでもないのに偉そうに!(笑)
どんな音楽のジャンルでも、どんな演奏形態でも、音楽の基本は?リズムだと思っています。旋律と和声の美しさや個性を際立たせるのもリズムがあってのことです。
 そもそも「リズム」ってなんでしょうね?
ウィキで調べてみると…
古代ギリシャに生まれた概念で、ῥυθμός – rhythmos(リュトモス)を語源とする。リュトモスは古代ギリシャ語では物の姿、形を示すのに一般的に用いられた語で、たとえば「αという文字とβという文字ではリュトモス(形)が違う」というように用いられた。やがて、音楽におけるひとつのまとまりの形をリュトモスと言うようになった[
 だそうです。なるほど~
物の姿や形を表すのが「リズム」の語源だと解釈すると音楽の形を表すのが「リズム」だと置き換えると納得できます。

 二人以上の演奏者でひとつの音楽を演奏する時に「時を共感する」ことが何よりも大切だと思っています。リズムは目に見えない「時の流れ」を表す言葉でもあります。一般に「時」を表す単位は?
秒・分・時・日・週・月・年
音楽の中で使う「時」を表す単位は?
四分音符・二分音符など音符と休符の種類。
小節・楽章の単位も演奏時間の長さ。
テンポの指定 ♩=62など。
テンポの変化を指示するイタリア語。
様々ですが重要なことは、音楽は「一つの音を演奏する時間の長さ」と「音を出さない時間の長さ」の組み合わせで表現されていることです。
 メトロノームは「拍の始まる瞬間」に音を出す道具です。メトロノームの音は拍の長さを表していません。つまり拍と拍の「間隔=時間の距離」を表す道具なのです。本来の拍の長さを表すには一拍分の時間、音だ出し続けることが必要です。ずーっと音が鳴り続けるメトロノームってうるさいですよね?(笑)
だから最初だけ音を出すようにしたんですね。
 打楽器は?様々なオーケストラ楽器の中でも「瞬間=点」で音を出す楽器だと言えます。残響はありますが弦楽器や管楽器のように音を伸ばしながら強弱をつけることは出来ません。ピアノもその意味では打楽器の仲間になります。
 一曲の演奏=音楽の時間の中で、点を強く表す打楽器は音楽の流れを支配する楽器でもあります。どんなに弦楽器や管楽器が強いアタックで音の出だしを強調しても、打楽器を叩いて音が出る瞬間のエネルギーには遠く及びません。

 指揮者として音楽の流れの速さや変化を決める時に、打楽器奏者の出す「音」が指揮者の糸と違えば致命的だと思っています。私が思う「音楽の流れの速さ」を感じ取ってくれる打楽器う奏者がいることで、指揮者の精神的な負担と点を強調する動きを減らすことで肉体的な負担も圧倒的に軽くなります。
 アマチュアオーケストラだからこそ、打楽器奏者と指揮者の信頼関係はなによりも重要だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

練習できない期間(ブランク)なんて怖くない!

 今回のテーマは「ブランク」について。
多くの生徒さんが「忙しくてあまり練習できませんでした」とおっしゃいます。
中には生徒さんが幼いころ習っていて、何年・十何年・何十年ぶりでレッスンを再開されるケースも珍しくありません。その「楽器を練習していなった期間」をブランクと呼びます。ブランクをあたかも「悪いこと」のように語る人がいますが、プロであれアマチュアであれ「ブランク」はあって当たり前だと思っています。むしろあった方が良いとさえ思っています。

 上の映像は15年前のデュオリサイタル「1」で演奏したドボルザークのロマンティックピースです。決して上手なヴァイオリンではありませんが、このリサイタルを開くまでの私の「ブランク」をご紹介することでブランク恐怖症(笑)を克服して明るく練習できることに繋がれば…と思います。

 音楽大学を卒業するまで、師匠に言われ続けていた言葉「一日練習を休むと元の状態に戻るまで二日間かかる。二日休めば四日。わかった?」なるほど!と素直に受け入れ、今でも間違ったお話ではないと思っています。
 問題は元の状態って何?と言うことと、練習を休むことへの背徳感や恐怖心、延いては無理をして義務的に練習することで悪影響をもたらすことにもなります。
 教員生活20年間…私の場合25歳の年に普通科中学・高校の教員となりました。
それまで約20年間、ヴァイオリンを「ほぼ」毎日、練習していましたが教員になったその日からヴァイオリンケースの蓋を開けることは「一年に数回」もしかすると一年間一度も自分のヴァイオリンに触れなかったこともあったかもしれません。ヴァイオリンが嫌になったわけではなく、現実的にその時間がなかったのです。まさしく「20年間のブランク」ですよね。退職時のパワハラで精神を患い、処方されたお薬で命をつなぎながらレッスンをする日が数年間続きました。
 生徒さんに朝10時から夜9時まで、30分刻みで定休日も休憩もなくレッスンをし続けられたのは恐らく間違いなく数々の「お薬」で眠気や疲労感を感じなくなっていたからだと思います。今考えても恐ろしい経験でしたが当時は「普通」に感じていました。ヴァイオリンを教えながら自分が練習することは、それまでの20年間とほとんど変わりませんでした。
 練習する目的を失った日々でした。
その長いブランクから浩子さんとリサイタル…考えられないギャップです(笑)
 リサイタルで演奏する曲を二人で考え、練習をスタートし約1年間をかけて第一回デュオリサイタルを開きました。その時の演奏のひとつが上のロマンティックピースです

 ブランクを「休憩」あるいは「睡眠」と置き換えて考えるべきだと思います。人間は睡眠せずに起き続けると「死」に至ります。最も残酷な拷問方法のひとつです。つまり「休むこと」は人間にとって不可欠な事なのです。
 練習を休むと「へたになる」ことはあり得ないのです。なぜなら「休む」という言葉は、休む前にしていたことを「新しく始める」時に使う言葉だからです。「やめる」とは全く意味が違うのです。もっと言えば休みが死ぬまで続いた場合に「やめた」と言い切れるでしょうか?練習したくても、舞台に上がりたくても「できない」状態になり、その思いを持ったままいのちの火が消えた人…たくさんいますよね?落語家・俳優・音楽家など職業は様々ですが最後の最後まで、本人が思っていた気持ちを「現実にはやめたんだ」と表現するのは人として間違っています。休んでいただけ…なのです。

 ブランクが終わって練習や演奏を再開したときに「リハビリ」から始めるのが一般的です。では楽器演奏の「リハビリ」ってなんでしょう?
 実は私たちが毎日、最初に練習する内容こそが「前日からのリハビリ」なのです。人間は「忘れる生き物」です。生まれてから今までに「見たもの」「聴いたこと」「感じたこと」をすべて記憶することは不可能です。忘れるように出来ています。
 楽器を演奏することと曲を演奏することには「記憶する」と言う共通点があります。「暗譜しなければ記憶はしない」と思うかもしれませんね。初見で演奏する時に記憶していないじゃないか!って?それ勘違いです(笑)
 初見の楽譜を見ながら演奏する時に演奏しながら、次に続けて演奏する音符を「記憶」しつづけながら演奏しています。原稿を読みながらすスピーチする場合も同じです。記憶するのが1行でも原稿すべてでも覚えると言う行為では同じです、長期間記憶する場合と短時間の場合は、使う脳の部分が違う事も科学的に証明されています。
 楽器の音を出す方法は、長期間記憶する脳に記憶されます。
曲=楽譜を演奏する場合の脳は「短時間記憶」が働きますが、何度も記憶を繰り返すうちに「長期間記憶脳」にも記憶が残ります。

 ブランクを開けることの「意義」「利点」は他にもあります。
大きな利点は「自分の演奏する音」つまり聴こえている音を、ブランクの間にリセット出来ることです。「もったいない!」ですか?(笑)
ブランク明けには、自分の音を客観的・冷静に聴くことができます。
 さらにブランクを挟むと、それまで記憶していた、1曲で演奏する一音ずつの演奏方法を再確認できることです。「それこそ!もったいない」と思いがちですが、実際には記憶が薄い「場所」や「身体の使い方」を何度も再確認することは、練習する回数と時間に関わる大切なことです。

 練習できない期間を悪い方に考えないことが大切です。
確かに練習には多くの時間が必要です。ただ楽器に向かって音を出すことだけが練習ではないのです。身体と脳を休めることも練習の一部です。それができなければ、いずれ筋肉が疲労で疲れを感じなくなる現象「マラソンハイ」の状態になり最悪の場合は身体を壊します。脳を休めないと、自分の演奏を客観的に聴いたり、運動が無意識になって再生性が極端に下がる結果になります。同じ場所を何度も練習するうちに「出来るように案った!」と喜んでいたのに、一休みしたり翌日にはまた!ひけなくなっているのは、これが原因の場合がほとんどです。
 ゆったりした気持ちで楽器の演奏を楽しみましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

アマチュアオーケストラの理想と現実

 映像はNPO法人メリーオーケストラ第42回定期演奏会より、チャイコフスキー作曲ピアノコンチェルト第1番より第1楽章。ソリストは高校時代・大学時代の同期で現在フェリス女学院大学で教授を務めている落合敦氏。
 昨年夏の定期演奏会後に、この曲のソリストを引き受けてくれない?と相談したところ快諾してくれた恩人でもあります。
 言うまでもなく、ピアニストとしてこの曲が体力的にも精神的にも難易度の高い曲であり、オーケストラとのアンサンブルも極めて高度でち密なものが求められる曲です。多くのクラシックファンにとってもアマチュアピアニストにとっても、あまりにも有名すぎる子の曲をメリーオーケストラが演奏してしまいました(笑)

 さて今回のテーマは、アマチュアオーケストラが演奏会に臨むまでの練習や演奏会で「理想」とされる事と「現実」のギャップを考えるものです。
 アマチュアオーケストラの演奏技術レベルは様々です。それこそがアマチュアであることの証でもあります。どんなに簡単そうな曲でもお客様に満足してもらえる演奏をするために、可能な限り練習するのは当然のことです。
 ましてやこのコンチェルトやボレロを演奏するとなると、演奏者に求められる技術は相当に高いものになります。演奏したことのある人にしか理解できない「難しさ」でもあります。少なくともオーケストラで演奏会に参加したことのある人であれば、どんなレベルの演奏に対しても「下手だ」とは口にしません。当たり前ですね(笑)例えるなら、箱根の山を走って登ったことのない人がお正月の箱根駅伝を走る選手を「遅い!なんだこいつ!」と言えるはずがないのと同じです。

 オーケストラの演奏会までに必要な「時間」「費用」「労力」があります。
それがプロであれ、アマチュアであれ最低限必要なものがあり、逆に言えば現実的にできる範囲でしかオーケストラの演奏会は開けないのです。
 オーケストラで演奏しようとする曲に必要な「楽器ごとの演奏者の数」は違います。その人員を確保するために人件費がかかる場合がほとんどです。アマチュアオーケストラの場合はそのオーケストラメンバーの中に必要な楽器の演奏者がいないことが多くあります。ファゴット演奏メンバーがいなかったり、ヴィオラ奏者が一人しかいなかったりと様々です。足りない楽器の演奏者を外部から呼び演奏してもらう場合には謝礼を支払うのが通常です。それはプロのオーケストラ演奏会でもおこなわれています。「エキストラ」と言われる人たちの存在です。
 エキストラを練習時に何回呼べるのか?は人件費を払う資金力で決まります。
二日呼べば二日分の謝礼が必要になります。当然ですよね。
 ソリストを外部の人にお願いする場合も同様です。何回リハーサルを行えるか?はほとんどの場合はお金の問題になります。
 アマチュアオーケストラの運営費用はメンバーが負担するのが通常です。
演奏会時のプログラムに広告を掲載し広告料をもらう…それも一つの方法ですがこの不景気な現代にそんな余裕のあるお店や企業は少なくなりました。
 入場料収入を運営に充てるアマチュアオーケストラもあります。アマチュアオーケストラだから入場料を取ってはいけない!なんて大嘘ですよ(笑)むしろ頂けるならそれが理想ですが、現実には入場料が500円でも!来場者は減ります。
以前にも書きましたがメリーオーケストラは入場無料で演奏会を開いています。
広告収入はNPO法人の定款に書かれていない事業収入になるため基本的には受け取れません。

 半年に一回、定期演奏会を開いています。毎月1日だけ公開練習を実施しています。エキストラ演奏者に参加してもらえるのは演奏会当日、午前中の舞台リハーサルと演奏会の本番だけです。ソリストと一緒にリハーサルを行えるのは本番当日以外、1回が限界です。常にその状況です。練習が少なすぎる!
 会員は全員がアマチュア演奏者です。月に一度の公開練習時に指導者を数人呼ぶのが資金的に限界です。練習会場費、演奏会の会場費や舞台上で使用するすべての機器備品に係る設備使用料もあります。それらの費用を賛助会員の方々からの賛助会費(年会費2,000円)と会員たちの月々の会費3,000円、演奏会参加費を会員たちがさらに拠出して運営しています。それが現実です。
 もっと何回もソリストを呼んでリハーサルをすれば、オーケストラとずれることも避けられます。エキストラ演奏者を何回も呼べれば演奏のクオリティが格段に上がることは誰でも知っています。それは「理想」です。現実の世界で行われる演奏会なのです。出来る範囲で出来ることをするのが現実です。
 メリーオーケストラがいつまで?活動できるのかは誰にも分りません。
今、出来ることを頑張っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

子供も高齢者も初心者もプロも…みんなで作るオーケストラ

 映像はNPO法人メリーオーケストラ第42回定期演奏会のエンドロール。
出演者をテロップで流しました。73名の演奏者。
小学生もいれば80代の高齢者も。初心者がいると思えばプロオーケストラで主席を担当していた人も。みんなが垣根を越えれば、音楽の仲間です、
 肩書やプライド、経験より大切なことがあります。
音楽が好き・演奏が好き
たったそれだけの理由で充分なんです。
うまくなければ入れないアマチュアオーケストラってなに?
年齢制限があるアマチュアオーケストラってなに?
初心者が肩を狭めるアマチュアオーケストラってなに?
 そんな疑問から自分で立ち上げたメリーオーケストラです。
学校の部活オーケストラは常に人が入れ替わります。
多くの市民オーケストラは演奏レベルの低い人を拒みます。
プロの演奏家はギャランティをもらって帰るだけのアマチュアオーケストラが当たり前の中で、プロの演奏家たちが、子供たちを暖かく育てるアマチュアオーケストラが欲し型のです。
聴いてくださる方が喜んで聴いてくれるプログラム。
普段、クラシックを全く聞かない人でも楽しめるプログラム。
どんなジャンルの音楽にも、分け隔てなく真剣に練習する姿勢。
様々な挑戦をし続けて22年間、年に2回の演奏会を同じホールで開き続けることの難しさと意義。
Youtubeにアップしたメリオケの演奏に「へたくそ」とコメントを書き込む人もいます。当然「虫」(笑)あ・無視か!構って欲しい寂しい人や、人の嫌がることをして自己主張する頭の弱い人たちは、いつの時代にも世界中にいるものです。そんな人たちがメリオケの素晴らしさに気付くことができたら、きっと日本はもっともっと良い国になると思います。
 下手くそ?じょうとう!(笑)やれるもんなら、やってみなっての!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ひとつの夢を叶えた37年目のボレロ

 NPO法人メリーオーケストラ第42回定期演奏会が無事に終わりました。
演奏者総数73名、スタッフ11名。そして!来場者450名!!
コロナの影響で落ち込んだ来場者数が続いていました。98名と言うメリーオーケストラ創設以来最小人数を経験したのも、記憶に新しい数年前の事です。
 昨年の夏(8月)におこなった第41回定期演奏会には210名ほどの来場者が戻ってきてくれました。それまで毎回300~400名の来場者だった頃を思いながら、少しずつ明るい兆しを感じていた矢先に450名のお客様が足を運んでくださることを予想できませんでした。
 杜のホールはしもとの定員は520名なので、体感的には「満席」の状態でした。受付を手伝ってくれているスタッフと、主謝意者控室から無線で「開場しました!」「了解です!」のやりとりをいつものように交わし、約15分後に「プログラムが足りません!」との緊急事態。まさか?何かの勘違いかな?
 過去に記憶のない速度でお客様が入場され、当初1階席だけで十分かと高をくくっていた私。慌ただしく2階席を開放し開演直前には416名。その後も増え続け最終的に450名のカウントになりました。

 私がオーケストラの育成に関わり始めたのは、学生の頃でした。
もちろん学生なので指導と言うより「お手伝い」でしかありませんでしたが、各地のアマチュアオーケストラに参加させていただくうちに、アンサンブルの楽しさと運営の難しを体で感じていました。
 大学卒業後に新設された中・高等学校にただ一人の音楽教諭として奉職しました。男子校で中学生高校生が1学園ずつで始まった学校。そこにオーケストラを立ち上げる「夢」を持ちました。授業も会議も初めての経験。それでもなぜか?男子生徒11名と始めたオーケストラ!言うまでもなく(笑)全員が初心者。不思議なことに何も違和感を感じず、焦りもなく、明るき考えていました。
 3年後に6学年の男子生徒が揃った時に、総勢60名を超える立派なオーケストラが出来ていました。まるでマジックですよね(笑)
 4年目に突然「男女共学」になり、中学1年に初めての女子生徒が。
それまで廊下で素っ裸同然で転がって過ごしていた男子生徒たちは?
身の置き場を無くし、オーケストラに20名以上入ってきた中1女子生徒たちがキャピキャピ(笑)と遊び、編み物にいそしみ、読書にふける光景。
 硬派一色だったオーケストラの部員たちは扱いがわからず(笑)
それでも開校5年目に第1回定期う演奏会を開催。以後管理職の悪質な嫌がらせを受けながら、全校生徒数1200名の学校に150名のオーケストラ。8~9人に一人はオーケストラメンバー。みなとみらいホールで演奏会を開きましたが…
「ボレロ」にだけは手が出せませんでした。自分の中では「憧れ」でもあり、「叶わぬ夢」でもありました。
 なぜ?(笑)

 私はモーリス・ラヴェルを「オーケストレーションの鬼才」だと思っています。その象徴たる作品がボレロなのだと感じています。
一曲を通してたった二つの旋律と最後に一度だけ出てくる旋律だけのシンプルさ。さらに二回同じ組み合わせを使わないち密さ。最後に向かって常にクレッシェンドする聴感的なドラマチックな構成と言い、聴く人も弾く人も音楽を楽しめます。
 多くの楽器…サキソフォン2種類・オーボエダモーレ・Esクラリネット・チェレスタ・ハープ・コントラファゴット・バスクラリネット・銅鑼などをすべてそろえて演奏することは現実的に不可能です。何よりも演奏できる人をそろえることが一番むずかいいのです。
 今回の演奏会で私のアマチュアオーケストラ指導人生、25歳から62歳になる今年までの37年間をかけて成し遂げられた夢実現でもありました。
 演奏のレベルはアマチュアオーケストラとしての自己満足に足りるレベルだと思います。何よりもアマチュアとプロが一緒に演奏するオーケストラであり、子供も初心者も参加できるオーケストラは恐らく世界中を見回しても数多くないはずです。その活動が22年間や図まずに毎年2回の定期演奏会を実施し続けて来られたことも、当初私が抱いていた小さな夢…数人の子供たちとプロが一緒に演奏できるオーケストラを作りたいという夢が、大きな花になった気がしています。
 ボレロを演奏で着たら、次は?(笑)
きっとこれからも何か夢を探して。音楽を広めていくんだと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

演奏のスキルと事務仕事のスキル

 明日に迫ったNPO法人メリーオーケストラ第42回定期演奏会。
もう20年以上、このオーケストラを創り育てることに関わってきました。
演奏をするためのスキルを身に着ける努力は、自分の為にやっていることなので自分なりに納得も行きます。
 他方で「組織」を動かしていく仕事は、演奏以上に多くのスキルを求められます。オーケストラに限ったことではなく一般の会社や学校、団体でも同じことが言えます。組織を動かす…一言で言えば「自分以外の人を動かす」ことです。
 メリーオーケストラの場合、会員約30名の居住地域も年齢も様々です。
演奏の練習や演奏会自体は会員たちが楽しめることが何よりも大切です。
活動を維持継続するための仕事は決して「裏方」ではありません。
演奏は表に出る氷山の一角です。通常なら組織の人たちが手分けをして準備などの活動を日々行うものですが、当オーケストラの場合は、そういかない現実があります。
・ホールの利用申請
・楽譜の準備
・賛助出演者の手配
・ホールとの打ち合わせ
・タイムテーブルや舞台配置図、席順の決定。
・当日のリハーサルまでに済ませる作業の把握と指示伝達。
・ポスターやプログラムの作成と印刷
・交通費の準備
・もろもろもろもろ(笑)
それらを「誰か」にお願いすれば?結局は確認作業のために統括する人間がさらに忙しくなる結果は目に見えています。
 現実問としてメリーオーケストラは私と浩子さんの「事務作業」で成り立っているオーケストラです。一緒に作業をする人も結局は「お仕事」としてお願いする社員しかいません。お金の問題は大きいことは事実ですが、何よりもこれらの作業の重要性をみんなが理解できないことです。
 学校で20年間、部活動オーケストラを運営し指導してきた時には、ある程度を他の教員である「顧問」に振り分けることもできました。子供たちに作業もさせられました。
 プロのオーケストラの場合や学校などの場合、事務職員がいます。その中に責任者もいます。メリーオーケストラには?
 指揮をする・演奏をする
そこまでに誰かのスキルと時間と膨大なエネルギーが必要です。
う~ん。何とも悩ましい(笑)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音楽仲間との時間

 映像はNPO法人メリーオーケストラ定期演奏会での「楽器紹介コーナー」
ドボルザークの交響曲第9番を「ネタ」にして、普段オーケストラのコンサートに関心のないお客様にも楽しんで聴いてもらえるように考えたコーナー、
 無茶ぶりにも応えてくれる音楽仲間、アマチュアならいざ知らずプロの演奏家も協力してくれるのが本当に幸せです。小難しい(笑)講釈より楽しいかな?
 こんな素敵な音楽仲間と一緒に舞台で音楽を演奏し、聴いてくれる方に楽しんでもらうことがこのオーケストラを作った理由の一つです。演奏技術をうんぬんするのはプロのオーケストラだけで十分!そもそも入場料無料のコンサート。
 今回で42回目の定期演奏会が日曜日に実施されます。
高校時代の同期ピアニスト、落合敦氏をソリストに迎えてチャイコフスキーピアノコンチェルト第1番 第1楽章で始まり、エビータのメドレー、ラデツキー行進曲。幼稚園の頃からメリオケで演奏してきた兄弟をヴァイオリンとヴィオラのソリストにしたモーツァルトのシンフォニアコンチェルタンテ第2楽章、懐かしいテレビ番組の北の国から。そしてラヴェルのボレロ。
「笑いあり涙あり」とはよく言われますが
「ミュージカルありテレビドラマありコンチェルトありボレロあり」
これを「雑多」とか「邪道」と言うならどーぞ(笑)
私の中ではリサイタルもメリオケも「大人が食べても美味しいお子様ランチ」なのです。美味しいものを、ちょっとずつ食べる「快感」は高級レストランでは味わえません。
 20年以上続けてきたこの活動を継続するために、一人でも多くの方に賛助会員になって支援をお願いします!詳しくは、メリーオーケストラホームページで。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました!

NPO法人メリーオーケストラ理事長 野村謙介