メリーミュージックブログ

演奏家夫婦が優しく丁寧に指導

TEL.042-782-1922

※原宿南教室〒252-0103
神奈川県相模原市緑区原宿南2-26-1

夏休みの練習

お子さんにとって待望の夏休み。
…のはずですが、今年は猛暑でそうもいかないようです。
学校のプール解放も中止。夏祭りも中止。外で遊びたくても熱中症が心配。
そんなわけで楽器の練習に時間を使って見ては?
普段できない練習も時間をかければできるようになります。
子供の上達には、なによりも時間が必要です。
エアコンの聞いた部屋で練習できるのはうらやましい!
テレビよりゲームより楽しい時間になると思います。
「自由研究」のテーマにヴァイオリン練習、ピアノ亜練習を選んでみてはいかがでしょう?
真夏に楽器の練習ができる現代です。昔は「扇風機」があればラッキーでした。
音が「ぶるるるるるるる」って震えるのが楽しかった記憶があります。
夏休みの宿題と一緒に「楽器の練習」を生活の一部にして欲しいと思います。

メリーミュージック
野村謙介

究極のアンサンブル

ベルリンフィルハーモニーオーケストラのチェロメンバーによるコンサート「ベルリンフィル12人のチェリスト」を聴きにサントリーホールへ。
2年に一度ほどの来日公演を毎回楽しみにしている私たちです。
ご存知の方も多いかと思いますが、ベルリンフィルは世界最高峰の演奏技術と長い歴史を持つオーケストラです。運営を団員自らが行うことも特筆すべきことです。現在は、サイモン・ラトルという指揮者が指揮をしています。昔はあの、カラヤンが指揮者でした。そのベルリンフィルのチェロメンバーが単独で演奏会を開くようになって40年以上経ちます。日本では1973年に初めての演奏会を行いました。
多くの動画やCDが世界に広がっていますが、オリジナルのアレンジによるクラシック、ジャズ、映画音楽、タンゴなど多彩なレパートリーを持ちます。
一人一人の演奏技術は、考えれば当たり前ですが「世界一の技術」です。
その一人一人の演奏技術を12人で一つの音楽に仕上げます。
通常、ソリストが集まってアンサンブルをした場合の演奏会が多く行われます。それはそれで素晴らしく、聴きごたえのある演奏です。
また、このベルリンフィル12人のチェリスト以外にも、世界中のオーケストラで団員によるアンサンブル演奏会が行われています。

ではこの12人の演奏の何が?私たちの心を動かすのでしょう?
とても簡単には言い尽くせませんが、あえて一言で言うなら「伝統と人間性」だと感じます。
長い歴史を持つアンサンブルです。メンバーも変わっていきます。演奏会場や時代の音楽も変わります。その中で毎年、あるいは毎日、メンバー同士のオーケストラ「チェロパート」としての活動を伝承しています。チェリストたちの演奏会も同じことです。彼らが演奏会を開き、またそのための練習をするときには「ベルリンフィルは合奏できない」つまり演奏会も練習も成り立ちません。そのことを、他のメンバーが納得したうえで彼らは演奏を継続しています。これも伝統です。そして、オーケストラメンバー、チェリスト一人一人の「人間性」が問われます。
プロのオーケストラ。しかも世界トップのオーケストラです。聴衆の期待も世界一です。その期待に応えるための「企画」は前述したとおり、自主運営だからこそできるものだと思います。メンバー全員がお互いを認めなければ絶対にこの企画は成り立たないはずです。
チェリストたちの演奏会を聴いていて思うこと。

「誰も犠牲にならず全員が主役」だと感じます。
もちろん、12人が演奏していて指揮者はいません。扇形に配置された演奏位置で、お互いが全員を見ることができる配置です。
とは言え、歴然と「トップ」がいます。全プログラムの中で、次期トップがトップの席で演奏する曲もあります。これが次世代のアンサンブルへの伝承なのです。そのトップが曲の中で「休み」になっている時間もあります。
オリジナルのアレンジは曲によって、12人全員がおそらく全員違う音を出す瞬間もあるように聞こえ、ある時は12人が4つ、6つのパートに分かれていることもあります。その時々に全員が自分の楽譜だけでなく、隣のメンバー、さらにその隣…全員が何をしているのかを把握しています。そうでなければできない演奏です。
これは想像ですが、練習の段階で12人「以外」のメンバーの助言があるはずです。「バランス」を指摘する「13人目のメンバー」です。
聴いていて「絶対!ヴァイオリニストがどこかに隠れて弾いている」と感じる瞬間、「バンドネオン奏者が隠れている」「トランペットが」「打楽器が」そんな音色の多彩さは個人の演奏技術の高さだけではなく「バランス」を完全に把握しているからできる技だと思います。
プログラムはどの曲も短く、最後のアンコールまで「飽きない」演出です。
そのすべてのプログラムが綿密に計算されたバランスで演奏されます。
時には心憎い演出もあります。うまい!だけではなく、楽しい・すごい・悲しい・不思議という人間の感情が自然に湧いてきます。
彼らの人間性が音に現れます。舞台上で、聴衆に対して礼を重んじる姿勢も感動的です。おざなりな「挨拶」はしません。世界一の演奏者なのに「おごり」がまったくありません。むしろ「謙虚さ」を感じます。すごいことです。

この演奏を聴くと、アンサンブルってなに?と改めて考えさせられます。
私の勝手な評価をさせてもらえれば
「彼らの目指す演奏は音楽の神に近づくこと」
彼らの演奏は世界無二のものです。比べるものはありません。
その演奏を生で聞くことができる幸せを感じています。

メリーミュージック 野村謙介

音楽教室ってなに?

以前も書いたことがありますが、このテーマは時代とともに変化する答えを持っています。
メリーミュージックも小さいながら音楽教室の一つです。
そこに通ってくる生徒さんの一人一人が、違った目的を持っています。
私たち「教える側」はその生徒さんの目的を達成することをお手伝いして、代金を頂いています。生徒さんは「お客様」であると言えます。

そのお客様と私たちの間にある「契約」はなんでしょうか?

音楽を楽しむために通ってくる生徒さんにとって、「楽しくないレッスン」「楽しくない練習」が必要だと私たちが考えることがあります。
一見矛盾したことのようですが、楽しむ内容によるのです。
音楽を「演奏して楽しむ」ために通われているのですから、演奏できるようにレッスンをするのですが、生徒さんが今までやったことのない練習をしてもらい、知らなかった技術と知識を学んでもらうことが、必要不可欠なのです。
その必要不可欠なことを私たちが教えていくとき、生徒さんが納得してくれないとレッスンは成り立ちません。
ほとんどの生徒さん、そしてそのご家族は、その必要性を理解してくれます。しかし…
中には「楽しいだけで十分」「難しいことはやりたくない」「そのために、お金を払っている」という気持ちを感じてしまう生徒さん、ご家族もいらっしゃるのが現実です。
「そんな生徒なんているの?」と思われるかもしれませんが。
これは、私たち教える側にはどうすることもできない「生徒さんのリクエスト」なのです。先ほど書いた通り「契約」があってレッスンをしています。
その中身はレッスン代金やレッスン時間に関することがほとんどです。
音楽教室を「私立の高校」に例えて考えてみます。
生徒自らの意思で受験し、授業内容、規則に納得して入学します。
その学校で規則に反することをしたり、授業内容についていけなければ、生徒が辞めさせられても納得しなければならない「契約」があります。
音楽教室に置き換えると、生徒さんは「弾けるようになりたくてレッスンを受ける」場合と「ただ楽器に触って音を出したいだけ」という生徒さんがいる、あるいは「それでも構わない」教室と、「弾けるようになる努力をする人だけを受け入れる」教室があると思います。
この違いはものすごく大きな差です。
つまり、私たちが何を生徒さんにレッスンをするのかという根本に関わることなのです。
「上手に弾けなくても」というのはあくまで上達のプロセスであり、生徒さんの主観と私たち教える側の評価は違います。そのギャップを埋めながら時間をかけて生徒さんの技術を向上させるのが私たちの仕事です。
一方で「楽しければいい」という生徒さんを拒まない、または「拒めない」教室の場合、私たちはなにを教えれば良いのでしょうか?極論すれば「何も教えなくても音は出せる」とすれば、生徒さんが楽器を使って音を出しているのを「聴いているだけ」でレッスン代金を受け取ることになります。

多くの音楽教室が生徒さんを募集することに躍起になります。それは経営上、当たり前のことです。私立の高校でもそうであるように。
生徒さんのどんなリクエストにも応えるのが良いのでしょうか?
契約の段階、つまり教室の方針として「上達する意思のある生徒さんだけを募集」するのが良いのでしょうか?
人、それぞれに音楽の楽しみ方は違います。聞くだけでも楽しめます。
楽器を上手に弾けなくても、音が出せるだけでも楽しめます。
「グレード」「クラス」などで、内容を区分けする教室もあります。
それでもクラスやグレードとは関係なく、上記のような「生徒さんが求めるもの」が変わることもあり得るのが事実です。レッスン当初は「音を出すだけで十分」で始めたものの、面白くなって上達を目指す方もいます。その逆に、はじめは高い目標を持っていても、途中で挫折してしまい「もう十分」と辞めてしまう生徒さんもいます。そのひとりひとりの生徒さんに、日々レッスンをするのが私たち音楽教室で教える教師です。

誰が正しいのでもなく、どれが素晴らしいとは誰にも言えません。
だからこそ、私たちは「一人でも多くの方に演奏技術を高めることで、さらに多くの楽しみを体感してもらいたい」と願うしかないのです。
時代が変わって、「お金を払ったから好きにやらせろ」という人も増えるでしょう。そうなれば、音楽教室で教える先生はいなくなってしまいます。
私たちと生徒さんの「師弟関係」があってこそ!のレッスンだと思っています。

メリーミュージック 野村謙介

音楽大学オーケストラ演奏会で

私が桐朋学園大学を卒業したのが1984年です。
「大昔の人」と言われて否定できない年齢になりました(笑)
先日、おそらく何十年ぶり(?)という位久しぶりに、音楽大学のオーケストラ演奏会を聴きに行きました。
大学の敷地の中に、立派なホールを持っている時点で驚きます。
ご存知のように私の母校「桐朋学園大学」にはホールがありません。
世界に名だたる演奏家を輩出した大学なのに、ホールがない!
私の在学していたころ、オーケストラの定期演奏会は「都市センターホール」でした。ごくまれに(数年に1度)国内に演奏旅行に行った記憶があります。
先日の定期演奏会を聴いた第一印象は、「あれ?こんな程度?」というちょっと残念なものでした。
期待過多…と言えばそれまでなんですが、演奏している学生(卒業生も多い)の個々の演奏技術が物足りないのか、それとも演奏会への意思が弱いのか?
9倍まで拡大できるウエラブルを使って見ていて、演奏者一人一人の演奏を見て確認できました。中には明らかに「音楽を理解している動き」の人もいました。一方でただ、弾いているだけの人がたくさん。これは、「見た目」の問題ですが肝心の「音」についても、管楽器・打楽器のソロは正直に言って、一般大学のオーケストラと比較してもお粗末な印象でした。ピアノコンチェルトの独奏者も、大きなミスは感じなかったものの「音大生」という印象は受けませんでした。
辛口!な感想ばかり書いてしまいましたが、ごめんなさい。
「昔はよかった」と言うつもりは毛頭ありません。
逆に「今はこんなもんだよ」と言われれば受け入れるしかありません。
老婆心で言えば、学生の音楽への情熱を感じられなかった原因を考える必要があると思いました。
「学生を一でも多く集める」
「入試のレベルを下げ、学生が入りやすくする」
「集めた学生が楽に卒業できるようにする」
「大学の知名度を上げるために知名度の高い音楽家を招く」
「校舎や施設(構内ホール)を整える」

このルーティンで学校法人は間違いなく運営できるでしょう。
ただ、学生の「質」が置き去りにされている気がします。
入試の敷居を下げることには異論はありません。
問題は、入学後「学ばなければ卒業できない」「学ばないと意味がないと感じられる」内容が伴っていない気がします。
学生それぞれの専攻によって「学ぶべきこと」は大学が決めることです。
学ぶべきことを学生に一任するのは正しいとは思えません。何が必要なのかを知らないのが学生なのですから。
そして、楽器を専攻する学生に対し卒業後「プロとして」通用する技術能力、知識を学ばせることを大学がしなければ、一般大学と何も変わらないと思うのは私だけでしょうか?
「趣味として」楽器を演奏するのであれば音楽大学で学ぶ必要はないと思うのは偏屈でしょうか?私は趣味の演奏を指導して生活しています。だからこそ、音楽大学では「専門的な指導」をしてほしいのですが。

誰でも入れて、誰でも出られる音楽大学

これが現代の音楽大学の「普通の姿」なのだとしたら、とても悲しい気持ちです。
もちろん、学生の中には本気で学び、プロを目指し、卒業後も研鑽を積んでいる人がいます。その人たちとの交流もあります。すべての音大生が「怠けている」とは言いません。「怠けていても指導しない音楽大学」に対しての意見です。
多くの音大指導者がお友達にいらっしゃるので申し訳なく思っています。
「音大は音楽を学ぶ大学」であってほしい!だけです。
メリーミュージック 野村謙介

ブラック部活に物申す

以前にも書きましたが、教室の生徒さんたちの中にも部活動に生活の大半を「拘束されている」中学生・高校生がいます。
部活動が楽しいものであることは大変喜ばしいことです。
多くの人が中学、高校時代に部活動で思い出を作り今も当時の友人と交友があります。人生の「財産」でもあります。
ただ!その部活動が「生徒の生活にまで影響する」ことには私自身、違和感があります。学校の教育活動の一部であるからということもありますが、子供の健全な成長の妨げにさえなっている場合があります。はっきり言えば「有害な活動」だと思います。程度問題です。だからこそ「どこまで」という線引きが重要なのです。そして、内容が最も大切です。
音楽家の立場から見て、多くの「音楽系部活動」の内容が「非音楽」だと感じています。私の友人、知人が専門知識と技術を持ったうえで、部活動の指導に当たっています。彼らの指導は「プロを育てる指導との違い」を知っているから、アマチュアに求めるものしか生徒に求めていないはずです。練習方法の中にはプロになるための練習と共通する一面もあります。
「どんな練習に、どのくらいの時間をかけると、どのくらいの効果があるか」を経験で知っている音楽家。そして肝心の「効果」を判断できるのが音楽家です。
「何が上手で何が下手なのか」さえわからずに、やみくもに時間をかけるだけの指導は、音楽を作れないだけではなく、生徒が間違った練習で間違った成果を体感し「これが音楽だ」と勘違いしてしまう結果を招きます。
「気持ち悪い動き」「意味のない動き」「音楽と関係のない動き」
さらには「演奏に必要のない筋肉トレーニング」「間違った演奏方法で繰り返す間違った練習」すべては、生徒の音楽的な可能性を壊します。
正しい練習方法、正しい評価があって、初めて「練習の意味」が生まれます。
ただ音を出し、悪質な練習を繰り返し、休む時間さえ奪い取る。
生徒個人の生活を無視し、生徒同士が「拘束しあう」ことさえ知らない顧問もいます。
顧問自身が「休むなら演奏会に出さない」と脅迫するどんでもない人間もいます。
保護者の皆さん、そして教員の方々。
部活の音楽はアマチュアの音楽です。
だかたと言って音楽を知らない人間が指導しても音楽は生まれません。
演奏に必要な技術を知らない人間が指導しても演奏はうまくなりません。
「部活でうまくなる」のは「うまくできる専門の指導者がいる場合」だけです。
音を出し続けることが練習ではありません。
休まずに練習してうまくなることは、絶対にありえません。
本当に楽器を上手に演奏したければ「専門の先生に習う」以外に方法はありません。
楽しいのは良いことです。しかし「休めない」部活は間違いです。
子供の時期こそ、家庭で過ごす時間、学校外で過ごす時間が大切なのです。
部活だけで学校生活を終わらせるのは、顧問の傲慢です。
その子供たちを黙ってみている大人は「無責任」です。
楽しそうだから。休むと演奏会に出られずかわいそうだから。
本当に楽しい部活は生活に支障をきたしません。
ぜひ、子供たちの部活に大人として、毅然とした態度で伝えてほしい。
「あなたの学校の部活は、本当に学校の授業のひとつなの?」
「なぜ学校が休みの日に部活があるの?」
「部活だけで学校生活を終えてもなにも後には残らないんだよ」
ぜひ、子供の為に「ブラック部活」から子供を守ってください。
一人の音楽家として心からお願いします。

新規の生徒さん

4月に入ってから新しい生徒さんの中に成人の方が多くいらっしゃいます。
初めて楽器を習う方もいらっしゃいます。
「前からやってみたかった」という理由がとても多く、ヴァイオリンへの興味は小さい時からお持ちの方が多いことを実感します。

大人になってから、あるいは長いブランクの後で再スタートする方にとって、どんな先生がどんなレッスンをするのかなぁ?と言う不安がありますよね?
習い事を大人になってから始める「勇気」に同じ大人として敬服します。
「いまさら…」とか「子供からじゃないと弾けない…」と思いつつ、教室に連絡をくださる方の決断は素晴らしいと思います。
その勇気と決断にお応えするべく、大人のレッスンは「一人一人の生徒さんの気持ちに沿って」そして「上達を実感できる内容」「理論的なレッスン」を心掛け、日常の多忙な生活に楽器を練習する「楽しみ」をプラスしていただけるように気を配っています。
音楽に年齢制限はありません。
スタート時期は上達とは関係ありません
大人にしかできない練習方法があります。
夢を実現するのが大人の楽しみです。
ぜひ、あなたも楽器を始めてみてください。
多忙な皆様に合わせ、夜9時まで、好きな日時を予約できる音楽教室は、
メリーミュージックだけです。

発表会を終えて

第22回の小さな音楽会が終わりました。
毎回のことながら、生徒さんの成長に驚かされました。
練習すればするほど、自分の演奏の「小さなミス」に気が付きます。
本番ともなれば、いつもよりも、たくさん失敗するのが当たり前です。
でも、そのミスが聞いている人に分かるようなミスなのかどうかは、別の問題です。誰が聞いても「あれ?」と思うことがあるとすれば、例えば舞台で違う方向を向いて弾いちゃった!とか、お辞儀するのを忘れちゃった!その程度です。
音を外した!とか弓を間違えた!ビブラートかけそこなった!
これ、本人と先生にしか気づかないことです。
「小さなミスに気づけたことが進歩した証」なのです。
失敗しなければ成長しないことは、いろいろな職業の方がおっしゃることです。私もそう思います。
どうすれば、自分の失敗を克服できるかを考え続けることが「練習」です。
もちろん、人の演奏を聴いて学ぶことも大切です。冷静に自分との違いを探すこと、そして真似してみることも練習方法の一つです。
なにはともあれ、演奏したみなさま、お疲れさまでした。

メリーミュージック 野村謙介

新年度スタート

桜の花びらが舞い散る4月です。
メリーミュージックの生徒さんたちにも「新学期」らしい出来事が。
幼稚園から高校生まで、多くの生徒さんが新しい年度に入りました。
中学校に入学する生徒さんが今年はとても多く、それぞれの思いを胸に新しい学校に通い始める準備を楽しんでいます。
小学生もちょっと前まで「いかにも!」だったおこちゃま(笑)が、すっかりお姉さん、お兄ちゃんになっていきます。
大人の生徒さんにとっても、新年度は何かと忙しい時期。加えて「花粉症」
お気の毒です。

子供の成長は楽器を弾いている姿からも感じられます。
本人が気づくわけでもないのですが、こんなことが。
・集中力を持続できる時間が伸びる。
・私たち「先生」の話を聴く気持ちと態度がそなわる。
・表現したいことが増えてくる。
そのほかにもたくさん!あるのですが、時にヴァイオリンの場合、「先生の真似をしたい」気持ちが芽生えます。これ、教える側にはうれしいと同時に、どきっとします(笑)
私はレッスンでできるだけ、生徒さんの横で一緒にヴァイオリンを弾くようにしています。そんなレッスン中に「じーーーーーー」っと私の左手を瞬きもせずに子供が見ていたら「びぶらーとってどうやるのかなぁ…」なのです。
その目の先で「わかりやすく」ヴィブラートをかけて子供の弾いている曲を弾きます。こどもの好奇心と観察力、集中力が一気に高くなる瞬間です。
理屈や言葉ではなく「感覚」として真似をしてみたくなるのが、一番大切です。

少し大きくなった生徒さんたちの成長は「音楽を演奏する」感情が起きてくることです。
ただ音を出す。楽譜を弾く。間違えずに弾く。ことから、「何かを感じる」音楽への変化も言葉で教えられません。
音楽を演奏することで、本当にたくさんの感覚が研ぎ澄まされ、我慢すること、達成すること、もっとうまくなることを繰り返す中で、音楽以外の能力も高められます。
「楽器を習えば勉強ができるようになる」ことはあっても
「勉強ができるから楽器が弾ける」わけではないのです。
勉強に限らず、日常生活でもメリハリのある生活が生まれます。
新しい生活に音楽を!

メリーミュージック
野村謙介

好奇心と音楽

大人になると子供のころような「好奇心」が薄れていくことが多い…むしろ好奇心が薄れいていることに気づかないことが多いかも知れません。
音楽に限ったことではありませんが、日常生活中に小さな疑問を持ったり、興味を持ったりすることが、とても大切だと思っています。
考える以前に「感じる」ことが好奇心だと思います。好奇心は考えてから感じるものではないからです。
何気ないことでも、逆に自分が本気で取り組んでいることでも、その好奇心の有無(ゆうむではなく「うむ」と読みましょう笑)が変化や成長のカギになると思います。
自分の音楽への好奇心を失うことを「飽きる」と言ってもよいでしょう。
壁に突き当たって、行き詰った時にも好奇心のアンテナを伸ばすと、新しいアプローチができたりします。

昨日は生け花…と言ってしまって良いのかわかりませんが、
花と空間の不思議な世界を体験しました。
生まれて初めて「生け花」というものを実際に感じた日でした。
私自身が好奇心がなければ、なにも感じないのはもちろんですが、
その空間を作り出している「先生」がとても素敵な方でした。
短い時間でしたが先生とお話を交わさせていただいて、不思議なくらい「若さ」を感じたのは先生の好奇心が子供のように旺盛に感じたからかもしれません。
創造力、独創性は努力の上にある「好奇心」の結晶に思えます。

そして、今日のレッスンで自作の「エレキギター」を見せてくれた中学生男子生徒。
彼もまた、好奇心の旺盛な少年です。「レゴ」少年です(笑)その少年が作ろうとするものは、純粋に「おもしろい」ものを作っています。
ヴァイオリンを作ろうと思ったら、大きくと重くなってしまうと話す彼に、私の好奇心もメラメラ(爆笑)

何かを創りたければ、そのもの以外に好奇心を持つことが大切です。
「どうなってるのかな」
「どうやるのかな}
「多分…」
そこから時間をかけて考えていけば、きっと自分の知らなかった自分の能力に出会えると思っています。

野村謙介