クラシック音楽は、なくても良い文化なのか?

 「クラシック演奏家・年収」というキーワードで検索すると、いくつかの文献があります。どんな職業であっても働く本人の「価値観」が最も重要であることは変わりません。働く目的も人によって異なります。「生活するため=生きるため」の人がホトンですが、中には「道楽や生きがいのために働く」人もいます。「権力欲を満たすため」の政治屋を見ていると「こいつらの職業なんていらない」と思うのは私だけ?(笑)

 クラシック音楽を演奏したり作曲して生計を立てる人の生活を考えてみます。当然、非常に大きな「幅」があります。一部の「有名人」は年収で千万単位の収入があります。一方で多くの音楽家の年収は000万円に満たないひとから多くて400面円ぐらいでしょうか。
「実力の世界」とも言えません。ボクシングやプロ野球の選手のように「数字」例えば勝率とか打率で「実力」を客観的に判断できる職業もありますが、日本のクラシック音楽家の場合「有名になる=仕事を得られる」のは、客観的な実力よりも「肩書」や「メディア受けする」事の方が重要視されます。

 今から40~50年ほど前、日本は好景気に沸いていました。私自身、学生時代に演奏のアルバイトだけで十分すぎるほどの「稼ぎ」がありました。テレビの歌番組での演奏、ポピュラー歌手のコンサートでの生演奏、レコーディングスタジオでの演奏、音楽鑑賞教室でのオーケストラ演奏などで、月に20万円以上収入がある場合も珍しくなかった時代です。
 演奏が「デジタル化」され、高い人件費よりシンセサイザーとコンピューターで「事足りる」事になりました。レコードがCDに、CDは「配信」に代わりました。

 人間が楽器を演奏し、会場での「生演奏を楽しむ」クラシックコンサート。「娯楽」の一つであることは事実です。生活に欠かせない事ではありません。ましてや「配信」で音楽を楽しめるなら「十分」と言う人もいます。現代の日本で「クラシック音楽家」は不要な存在なのでしょうか?文化として、クラシック音楽は無くなって良いものなのでしょうか?

 そもそも「文化」は人間の知性と教養があって初めて成立し持続されるものです。個人の「娯楽」は様々です。競馬やパチンコも娯楽です。登山や趣味のスポーツも娯楽です。それら全ては「経済活動」でもあります。
多くの娯楽は、楽しむ人「以外」の人が用意する環境があって初めて成り立ちます。登山でも、山小屋を営む人・救助する人・登山道を整備する人がいるから安全に楽しめます。
 クラシック音楽を「聴いて楽しむ」娯楽には「演奏する人」が不可欠でした。録音する技術がなかった時代が、まさに「全盛」だったとも言えます。録音された「演奏」が無料で楽しめる現代です。生で演奏する「人間」は、今更これ以上いらない?(笑)のでしょうか。

 人間が演奏する音楽を、他の人と一緒に聴いて楽しむ「文化」を維持することの「意義」を考えるのは、一人一人の「価値観」に頼るだけでは困難なことです。先述のように、人によって「娯楽」は違います。音楽に興味のない人にとって、演奏家がいなくなっても困りません。大きな視点で考えれば、すべての「社会活動」は「誰かに支えられている」活動です。物を創る人・思を売る人は「買う人」がいるから生活できます。競馬を国が「特例」として認めているから「賭博」でも許されます。競馬にお金を「書ける人」がいるから騎手も調教師も馬主も生活できます。

 クラシック音楽で生活できる人が、誰もいなくなれば、いずれ生演奏は消えてなくなります。儒教と供給のバランスが悪いことも現実問題です。ご存知の通り「音楽家」と言う職業には、なにも資格がいりません。自分が「音楽家です」と言えば音楽です(笑)
毎年、日本中の音楽大学から何百・何千と言う「クラシック音楽家」が誕生しているとも言えませス。音大を卒業しなくても音楽に慣れます。「実力」は客観的なものではありません。「音楽家が多すぎる」事は明らかなことです。

 クラシック音楽と言う「文化」は演奏言する人と聴く人が、お互いに支えあって残せるものです。山や海と違い、演奏会場は自然にできたものではありません。ホールを建設し、維持管理する人とお金がが必要です。それらの「経済活動」は聴く人の負担だけでは賄いきれないものです。自治体や国が文化のために税金を使う事を「もったいない」と思う気持ちも理解できます。「娯楽に使うお金よりお米を買うお金に使え!」と考える状況であることも現在の不況から考えれば、もっともな意見です。聴く人を「まず」増やすことが何よりも大切っです。どうか!生演奏を聴くために使う「お金」を無駄と思わないでください。身近にクラシックのコンサートはきっとあるはずです。ぜひ、足を運んでみてください。
 最後までお読みいただき、ありがとうございまし。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音色の違いと演奏の印象

上の演奏は最近(2024/07/14)したタイスの瞑想曲。ビデオカメラの付属したマイクで簡易的に録音したものですが、新しい楽器にラーセン(デンマーク)社製のナイロン弦を張っています。下の映像は以前、私の使っていた楽器にピラストロ(ドイツ)社製のオリーブ(ガット弦)を張って演奏したものです。

ヴァイオリン演奏者は「自分の楽器」を選ぶことができます。「なにを当たり前のことを!」と思われがちです、ピアニストは?会場に備えてあるピアノが複数あったとしても、選択肢はわずかです。自分の気に入ったピアノだけを演奏できるわけではありません。声楽家は自身の身体が「楽器」になります。選ぶことは出来ません。

 ヴァイオリンという楽器「だけ」では音は出ません。弦と弓が必要です。ピチカート奏法だけなら弓は使いませんが(笑)弦を選ぶのもヴァイオリン奏者の楽しみでもあり「悩みの種」でもあります。特に弦は多種多様…現在販売されている製品だけでも恐らく数10種類は選択肢があります。4本の弦、それぞれに違う種類の弦を這う事も可能です。さらに、弦は新品で張ったばかりの瞬間から、次第に「劣化」していきます。そのプロセスの中で「一番好きな音」が出る期間は、本当にごくわずかです。演奏家に合わせて弦を張り替えます。演奏会が続く場合には、そうも言っていられませんが(笑)

 YouTube動画を検索すると「ヴァイオリン弦」「比較」と言うキーワードで凄まじい数の動画がヒットします。中には同じ楽器で、同じ曲を同じ人が同じ撮影環境で「弦を張り替えながら」演奏しているものあります。
 実際にヘッドホンっで聴き比べすると「?少し違うかも?」程度の差はありますが、実際に生で聴こえる音とは違います。ましてや、演奏者がきいている音はまた別の音です。いくら言葉で印象や特徴を並べ立てても、現実に自分の楽器に張って自分で演奏しない限り、比較することは不可能です。

 会場が変われば音が変わります。湿度や温度が変わっても音ヒャ変わります。曲が変われば・ピアニストが変わればなど「全く同じ環境」での演奏を再現することは、現実的には不可能です。その時々での「印象」が滑T3絵です。弦は新品を張り替えてすぐに演奏会で演奏できるものではありません。会場で張り替えて試すことは出来ません。演奏する曲ごとに弦を張り替えることも無理です。
「妥協」とも言えます。むしろ、会場や環境、曲に合わせて「弾き方をコントロール」するのが技術です。極論すれば、楽器に「ケチ」を付けたり「弦が合わなかった」ことを愚痴る演奏者には、技術が不足していると言えます。すべては演奏者の「人間」としての大きさだとも思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

 

弦の張力と楽器の個性

今回はヴァイオリンの「弦」と楽器の関係を考えます。
世界中のメーカーががヴァイオリンの「弦」を作って販売しています。多くのプロ、アマチュア、さらにメーカーのプロモーションも含めYouTube動画がヒットします。
 それぞれ「この弦は…」「あの減と比べて…」とうんちくを述べたり、実際に演奏して比較していたり。動画で聴く音量や音色は参考になりません。主観的な感想をいくら並べられても自分が弦を選ぶ参考になりません。
 そこで今回は、なぜ?弦を変えると音が変わるのか?と言う素朴な疑問に立ち戻ろうと思います。

 弦楽器の弦は「音源」です。ヴァイオリンは「擦弦楽器」つまり弓の毛で弦を擦って弦を振動させる楽器です。
 弦が振動するためには、弦の両端を「固い物」で固定することと、「引っ張る強さ=張力」が必要になります。小学校や中学校で習った「弦の音の音の高さを変える三つの原理」覚えていますか?
・弦の太さ
・弦の張りの強さ(張力)
・弦の長さ
この中で、弦の長さをヴァイオリンの場合には「駒から上駒(ナット)までの長さ」で、どのメーカーのどの弦も、統一されています。
 弦の太さは、細いほど高い音が出るのが原則です。同じ長さ、同じ張力の場合の話です。弦の張力を変えれば、この原則は崩れます。実際に、ヴァイオリンの3番線=D線の方が、4番線=G線より太いことは珍しくありません。見た目は太いのに高い音が出るように「強く張る」必要があるわけです。
 張力を強くすれば、高い音が出るのと同時に「大きな音」を出すことがより容易になります。一方で、弦の両端を支えるための力と、駒にかかる力が強くなります。弦を指で押さえる力も多く必要になります。簡単に言えば「楽器と演奏者に負荷が増える」ことになります。

 ここでヴァイオリンの弦を「構造」として考えてみます。まずE線=1番線は基本的に金属を細く伸ばし、表面に金属のコーティングをしたものです。他の3本は「芯」の周りに金属の糸を編むように巻き付けて作ります。芯の材料には「金属」「ガット=羊の腸」「ナイロン」が用いられます。金属はほとんど伸縮しません。ガットとナイロンは弾力=伸縮性があります。弾力の強さも様々です。伸びにくい素材を使えば張力が強くなります。
芯の周りに巻く金属の糸の「編み方」「巻き方」によって太さと張力を変えられます。張力を強くすれば弦は当然切れやすくなります。また太くなるため指で押さえることが難しくなります。

 次に楽器自体が弦の張力に対して「適当」かどうか?の問題です。ヴァイオリンはペグに巻き付けた側と、テールピースに止める側で張力に耐える力を支えます。その両端と中間にある「上駒」と「駒」の2か所の多寡によって指板部分の張力が変わり、駒にかかる力も変わります。駒を高くすればするほど、聴力が強くなりますが同時に指板と弦の「隙間=弦高」が広くなり、押さえることが困難になります。逆に駒を下げれば押さえやすい反面で、聴力が下がります。
 張力の調整はネックと本体の「取付角度」と「駒の高さ」で変わります。高い張力に耐えられる楽器でなければ、表板や魂柱、裏板、ネックにダメージが加わります。音もつぶれた音になります。楽器の「強度」はそれぞれに違います。板の厚さが基準より薄い楽器はm簡単に鳴らせますが強い張力に足ることができません。また、オールド楽器の場合、ガット弦を張ることを前提に作られているので、強い張力の弦で良い音がするとも限り亜m線。楽器ごとの「強度」と響きやすい音域、足りない音域を把握して、適正な弦を選ぶことが重要になります。
 弦の種類やメーカを統一する方がバランスが良い場合と、逆に違う種類の弦を張った方が全体のバランスが良い場合があります。低音(G線の音域)が強く出る楽器は「太い」「柔らかい」音である反面、「こもった」「通りの悪い」音にもなりがちです。逆にE線の音域が鳴りやすい楽器の場合、「明るい」「澄んだ」「通りの良い」音に感じる反面「固い」「きつい」「薄っぺらい」音になりがちです。それらを補う演奏方法と、弦を選ぶことで演奏者が弦を気にすることなく、思った音量と音色で4本の弦を演奏できることに繋がります。
 弦の種類をバラバラにすると、弦ごとの張力が変わる場合もあります。それも演奏する人にとって負担になります。また、弦の寿命もメーカーや材質によって大きく違います。ガット弦は寿命が長く、テンションの強いナイロン弦の寿命は短くなります。演奏会前に逆算しながら弦を新しいものに張り替えるのが理想ですが、ばらばらに寿命が尽きるのは頭の痛いところです。いくらでも予算がある人なら別ですが(笑)

 寿命の尽きた弦は「伸びたラーメン」と似ています。腰がなく、余韻が少なくなります。張ったばかりの弦は「アルデンテ」に似ています。ちょうどよい「弾力=こし」がある状態で、楽器に一番適した弦を選ぶのは大変な時間とお金がかかります。それでも、弦を変えることで楽器の「個性」が変えられるは弦楽器奈良でhなの楽しさでもあります。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介