楽器の個性を引き出す演奏技術

 映像は、昨年秋に長野県木曽町で演奏したときのものです。
ヴァイオリンは私が常日頃、使用しているヴァイオリンとは違う「木曽号」と呼ばれている陳昌鉉さんが木曽町に贈られた楽器です。今年も10/7・10/8と11月に同じ楽器を使って、木曽町で演奏する機会を頂きました。今回のテーマは「楽器の個性を引き出す」と言う技術について。

 すべての楽器ごとに異なった「個性」があります。特に構造がシンプルな楽器ほど、その個性は大きな違いがあります。ヴァイオリン・ヴィオラは、ほとんどの部分が「木材」です。それを膠=にかわで接着して組み立てられている単純な構造です。実際に音を発生する「弦」の素材は、大昔の「生ガット」から、ガットの周りに金属の糸を巻き付けた「ガット弦」と呼ばれる弦に進化し、さらにその後にガットの代用として「ナイロン」を使用したナイロン弦が開発されました。金属をガットの代わりに芯にした「スチール弦」も金属加工技術が発達したおかげで、現在も使用され特に「E線」はほとんどの場合、スチールの弦を使用しています。
 弦のメーカーや種類によって、それぞれ「個性」があります。
・音量が大きく音色の明るい「スチール弦」
・音色の柔らかさと明るさ・強さを兼ね備えたガット弦
・ガット弦より安価で種類の豊富なナイロン弦
それぞれに一長一短があります。「どれが良いか?」という結論は誰にも出せません。使用する用途=演奏する楽器や場所・曲・経済力(笑)で選ぶのが正解です。
 ちなみに、陳昌鉉さんはご自身が製作された楽器には「ドミナント」が一番合うと生前に何度も言っておられました。「好み」の問題です。陳さんのお気持ちを尊重し、私が演奏するときに「ドミナント・プロ」を使用しています。

 普段、自分が演奏している楽器とは違う楽器の個性・特色を見極める「観察力」と、弓の圧力や駒からの距離、弦を押さえる「スポット」を見つけ、倍音の含まれ方を聞き分ける「技術」が求められます。自分の耳で感じる「音色・音量」と客席で聞こえるそれは、明らかに違います。
 弾きなれた楽器、演奏しなれた会場ならば曲ごとに、自分で想像することが可能ですが、自分の楽器でもなく初めて演奏する会場だと不確定な要素が多くなります。
 ピアニストの場合には、楽器を選ぶことができないわけですから、ある意味では同じ条件になります。

 「木曽号」と「ドミナント・プロ」の組み合わせで、楽器と弦の持つ「個性」を良い方に引き出す練習をしています。普段の楽器との違いに戸惑うことや、自分の弾きなれた楽器と比較してしまうのは避けられませんが、お客様にすればコンサートでの「音」がすべてです。一人でも多くの方に、気にいってもらえる音色・音量に感じる演奏方法を模索します。
 低音域から中音域・高音域の「聞こえ方」のバランスを取ることがまず第一の「技術」です。4本の弦の「聞こえ方」はすべて違います。

 同じ人が・同じ会場で・同じ曲を、「違う楽器」で「弾き比べ」をすると、音楽に関心のない人でも「何かが少し違う」と感じます。その多くは「音域・4本の弦ごとのバランスの違い」です。
 言い換えれば、演奏者が楽器ごとの「特性=弦ごとのバランス」を見極めて演奏すれば、楽器ごとの「違い」を軽減することもできます。逆に違いを強調することも技術があれば可能です。
「高音が強く出る楽器」という印象を強調するのなら、低音域と中音域(G線・D線)を弱めに演奏すれば良いだけです(笑)し、その逆もできます。そんな「リクエスト」が無い場合には、聴いていて「バランス」の良い演奏を心掛けるのが正しい演奏法だと思っています。

 以前のブログで書いたことがありますが、テレビ番組「格付けチェック」で、ストラディバリウスを言い当てるコーナーがあります。予備知識=直前に回答者の前で弾き比べるなどを行わないで正解することは不可能です。過去に世界中で何度も「プロのバイオリニスト・プロの楽器製作者」が同じような実験をして「判別できない」ことは実証されています。

「良い楽器」とは聴く人が「良い音」と感じる楽器の事です。演奏する人も「聴く人」の一人です。陳昌鉉さんの楽器にも「固有の音色・特色・個性」があるわけで、ましてや演奏する人によって「音色・音量」はまったく違うものになります。プロの演奏が「うまい」と感じる人もいれば、アマチュアの演奏の方が「うまい」と感じる人もいるのが真実です。すべての人にとって「良い楽器・うまい演奏」は存在しません。楽器を作る人・演奏する人の「こだわり」が聴く人に共感してもらえることができれば、みんなが幸せに感じられる瞬間だと思います。
 誰が正しい…という問題ではないのです。個性を認め合う「心の広さ」が演奏者にも聴衆にも広がって欲しいと願っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

慣性の法則とヴァイオリンの演奏技術

 音楽高校、音楽大学「しか」出ていない私(笑)、物理とは無縁の人生だと思っていましたが!
 ヴァイオリン・ヴィオラの演奏をしながら、自分と生徒さんの「運動」を観察し、考えることが増えました。
「考えてないで練習しなさい」はい。ごめんなさい(笑)

「慣性の法則」とは「止まっている物体は止まり続けようとし、動いている物体は動き続けようとする」状態の事を言います。止まっている電車が動き出す時に、進行方向と逆に体が「倒れそうになる」のがこの法則を体感できるものです。ある速度で走っていた車がブレーキをかけると身体が前に倒れたり、止まっている車に後ろから衝突されると、身体が「後ろ」に押し付けられて首をねんざするのも「慣性の法則」が原因です。

 ヴァイオリンの演奏で右腕と左腕に、それぞれに違った「慣性の法則」が観察できます。
1.右腕
①動き始める時・ダウン・アップをする運動
②移弦をするときの運動
2.左腕
①ポジション移動の運動
②ヴィブラートの運動
③弦を「叩く」指の運動

言うまでもなく、すべて「筋肉」を使って意図的に動かすことで生まれる「慣性」です。
上下方向=天井と床方向の運動には「重力」も関わります。楽器と弓の「質量=重さ」や右腕、左腕が下に下がろうとするのも重力です。

 演奏していて「じゃま!」に感じる慣性があります。
1.ダウン・アップ・ダウンと弓を「返す」時の慣性
2.E→A→E→Aのような「移弦を繰り返す」時の慣性
 逆に慣性を利用することが望ましいのが
手首のヴィブラート これは「腕の動き」と逆方向に動く「手首から先の動生き」を活用するものです。
 どの運動にしても先述の通り「筋肉」を使った運動です。弓を「返す」運動にしても「移弦する」運動も「時間差をつけた逆方向の運動」で慣性力を「弱める」ことが可能です。
つまり、ダウンからアップになる「前」に、弓から遠い身体の部位…例えば上腕=二の腕を「先にアップ方向に動かす」ことで、腕全体を使って逆方向に動きだす「衝撃」を緩和することが可能です。
当然、アップからダウンの場合にも「直前にダウンの運動を始める」ことで、慣性を緩やかに打ち消すことが可能になります。
 移弦の場合にも、「弓を持つ手先→手首→前腕→上腕」の動きを「ずらす」ことで、慣性を利用して移弦することが可能になります。
 文字にすると複雑になりますが(笑)、一言で言えば「慣性を利用する」運動を考えることです。
もっと言えば「力学を考える」ことです。難しい数式は覚えなくても良いと思います。
力だけで無理やりに弓や腕を動かすのは、間違っています。どんな運動にも「補足」があるのです。
それを観察し考えることで、自分の思った運動=演奏をすることに近付けると思います。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

 

「妥協・諦め」と「許容・発想の転換」の大きな違い

 映像は「アヴェ・マリア」をヴァイオリン・ヴィオラとピアノで演奏したものをつなぎ合わせてみた動画です。
 同じ音楽でもヴァイオリンで演奏した「印象」とヴィオラのそれは、大きく違うように感じますが、皆様いかがですか?

 さて今回のテーマは、音楽に限った話ではありませんが、「妥協・諦め」の行きつく先にある結果と、一見似て非なること「許容する・発想や視点を変える」ことで到達する結果の違いを考えるものです。

 私たちは出来そうにない事や困難なことに直面した時に「逃げる」という選択肢と「乗り越えようとする」選択肢のどちらかを選んでいます。自分の経験や先入観で「無理!」と思えば逃げたくなります。挑戦したことのない「壁」の場合、好奇心や達成感を優先すれば「やってみようかな?」と思います。挫折することを恐れたり、失敗して労力と時間を無駄にしたくないと思えば「やめておこう」と思います。まだ「挑戦していない」のに(笑)結論を予想しているだけですよね。 

 挑戦する前に「逃げる」ことが悪いとは限りません。色々な「結果」を考えたうえで「挑戦しないこと・諦めることを受け入れる」勇気も必要です。そのためには「視点を変えて考える」事が何よりも大切です。
 例えばオリンピックの競技種目「高飛び込み」は水面から10メートルの高さから、重力に逆らわずに(笑)水面に飛び込みます。時速60キロに近いそうです。訓練した選手でも手首の骨折や、肩の脱臼、鼓膜の破裂は日常茶飯事だそうです。そんな「高飛び込み」を素人の私たちがやったら?どうなるでしょう?「やってみないと!」って飛び込む人は?勇気があると言うより「おばかちゃん」ですよね。一つ間違えば、首の骨を折って即死です。
「どうしても!やってみたい」と思う人は技術と知識を身に着ける訓練をしてから挑戦すれば、きっとできます。
「できない」と諦めず「方法を考える」ことになります。

 練習してもできなかったり、結果が思ったように出なかったりした時「挫折感を味わいます。楽器の練習をすればこの挫折感を常に味わうことは避けられないと思います。私はそうです(笑)
 その挫折感は受け入れるしかありません。問題は「その先」です。出来ない・結果が出ない「原因」を探すことこそ「発想の転換」です。「失敗」というネガティブ=負のイメージを「出来るようにするには?」というポジティブ=前向きな発想に替えることです。

「やっても無駄」とか「どうせ変わらない」という言葉を安直に口にする人を「物分かりがいい・さばさばしている」と評価する人は「同類」です(笑)
出来る方法を考えない・考えて実行する人を見降ろして楽しむという「軽薄な人間」だと思います。
出来るかも知れない・実現する方法を考えて試す人は「思慮深い人」「賢明な人」だと私は思います。
 避けられない現実は必ずあります。
生物が「死」を迎えることもその一つです。どんなに科学が進歩した現代でも、この現実は避けられず受け入れるしかありません。辛くても苦しくても。
 避けられる「未来」もあります。それを実行するのが「知恵」です。どんな未来にするのか?したいのか?を考える「知恵」と、どうすれば?理想に近い未来に迎えるのかを考えて実行するのも「知恵」です。

 音楽を楽しむための努力は、楽しみをより「深く」「強く」「多彩に」味わうための努力です。結果を出すための努力ではなく、あくまでも「楽しむ」ために努力すべきです。努力=練習は楽しくないことがほとんどです(笑)
その先にある「楽しみ」のための労力と時間を「無駄」と考えるのは価値観の違いです。楽しみを求めないなら確かに無駄なことです。何のために?練習するのかを考えて、出来ない時には「発想を変える」ことをお勧めします。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

練習の「時間=量」と「内容=質」で到達するレベル

 今回のテーマは楽器の演奏を楽しみながら、少しでも多くの技術を身に着けたいと思う、すべての人にとって共通の問題を考えるものです。
 上の動画は、恥ずかしながら私(野村謙介)が中学2年当時の演奏から始まり、音楽高校1年・2年・3年・音楽大学1年・2年(たぶん笑)・4年・5年(突っ込み禁止笑)の演奏を抜粋してつなげた動画です。年月にして14歳から23歳までの9年間。一人の師匠に習いながらの「記録」です。

 さて、どんな年齢から始めても「時間」には変わりありません。4才からの1年間も40才からの1年間も長さは同じです。練習する時間やレッスンで習う時間も、年齢や経験には関係なく等しい「時間」です。
 毎日の事であれば「何分」「何時間」という練習時間の量があり、それを「毎日・365日」続けた場合の「時間=量」と、一日おきや一主幹に数回程度で練習を続けた場合の「時間=量」はどうでしょうか?
「年月」と言う単位で考えれば、上記のどちらも「1年練習した」「5年練習した」と言えますが、実際に楽器を練習した「総時間数」は?全く違いますよね?
「練習の頻度」つまり練習と練習の「間隔」も多筋違いがあります。毎日練習する人と、3日おきに練習する人では、総練習時間が同じでも結果は大きく違います。
「幼稚園の時から中学卒業まで」楽器を練習していた人でも、到達するレベルは大きく違う一つの原因がこの「時間」です。

 次に練習の「内容=質」の違いによる到達レベルの違いを考えます。どんな練習をするのか?と言う内容と、練習ごとに自分を「観察する力」が大きな差を生みます。
 同じ時間でも「なんとなく」練習するのと「目的と結果を確認する」練習では、全く違う到達レベルになります。
独学なのか?レッスンで習っているのか?でも大きな違いが生まれます。一見、同じように感じますが独学の場合、自分の「課題」を見つけることが非常に難しくなります。
動画や書物で「知識・情報」を得たとしても、自分が演奏して「出来ている・間違っている」ことを確認してくれる人がいる「レッスン」の効果は習ってみないと理解できません。
さらに「教えてくれる人の技術」によっても、到達レベルが変わります。演奏のレベルだけではなく「指導技術」のレベルです。優れた演奏家が優れた指導者であるとは限らないのが現実です。学校や塾で「勉強を教える」人を例えにすればよくわかります。指導技術の優れた人に教えてもらえば、効率よく学習で木「希望通りの進学先」に行ける子供が多くなります。
指導する人のいない「部活」の場合にも、ある程度の演奏技術が習得できるのは、上記「時間」の問題です。毎日、学校で好きなだけ練習できる部活の場合、レッスンで楽器を習う人よりも明らかに長時間、しかも毎日欠かさず楽器を練習できるから「ある程度」上達します。

 どんな人でも到達できるレベルがあります。
「時間」+「内容」に比例して、到達できる演奏技術レベルがあります。個人差があるのは事実ですが、それを「才能」と言うのは間違っています。多くの子供が、受験や楽器以外の興味が原因で、練習することをやめてしまいます。練習を「やめた」時のレベルが、その子供の「能力」だと思い込むのが「親」なのかも知れません。
やmないで続けていれば、到達レベルは無限に高くなります。「100点満点」「ゴール」「頂上」はありませんから、続けている限り上達する地言っても過言ではありません。
歯きり言えるのは「練習をやめれば、その先の楽しみは体感できない」と言うことです。
 ぜひ、楽器を演奏する「楽しみ」を持ち続けて欲しいと願っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音楽が好きな日本人なら

 このブログを読んでくださっている方にお願いです。
インボイス制度で日本から「演奏」と「指導者」が消えようとしています。どうか、消費税の仕組みを少しでも理解して、インボイスの「でたらめと嘘」を知ってください

 小学生でもわかる言葉で説明します。
・税金は「市町村」や「都道府県」や「国」に「誰かが」納めます。それは日本人の「義務」です。
・お金持ちの人は税金を払っても生活できますが、貧しい人は税金を払うと食べ物が買えません。そこで「払える範囲で税金を納める」仕組みが「税の応能負担の原則」です。
・消費税は、物を買ったりサービスを受けた人が納める税金ではありません。納めるのは「お金をもらった人やお店・会社」です。買い物をした時には「消費税」を含めた金額を支払います。ただその代金の「消費税を除いた金額」はお店が自由に決められます。当たり前ですよね?同じ商品を100円で売る店と110円で売る店があるのは当たり前のことです。
・買い物をしたり、音楽会でチケットを買ったり、レッスンを受けたりして支払った「代金」には、お金をもらった人が納める「消費税」も含まれています。
・消費税を含めて受け取った代金の10%を「消費税」と言いますが、消費税を納められない貧しい人やお店がたくさんいます。その人や商店、会社の事を「免税事業者」と言います。
・日本の音楽家、楽器指導者のほとんどは「免税事業者」です。インボイス制度はそれらの人にも消費税を納めさせようとする「悪だくみ」です。ただ「応能負担の原則」があるので「免税事業者の制度を廃止する」とは言わないのが「増税メガネ岸田」です。
・消費税を「納められない」から「免税」されているのです。その人たちに「消費税を納めろ」って「弱い者いじめ」ですよね?お金持ちの人の納める税金を安くするために、貧乏な人からもっと!税金を取り上げる人が「増税メガネ岸田」という総理大臣です。
・お金持ちに優しくするのは?「ずるをしたいから」です。お金持ちにもっとお金もうけをさせてあげると「政治家がお金をもらえて、選挙に勝てる」という「いかさま」をするための税金が「消費税」です。

「音楽家なんていらない」とか「レッスンなんて受けない」という人にとって、音楽が日本からいなくなっても困りませんよね?インボイスに賛成してる「自民党「公明党」「維新」「国民民主党」がこの代表選手です。彼らには「知性」がなく、「文化」「芸術」という言葉も理解できません。次の選挙で、この「自・公・維・国」以外の政党の政治家に投票してください。私たちの音楽を愛好する日本人の「敵」です。日本から音楽や文化を消滅させないでください。
 皆様の御理解を心からお願いします。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介