メリーミュージックブログ

演奏家夫婦が優しく丁寧に指導

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神奈川県相模原市緑区原宿南2-26-1

演奏の技術

クラシックコンサートに演出は必要か?

 映像は、私の大好きなヴァイオリニスト「アンアキコ・マイヤーズ」」の演奏です。優しい音色なのに力強さを感じ、ビブラートの柔らかさにも惹かれます。
 さて、今回のテーマは「クラシックコンサートの演出」についてです。
 ポップスのライブでは演奏するアーティストの「動き」や曲間の「トーク」にもクラシックと違うこだわりが感じられます。また、舞台の照明、音響効果もクラシックとは大きく違います。もちろん、聴衆の聴き方=楽しみ方も違います。期待するものの違います。「どちらが良い」と言う比較ではありません。むしろ、クラシックのコンサートに「演出」は無くても良いのか?と言うお話です。

 「クラシックは演奏だけ聴ければ良い」と決めつけるのは簡単ですが、必ずしもそうではありません。
・プログラムが演奏前に配られる。
・演奏開始の前にベルやアナウンスがある。
・演奏が始まると客席の照明が暗くなり、舞台の照明が明るくなる。
・演奏者が出てくると、拍手が起こる。
・曲がどこで終わっているのか?わからなくても誰かが拍手してくれる。
・演奏中は、客席でじっと動かず、音をたてない。
・前半が終わると、演奏者が舞台から舞台袖に下がる際に拍手する。
・休憩になると照明が開演前の状態に戻る。
後半がお合わると、なぜか?演奏者は袖に下がるが、必ずアンコールがあることを聴衆が知っているにもかかわらず、何度も袖に下がる。
・アンコールがもうないことを、照明が戻ることで知らせる。
 もちろん、多少の違いはありますが、クラシックコンサートの多くは、およそ上記の「進行」です。これ、誰が決めたんでしょうね?なぜ?右に倣え!みたいに同じなんでしょう?違ってもいいのではないでしょうか?

 見る人、聴く人を引き付ける技は、演奏の姿と音にも含まれています。
「大道芸」「手品」など、人を驚かせたり笑わせたりする「芸=技」を極めた人たちは、ただ単に技を見せるだけではなく、言葉や音や動きを組み合わせてみている人を魅了します。舞台芸術は当然、演ずる人と裏方で舞台を支える人たちの「技=術」で人をひきつけます。落語や漫才も、歌舞伎や文楽もそうですね。
オペラやミュージカルは、まさに音楽と演技・演出の総合芸術です。

 クラシック音楽の中で、もっとも大きな編成のオーケストラから、無伴奏やピアノ独奏など「ひとり」だけで演奏するものまで、演奏形態は様々です。
 言うまでもなく「音楽を聴く」ことが主ですが、多くの場合客席からは「演奏者を見て楽しむ」一面もあります。演奏する人の「衣装」や「動き」演奏者が近ければ「表情」まで観客の興味は及びます。
 クラシック音楽で演奏者と聴衆の「衣装」は、時代や場所で変わります。
社交場としての意味のあった時代、ヨーロッパでは会場で演奏を聴く人にも「ドレスコード」がありました。男性はタキシード、燕尾服。女性はロングドレス。
当然演奏する人にも「礼装」が求められました。
 現代のクラシックコンサートを見ると、ソリストが形式にとらわれず自由な衣装で、演奏のしやすさも重視したものに変わりつつあります。それを良しとしない人もいるのも理解できます。
 音の面で考えても、音響装置=PAを使ったクラシックコンサートもあります。
屋外に巨大なテント=屋根と舞台を作って演奏するオーケストラコンサートもあります。また、屋内の会場でも広すぎたり、客席の後方で音が聞こえない場合などにも、補助的に音響=拡声装置を使うことも珍しくありません。
ヴァイオリニストがワイヤレスのピンマイクを衣装に「仕込んで」演奏することもあります。見た目には収音用のマイクがなくても、会場内のスピーカーから楽器の音が聞こえる時には、どこかにマイクがあって音が増幅されていることになります。
 照明で考えると、舞台全体を明るく照らす照明もあれば、演奏者の周辺だけを明るくする「エリア照明」も普通になりました。考えればその昔、クラシックの演奏会で「スポットライト」自体がなかった時代から続いている音楽です。
 クラシックのコンサートで「スモーク」や「ストロボ」を使うことは「まだ」ありませんが、そのうちに当たり前になるかも知れませんね。現実に、舞台上の巨大なスクリーンにプロジェクターで作曲家やソリストの画像、映像を映し出すコンサートは実施されています。

 演奏者の「音楽」を邪魔しない演出が大前提です。
ましてや、音楽より「表情=演技」「衣装=露出度」になれば、それは「コンサート」ではなく「ショー」もしくは「見世物」だとしか思えません。
自分が好きな衣装を身に着けて演奏する「演奏家」はあり得ても、「演奏より見た目」を重視するのは、演奏家ではなく「芸人」です。
 以前にも書いた「ヴァイオリンをひける芸人」は、演奏家ではなくあくまでも「芸人」です。
コンサートの演出も、音楽を気持ちよく聴くことを目的にした演出があって良いと思います。演奏時間、間のとり方、休憩時間のくつろぎ、適切な音響と照明などは、演奏者とスタッフの共同作業がなければ成り立ちません。
 最後に「撮影・録音」のために必要なセッティングは、客席で音楽を聴いている人が不快に感じないようにするのが鉄則だと思います。カメラもマイクも録画・録音には無くてはならない機器です。目的が何であっても、お客様側も演奏者側もお互いに「理解しあえるセッティング」が大切です。録音用のマイクを客席の身だたない場所に設置したのに、「邪魔だ!」とばかりに足で動かす来場者は、明らかにマナーに反しています。そんな権利はありません。
演奏者も来場者も「音楽を共感する」空間がコンサートだと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ライブ演奏とスタジオレコーディングの違い

 映像は、ジョージア(昔のグルジア)の音楽家アザラシヴィリ作曲のノクターン。昨年、数か所のコンサートで演奏させて頂きました。その演奏動画を見比べると、なんとまぁ!弓も指も全部違う!(笑)「信用ならん」演奏家ですね、こいつ。生徒さんも、どの演奏を参考にしたものやら。ごめんなさい。

 私たちが作ったCDが3枚あります。
いずれも自宅をスタジオにして収録しました。
録音エンジニアも演奏者も同じ人です(人手不足か!)
言うまでもなく、レコーディングを目的とする場合、二人それぞれが納得できる(もしくは許せる)演奏ができるまで、何回か録りなおします。
ただ、回数が増えてくると集中力も下がり、疲れも出てくるため多くても、4回ぐらいのテイクの中で決めています。私たちが演奏する曲は、どの曲も短いのでむしろ「曲ごとの違い」が出ないように気を配って録音します。
 同じ日に収録曲すべてを録音することもありますが、数日に分ける場合、レッスンに使う場所でもあるため「撤収!」が必要になります。マイクのセッティングからやり直しのケースも珍しくなく、結構な手間です。
 そうやって作ったCDと、コンサートの録音を比べると…。

 CDは演奏の傷が少なく、ピアノとヴァイオリン・ヴィオラのバランスも後から編集で修正できます。もちろん、二人が同時に演奏して録音するのですが、ピアノから離れた場所で、ヴァイオリン・ヴィオラを演奏して録音します。
お客様の「目と耳」がないからできる演奏=録音方法ですが、コンサートとは違うプレッシャーがかかります。ふたりのどちらか(自分)が、演奏に傷=納得いかない音を出せば、相手がどんなに納得のいく音が出せていても「ボツ」になるプレッシャー。それはコンサートでも同じなのですが、録音の場合「傷の無い演奏」を優先するのも現実です。

 コンサート=ライブ演奏の場合には、会場で私たち演奏者と向かい合っておられる「お客様=聴衆」に演奏を楽しんでもらうことを何よりも優先します。
演奏の質はもちろん、曲の合間の「くつろぎ」に私たち演奏者の声で、私たちの言葉でお話しすることを心掛けています。「クラシックコンサートにはいらない」と思うかたもいらっしゃると思います。演奏だけで終始しても、なにも問題はありません。演奏をごまかしたり、時間稼ぎの「トーク」は絶対にダメです。
 そんなコンサートで私たちが感じる緊張感は、とても心地よいものです。
トークなしでひたすら演奏したほうが、もしかしたら演奏の傷が少し?減るかも知れませんが、多くのお客様が求める「楽しみ」は、傷のまったくない演奏よりも、演奏者の「人」を感じられ、その人の「音楽」を感じられることではないでしょうか?誰が演奏しても、音楽は音楽です。でも、コンサートは「目の前で人間が演奏する」空間です。一緒に客席で音楽を聴く、見ず知らずの人とも楽しみを共有できれば、さらに楽しみが増えると思っています。

 今年2022/12/18(日) 14:00開演 もみじホール城山(相模原市緑区)
来年2023/01/07(土) 17:00開演 ムジカーザ(代々木上原)で、15年目となるデュオリサイタル15を開催いたします。
「もみじホール城山」のチケット代金は、大学生以上、おひとり1500円、
小学生から高校生がおひとり1000円。幼児は無料です。
「代々木上原ムジカーザ」の、2500円のチケットをお求めになると、
上記12月のもみじホールでの演奏会にもご入場いただけます。幼児は無料です。
詳しくは「野村謙介・野村浩子 デュオリサイタル15ページ」でご確認ください。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

練習の組み立て

 映像はパラティス作曲と言われている「シシリエンヌ」をデュオリサイタル11代々木上原ムジカーザで演奏したときの映像です。
 チェロで演奏されることが多いこの曲ですが、数ある「シシリエンヌ=シチリアーナ」のタイトル曲の中でも、私の好きな曲です。
 さて、今回のテーマ「練習の組み立て」は、楽器を演奏する人たち共通の「練習」についてを、練習嫌いだった私(涙)が考えるお話です

 練習と言うと、なんとなく「学校の宿題」をいやいややっているような…これ、私だけですか?「やらなきゃいけない」と言う義務感にさいなまれながら、見たいテレビを我慢して宿題をやった記憶と重なるのですが…。
 私のような練習嫌いではなくても、「練習好き」な人のことを「すごい!」って思いませんか?あ、思わない?(汗)確かに練習が好きな人って、きっとおられるんでしょうね。尊敬します。
 では、練習をしなくてもヴァイオリンは上達するのでしょうか?←いかにも練習嫌いの人間の発想
結論を言えば、練習しなければ上達はしません。経験に基づいています(涙)

 そもそも練習は何のためにするのか?と言うテーマです。
「自分が思ったように演奏できるようになるため」だと思います。
練習をしなければ、思ったようにひけないのですが、「思ったように」と言うのが肝心です。多くの初心者の場合、先生や親に言われた「課題の楽譜」を「ひく」ことが練習だと思っています。少なくとも私はそうでした(中学2年生ごろまで)
「ひいていれば練習」ではないのですが、家で「監視」している親は、とりあえずヴァイオリンの音が知れいれば、練習していると思ってくれました(笑)
「毎日30分」とか「最低1時間」とかって、練習時間の事を話す人がいますが、多くの場合「時間=練習」だと勘違いします。もちろん、これから述べる「練習」には時間が必要ですが、ただ音を出すだけの時間は、厳密には練習ではありません。

 練習の意味も仕方も、まだ知らない生徒さんに対して、「課題」を出すことが指導者の難しさです。レッスンで上手にひけたら「はなまる」を付けてあげるのは喜ばれます。
「止まらないで最後までひけるように頑張ってきてね!」や「ゆっくりで良いから間違わないようにがんばってきてね!」や「音がかすれないように気を付けて弾けるようにがんばってね!」などなど、具体的な「目標」を出すのが一般的です。悪い例で言うと「次、これをひいてきてね」ですね。これ、最悪だと思いませんか?もちろん、音大生に言うなら問題ありませんが、先述の条件「練習を知らない」生徒さんにしてみれば、なにをどう?ひくの?どうやってひくの?ってわかるはずがありません。悲しいことに、こんな指示をだすヴァイオリンの「せんせい」が街の音楽教室にたくさんいることを、生徒さんからお聞きします。

 指導者の役割は、生徒さん(お弟子さん)に対して自分の音楽を教えることではない…と言う話は前回のブログで書きました。自分の生徒が「自分の好きな演奏」を見つけるための、プロセスとテクニックをアドヴァイスすることが役目だと思っています。その二つでさえ、人によって違うのです。自分の通ってきた道=練習してきた方法が、すべての人に当てはまるとは限りません。そこにも選択肢があるのです。ただ、練習のプロセスや練習のテクニックにも「選択肢」を増やし過ぎれば、生徒は混乱します。だからこそ、生徒の状態を観察することが大切だと思っています。

 これから書くのは、私なりの練習方法です。これが絶対に正しいとも、ほかに方法がないとも考えていません。
①自分の出来ていない「課題」を見つける。
・先生に指摘されて気付く課題や、うまくひけない「音」
②その課題を乗り越えるために「原因」を見つける。
・原因は複数考えられます。
・思ってもいないこと…無意識に(勝手に)動く腕や指が原因かも。
・自分から見えない「死角」も要チェック。
③原因を取り除くためのテクニックを考える。
・医療で言えば「治療方法」を考えるのと同じ。
・すぐには直らない(治らない)のも医療と同じ。
・繰り返して弾く前に、自分の音と身体を観察すること。
・常に冷静に「考えながらひける速さ」で繰り返す。
・音と身体を観察しながら、考えなくてもひけるまで繰り返す。
 

 上記の練習方法は、初心者を含めどんなレベルの人にも共通していると思います。ここから先は、「自分の思うような」という段階の練習方法です。
①「音の高さ」「リズム」「汚い音を出さない」3つの点に絞って演奏する。
・音量や音色、ビブラートやテンポを揺らすなどを意図的に排除する。
・「音楽と演奏の骨格」を把握するためのプロセスです。
②曲全体(1楽章単位)の印象と「曲のスケッチ」を考える。
・自分で演奏せずに、楽譜を見ながらプロの演奏をいくつも聴いてみる。
②多用されるリズムと音型の「特徴」を考える。
③1小節目の最初の音から二つ目の音への「音楽」を考える。
④最初から音量や音色を決めずに、一音ずつ「行きつ戻りつ」しながら考える。
⑤いくつかの音を「かたまり=ブロック」として考える。
⑥句読点「、」と「、」を探しながら、接続詞の可能性も考える。
⑦ある程度進んだら、ヴァイオリン以外のパートから和声を考える。
⑧弓の場所、速度、圧力を考える。
⑨使用する弦と指を考える。
⑩ブロックごとのテンポ、音色、音量の違いを考える。
☆一度にたくさん=長時間練習しない!(覚えきれません)

 最後に、日々、毎回の練習を「積み上げる」テーマです。
私の場合、視力が下がり楽譜や文字を読みながら練習(演奏)できなくなったので、少しずつ覚えながら練習していく方法しかなくなりました。
以前は楽譜に書きこんだ情報も読みながら練習していましたが、今考えてみると本当にそれが良かったのか?正しい練習方法だったのか?と疑問に感じることがあります。「怪我の功名」なのか「棚から牡丹餅」なのか(笑)いずれにしても、少しずつ覚えながら練習すると、時間はかかりますが覚えていないこと=理解できていないことを、毎回確認できるので楽譜を見ながら練習するよりも、結果的に短期間で頭と体に「刷り込まれている」ように感じています。
 練習は「積み重ね」でしかありません。しかも、時によっては前回の練習でできた!と思っていたものが出来ない…積み重なっていないことが多々!しょっちゅう!あるのが当たり前です。 
 私たちの脳と肉体は「機械」や「もの」ではありません。むしろ目に見えない「イメージ」の積み重ねだと思っています。なぜ?指が速く正確に動かせるのか?という人間の素朴な疑問に対して、現代の科学と医学はまだ「答え」を持っていないのです。今言えることは、私たちは「考えたことを行動できる」と言うことです。無意識であっても、それは自分の脳から「動け」と言う命令が出ているのです。考えることで演奏が出来ます。ただし、考えただけでは演奏できません。身体の「動き」も考えて演奏することで、初めて思ったように演奏できるのです。「たましい」とか「せいしん」ではなく、物理的で科学的な「練習」が大切だと思っています。「きあいだ!」「こんじょーだ!」も無意味です。
 考えることが苦手!と威張るより(笑)、好きなことをしている時にも、自分は無意識に考えていることを知るべきです。
 感情も感覚も、私たちの肉体の持つ「能力」で引き起こされている現象です。
自分の能力を引き出すことが「練習」だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介



ヴァイオリンの音域

 映像はグラズノフ作曲の「瞑想曲」です。
今回のテーマは、ヴァイオリンが演奏できる音域を有効に使った音楽について。
以前のブログで書いたように、弦楽器(ヴァイオリン族」の中で、ヴァイオリンは最も音域の狭い楽器です。ヴィオラはヴァイオリンより完全5度低い音が出せますが、演奏技法=左手指を
抑える構えがヴァイオリンと全く同じであるうえに、ボディーサイズが大きいため、ハイポジションで演奏できる範囲が、ヴァイオリンよりも狭いため、演奏できる音域の「音程=幅」はヴァイオリンと変わりません。一般に、ヴァイオリンの音は「高い」と言う印象がありますよね。
もちろん、ヴァイオリン族の中では、最も高い音を演奏できる楽器であり、弦楽合奏でも最も高い声部を担当します。

 ヴァイオリンの為に作曲された音楽は、それぞれに音域が異なります。
最低音の高さ「G」が出てこない曲も珍しくありません。高音の場合「実用最高音」と言われるヴァイオリンで演奏出来て、音楽の中で「かろうじて使える」高温があります。1番細い弦「E線」のハイポジションで出せる高音は、同じE線の「技巧フラジオレット」と言う演奏方法でも出すことができます。瞬間的な短い高音は、主にこのフラジオレット=ハーモニクスでの技法が用いられます。
ただ、音量が小さくなってしまうという致命的な問題があります。

 グラズノフの瞑想曲を聴くと、G線から始まり短い時間でE線にまで音域が上がっていきます。オクターブで考えると、1小節目の中で1オクターブ高くなり、2小節目はその1オクターブの範囲内で演奏されます。3小節目からは、さらに1オクターブ高い音、さらに4度高いE線の「D」まで高くなります。
その後、数小節間で冒頭の音域まで下がります。

 声楽曲の旋律を楽器で演奏する場合、ほぼ1オクターブ内の音域で作曲されています。曲の途中からオクターブを上げてみたり、2コーラス目を下げてみたりすることがあります。その場合には、ヴァイオリンやヴィオラの「最低音」と曲の「最低音」を考えて、調=キーを決めています。
 曲の「雰囲気」と「音域」と、演奏する楽器の音域による「特色」を考えて演奏している動画です。

 ドビュッシー作曲の歌曲「美しい夕暮れ」をヴィオラとピアノで演奏してCDに収録したものです。音楽の持つ「淡い色彩感」「甘美な旋律」「独特な和声感」を、ヴィオラの最低音域を使いながら演奏しました。
 「カラオケ」の場合、音源自体が「デジタル化」されているため、歌う人の歌いやすい「キー」に、リモコンの「+」と「-」キーで移調することが簡単にできます。ちなみに、先ほどの「美しい夕暮れ」の演奏を、デジタル化して3度ほど高くした「実験映像」を創りましたが、音色がなんとなくおかしいですよね?

 ヴィオラのビブラートが微妙に「細かく」なっています。
絶対音感の鋭い方がお聞きになると、気持ち悪いかもしれません(笑)
音の高さを「デジタルで変更する」場合に、速さも変えることも同じテンポのままで音の高さを変えることもできます。逆に言えば、テンポを変えても音の高さを変えないのが、Youtubeの「設定」にある「速度」を変化させた場合です。
 いずれにしても、実際に歌ったり楽器で演奏する「調=キー」によって、聴いた印象が変わります。半音変えるだけで、全く違う「雰囲気と音色」になります。

 最後にヴァイオリン・ヴィオラの音域ごとの音色について簡単にまとめます。
一般的に、ヴァイオリンのE線は他の3本の弦と「弦の構造」が違います。E線は鋭く明るい音色になります。ヴィオラの場合には、基本的に同じ構造の弦を4本張ることができます。
 楽器ごとの個体差によりますが、多くの場合に一番太い弦=低い音の弦がもっとも「音量が大きく」「音色のバリエーションが豊富」です。細い弦=高い音の弦は「音が明るい=耳に大きく聴こえる音域」の音がだせます。
 それぞれの弦で、長さが変わる=押さえる位置が変わると、高さだけではなく音色が変わります。当然のことですが、一番細い弦で一番高い音が出せますが、それが「一番美しい音」とは限りません。私は、ヴァイオリンのG線が美しく響く楽器が好きです。4本の弦の音色と音量のバランスが取れている楽器も好きです。
 音域は「音の高さの違い」以外に、音色も大きく変わることが弦楽器の特徴の一つです。色々な調で演奏してみる「実験」をお勧めします。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ヴァイオリン初心者の苦悩

 動画は、エドワード=エルガー作曲の「6つのとてもやさしい小品」です。
ヴァイオリンを習い始めた生徒さんが演奏できる曲は?
明らかにピアノのそれに比べて、曲が少ない!ほとんど無い!のが実状です。
いわゆる「教則本」は数種類あります。それもピアノと比べれば、極わずかです。なぜ?そんな事が何十年も続いているのでしょうか?
 友人の作曲家に、初心者ヴァイオリン奏者のための曲を作ってもらったこともあります。高名な作曲家の先生が作られた作品を、私の生徒に初演させてもらったこともあります。そんな経験も踏まえて、「曲が少ない理由」を考えてみます。

 ヴァイオリンを演奏したい!と思い立った時点で「何ができて、何ができないか?」を考えます。
①楽譜の「ルール」
 ・音名=ドレミを読める速さは?

 ・ドレミファソラシドの高低を歌えるか?
 ・音符の種類=四分音符・二分音符の意味がわかるか?
 ・半音と全音の意味、臨時記号の働きをわかるか?
 ・調号の意味が分かるか? など
②音の高さの違いに対する「精度」
 ・音の高低の違いを、どの制度=半音高いなど理解できるか?
③練習に集中できる時間の長さ・期間
 ・一回の練習に集中できる時間
 ・飽きずに(飽きても)頑張れる時間
およそ、上記の違いが個人で大きく違うのは、どんな楽器を始める場合でも考えられる共通点です。

 次に、ヴァイオリン(弦楽器)特有の「むずかしさ」を考えます。
①弓を使わずに、開放弦をはじいて出せる音の高さを音名で理解できない
 ・絶対音感があればできます。なければできなくて当たり前です。
②弓を使わずに、弦を押さえて「ド」の音を見つけられない。
 ・上記①と同じ理由です。ドに限りません。
③弓で「一本の弦だけ」を弾き続けられない。
 ・簡単そうですが、ほぼ全員が「視覚」に頼ります。眼をつむると色々な弦を引いてしまうのが当たり前です。
③弓を「同じ場所」で動かせない。
 ・これも上記②と同じで「ガンミしていないと」弓が暴走します。
④弓と弦の「直角」が自分から理解できない。
 ・他人から見ればわかる「直角」が自分からはわかりません。視点の問題なので当然です。
⑤弓をたくさん使えない。
 ・全弓使おうとすると、弓の位置、角度を維持できません。特に「見ていないと」大変なズレが生じます。
⑥同じ音量・音色で弓を使って音が出せない。
 ・原理を知らないのですから当然です。
⑦演奏する構えで、自分の両手に「死角=見えない場所」が多い。
 ・ピアノの場合は両手の指が見えていますが、ヴァイオリンの場合左手の手首から肘までは楽器の死角になります。右手の親指も見えません。弓を動かして右手を見ていると、楽器が視野の外に出てしまいます。

 ピアノの初心者に、楽譜に書かれている「音符」の「音名」を教えて、鍵盤で演奏させることは、なんの予備知識がなくてもできますよね?
 ヴァイオリンではどうでしょうか?
開放弦を指ではじいて出た音を、楽譜で「ここ」と教えて、音名を教えられます。
まず弓を使って演奏することは、この時点では無理です。無理ではなくても、弦が4本あって、どこをはじいたら、なんの音が出るのか「覚える」ことになるため、「ソ・レ・ラ・ミ」が最初に出てくる音名になります。「ドレミ」さえあやふやな人が、始めから「ソ」とか「ラ」って大変ですよね。
 ピアノは「鍵盤の模様」で「ド」の場所を覚えるのが一般的です。
ヴァイオリンは…そもそも、開放弦の音を合わせる「調弦=チューニング」をするための技術が何種類も必要です。
① 音の高さを判断する「相対音感=制度」
 ・チューナーを使えばなんとかクリアできます。
②ペグを動かして正しい音で「止める」技術
 ・多くの場合、これで弦を切ります(笑)
 ・回せても=動かせても、ペグをとめる技術がなければ調弦はできません。
 ・アジャスターをすべての弦につければ、ペグを動かせなくても調弦はできますが、その前にペグで調弦してもらうことが必須条件です。

 ヴァイオリンの「はじめの一歩」に何を練習するのか?すべきなのか?は、指導者によって意見が違います。これは以前のブログでも書きましたが、習う人の「目指すレベル」がどうであっても、大差はないはずです。違うとすれば、今回のブログの冒頭で書いたスタート時点での「知識・技術」です。
 楽譜を読めない人がヴァイオリンを始める時には、指導者の手助けが相当に必要です。生徒が子供の場合には、親が自宅で繰り返し教えることも必要です。
 多くの場合には、開放弦「レ」か「ラ」を一定の長さで演奏することからヴァイオリンが始まります。
 が!レッスンが週に1回だとすれば、この「ラ」だけを7日間!
耐えられますか?(笑)大人でも無理だし子供に至っては、まず100パーセント飽きます。他に弾ける音がないのか?ひいちゃいけないの?なんで?
 1本の弦だけを演奏できるようにする「目標」や、弓を長く使って一定の音量・音色で演奏できる「目標」、メトロノームに合わせて弓を返す「目標」、眼をつむっても弾けるようにする「目標」などなど、次のレッスンまでの目標を示し、その「出来具合」を次のレッスンで指導者が確認し修正するのが「野村流」です。

 教則本だけで、ヴァイオリンは演奏できるようになるでしょうか?
本人の「やる気次第」だと思います。ただ、自分の演奏方法、出している音が正しいのか?なにか間違っているのか?は自分の力だけでは判断できないことがほとんどです。特に、それまでに楽練習の経験がない人の場合には、多くの「壁」が待ち構えているのがヴァイオリン演奏でもあります。

 教則本ではなく「音楽」の幅を感じられる初心者向けの曲とは?
エルガーの作品を参考にして、まとめてみます。
①開放弦から全音の幅を「1の指の位置」にした曲を作る。
・GdurとDdurなら開放から1の指が全音になります。
・さらにGdurならば、G線D線の指の並び方が一致し、A戦とE線の指の並び方が一致します。
②曲の最初の音を「0」「1」または「2」の指から始める。
③可能な限り「1」「2」「3」「4」の順で音の数が多い方が演奏しやすい。
④順次進行を多く使うことで、全音・半音の「音程」を覚える。
⑤上行系の音型と下降系の音型をバランスよく入れる。
⑥同じ弓の動き=リズムをある程度、反復させる。
⑦1曲の長さを16小節程度に抑え、ピアノの和声進行に多彩さを持たせる。
注文は限りなくありますが、初心者のためのピアノ曲集で感じられる「多彩な音楽」を弦楽器特有の「制約」の中で作って欲しいと思っています。
 ヴァイオリンはなぜか「コンチェルト」を初心者が演奏することになっています。ピアノでは考えられないことです。もっと、ピアノとの合奏で楽しみながら上達できる「練習曲集」があれば、無理をしてコンチェルトの練習に行き詰ってドロップアウトしてしまう生徒が減るはずです。
 才能教育と呼ばれる「Sメソード」の良さもありますが、系統だっていません。音を覚え、腕と指を動かして「楽器を弾いた」楽しさだけを味わえるより、始めから、必要不可欠な「相対音感の育成」と「調性感とリズム感の養成」「ボーイングの重要性に気付かせる内容」を考えたメソードが必要だと思っています。
 作曲家諸氏の研究に期待しています。
最後までお読みいただき、、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介



直線と曲線の美しさ

  上の映像は、レイナルド=アーン作曲の「クロリスに」をヴィオラとピアノで演奏した動画です。下の写真は、その演奏に使用している、陳昌鉉さん製作のヴィオラの写真です。
 今回のお話は「直線と曲線」というなんだか「算数」か「製図」に出てきそうなテーマです。
 ちなみに、①眼に見える「線」と、②眼には見えない「音の高さの変化・音色の変化」が「変化しない状態=直線」の場合と「丸く角のない連続的な変化=曲線」の両面で考えていきます。

 まず、①の目に見える線。ご存知の通り、弦楽器は柔らかい曲線の部分と、まっすぐな直線部分との対比が美しい楽器です。
 正面・背面から見た場合、肩や腰の部分と中央のくびれの部分、F字孔の曲線がそれおぞれに異なった「R=半径」の曲線で作られていることがわかります。
 R値は例えば、道路の「カーブ」の強さにも使われます。小さい半径のカーブを曲がる時には「急カーブ」になり、高速道路などの緩やかなカーブは「半径が大きい曲線」になります。

 駒をスクロール側やテールピース側から見れば、「アーチ=曲線」になっています。もしこれが「直線」だったら…両端の2本の弦は、1本ずつ弾けますが、中川の2本の弦を引こうとすれば、4本の弦が同時になってしまいます。
 直線部分は、ネックの両側、弦、正面から見た駒、などの部分です。
弦を上=スクロール側から見れば、直線なのは当たり前…と思いがちですが、駒を通過する弦が、上駒からテールピースまで「直線」でなければなりません。駒の位置や弦を乗せる場所がずれていれば、弦の駒部分が「折れた直線」になてしまいます。
 今回の写真にはありませんが、横や上下から撮影すると、表板、裏板が非常に緩やかな曲線に削られていることがわかります。駒の部分が高く、エッジの部分が低くなっています。この隆起の大きさで迷路と音量が変わります。

 写真にある楽器の頭にあたる部分「スクロール」の曲線美は女性の「髪」を模しているという説が有力です。弦楽器製作者にとって、この部分の美しさも求められる「美術品」としての装飾でもあります。もちろん、調弦の際に左手の指を「ひっかける」場所でもあり、触らずにいることは不可能です。
 これも、写真にはありませんが、スクロール側かテールピース側から見ると、「指板」は綺麗な曲線の「丸い面」になっています。指板を横から見た場合には、直線でなければなりません。定規を当てて、隙間がある場合には、職人さんに削り直してもらう必要があります。指板は固い「黒檀」で作られていますが、長年演奏していると、指で押さえる部分が削れます。また、ネック自体が弦の張力に負けて、表板側に沿ってしまう場合もあります。その話はまた今後に。

 今度は②の目に見えない、音の話です。
音の高さが一定で「揺れない」状態を私は「直線」に例えます。面であれば「平らな面」です。
 開放弦はピッチ=音の高さが変わらない…と思い込んでいる初心者が多いのですが、実は弓の速度と圧力が変わると、ピッチも変わってしまいます。揺れる状態です。他の弦が共振すると、やはり「揺れ」が上生じます。これはピアノでも同じです。平均律で調律すると、うねりが生じるのは以前のブログでも書きましたのでご参考になさってください。
 弦楽器がビブラートをかけて演奏する場合の話です。
ピッチを連続的に「角のない曲線」で変化させることが、私は最も美しいビブラートだと思っています。曲線ではなく「ギザギザ=折れ線グラフのような線」のビブラートは好きではありません。変化の量と速度で、曲線の「R値」が変わります。浅いゆっくりしたビブラートは、「ゆるやかな曲線」になり、深く速いビブラートは「急カーブの連続」になります。演奏する場所、音によってこの[R地」を変えることが必要だと思っています。優しく聴こえる音楽には「緩やかな曲線」激しく鋭い音が欲しければ「急カーブ」にすることが一般的です。
 他方で、「音色の連続的な変化」「音量の連続奥的な変化」でも、ビブラートに似た「波」を感じます、シンセサイザーの「モジュレーションホイール」を回すと、ビブラートに似た「波」が出ますが、ピッチは変わっていないことに気付くはずです。
 「クロリスに」で、浅くゆっくりしたビブラートと、直線=ノンビブラートの「ぎりぎりの変化」を模索しました。
 例えるなら、鏡のように平らな水面に、水を一滴垂らすと「小さな波」が広がります。水面がすでに真美だっているような状態に水滴を垂らしたが愛にも、同じ波が出来るのですが、その波は前者と違い、目立たなくなります。
 つまり「直線の後に曲線が始まる」瞬間こそ、一番波を感じる時だと思います。走っている電車や車に乗ていて地震を感じるのと、静かに寝そべっていて感じる地震の「感じ方」が違う事にも似ています。
 弦楽器のビブラートで、弦を押さえる左指の「強さ」を変える人がいます。「縦のビブラート」でもあります。この効果があるのは、ハイポジションで「弦と指板に隙間が大きい」場合です。弦を押さえる圧力でピッチが変わることも事実ですが、ハイポジションであっても「弦と平行なビブラート」は必要だと思っています。
ギターのビブラートは、弦と指板の隙間=弦高がほとんどない上に、フレットでピッチが固定されるために、弦を「横方向=弦に対して直角方向」に連続的に動かしてピッチを連続的に変えます。チョーキングと呼ばれる奏法もう同じ原理です。現を横方向に「引っ張る」ことでピッチが上がることを利用しています。

 弓のスティックは曲線です。弓を弦と直角にダウン・アップする運動は直線です。移弦をする際、弓を持っている右手の動きは「弧を描く=曲線」です。
 移弦をしながら、ダウン・アップを行うときにも、右手の動きは曲線です。
弓を持つ「右手の指」も「丸く=曲線」になっていることが大切です。
弦を押さえる左手の指も、原則は「アーチ形=曲線」です。

 二音間の高さの変化をなだらかにすると「グリッサンド」となります。
弦楽器の場合は「ポルタメント=無段階の音の変化」になります。ポルタメントの、音の高さの変化を「グラフ」として考えると、実は直線的にピッチが変わっているのですが、スタートする音から変化し始めて、ゴール=到達する音の高さに至るまでが「階段」ではなく「坂道」に感じるため、なだらかな印象になります。曲線ではないのですが、音の間を「なだらか=なめらか」な印象にしたい時に使うと、音楽が柔らかいイメージになります。やりすぎると「くどい・甘ったるい・いやらしい」印象になってしまうので、要所にだけ使うほうが無難です。

 最後になりますが、曲線だけで作られる3次元の物体「球」について書いておきます。
 球体は「どこから見ても丸い」物体です。ただそれは「外輪=枠線」が曲線だという「2次元」の話につながります。つまり紙の上に「球体」を書こうとすると、影を付けけないと「〇=丸」にしか見えません。
円錐は、横から見れば「△=三角」ですし、円柱を横から見れば「□=四角」です。上や下から見る時にだけ「○=丸」になっている物体です。
 この「3次元の曲線」に似た考え方が、「音の高さ・音の強さ・音色」の一つ、あるいは組み合わせを「曲線変化」すると、さらに複雑な「曲線の集まり」が生まれるのです。
 一つの音に、ビブラートを「丸く」かけながら、音色を「無段階」に変化させ、音量の変化をなだらかに行うことができるのが「弦楽器」なのです。
 もちろん、ノンビブラートで、音色も音量も変えないこともできます。
曲線と直線の組み合わせで、円錐や円柱が出来るように、音の「3次元性」を考えることも大切だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

レッスンに思う

 今回のテーマは、「レッスン」について。
偶然、ある日本の音楽大学でヴァイオリンを指導するヴァイオリニストの「レッスン」の一部をYoutubeで見ました。その先生のお名前、学校名は伏せさせて頂きます。とても高名なヴァイオリニストで、習う側もコンクールで優秀な結果を出している若者でした。非常に具体的に、一音ごとの演奏方法について「指導」している場面が多く、見ていて違和感を感じたので自分の経験を踏まえて、書きたいと思います。

 ちなみに動画は、マキシム・ヴェンゲーロフのマスタークラス(公開レッスン)の映像です。私はこのレッスンに共感します。
 私の恩師、久保田良作先生は優秀なヴァイオリニストを、本当にたくさん排出された桐朋学園大学「主任教授」でもいらっしゃいました。小学生から音大生、その卒業生までをご自宅と学校でレッスンされ、多忙な先生でした。
 私はその門下生の中で「一番へた」な生徒だったと自覚しています。
自分のレッスン以外にも、前の時間の同門生徒のレッスンを見ることができました。
私が不出来だったこともあるのですが、先生は決して「こう弾きなさい」と言う内容の事はおっしゃらないレッスンでした。生徒が自分で考えて演奏することを、何よりも大切になさっていたように感じていました。
 他方、学内で他の先生の中には、具体的に「この音はこう」「この音のビブラートはこう」と言う「指導」をされていた先生もおられたようです。実際、その先生の門下生の演奏は、「先生の演奏のような演奏」だったことをを記憶しています。私はその当時、そのことに何も感じていませんでした。

 今回、Youtubeでレッスンを見ながら、指導者が「自分の演奏をそのまま教える」ことが、果たしてレッスンと言えるのだろうか?と素朴に感じました。
生徒が師匠の「真似」をしようと研究するのとは、まったく問題が違います。
指導者が自分で考えたであろう、一音ごとの「演奏方法」をそのまま弟子に事細かに教えるのは、弟子にしてみれば「ありがたい」事かも知れません。考えたり研究したり、試したりしなくても「先生の演奏方法」を先生が直接教えてくれるのですから。
 先生と弟子が一緒に演奏している演奏動画もアップされていました。
見ていて正直「不気味」でした。ビブラートの速さ、深さ、固さまでが「そっくり」で、ボーイングの荒々しさ(良く言えば強さ)まで同じでした。「クローン」を見ているようでした。弟子にしてみれば「光栄なこと」だと感じるでしょうが、本当にそれで良いのでしょうか?

 何よりも、演奏方法や音楽の解釈に「正しい」と言うものはあり得ません。人それぞれに、求めるものが違うのが当たり前です。生徒が自分の好きな演奏を考え、その実現方法を模索し、試行錯誤を繰り返すことが「無駄」だとは思わないのです。さらに厳しいことを言えば、指導者が自分の演奏を弟子に「これが正しい」と教えるのが最も大きな間違いだと思います。私はその指導者の演奏を聴いていて「押しつけがましい」印象を受けます。違う言い方をすれば「冷たく、怖い演奏」に感じます。どんな優れたソリストであっても、聴いてくれる人、一緒に演奏する人への優しさがなければ、独りよがりの演奏になります。むしろ「技術だけ」のお披露目であり、演奏者の人間性や暖かさは、どこにも感じないのです。「うまけりゃ良いんだ」という考え方もあります。人間性より演奏技術だと言われれば、そうなのかも知れません。
 ただ、自分の弟子を大切に思うのであれば、目先の「コンクール」よりもその生徒の「考える力」を大切にし、自分よりも多様性のある演奏をしてほしいと、願うのが指導者ではないでしょうか?
 生徒がうまく弾けずに、悩んでいる時に、一緒に悩んであげるのが指導者だと思います。「自分の答え」を教えてあげるのが指導者ではないと確信しています。それは生徒にとっての答えにはなりません。
 私自身が不器用で、不真面目な生徒だったから、私の生徒には私より、もっと上手になって欲しいと常々思っています。私は久保田先生の指導に、心から感謝しています。自分に足りない技術を、自分で考えることを教えて頂きました。
安直な解決方法より、自分で解決することを学べた結果、自分で考えた音楽を、自分で考えて演奏する楽しさを知りました。
 音楽に正解はありません。だからこそ、自分で考える力が必要だと思います。
生徒に教えるべきことは「自分で考えること」以外にないと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

楽器が変われば弾き方も変える

 上の二つの動画はどちらも「ラベンダーの咲く庭で」と言う映画のテーマ音楽です。演奏者は見ての通り(笑)私たち。演奏場所は、(上)代々木上原ムジカーザと(下)長野県木曽町のホールです。使用しているヴァイオリンは、(上)1808年サンタ=ジュリアーナ製作の愛用楽器、(下)2004年陳昌鉉氏の製作した「木曽号」。弓はどちらも私の愛用弓。浩子さんの演奏しているピアノは、(上)ベーゼンドルファーと(下)恐らく戦前に作られたスタインウェイ。
録音の方法が全く違うので、比較にはならないかも知れませんが、この二つのヴァイオリンを演奏した経験で「楽器による演奏の仕方の違い」を書いてみます。

 陳昌鉉さんのヴァイオリンを使って、陳さんゆかりの場所である木曽町でのコンサートを依頼されてから、この楽器で演奏に至るまでに、多くの問題がありました。まず、初めて手にした時に、およそ陳さんの作った楽器には思えない、見た目と音でした。調べた結果、アマチュアヴァイオリン奏者に貸し出した際に、その人が「指板」「駒」「魂柱」を別のものに付け替えていました。東京のヴァイオリン工房で作業した領収書がありましたので間違いありませんでした。当然、まったく違う楽器になってしまいました。駒と魂柱だけは、交換した「オリジナル」がヴァイオリンケースに無造作に入れてありましたが、指板はなし。陳さんの奥様に相談し、陳昌鉉さんが使用していた未使用の指板を頂き、信頼できる職人に依頼し、さらに陳昌鉉さんの制作した遺作ヴァイオリンを持ちこんで「復元作業」を施してもらいました。
 その後、その楽器でコンサートのための練習を開始することができました。

 陳昌鉉さんの木曽号は、新作であるにもかかわらず「枯れた音色」が特徴的な楽器です。陳昌鉉さんがご存命なら、私の「好み」に楽器を調整して頂くことも可能でしたが、それも叶わず、これ以上楽器に手を入れることも当然許されず…。出来ることと言えば、弦を選ぶことと「演奏方法を考える」ことです。
 木曽号は枯れた音色の「グヮルネリ・モデル」ですが、高音の成分が比較的少ない音色のために、「音の抜け=音の通り」に弱さがありました。
 普段、私はピラストロ社のガット弦「オリーブ」を使っていますが、音の明るさ=高音を足すには適さない弦です。同じピラストロ社のガット弦「パッシォーネ」も試しましたが、明るさは補えるものの弦の強さにヴァイオリンが負けて、音量が出し切れません。最後に選んだのが、トマステーク社の「ドミナント・プロ」でした。比較的新しく開発された弦で、テンション=張力は標準、高音の成分が多く明るい音色で、抜けの良さが特色の弦です。ただ、低音の太さが足りず、結果として音量をだすための演奏技術が必要になりました。

 まず楽器を自分の好みの音色で演奏するための「ひきかた」を楽器に問いました。弓の圧力・駒からの距離・弓の速度・ビブラートの速さと深さ・弦ごとのひき方など。そうやって、毎日少しずつ木曽号と「仲良く」なる時間を作りました。それが「正しい弾き方」かどうかは、私にはわかりませんが、少なくとも私の好きな音に近付けたことは事実です。

 映像を見比べて頂くと、指使いが違う事、ボーイング=弓のダウン・アップが違う事にも気づいていただけると思います。会場の響きも、一緒に演奏するピアノも違います。何よりもヴァイオリンが違います。指も弓も「同じ」で演奏できるはずがありません。仮に同じ指・弓で演奏すれば、もっと違う演奏になっていたはずです。
 演奏自体が満足のいくものだったか?と言われれば、いつもの事ながら反省しきりです。それでも、最善の準備と練習をして臨んだ演奏です。
ぜひ、ふたつの演奏を聴き比べて頂き、「演奏の傷の場所と回数」ではなく(涙)違いを感じて頂ければと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ピアノのアレンジで変わる音楽

 映像は、ドボルザークの「ロマンティック・ピース」第1回のデュオリサイタルで演奏したときの録音です。ふたりで開く初めてのリサイタルでした。

 今回のテーマは主にピアニストとの二重奏で感じる「ピアノアレンジ」について。アレンジと言うと、いかにも編曲したと言うイメージになりますが、要するに「ピアノパート」の楽譜について、ヴァイオリン演奏者として考える内容です。ピアノをまともに演奏できない私が「偉そうに!」と思われるのを覚悟で書かせてもらいます。

 今までに浩子さんとふたりで、本当にたくさんの「二重奏」を演奏してきました。
その中には作曲者自身が、「ピアノとヴァイオリン」の楽譜を書いた作品もありますし、原曲はオーケストラの楽譜だったり、ボーカルとバンドの楽譜だったり、ギターとヴァイオリンの楽譜だったりと様々な「楽譜」を、ピアノとヴァイオリン、ピアノとヴィオラで演奏できるように書かれた楽譜を使ったり、自分たちで楽譜を作ったりしたものもたくさんありました。
 その音楽の中で「ピアノパート」は、主旋律を変えずに音楽の印象を根底から変える重要性があると思います。その理由を考えていきます。

 何よりも、ピアノと言う楽器は旋律も和声も演奏できる楽器だと言う当たり前の事を考えないでは話ができません。言い換えれば、ピアニスト一人=ピアノ1台で「音楽を完成できる」楽器なのです。一方で、ヴァイオリン・ヴィオラは「単旋律楽器」の部類に属します。確かに重音=2声の和音を演奏できますが、管楽器と同様に主に旋律を演奏することに特化した楽器です。
 先にヴァイオリン・ヴィオラがピアノに「出来ない」こと=ヴァイオリン・ヴィオラに出来ることを挙げておきます(別に悔し紛れではありません笑)
・発音してから音の大きさを自由に変えられる。
・音の高さを半音より細かく変えられる=ビブラートがかけられる。
以上です(笑)あ。持ち歩ける…(悔し紛れ)
 では、ピアノに出来てヴァイオリン・ヴィオラに出来ないことです。
・3つ以上の音を同時に演奏できる。
・音域がすべての楽器の中でも特に広い(ヴァイオリンの3倍以上)
・ヴァイオリンより大きな音量で演奏できる。
細かいことは除いて考えて、上のような違いがあります。
その違いが二重奏で、どのように活かされているか?について考えます。

 ピアノで演奏する場合に、発音された音は必ず「減衰=だんだん小さくなる」のが打弦楽器の特性です。ゆっくりした音楽の長い音符を、ピアノで演奏した場合は、どんなに頑張っても音は次第に弱くなっていきます。同じ高さの音をヴァイオリンで演奏した場合、音の大きさを次第に大きくすることも、ピアノと同じ速度で弱くしていくこともできます。当然ですが音の高さが同じでも、ピアノとヴァイオリンは音色が決定的に違いますが、音量を二人(ピアノとヴァイオリン)がコントロールすることで、聴いている人に「ピアノとヴァイオリンの音が溶けて聴こえる」現象が起こります。簡単に言えば「新しい音色」が生まれることになります。音量のバランスは以前に書いた通り、演奏者自身が感じるバランスと客席で聴こえるバランスは全く違います。客席で聴いている「耳」にふたつの楽器の音量が同じように聴こえる時にしか生まれない「音色」です。

 ヴァイオリンが主旋律を演奏し、ピアノがその旋律とは違う旋律と和声を演奏する場合を考えます。
ピアノは同時に演奏できる音が多いだけではなく、連続して=短い音で演奏することもできる楽器です。和音の状態で連続して演奏もできる優れた楽器です。
 ヴァイオリンが「長い音」を演奏し、ピアノが「短い和音」を連続して演奏した場合に、ピアノの音量がヴァイオリンよりも大きく聞こえてしまうケースがあります。物理的な音量バランスよりも、感覚的にピアノの動きが耳に付きすぎる場合に、ヴァイオリンがより大きな音を出そうとすれば、前後の音との相対的な音量の変化が少なくなりがちです。簡単に言えば「弱く弾けない」ことになります。さらにピアノとヴァイオリン・ヴィオラの「音域」が、近い場合と開離している場合でも、聴感上のバランスに影響します。
ヴァイオリンの旋律と近い音域でのピアノは、混濁して=溶けて聞こえます。
音域が明らかに違う場合には、それぞれの音が独立して聞き取りやすくなりますが「溶けない」印象が残ります。

 ピアノが旋律を演奏し、ヴァイオリンがオブリガートを演奏する場合もあります。極端なたとえが、ベートーヴェンのスプリングソナタですね。
ピアノが冒頭部分で演奏している分散和音を、ヴァイオリンが演奏しピアノが主旋律を演奏する部分。正直に言えば私は、とても違和感を感じます。
先述の通り、ピアノは旋律と和声を一人で演奏できる楽器です。ピアノが主旋律を演奏している時のヴァイオリンの「立ち位置」の問題です。
私はヴァイオリンパートが、無くても良いと思うときにはピアノだけの演奏で良いと思う人間です。ピアノの「良さ」をあえて下げてまでヴァイオリンの音を上乗せする意味をあまり感じないからです。

 少し前のブログにも書いた通り、ピアノは伴奏楽器ではありません。
二重奏でも三重奏でも、それは変わりません。ピアノトリオ(三重奏)の曲は、どうしてあんなにピアノに頑張らせるのか(笑)、私には理解できません。
ピアノ・ヴァイオリン・チェロが「ソリスト」的に演奏すると言う意図は理解できますが、ピアノになにからなにまで(笑)押し付けているように感じるのは私だけでしょうか?もっと少ない音の数でも、ピアノの良さは感じられると思います。それこそ「オーケストラの代わり」をピアノに担当させているような気がしてなりません

 最後にピアノパート=アレンジに私が求めることを書きます。
ヴァイオリンが主旋律を演奏するのであれば、ピアノが対旋律と和声を組み合わせた音楽で、主旋律の音域、テンポと音の長さ、音量を考えたうえで、両者の音が「溶ける音」と「独立した音」が明確になっている「アレンジ」が好きです。
声楽曲に多く見られる「ピアノも主旋律を演奏する」安直なアレンジは好きではありません。ユニゾンを効果的に使い、主旋律の進行に、不自然さを感じさせない副旋律が好きです。
「それ書いてみろ」と言われてもできません。ごめんなさい。
楽譜が作曲家の「作品」だとしても、演奏者が違和感を感じる場合に、手を加えることが「タブー」だとは思っていません。聴く人が自然に聴こえる「楽譜」こそ、二重奏の楽譜だと感じています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

同じ音楽を感じながら

 動画はフリッツ・クライスラー作曲「シンコペーション」
ピアニストと二人で演奏することが多いバイオリンやヴィオラの音楽は、どちらかが「主役」で片一方が「脇役」ではありません。以前にも「伴奏」と言う言葉について、疑問を呈しましたが、ピアノが「伴奏する」と言う言葉の裏に、ヴァイオリンが主役と言う意味が隠されているように感じます。
 ヴァイオリンソナタの場合に「ピアノ伴奏」と言う言葉は使われません。
ところが、ヴァイオリン協奏曲のオーケストラ部分をピアノで演奏するときに「ピアノ伴奏」と言うことが多く、動画のような「小品」を演奏する場合にも時々「伴奏」と言う言葉が使われます。伴奏とは「声楽や器楽の主奏部に合わせて、他の楽器で補助的に演奏すること。」だそうです。主奏部って要するに「主旋律を演奏する人」だと思われますが、ピアノが主旋律を演奏する部分があっても「伴奏」なんでしょうか?府に堕ちません。

 オーケストラの場合、指揮者が音楽の交通整理をします。具体的には「テンポ」や「音符休符付の長さ」「強弱」「バランス」について、演奏者=オーケストラの演奏者に指示を出し、実際に指揮棒や腕を使って、音楽を表現します。
 二人で演奏する場合、人によって違いますが私たちは、その場その場で「お互いに」合わせる=寄り添うことを目指して演奏しています。練習の最初の段階は、それぞれが自分の演奏するパートを一人で練習します。その後、二人で同じ音楽を演奏するときに、お互いがどう?演奏したいのかをお互いに探り合います。
言葉で確認することもあります。「こうするかも知れないし、しないかもしれない」ということも確認します。打ち合わせをしても、私が間違って演奏した場合に、臨機応変に対応してくれることが「たまに、よく、しょっちゅう」あります。
 どんなに事前に打ち合わせをしたとしても、会場で演奏する「本番」の時には、リハーサルと違う演奏になることもあります。それはお互い様です。
 お互いを意識しなくても、相手の演奏している音楽と自分の音楽が「一致」していることが実感できれば、それが「ひとつの音楽」だと思います。

息が合うと言う言葉は、同じ速度、同じ深さで呼吸することを指していると思います。相撲の立ち合いもそうです。また、逆に相手に自分の動きを「読ませない」ことが重要な武道や、ボクシングの場合は、自分の呼吸を相手と意図的にずらすことも必要です。
呼吸を合わせるとは言っても、二人で演奏する音楽のすべての時間、完全に同期=同じ息で演奏することは、物理的に不可能です。ただ、音楽を二人で同時に演奏している「意識」は常に保っています。
 ピアニストがヴァイオリニストを「視野に入れる」のは必要なことだと思います。なぜなら、ピアニストは両手でいくつもの声部を感じながら演奏し、さらにそこにヴァイオリンの声部が加わるのですから、楽譜と同時にヴァイオリニストの弓の動きが見えることで、安心して演奏できると思うからです。ヴァイオリンは「弓が動いていなければ音は出ていない」のですから。ヴァイオリニストがピアニストの指を見ながら演奏しても、効果は薄いと思います。ましてや、両手の動きが見える位置と向きでヴァイオリニストが立てば、客席にお尻を向けて演奏することになるからです。加えて、ピアニストの出す「音」が聞こえないヴァイオリニストはいないのです。その逆はあり得ます。どんな位置にヴァイオリニストが立って演奏しても、ピアノの音は聞こえますが、ピアニストにはヴァイオリニストの、音も聞こえない、弓も見えない状態で、合わせられるはずがないのです。

 どんなジャンルの音楽でも、演奏する人たちがお互いを認め合い、必要な意見のすり合わせをして、初めて「ひとつの音楽」になると思います。
「二人」という最小単位のアンサンブルは、聴く人にとってオーケストラとは違った面白さがあると思います。もとより、気の合わない二人の演奏は、どんなに演奏技術が高くても、二つの音楽が同時に鳴っているだけの「水と油」です。
時に溶け合い、時にどちらかを浮き立たせながら、音楽が広がることこそがアンサンブルだと思います。
 どうか!伴奏と言う言葉を使わずに、それぞれの演奏者を、対等な呼び方にしてください。簡単です。「ヴァイオリン△△、ピアノ〇〇」で良いのです。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介