メリーミュージックブログ

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楽器・弓

クラシック音楽の演奏と音楽理論

 ピアノやヴァイオリンを趣味で楽しむ人たちの多くが「音楽理論」と言う言葉に聞きなじみがありません。むしろ「知らない」かたが圧倒的です。
理論と言うと「学問」とか「相対性理論」が連想されるからでしょうね。
 たとえば「ドレミファソラシド」と聴いて、あなたはどれくらいの「説明」が出来るでしょうか?それが「音楽理論」のひとつです。
 ・イタリア語の音名
 ・長音階のひとつ
 ・ハ長調(C dur・C major)の音階
 ・幹音(かんおん)のイタリア音名
他にも関連することはいくらでもあります。
あれ?小学校課中学校で習ったような気がする?
はい正解。義務教育の音楽授業で教えるべき内容は、ごく限られています。
少ない授業時間のなかの多くの時間を「歌唱」と「鑑賞」と「器楽」に費やす内容が指定されています。
音楽理論を「楽典」と言う言葉で表すこともあります。言ってみれば「音楽の知識」です。それらを子供たちに教える「時間」が足りないのが一番の理由ですが、知識より実技!と言う現場教師の意向が反映されています。
 もう一つ、例題です。
 ・四分音符と八分音符を見分けができるか五線に書けるか
 ・長さの違いを説明できるか
「そんなの習ってない」?習ったはずですが(笑)
覚えていなくても小夕学校で「合唱」や「アルトリコーダー」って、やりません弟子か?四分音符の出てこない「楽譜」はなかったはずなんです。
「聴いて覚えたから楽譜は見ていない」人がほとんどですよね?
 つまり「知識」は習っていなくても、歌ったり楽器の演奏はできる!のです。
ん?それでは、音楽理論は「不必要」なのでしょうか?
 

 ユーチューブで「音楽理論」を検索すると、大半はジャズピアノを演奏するひとのための「参考動画」です。クラシック音楽を演奏して楽しむ人を対象にしている動画はなかなか見当たりません。
 ピアノやヴァイオリンを演奏している時、「音」と「運動」だけで演奏しようとする生徒さんがたくさんおられます。気持ちは理解で済ます。
 頭から「理論を覚えなさい」とは言いません。少なくとも私たちのレッスンでは(笑)
 趣味で楽しむ人ならいざ知らず、プロの演奏家を目指す音大生が「音楽理論」を学ばずに卒業している現実があります。すべての音大ではありませんが、実技のレッスン以外は「選択」で卒業単位を修得すれば良い音大が存在します。
 何をかいわんや(涙)
楽器を演奏する人に「音楽への好奇心」がないとしたら?
そのひとの楽器演奏技術が向上することはないと断言します。
好奇心は少しずつ「膨らむ」ものです。自分の好きなことに置き換えれば、すぐに理解できます。
 ゲーム好きな子供は「攻略方法」を探します。これが好奇心です。
お酒が好きなひとは、銘柄の産地、一番合う「あて」にも好奇心を持ちます。
好奇心は言い換えれば「こだわり」です。
音楽理論=知識は、「上達の土台」になるものです。
 ただ、土台だけあっても「うわもの」である演奏技術がなければ、ただの頭でっかちですし、基礎だけで家の立っていない状態です。
 

 楽器に関する知識も好奇心が膨らめば、自然に知りたくなるはずです。
先述の通り、音楽理論は特別に難しいことばかりではありません。
たとえば、物の長さを測る単位があります。重さをはかる単位があります。
それぞれに多くの単位があります。国や職種によって変わるもの「センチ・インチ」「メートル・フィート」「グラム・ポンド」「センチ・尺間」など多くあります。
 音の長さを表す単位は「秒」ではありません。比率で表されます。
四分音符:八分音符=1:2
ご理解いただけましたか?これも音楽理論です。
「♯=シャープが付くと半音高くなる」
小学校で習ったはずです。多くのアマチュア演奏家も答えられます。
では「半音を説明して」と問われたら?
・鍵盤で一番近い「隣同士の鍵盤」との「音の高さの差」
・いオクターブを12等分したうちの、一つ分の「幅」
・全音の半分の幅
などなど。「めんどくせぇ」(笑)と主輪うかもしれませんが、これを理解しないで楽器を演奏している人は、野球のルールを知らずにボールを投げ、バットでボールを打つことを野球と言うのと大差ありません。

 音楽の知識を学ぶことは、楽器の練習とは違います。むしろ言葉や文字で、音楽の「ルール」を理解することです。音楽理論の多くは、数学的な考え方が主になります。先ほどの「比率」もそうですし、「音の高さ」「高さの差」にしても理科で習った知識が大いに役立ちます。音楽を分析する時には「文法」に近い考え方も必要です。音楽の速さを表す言葉の多くはイタリア語です。フェルマータを「程よく伸ばす」と中学で教えますが、本来の意味は「停車場」です。その意味を理解したほうが、フェルマータの「感覚」を掴めますよね。
 知識は覚えただけで使わなければ「机上の空論」です。宝の持ち腐れです。演奏に役立てるか?はその人の考え方一つです。
 ぜひ、冒頭に掲載した「楽典」を一度、読んでみてください。「専門家になるつもりはない!」と言うひとも、きっと演奏しながら「これか!」と思うことになります。「好奇心」こそが上達の秘訣です。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介
 

なぜ音楽を楽しむ文化が根付かないの?

 映像は「鏡の中の鏡」と言う曲名の音楽です。曲名だけ聴いても想像できる光景があります。音楽自体も、メロディーが「裏返し」に映っているように感じます。

 今回のテーマは音楽家にとって、共通の「命題」かも知れません。
音楽家だけの努力で解決できる問題ではない部分も多くありますが、まずは私たち音楽に関わって生活している人間が考えることはたくさんあると思います。
 クラシックに限らず、音楽を聴くことが生活の中にない人が殆どです。
ヴァイオリンやピアノを習いに来ている生徒さんでさえ、普段は音楽を聴かない…好きな音楽も特にないという人が大多数です。「そんな人はコンサートに来ないんだから関係ない」では済まされない問題だと思います。

 演奏する人間にとって、聴いてくれる人がいなければ職業として成立しません。当たり前のことです。
 演奏家の多くは、幼いころから長い時間をかけて練習し、時には折れそうになる気持ちに耐えながら「勝ち残った」と言う自負がどこかにあるものです。そのこと自体は素晴らしい事でも、誰かに聞いてもらわなければ努力も報われません。評価を受けることさえ出来ません。

 私たちが生きるために必要な「衣食住」とは別の「趣味」があります。言ってしまえば「なくても生活できる」事、物です。
 「車」を例に考えてみます。興味・関心のない方も、ちょっと我慢して読んでください(笑)
移動手段としての「自家用車」は、人によって必要度が違います。都心の駅近くに住んでいるひとにとって必要度は低いはずです。家族の介護に必要なひともいます。高齢でも自家用車がなければ、生活が困難な場所に住んでいるひともいます。それらの「必要度」が低くても高くても「車が好き」な人とそうではない人がいます。
 運転することが好きなひと。磨き上げて眺めるのが好きなひと。カスタマイズして個性化することが好きなひと。オフロードを走るのが好きなひと。速い車にエクスタシーを感じるひと…などなど様々です。

 登山やキャンプが好きなひとも多いですよね。健康維持のためにというひとも含めて、アウトドアで何かをすることが趣味の人もたくさんいます。
テニスやスキー、野球やサッカーを趣味で楽しむひとたち。
囲碁や将棋を趣味にするひとたち。旅行や食べ歩きが好きなひとたち。
読書や美術館で静かに過ごすのが好きなひとたち、写真を撮影するのが好きなひと、お酒を飲むのが大好きなひとたち…
 趣味の世界は本当に幅広く存在します。それらを「職業」にする人もいます。
プロのスポーツ選手、プロの登山家、プロの棋士、プロカメラマン、旅行評論家、料理研究家、ソムリエ、美術品の鑑定士など「趣味」で楽しむ人とは明らかに一線を画す「専門家」でもあります。

 趣味にもブームがあるのは事実です。話題になったスポーツが流行るのは昔にもありました。古くはテレビで「赤胴鈴之助」が放送されると、剣道ブームが起こりました。「柔道一直線」で柔道ブーム、「アタックナンバーワン」と「サインはV」が放送されるとバレーボールがブームになりました。「巨人の星」で野球、「キャプテン翼」でサッカー。「のだめカンタービレ」で一瞬!(笑)オーケストラに注目が集まりました。

 今はテレビ離れが進み、映画も「大ヒット」が少なくなりました。
大衆音楽の業界で考えても、テレビ文化の影響が大きかった昭和の時代には「国民的アイドル」と言う言葉がありました。今やアイドルは「オタク」のひとたちの専門分野となりました。世代を超えてに流行する音楽も消えました。

 プロとして認められる「視覚」のある将棋を除き、ほとんどはプロの死角は明確ではありません。音楽で言えば演奏したり指導をして「報酬」を受け取れれば「プロ」と言えることになります。支払う側にしても基準のない演奏や指導にお金を払っていることになります。もっと厳密に言えば「演奏」だけで生計を立てられれば「演奏家」、「指導」だけで暮らせれば「指導者」だとも言えます。

 最後に上記の色々な「趣味」を分類してみます。
「屋外で楽しむ趣味」
・各種のスポーツ・登山・キャンプ・旅行・美術鑑賞・写真撮影…
「室内で楽しむ趣味」
・楽器の演奏・読書・カラオケ・囲碁将棋…

「ひとりでも楽しめる趣味」
・登山・キャンプ・旅行・楽器の演奏・読書・美術鑑賞・写真撮影…
「誰かと一緒に楽しむ趣味」
・各種競技スポーツ・登山・キャンプ・旅行・楽器の演奏・囲碁将棋…

「独学で楽しめる趣味」
・旅行・キャンプ・読書・囲碁将棋・写真撮影・美術鑑賞…
「習って楽しむ趣味」
・楽器の演奏・各種スポーツ・登山…

「初期の投資金額」
美術鑑賞<読書<旅行<囲碁将棋<スポーツ・登山・写真撮影・楽器の演奏

「楽しむ度に係る費用」
インドアの趣味<アウトドアの趣味

もちろん、上記には例外が多くあります。購入する用具や機材・楽器の金額はピンからキリ(笑)ですし、旅行先(近隣・海外)や方法(豪華客船・ヒッチハイク)でも違います。
 楽器の演奏に注目して考えると、
「室内で楽しめる」
「ひとりでも誰かとでも楽しめる」
「初期投資は必要(金額は様々)」
「習うための費用が必要(レベルによる)」
「子供でも高齢者でも楽しめる」
など、他の趣味と比較しても、多くの面で「誰でもいつでもどこでも長く楽しめる」趣味だと言えます。「楽器が高い」と言う先入観、さらに習うのにお金がかかり、習いに行くのが大変…がマイナスイメージですね。
 多くの人が自分の趣味にかける「お金」には寛容です(笑)
家族のことになると突然厳しくなったりもします。
高額な車・カメラ・スポーツ用品・キャンプ用品などに係る金額は、楽器より高いものも珍しくありません。
国内旅行で3拍4日…飛行機とホテル・食費だけでも、一人あたり5万円では厳しいですよね?年に2回旅行すれば単純に10万円。
それぞれの「価値観」です。一概に「高い・安い」は決められません。
 楽器の演奏を趣味にする人が増えることを願う人間のひとりとして、
1.「楽器は高い」イメージの払しょく。
2.「趣味で演奏できる音楽」をプロが浸透させる。
3.習ってひける「レベル=難易度」を明確にする。
4.合奏する「受け皿=環境」を用意する。
5.親しみと憧れを感じられる「プロの演奏家」であること。
「音楽は楽しい」ことを広め、浸透させたいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

合同演奏会(複数団体演奏)で感じること

 映像は、その昔神奈川県内の私立公立高校からの融資メンバーによる弦楽+打楽器による演奏です。毎年夏に行われている「全国高等学校文化連盟総合文化祭」…長い(笑)と言うイベントでのものです。この時は徳島県だったかな…。
多くの団体が出演する演奏会。演奏する側も見る側も、運営する側も通常の演奏会とは違う「面白さ」「大変さ」と同時に「留意点」があると思っています。
 何よりも「自分たちだけ」ではないことを、すべての出演者が同じ感覚で理解することが絶対に必要です。演奏技術の優劣、演奏人数の多い少ない、人気のあるなし(笑)などを一切排除して、すべての出演団体が「平等」でなければ合同演奏会の本質を失います。

 教員として働いていた横浜市緑区で、近隣の高校の吹奏楽・管弦楽の合同演奏会絵画行われていたころの話です。その演奏会に初めて参加した当時、私の勤務していた学校オーケストラは、まだ出来て数年目。人数も50人ほどだったと思います。生徒たちを引率し、楽器トラックを私が運転して会場入り(笑)。
決められた時間通りに、各学校が舞台でリハーサルを行い、また決められた演奏時間内で本番の演奏を行う「約束」がありました。
 そんな中で、近隣で「うまい」とされていた公立高校吹奏楽部の「顧問」が、その約束を「ガン無視」して悠然と延々とリハーサルを長時間行い、そのため開演時間は遅れ、挙句本番でもプログラムに書いていない曲まで演奏する始末。
 私の勤めていた学校以外の高校生徒たちは、「あの学校だから…何も言えない」他の顧問教員たちも「あの顧問は●●連盟のおえらいですからね…」とだんまり。許せなかった若僧の私は、公然と抗議しました。予想通り「なに?文句あるの?へ~」聴く耳持たずの変人に、それ以上話す気もなく、それ以後の演奏会では打ち合わせ時に「リハーサル・演奏時間の平等厳守」を会議に提案し以後、その学校もぶつぶつ言いながら従っていました。。ちなみにその学校吹奏楽部は、顧問が定年退職した翌年、コンクールで地区予選落ちして部員数が10名ほどに激減し舞台から消えました。

 さすがに全国でのイベントとなると…と思いきやそうでもなく(笑)
意図的にではない「アクシデント」や「運営のトラブル」でスケジュールが遅れることは仕方のないことです。一度きりのぶっつけ本番ですから当然です。
 それを考慮して自分たちのリハーサルを、短時間で終える気持ちが「マナー」だと思っていましたので、どんなに大人数で参加する時でも(確か徳島でも)私が指揮する団体のリハーサルは、前の出演団体からの「入れ替え確認」と「座る位置の確認」「演奏できるスペースがあるか確認」が終われば「次の団体との入れ替え確認」つまり、演奏はしませんでした。
 今のメリーオーケストラと「真逆」(笑)の超高速リハーサル。
回りの関係者や他校・他県の先生たちから「良いんですか?」「申し訳ない」「ありがとう」と言う言葉をかけられました。
 本番でも予定時間内ではありましたが、動画の「ヘアースプレー」を演奏する前に、チャイコフスキー弦楽セレナーデの終楽章を演奏しましたので、その曲間を1秒でも短くすることを、予め演奏する生徒たちに伝えていました。
動画の冒頭部分を見て頂くと、前曲に演奏した弦セレの拍手が鳴っている時にすでに私は演奏者の方に向き直っているのがわかります。そして、生徒たちもすぐに楽譜を入れ替えています。ヘアースプレーの出だし、チェロとコンバス、ドラムとティンパニーなので、そこだけ確認し「じゃーん」(笑)
ドラムの池上君、そのあと座り直してます(笑)

 演奏している本人たち同士が「譲り合う」気持ちは客席で聴いている人にも伝わるものです。当然のこととして、どこかの団体だけが長く演奏すれば「どうして?」と言う疑問を持つ人もいます。「うまいと思っているから?」「人数が多いから?」後味の悪い印象を残してしまいます。アマチュアのコンサートにうまいもへたもありません。人数が多ければ「すごい」と言うものではありません。
色々な演奏を楽しく「聴き比べられる」ことを第一に考えて演奏するべきです。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ヴァイオリンはクラシック音楽を弾く楽器?

 映像は私が、ぼかしを全体に入れました。お許しください。
演奏しているのは典型的な「ロックバンド」にヴァイオリンソロの女性が加わっているものです。偶然に見つけた動画です。
 今回のテーマである「ヴァイオリン」という楽器は、いわゆる「クラシック音楽」だけに使用する楽器なのか?と言うお話です。

 先に申し上げておきますが、私はクラシック音楽を学んできた人間の一人としても、また音楽を聴くことを趣味としている人間としても、クラシック音楽というジャンルについて「つまらない」とか「古臭い」とは1ミリも思っていません。当然、ロックやポップスを「軽い音楽」とも思っていません。
 ヴァイオリンと言う楽器が、400年近い歴史を持つ古典的な楽器でもあり、その楽器のために多くの先人たちが音楽を作ってきた「歴史」を否定することは、誰にもできません。それを前提としてお読みください。

 この動画の演奏は、明らかにヴァイオリンに「収音」するための装置を付け、電気的に音量を増幅=大きくした上に、音色にも電気的な加工が加えられています。ただ、元のちゃんとした(笑)映像を見る限り、ヴァイオリンを演奏している女性は、クラシックの演奏技法を学び、相当の技術レベルに達している奏者であることは間違いありません。おそらく「クラシック音楽のヴァイオリン演奏を専門的に学び、全く違うジャンルの音楽を演奏している人」です。
 日本人のヴァイオリニストでも、何人もこの系統の演奏者がおられます。
私の良く存じ上げている先輩にもいらっしゃいます。
 間違った先入観を持たれないために付け加えますが、「この手」の演奏者が全員、クラシック音楽で「食えない=プロとして技術不足」で、この道に進んでいるとは「限りません。」限らない…と書いた裏に、正直に申し上げて私が「そう」感じる人も少なくないことも書いておきます。
 「クラシックの演奏で生活できる技術レベルにないから」ポピュラー音楽の演奏家に転身することを、悪いとは思いません。その人の考え方の問題です。クラシック音楽を演奏することや聴くことが好きな人が、それらの人を悪く言うのは「優越感」に浸りたいからだと思います。

 ピアノの演奏で考えれば、クラシックに限らず多くのジャンルで使用される楽器であり、電気的なピアノは常に進化しています。
 打楽器でも、管楽器でも、声楽でもクラシック音楽の演奏技法を学んだ人が、違うジャンルの音楽で活躍している姿は珍しくありません。
同じ楽器を使って、まったく違う「種類」の音楽を演奏することを、否定するのは間違っています。単純に「好き嫌い」の問題でしかありません。
クラシック音楽とハードロックの、音楽的な違いがあります。その違いを演奏者自身が理解していることと、本人が本当に「ハードロック」を好きなのか?という根本的なことが「プロ」としての前提だと思っています。
 趣味でヴァイオリンを演奏する人が、ハードロックを好きでも不思議でもなく、なんの問題もありません。その人が、好きなハードロックをヴァイオリンで弾きたいとも宇野は、いたって自然なことです。
 単純に考えて、電気的に音量を増幅しないヴァイオリンでドラムやエレキギターと一緒に演奏しても、ヴァイオリンの音はまったく!聞こえません(笑)
 クラシックの演奏スタイルと違う「音響空間」でヴァイオリンやピアノ、管楽器を演奏する場合の特別な知識と、特殊な技術をもった「スタッフ」がいなければ演奏は成り立ちません。違う「芸術」だと言えます。

 常に音楽の演奏取り巻く環境は変化しています。クラシック音楽を演奏する「ホール」も昔とは違います。クラシックでも聴く楽しみ方は変わり続けます。
伝統的な演奏スタイルを継承することも、文化や芸術を後世に伝える意義があります。
他方で実験的な試みや社会のニーズに合わせた変化に対応する能力・考え方も大切です。
時代によって上記のどちらかに偏ることもあります。
新しいスタイルや文化は「古い=伝統的な」ものがあってこそ新しいのであり、古いものを捨ててしまえば、新しいものも生まれ育ちません。
 クラシック音楽のヴァイオリン演奏方法を伝承しつつ、新しいスタイルに挑戦すること、それを許容することが延いてはクラシック音楽の演奏を残すことにもつながると思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 ※ぼかし加工のない元動画URL
https://www.youtube.com/watch?v=E2hZDzJp9Pc

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

出来ない!と出来た!の繰り返し

映像は、メリーオーケストラ第2回定期演奏会の様子です。
2002年の夏。場所は杜のホールはしもと。ちょうど20年前の映像です。
当時10歳だった子供たちが、今30歳になり私は…(笑)
出来ないと思うことにぶつかることは、日々の生活でもありますよね?
出来ないと思う内容も様々です。現実的に「不可能」なことも確かにあります。
ある日突然、病気が治ってそれまで「できない」だったことが急に「できる」ことは、残念ですがほとんど不可能です。生き物の命も、蘇らせることは出来ません。
 一方で、出来ないと思っているだけで「できるかもしれない」こともたくさんあります。さらに「急には=すぐには」できなくても、時間をかければ「できるかもしれない」ことはもっともっと!あると思いませんか?
 できないと決めてしまえば、出来るようになる「努力」もしません。
つまり「時間をかけること」から逃げている場合がほとんどです。
「できないかもしれない」「できる気がしない」これも同じことです。
少なくてもできる可能性があることを「できない」と言うのは、現実逃避とできない自分を見たくないという「保身」の現れです。
 「もう年だから」「才能がないから」「やったけどできなかったから」
言い訳を見つけるのは人間の特技ですね(笑)特に「やっらのに…」という言い訳を使う時、「どれだけやった?」と言う肝心の言葉が抜け落ちています。
出来るまでやる!
子供でも大人でも変わりません。
出来ていないのは、まだ努力が足りないだけです。才能?年齢?全然無関係です。山登りの「途中」で引き返せば登頂できないのは当たり前です。途中で「登れなくなる」ことも実際にあるでしょう。でもそこで「次こそは!」と思う気持ちがあるか?ないか?の問題です。

 できるように…の「できる」を誰が決めるのかと言う根本的な問題もあります。習っている先生が「合格」と言えば「できた」と思う人もいるでしょう。
 自分の基準で「できた」「できていない」と判断するのが日常的な練習です。スポーツでも似たようなプロセスはあると思います。ただ山登りや、勝敗が決まる協議の場合は「できた=勝てた」か「できなかった=負けた」と言う二進法で判断できます。「少し負けた」はありませんよね(笑)
 楽器の練習の場合には、この二進法は無意味です。当てはまりません。
仮に先生が「できた」と言っても自分自身が「できていない」と思うこともあるはずです。逆のケースもあり得ます。自分の「基準」が優先するのは、誰でも同じことです。
 音楽の「できた基準」に客観的な基準は存在しません。すべてが聴く人、弾く人の「主観」でしかありません。だからこそ、自分以外の誰かの「基準=意見」を聴くことが重要だと思います。もちろん、一番大切なのは自分の基準です。
 他人が「じょうず」と言ってくれようが「まだまだへただね」と言われようが、自分の気持ちが一番優先されるのが「アマチュア」なのです。プロの場合は違います。自分の基準だけで「じょうず」は通用しません。当たり前です(笑)
 プロであっても、自分の演奏に対する「できている?できていない?」と言う判断は常に必要です。アマチュアと違うのは、その「線引き」のレベルが決定的に違うことです。アマチュア演奏者の場合には、どんなレベルであっても自分が満足できれば「できた!」なのです。それで良いのです!
 「まだまだ」と向上心を持つことは悪いことではありません。ただ、人によって「基準」をやたらと高くするアマチュア演奏家がおられて、見ていて気の毒でもあります(笑)もっと言えば、プロの演奏を基準にするなら、その時点でアマチュアではなくなります。
 演奏を楽しむことが、本来の音楽です。その意味で考えれば、プロの演奏家の場合、心から自分の演奏を楽しめていない人もいる気がします。
 アマチュアの人が、じょうずに演奏できるようになりたい気持ちを持ち続け、出来なかったこと=つらさやストレスが、「できた!」と自分で思えた瞬間に、それまでの練習が報われる喜びが何よりも大切です。
 できないままで終わらない。少しでもできるようになったら、自分をほめてあげる。自分の基準を大切にする。時には人の基準も参考にする。
 時間をかけて、音楽を楽しみましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

オーケストラで楽しむ趣味

 映像はメリーオーケストラ第41回定期演奏会で演奏した「いのちの歌」
村松崇継さんが作曲された曲を、メリーオーケストラのために田中大地さんにアレンジをお願いしました。リサイタルではヴィオラとピアノで演奏したこの曲、オーケストラで演奏すると違った感動が伝わってきます。

 オーケストラはクラシックを演奏するという「既成概念」があります。
一方で吹奏楽は「ポピュラーを演奏する」イメージが先行しています。
演奏形態=スタイルは、一人の人間だけで演奏するものから、オーケストラと合唱などが加わった「大人数」のものまでたくさんあります。楽器の組み合わせも様々です。吹奏楽…管楽器だけの演奏に読めますが、打楽器やコントラバス=弦楽器も通常含まれます。管弦楽…あれ?打楽器は?(笑)もちろん含まれます。
文字・言葉が思い違いを生んでいることもありますね。

 趣味で弦楽器、管楽器、打楽器を演奏する人にとって「合奏」は究極の楽しみだと私は思っています。もちろん、一人で楽しむことが一番!と言うかたもおられます。他人との人間関係が煩わしい…と思う気持ちも理解できます。
 ブームは去りましたが「カラオケ」は一人で楽しめる趣味でもあります。気持ちよく誰にも聞かれず、大声で歌うことが楽しいのでしょうね(笑)
 ピアノやギター、エレクトーンなどの楽器は、ひとりで演奏を十分に楽しめる楽器です。かたや、ヴァイオリンやチェロ、フルート、トランペットなどの場合hはひとりで演奏できる曲はごくわずかです。多くは「誰か」と一緒に演奏して初めて音楽として完成します。オーケストラは言うまでもなく、合奏の集大成です。
「初心者」だからこそ、誰かと一緒に演奏する楽しさが必要だと思います。

 オーケストラの「楽譜」の多くはクラシックと呼ばれる作曲家の曲です。
ベートーヴェン、モーツァルト、ブラームス、チャイコフスキーなど「有名」なクラシック作曲家のほとんどが、交響曲を書いています。ただ、これも当然ですが「聴いたことがない」交響曲の方が多く、演奏の難易度も高いのは事実です。
動画にあるような「ポピュラー」をオーケストラで演奏するのは「邪道」なのでしょうか?私はそうは思いません。どんな楽器で演奏したとしても音楽は音楽です。逆にどんな音楽でも、オーケストラで演奏できるはずです。
 ただし、ポピュラーをオーケストラで演奏するための「楽譜」が少ないのです。お金を出して購入できるのも、ほとんど海外のサイトからです。日本では需要が少ないのです。いのちの歌の楽譜は?当然、販売されていません。オーケストラの楽譜を書くためには、ただ音符や休符が書けるだけでは無理です。それぞれの楽器の「音域」と「音色」「音量」を理解していないと、書けません。作曲の技術と変わりません。
木管楽器=ピッコロ・フルート・オーボエ・クラリネット・ファゴット
金管楽器=ホルン・トランペット・トロンボーン・チューバ
打楽器=ティンパニ・バスドラム・シンバル・グロッケンシュピール他
弦楽器=ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバス・ハープ
これらの以外にも、色々な種類の管楽器・打楽器がオーケストラには加わります。それぞれの楽器が2~3つのパートに分かれていることが多く、スコアは大変な段数の楽譜になります。下の楽譜はいのちの歌のスコア1ページ目です。

 当然、それぞれの楽器の演奏者は自分のパートの楽譜=パート譜を見ながら演奏します。指揮者はこのスコアを見ながら指揮をし、練習で音の間違いを正すこともします。いかがですか?スコアは演劇の「台本」のようなものです。全員のセリフが書いてあります。演劇と違うとすれば、同時に何十人もの人、25種類以上のパートが一斉に演奏します。演劇では…(笑)ないですね。
 このスコアに書かれているすべてを「編曲者」が考えて書きます。出てくる音を頭の中で想像しながら。素晴らしい技術・能力です。
 紙の上の音符が、数十名の人間、様々な音色の楽器で「音」になるのがオーケストラです。ひとりで演奏を楽しむこととの違いがここにあります。
一人ずつの責任は、ひとりで楽器を演奏するよりもはるかに大きくなります。
「たくさんいるから、一人の責任は軽くなるんじゃないの?」と思われますか?
逆なのです。ひとりが間違った音や、間違った場所で音を出した場合、聴いている人は「誰が間違えた?」かわからないものです。つまりオーケストラ全体としての「失敗」になるのです。100人のオーケストラで99人が正しい音を出していても、一人が「半音」違った音を出したことで、音は明らかに濁ります。プロオーケストラの録音現場であれば「録り直し」です。全員がもう一度初めから演奏しなおします。それがオーケストラの怖さでもあります。
 アマチュアオーケストラメンバーに、それを求めたら?誰も演奏できないばかりか、誰も演奏したくないですよね?プロではないのです。間違っても仕方ありません。それでも!演奏する楽しみを優先するのが「アマチュアオーケストラ」です。

 ぜひ!あなたもアマチュアオーケストラのメンバーになって、楽器の演奏を楽しんでみてください。日本中にたくさんのアマチュアオーケストラがあります。規模もコンセプトも様々です。練習の頻度、内容も違います。何よりも「人」が集まるのですから世界中に、同じオーケストラは二つ存在しません。
 そのオーケストラの一員として演奏する「喜び」を体験してみてください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト・指揮者 野村謙介

半音・全音の聴感的な修正と間違ったチューナーの使い方

eizouha

 映像は「カール・フレッシュ音階教本」の1番最初に出てくる音階をピアノでゆっくり演奏している動画です。音階教本の中で「バイブル」とも考えられるこの教本、音階とアルペジオ、半音階などを徹底的に練習することが可能です。

 多くのアマチュアヴァイオリン奏者にとって「音程」「ピッチ」を正確に演奏することは大きな課題になります。当然、プロを目指す人や実際にプロになれた人間でもそれは同じことです。たくさんの生徒さんを見てきた中で、陥りやすい落とし穴とでもいうべき間違った練習方法と、本人の気付きにくい「音程感」について書きます。

 もっともよく目にするアマチュア弦楽器奏者の間違いは「チューナー」の使い方を間違っていることです。操作方法の事ではありません(笑)
 スマホのアプリにも多くの「チューナー」があります。測定精度や反応速度の優劣もありますが、使い方の問題です。
 「音を出す→チューナーを見る→修正する→次の音を出す→チューナーを見る…」を繰り返していませんか?「一音ずつ確かめている!」そんな満足感がありますが、ちょっと待った(笑)自分の耳で正しいピッチを「判断する」練習になっていませんよね?「いつか、正しいピッチを覚えられる!」いいえ(笑)それは無理です。正しいピッチや正しい音程を、自分で判断=記憶しようと思わなければ、いつまでも補助輪をつけた自転車で走っているのと同じです。いつも誰かに「修正」してもらわなければ、自分で正しいピッチを見つけられないままです。
 では正しいチューナーの使い方は?
 「開放弦の音を聴く→最初の音を出す→開放弦からの音程を耳で測る→チューナーを見る→修正する→もう一度開放弦から最初の音を探す→あっていると思ったらチューナーで確認し次の音を出す→前の音からの音程を自分で測る…」
 文章にすると長いですが要するに「自分の耳で開放弦=あっている音からの音程を測る習慣をつけ、あっていると思ってからチューナーで確かめる」繰り返しです。

 もう一つの方法です。チューナーでA=ラの音を出し続けます。
その音を聴きながら自分の音を聴いて「音程」を確かめる方法があります。

なんで?こんな面倒くさいことをお勧めするのでしょうか?
 「相対音感」の人がほとんどだからです。

 以前のブログでも書きましたが、絶対音感を持っている人はごくわずかです。
Youtubeの中に「怪しげな絶対音感」のことを「絶対音感」と紹介している人がいますが、私の言う絶対音感は「442ヘルツと440ヘルツを聞きわけられる・言われた音名の音を正確に歌える」音感です。この音感があれば、弦楽器の演奏で自分の出している音の高さに疑問を持つことはあり得ません。そんな便利な音感のない「私」を含めた多くの人は「相対音感」で音の高さを考えています。
 「ある音」からの「幅=高さの違い」で次の音の高さを見つる音感です。
チューナーは「絶対音感を持っている人」の耳と同じです。もうお分かりですよね?相対音感の人が、絶対音感を持つ人の「真似」をしても絶対音感は身につかないいのです。「そんなバカな」と言う人のために(笑)
たとえば「甘さ」の違う5種類の砂糖があったとします。どれも「甘い」砂糖です。絶対味覚(笑)がある人は、その一つ一つの甘さをすべて「記憶」しています。どんなに順番を入れ替えても、絶対味覚の人は、砂糖をなめた瞬間に「これは2番目に甘い砂糖です」と正解を言えます。
 相対味覚の人は?順番に二つの砂糖をなめていきながら「こっちのほうが甘い」、次にその次の砂糖を舐めて先ほどの二つの砂糖と「比較」するしか方法はありませんよね?これが「相対音感」です。正確に言えば「常に二つの違い=差を測る」ことです。一度に三つの違いを測ることは不可能です。音楽で言えば、「順番に二つの音の高さの差を測る」ことです。

 音階を練習する「目的」があります。一番大きな目的は「1番目と2番目、2番目と3番目…の高さの幅=音程を正確にする」ことです。もちろん綺麗で均一な音を出し続けるボウイングが求められます。音色と音量が揺れてしまえば正確な音程やピッチは測れません。2本の曲がった線同士の幅を測れないのと同じです。まっすぐな音を出しながら、音と音の「幅」を確かめる練習です。
 次の音名に変わることを「順次進行」と言います。上行も下降もあります。
隣同士の「ド→レ」も「レ→ド」も順次進行です。音階の場合、和声短音階の場合だけ「増二度=全音+半音の幅」がありますが、その他は「全音=長二度」か「半音=短二度」の順次進行です。まずはこの「目盛り」にあたる幅を正確に覚えることが「正確な相対音感」を身に着けるための必須練習です。
「簡単だよ」と思いますよね?(笑)いいえ。これが本当に正確にできるなら、その他の音程も正確に測れるはずなのです。嘘だと思ったら(笑)、あなたはゆっくり上記の音階を演奏し、誰かにチューナーで一音ずつ見ていてもらうか、そのチューナ-映像とあなたの音を同時に「撮影」してみてください。すべての順次進行「上行」「下降」がぴったり平均律で弾けるなら相当な相対音感の持ち主です。

 相対音感の人間は「音が上がる」と時と「音が下がる」時の「二音感の幅」が違って聞こえることがあります。それは「メロディー」として聴こえるからです。階段を上がる、下がるのと同じです。階段の幅が同じでも上がる時と下がる時で幅が違うように感じます。
 特に「半音=増一度・短二度」の幅はえてして「狭く」してしまいがちです。
相対音感の人にとって「少し高くなる」のと「少し低くなる」のが半音です。
この「少し」の感覚が決定的な問題なのです。一番狭い目盛りが狂っていたら?定規になりません。
 練習方法として、
A戦で「0→1→2→3→2→1→0」の指使いで以下の3通りをひいてみます。
①「ラ→シ→ド♮→レ→ド♮→シ→ラ」
②「ラ→シ→ド♯→レ→ド♯→シ→ラ」
③「ラ→シ→ド♯→レ♯→ド♯→シ→ラ」
できるだけゆっくり。特に次の音との「幅=高さの差」を意識して練習します。
これは、4の指を使う以前に半音と全音の正しい距離をつかむ練習になります。

 次に3度以上の音程=全音より広い幅を練習するときの注意です。
・1本の弦上で、1から4の指で4つの音が出せる原則を忘れない
・1と2、2と3、3と4の3か所をすべて「全音」にする「像4度」が最大の幅
例 1全音2全音3全音4=増4度 シ♭ド♮レ♮ミ♮など。
・上記3か所のうち、どこか1か所を半音にすると「完全4度」の音程になる
例1..1半音2全音3全音4=完全4度 (シ♮ド♮レ♮ミ♮など)
例2.1全音2半音3全音4=完全4度 (シ♮ド♯レ♮ミ♮など)
例3.1全音2全音3半音4=完全4度 (シ♮ド♯レ♯ミ♮など)
・上記3か所のうち、2か所を半音にすると「減4度」=「長3度」の音程になる。
例1.1半音2全音3半音4=減4度 シ♮ド♮レ♮ミ♭など。
例2.1半音2半音3全音4=長3度 シ♮ド♮ド♯レ♭など。

 次のステップで「移弦を伴う全音と半音」の練習をしましょう。
一番最初に、解放弦から全音下がって戻る練習
・E線0(ミ♮)→A線3(レ♮)→E線0(ミ♮)
・A線0(ラ♮)→D線3(ソ♮)→A線0(ラ♮)
・D線0(レ♮)→G線3(ド♮)→D線0(レ♮)
弦が変わると音色が変わるため、感覚的な「ずれ」が生じます。
もちろん、解放弦を使わず「4」の指を使えば、同じ弦ですがあえて「移弦」する練習も必要です。指の「トンネル」が出来なくても、まずはこの音程を覚えるべきです。

 最後はポジション移動を含む「全音・半音」です。
実は一番上のカール・フレッシュの画面は、G線だけで演奏する前提です。
つまり「ポジション移動ができる人」のための練習です。そうなると突然難易度が上がりますね(笑)ポジションで言えば、サードポジションから始まり、第5ポジションを経過して、第7ポジションまで上がりまた、戻ってきます。
 指使いで言えば、2→1で「レ→ミ」と全音上がります。ポジションが変わっても、弦が変わっても「音程=高さの差」は変わらないのです。それを耳で覚える練習が音階の練習です。

 半音のことを、短2度と言うほかに「増1度」とも言います。
ド♮→ド♯は「増1度」で「半音」です。短2度とは言いません。
ド♮→レ♭は「短2度」で「半音」です。増1度とは言いません。
…要するに(笑)音の名前と「半音・全音」の関係の両方を理解する必要があるのです。
 指使いで思い込むこともあります。例えばA線のド♯を見たら「2」の指で押さえたくなりますよね?同じA線のレ♭を見たら「3」の指が動きませんか?
どちらも同じ「高さ=ピッチ」の音です。もしもA線のド♮から弾けば、どちらも「半音」ですが使う指がきっと違います。おそらくド♮→ド♯は「狭く」なりすぎ、ド♮→レ♭は「広く」なりすぎる人が多いと思います。

 音階の練習はすべての練習の基本と考えられています。
言い換えれば、どんな音楽を演奏するのであっても、音階を正確に弾く技術が必要だということです。音階は下手で音程が正しいという人はいません。
音階を聴けばその人の「性格」が見えます。正確に美しく弾くことを大切にしているか?テキトーに演奏しているのか?判断できます。
 音を出して楽しむ「だけ」で終わるなら必要のない技術・能力です。
少しでも「うまくひきたい」と思うのであれば、半音と全音を正確にひけるように頑張りましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介


 

子供の成長と演奏のクオリティ

 映像は小学4年生と中学1年生の姉妹が独奏をひいた、メリーオーケストラ第41回定期演奏会の映像です。バッハ作曲「二つのヴァイオリンの為の協奏曲」第1楽章。この曲は多くのアマチュアヴァイオリン奏者が演奏を楽しむ定番曲です。
 独奏を誰にするか?と言う難題を抱えます。じょうずな人が良いと言う安直な答えではありません。「子供の健全な育成・音楽の普及」を目的として活動するメリーオーケストラです。子供たちが精いっぱい練習し、多くのお客様の前・多くの大人演奏者の前で演奏する緊張感に耐え、弾き終えた達成感を感じてもらうことが一つの目的です。さらに、聴いてくださる方が満足できるクオリティも、音楽の普及という目的達成のためには不可欠です。この一見、相反する二つの目的を達成する補法とは?

 一つは演奏する子供たちに「演奏する責任と演奏する楽しさ」を体感させることです。この二つのバランスが取れていないと成長にはつながりません。
責任感だけでは子供が長く演奏を楽しむことになりません。
楽しいだけでは聴いてくださる方々に対して失礼です。
この両面を子供に体感させるためには、年単位の時間が必要です。
一度覚えれば一生忘れることのない感覚になります。
「できない」「ひけない」で諦めさせない練習。
「これでいい」「もうだいじょうぶ」という妥協をさせない。
「本番で失敗しても大丈夫」という具体的な解決策を示す。
「舞台では主役になる」準備と演出を行なう。
これらをすべて考えて子供の成長を見守ります。

 もう一つは演奏の完成度=クオリティの意地です。
聴いてくださる方々に「身内の発表会」と思われたら終わりです。
あくまでも「オーケストラの演奏会」を楽しんで頂くことを忘れません。
アマチュアだから…
「下手でもいい」と言う甘えの上に立って演奏するのは間違いです。
「うまくひきたい」「満足してもらいたい」気持ちが第一に必要です。
無料のコンサートなんだから、下手でも仕方ない…なんて絶対あり得ません。
コンサート会場に足を運ぶことだけでも大変な労力と時間が必要です。そのことを演奏者は忘れてはなりません。
 今回のように子供がソロを演奏する場合、当然ですが本番で失敗するリスクを伴います。たとえ練習よりうまく弾けたとしても、さらに高い満足感を感じてもらう気持ちが必要です。
 昔から私が用いる手法の一つに「独奏の二重化」と言う方法があります。
ヴァイオリンのソロに限らず、打楽器の目立つソロ部分、フルートやオーボエのソロ部分を「主役」となる演奏者と「アシスト」を担当する先輩演奏者のペアで演奏します。「それでは若手が育たない」と思いがちですが、先輩や上級者・指導者の「サポート」を感じることは問題ありません。むしろ、演奏の責任を強く感じさせるためにも有意義です。そのアシストがない場合、「失敗すればお客様が疑問に感じたり不満に感じる」ことを理解させることも必要なのです。
 今回の演奏会では、独奏の二人に加えてプロのヴァイオリニストお二人に、ファースト・セカンドヴァイオリンの2番(トップの隣)で演奏してもらいました。これも練習時に試し、独奏の子供たちにも確かめさせました。映像を見ると、子供ソリストの向こう側で同じ動きをしている演奏者が見えると思います。
 子供が演奏するピッチとプロのピッチが合わないのは仕方ありません。
それでも子供たちにとって「必要」なアシストです。

 「初めてのおつかい」と言う番組があります。幼児が自宅から初めての買い物をする様子をたくさんのカメラスタッフが追いかけながら撮影する番組です。「やらせ」の部分も見えますが、それでも子供にしてみれば不安な気持ち、怖い思いをしていることは本当です。さらに子供の安全を見守るテレビ局の責任もあります。これとメリーオーケストラの「仕掛け」が重なって見えます。
 アマチュアにプロのような演奏技術を求めるのは間違いです。
一方で、アマチュアをプロがアシストすることで演奏のクオリティが高まり、聴く人の満足感が格段に高くなることも事実です。さらに演奏するアマチュアも、プロの演奏者と一緒に演奏する感動を体感できます。

 演奏するアマチュアとプロの演奏を、聴く人も楽しめるなら、こんなに素敵な演奏会はないと思うのです。特にプロの演奏者は「交通費」だけで参加していることも特筆すべきです。利益のための演奏ではなく演奏することは、プロにとって「特別」なことです。いつもいつもこの演奏では生活できません。
しっかり演奏への対価を得る演奏会も絶対に必要なのです。
そのための「土台=地盤」である音楽のすそ野を広げることに従事してくれるプロの仲間に敬意を表したいと思います。。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

歌詞がなくても歌に聴こえる音楽

 映像はメリーオーケストラが演奏する「いのちの歌」
作曲は村松崇継さん、作詞はMIYABI=竹内まりあさん。
昨年末、今年年明けに実施した私と浩子さんのデュオリサイタルでは、ヴィオラとピアノで演奏しました。
 今回、メリーオーケストラ第41回定期演奏会で演奏しよう!と決めてから、ホルン奏者で編曲のお仕事もされている音楽仲間、田中大地さんにいつものように(笑)アレンジをお願いしました。演奏会当日まで、すべての楽器が揃う事がないので、毎月一度の練習時にその場にいる楽器メンバーで、リズムと音の確認作業をし続けました。原曲=オリジナルの演奏が多数あります。
様々な歌手が歌う動画をたくさん見つけられます。
それぞれの歌手が、それぞれのアレンジで演奏しています。
ピアノをひきながら歌う人、ピアノと弦楽アンサンブルで歌う人など。
ただ、歌のない状態=インストゥルメントで演奏している動画はあまり見受けません。歌詞のすばらしさが先行しているのかな?いやいや!メロディーとハーモニーが素晴らしい!間奏も素敵な転調をしています。
 こうした「歌もの」と呼ばれる楽曲を、歌なしで演奏すると歌詞を知らなくても「美しさ」を感じる音楽があります。このいのちの歌もそのひとつです。

 

 こちらは、昨年末にヴィオラとピアノで演奏した「いのちの歌」に歌詞を入れた動画です。同じ曲、同じキー=フラット5つの調性ですが、オーケストラの演奏と全く違う味わいがあると思います。どちらが良い?のではなく、個性が違ってきます。
 オーケストラの特色は…
・音色が多彩=楽器の種類が多い
・音量の幅=小さい音と大きい音の差が大きい
・パート数が多いため、複雑な副旋律・対旋律を作れる
・アンサンブル=調和を取るために指揮者が必要
 などです。では?ヴィオラとピアノだと?
・旋律楽器=ヴィオラの繊細な音色・音量の変化が浮き立つ
・ピアノとヴィオラ2種類の音色で聴きやすい
・指揮者が不要
どちらが簡単…とも言えません。

 いずれの演奏も歌詞はありませんが、音だけを聴いていて感じる「風景」が、歌詞の内容を見事に表しているように感じます。
 器楽の演奏で「歌う」と言う言葉を使うことが良くあります。「歌うように弾く」は、歌詞を感じてひくこととは違います。もちろん、歌詞のある楽曲を楽器で演奏する際に、歌詞を思いながら演奏することもありますが。
 楽器を使って歌うとは、自分が自分の声=言葉で、相手に自分の意思を伝えようとする「ような」器楽演奏だと思っています。感情のない言葉や、意味のない声でしゃべっても、誰も魅力を感じないと思うのです。それは楽器で演奏する時も同じです。
 語りかけるように歌う
 訴えるように歌う
 喜びを歌う
 悲しみをこらえて歌う
ただ「歌う」と言っても様々なシーンがありますね。
楽器を演奏している時に感じる感情を、表現するのがテクニックです。
間違えずに演奏するのがテクニックだと思い込んでいる人がいますが、それは「メカニカル」です。機械のように正確に演奏できると言うのは、現代で考えれば「いくらでも機械で速く間違えずに何度でも演奏できるよ」と言う結末に落ちます。
 歌がなくても、詩の内容を知らなくても、美しい音楽を演奏することは可能だと思います。難しい「分析」や「歴史」を知らなくても、聴いた瞬間に鳥肌が立つような=弾きこまれるような演奏は出来るはずです。演奏者が自分の「感じたもの」を表現するテクニックさえあれば。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

アマチュアオーケストラの演奏技術とは?

 映像は、メリーオーケストラの演奏するオペラ座の怪人。
この音楽に限らず、ミュージカルや映画、ドラマなどのために作曲された音楽がたくさんあります。それらの映像を見たり、ストーリーを知っている人もいます。当然、見たことがない、ストーリーも知らないという人もいます。
 その人たちが同じ音楽を聴いて感じるものも違って当たり前です。
「この音楽はこんな場面の音楽」と言う関連を知らなくても音楽だけを聴いて、勝手に想像することができるのが「音楽」の楽しみでもあります。
 逆に言えば、音楽を聴く前にその音楽が使われたり、作られた「背景」を知ることで、新しいイメージが生まれて楽しめることもあります。
 どちらも「音楽の楽しみ方」として正しいと思っています。

 楽器を演奏する楽しさと難しさは、実際に演奏しなければ実感できないのは当たり前です。聴く楽しみとは違う次元の楽しさが体感できます。当然、演奏するための技術を身に着ける練習が必要です。練習して初めて、難しさと楽しさを実感できます。思っていたよりも難しいことを発見することもあります。
 独学で身に着けられる限界も、実際に練習してみなければわかりません。
練習して自分で納得できる演奏ができるまでの時間は、練習の質=内容で大きく変わります。練習方法は無限と言えるほど、たくさんあります。
 ある人が上達できた練習方法が、他の人にも効果的とは限りません。
一人一人の生活環境と目的によって、最適な練習方法を選んでくれる指導者が必要です。

 オーケストラで演奏するメンバーは、一人一人の演奏技術が違います。特に、アマチュアオーケストラの場合には、その差は「初心者」から「専門家レベル」まで様々です。プロオーケストラの場合は、オーディションに合格できる演奏技術を持っている人しか演奏していません。
 メリーオーケストラの場合、演奏会までの約6か月間、月に一度の合奏があるだけです。それ以外は各自が自分のペースで楽器の練習をします。言ってみれば「メンバー任せ」です。演奏技術が人によって違い、練習できる時間も千差万別、それでも一緒に演奏することに全員が「満足」できる充実感と達成感を維持する秘訣とは?

・演奏会での成功経験~達成感
・合奏練習で得られる連帯感~音楽仲間との交流
・必要で正しい演奏技術の指示~プロ演奏家による合奏指導
・お互いの環境を認めあう優しさ~練習意欲の喚起
・持続できる運営~資金面、指導体制の構築
これらは、私自身の経験に基づいています。
公立中学での穏やかで和やかな音楽部活動、師匠の門下生による合宿での合奏、音楽高校・音楽大学で学んだ専門的技術と合奏、プロのオーケストラででエキストラとして演奏した経験、20年間の中学・高校での教諭として勤務した経験、さらにメリーオーケストラを20年間育ててきた経験、自分が今も音楽に関わっていられる現実と過去、それらすべてが「アマチュアオーケストラの指導」につながっています。

 演奏している人が楽しんでいなければ、聴いている人が楽しいはずがありません。音楽は学ぶものではなく、感じるものです。だからこそ、演奏を楽しむための「スキル」が必要だと思っています。オーケストラは家族に例えられます。また、社会にもたとえられます。多くの楽器と、さらに多くの人が同じ音楽を演奏することは、一人で演奏することに比べて膨大な労力と準備が必要です。
家族が助け合うように、社会が支えあうように、オーケストラはお互いの演奏者を必要としています。誰か一人が書けただけでも、元気がなくなります。苦しみを共有できなければ、楽しみを共有することは出来ません。
 メリーオーケストラは、いつも新しい賛同者を待っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介