メリーミュージックブログ

演奏家夫婦が優しく丁寧に指導

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楽器・弓

ヴァイオリンとピアノのコンサートに求められるものは?

 映像は私のヴィオラと浩子さんのピアノで演奏した「はるの子守歌」渋谷牧人さんの作品です。過去、色々な場所で演奏させてもらっている素敵な曲です。
 今回のテーマは「ヴァイオリンとピアノ」と書きましたが、ヴァイオリンに限らず、ピアニストと「もうひとり」の演奏者が開くコンサート…多くはクラシック音楽のコンサートですが、お客様が期待するものってなに?と言うテーマです。

 日本中、世界中で毎日のように、にどこかで開かれているクラシックコンサート。
演奏する人数も楽器も様々です。演奏者「1名」ですべての曲を演奏するコンサートもあれば、100名にもなる大オーケストラの演奏会もあります。
 私たち夫婦の「デュオリサイタル」も含めて、演奏者「2名」のクラシックコンサートの場合、多くは「ピアノ」ともう一人の演奏者による演奏です。
 ピアノは「一人だけで楽曲を完成できる楽器」でもあります。現実に、ピアノ1台だけで演奏する曲は、多くの演奏形態の中で、もっとも作曲された数の多い「演奏スタイル」です。
 ピアノと比べて、ヴァイオリン「1丁」だけで演奏できる楽曲は、バッハやイザイなどの作曲家によるものがありますがピアノの曲数に比べると、桁が二つは違います(笑)

 ヴァイオリンとピアノ、ヴィオラとピアノで演奏される「音楽」にお客様が期待する「楽しさ」や「美しさ」「安らぎ」「喜び」がきっとあります。
もちろん、ピアノ一台だけでもオーケストラの演奏でも同じ「期待」があります。
 ピアノだけで演奏する音楽に、ピアノ以外の「音色」は交わりません。
オーケストラの演奏には、数多くの異なった音色が複雑に交わります。
ヴァイオリンとピアノで演奏する場合は2種類の楽器の音色を同時に、時には別々に聴いて楽しむことができます。
 ヴァイオリン・ヴィオラの演奏は、ピアノとどのように溶けるのでしょうか?
言い換えれば、お客様の耳にはどんな「音=サウンド」として聴こえているのでしょうか?
 クラシック音楽は「楽譜に書かれた音」を音楽にする場合がほとんどです。
演奏者が変わると、聴く人にとって「音楽」は変わるものなのでしょうか?

 コンサートで聴く音楽は、CDや動画と違い生きた演奏者が目の前で演奏しています。つまり「一度だけの演奏」です。その生演奏を聴くお客様が、これから演奏される「音楽」を他の演奏者の演奏で聴いたことがある場合と、初めて聴く場合の両方があり得ます。前者の場合、今日の演奏は自分の知っている演奏と「何かが違う」事に期待があるはずです。もちろん「楽譜=曲」が好きで楽しみにしている人もいらっしゃるでしょう。
 後者の場合、どんな音楽に出会えるのか?という期待があります。中には作曲家の名前に期待する人、曲のタイトルで音楽を創造する人もおられるでしょう。演奏者の「ファン」でどんな音楽であっても「その人の演奏が楽しみ」と言う人がおられる場合もあります。

 ヴァイオリンとピアノで演奏する音楽の「個性」について考えます。
・演奏のテンポと音量の変化
・二つの楽器の音量のバランス
・そぞぞれの楽器の音色
・ふたりの演奏者の「一体感」
始めの点亜、すべての演奏に共通する項目でもあります。
ピアノとヴァイオリンは「音色の種類」が全く違います。
 ピアノは「打弦楽器」ヴァイオリンは「擦弦楽器」
この音色の違いは、例えるなら「食感の違い」です。
ピアノでもヴァイオリンでもそれぞれに「微妙な音色の変化」もありますし、楽器固有の音色=個体差もありますが、構造的に音を出す原理が違うので、全く同じ高さで同時に演奏しても「聞き分け」が容易にできる組み合わせです。
 ピアノが「口に入れてすぐに溶ける食感」だとすれば、ヴァイオリンは「長い時間口で溶けない食感」に例えられます。
 ヴァイオリンtおチェロの演奏なら、両方の音色が容易に溶けます。
音色のまったく違う楽器の組み合わせで演奏する「二重奏」の場合には、聴く人にとって2種類の異なった食感を同時に味わっている感覚に似ています。

 先述のように同じ楽譜を演奏した場合の「違い」が必ずあります。
その「違いの分かる人」は他の演奏と比較できる人ですよね?
演奏者(たち)が、他の人の演奏を全く知らないケースも十分にあり得ます。
他人の演奏を知らなくても自分(たち)で音楽を考えながら、造り出せます。
敢えて個性を出そう・人と違う演奏をしようと思わなくても良いのです。
自分が演奏する楽曲を初めて聴いた人の心に残る演奏を目指すことが何よりも大切です。
他方でひとりでも多くの人に喜んでもらえる演奏をしたいと思う気持ちも大切です。自分(たち)の解釈と演奏が突飛で違和感のあるものか?それともえ多くの人に受け入れてもらえる解釈・演奏なのか?を知るためには、演奏者自身が多くの演奏を聴き比べることも重要だと言えますが、自分(たち)が好きだからと言って、多くの人が好きだとは限りません。
 楽譜を素材として考えれば、料理にもたとえられます。
同じ場所で同じ時に釣られた「鯛(たい)」を、
和食・中華(この中でも様々)・フレンチ・イタリアンなどの専門料理人が溶離したら?まったく違う食べ物が出来そうです。さらにその中でも「独創的」な料理法や味つけをするひともいるでしょう。「伝統的な調理法」と「革新的な調理法」があることになります。音楽と似ていますよね。
他人の作るものと同じものを真似て「そっくり」に作れる人って存在するでしょうか?。多くの人に支持される「味=演奏」の特徴を見抜き、再現するためには、真似しようとする味や音楽「以外」の方法も身に着けていなければ再現できないのです。
 ヴァイオリンで「ハイフェッツ風」「シェリング風」「オイストラフ風」「スターン風」「クレーメル風」「ギトリス風(笑)」多くの個性的な演奏解釈・奏法があります。その「特徴」と「技術」を完全に模倣できる人は恐らくいないでしょう。それぞれのヴァイオリニストがいくらお弟子さんに教えたとしても、その人「間隔」「聴こえ方」はどうやっても伝えられないものです。
 職人と呼ばれるひとたちが口にする「最後は勘」と言う言葉からもわかります。ストラディバリウスのヴァイオリンと同じ音色の楽器を完全に再現できないように、最先端の科学技術で解析しても「答えが出ない」ことこそが個性だと思います。言い換えれば、「マネできること」「再現できること」は「個性」ではないのです。

 最後にお客様が期待する「ふたりの演奏」について。
価値観の違いでまったく違う結論が出ますが、私は初めてその曲を聴くお客様にも何度も聴いたことのあるかたにも「満足」してもらえる演奏をしたいと願っています。突飛でもなく、ありきたりでもない演奏です。抽象的(笑)
 もう少し具体的に言えば、短調でも長調でも、速い曲でもゆったりした曲でも、静かな音楽でも気持ちが高揚する音楽でも、「心地よく聴ける」音楽を目指します。料理で言えば、バランスの取れた味つけで、辛すぎず甘すぎず、様々な料理の食感、温度、味つけに飽きさせない組み立てをすることです。
・クラシックマニア(ファン)でなくても、リラックスして楽しめる演奏。
・すべてのプログラムを聴き終えて、「腹八分目」で後味の良い量と内容
・ヴァイオリンやヴィオラ、ピアノの微妙な音色の変化を楽しめる曲
などなど…出来たら良いのですが(涙)一生かけても実現は難しいことです。
 コンサートが始まる前から、演奏が終わって会場を後にするまでの「時間」がお客様にとって快適で幸せな時間なら、帰り道に鼻歌の一つも(笑)でそうですよね。それらをすべて含めたものが「魅力」だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

理想の演奏とは?

 映像はマキシム=ヴェンゲーロフの演奏するシベリウス作曲ヴァイオリンコンチェルト。
 今回のテーマは人それぞれに違う「理想」を考えるものなので、正解を探すものではありません。考え方を変えれば「理想の演奏は存在しない」とも言えます。常に自分にとって「理想」が同じものだとは限りません。それは演奏に限ったことでもありません。生き方だって、時によって理想は変わるものです。
 「理想と現実」と言う言葉も良く使われます。この言葉を使うとき、多くは「できないと感じた時」に使われます。自分の思った通りに事が進まない時、たとえばテストで100点を取りたくて毎日毎日勉強したのに…それが90点だったとしても「理想は100点」で「現実は90点」だったことになります。
 テストの点数のように、目標が客観的で達成できたか?出来なかったかを判断できる場合もありますが、目標=理想がイメージだったり抽象的な場合には、達成できたかどうかを判断することは困難です。基準=ボーダーラインが明確でない目標は、達成できたと言う感動も薄いものです。

 自分にとって理想の演奏と出会えることは、とても幸せな事でもあります。
ヴァイオリンの演奏に絞って考えた時、世界中に多くのヴァイオリニストが過去にも現在にも存在します。これからも新しいヴァイオリニストが誕生し続けます。その中のひとりに自分がいます。アマチュアでもプロでも「ヴァイオリンを演奏する人」であることに何も変わりはありません。
 自分が知る限りのヴァイオリン演奏者の「演奏」を、すべて生で聴くことは現実的に不可能です。昔ならレコードやFMラジオで聴く。現代ならCDや動画、配信で音楽を「見たり聞いたり」できますが、生の演奏を聴くことができない演奏も当然あります。自分の「理想」とする演奏を言語化すると、どうなるのでしょうか?

 一言で「じょうずな演奏」とまとめてしまうのは簡単ですが(笑)、どんなことが「じょうず」なのかが問題ですよね。少なくとも、自分よりじょうずだと思える演奏に限られます。つまり自分のできないことが「できている」演奏がじょうずに思えることになります。
・正確に演奏できる
・速く演奏できる
これ以外は「じょうず」と言うよりも「好き」と言う概念に含まれます。
たとえば…
・綺麗(と感じる)音が出せる
・強弱の変化、テンポの設定が「好き」
・演奏する姿が美しい(と感じる)
などなど。あくまでも主観的な好みの問題です。
 自分に足りない技術が「現実」にあり、出来るようになりたいと思う演奏が「理想」だと言えます。当たり前ですね(笑)だとすれば、練習して「できるようになる」事は、常に理想を現実にしようと努力していることになります。
 つまり、自分の演奏に足りないことを探し続けることが、理想の演奏に近づくために絶対に必要なことだと言えます。

 演奏しない人の「理想」と、同じ楽器を演奏する人が感じる「理想」は根本的に違います。
 演奏しない人にとって、何が難しいのか?さえ知らないのですから、ただ単に「好み」を基準にしているだけの理想です。それはそれで良いのです。
 難しさを知っている分野の「理想」があります。その分野が演奏でもスポーツでも、物造りでも同じことが言えます。知らない人が簡単そうに思うことが、実は難しい…良くありますよね?ヴァイオリンを演奏したことのある人が体感する「難しさ」があります。自分の知らない難しさも当然あります。その難しさを見つけることが上達に直結します。「簡単だ」「できた」と思った時点で成長は止まります。「上には上がある」のです。それが現実なのです。

 自分の演奏に自分で満足できない…いたって当たり前のことです。
だからこそ、自分よりじょうずと思う人の演奏に「理想」を重ねるのです。
自分の演奏と、じょうずな人の演奏の「違い」を具体的に見つけることができなければ、理想に近づくことは出来ません。先述の通り、自分に足りない技術を見つけるのはとても難しいことです。ただ「うまくひけない」と悩むだけでは解決しません。自分が気付かない無意識の癖を探し、思い込みで正しいと思っていることを意図的に変える試みをしながら、意識していなかったことを意識する…
 自分にとって「理想の演奏」は自分にしか実現できません。
常に現実を見つめながら「改善」を繰り返すことが、理想への道なのかな?と思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

指揮者って?

 映像は2010年8月のメリーオーケストラ第18回定期演奏会での「モーツァルト ピアノコンチェルト」を浩子さんのソロで演奏したときの「レア」な映像です。

 メリーオーケストラで現在「指揮者」を務めておりますが、わたくし「専門」はヴァイオリンとヴィオラの演奏でございます。そんな私ごときが「指揮」をできるのか?と言う自問自答?根本的な疑問?について考えながら、私の考える「指揮者とは」と言うお話です。

 「指揮者ってなにをする人?」と言うお話から。
様々な見方、考え方があると思います。指揮を専門にお仕事をされているかたにとっての考え方も色々だと思います。
 子供たちが小学校や中学校で、合唱や合奏の「指揮」をする光景は珍しいものではありません。ブログを読まれている方の中にも「指揮経験者」がおられると思います。中学校・高等学校での教員経験も踏まえて「指揮って?」を考えてみます。

 「指揮者体験コーナー」はメリーオーケストラ定期演奏会の定番でした。コロナでここ数年、実施していませんが。オーケストラを指揮することは、音楽の指揮の中で色々な楽器、たくさんの演奏者を「指揮」するという意味で最も難しい一面があります。合唱の指揮が簡単だとは思いません。吹奏楽の指揮や少人数オーケストラの指揮も違った難しさがあります。
 いずれにしても「音楽」の世界で考える指揮と、「指揮官」で連想される軍隊や集団競技で使われる指揮と、共通していることがあります。
 「集団をまとめる役割」「集団でひとつの目的を達成するための司令塔」
戦いで言えば「軍司」「策士」と呼ばれる、作戦や戦術を考える役割でもあります。
 演奏者を「まとめ」音楽を「まとめ」るための計画を立て、実践するのが指揮者だと思います。野球で例えるなら「コーチ」と「監督」を兼任する「プレーヤー」に似ています。
 演奏するひとたちが「プロ」の場合と「アマチュア」の場合で、指揮者の果たす役割が大きく違います。プロの演奏者を指揮する場合、演奏者の「技量」についての指示をすることは、演奏者のプライドを傷つける場合もあり喜ばれませんし、必要もありません。一方で、学生やアマチュア演奏者を指揮する場合には、演奏技術を伸ばしながら音楽を作る「指導」が必要です。
 アマチュア演奏者に足りない技術を具体的に指摘し、解決方法と練習方法を示すことができなければ、指揮者の注文はただの「絵に描いた餅」にすぎません。
 どう演奏すれば、どんな音・音楽になるのかを説明する能力です。
つまり「アマチュア演奏者の指揮をアマチュア指揮者が指導できるか?」ということです。「それこそ!アマチュア精神だ」と考えるのはあまりに浅はかです。
 その昔、高校オーケストラの全国規模イベントに参加した際、当時の文部省の「おえらいさん」がリハーサルを終えた夜のレセプションで挨拶されました。
「演奏が子供たちなら、指揮も子供がしたほうが良い」との仰せでした(笑)
 聴こえるかもしれない声で「だったら授業も生徒がやれば?」と独り言を言ったのは。私です(笑)音楽を知らない、指揮者の役割を知らない人にとって、ただ腕を動かして「踊っている」のが指揮者に思えるのでしょう。さすが!文部省!

 私はヴァイオリン・ヴィオラと言う楽器しか演奏できません。
チェロもコントラバスも、フルートも…数あるオーケストラの楽器の中で、演奏できるのはたった2種類。その他の楽器の中には、音も出せない楽器があります。それでもアマチュアオーケストラの「指揮・指導」ができるのか?
 演奏できなくても「上達のための正しい演奏方法」は学びました。
本で読むのではなく、実際にプロの演奏家の指導する言葉、演奏を観察し覚えました。どうすれば?どうなるのか?と言う「引き出し」をたくさん作ることが指揮者の仕事です。アマチュアの演奏技術は、個人差がプロの比較にならないほど大きいのです。練習できる環境も違います。そのひとりひとりのプレーヤー「できること」を教えなければ、いつまでたっても上達しません。
 20年間、ゼロから始めて150人の大オーケストラを育てた中で、本当に貴重な体験をしました。多くの子供たちと共に学びました。
 指揮法について最後に書きます。
世界中に様々な「指揮法」があります。どれが正しいとは誰も言えません。
演奏者が「わかりやすい指揮」もあれば「引き込まれる指揮」もあり、一方で「どこに点があるのかわからない」指揮や「音楽と無関係な動きで邪魔」な指揮もあります。それでも指揮は指揮です。
 音楽高校、音楽大学時代に数多くの「指揮者」の指揮でオーケストラを学びました。その先生方の多くは「斎藤指揮法」と呼ばれる指揮法で指揮をされていました。中には違う指揮法で振られる指揮者も当時はおられました。
 指揮者は「指揮の技術」で、自分の表現したい音楽を演奏者に伝えるもの?でしょうか。どんなに優れた指揮の技術を持っていたとしても、その「指揮法」を演奏者全員がすぐに理解できるとは思えません。人によって違うのが指揮法です。指揮者によって違う「音を出してほしい点」の出し方が違います。指揮者によって、その点と音がずれたことを許容する人と全く許容しない人がいます。
演奏者が指揮者の「個性」を知り、演奏者に「指揮者の意思を伝える」のが練習であり「信頼関係の構築」です。
 カリスマ性の高い人が指揮者に向言えていると言われます。演奏者に対して「低姿勢」な指揮者は演奏者に「なめられる」とも言います。私も若いころ、そう思っていました。事実、子供たちを指揮する時に「お山の大将」になりきることを第一に優先していました。それは必要なことでもありました。特に大人に対して反抗的な年齢の思春期世代を相手に「指揮」をするという事は、大人相手とは違った「動物的な上下関係」も必要でした。
 もっと小さな子供や、自分より年上のアマチュア、音大生、プロの前で指揮をするようになってから「笑顔で練習できる」指揮者になりました。たまに切れますが(笑)以前のような「威圧」は出来ないし、不要になりました。

 どんなオーケストラであっても、演奏者がひとつの音楽を奏でることに変わりありません。アンサンブルと同じです。ふたりで演奏するのなら「相手」を相互に理解するだけです。それが80人になれば、お互いを完全に理解することは理論的に不可能です。「誰か」の考えにみんなが合わせるしか方法はありません。ある意味では「独裁的」でもありますが、人間関係がなければだれも演奏しませんから「独裁者」は指揮者になれません(笑)オーケストラと指揮者の理想的な関係は「対等」であるべきです。人数比率で言えば「指揮者:オーケストラプレーヤー=1:80~100」です。指揮者はプレーヤーの一人一人を「理解」する努力をし、演奏者は指揮者をより深く理解しようとする努力をするべきです。
 指揮者は演奏者のために指揮をします。演奏者は?聴衆のために指揮者に合わせます。それが「対等」な関係を生み出すための「関係性」だと思っています。
 私は、指揮者の名前をつけたオーケストラが嫌いです。それを提案した人の「思い」があったとしても、受け入れて指揮をする指揮者には寒気がします。そこまで?崇め立てられたいのかな…と思います。断れば済むのに。
 最後にネガティブな内容で申し訳ありませんでした。
お読みいただきありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

演奏家と言う職業

 映像はデュオリサイタル3で演奏した、パデレフスキ作曲の「メロディー」
今回のテーマは演奏家が「職業」つまり演奏することで生計を立てることについて、過去現在と将来について考えるものです。

 まず「演奏家」と言う職種について考えます。
楽器を演奏し、その演奏を聴く人が対価としてお金を支払い、演奏家が演奏料=ギャランティを受け取ります。その際に聴衆が支払ったお金が、丸ごと演奏者のお財布に入ることは、ほとんどの場合ありません。「え?中抜き?」(笑)そんな悪い(黒い)お話ではありません。演奏に係る「経費」があるのです。経費の他に演奏者以外の団体が利益をえることも珍しくありません。音楽事務所と契約した演奏家が、事務所が企画し開催したコンサートで得た「利益」は主催者たる事務所の利益です。その中から演奏者へのギャランティーが「経費」になる場合です。さらに、演奏家自身が主催するコンサートでも会場を借りて、ピアノなどの楽器も借りてコンサートを開く場合には、使用料金をホールに支払わなければなりません。これが経費になります。

 舞台や映画、テレビなどで演技をする「俳優」と言う職業も、演奏家に近い形で生計を立てます。もちろん主役を演ずる人と「脇役」の一人の場合に支払われるギャランティーは、大きく違います。舞台でも映画でも、巨額の経費が掛かります。演奏会よりもはるかに高額です。映画の製作費が「●●億円」なのは珍しくありませんよね。クラシックコンサートの「製作費」は?おそらく高くても「●千万円」、通常は「●百万円」、地方の会場でこじんまりと…なら「●十万円」、すべての企画・宣伝を自分で行い自分で演奏したら「十●万円」かな(笑)それらのお金は、聴衆・観客から総額で、いくら入ってこようが、一円ももらえなくても(涙)支払う義務がとうぜんあります。「終わってから」で済まされるものではありません!←なぜか怒りがこみ上げた(笑)

 プロスポーツ選手の場合には、契約する団体からの給与や契約金、懸賞金、報奨金などで生活する人がほとんどです。自分で試合を企画する「個人」はまずいません。相手が必要ですから(笑)
 サラリーマンと近い形の「給与」で生活する演奏家やスポーツ選手が多い中で、「個人契約」できる一部の演奏家・スポーツ選手もいますがごく一部です。

 演奏家に関して考えると、その昔は「宮廷音楽家」として演奏するか、貴族や富豪の「お抱え楽士」として演奏し生活するしか手段がない時代がありました。
大衆がそれらの演奏を聴くことさえ出来ない時代が長くありました。
大衆は教会で音楽を聴く以外、自ら手近なもので「伴奏」をして歌い、踊るしかなく、それさえ「下劣だ」と制約を受けた時代がありました。
 それでは今後の演奏家は?どうあるべきなのでしょうか?

 音楽を「聴く」文化は、時代・地域によって大きく違います。
現代で考えれば「国民の経済的なゆとり」と「政治の仕組み」がもっとも大きく文化に関わります。国民の平均収入が極端に少ない国や地域で「クラシック音楽」どころではないのは当たり前です。また、頭の弱い政治家が戦争で地位と権力を守ろうとすれば国民が未ミスできるのは「音楽」ではなく「爆発音と悲鳴」だけです。そこには文化は存在できません。
 個人の演奏家がどんなに努力しても「先立つもの」がなければ、コンサートを開くことは出来ません。「事務所に所属すれば?」いいえ。事務所は利益を見込めない演奏家に仕事を与えません。「認めてもらえる実力をつければ?」それも非現実的です。今現在、国内だけで考えても「●●コンクールで優勝」した人が何百人もいます。大げさな数字ではありません。それらの人たちに加え、さらに毎年のように開かれる「●●コンクール」で優勝する人の中に、何人かの日本人が生まれますよね?その人の分、誰かが演奏家をやめるでしょうか?定年はありません。どんどん増える一方です。国内でもっとも有名な「日本音楽コンクール」で毎回!優勝者が誕生しています。開催の「間隔」は楽器によって多少違いますが、ピアノ・ヴァイオリンは毎年開催されています。みんな「優勝経験者」
 事務所にしてみれば、その中でも「お金になる人」と仕事をしたいのは当たり前です。ましてや「●●音楽大学を優秀な成績(笑)で卒業」なんて、なんの肩書にもなりません。言ってしまえば、音楽大学に行って卒業したら「プロの演奏家になれる」ともしも公然と言えば「詐欺」だと言えます。それが現実です。
 これから先、演奏家として生きていきたいのならば…
・お金持ちになる
・コンクールで優勝し続ける
・組織の一員になるために「コネ」を探す
・頭を使う
私なら最後の方法しか(笑)お勧めしません。
 ただ楽器を演奏できるだけで生活できる時代は終わりました。
その人の「能力」が問われる時代です。音楽の知識だけを必要とする「社会」ではないのです。
 聴いた人人が喜んでくれるから、お金を払ってくれる。
配信で音楽を聴くのは「無料」の現代。音楽配信に課金をするメリットはほぼ皆無です。配信では楽しめないことがなければ、演奏会にお金を払ってまで会場に来てくれる人に期待するのは無理です。
 「配信しなければ来てくれる?」それも無理です。配信はいわば「広告塔」です。さらに言えば公平に与えられた「宣伝空間」です。そこに登場することは今後「当たり前」のことでもあります。その中で個性があり、動画で感じられないものを感じたいと思わせる「魅力」が必要です。
 どんな商品でも「魅力」がなければ売れません。演奏家を商品に例えるのは「無礼だ」とお怒りになる方もいますが、俳優であれ演奏家であれ「魅力」がなければ生き残れないのは当然のことです。演奏家が「演奏がうまい」と思ってもらえる「環境」を考える頭が必要です。自分で考えることができない人は、生き残れません。誰かの力で生き残れる時代ではないのです。
 若い演奏家の皆さん。私も含め「老兵」の思いつかないアイデアで音楽の世界を広げてください。それこそが、クラシック音楽の生き残る最後の道です。
パソコンを使えない高齢指導者に習えるのは「音楽」と「人としての生き方」です。生活の仕方、生き残り方は若い人自身が考えてください。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ターニングポイント

https://youtube.com/watch?v=h0YpPbjqRpA

 上の演奏は、私が高校3年生当時に銀座ヤマハホールで行われていた恩師「久保田良作先生」門下生による発表会での録音です。
 卒業試験前の発表会は「試験のリハーサル」でもありました。
演奏している曲は、ハチャトゥリアン作曲のヴァイオリンコンチェルト第1楽章。ピアノを演奏してくれているのは「あの!笑」清水和音君。
 今聞いて思うのは「練習したね~」

 人それぞれに、それまでの自分の生き方や価値観、感じ方が変わる瞬間があります。後から「あの時」と思い返すこともあります。その「ターニングポイント」は一生のうちに何度も訪れるものかもしれません。
 楽器を演奏することが「趣味」だったり「習い事」の時期がありました。きっと今現在がその段階の人がほとんどだと思います。それはそれで、人生のアクセントとして素敵なことです。大切にしてほしいと心から願います。
 本人の「やる気」とは別に親の思いや周囲の人の期待があります。特に子供の場合には本人の意思より、親の気持ちが先行することの方が圧倒的に多いですね。「いやいや練習する」時期を超えた先にあるものは?自発的に練習する「意思・意欲」を持つことです。学ぶ環境によって、大きく変わるのも事実です。
 学校の友達と遊ぶのは、ごく自然なことです。その友達がたとえば「不良」だったら(笑)不良の仲間になることも十分にあり得ます。友達に影響されることも成長過程で必要な体験です。

 私は中学3年生の夏休み頃まで、クラスの友達同様に都立高校を受験するのかな?程度に自分の進路を考えていました。両親は兄への期待と希望に、見事に応えてくれた「兄の進学先」で十分に満足していたのか(笑)私の進学には、ほとんど一言も「期待」を示しませんでしたので、私がそう思っていたのも自然なことだと思います。久保田先生のレッスンで音楽高校の受験を「お試し」程度に勧められたのが、まず大きな「ターニングポイント」でした。それから受験までの期間はひたすら「受験のための」時間でした。
 桐朋女子高等学校音楽科(共学)に入学してからの2年間。私にはただ「場違い」な学校に間違って?来てしまったという思いしかなかった気がします。友達と音楽で「遊ぶ」ことを覚えもしました。年に2回の実技試験もなんとか乗り越えました。自分のヴァイオリンに「自信」のかけらもなく、当然「目標」もありませんでした。一種の「燃え尽き症候群」だったのかもしれません。

 高校2年の終わりに、同門の先輩である小森谷巧(こもりや たくみ)先輩の卒業演奏会で演奏されたハチャトゥリアンに素直に憧れを感じたのを覚えています。ピアノは先輩にとって後輩である(私と同期)清水和音君が演奏していました。自分が高校3年の「卒業試験」を迎えた時期、師匠である久保田先生にハチャトゥリアンに挑戦したいと恐る恐るお伺いを立てました。てっきり「無理だからやめておきなさい」と言われると思いながら。お返事は「やってみなさい。小森谷君に楽譜、写させてもらいなさい」と言う思ってもいなかったお返事を頂きました。
 今現在でも進歩はありませんが(涙)、当時このハチャトゥリアンのような調性が判断しにくく、臨時記号の多い曲は「超」が100個以上つくほど苦手でした。そんな私がこの曲を選んだ理由はただ一つ「先輩の演奏へのあこがれ」だったとしか思えません。自宅で練習しながら、カセットテープに録音しては聞き返し、また練習しては録音し聞き返し。それまで「適当」に練習していた自分とは、まったく違う練習の質と量でした。自分の音に大声でダメ出しをすることに、母親が心配になったのか(笑)私の部屋をのぞき見していたのを覚えています。

 ピアノを和音君に快諾してもらい、卒業試験を終えました。
試験後に和音君が学生ホールで、同期の友人たちに「謙介、うまくなったよ!」と話しているのを聴いて、正直にうれしく感じました。
 試験の結果(成績)には、まったく興味がありませんでした。
それまでの自分の「演奏」と「練習」を考えれば当然のことです。
卒業試験の成績上位者数名が「卒用演奏会」に出演できることは、もちろん前年から知っていましたが自分には無関係の事でした。
 成績が手元に知らされるより先に、久保田先生のレッスン時「よく頑張ったね。卒業演奏会にあと、0.いくつだったんだよ。惜しかったね」と伝えられて驚きました。誰が?と(笑)久保田先生に褒めて頂いたのは、これが最初(で最後?)だったかもしれません。
 自分が出られるとも、出たいとも思っていなかった「卒演=卒業演奏会」当日、当時なんでも話せていた後輩女子君(彼女ではないところがミソ)と都市センターホールに…。途中で引き返したくなった私に、その後輩から「ちゃんと聴いて帰りなよ!」と叱られた記憶があります(笑)
 初めて自分の演奏と他人の演奏を「比較」して、悔しいと思ったのがこの時でした。これが第二の「ターニングポイント」だったような気がします。
 それまで、誰よりもへたな自分を安直に認め、対等どころか上を目指すこともなかった「価値観」が大きく変わりました。俗にいう言葉で言えば「やればできるかも」←かもがつく(笑)

 その後の大学での音楽生活は、自分の演奏に「自信を持つため」の練習だったように思います。そう簡単に感じられるはずもなく、常に挫折感を感じながら。
それでも高校1年生の時のような「無気力」ではなかったように思います。
 成果の出ないような練習ばかり(笑)していたような気もします。
大学4年の卒業試験で、ドボルザーク作曲のヴァイオリンコンチェルトを選びました。誰にあこがれるでもなく(笑)自分の意志で選び挑戦しました。
 卒業試験の結果は、めでたく卒演に選ばれるものでした。
という結果を知ったのが「留年決定!=卒演の出演取り消し!」が決まった卒業認定会議直後、恩師の怒鳴り声で聴いてしまうという「ドラマチック」なオチでした。
 サイテー(笑)
この留年も結果的には私が教員になる布石になりました。もし、あのまま卒業出来て卒演に出られていたら←なにを今更。教員にはならずプロオケにアシスタントコンサートマスターとして入団していたはずです。そのお話も留年と共に立ち消えました←当然(笑)結果、翌年に偶然張り出された「教員公募」に応募し、なんの間違いが?採用される運命になるわけですから、今の生活は留年がなければなかったのです!
 …と、胸を張って言えることでもなく。むしろ恥じるべきことですし、親に迷惑をかけたことを悔やみます。
 そんなわけで、生徒の皆様も「いつか」ターニングポイントがあるかもしれません。その時に「やっておけばよかった」と後悔しないためには、今練習するしかないのです。頑張れ!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

オーケストラメンバーのソロ演奏

 動画は、桐朋女子高等学校音楽科(共学)で3年間同級生だった、元男子現おぢさん(笑)チェリストの金木博幸(かなきひろゆき)君の演奏動画です。
 高校入学当時、彼は札幌から単身上京し「男子寮」とは思えない「豪邸」に暮らしていました。4人部屋、古い民家の2階部分。トイレは1階にある一か所のみ。台所健洗面所が2階に一か所。窓の外には、美しいどぶ川。夜中にうるさくしていると、一階の大家さんが電気のブレーカーを落とす。この男子寮に私は入りびたり、3年間を過ごしました。この男子寮からは、多くのソリスト、音楽家が巣立ったことも書き添えておきます。

 高校在学中から学年唯一のチェロ専攻でもあった金木君の演奏は、いやがうえにも注目されていました。当時、桐朋は「チェロの学校」と思えるほど、チェロ専攻のレベルが高く、金木君もご多分に漏れない技術でした。
 高校2年でベーシックオーケストラからレパートリーオーケストラに「昇格」し、3年であっという間にマスターオーケストラに上り詰めました。
 高校時代からカルテット(弦楽四重奏)やピアノトリオを一緒に演奏して遊んでいました。同学年の仲間、後輩ともアンサンブルを楽しみました。高校生ながらお仕事を頂き、八ヶ岳などで演奏もさせてもらいました。
 卒業後、ピアノトリオを札幌で…と言う計画が、諸々あって流れてしまって以来、一時(かなり長い期間)交友が途絶えました。
 その後、彼が留学し帰国した際に現在の東京フィルハーモニーに入団しました。主席チェリストとなってからも、ソリストとしての活動を継続していることも素晴らしいことです。

 さて、多くのプロオーケストラが国内外に存在します。
2015年現在のプロオーケストラ(室内楽団)一覧です。

【日本オーケストラ連盟加盟のプロオーケストラ】
NHK交響楽団
大阪交響楽団
日本センチュリー交響楽団
大阪フィルハーモニー交響楽団
オーケストラ・アンサンブル金沢
神奈川フィルハーモニー管弦楽団
関西フィルハーモニー管弦楽団
九州交響楽団
京都市交響楽団
群馬交響楽団
札幌交響楽団
新日本フィルハーモニー交響楽団
仙台フィルハーモニー管弦楽団
セントラル愛知交響楽団
東京交響楽団
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
東京都交響楽団
東京ニューシティ管弦楽団
東京フィルハーモニー交響楽団
名古屋フィルハーモニー交響楽団
日本フィルハーモニー交響楽団
広島交響楽団
兵庫芸術文化センター管弦楽団
山形交響楽団
読売日本交響楽団

【日本オーケストラ連盟(準会員)のプロオーケストラ】
京都フィルハーモニー室内合奏団
静岡交響楽団
東京ユニバーサルフィルハーモニー管弦楽団
テレマン室内オーケストラ
中部フィルハーモニー交響楽団
ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団
奈良フィルハーモニー管弦楽団
ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉
藝大フィルハーモニア管弦楽団
岡山フィルハーモニック管弦楽団
瀬戸フィルハーモニー交響楽団

【室内プロオーケストラ】 
いずみシンフォニエッタ大阪
紀尾井シンフォニエッタ東京
神戸市室内合奏団

 2022年現在、統合合併したオーケストラもありますが、ずいぶんたくさんありますよね!ただ…これだけのプロオーケストラがあっても、毎年音楽大学を卒業する弦楽器・管楽器・打楽器専攻の卒業生を受け入れられる「受け皿」にはなりません。演奏家の供給過多の状況が長く続いています。卒業生のほとんど一部、卒業後にさらに何年も「アルバイト」をしながら練習し続けても入団できない人の方が圧倒的に多いのが現実です。その意味では「選び抜かれたひとの集団」であるはずですよね?現実は?

 楽器を演奏して生活する人を「プロ」と定義するならば、クラシック音楽の世界で「オーケストラプレーヤー」と「ソリスト」が代表的なプロです。
それ以外に数人の「アンサンブル=室内楽」で生活できる人も少数います。
ソリストが一番少ないのは言うまでもありません。多くの場合、ソリストは「音楽事務所」に所属しています。事務所がコンサートを企画することもありますし、事務所が演奏の依頼を受ける窓口になりソリストを派遣する場合もあります。いずれにしても、ソリストと呼ばれる演奏家は、明らかに演奏家の「頂点」だと言えます。

 聴く人の好みとは別に、プロの世界では「集客力」が演奏者の実力になります。それはオーケストラでもソリストの場合でも同じです。有料のコンサートに、どれだけの観客を集められ、どれだけの収益をあげられるか?が問われるのがプロの世界です。広告に使う費用も含め、すべての経費よりも「収益」が多くなければ、演奏家への方種は払えません。当たり前です。
 プロオーケストラの場合、正規団員には「給与」が支払われ、エキストラには「日当+交通費」が支払われます。正規団員になれば、定年までの終身雇用をするプロオーケストラがほとんどです。その「給与」だけで生活できない額しか支払われないオーケストラも存在します。さらに正規団員数を減らし、エキストラの人数を増やすことで人件費を抑えることがプロオーケストラでは「日常的」におこなわれます。
 一言で言ってしまえば「オーケストラの多くは赤字経営」です。
演奏会に来てくれる人が年々減っています。定期会員になってくれる観客の平均年齢が上がり続けています。若い人の「クラシック離れ」が止まりません。
 それでも国内に「どんだけ~」な数のプロオーケストラが存在するのはなぜ?
需要があるのならわかりますが…。

 クラシック以外のポピュラー音楽の「ライブ」や「ドームコンサート」に、何千人、1万人規模の観客が集まる現状があります。ライブチケットの料金は安いものではありません。それでも人が集まります。アイドに特別な「個性」があるとは言い切れません。日本のオーケストラにも「個性」は感じられません。単純な話、オーケストラが多すぎることが最大の問題だと思います。
 また音楽大学も多すぎると感じています。音楽大学の質も問題です。卒業後にプロの演奏家として、十分な能力を身に着けていない若者を毎年輩出し続ける音楽大学の責任も問われるべきです。
 クラシック音楽の「プロ」を育てるために、需要=観客数に見合った数のオーケストラと卒業生を考えなければ、「プロになれない卒業生」が増え続け、観客の取り合いを続けることは変わらないと思います。
 

 最後に日本のプロオーケストラメンバーの「演奏技術」について。
正直に書けば「格差が大きすぎる」気がします。金木君のようにソリストとして通用する演奏魏zy通を持っている人が、どれだけいるでしょうか。特に「高齢の団員」に疑問を持っています。終身雇用のデメリットが表れている気がします。
 能力よりも年功序列。前回のブログ「音大教授の世代交代」と同様に、オーケストラ団員の平均年齢を下げ、定年年齢を下げ、給与をあげること。
「非正規雇用」のエキストラを減らしてやっていけるオーケストラが生き残ることが、残酷なようですがこれからのクラシック音楽業界には必要なことだと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

クラシック音楽の演奏と音楽理論

 ピアノやヴァイオリンを趣味で楽しむ人たちの多くが「音楽理論」と言う言葉に聞きなじみがありません。むしろ「知らない」かたが圧倒的です。
理論と言うと「学問」とか「相対性理論」が連想されるからでしょうね。
 たとえば「ドレミファソラシド」と聴いて、あなたはどれくらいの「説明」が出来るでしょうか?それが「音楽理論」のひとつです。
 ・イタリア語の音名
 ・長音階のひとつ
 ・ハ長調(C dur・C major)の音階
 ・幹音(かんおん)のイタリア音名
他にも関連することはいくらでもあります。
あれ?小学校課中学校で習ったような気がする?
はい正解。義務教育の音楽授業で教えるべき内容は、ごく限られています。
少ない授業時間のなかの多くの時間を「歌唱」と「鑑賞」と「器楽」に費やす内容が指定されています。
音楽理論を「楽典」と言う言葉で表すこともあります。言ってみれば「音楽の知識」です。それらを子供たちに教える「時間」が足りないのが一番の理由ですが、知識より実技!と言う現場教師の意向が反映されています。
 もう一つ、例題です。
 ・四分音符と八分音符を見分けができるか五線に書けるか
 ・長さの違いを説明できるか
「そんなの習ってない」?習ったはずですが(笑)
覚えていなくても小夕学校で「合唱」や「アルトリコーダー」って、やりません弟子か?四分音符の出てこない「楽譜」はなかったはずなんです。
「聴いて覚えたから楽譜は見ていない」人がほとんどですよね?
 つまり「知識」は習っていなくても、歌ったり楽器の演奏はできる!のです。
ん?それでは、音楽理論は「不必要」なのでしょうか?
 

 ユーチューブで「音楽理論」を検索すると、大半はジャズピアノを演奏するひとのための「参考動画」です。クラシック音楽を演奏して楽しむ人を対象にしている動画はなかなか見当たりません。
 ピアノやヴァイオリンを演奏している時、「音」と「運動」だけで演奏しようとする生徒さんがたくさんおられます。気持ちは理解で済ます。
 頭から「理論を覚えなさい」とは言いません。少なくとも私たちのレッスンでは(笑)
 趣味で楽しむ人ならいざ知らず、プロの演奏家を目指す音大生が「音楽理論」を学ばずに卒業している現実があります。すべての音大ではありませんが、実技のレッスン以外は「選択」で卒業単位を修得すれば良い音大が存在します。
 何をかいわんや(涙)
楽器を演奏する人に「音楽への好奇心」がないとしたら?
そのひとの楽器演奏技術が向上することはないと断言します。
好奇心は少しずつ「膨らむ」ものです。自分の好きなことに置き換えれば、すぐに理解できます。
 ゲーム好きな子供は「攻略方法」を探します。これが好奇心です。
お酒が好きなひとは、銘柄の産地、一番合う「あて」にも好奇心を持ちます。
好奇心は言い換えれば「こだわり」です。
音楽理論=知識は、「上達の土台」になるものです。
 ただ、土台だけあっても「うわもの」である演奏技術がなければ、ただの頭でっかちですし、基礎だけで家の立っていない状態です。
 

 楽器に関する知識も好奇心が膨らめば、自然に知りたくなるはずです。
先述の通り、音楽理論は特別に難しいことばかりではありません。
たとえば、物の長さを測る単位があります。重さをはかる単位があります。
それぞれに多くの単位があります。国や職種によって変わるもの「センチ・インチ」「メートル・フィート」「グラム・ポンド」「センチ・尺間」など多くあります。
 音の長さを表す単位は「秒」ではありません。比率で表されます。
四分音符:八分音符=1:2
ご理解いただけましたか?これも音楽理論です。
「♯=シャープが付くと半音高くなる」
小学校で習ったはずです。多くのアマチュア演奏家も答えられます。
では「半音を説明して」と問われたら?
・鍵盤で一番近い「隣同士の鍵盤」との「音の高さの差」
・いオクターブを12等分したうちの、一つ分の「幅」
・全音の半分の幅
などなど。「めんどくせぇ」(笑)と主輪うかもしれませんが、これを理解しないで楽器を演奏している人は、野球のルールを知らずにボールを投げ、バットでボールを打つことを野球と言うのと大差ありません。

 音楽の知識を学ぶことは、楽器の練習とは違います。むしろ言葉や文字で、音楽の「ルール」を理解することです。音楽理論の多くは、数学的な考え方が主になります。先ほどの「比率」もそうですし、「音の高さ」「高さの差」にしても理科で習った知識が大いに役立ちます。音楽を分析する時には「文法」に近い考え方も必要です。音楽の速さを表す言葉の多くはイタリア語です。フェルマータを「程よく伸ばす」と中学で教えますが、本来の意味は「停車場」です。その意味を理解したほうが、フェルマータの「感覚」を掴めますよね。
 知識は覚えただけで使わなければ「机上の空論」です。宝の持ち腐れです。演奏に役立てるか?はその人の考え方一つです。
 ぜひ、冒頭に掲載した「楽典」を一度、読んでみてください。「専門家になるつもりはない!」と言うひとも、きっと演奏しながら「これか!」と思うことになります。「好奇心」こそが上達の秘訣です。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介
 

なぜ音楽を楽しむ文化が根付かないの?

 映像は「鏡の中の鏡」と言う曲名の音楽です。曲名だけ聴いても想像できる光景があります。音楽自体も、メロディーが「裏返し」に映っているように感じます。

 今回のテーマは音楽家にとって、共通の「命題」かも知れません。
音楽家だけの努力で解決できる問題ではない部分も多くありますが、まずは私たち音楽に関わって生活している人間が考えることはたくさんあると思います。
 クラシックに限らず、音楽を聴くことが生活の中にない人が殆どです。
ヴァイオリンやピアノを習いに来ている生徒さんでさえ、普段は音楽を聴かない…好きな音楽も特にないという人が大多数です。「そんな人はコンサートに来ないんだから関係ない」では済まされない問題だと思います。

 演奏する人間にとって、聴いてくれる人がいなければ職業として成立しません。当たり前のことです。
 演奏家の多くは、幼いころから長い時間をかけて練習し、時には折れそうになる気持ちに耐えながら「勝ち残った」と言う自負がどこかにあるものです。そのこと自体は素晴らしい事でも、誰かに聞いてもらわなければ努力も報われません。評価を受けることさえ出来ません。

 私たちが生きるために必要な「衣食住」とは別の「趣味」があります。言ってしまえば「なくても生活できる」事、物です。
 「車」を例に考えてみます。興味・関心のない方も、ちょっと我慢して読んでください(笑)
移動手段としての「自家用車」は、人によって必要度が違います。都心の駅近くに住んでいるひとにとって必要度は低いはずです。家族の介護に必要なひともいます。高齢でも自家用車がなければ、生活が困難な場所に住んでいるひともいます。それらの「必要度」が低くても高くても「車が好き」な人とそうではない人がいます。
 運転することが好きなひと。磨き上げて眺めるのが好きなひと。カスタマイズして個性化することが好きなひと。オフロードを走るのが好きなひと。速い車にエクスタシーを感じるひと…などなど様々です。

 登山やキャンプが好きなひとも多いですよね。健康維持のためにというひとも含めて、アウトドアで何かをすることが趣味の人もたくさんいます。
テニスやスキー、野球やサッカーを趣味で楽しむひとたち。
囲碁や将棋を趣味にするひとたち。旅行や食べ歩きが好きなひとたち。
読書や美術館で静かに過ごすのが好きなひとたち、写真を撮影するのが好きなひと、お酒を飲むのが大好きなひとたち…
 趣味の世界は本当に幅広く存在します。それらを「職業」にする人もいます。
プロのスポーツ選手、プロの登山家、プロの棋士、プロカメラマン、旅行評論家、料理研究家、ソムリエ、美術品の鑑定士など「趣味」で楽しむ人とは明らかに一線を画す「専門家」でもあります。

 趣味にもブームがあるのは事実です。話題になったスポーツが流行るのは昔にもありました。古くはテレビで「赤胴鈴之助」が放送されると、剣道ブームが起こりました。「柔道一直線」で柔道ブーム、「アタックナンバーワン」と「サインはV」が放送されるとバレーボールがブームになりました。「巨人の星」で野球、「キャプテン翼」でサッカー。「のだめカンタービレ」で一瞬!(笑)オーケストラに注目が集まりました。

 今はテレビ離れが進み、映画も「大ヒット」が少なくなりました。
大衆音楽の業界で考えても、テレビ文化の影響が大きかった昭和の時代には「国民的アイドル」と言う言葉がありました。今やアイドルは「オタク」のひとたちの専門分野となりました。世代を超えてに流行する音楽も消えました。

 プロとして認められる「視覚」のある将棋を除き、ほとんどはプロの死角は明確ではありません。音楽で言えば演奏したり指導をして「報酬」を受け取れれば「プロ」と言えることになります。支払う側にしても基準のない演奏や指導にお金を払っていることになります。もっと厳密に言えば「演奏」だけで生計を立てられれば「演奏家」、「指導」だけで暮らせれば「指導者」だとも言えます。

 最後に上記の色々な「趣味」を分類してみます。
「屋外で楽しむ趣味」
・各種のスポーツ・登山・キャンプ・旅行・美術鑑賞・写真撮影…
「室内で楽しむ趣味」
・楽器の演奏・読書・カラオケ・囲碁将棋…

「ひとりでも楽しめる趣味」
・登山・キャンプ・旅行・楽器の演奏・読書・美術鑑賞・写真撮影…
「誰かと一緒に楽しむ趣味」
・各種競技スポーツ・登山・キャンプ・旅行・楽器の演奏・囲碁将棋…

「独学で楽しめる趣味」
・旅行・キャンプ・読書・囲碁将棋・写真撮影・美術鑑賞…
「習って楽しむ趣味」
・楽器の演奏・各種スポーツ・登山…

「初期の投資金額」
美術鑑賞<読書<旅行<囲碁将棋<スポーツ・登山・写真撮影・楽器の演奏

「楽しむ度に係る費用」
インドアの趣味<アウトドアの趣味

もちろん、上記には例外が多くあります。購入する用具や機材・楽器の金額はピンからキリ(笑)ですし、旅行先(近隣・海外)や方法(豪華客船・ヒッチハイク)でも違います。
 楽器の演奏に注目して考えると、
「室内で楽しめる」
「ひとりでも誰かとでも楽しめる」
「初期投資は必要(金額は様々)」
「習うための費用が必要(レベルによる)」
「子供でも高齢者でも楽しめる」
など、他の趣味と比較しても、多くの面で「誰でもいつでもどこでも長く楽しめる」趣味だと言えます。「楽器が高い」と言う先入観、さらに習うのにお金がかかり、習いに行くのが大変…がマイナスイメージですね。
 多くの人が自分の趣味にかける「お金」には寛容です(笑)
家族のことになると突然厳しくなったりもします。
高額な車・カメラ・スポーツ用品・キャンプ用品などに係る金額は、楽器より高いものも珍しくありません。
国内旅行で3拍4日…飛行機とホテル・食費だけでも、一人あたり5万円では厳しいですよね?年に2回旅行すれば単純に10万円。
それぞれの「価値観」です。一概に「高い・安い」は決められません。
 楽器の演奏を趣味にする人が増えることを願う人間のひとりとして、
1.「楽器は高い」イメージの払しょく。
2.「趣味で演奏できる音楽」をプロが浸透させる。
3.習ってひける「レベル=難易度」を明確にする。
4.合奏する「受け皿=環境」を用意する。
5.親しみと憧れを感じられる「プロの演奏家」であること。
「音楽は楽しい」ことを広め、浸透させたいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

合同演奏会(複数団体演奏)で感じること

 映像は、その昔神奈川県内の私立公立高校からの融資メンバーによる弦楽+打楽器による演奏です。毎年夏に行われている「全国高等学校文化連盟総合文化祭」…長い(笑)と言うイベントでのものです。この時は徳島県だったかな…。
多くの団体が出演する演奏会。演奏する側も見る側も、運営する側も通常の演奏会とは違う「面白さ」「大変さ」と同時に「留意点」があると思っています。
 何よりも「自分たちだけ」ではないことを、すべての出演者が同じ感覚で理解することが絶対に必要です。演奏技術の優劣、演奏人数の多い少ない、人気のあるなし(笑)などを一切排除して、すべての出演団体が「平等」でなければ合同演奏会の本質を失います。

 教員として働いていた横浜市緑区で、近隣の高校の吹奏楽・管弦楽の合同演奏会絵画行われていたころの話です。その演奏会に初めて参加した当時、私の勤務していた学校オーケストラは、まだ出来て数年目。人数も50人ほどだったと思います。生徒たちを引率し、楽器トラックを私が運転して会場入り(笑)。
決められた時間通りに、各学校が舞台でリハーサルを行い、また決められた演奏時間内で本番の演奏を行う「約束」がありました。
 そんな中で、近隣で「うまい」とされていた公立高校吹奏楽部の「顧問」が、その約束を「ガン無視」して悠然と延々とリハーサルを長時間行い、そのため開演時間は遅れ、挙句本番でもプログラムに書いていない曲まで演奏する始末。
 私の勤めていた学校以外の高校生徒たちは、「あの学校だから…何も言えない」他の顧問教員たちも「あの顧問は●●連盟のおえらいですからね…」とだんまり。許せなかった若僧の私は、公然と抗議しました。予想通り「なに?文句あるの?へ~」聴く耳持たずの変人に、それ以上話す気もなく、それ以後の演奏会では打ち合わせ時に「リハーサル・演奏時間の平等厳守」を会議に提案し以後、その学校もぶつぶつ言いながら従っていました。。ちなみにその学校吹奏楽部は、顧問が定年退職した翌年、コンクールで地区予選落ちして部員数が10名ほどに激減し舞台から消えました。

 さすがに全国でのイベントとなると…と思いきやそうでもなく(笑)
意図的にではない「アクシデント」や「運営のトラブル」でスケジュールが遅れることは仕方のないことです。一度きりのぶっつけ本番ですから当然です。
 それを考慮して自分たちのリハーサルを、短時間で終える気持ちが「マナー」だと思っていましたので、どんなに大人数で参加する時でも(確か徳島でも)私が指揮する団体のリハーサルは、前の出演団体からの「入れ替え確認」と「座る位置の確認」「演奏できるスペースがあるか確認」が終われば「次の団体との入れ替え確認」つまり、演奏はしませんでした。
 今のメリーオーケストラと「真逆」(笑)の超高速リハーサル。
回りの関係者や他校・他県の先生たちから「良いんですか?」「申し訳ない」「ありがとう」と言う言葉をかけられました。
 本番でも予定時間内ではありましたが、動画の「ヘアースプレー」を演奏する前に、チャイコフスキー弦楽セレナーデの終楽章を演奏しましたので、その曲間を1秒でも短くすることを、予め演奏する生徒たちに伝えていました。
動画の冒頭部分を見て頂くと、前曲に演奏した弦セレの拍手が鳴っている時にすでに私は演奏者の方に向き直っているのがわかります。そして、生徒たちもすぐに楽譜を入れ替えています。ヘアースプレーの出だし、チェロとコンバス、ドラムとティンパニーなので、そこだけ確認し「じゃーん」(笑)
ドラムの池上君、そのあと座り直してます(笑)

 演奏している本人たち同士が「譲り合う」気持ちは客席で聴いている人にも伝わるものです。当然のこととして、どこかの団体だけが長く演奏すれば「どうして?」と言う疑問を持つ人もいます。「うまいと思っているから?」「人数が多いから?」後味の悪い印象を残してしまいます。アマチュアのコンサートにうまいもへたもありません。人数が多ければ「すごい」と言うものではありません。
色々な演奏を楽しく「聴き比べられる」ことを第一に考えて演奏するべきです。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ヴァイオリンはクラシック音楽を弾く楽器?

 映像は私が、ぼかしを全体に入れました。お許しください。
演奏しているのは典型的な「ロックバンド」にヴァイオリンソロの女性が加わっているものです。偶然に見つけた動画です。
 今回のテーマである「ヴァイオリン」という楽器は、いわゆる「クラシック音楽」だけに使用する楽器なのか?と言うお話です。

 先に申し上げておきますが、私はクラシック音楽を学んできた人間の一人としても、また音楽を聴くことを趣味としている人間としても、クラシック音楽というジャンルについて「つまらない」とか「古臭い」とは1ミリも思っていません。当然、ロックやポップスを「軽い音楽」とも思っていません。
 ヴァイオリンと言う楽器が、400年近い歴史を持つ古典的な楽器でもあり、その楽器のために多くの先人たちが音楽を作ってきた「歴史」を否定することは、誰にもできません。それを前提としてお読みください。

 この動画の演奏は、明らかにヴァイオリンに「収音」するための装置を付け、電気的に音量を増幅=大きくした上に、音色にも電気的な加工が加えられています。ただ、元のちゃんとした(笑)映像を見る限り、ヴァイオリンを演奏している女性は、クラシックの演奏技法を学び、相当の技術レベルに達している奏者であることは間違いありません。おそらく「クラシック音楽のヴァイオリン演奏を専門的に学び、全く違うジャンルの音楽を演奏している人」です。
 日本人のヴァイオリニストでも、何人もこの系統の演奏者がおられます。
私の良く存じ上げている先輩にもいらっしゃいます。
 間違った先入観を持たれないために付け加えますが、「この手」の演奏者が全員、クラシック音楽で「食えない=プロとして技術不足」で、この道に進んでいるとは「限りません。」限らない…と書いた裏に、正直に申し上げて私が「そう」感じる人も少なくないことも書いておきます。
 「クラシックの演奏で生活できる技術レベルにないから」ポピュラー音楽の演奏家に転身することを、悪いとは思いません。その人の考え方の問題です。クラシック音楽を演奏することや聴くことが好きな人が、それらの人を悪く言うのは「優越感」に浸りたいからだと思います。

 ピアノの演奏で考えれば、クラシックに限らず多くのジャンルで使用される楽器であり、電気的なピアノは常に進化しています。
 打楽器でも、管楽器でも、声楽でもクラシック音楽の演奏技法を学んだ人が、違うジャンルの音楽で活躍している姿は珍しくありません。
同じ楽器を使って、まったく違う「種類」の音楽を演奏することを、否定するのは間違っています。単純に「好き嫌い」の問題でしかありません。
クラシック音楽とハードロックの、音楽的な違いがあります。その違いを演奏者自身が理解していることと、本人が本当に「ハードロック」を好きなのか?という根本的なことが「プロ」としての前提だと思っています。
 趣味でヴァイオリンを演奏する人が、ハードロックを好きでも不思議でもなく、なんの問題もありません。その人が、好きなハードロックをヴァイオリンで弾きたいとも宇野は、いたって自然なことです。
 単純に考えて、電気的に音量を増幅しないヴァイオリンでドラムやエレキギターと一緒に演奏しても、ヴァイオリンの音はまったく!聞こえません(笑)
 クラシックの演奏スタイルと違う「音響空間」でヴァイオリンやピアノ、管楽器を演奏する場合の特別な知識と、特殊な技術をもった「スタッフ」がいなければ演奏は成り立ちません。違う「芸術」だと言えます。

 常に音楽の演奏取り巻く環境は変化しています。クラシック音楽を演奏する「ホール」も昔とは違います。クラシックでも聴く楽しみ方は変わり続けます。
伝統的な演奏スタイルを継承することも、文化や芸術を後世に伝える意義があります。
他方で実験的な試みや社会のニーズに合わせた変化に対応する能力・考え方も大切です。
時代によって上記のどちらかに偏ることもあります。
新しいスタイルや文化は「古い=伝統的な」ものがあってこそ新しいのであり、古いものを捨ててしまえば、新しいものも生まれ育ちません。
 クラシック音楽のヴァイオリン演奏方法を伝承しつつ、新しいスタイルに挑戦すること、それを許容することが延いてはクラシック音楽の演奏を残すことにもつながると思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 ※ぼかし加工のない元動画URL
https://www.youtube.com/watch?v=E2hZDzJp9Pc

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介