メリーミュージックブログ

演奏家夫婦が優しく丁寧に指導

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楽器・弓

練習できない期間(ブランク)なんて怖くない!

 今回のテーマは「ブランク」について。
多くの生徒さんが「忙しくてあまり練習できませんでした」とおっしゃいます。
中には生徒さんが幼いころ習っていて、何年・十何年・何十年ぶりでレッスンを再開されるケースも珍しくありません。その「楽器を練習していなった期間」をブランクと呼びます。ブランクをあたかも「悪いこと」のように語る人がいますが、プロであれアマチュアであれ「ブランク」はあって当たり前だと思っています。むしろあった方が良いとさえ思っています。

 上の映像は15年前のデュオリサイタル「1」で演奏したドボルザークのロマンティックピースです。決して上手なヴァイオリンではありませんが、このリサイタルを開くまでの私の「ブランク」をご紹介することでブランク恐怖症(笑)を克服して明るく練習できることに繋がれば…と思います。

 音楽大学を卒業するまで、師匠に言われ続けていた言葉「一日練習を休むと元の状態に戻るまで二日間かかる。二日休めば四日。わかった?」なるほど!と素直に受け入れ、今でも間違ったお話ではないと思っています。
 問題は元の状態って何?と言うことと、練習を休むことへの背徳感や恐怖心、延いては無理をして義務的に練習することで悪影響をもたらすことにもなります。
 教員生活20年間…私の場合25歳の年に普通科中学・高校の教員となりました。
それまで約20年間、ヴァイオリンを「ほぼ」毎日、練習していましたが教員になったその日からヴァイオリンケースの蓋を開けることは「一年に数回」もしかすると一年間一度も自分のヴァイオリンに触れなかったこともあったかもしれません。ヴァイオリンが嫌になったわけではなく、現実的にその時間がなかったのです。まさしく「20年間のブランク」ですよね。退職時のパワハラで精神を患い、処方されたお薬で命をつなぎながらレッスンをする日が数年間続きました。
 生徒さんに朝10時から夜9時まで、30分刻みで定休日も休憩もなくレッスンをし続けられたのは恐らく間違いなく数々の「お薬」で眠気や疲労感を感じなくなっていたからだと思います。今考えても恐ろしい経験でしたが当時は「普通」に感じていました。ヴァイオリンを教えながら自分が練習することは、それまでの20年間とほとんど変わりませんでした。
 練習する目的を失った日々でした。
その長いブランクから浩子さんとリサイタル…考えられないギャップです(笑)
 リサイタルで演奏する曲を二人で考え、練習をスタートし約1年間をかけて第一回デュオリサイタルを開きました。その時の演奏のひとつが上のロマンティックピースです

 ブランクを「休憩」あるいは「睡眠」と置き換えて考えるべきだと思います。人間は睡眠せずに起き続けると「死」に至ります。最も残酷な拷問方法のひとつです。つまり「休むこと」は人間にとって不可欠な事なのです。
 練習を休むと「へたになる」ことはあり得ないのです。なぜなら「休む」という言葉は、休む前にしていたことを「新しく始める」時に使う言葉だからです。「やめる」とは全く意味が違うのです。もっと言えば休みが死ぬまで続いた場合に「やめた」と言い切れるでしょうか?練習したくても、舞台に上がりたくても「できない」状態になり、その思いを持ったままいのちの火が消えた人…たくさんいますよね?落語家・俳優・音楽家など職業は様々ですが最後の最後まで、本人が思っていた気持ちを「現実にはやめたんだ」と表現するのは人として間違っています。休んでいただけ…なのです。

 ブランクが終わって練習や演奏を再開したときに「リハビリ」から始めるのが一般的です。では楽器演奏の「リハビリ」ってなんでしょう?
 実は私たちが毎日、最初に練習する内容こそが「前日からのリハビリ」なのです。人間は「忘れる生き物」です。生まれてから今までに「見たもの」「聴いたこと」「感じたこと」をすべて記憶することは不可能です。忘れるように出来ています。
 楽器を演奏することと曲を演奏することには「記憶する」と言う共通点があります。「暗譜しなければ記憶はしない」と思うかもしれませんね。初見で演奏する時に記憶していないじゃないか!って?それ勘違いです(笑)
 初見の楽譜を見ながら演奏する時に演奏しながら、次に続けて演奏する音符を「記憶」しつづけながら演奏しています。原稿を読みながらすスピーチする場合も同じです。記憶するのが1行でも原稿すべてでも覚えると言う行為では同じです、長期間記憶する場合と短時間の場合は、使う脳の部分が違う事も科学的に証明されています。
 楽器の音を出す方法は、長期間記憶する脳に記憶されます。
曲=楽譜を演奏する場合の脳は「短時間記憶」が働きますが、何度も記憶を繰り返すうちに「長期間記憶脳」にも記憶が残ります。

 ブランクを開けることの「意義」「利点」は他にもあります。
大きな利点は「自分の演奏する音」つまり聴こえている音を、ブランクの間にリセット出来ることです。「もったいない!」ですか?(笑)
ブランク明けには、自分の音を客観的・冷静に聴くことができます。
 さらにブランクを挟むと、それまで記憶していた、1曲で演奏する一音ずつの演奏方法を再確認できることです。「それこそ!もったいない」と思いがちですが、実際には記憶が薄い「場所」や「身体の使い方」を何度も再確認することは、練習する回数と時間に関わる大切なことです。

 練習できない期間を悪い方に考えないことが大切です。
確かに練習には多くの時間が必要です。ただ楽器に向かって音を出すことだけが練習ではないのです。身体と脳を休めることも練習の一部です。それができなければ、いずれ筋肉が疲労で疲れを感じなくなる現象「マラソンハイ」の状態になり最悪の場合は身体を壊します。脳を休めないと、自分の演奏を客観的に聴いたり、運動が無意識になって再生性が極端に下がる結果になります。同じ場所を何度も練習するうちに「出来るように案った!」と喜んでいたのに、一休みしたり翌日にはまた!ひけなくなっているのは、これが原因の場合がほとんどです。
 ゆったりした気持ちで楽器の演奏を楽しみましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

アマチュアオーケストラの理想と現実

https://www.youtube.com/watch?v=a75bMKSOiug&list=RDa75bMKSOiug&index=2

 映像はNPO法人メリーオーケストラ第42回定期演奏会より、チャイコフスキー作曲ピアノコンチェルト第1番より第1楽章。ソリストは高校時代・大学時代の同期で現在フェリス女学院大学で教授を務めている落合敦氏。
 昨年夏の定期演奏会後に、この曲のソリストを引き受けてくれない?と相談したところ快諾してくれた恩人でもあります。
 言うまでもなく、ピアニストとしてこの曲が体力的にも精神的にも難易度の高い曲であり、オーケストラとのアンサンブルも極めて高度でち密なものが求められる曲です。多くのクラシックファンにとってもアマチュアピアニストにとっても、あまりにも有名すぎる子の曲をメリーオーケストラが演奏してしまいました(笑)

 さて今回のテーマは、アマチュアオーケストラが演奏会に臨むまでの練習や演奏会で「理想」とされる事と「現実」のギャップを考えるものです。
 アマチュアオーケストラの演奏技術レベルは様々です。それこそがアマチュアであることの証でもあります。どんなに簡単そうな曲でもお客様に満足してもらえる演奏をするために、可能な限り練習するのは当然のことです。
 ましてやこのコンチェルトやボレロを演奏するとなると、演奏者に求められる技術は相当に高いものになります。演奏したことのある人にしか理解できない「難しさ」でもあります。少なくともオーケストラで演奏会に参加したことのある人であれば、どんなレベルの演奏に対しても「下手だ」とは口にしません。当たり前ですね(笑)例えるなら、箱根の山を走って登ったことのない人がお正月の箱根駅伝を走る選手を「遅い!なんだこいつ!」と言えるはずがないのと同じです。

 オーケストラの演奏会までに必要な「時間」「費用」「労力」があります。
それがプロであれ、アマチュアであれ最低限必要なものがあり、逆に言えば現実的にできる範囲でしかオーケストラの演奏会は開けないのです。
 オーケストラで演奏しようとする曲に必要な「楽器ごとの演奏者の数」は違います。その人員を確保するために人件費がかかる場合がほとんどです。アマチュアオーケストラの場合はそのオーケストラメンバーの中に必要な楽器の演奏者がいないことが多くあります。ファゴット演奏メンバーがいなかったり、ヴィオラ奏者が一人しかいなかったりと様々です。足りない楽器の演奏者を外部から呼び演奏してもらう場合には謝礼を支払うのが通常です。それはプロのオーケストラ演奏会でもおこなわれています。「エキストラ」と言われる人たちの存在です。
 エキストラを練習時に何回呼べるのか?は人件費を払う資金力で決まります。
二日呼べば二日分の謝礼が必要になります。当然ですよね。
 ソリストを外部の人にお願いする場合も同様です。何回リハーサルを行えるか?はほとんどの場合はお金の問題になります。
 アマチュアオーケストラの運営費用はメンバーが負担するのが通常です。
演奏会時のプログラムに広告を掲載し広告料をもらう…それも一つの方法ですがこの不景気な現代にそんな余裕のあるお店や企業は少なくなりました。
 入場料収入を運営に充てるアマチュアオーケストラもあります。アマチュアオーケストラだから入場料を取ってはいけない!なんて大嘘ですよ(笑)むしろ頂けるならそれが理想ですが、現実には入場料が500円でも!来場者は減ります。
以前にも書きましたがメリーオーケストラは入場無料で演奏会を開いています。
広告収入はNPO法人の定款に書かれていない事業収入になるため基本的には受け取れません。

 半年に一回、定期演奏会を開いています。毎月1日だけ公開練習を実施しています。エキストラ演奏者に参加してもらえるのは演奏会当日、午前中の舞台リハーサルと演奏会の本番だけです。ソリストと一緒にリハーサルを行えるのは本番当日以外、1回が限界です。常にその状況です。練習が少なすぎる!
 会員は全員がアマチュア演奏者です。月に一度の公開練習時に指導者を数人呼ぶのが資金的に限界です。練習会場費、演奏会の会場費や舞台上で使用するすべての機器備品に係る設備使用料もあります。それらの費用を賛助会員の方々からの賛助会費(年会費2,000円)と会員たちの月々の会費3,000円、演奏会参加費を会員たちがさらに拠出して運営しています。それが現実です。
 もっと何回もソリストを呼んでリハーサルをすれば、オーケストラとずれることも避けられます。エキストラ演奏者を何回も呼べれば演奏のクオリティが格段に上がることは誰でも知っています。それは「理想」です。現実の世界で行われる演奏会なのです。出来る範囲で出来ることをするのが現実です。
 メリーオーケストラがいつまで?活動できるのかは誰にも分りません。
今、出来ることを頑張っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ひとつの夢を叶えた37年目のボレロ

 NPO法人メリーオーケストラ第42回定期演奏会が無事に終わりました。
演奏者総数73名、スタッフ11名。そして!来場者450名!!
コロナの影響で落ち込んだ来場者数が続いていました。98名と言うメリーオーケストラ創設以来最小人数を経験したのも、記憶に新しい数年前の事です。
 昨年の夏(8月)におこなった第41回定期演奏会には210名ほどの来場者が戻ってきてくれました。それまで毎回300~400名の来場者だった頃を思いながら、少しずつ明るい兆しを感じていた矢先に450名のお客様が足を運んでくださることを予想できませんでした。
 杜のホールはしもとの定員は520名なので、体感的には「満席」の状態でした。受付を手伝ってくれているスタッフと、主謝意者控室から無線で「開場しました!」「了解です!」のやりとりをいつものように交わし、約15分後に「プログラムが足りません!」との緊急事態。まさか?何かの勘違いかな?
 過去に記憶のない速度でお客様が入場され、当初1階席だけで十分かと高をくくっていた私。慌ただしく2階席を開放し開演直前には416名。その後も増え続け最終的に450名のカウントになりました。

 私がオーケストラの育成に関わり始めたのは、学生の頃でした。
もちろん学生なので指導と言うより「お手伝い」でしかありませんでしたが、各地のアマチュアオーケストラに参加させていただくうちに、アンサンブルの楽しさと運営の難しを体で感じていました。
 大学卒業後に新設された中・高等学校にただ一人の音楽教諭として奉職しました。男子校で中学生高校生が1学園ずつで始まった学校。そこにオーケストラを立ち上げる「夢」を持ちました。授業も会議も初めての経験。それでもなぜか?男子生徒11名と始めたオーケストラ!言うまでもなく(笑)全員が初心者。不思議なことに何も違和感を感じず、焦りもなく、明るき考えていました。
 3年後に6学年の男子生徒が揃った時に、総勢60名を超える立派なオーケストラが出来ていました。まるでマジックですよね(笑)
 4年目に突然「男女共学」になり、中学1年に初めての女子生徒が。
それまで廊下で素っ裸同然で転がって過ごしていた男子生徒たちは?
身の置き場を無くし、オーケストラに20名以上入ってきた中1女子生徒たちがキャピキャピ(笑)と遊び、編み物にいそしみ、読書にふける光景。
 硬派一色だったオーケストラの部員たちは扱いがわからず(笑)
それでも開校5年目に第1回定期う演奏会を開催。以後管理職の悪質な嫌がらせを受けながら、全校生徒数1200名の学校に150名のオーケストラ。8~9人に一人はオーケストラメンバー。みなとみらいホールで演奏会を開きましたが…
「ボレロ」にだけは手が出せませんでした。自分の中では「憧れ」でもあり、「叶わぬ夢」でもありました。
 なぜ?(笑)

 私はモーリス・ラヴェルを「オーケストレーションの鬼才」だと思っています。その象徴たる作品がボレロなのだと感じています。
一曲を通してたった二つの旋律と最後に一度だけ出てくる旋律だけのシンプルさ。さらに二回同じ組み合わせを使わないち密さ。最後に向かって常にクレッシェンドする聴感的なドラマチックな構成と言い、聴く人も弾く人も音楽を楽しめます。
 多くの楽器…サキソフォン2種類・オーボエダモーレ・Esクラリネット・チェレスタ・ハープ・コントラファゴット・バスクラリネット・銅鑼などをすべてそろえて演奏することは現実的に不可能です。何よりも演奏できる人をそろえることが一番むずかいいのです。
 今回の演奏会で私のアマチュアオーケストラ指導人生、25歳から62歳になる今年までの37年間をかけて成し遂げられた夢実現でもありました。
 演奏のレベルはアマチュアオーケストラとしての自己満足に足りるレベルだと思います。何よりもアマチュアとプロが一緒に演奏するオーケストラであり、子供も初心者も参加できるオーケストラは恐らく世界中を見回しても数多くないはずです。その活動が22年間や図まずに毎年2回の定期演奏会を実施し続けて来られたことも、当初私が抱いていた小さな夢…数人の子供たちとプロが一緒に演奏できるオーケストラを作りたいという夢が、大きな花になった気がしています。
 ボレロを演奏で着たら、次は?(笑)
きっとこれからも何か夢を探して。音楽を広めていくんだと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音楽仲間との時間

 映像はNPO法人メリーオーケストラ定期演奏会での「楽器紹介コーナー」
ドボルザークの交響曲第9番を「ネタ」にして、普段オーケストラのコンサートに関心のないお客様にも楽しんで聴いてもらえるように考えたコーナー、
 無茶ぶりにも応えてくれる音楽仲間、アマチュアならいざ知らずプロの演奏家も協力してくれるのが本当に幸せです。小難しい(笑)講釈より楽しいかな?
 こんな素敵な音楽仲間と一緒に舞台で音楽を演奏し、聴いてくれる方に楽しんでもらうことがこのオーケストラを作った理由の一つです。演奏技術をうんぬんするのはプロのオーケストラだけで十分!そもそも入場料無料のコンサート。
 今回で42回目の定期演奏会が日曜日に実施されます。
高校時代の同期ピアニスト、落合敦氏をソリストに迎えてチャイコフスキーピアノコンチェルト第1番 第1楽章で始まり、エビータのメドレー、ラデツキー行進曲。幼稚園の頃からメリオケで演奏してきた兄弟をヴァイオリンとヴィオラのソリストにしたモーツァルトのシンフォニアコンチェルタンテ第2楽章、懐かしいテレビ番組の北の国から。そしてラヴェルのボレロ。
「笑いあり涙あり」とはよく言われますが
「ミュージカルありテレビドラマありコンチェルトありボレロあり」
これを「雑多」とか「邪道」と言うならどーぞ(笑)
私の中ではリサイタルもメリオケも「大人が食べても美味しいお子様ランチ」なのです。美味しいものを、ちょっとずつ食べる「快感」は高級レストランでは味わえません。
 20年以上続けてきたこの活動を継続するために、一人でも多くの方に賛助会員になって支援をお願いします!詳しくは、メリーオーケストラホームページで。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました!

NPO法人メリーオーケストラ理事長 野村謙介

ムジカーザでどこに立つか?

 今回は代々木上原ムジカーザでピアノとヴァイオリン・ヴィオラでリサイタルを開かせて頂いていながら、未だに立ち遺体が決まらない悲しい(笑)お話です。
 最初の動画は5回目のリサイタルの映像。下は14回目(2022年1月)の映像。
ピアニストの右横で少しだけピアニストの背中側になった5回の場合、私は上手側(客席から見て右側)にヴァイオリンのスクロールを向けて立ちます。
ピアニストから私の気配を感じられるぎりぎりの位置です。
 問題は私の視覚障碍「暗所が見えない」ということです。
この立ち位置ならピアニストを視認できるので方向が安定します。
 一方で下の動画のようにピアノの蓋を支える「柱」の辺りに立つとピアニストは視線をあげるだけで私の動きを確認できます。ヴァイオリン・ヴィオラを演奏する私はピアノの音を背中で聴くことができ、客席に届くピアノの音と私の音が「同時に溶けて聴こえる」と言う大きなメリットがあります。が!(笑)
 この位置からだと私の目で視認できるものが「何もない」状態になるので、どちらを向いているのか?わからなくなると言う問題が起こります。さらに、この立ち位置の正面だけでなく左右のすぐ近くにも客席があるため、楽器の向きを変えると極端に聴こえ方が変わってしまうと言うデメリットがあります。

 自分で演奏して自分で聴くことは「分身の述」を身に着けた人か「幽体離脱」ができる人にしか出来ません。演奏しやすさと、お客様への音の届き方。この両立が大切です!さて、どこに立つのでしょうか?当日のお楽しみ!(笑)
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

テンポで変わること

 今回のテーマ、演奏するテンポ=速度によって聴く人、演奏する人それぞれにどんな違いがあるのか?というお話です。
 映像はメンデルスゾーン作曲の五月のそよ風。
私はヴィオラで演奏してみました。下の映像はヴァイオリンでえんそうされているものです。楽器による違いはありますが音域は全く同じです。

 テンポを速めることで音楽の流れと、2小節や4小節と言ったある程度の長さの「音楽の塊=フレーズ」を感じやすくなります。その一方である瞬間の和声の為害性や意図的に半音下げられた旋律の印象が薄くなりがちです。
 人間の感じる時間の長さは、多くの場合脈拍に関係しています。いわゆる体内時計も人間の心拍数に影響を受けているという学説もあります。人によって歩く速さは様々ですが脈拍の速さは、大きな違いはありません。
 むしろ演奏を聴いて感じる「速さ」よりも、なにが?印象に残るか?という事の方が大切だと思っています。ゆったり演奏することで、音色の美しさや和声の美しさが印象に残ります。前に進む流れを優先すれば、一つ一つの文字ではなく内容=意味を強く感じられます。どちらが良い…というものではありません。
音楽によっても、楽器によっても違ってきます。聴く人の好みもあります。
 どんなテンポで演奏するか?は演奏者の伝えたい内容によって変わるものだと持っています。次回1月に演奏するこの局を、どんな速度で演奏するか…
 ぜひ会場でお楽しみください!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音楽と共に生きること

 今回のテーマはすべての音楽愛好者に向けて。
楽器を演奏することも、誰かの演奏を聴くことも「音楽と共に生きる」と言う意味では何も変わりません。音楽が好き…と言う気持ちがある人たちに心から共感します。
 好きな音楽を、好きなときに、好きなように、好きなだけ
これこそが音楽を楽しむことだと思っています。これ以外に音楽を楽しむ方法はありませんよね?楽器を演奏する人が「練習」する場合、必ずしもこれらの「楽しみ」を感じられないことがあります。好きではない練習曲やスケールを練習したり、解放弦やハノンを「好きな音楽」とは誰も思いません。なぜ楽しくもない、好きでもないことを繰り返すのか?答えは簡単「楽しんで演奏できるようになるために」なのです。つまらない・好きではない(笑)練習をすれば必ず音楽を楽しみえるようになるか?と尋ねられたら「そうとは限りません」と正直に答えます。矛盾しているように感じますが、一番大切なのは「楽しんで演奏するために」と言う目的なのです。つまり、ただ練習をしていても目的がなければ、音楽を楽しんで演奏することは出来ないのです。では、つまらない・好きではない練習をすることは無意味なのか?いいえ。つまらないと思ったり、好きではないと思うのは「必要性を感じていない」からなのです。楽しみながら演奏できるようになるまでの「プロセス=道程」を知らないのが初心者です。当たり前ですよね?例えば、ヴァイオリンを練習し始めて1か月の人にとって、経験した練習時間は1か月「分」です。1年練習すれば1年「分」5年練習すれば…楽しんでひけるようになるまでの「期間」に体験したことだけが「知識と技術」なのです。
 どんなに長く演奏を練習しても…私の場合には55年ほど…まだ「道半ば」だと感じています。「55年かかるならやらない」と思わないで(笑)
 演奏して自分が心の底から満足できる演奏には、おそらく誰も到達できません。それでも「楽しい」と思えるのはなぜ?なにが?楽しいのでしょうか?

 演奏する立場で、誰かが聴いて喜んでくれることは、どんなことよりもうれしいことです。自分で「へたくそ」だと思っている演奏でも、聴いてくれた人が「素敵だった」「きれいだった」「昔の風景を思い出した」そんな感想を言ってくれる瞬間に、演奏して良かった。もっと練習してもっとたくさんの人に喜んでもらいたい…と思うのです。それこそが、演奏する楽しみだと思うのです。
 自分の演奏を自分にだけ聴かせる…これは「練習」です。どんなに1曲を通して演奏しても、仮に伴奏があったとしても、聴いてくれる人のいない演奏は「練習」でしかないのです。練習はなんのためにするのか?上にも書いた通り、自分が音楽を楽しむためですよね。その楽しみは?誰かに聴いてもらって、喜んでもらうことです。下手でも良い…とは言っていません。ただ自分が思う「へた」を基準にしてはいけないということなのです。自分より「うまい」と思う人だけが、演奏する楽しみを感じて良い=人前で演奏して良いと、勝手に決めつけているのは自分だけなのです。
 私自身、自分が本当に「へた」だと思い続けています。真実です。
「ならばなぜ?人に自分の演奏を公開するのか?」と思いますよね?
聴いてくれる人の中に、喜んでくれる人が「少しでも」いることを経験で知ったからです。これこそが演奏の経験だと思います。誰もいない部屋やホールで演奏してもそれは「演奏経験」とは言わず「練習経験」なのです。
 純真な子供たちや、見ず知らずの高齢者を前にして演奏させてもらった経験で、本当に喜んでくれている反応を体験しました。1歳児でも認知症の人でも、言葉を失った高齢者でも、自分の好きな音楽を聴くと「無意識に」反応するのです。幼児の場合、首を振って身体全体を動かして喜んだり、じーっと私を見つめ続けたり…。高齢者が音楽を聴きながら涙を流していたり…。
 言葉ではなく人間の一番素直な「感情」が感じられるのが、音楽だと思っています。自分の演奏で、誰かが喜ぶ姿を想像することです。
「私の演奏なんかで喜ぶ人はいない」そう思った人(笑)
それこそが「自己満足」だと思います。
うまくないから人前で演奏しない
もしも、その考えを世界中の人がもってしまったら?
間違いなく世界中で誰も人前で演奏できなくなります。
「私はうまい」と思っている人が世界中に何人?いるか私は知りませんが(笑)少なくとも私の知っている演奏家の中で「自分はうまい」と言っている・思っている人を誰一人として知りません。私が「神のようだ!」と思う人もです。
その人が「自分はうまくないと思うから」人前で演奏しなくなったら聴く楽しみは?なくなります。音楽と共に生きる人も、地球から消えてしまいます。

 演奏すること、音楽を聴くこと。それが生きるために不可欠…だとは言い切れません。人間にとって水や空気、食料のような存在とは違います。
生きている…ということの意味を「心臓が動いている」ことだとする考え方には、様々な異論があります。人間の「意思」「思考」「感覚」がない状態で生命活動がある「生物」を生きている人…と言えるのか?と言う問題です。
その意味でも、音楽を演奏したり聴いたりして「感じる」ことは人間として生きていると実感できる、とても簡単でとても有意義なことだと信じています。
生きることは、感情を感じることだと思います。音楽はその「喜び」を与えてくれる存在だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

演奏の立体感=奥行・広がり

 映像はチャイコフスキー作曲のノクターン。ヴァイオリンとピアノで演奏したものです。今回のテーマは「立体感」です。
音楽は目に見えるものではありませんが、奥行や広がりを感じる演奏と平坦で窮屈な感じを受ける演奏があります。その違いはどこから生まれるのでしょうか? 

 一つには「演奏する音色と音量の変化量」が関係します。
どんなに正確に演奏したとしても、一定の音量と変わらない音色で演奏すれば聴いている人にとって平面的な音楽に感じます。
 一つの音の中でも音量と音色を変化させられる弦楽器の場合と、それが出来ないピアノの場合では少し違います。どんな楽器でも共通するのは、一つ一つの音の「個性」を意識することです。言い換えれば全く同じ個性の音が二つ並んで存在することは確率的にゼロに等しいという事です。

 視覚障碍者の私にとって「コントラスト」の弱いものは見つけにくいものです。また、遠くにある者は輪郭がはっきりしません。音楽に例えて考えると、一つ一つの音の「輪郭」と前後の音との「コントラスト」です。さらに具体的に言えば、同じように「小さく聴こえる音」でも、遠くで鳴っていて小さく聴こえる音のイメージと、耳の近くで鳴っている小さな音は明らかに違うものです。
 広がりについて考えます。これは先述の「遠近」と違い「上下左右の空間」です。例えていうなら狭い部屋で楽器を弾いた時の響きと、残響の長い大きなホールで響きわたる音の違いです。一般的に残響の少ない音を「ドライ」「デッド」と表し、逆に豊かな残響のある音を「ウェット」「ワイド」などと表します。
 演奏する場所の問題だけではなく、演奏に余韻や適度な「間=ま」のある演奏で広がりを感じられます。押し付けた音色や揺らぎのない演奏を聴いていると、窮屈なイメージ・閉鎖的なイメージを感じます。

 オーケストラのように多くの種類の音色が同時になる音楽と、ピアノとヴァイオリンだけで演奏する場合では特に「立体感」が異なります。音の大きさにしても、50人以上が演奏するオーケストラの「音量差」はピアノ・ヴァイオリンとは比較になりません。二人だけで演奏する場合の繊細な音量差と、微妙な音色の違い、一音ごとの輪郭の付け方が、音楽の奥行と広がりを決定します。

 手に触れられないもの。例えば空に浮かぶ雲にも色々な形や色、大きさがあります。雲を絵に描こうとすると難しいですよね?コントラストや輪郭、微妙な色の変化などを表現することの難しさがあります。音楽も似ています。
 手で触ることができるリンゴや草花を描く時にも、実際の大きさを見る人に感じてもらうために他のものを一緒に書き入れることもあります。
 写真で背景や周りのものを意図的に「ぼかす」ことで、奥行や広がりを表現できます。音楽でも際立たせて、近くに感じさせる音と、背景のように感じる音の違いを作ることが重要です。

 難しそうな技術に感じますが、私たちが会話をするとき無意識におこなっていることでもあります。伝えたい言葉を強く、はっきり話すはずです。小声で話をするときには、普段よりゆっくり、はっきりと話すはずです。遠くにいる人に大声で何かを伝える時なら、一言一言をはっきり叫ぶはずです。
 楽器の演奏を誰かに語り掛ける「言葉」だと思えば、きっと誰にでもできることです。文字をただ音にしても意味が通じないこともありますよね?
 あげたてのてんぷら
 きょうふのみそしる
アクセントや間のとり方で意味が変わります。音楽で特定の意味を伝えることはできますぇんが、弾き方を変えることで聴く人の印象が変わることは言葉と同じです。大切に語り掛けるように、楽譜を音にすることを心が得たいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介 

Earthをヴィオラで演奏すると

 映像はデュオリサイタル15もみじホール城山で演奏した、村松崇継氏の作曲された「Earth」をヴィオラとピアノで演奏したものです。
 原曲はフルートとピアノのために書かれているものです。
さらにその曲を作曲者のライブでチェリスト宮田大氏が素敵な演奏をしている動画を見て、どうしても二人で演奏してみたくなり、ヴィオラで演奏できるように、自分たちでアレンジしたものです。
 演奏は未熟ですが、この曲の持つ「守るべき地球」「人間の強さと優しさ」を感じながら演奏しました。村松崇継さんの楽曲は、いのちの歌、彼方の光も演奏させて頂いています。本当に素敵な曲を作られる邦人作曲家だと尊敬しています。
 本来フルートで演奏するために書かれた曲を、ヴィオラやチェロで演奏することを「邪道」と言う人もいます。ただ、演奏する人が「素敵な曲だから弾きたい」と思う気持ちに嘘はないと思います。それを聴く人の感性もまた、楽器にとらわれるものではありません。
 これからもたくさんの曲と出会えるのを楽しみにしています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

15年目の挑戦

 2022年12月18日(日)相模原市緑区のもみじホール城山で、私と妻浩子のデュオリサイタル15を無事に開催することができました。
 ここ数週間、自分が慣れ親しんだ構え方を見直し、大きな(自分としては)改革をしました。結果がどうであれ、自分にとって正しいと思ってきたものに手を入れることには勇気が必要でした。リスクも考えました。「いまさら」と言う気持ちが心を支配しそうになりながら、「いまだから」と言う気持ちで取り組んでみました。
 リサイタル当日までに、自分の筋力の疲れをコントロールしながら、出来るところまで…と言うのが正解ですが、やれることをやった気持ちでいます。
 当然のことですが、楽器の構え方=持ち方=姿勢を変えることは、自分の音の聴こえ方もピアノの聴こえ方も大きく変わります。これが「良い選択」だったのか?は誰にも判断できません。むしろ、自分自身で冷静に観察し続けるしかありません。少なくとも、今まで使って来なかった筋肉がパンパンに(笑)張っていることを考えると、自分の考えていた演奏方法に近かったことは事実です。

 プログラム中の7曲目に演奏したゴダール作曲「ジョスランの子守歌」
ホールの空調(暖房)が弱く、この1曲前が終わったときに、温度を上げてもらうようにお願いした直後の演奏で、まだ左手指が攣りかけています(笑)
 練習で思ったようにはひけていませんが、「目指していたこと」には少し近づいた気がします。特に演奏しながら自分を観察する「引き出し」を増やせたことは、演奏しながら感じていました。おあまりに多すぎて(笑)すべては書けませんが、右手の親指、小指の位置、重心、左手の親指、手首の力、左ひじの位置、楽器と首の接触部、鎖骨下筋と肩当ての接触、背中の筋肉の使い方、膝の関節などなど…。最終的に「音楽」については、自分の記憶にあるボウイング、フィンガリング、テンポ、音色、音量を「その場」で考えながら演奏しました。
 まだ、完全に自分の身体に音楽が入っていない曲でもあり、不安な要素は多々あります。傷もたくさんあります。それでも「やりたかったこと」の一部は達成していました。

 こちらは、ヴィオラで演奏したメンデルスゾーン作曲の無言歌。以前、ヴァイオリンで演奏したことのある曲ですが、ヴィオラで挑戦しました。構え方を変えれば、ヴィオラの音色も以前とは変わります。これも依然と比べ、どちらが良い?とは今の段階で判断できません。陳昌鉉さんの楽器特有の「甘さ・柔らかさ」はそのままに活かしつつ、強さと明るさ、音色のヴァリエーションを増やすことを意識しています。まだまだ練習が足りないのは否めません。

 こちらはアンコールで演奏したシューベルト作曲のセレナーデ。ヴァイオリンで演奏してみました。いつもの私なら迷わず「ヴィオラ!」な曲ですが、今回敢えてヴァイオリンで低音の響きにこだわりました。大好きな曲なのに、実は今回二人が初めて演奏した曲です。歌曲ならではの「フレーズ」を壊さずに演奏することの難しさを感じます。

 来年1月7日(土)代々木上原ムジカーザでのリサイタルでは、同じプログラムをサロンの豊かな響きとベーゼンドルファーの太く柔らかい音色で演奏します。
 それまでに私たちが出来ることを「できる範囲で」やってみます。
お聴きになる方にとって、演奏者の「努力」は関係のないことです。
演奏者のどんな言い訳も通用しません。ただひたすらに「楽しめる演奏」を目指したいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介