ヴァイオリンの発音(アタック)をコントロールする

 映像は10年前。デュオリサイタル5で演奏したチャイコフスキー作曲の懐かしい土地の思い出より「スケルツォ」です。
 今回のテーマは弦を弓の毛でこすって音を出すヴァイオリン・ヴィオラなどの、発音について考えます、
 言葉で言えば「子音」を考えると理解できます。
例えば「あ」は発音した瞬間も伸ばした「あー」も同じです。
一方で「か」は喉の奥で[K」の子音を作り口の形を「あ」にすることで「か」に聴こえます。伸ばせば「あー」になります。
同様に「た」「だ」「ば」「ぱ」「さ」「ざ」など同じ母音でも子音が変われば発音する言葉が変わります。
 ヴァイオリンの子音は「アタック」とも呼ばれます。管楽器の場合には「タンギング」つまり舌の使い方でコントロールすることが一般的だと思います。
 発音する前の「準備」が最も大切です。
腹話術の得意な人は「ま」と言う音を唇を閉じることなく言えるようですが…
普通は唇を閉じなければ「ま」と言えません。
 ヴァイオリンの場合、弓の毛を弦にあてる=押し付ける「圧力」と、弓が動き出す「瞬間」の弓の速度でアタックが決まります。
 言い換えれば音が出た後でどんなに頑張っても「アタック」はつかないのは当たり前です。音が出る前に弓をコントロールできなければ子音をコントロールできません。
 さらに細かく言えば、右手指の柔らかさもアタックの強さをコントロールする要因です。アタックの強い「硬い音」「立ち上がりのはっきりした音」を出そうとして、指を固くしてしまう生徒さんを見かけますが逆効果です。
 指の関節を緩めることでアタックがコントロールできますのでお試しください。
 最後までお読みいただき。ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ピアノとヴァイオリン

 シューマン作曲の3つのロマンスより第2番。原曲はオーボエとピアノのために作曲されています。ピアノは色々な楽器と一緒に演奏される楽器です。
 ヴァイオリンを演奏する立場でピアノの演奏する「音楽」と融合する=溶け合うためには、楽器の特質=音色や構造の違いを理解するだけでは足りません。
 ピアニストとヴァイオリニストがそれおぞに「お互いを共有する」ことです。
自分だけではなく、相手だけでもなく。自分と相手を「一人の演奏者」として認めある事です。音楽の中ではある部分でどちらかが「主導的」で一方が「受動的」になることも必要です。音楽=楽曲をお互いが理解して初めて一つの演奏が成立します。
 演奏の「傷」を恐れるよりも、一緒に演奏しなければ完成しない音楽に喜びを感じることが何よりも大切だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

左手の親指を考える

 映像はデュオリサイタル14で演奏したピアソラのカフェ・ナイトクラブをリメイクしたものです。
 今回考えるのは左手の親指について。
演奏するヴァイオリニストの体形・指の長さ・掌の大きさはすべて違います。さらに筋肉量も人によって違います。楽器の大きさは基本的にミリ単位の違いしかありません。楽器の重さや厚みも大きな違いはありません。
 つまりヴァイオリニストごとに演奏する際に使う関節・筋肉が違うことになります。自分に合った楽器の構え方や弦の押さえ方、弓の持ち方を探すことがとても大切です。その際に左手の親指は、実際に弦を押さえる4本の指以上に大きな役割を持っています。
①弦を押さえる力に反発する力
②楽器の揺れを抑える役割
この二つが親指の役割になります。
A.親指のどの部分をネックにあてるか
B.親指をあてるネックの場所
C.力の方向
この3点を意識します。
親指の指先に近い部分をネックに充てた場合、指の付け根からの「距離」が長くなるために1~4の指先を開く幅を大きくできますが、反面1~4の指先が下方向に力を加えにくくなります。言うまでもなく弦を押さえるためには、指板の「丸み」の中心に向かって力をかけるのが原則です。

一方で親指の「下=手のひら側」例えば親指の第1関節と第2関節の「中間」にネックを当てた場合、弦を押さえる1~4の指は理想的な向きで弦に置くことができます。ただし指を開くこと=1~4の指の間隔をあけることが難しくなります。
 掌が小さい人や指が比較的短い人の場合には、弦を押さえるために「開く力」を強くする必要があります。

 親指の役割は左手の5本の指の中で、実は最も重要なものです。
ネックに触れる指の場所、指の触れるネックの場所を、自分の手の大きさや筋力に合わせて探して決める必要があります。さらに親指の柔軟性は年齢と共に変わります。無理のない親指の位置を探すことは常に必要な事だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

楽器の音を決めるのは演奏者でしょ!

 映像は14年前のデュオリサイタル2で演奏したエルガーの夜の歌。ヴィオラで演奏することを念頭に書かれた曲ですがこの時はまだ陳昌鉉さんのヴィオラと出会っていないのでヴァイオリンで演奏しています。
 さて今回取り上げるテーマは、楽器の音を決めるのは演奏者という至って当たり前の話です。今更なぜそんな当たり前のことを書くのか?
 楽器や弓・弦が音を決めているのではないことを言いたいのです。
当然楽器でも弓でも弦でも松脂でも変えれば音は変わります。ただ最終的にそれらを使って「音」を出すのは演奏者なのです。どんな楽器であっても演奏者が違えば音が変わります。演奏している本人が聴こえる音だけではなく、客観的に演奏者=楽器から離れて聴いた時に明らかに「違う」ことが何故か軽視されています。楽器や弓の「違い」が大切なのではなく、演奏する人の違いこそが「音の違い」を決めているのです。
 楽器や弓を変えることは演奏者にとって「違う身体で歌う」ことになるのです。ピアニストは常にその現実を克服する技術を持っています。
会場ごとに違うピアノで演奏するのですから。
ヴァイオリンは?自分とめぐり合った楽器や弓となぜ?真剣にお付き合いしないのでしょうか?(笑)相手を変えようとするばかりで自分が変わろうとしない人を好きになれますか?ヴァイオリンや弓に「ケチ」を付けて自分の演奏技術は神棚に挙げる演奏者が多いように感じます。どんな楽器であっても、すべての演奏者にとって「最高」なんて楽器は存在しません。さらに言えば、楽器の音が気に入らないからと楽器や弓・弦のせいにする前に、自分の耳を疑う事をなぜ?しないのでしょうか。人間の「聴覚」は日々刻々と変化します。気圧でも変わります。血圧が変われば聴こえ方は全く違います。それを考えず「楽器の調子が悪い」と言うのは間違っているケースがほとんどだと思います。
 楽器を大切にすることと、楽器そのものに手を入れることは意味が違います。
楽器は自分の意志で変わることはできません。楽器に合わせるべきなのは演奏する人間です。
 ぜひ自分の楽器の音を「自分の声=声帯」だと考えてみてください。いじくりまわすよりも。声の出し方を考えるのが先だと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ヴァイオリンの「小技」

 映像はフリッツ・クライスラー作曲のウィーン奇想曲。デュオリサイタル5、杜のホールはしもとでの演奏です。
 ヴァイオリン演奏技法の中で「少し変わった」とでもいうべき技法がいくつかあります。代表的なものでピチカート、スピッカートなどのように弓の毛で弦を擦って音を出すヴァイオリン奏法とは異なる方法で音を出す技法です。その他にフラジオレット=ハーモニクスと呼ばれる倍音を利用して演奏する奏法があります。また2本の弦を連続して演奏する奏法もある意味では特殊なものです。
 本来の奏法でヴァイオリンを演奏することが最も大切な基本技術だと思います。ヴィブラートも基本的な技術の一つです。
 作曲家の狙いがなんであっても、楽譜に書いてあればその指示に従って演奏するのが演奏者の役割です。中には「これ(技法)効果あるのかな」と疑問に思う指示もあります。特に重音の連続でメロディーを演奏する楽譜は「一人で二人分の演奏をする」とも考えられます。
ヴァイオリニストが二人いれば済む話(笑)もちろん、重音の良さはあります。ただその部分を単音で演奏しても…むしろ単音の方が聴いている人に美しく聴こえると感じる場合も少なくありません。
 重音やフラジオレット、サルタートなどの「小技」を速い速度で演奏すると「超絶技巧だ!」と言う方もいますが私には甚だ疑問に感じます。ヴァイオリンの本来の演奏技法で美しい音・美しい旋律を演奏することこそが超絶技巧だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

楽譜に書かれていないこと

 映像はデュオリサイタル14で演奏したピアソラの「タンゴの歴史」からカフェとナイトクラブ。
 楽譜に書かれていないことって?ダウンやアップ?指使い?
もちろん、楽譜によって指使いの指定やボウイングの指定があるものと無い楽譜があります。今回はそれ以外に書かれていないこと…例えば音色やグリッサンド・ポルタメントの有無、微妙な音量の変化や音符の長さの変化についてです。
 楽譜の通りに演奏することがクラシック音楽ん基本でもありますが、他方で演奏者の個性は楽譜に書かれていない「演奏技術」で決まります。極論すれば演奏者の感性とこだわりが発揮されるのが「楽譜に書かれていないこと」です。
 特にクラシック以外の演奏になるとやたらとグリッサンドやポルタメントを多用するヴァイオリニストが増えます。大いなる勘違い(笑)だと思います。グリッサンドすれば「色っぽい」と思い込んでいるのかもしれません。ポピュラー音楽の中で「演歌」でもこのポルタメントは「肝=きも」でしか使いませんよね。ロックギターのチョーキングやアーム奏法でも効果を考えて使います。
 楽譜に書かKれていないからこそ、演奏者の「品」が問われます。下品にならず、かと言って淡白でもない演奏はグリッサンドだけで表現できるはずがないのです。
 バッハの音楽を演奏する時に「しない」事は基本ポピュラーでもしないのが当たり前です。意図的に色を付けるために一種の「効果音」として考えるべきだと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

小品の定番曲?

 映像は今から14年前!デュオリサイタル2杜のホールはしもとでの演奏動画です、二人とも…若いと言うか(笑)当たり前ですが14年年月が経てば見た目も中身(笑)も変わるのが人間です。変わっていないのは使っている楽器ぐらい。
 変わらないものの一つに「曲=楽譜」があります。演奏は言うまでもなく毎回違うものです。今回のテーマ「小品の定番曲」ですが、私たちが演奏する曲は主に「小品」と呼ばれる曲です。厳密な定義はありませんが、小品とは呼ばないものに「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」や「ヴァイオリン協奏曲」があります。編成=演奏人数の問題ではなく、1曲の演奏時間が短い物や、楽章が複数「ない曲」が小品と呼ばれるようですね。
 愛の挨拶はエドワード・エルガーの作品です。エルガーは愛の挨拶の他にも多くのヴァイオリン小品を残しています。またヴィオラのための小品も書いています。ヴァイオリンの小品が演奏されるのは、なぜか?小品ではない曲のコンサートで「アンコール」と言うケースが多いのは事実です。ヴァイオリンの小品は「デザート」的な扱いなのでしょうか?

 多くのヴァイオリンとピアノで演奏する小品を書いたフリッツ・クライスラー。自身が演奏するための曲を作曲し、数多くの作品を残しました。代表作の一つ、愛の悲しみの演奏動画。

 こうした小品を文学に例えるなら短編小説や詩などに近いものがあります。
また食事に例えるならソナタや協奏曲がコース料理で、小品は「一品料理」かも知れません。いずれにしても読む人や食べる人がその時々に選べるものです。
 コンサートで小品だけを演奏するのは、いわゆるクラシック音楽マニアからすれば本来の楽しみ方ではないと言われるかもしれません。演奏する人と聴く人が同じ楽曲構成=プログラムを求めていれば他の人が口を挟む意味はありません。バッハの無伴奏ヴァイオリン曲6曲をすべて演奏するコンサートを「聴きたい」と思う人がいても不思議ではありません。同様に小品だけのコンサートで楽しみたいと言う人もいるはずなのです。
 短い音楽が軽薄で、長い演奏時間の曲が崇高だとは限りません。
小品を組み合わせる難しさもあります。言ってみれば色々な料理を少しずつ楽しめることに似ています。フルコースの料理もあれば、飲茶のような料理もあります。要は食べる人・聴く人のニーズに応えながら期待を超える完成度にすることが何よりも大切なことだと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ヴァイオリンとヴィオラの聴き比べ

 今回のテーマは同じ曲を音じ人間がほぼ同じ時期に、同じ音域で演奏したヴァイオリンとヴィオラの音色の違いです。
 上の映像はデュオリサイタル7で演奏したロベルト・シューマンの歌曲「リーダークライス作品39」を前半はヴァイオリンとピアノ。後半の背景が赤くなっている動画はヴィオラとピアノで演奏しています。
 好みの問題が分かれるのは当然ですが、一般的にヴィオラはアンサンブルやオーケストラで「影の存在」と思われがちです。
 ヴァイオリンより低くチェロより高い音(笑)
そんな印象を受けるヴィオラですがただ単に音域の違いだけではありません。
ヴァイオリンに比べてボディーのサイズが大きく、低音の響きの量と質がヴァイオリンとは全く異なる楽器です。
 同じ演奏者が同じ曲を演奏するとより違いが明確になります。
ピアノと一緒に演奏することで音の熔け具合がわかります。
 ヴィオラ特有の音色は管楽器で言えばホルン・トランペット・コルネット・トロンボーン・チューバ・ユーフォニウムなどとの音色や音域の違いに似ています。サキソフォンでもソプラノ・アルト・テノール・バリトンなどの違いがあることはご存知の方も多いかと思います。
 私は原曲が歌曲の場合にヴィオラで演奏するのが好きです。
ぜひお聞き比べください。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

歌声と楽器の音

 上の映像はヴィオラとピアノで演奏したレイナルド・アーン作曲の「恍惚の時」下はカウンターテノールで歌っている映像です。
 音楽の演奏は「歌」と「器楽」に大別できます。
自然界の音や楽器の音ではない音…例えば金属をハンマーでたたく音を音楽の中に用いたりサイレンの音を用いることもありますが、一種の楽器として考えることもできます。
 歌声=人間の声と器楽=楽器の音に優劣をつけることは不可能です。
それぞれに「できること・できないこと」があって、人間が出せない高さ・低さの音を器楽では出せますが、楽器は言葉を話すことが出来ません。
 よく「〇△は人間の声に一番近い!」と楽器の音を例える人がいますが、根本的に人間の身体を音源にする声楽と、楽器が出す音を比較すること自体が無意味です。人の身体は「生命体」であり楽器はあくまでも「人工物」ですし、身体は部品を交換できません。
 人間の声は音楽の起源でもあります。どんなに古い楽器も人間の声より古くから存在した楽器はあり得ません。
 人間の声は人によってみんな違い、私たちは人の声を聴いて育ちました。
生まれつき聴覚が不自由な人たちにとって「音」は想像でしかありませんが、健常者にとって人間の声は生涯で一番たくさん聴く「音」なのです。無人島で一人生活していたり、独房で誰とも会わず生きている場合は別ですが。
 その声が音楽を奏でることが一番自然な音楽に感じるのは、考えてみれば当たり前のことです。どんな楽器より一番親しみのある音=歌声は唯一無二の存在です。歌う人によってすべて違う声…これは楽器でも同じことが言えますが「好きな声」と「嫌いな声」は不思議なことですが生理的にあるように思います。
 話し方…とは違い、声の質の問題です。その意味では声楽家の場合、持って生まれた「声」で音楽を奏でる宿命ですから、器楽とは全く違いますね。
 楽器の演奏で最も大切なことは「聴く人にとって心地よい音であること」だと確信しています。人によって好みがあって当たり前です。聴く人すべてが心地良く感じる音は存在しません。それも現実です。歌声でも同じです。
 人間らしい器楽の演奏
先述の通り器楽は声楽=声では出せない高さや速いパッセージを演奏できます。
ただそれは単に楽器の特質であり演奏者の技術とは無関係です。
速く正確に高い音や低い音を演奏できる「だけ」の演奏にならないように常に気を付けたいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

練習の前に

 ヴァイオリンを練習しようと楽器と弓を手に取って、調弦をして…
その次に何を?練習しますか?スケール=音階・エチュード・曲
 長い時間をかけて練習することができない環境の人も多い上に、何を最初に練習するのか回も決まっていない人が圧倒的に多いのが現実です。
 これが正しいと言うものはありませんが、ヴァイオリンの演奏で最も大きな運動をする右腕の筋肉をストレッチする「ウォームアップ」をお勧めします。
 上の楽譜の1番は♩=60でメトロノームを鳴らしながら、一つの音を弓の元から先まで残さずに使いながら(先が届かなければ無理をせず)一つの音符に4秒ずつかけて同じ音量・同じ音色で演奏します。
 4秒×2(ダウン・アップ)×7種類で56秒×2(上行と下降)で約2分です。
2番は2本の弦を弾きながら一方の弦だけを0→1→2→3→4→3→2→1→0と押さえていく練習です。この練習で約3分。二つの練習で5分です。
 ぜひ!お試しください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介