ヴァイオリン奏者が考える弦楽器の録音と音作り

今回は「録音」について書いてみます。
言うまでもなく、演奏をホールで聴く「ライブ」「コンサート」と録音された音を、ヘッドホンやイヤホン、スピーカで聴くことは、全く違う「音」です。どんなにお金をかけても、会場で響く音を完全に再現することは不可能です。
 一昔前、録音と言えばカセットテープやオープンリールテープに録音するのが当たり前でした。現在は「PCM録音」簡単に言えば、テープの代わりに音をデジタルデータにして、パソコンのハードディスクやSDカードに記録する方式になりました。
 昔と変わらに事もあります。
録音する際に必要になる「マイク」です。
演奏する会場が音楽ホールであれば、舞台上の天井に「三点吊りマイク」が設置されている事もあります。さらに言えば、そのマイクを使って録音するための機材も備えられているホールもあります。ホールに依頼すれば有料で、録音をしてくれるケースもあります。
 ただ、必ずしもそんな環境ばかりではありません。当然、録音を仕事にしている業者に頼めば時間単位での支払いで録音してくれますが、かなり高額になります。
 個人で演奏会を開催し、限られたスタッフの人数で実施する場合、どんな方法で録音すれば良いのか?そして、その録音したデータを、どう処理すれば自分の気に入った「音」に出来るのか?教えてくれる人は少ないものです。

 まず、用意するべきものは以下の機材になります。
1.コンデンサーマイク2本
2.マイクスタンド1本+ステレオアープ+マイクホルダー2個
もしくは、マイクスタンド2本とマイクホルダー2個
3.録音するためのレコーダー
4.マイクとレコーダーを設読するマイクケーブル2本(長さはマイクの位置とレコーダーの位置で変わります)
5.レコーダーの音を確認するためのヘッドホン(できるだけ密閉型のもの)
当然、電源も必要になります。
レコーダーに記録するためにSDカードが必要な場合もあります。

 マイクですが、何dも良いとは言えません。
多くの場合、マイクには「ダイナミックマイク」と「コンデンサーマイク」のどちらKです。ダイナミックマイクは、電源を必要とせず主にカラオケやボーカル、司会など絵で使われるもので、大音量に耐えられ頑丈ですが、繊細な音を録音するのには適しません。
 コンデンサーマイクはレコーダーからマイクケーブルを経由して、48ボルト(実施には非常に小さい電流です)の電気をマイクが受けて使われます。最近はUSBケーブルで電源を供給するマイクが多いのですが、会場で弦楽器の演奏を録音するのは向きません。コンデンサーマイクは繊細な音を収録するためのマイクですが、この中でも音源(楽器や人間の口元)に数センチの距離まで近づけて録音することに適したマイクが殆どで、会場で演奏者から離れて録音することに適しマイクは限られいてます。
 ちなみに私は「SeElectoro」というメーカーのペアマイクを使っています。このマイクには周囲の音360度をまんべんなく録音する「無指向性マイク」と根らっと方向の音を録音するための「指向性マイク」があります。無人の会場で響きをすべて録音するのであれば、無指向性マイクが良いのですが、ほとんどの場合客席にはお客さんがいて、物音を立てますので、指向性マイクが適しています。
 似たようなマイクで2本セットで2~3万円の案かマイクもあります。探す時には「ぺzマイク」で検索すr事をお勧めします。

 会場でマイクを設置するばよですが、演奏する環境によって違います。
 舞台上にマイクスタンドを設置する方法は、ピアノの録音の場合に一般的ですが、弦楽器とピアノの「デュオ」を録音する場合には、ヴァイオリニストから2~3メートル前方でヴァイオリンの高さに2本のマイクを設置するのが理想的です。が!お客様から見ると「邪魔!」「目ざわり!」と思われます。
 その場合には、スタンドの高さを低くして客席から目立たない程度に下げるしか方法はありません。ヴァイオリン演奏者の「下」から、あおって録音するのでどうしてもピアノの音を大きく拾ってしまいます。

 基本的なことですが、録音した音から雑音をある程度除去することは可能です。例えば、お客様の咳払いとか、何かが落ちる音は特別なソフト(アプリ)を使えば相当小さくできます。ただ、エアコンのノイズは、一定の音量で一定の周波数で鳴り続けているため、完全に消そうとするとその周波数の「演奏の音」も小さくなってしま詩ます。
 ピアノとヴァイオリンの「バランス」も録音後に変更することはほぼ、不可能です。ヴァイオリンの出す音の高さとピアノの音の高さは基本的に「重なっている」ためです。ヴァイオリンの出せない低い音を弱くすr事は後から出来ますが、低温の少ない痩せた音になります。つまり、リハーサル時にレコーダーにつないだヘッドホンで、ヴァイオリンとピアノの「バランス」がちょうどよくなる位置にマイクを設置することは、絶対に不可欠なことなのです。

 レコーダーですがマイクミキサーを兼ねた大掛かりなものもありますが、捜査が難しく自分たちで録音する場合には不向きです。
 私はTASCAM(昔のTEACティアック)社の4本マイクが設読できるコンパクトなレコーダーを使っています。通常は2本のマイクで録音しますが、ピアノとヴァイオリンにそれぞれマイクを近づけて録音したい場合、4本のマイクが接続できて音量も変えられるレコーダーで重宝しています。ビデオカメラのレコーダーの上に載せて撮影し、ビデオカメラのマイク端子にレコーダーの音を送ることもできて便利です。

 最後に録音した音を「創る」作業です。
パソコンを使うのが一般的です。私はAdobeの「Audition」というソフトで音を加工しています。このアプリはラジオ局などで多く使われていたもので、ほとんどの音作りがパソ故日大で可能です。このソフトでなくてもいくつか編集ソフトがありますが、多くはDTM・DAWと呼ばれる「パソコンで音楽を作る人」向けのソフトです。録音物を加工するのには不向きなソフトも多いのが実状です。
 基本的には、ノイズの除去と音の高さごとの強弱=イコライザー処理、音場=空間の響き・残響なでの追加が主になります。
 ヘッドホンとスピーカーで、聴こえ方が全く違いますので、両方を聴き比べしながら思考さう後して最善の音を作ります。
 この作業によって、音色はどうとでも変更可能です。スチール弦で演奏した音を、ガット弦の音にすることも可能です。逆もできます。
 ただ先述のように、録音された音がもやもやしていたり、ピアノの音が大きすぎる場合には手の施しようがありません。録音に失敗すると思った音に仕上げることは大変な作業になります。
 加工した音は「WAV」という形式で保存するのが理想です。MP3は圧縮して保存する形式なのでお勧めしませんが、配信する時などにはデータのサイズ=大きさGあ小さくなるので助かります。
 あまり細かいことは書きませんでしたが、大まかにこんなところですね。
 参考なれば光栄です。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

アマチュアオーケストラの「個性」

ロッシーニ作曲 泥棒カササギ序曲

 今回のテーマは、趣味で楽器の演奏を楽しむ人たちが集まって演奏する「アマチュアオーケストラ」について考えるものです。

 私自身、学生時代にいくつかのアマチュアオーケストラの「トレーナー」と言われることをきっかけに、音楽大学卒業後に「中学・高校の部活動オーケストラ」と言う一種のアマチュアオーケストラを「ゼロ」つまり何もなかったところから指導と運営を行い、20年間の愛第二たくさんの事を学び、経験しました。在職中から地元に「子どものための」メリーオーケストラを設立し、NPO法人化後も20年以上、この「アマチュアオーケストラ」に関わってきました。
 また、信州大学の管弦楽団の指揮を1年間、務めた経験や、神奈川県の高等学校文化連盟、器楽管弦楽部門のオーケストラを数年、指揮させていただいたりもしました。
「指揮者」と言うよりも「指導・運営」と言う言葉の方が相応しい仕事だと思っています。
 そんな経験も含めて「アマチュアオーケストラ」ってなんだろう?と思う事が度々あります。

 基本は「演奏者が趣味で楽しむ」活動である事です。お客様を呼び、聴いてもらう「コンサート」は必須条件ではありません。ましてや「収益活動」とは無縁の活動です。
演奏する人が「主役」なのです。

 演奏を楽しむひとつの「手段」「目標」としてコンサートを開催することもあって良いのです。演奏する喜びを、会場で聴いてくださるお客様と共有するのは、本当に楽しいことです。
 さて私が「聴く側」になって考えてみます。自分が運営するオーケストラを録画して聴くのも「聴く側」には違いありませんが、実際に会場で他のオーケストラの演奏おw聴くと多くの事を感じます。

 一人のソリストが演奏する「個性」と、アンサンブルやオーケストラが演奏する「個性」は、どのように違うでしょうか?
 音楽である事に違いはなくても、「演奏技術」と言う面で個人の技術ち「アンサンブルの儀中t」は違います。アマチュアオーケストラの場合、技術の高い人もいれば初心者、あるいは初心者に近い技術の人も演奏しています。聴き方にもよりますが、演奏された「音」と「音楽」から感じられる演奏者の「感情」が客席に届くか?届かないか?がアマチュアオーケストラのすべてだと感じます。

 感情…演奏者の緊張感NNや不安、高揚した気持ちが「音楽」に自然に現れます。
プロの場合には、それらを意図的に技術でコントロールします。アマチュアの亜場合、そこまでの技術がないのが当たり前です。
 アマチュアの場合「楽譜通りに正確に演奏できない」ことも当たり前です。個人の演奏技術に一定の基準がないのがアマチュアオーケストラです。仮に楽譜通りに演奏できたとしても、プロのオーケストラと比較すべきものではありません。

 演奏技術に大きなばらつき=差があるアマチュアオーケストラが、練習で「どんな目標を設定するのか?」が指導者…指揮者の役割だと考えます。演奏技術の高いメンバ0や経験の豊富なメンバーにとって、自分より「下手」なメンバーと一緒に演奏することに、不満を持つ人がいるのは事実です。アンサンブルとして、高い水準を目指せば個人の演奏技術が高いことが前提になります。不満を感じる人は、自分より高い技術を持った人と演奏すれば良いのです。ただ、自分よりうまい人にとって「自分」がどんんな存在なのか?を考えれば自己矛盾に気付くはずです。自分よりうまい人と演奏する=自分が邪魔な存在という事になってしまいますから(笑)

 オーケストラ万バー一人一人の、演奏技術を練習で高めながら「目指す演奏」を明示することは簡単な事ではありません。指導者からの精神論や、指揮者のカリスマ性だけに頼るのは間違いです。客観的な演奏技術の指摘と修正、メンバー一人一人の演奏技術の把握、練習時のメンバーの「人間関係」と「空気を読む力」が不可欠です。
演奏会本番の演奏で、演奏者が「最高」の状態で演奏が終えられるように、準備をするのが指導者=アマチュアオーケストラの指揮者の仕事とと考えています。
当然ですが演奏会を開くための「制約」があります。資金的な問題は最大の制約になります。理想と現実は大きな違いがあります。その「条件」の中で、アマチュアメンバーが最高の感動を感じながら演奏できなければ、聴衆に感情は伝わりません。
 本番だけに参加してくれる「助っ人=エキストラ」にも最大限の満足感を感じてもらう事も指揮者の役割です。客席で聴く人に「一つの演奏」として伝える技術こそが、指揮者の存在意義だと思います。

 アマチュアオーケストラの「個性は、演奏するすべてのメンバー全員の「一体感」だと考えています。技術のばらつきが「超える」のは、聴く人の「感動」です。
 初めて聴くオーケストラの演奏に、感動する「なにか」を創り上げることが準備であり、練習だと思います。もちろん、技術は高い方が良いものです。演奏者が一致した「目的」を持つことで、より高い技術を得られるはずです。アマチュアオーケストラのの「目的」は「演奏者が楽しむこと」なのです。その喜びと感動が音楽になって客席に届けば、それこそが「個性」だと確信しています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

NPO法人メリーオーケストラ代表 野村謙介
 

クラシック音楽は、なくても良い文化なのか?

 「クラシック演奏家・年収」というキーワードで検索すると、いくつかの文献があります。どんな職業であっても働く本人の「価値観」が最も重要であることは変わりません。働く目的も人によって異なります。「生活するため=生きるため」の人がホトンですが、中には「道楽や生きがいのために働く」人もいます。「権力欲を満たすため」の政治屋を見ていると「こいつらの職業なんていらない」と思うのは私だけ?(笑)

 クラシック音楽を演奏したり作曲して生計を立てる人の生活を考えてみます。当然、非常に大きな「幅」があります。一部の「有名人」は年収で千万単位の収入があります。一方で多くの音楽家の年収は000万円に満たないひとから多くて400面円ぐらいでしょうか。
「実力の世界」とも言えません。ボクシングやプロ野球の選手のように「数字」例えば勝率とか打率で「実力」を客観的に判断できる職業もありますが、日本のクラシック音楽家の場合「有名になる=仕事を得られる」のは、客観的な実力よりも「肩書」や「メディア受けする」事の方が重要視されます。

 今から40~50年ほど前、日本は好景気に沸いていました。私自身、学生時代に演奏のアルバイトだけで十分すぎるほどの「稼ぎ」がありました。テレビの歌番組での演奏、ポピュラー歌手のコンサートでの生演奏、レコーディングスタジオでの演奏、音楽鑑賞教室でのオーケストラ演奏などで、月に20万円以上収入がある場合も珍しくなかった時代です。
 演奏が「デジタル化」され、高い人件費よりシンセサイザーとコンピューターで「事足りる」事になりました。レコードがCDに、CDは「配信」に代わりました。

 人間が楽器を演奏し、会場での「生演奏を楽しむ」クラシックコンサート。「娯楽」の一つであることは事実です。生活に欠かせない事ではありません。ましてや「配信」で音楽を楽しめるなら「十分」と言う人もいます。現代の日本で「クラシック音楽家」は不要な存在なのでしょうか?文化として、クラシック音楽は無くなって良いものなのでしょうか?

 そもそも「文化」は人間の知性と教養があって初めて成立し持続されるものです。個人の「娯楽」は様々です。競馬やパチンコも娯楽です。登山や趣味のスポーツも娯楽です。それら全ては「経済活動」でもあります。
多くの娯楽は、楽しむ人「以外」の人が用意する環境があって初めて成り立ちます。登山でも、山小屋を営む人・救助する人・登山道を整備する人がいるから安全に楽しめます。
 クラシック音楽を「聴いて楽しむ」娯楽には「演奏する人」が不可欠でした。録音する技術がなかった時代が、まさに「全盛」だったとも言えます。録音された「演奏」が無料で楽しめる現代です。生で演奏する「人間」は、今更これ以上いらない?(笑)のでしょうか。

 人間が演奏する音楽を、他の人と一緒に聴いて楽しむ「文化」を維持することの「意義」を考えるのは、一人一人の「価値観」に頼るだけでは困難なことです。先述のように、人によって「娯楽」は違います。音楽に興味のない人にとって、演奏家がいなくなっても困りません。大きな視点で考えれば、すべての「社会活動」は「誰かに支えられている」活動です。物を創る人・思を売る人は「買う人」がいるから生活できます。競馬を国が「特例」として認めているから「賭博」でも許されます。競馬にお金を「書ける人」がいるから騎手も調教師も馬主も生活できます。

 クラシック音楽で生活できる人が、誰もいなくなれば、いずれ生演奏は消えてなくなります。儒教と供給のバランスが悪いことも現実問題です。ご存知の通り「音楽家」と言う職業には、なにも資格がいりません。自分が「音楽家です」と言えば音楽です(笑)
毎年、日本中の音楽大学から何百・何千と言う「クラシック音楽家」が誕生しているとも言えませス。音大を卒業しなくても音楽に慣れます。「実力」は客観的なものではありません。「音楽家が多すぎる」事は明らかなことです。

 クラシック音楽と言う「文化」は演奏言する人と聴く人が、お互いに支えあって残せるものです。山や海と違い、演奏会場は自然にできたものではありません。ホールを建設し、維持管理する人とお金がが必要です。それらの「経済活動」は聴く人の負担だけでは賄いきれないものです。自治体や国が文化のために税金を使う事を「もったいない」と思う気持ちも理解できます。「娯楽に使うお金よりお米を買うお金に使え!」と考える状況であることも現在の不況から考えれば、もっともな意見です。聴く人を「まず」増やすことが何よりも大切っです。どうか!生演奏を聴くために使う「お金」を無駄と思わないでください。身近にクラシックのコンサートはきっとあるはずです。ぜひ、足を運んでみてください。
 最後までお読みいただき、ありがとうございまし。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音色の違いと演奏の印象

上の演奏は最近(2024/07/14)したタイスの瞑想曲。ビデオカメラの付属したマイクで簡易的に録音したものですが、新しい楽器にラーセン(デンマーク)社製のナイロン弦を張っています。下の映像は以前、私の使っていた楽器にピラストロ(ドイツ)社製のオリーブ(ガット弦)を張って演奏したものです。

ヴァイオリン演奏者は「自分の楽器」を選ぶことができます。「なにを当たり前のことを!」と思われがちです、ピアニストは?会場に備えてあるピアノが複数あったとしても、選択肢はわずかです。自分の気に入ったピアノだけを演奏できるわけではありません。声楽家は自身の身体が「楽器」になります。選ぶことは出来ません。

 ヴァイオリンという楽器「だけ」では音は出ません。弦と弓が必要です。ピチカート奏法だけなら弓は使いませんが(笑)弦を選ぶのもヴァイオリン奏者の楽しみでもあり「悩みの種」でもあります。特に弦は多種多様…現在販売されている製品だけでも恐らく数10種類は選択肢があります。4本の弦、それぞれに違う種類の弦を這う事も可能です。さらに、弦は新品で張ったばかりの瞬間から、次第に「劣化」していきます。そのプロセスの中で「一番好きな音」が出る期間は、本当にごくわずかです。演奏家に合わせて弦を張り替えます。演奏会が続く場合には、そうも言っていられませんが(笑)

 YouTube動画を検索すると「ヴァイオリン弦」「比較」と言うキーワードで凄まじい数の動画がヒットします。中には同じ楽器で、同じ曲を同じ人が同じ撮影環境で「弦を張り替えながら」演奏しているものあります。
 実際にヘッドホンっで聴き比べすると「?少し違うかも?」程度の差はありますが、実際に生で聴こえる音とは違います。ましてや、演奏者がきいている音はまた別の音です。いくら言葉で印象や特徴を並べ立てても、現実に自分の楽器に張って自分で演奏しない限り、比較することは不可能です。

 会場が変われば音が変わります。湿度や温度が変わっても音ヒャ変わります。曲が変われば・ピアニストが変わればなど「全く同じ環境」での演奏を再現することは、現実的には不可能です。その時々での「印象」が滑T3絵です。弦は新品を張り替えてすぐに演奏会で演奏できるものではありません。会場で張り替えて試すことは出来ません。演奏する曲ごとに弦を張り替えることも無理です。
「妥協」とも言えます。むしろ、会場や環境、曲に合わせて「弾き方をコントロール」するのが技術です。極論すれば、楽器に「ケチ」を付けたり「弦が合わなかった」ことを愚痴る演奏者には、技術が不足していると言えます。すべては演奏者の「人間」としての大きさだとも思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

 

弦の張力と楽器の個性

今回はヴァイオリンの「弦」と楽器の関係を考えます。
世界中のメーカーががヴァイオリンの「弦」を作って販売しています。多くのプロ、アマチュア、さらにメーカーのプロモーションも含めYouTube動画がヒットします。
 それぞれ「この弦は…」「あの減と比べて…」とうんちくを述べたり、実際に演奏して比較していたり。動画で聴く音量や音色は参考になりません。主観的な感想をいくら並べられても自分が弦を選ぶ参考になりません。
 そこで今回は、なぜ?弦を変えると音が変わるのか?と言う素朴な疑問に立ち戻ろうと思います。

 弦楽器の弦は「音源」です。ヴァイオリンは「擦弦楽器」つまり弓の毛で弦を擦って弦を振動させる楽器です。
 弦が振動するためには、弦の両端を「固い物」で固定することと、「引っ張る強さ=張力」が必要になります。小学校や中学校で習った「弦の音の音の高さを変える三つの原理」覚えていますか?
・弦の太さ
・弦の張りの強さ(張力)
・弦の長さ
この中で、弦の長さをヴァイオリンの場合には「駒から上駒(ナット)までの長さ」で、どのメーカーのどの弦も、統一されています。
 弦の太さは、細いほど高い音が出るのが原則です。同じ長さ、同じ張力の場合の話です。弦の張力を変えれば、この原則は崩れます。実際に、ヴァイオリンの3番線=D線の方が、4番線=G線より太いことは珍しくありません。見た目は太いのに高い音が出るように「強く張る」必要があるわけです。
 張力を強くすれば、高い音が出るのと同時に「大きな音」を出すことがより容易になります。一方で、弦の両端を支えるための力と、駒にかかる力が強くなります。弦を指で押さえる力も多く必要になります。簡単に言えば「楽器と演奏者に負荷が増える」ことになります。

 ここでヴァイオリンの弦を「構造」として考えてみます。まずE線=1番線は基本的に金属を細く伸ばし、表面に金属のコーティングをしたものです。他の3本は「芯」の周りに金属の糸を編むように巻き付けて作ります。芯の材料には「金属」「ガット=羊の腸」「ナイロン」が用いられます。金属はほとんど伸縮しません。ガットとナイロンは弾力=伸縮性があります。弾力の強さも様々です。伸びにくい素材を使えば張力が強くなります。
芯の周りに巻く金属の糸の「編み方」「巻き方」によって太さと張力を変えられます。張力を強くすれば弦は当然切れやすくなります。また太くなるため指で押さえることが難しくなります。

 次に楽器自体が弦の張力に対して「適当」かどうか?の問題です。ヴァイオリンはペグに巻き付けた側と、テールピースに止める側で張力に耐える力を支えます。その両端と中間にある「上駒」と「駒」の2か所の多寡によって指板部分の張力が変わり、駒にかかる力も変わります。駒を高くすればするほど、聴力が強くなりますが同時に指板と弦の「隙間=弦高」が広くなり、押さえることが困難になります。逆に駒を下げれば押さえやすい反面で、聴力が下がります。
 張力の調整はネックと本体の「取付角度」と「駒の高さ」で変わります。高い張力に耐えられる楽器でなければ、表板や魂柱、裏板、ネックにダメージが加わります。音もつぶれた音になります。楽器の「強度」はそれぞれに違います。板の厚さが基準より薄い楽器はm簡単に鳴らせますが強い張力に足ることができません。また、オールド楽器の場合、ガット弦を張ることを前提に作られているので、強い張力の弦で良い音がするとも限り亜m線。楽器ごとの「強度」と響きやすい音域、足りない音域を把握して、適正な弦を選ぶことが重要になります。
 弦の種類やメーカを統一する方がバランスが良い場合と、逆に違う種類の弦を張った方が全体のバランスが良い場合があります。低音(G線の音域)が強く出る楽器は「太い」「柔らかい」音である反面、「こもった」「通りの悪い」音にもなりがちです。逆にE線の音域が鳴りやすい楽器の場合、「明るい」「澄んだ」「通りの良い」音に感じる反面「固い」「きつい」「薄っぺらい」音になりがちです。それらを補う演奏方法と、弦を選ぶことで演奏者が弦を気にすることなく、思った音量と音色で4本の弦を演奏できることに繋がります。
 弦の種類をバラバラにすると、弦ごとの張力が変わる場合もあります。それも演奏する人にとって負担になります。また、弦の寿命もメーカーや材質によって大きく違います。ガット弦は寿命が長く、テンションの強いナイロン弦の寿命は短くなります。演奏会前に逆算しながら弦を新しいものに張り替えるのが理想ですが、ばらばらに寿命が尽きるのは頭の痛いところです。いくらでも予算がある人なら別ですが(笑)

 寿命の尽きた弦は「伸びたラーメン」と似ています。腰がなく、余韻が少なくなります。張ったばかりの弦は「アルデンテ」に似ています。ちょうどよい「弾力=こし」がある状態で、楽器に一番適した弦を選ぶのは大変な時間とお金がかかります。それでも、弦を変えることで楽器の「個性」が変えられるは弦楽器奈良でhなの楽しさでもあります。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介
 

運動(テクニック)だけで音楽になる?

バッハ あなたが側に居てくれたなら ヴィオラ・ピアノ

 今回のテーマは「音楽を演奏する」ことと「演奏するテクニック」の関りについて考えるものです。
 結論から言えば、テクニックが足りなければ表現できる音楽も限られる=音楽を表現するにはテクニックが不可欠だという事です。
「卵が先か?ニワトリが先か?」とは意味が違います。動力源のない自動車はありません。運転するテクニックがなければ、高速で車を運転することはあり得ないことに似た話です。

 楽器で音楽を演奏する「人」にとって、うまく演奏できない!音程が~!雑音がかr~!(笑)というストレスは避けて通りない「壁」です。ピアノと違い「音の高さ」が不安定で、雑音も出やすいのがヴァイオリンです。
どうしても「音」が気になって「音楽」に気が回らないというケースが見受けられます。
 プロのソリストの演奏を聴いていると「当たり前」のように正確に・雑音なく演奏しています。言い換えれば「ミス」は誰にでも見つけられるものですが「音楽」を感じられるか?何も感じないか?にこそ、大きな差があります。

 演奏の技術を身に着けるために、練習と言う時間が必要です。どんな技術が必要なのか?と言う問いに対して、一つの答えはあり得ません。「何をしたいのか?」「どう?演奏したいのか?」によって、必要な技術とレベルが違うからです。「ヴァイオリンとは!」と大上段に構える人もいますが、どんな楽器でも、同じことが言えます。
もし「美しい」と感じた音楽を「美しく」演奏したと思うなら、「美しい音」の出し方を考えて必要な技術を身に着けるべきです。
もし「誰より速く、誰よりも正確に演奏した!」と思うなら、機械のように何度でも正確に・速く演奏できる技術を身につけたたいと思うでしょう。
「美しい」と「速く正確に」では、必要な技術に違いがあります。厳密言えば「より重要な技術」に違いがあります。
理想を言えば「美しく速く正確に」演奏できることですよね(笑)ただ先述の通り「速いか?正確化?」は誰でも評価できることです。だからこそ「こちらを優先」!」するという考えもあると思います。
楽譜の通りに、速く正確に、雑音を入れずに演奏できれば「音楽」になるか?私は「ノー」と答えます。パソコンに打ち込んだ楽譜を聴いて「素晴らしい演奏だ!」と感じないからです。間違えない・失敗しない・速く何度でも再現できることだけを「素晴らしい」と言うのDなら、機械に勝てる人間はいません(笑)「AI」が進化して楽譜を「個性的に」表現する時代になります。それが「音楽的」と感じるかどうかは、人間に課された問題です。
 人工知能が、過去のソリストたちの「名演」を科学的に一音ずつ分析し、データ化して「良いとこどり」をすることも可能でしょう。ある曲の一部は「オイストラフ風に」演奏し、速い楽章は「ハイフェッツ風に」えんそうすることもできるでしょう。「音」について、ヴァイオリンを使わなくても、ヴァイオリン例えばストラディヴァリウスの楽器の音を「完璧に」再現できるスピーカーとコンピュータを使えば、演奏者は不要です。

 演奏の「技術」を考える時、何のための技術なのか?から考えるべきだと思います。「自分の好きな味のラーメン」を作るための技術なのか?レシピ通りに、間違いなく速く作る技術なのか?必要になる技術は違うはずです。味見をしないで料理を作り、人に「どうぞ」と出す料理は「料理」ではなく「食物」と言うべきです。考えずに演奏した「音」は音楽ではなく、あくまでも音でしかないと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございます。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

楽器と弦と演奏者の相性

 過去にも何度か書いたテーマでです。ヴァイオリンの「弦」を選ぶことは、演奏者の楽しみでもあり同時に、悩みの種でもあります。同じメーカー、同じ値段でも、弦の「種類」によって音量や音色、弾き心地がすべて違います。どれも「感覚的」な違いですから、個人によって評価が変わるものです。
「〇△(弦の種類)はあーだこーだで、良くない」とか「素晴らしい」とかの記事を見かけますが、あくまでも「個人の意見」でしかありません。こブログもその一つ。私の「好み」の問題です。

 弦に限らず、新しい小品を開発し発売するメーカーは、その時点に既に存在する「他の商品」との差別化が必要になります。当然「より良いものをより安く」と考えるののがセオリーです。
新しい「車」で考えれば、EV(電気で走る車)や水素で走る車が「最先端」かも知れません。
一方で経由で走る「ディーゼル車」やガソリン車が「ダメ」なのかと言えば、違います。
環境問題が!と叫ぶ人がいますが、ハイヴリッドやEVの「バッテリー」は再利用されずに廃棄されています。これが本当に地球にやさしい事か?と考えればすぐに分かります。
シフト(ギア変則)を操作をしなくても簡単に運転できる「オートマ車」がホトンdになりました。
マニュアル車は今や「化石」扱いですが、社会問題になっている高齢者の「ブレーキとアクセルの日見間違い」はマニュアル車でも起こり得ない事故です。クラッチペダルを左足で踏んだり、しゅっくり放したりしなければマニュアル車は前にも、後ろにも進みません。つまり、ブレーキのつもりでアクセルを踏んだとしても、マニュアル車の場合には「クラッチ操作」をしない限り、暴走は出来ないのです。

 ヴァイオリンの弦は毎年のように「新製品」が開発され発売されます。
ガット弦はピアラストロ社だけが販売していて、最新の商品でも発売されてすでに5年以上経っています。先述の通り、演奏者の好みで選ぶ弦は、何よりも楽器との組み合わせ=相性が「肝」になります。
とにかく「通る音=派手な音」を求める演奏者もあれば、落ち着いた谷和原気音に重点を置く演奏者もいます。「ヴァイオリンの頂点」と言われているストラディヴァイウスが作られた当時に、ナイロン弦は存在しませんでした。当たり前ですが(笑) 前回のブログでも書いた通り、演奏者の技術が「楽器の音」を決定づけます。ヴァイオリンがストラディヴァイウスでも新作のヴァイオリンでも「個性」があります。演奏者の求める音を出す「組み合わせ」が必ず手にに入るとは限りません。
少なく元ヴァイオリンを毎年、買い替える人はまずいません。貸与されたヴァイオリンでも自分のヴァイオリンでも「弦」を変えれば音が変わります。弾き心地も変わります。
ナイロン弦は現在、4本セット8,000円から15,000円程度の価格幅があります。ガット弦の場合、同じ商品で揃えると安いオイドクサでも約20,000円、オリーブになると30,000円以上の価格になります。
 単純に考えれば、ナイロン弦の方が「お得」に思えますが、実は弦の「旬=良い音の出る期間」は、圧倒的にガット弦の方が長いと私は確信しています。どんなナイロン弦でも、張ってから長くて3週間で急激に音量が落ち、余韻が減り「こもった音」になります。その後は切れるまで、大きな変化はありません。「旬」の期間はナイロンが少しずつ伸びる弾力を持っています。言い換えれば調弦の小まめに行う必要があります。これを「不安定な期間」とマイナスに思う人がいるのですが、そもそも自分で調弦することが「難しい」ともう技術であれば、弦の差は関係ありません。
一方のガット弦は張ってから一週間ほどは、急激にガットが伸びるため1曲演奏する時間でも調弦が必要になります。学生時代、ガット弦を本番や試験の何日前に張り替えるか?という事を経験で学びました。張ってから一週間後から長ければ3カ月は、ガットが伸び続ける弾力性を持っています。
徐々に音量や音色が変化していき「旬」の終わりも、ナイロン弦のように劇的なものではありません。 
価格 ナイロン弦1:ガット弦3
旬の期間 ナイロン弦3週間(20日程度):ガット弦3カ月(90日程度)
小学生でもわかることですが、コストパフォーマンスはガット弦の方が勝っている事にンります。
 とは言え、張替え時に30,000円の出費は大きいで畝(涙)かと言って、毎月10,000円でナイロン弦を張り替えるのもばかばかしい気がします。

 弦は「どれが一番」と言う結論は出せません。高ければ良い弦とも言えません。新商品が良いとも限りません。試してみる価値はありますが、大別すればナイロン弦かガット弦のどちらかになります。
選択肢はナイロン弦が圧倒的に豊富ですが、まさか毎回違う種類の弦を試すわけにもいきません。
季節や地帯長によっても音は変わります。聴こえ方も日々変わります。自分の耳で「いいな」と思った弦を使い続けてみるのも一つの方法です。結局は楽器との対話に、どれだけの時間をさけるか?という問題に尽きると思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

初見で弾ける有難さと落とし穴

今回のテーマは、楽譜を見ながら演奏できるのが「当たり前」だった時代を過ごし、進行性の難病(目の病気)で、楽譜を見ながらの演奏が出来なくなった私の経験で、何か感じてもらえたらと思ってのブログです。

写真は学生時代、あるオーケストラでコンサートマスターを務めた演奏会の様子です。
ソロを演奏しているチェリストは高校時代の同級生、金木博幸君です。確かハイドンのコンチェルトだった記憶があります。当然、私は通常の楽譜を、これまた通常通り「二人に1本の譜面台」で演奏している「証拠写真」です(笑)

音楽高校・音楽大学で学んだ知識「楽譜を音楽にする」こと。
これは、クラシック音楽を演奏する人にとっては、最強の武器かも知れません。
演奏家として楽譜を見てすぐに演奏できることは「必須条件」ではありません。
私の大先輩でもある、ヴァイオリニスト和波先生が学生時代から、他の健常者と区別なくオーケストラ授業や実技の試験を受けておられたことからも、今に始まったことではありません。
現在で言えば盲目のピアニスト辻井氏の活躍がメディアに取り上げられますが「昔からいましたけど?」と思うのです(笑)クラシック音楽以外でも、レイ・チャールズもスティービー・ワンダーも全盲です。

さて、話を楽譜を見ながら演奏することに戻します。
楽譜を見ながら演奏できる「技術」には当然ですが、視力が必要です。
視力以外にも、聴力や四肢の運動がある程度できることも必要だと言えます。
 音楽を演奏しようとする人の多くが「楽譜」を読んで演奏できれば、音楽になると錯覚します。私もその一人でした。楽譜を音にすれば「自動的に音楽になる」と無意識に感じています。むしろ、楽譜通りに間違えず、速く演奏することが「目的」になっていた気がします。
 プロの演奏家に求められる技術「初見演奏」のレベルが高ければ、まずは演奏のお仕事をもらえた時代でもありました。「T朋(笑)」という学校を出ていれば、プロのオーケストラで普通に仕事ができた時代でもありました。違う言い方をすれば、初見の技術を身に着けることが「演奏家の近道」だったのかもしれません。

 楽譜を初見で演奏する「譜読み」から始まり、時間をかけて「うまく弾けるようになる」まで「練習する」これ、当たり前のようですが、実は大きな落とし穴がありました。(私の場合)
 譜読みの段階で、うまく弾けない=難しいパッセージを優先的に「弾けるように練習する」ことって、普通ですよね?レッスンの前とか、合奏の前とかに「難しい場所」だけ何度も練習した記憶があります。これが「落とし穴」だと思います。「なぜ?」
 初見で弾けた場所って、練習しないですよね?少なくとも「もっと深く考える」ことよりも、ますは!難しい場所を練習だ!(笑)その結果、音楽全体に「ムラ=差」が生まれます。
音楽を知らない人がきけば感じない「ムラ」かも知れませんが「音楽」として聴いた時に「部品の寄せ集め」に感じる結果になる落とし穴です。

 生まれつき全盲の演奏家の場合には、点字楽譜を用いて少しずつ覚えるか、誰かに演奏してもらった「音源」を聴いて覚えるかの方法があります。そうです「覚える」ことが必須なのです。覚えなければ、音楽にならないのです。では何を?覚えるのでしょうか?
 私の場合には、学生時代(楽譜を見ながら演奏で着た頃)、暗譜は「必要な時だけ」でよく、通常は楽譜を見ながら演奏できたので「覚える」必要はほとんど、ありませんでした。
 今(2024年6月現在)、いわゆる「強度の弱視」と言えば、なんとなく?理解できるでしょうか?21インチの「超大型タブレット」←とっくに製造・販売がおわってしまった!に、PDF=アクロバットファイルにした楽譜を読み込んで、21インチの画面に4小節拡大表示して、顔を近づけて読んで(当然、楽器は構えられません)覚えては、楽器を持って弾くことの繰り返し。
楽器を持つ前に「音名」「リズム」=メロディーと「指使い」「スラーなどの弓使い」を考えながら「記憶」していきます。楽譜を音にする技術=ソルフェージュ技術は、高校・大学時代に叩き込まれましたので、見えれば頭に浮かびますが、手に楽器がない状態なので(笑)指使いや弓の場所・弓使いを「想像」しつつ、記憶していくので恐ろしく能率が悪い!(笑)
 音源がある曲の場合、「聴けば覚えられる」と思いますよね?
曲の一部を覚えることはすぐにできます。最初から最後までの「1曲すべて」を覚えるために、皆さんならどうしますか?
「覚えられるまで、何日・何週間・何カ月も繰り返して聴く」しか方法はありません。
「自然に覚える」確かに、私も学生時代に、知らなかった曲でも練習しているうちに「いつの間にか暗譜していた」記憶があります。ただ「楽譜」を音にするための時間や労力は「ゼロ」でしたから、当然と言えば当然です。思い出せなければ、楽譜を「見る」ことで思い出せます。今の私は?思い出せない時にも、タブレットが必須です。持って歩ける大きさでもなく、見ながら演奏できるわけでもなく(笑)

 楽譜は「音楽の台本」です。台本を見ながら演技する芝居や映画を見たら、あなたはどう感じますか?映画やテレビでは「コマ撮り」という手法で撮影するので、多くの場合は「少しずつ」覚えれば用は足りる?かも知れませんが、ストーリー全体と他の役者さんの「台詞」「動き」を覚えなければ、まともな演技は出来ないと思います。舞台で芝居を演ずる場合には、自分のセリフも「すべて」覚えて「ライブ」が始まります。
ロックやポップスの「ライブ」でも、ほとんどの演奏者・歌手は楽譜を見ていません。すごいことです。2時間以上のライブで、演奏以外にも演出、振り付けも覚える彼らを尊敬します。

もし、楽譜を見ながら演奏できる「視力」と「技術」があるのであれば、それが恵まれた環境であるっことを自覚っしましょう。ヴァイオリンの場合であれば「無伴奏〇△」以外は、他の演奏者が演奏ずる音楽も、頭と体にしみ込ませる努力が必要です。音楽全体の「構成」を理解し覚えるためにも、「速く・正確に」弾くことをを優先するより、演奏する「一瞬」にどんな音があり、どんな時間が流れるのか?その一瞬より「前」つまり、聴いた人の記憶にある「音」との係を考えて、演奏する時間を「音楽」にする気持ちを忘れないことが大切だと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

出逢いと別れ

糸 ヴィオラとピアノ

 還暦とっくに過ぎた爺ちゃんが(笑)何をいまさら?出逢いと別れだとポエマーしてんの?と言われても良いのです!
 いくつになっても、生きている限り体験する「出逢い」と「別れ」2024年5月の出来事は、私にとって一生に関わる出来事でした。

 音楽大学時代の同門(同じ師匠に師事していた門下生)先輩に、現実の問題として今、自分が考えている事を話すことができました。信頼があってこそ、本心で話せて先輩からも本気の答えが返ってきました。
 先輩からご紹介いただいた方との「出逢い」がありました。初対面で話をしだしてから10分も経たないうちに、「信頼できる人」であることを直感的に感じました。
 お会いして30分ほどで、心は決まりました。

 私が50年間「パートナー」として、苦楽を共にしたヴァイオリンと40年間愛用した弓と別れ、別の楽器を新しいパートナーに迎えることになりました。恐らく、間違いなく新しいパートナーと、私が演奏できなくなる日まで傍らに置く楽器です。
 50年前に楽器を斡旋してくださった方がくも膜下出血のために倒れられ、その後はその方の「お弟子さん」だった方にだけ、楽器の調整を任せてきました。それ以外の誰にも楽器を調整してもらう事は「信頼」に至らず、長い年月が過ぎました。その職人さんもご高齢になり(私もですが)、いよいよ楽器の調整は誰にも任せられない段階になって、この話の最初に戻った「出逢い」がありました。

 私の使ってきた楽器と弓は、フルオーバーホールされて、健康な状態に生まれ変わることでしょう。その楽器と弓の「価値」がわかる人によって、また50年、さらに100年と歌い続けてくれると思っています。
やっと!自分が使わせてもらっていたヴァイオリンへの責任を果たした気持ちです。
 新しく我が家の一員になった楽器の詳細は、今この場でお伝えすることは控えます。しばらく時間をおいてから、皆様にご紹介することにします。「なんで?」ち思われる方もいますよね?ヴァイオリンは、演奏家の手から手に渡って生き続けるものです。それそれの演奏家が持つ「思い入れ」があります。悪意を持って情報を拡散する人もいます。ですから今は「新しいパートナー」とだけ書かせていただきます。。

 楽器を扱う事は、人と接するのと同じです。自分が気に入るように相手を変えさせようとするのは「傲慢」な気持ちの表れだと思います。自分の「好き嫌い」があるのは当然です。好きな相手と出会えないこともあります。自分を変える「謙虚な気持ち」があれば、相手(人でも楽器でも)に通じます。
出会った相手の個性を感じ、自分の感性と近いものがあれば私は迷いません。新しい楽器で音を出した瞬間に、何も違和感を感じなかったことが私の心を決めました。
 作った人の名前や値段しか気にしない人にとって「楽器の個性」は二の次です。自分の感性で確かめられて、初めて楽器の価値があると常々思っています。

 明日、私の教室で行いミニコンサートで、初めて人前で演奏することになります。
常に私の背中側で音を聴いてくれている浩子姫曰く「良い意味ですごく自然な音」だそうです。楽器を与えてくれた方に「目で見て演奏する人に出せない、綺麗な音で演奏する方だなと思いました」と言う光栄な言葉を頂きました。「見えなくなることがマイナスだけじゃないんですね」と穏やかに話されたことにも温かさを感じました。
「演奏も調整も、魂ですよね」と言う言葉にも共感しました。技術や地位、お金では得られない「魂」を感じられる演奏をしていきたいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

楽譜の「行間」を読むこと

シューベルト「アヴェ・マリア」ヴィオラ

 台本や原稿を、役者さんやアナウンサーが声に出して「読む」ことは、私たちが楽器で楽譜を読んで「演奏する」ことによく似ています。日本語で「行間」と言う言葉があります。現実の行と行の足だの隙間の事ではなく「文字に書かれていないこと」を指しています。AIが進化し、文字を読み上げるソフトも日進月歩の速さで、より自然に近い音声になっています。単語や文節の「切れ目」と「前後の意味」を学習することで、まさに「行間」を読み取っています。すごい技術だと思います。

 さて、音楽の世界で楽譜に書かれていない「歌い方」もっと言えば表現の方法は、演奏する人の「想像力」によって決まります。
作曲する人が、頭の中に音楽を思い浮かべ、楽譜にするように、演奏者もまた楽譜を頭の中で「想像」して音にします。
 正解のないのが「想像」です。人によって違い、同じ人でも感情によって変わるものです。自分の演奏を聴いて、演奏しているその瞬間に思っていたことを思い出すことは出来ません。

 想像の世界を言葉や絵にする必要はありません。その人の記憶や感覚で「感じる」ものです。では、どうすればをれを「音」に出来るでしょうか?
 まず、感覚を敏感にすることです。同じ人間でも、五感が敏感になっている時と鈍くなっている時があります。練習の段階で、楽譜を見てすぐに何かを感じるとしたら「難しそう」とか「音符が多い」とか(笑)
旋律と和声を「音楽」として聴いて、そこから新たな想像力を働かせて、演奏に「色」「奥行」「重さ」などを加えていくのが練習です。音楽に特定の感情(喜怒哀楽)があるとは限りませんが、無色透明・無民衆な音楽は、現代音楽でもほとんどないと思います。

 動画のアヴェ・マリアを聴いてどんなイメージを持ちますか?音楽全体=1曲を聴き終えたあとの印象も大切ですが、一瞬ごとに感じる感情も大切です。
 冒頭のピアノの和音が波のような上行・下降を繰り返しながら、和声の色が変わっていき感情を揺さぶります。
 ピアノの前奏が「沈み切った」ところで歌=主旋律が始まります。歌詞で言えば「A・ア」で音名DIえば「シフラット・B」音階名で表せば「ド」から始まります。
 この最初の音を出す前にイメージを持ちます。聴く人が「初めて聴く」こともあります。演奏者はその先も知っています。
初めて聴く人にとって、感情やイメージは「音が出てから」感じるもなのです。演奏者は音を出す前に既にイメージを持っています。私の場合、弓先でギリギリの弱い音から弾き始めます。聴く人に聴こえない「音」かも知れませんが、やがてはっきりと聴こえてくる「ア」をイメージしながら次第に輪郭のはっきりした音に変化させていきます。
ヴィブラートをいつ?始めるかもイメージの世界です。ヴィブラートの深さ・速さも空想の世界から生まれてきます。楽譜には書かれていない「行間」です。

 音量を「ピアニッシモ」から「フォルティッシモ」などで表すこともできますが、聴いている人が感じるのは「感覚的な音量変化」なのです。高音は大きく聴こえます。さらに、音色によっても感覚的な音量は変わります。音の聴こえない状態を「0=ゼロ」とした場合、聴こえ始める最小の音を「1」に仮定し、最も大きく聴こえる音を「10」だとします。その音量差を「どれだけ細かく変化させられるか?」と「どのくらいの速度で変化させるか?」という二つの視点で考えます。
 初めて聴く人にとって、最大の音量が「いつ・どのくらいの大きさ」になるのかは問題になりません。楽譜の中でどこか一か所に「ff=フォルティッシモ」があるから、そこを最大に演奏する…これ、普通に考えますが、聴く人印盗っては無意味な問題です。
 むしろ音楽が始まってから「時間経過」と共に、音量や音色が変化する中でイメージがわき続けるのです。

 想像力のない人に「想像しろ」と言っても無理なことです。少なくとも、音楽を演奏するのであれば、常に次の瞬間に創り出す「音」を想像することです。何も感じない「音」は「サンド・ノイズ」でしかなく、意味のない「文字」を声にしているのと同じです。例えば「今日は暑くなりそう「ぽ」ですね」と「ぽ」が一文字はいるだけで、意味が通じなくなるのと同じです。
 想像・空想・考える・感じることから音を出すのが「行間」だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介