メリーミュージックブログ

演奏家夫婦が優しく丁寧に指導

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初めて聴く人にも楽しめる演奏を

 映像はデュオリサイタル15ムジカーザでの一コマです。
アルヴォ・ペルト作曲の「シュピーゲルインシュピーゲル」日本語訳で「鏡の中の鏡」をヴィオラで演奏する前のMC=トークです。思い付きですべてアドリブなのでカミカミ(笑)なのはご愛敬。演奏する曲に関心を持ってもらう事も、演奏する側の役割だと思っています。そして…

 こちらが演奏シーンです。どんな音楽でも、どんな人でも「初めて聴く音楽」があります。初めて出会う音楽を「紹介する」役割です。
自分の家族やパートナ^を、誰かに初めて紹介するのと同じです、
身近に感じてもらいたい…それが普通の紹介の仕方だと思います。
 実はこのMCの前にも(笑)「燃えよ!ドラゴン」のラストシーンを話題にしました。映画を見たことのある方ならピン!とくるかな?(笑)鏡張りの部屋で悪党のドンとブルース・リーとの対決シーン!およそクラシックコンサートのソリストが話す内容ではない?でも知っている人にはイメージが浮かんだはずです(笑)
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

一か月の間に進化・成長すること

https://youtube.com/watch?v=iQAWZv7qOqk

 映像はデュオリサイタル15もみじホール城山での演奏です。昨年12月18日(日)に演奏したプログラムを今年1月7日(土)に代々木上原ムジカーザで演奏します。会場が違い使用するピアノも全く違います。
 たった20日ほどの愛第二何が変わるのか?
 同じなのは?演奏者とプログラムとヴァイオリン・ヴィオラ。
で?何が変わるのでしょうか?(笑)答え「演奏の内容が全く違います」
 そのことを「同じ演奏をする技術がない」と思われる方もいるかも知れません。そのことに敢えて反論はしませんが、私たちは常に自分たちの演奏を成長させたいと思っています。どんなに短い期間であっても、成長できることもあると信じています。まったく同じ演奏をすることに「意義」や「技術の高さ」を感じる人もいて当然です。ただ何となく「前と違う事をやる」のは無意味だと思っています。

 過去のリサイタルで演奏したことのある曲もあれば、今回のリサイタルで初めて取り組んだ曲もあります。どちらにしても、自分の演奏を少しでも満足できるものに近付けたいと言う気持ちは変わりません。
 たとえばレッスンに通う生徒の立場でも、次のレッスンまでに少しでも上達したいと願って練習するわけです。日々の練習がすぐに結果を出せるものではありませんが、紙一枚の薄さでも成長したいから練習するのはアマチュアもプロも同じだと思います。自分が演奏した音と映像を何度となく聞き返し、みなして気付いた課題は解決したいと感じるのは自然な気持ちです。「悪あがき」でも足掻かないより前に進める気がします。 

 もとより技術の足りない自分が人前で演奏すること自体、おこがましいことです。そんな演奏を何度も聴いてくださる方に、少しでも満足してもらえる演奏を目指します。あと一日あります。筋肉を休めながら適度な疲労感を維持しながら、演奏会に臨みたいと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

一年の計は…

 2023年になりました。兎年。私?年ですが(笑)
一年の計は元旦にあり?あるのかな~?今までも元旦に「よし!今年こそはっ!」と誓ったものですが、年末にはそれさえ忘れてたような人生。とほほほ。
 今年の目標!「来年のお正月も平穏に迎えられること」って駄目ですか?
穏やかに一年を暮らせるなら、それが一番の事です。昨年末に「今年の10大ニュースってなんだろうね?」と二人で考えて、10個もないから3大ニュース(笑)
第一位! 浩子さんが電子楽譜「グイド」を使い始めたこと
第二位! お風呂の換気扇が壊れて新しくなった
第三位! 特になし(笑)
その位に穏やかな一年でした。つまらない?いえいえ。これぞ平穏!

 今までの62年間に、やり残してきたことは山ほどあります。
でもそれを悔やんでもいません。受け入れることができる年齢になって、それを共感できるパートナーと暮らせることが一番です。
 今年も一年、屁理屈ブログにお付き合い下さい!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ちゃんとコンチェルトを弾いていたから今がある!

 今回は何とも「いかがわしい」タイトルのブログです。
動画は私が大学4年生当時に、恩師久保田良作先生門下生の発表会で演奏したときの録音です。銀座のヤマハホール、ピアノは当時アンサンブルを一緒に学んでいたピアニスト林(現在は同銀)絵里さん。私の大学卒業試験直前の発表会で、試験で演奏する時間までの部分しか練習していないという(笑)
 今聞いてみて感じること。「さらえばそれなりに弾けるんじゃん」という笑える感想です。当たり前ですが、桐朋学園大学音楽学部卒業試験でチャラけて演奏するする奴はいませんよね。この発表会では何か所か「大傷」がありますが恐らく卒業試験の時には、これよりもまともに演奏した…はずです。
 荒っぽい弾き方が耳障りな部分もたくさんありますが、今の自分の課題と同じ課題が多いことに驚きます。ん?つまり、成長がとまっている?(笑)

 高校大学時代に学んだ「クラシック音楽の演奏」が今の自分にとって、なくてはならないものだったことを感じます。
 クラシック音楽は長い伝統に支えられ、今もそれは継承されています。
さらに言えば。多くのポピュラー音楽はクラシック音楽の基礎の上に成り立っています。「俺にはクラシック音楽なんて必要ない!」と思い込んでいる人は、悲しい勘違いをしています。演歌もロックもジャズも、バッハの時代に作られた音楽を土台にして作られているのです。もし、あの時代の音楽=楽譜が、一枚も残っていなかったら、ポピュラー音楽は今、当たり前に聴いている音楽とは全く違う種類の音楽だったはずなのです。
 ドボルザークヴァイオリン協奏曲を、ひたむきに練習していた20代の自分がいたから、色々な音楽を演奏するための「土台」ができました。
 もしも、これからこの曲を練習したとしたら?
きっと、22歳の自分とは違うドボルザークヴァイオリン協奏曲が演奏できると思います。それが「成長」なのかもしれません。でも…この時のような筋力と体力が今、あるか?は、はなはだ疑問です(笑)
 どんな音楽にしても、真剣に向き合って練習することが、必ずその後の自分にとって「骨格」になるのだと思います。
 無駄な勉強や、無駄な練習はない。無理だと口にする前に、やってみること。
生きている限り「欲」があります。実現するための時間こそが、生きている証=あかしだと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

丸い音楽を目指して

 映像はデュオリサイタル15で演奏したヴァイオリンとピアノによる「ふるさと」小曽根真さんが演奏した折られたピアノパートを浩子さんが「耳コピ」したものです。前回のリサイタルではヴィオラで演奏したのですが、多くの生徒さんにも演奏してもらえるようにヴァイオリンで演奏してみました。

 「丸い音楽」の意味は?
旋律は音の高さと音の長さの組み合わせで作られます。
その旋律を平坦に演奏すると聴いていて違和感を感じます。
かと言って「角張った音の連続になれば音楽全体が凸凹に感じます。
 音の角を丸くする…イメージですが、ただ単に音の発音をぼかすだけでは丸く感じません。音の高さの変化と、音量の変化を「真似らかに」することがたいせつです。さらにヴィブラートを滑らかにすることで、丸さが際立ちます。
 音楽によっては「角」があった方が良いと感じるものもあります。
どうすれば?音楽の角を丸くできるのか?考えながら演奏すると、自然に音も柔らかくなります。ぜひ試してみてください!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

撮影編集技術者兼コメンテーター兼演奏者=私の職業は?

 映像は、陳昌鉉さんのヴィオラで演奏した「イムジン河」
木曽福島の小学校「福島小学校」4年生の社会・人権教育の授業で、陳昌鉉さんのお話を取り上げている事を、小学校の先生から伺い協力できることがあれば!と名乗り出ました。子供dたちから、陳昌鉉さんにまつわる質問を頂き、それにお答えする動画を自宅で撮影しました。おまけ…に、陳昌鉉さんの作られたヴィオラで韓国の歌「イムジン河」を浩子さんのピアノと演奏しておきました。もう一曲「ビリーブ」も衆力。撮影のための2台のカメラ、3本のマイクなどの設営>そして、質問への答えを「アドリブ」でしゃべり、ヴィオラの演奏。その後、データを編集して、データで小学校の先生に送信。
 なにをやってるんでしょう?私(笑)
60過ぎたお爺さんが、しかも視覚障碍のある私っていったい何屋さんなのでしょうか。いや、なんでもいいのです。結局、音楽を楽しんでくれる人のために、出来ることなら何でもやるわけです。ただし。お金にはならない…と言う(笑)
 撮影も編集も業者に出して、お金を払えばやってくれます。日数もかかります。自分でやれば…手間だけで済みます。演奏したその日に、データを送れます。そう思ってもいずれ、見えなくなったらできません。今だからできる。
 それも、私の音楽家としての「与えられた使命」なのかも。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

職業不詳 野村謙介

デュオリサイタル15迫る

 動画はデュオリサイタル15のご案内動画です。
2022年12月18日(日)午後2時開演 相模原市緑区もみじホール
2023年1月7日(土)午後5時開演 代々木上原ムジカーザで
同じプログラムをホールとサロン、ベヒシュタインのピアノとベーゼンドルファーのピアノで聴き比べが出来ます。
予定している演奏曲
・懐かしい土地の思い出より「メロディー」(チャイコフスキー)
・ノクターン(チャイコフスキー)
・ただ憧れを知る者だけが(チャイコフスキー)
・シュピーゲル・イン・シュピーゲル(アルヴォ・ペルト)
・祈り(ラフマニノフ)
・彼方の光(村松崇継)
・ジョスランの子守歌(ゴダール)
・無言歌(メンデルスゾーン/クライスラー)
・明日(アンドレ・ギャニオン)
・Earth(村松崇継) 他
どの曲も私たちにとって、愛すべき曲たちです。
多くの演奏家と比べて、私たちはすぐに音楽に出来るような技術を持ち合わせていないことを自分でも、互いにも認めています。だからこそ、昨年のデュオリサイタルから1年間と言う時間をかけて、これらの曲に取り組んできました。
 それでも自分たちで完全に満足できる演奏にまで、到達できるかどうか自信はありません。出来ることを出来る限りしています。その努力も他のかたから見れば足りないものかも知れません。自分を甘やかす気持ちではなく「受け入れる」ことも大切なことだと思っています。
 生徒さんに「妥協」と言う言葉の意味をレッスンでお伝えしています。悪い意味で考えれば自分を追い詰めてしまいます。諦めることとも違います。今の自分の力を認め、足りないことを知った上で演奏をする以外に、方法はないと思っています。「完全に満足できるようなってから」と言う考え方こそが、諦めであり現実からの逃避だと思います。そもそも完全な演奏は人間にはできないと思っています。不完全で当たり前だと考えています。
 リサイタルで一人でも多くのかたに、自分たちの音楽を楽しんでもらいたいと願いながら、現実に来場されるかたの人数は、著名な演奏家の方々が開くコンサートとは比較になりません。当然だとも思います。広告にかけるお金もなく、知っている方の数も限られています。「お友達」「先輩」「先生」「生徒」以外の一般のお客様は、有名な演奏家のコンサートや、クラシックファンの喜ぶプログラムのコンサートに足を運ばれるのは当然のことです。来ていただいた方たちに「これだけしかお客さん、いないの?」と思われてしまうことが申し訳ない気持ちです。それが現実なのでお許しください。
 こんな私たちですが、ぜひ生の演奏をお聴きいただき、ご感想を頂ければと願っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介
ピアニスト 野村浩子

●●記念オーケストラに物申す

https://youtube.com/watch?v=jyL6QmdLg90

 映像は1992年松本のキッセイ文化ホールでの「サイトウキネンオーケストラ」の演奏。このホールが出来たばかりのこの年、私の母校でもある桐朋学園創始者の斎藤 秀雄氏を偲んで開催された演奏会。1974年に逝去された斎藤 秀雄氏を私は直接存じ上げません。指導を受けたこともありません。ちなみに私は桐朋学園の第25期生です。小澤征爾氏が第1期生なので私の25歳「大先輩」でもあります。この演奏会が行われた30年前、私は32歳。小澤征爾氏は57歳。
高校大学生の頃に「小澤先生」として学生オーケストラの指導をされていた当時の事を今でも鮮明に覚えています。高校入学当時15歳の私、小澤先生は39歳。思えばまだ若い先生でした。出来の悪い学生だった私にとって、小澤先生の活躍は憧れでもあり雲の上の存在でもありました。尊敬する気持ちは今も変わりません。
 ただ、今現在もこの「サイトウキネン」が演奏を行っていることに、大きな違和感を持っています。私はサイトウキネンに「呼ばれる」ような技術ではないので「部外者」です。それを「ひがみ」と思われても私は構いません。桐朋学園の一人の卒業生として、また今も多くのアマチュア演奏家と共に音楽を愛好する人間として、私立学校の創始者をオーケストラの冠に付けて、演奏していることが果たして純粋な「恩師への感謝」と言えるのか疑問に感じます。
 桐朋の高校(桐朋女子高等学校音楽科)に入学する以前に、子供のための音楽教室などで斎藤 秀雄氏の指導を受けていた人もいるとは思います。とは言え、その人たちは当時13歳以下の子供だったことになります。つまり、斎藤 秀雄氏に指導を受けた「生徒」たちの最年少が現在(2022年)63歳もしくは64歳のはずです。一期生は現在、86歳もしくは87歳です。この第一回「サイトウキネン」が行われた当時から30年間という年月が経って、諸先輩が演奏されていることは素晴らしいことだと思います。その反面、現在演奏しているメンバーの中には多くの「斎藤 秀雄を知らない人」がいるのも事実です。第一回の演奏会の時から数名はそうした演奏者もいましたが、現在は?そして今後は?
 さらに、誰がこのオーケストラに参加する「お許し」を与えているのかという素朴な疑問です。「上手な人を集めているだけ」と言われればそれまでです。それが何故?「サイトウキネン」なのか意味不明です。一言で言ってしまえば「誰かのお気に入りが集まっているオーケストラ」にしか思えないのです。それでも演奏技術が高ければ良い…それならそれで「サイトウキネン」と言う学校名を連想させる名前を使うのはいかがなものでしょうか?
 桐朋学園同窓会の幹事として、意見を一度だけ発言したことがあります。
「卒業生の中で一部の人だけの活躍を称賛し、応援するのは同窓会として正しいのか?」という意見です。私を含めて、多くの桐朋学園卒業生が「サイトウキネン」や「●●周年記念コンサート」とは無縁の生活をしています。それが「能力が低いから」「努力が足りないから」と同窓会が片づけて良いとは思いません。
 学校は学ぶ生徒・学生と教える教員、支える職員で成り立つ「学びの場」です。そこで学んだ人たち、教えた人たち、働いた人たちすべてが「同じ立場」であるはずです。卒業し有名になった人を「優秀な卒業生」「卒業生の代表」とする発想を斎藤 秀雄氏は望んでいたのでしょうか?少なくとも私の知る斎藤 秀雄先生は「できの良い子は放っておいてもうまくなる。出来の悪い子を上手にすることこそが教育の本質」と考えていた教育者だと思っています。一期生である小澤征爾氏の世界的な活躍を強く望まれた気持ちは理解できます。そして、日本に世界で通用する演奏家を増やしたいと言う熱意も素晴らしいことだと思います。
 私には●●記念オーケストラや●●フェスティバルに「個人」を崇め奉るのは「尊敬」とは意味が違うように感じます。収益事業として利益を、母校の後進の育成に充てるのであれば「桐朋学園卒業生オーケストラ」として学校法人の管理下に置くべきです。メンバーの人選や基準、報酬も明確にすれば個人名を頭に付ける必要もなく、演奏者が入れ替わっても何も問題はないのです。
 まさかこれから先も、同じメンバーで演奏活動を続けるとは思えませんが、いずれ斎藤 秀雄氏に指導を受けた人は誰もいなくなる日が近くやってきます。「サイトウ」が「オザワ」になっても結果は同じです。
 音楽家は生前に、どんなに素晴らしい業績を残したとしても、いずれ世を去るのです。その後に、音楽家の名前を使った「コンクール」が多くあります。特に作曲家の場合には、残された作品を演奏することが大きな意義になります。
他方で演奏家の死後に「●●記念」や「●●管弦楽団」は世界的に考えても、ほとんど受け入れられていません。演奏家の「業績」は生きて演奏している間に評価されるものです。教育者の業績は多くの場合「学校」として継承されるものです。福沢諭吉の慶應義塾もその例です。桐朋学園もその一つです。斎藤 秀雄氏が自分の名前を学校名にしていたのなら、また話は少し違いますが少なくとも「オーケストラ」に個人…それが故人でも、現役の人でも「人を記念する」こと自体が間違っていると私は感じています。
 卒業生の癖に!母校愛がない!とお叱りを受けても、ひがみ根性だ!と言われても私は自分の考えでこれからも生きていきます。そして卒業した母校から、さらに新しい音楽家が生まれることを切に願っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうとございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

うまくなるってどんな意味?

 映像はもう8年も前の演奏動画です。ヴィオラで演奏したシンドラーのリスト。自分の演奏を客観的に観察することは、演奏者にとって必要なことです。
自分以外の人の演奏を聴く時と何が違うのでしょうか。

 自分の演奏が何年練習しても「うまくならない」と感じるのは私だけではないと思います。多くの生徒さんが感じていることのようです。
 生徒さんより長く演奏をしている自分が、なぜ?うまくなっていく実感がないのでしょうか。練習不足もあります。練習方法に問題があることも。意欲が足りないことも。「原因」はいくらでも考えられますが、50年以上ヴァイオリンを演奏しても「この程度」と思ってしまうのが現実なのです。うまくなりたい!と思う自分と、あきらめている自分が葛藤しています。生徒さんには「あきらめないこと!」と言いながら自分が上達していないと感じる矛盾。
 そもそも「うまくなる」ってどんな事を表す言葉なのでしょうか。
「できなかったことができるようになる」うまく弾けなかった小節を、練習して演奏できるようになった…と思っても、本番でうまく弾けていないことを感じる時に感じる挫折感。練習が足りない…ことは事実です。でもね…。
 自分の演奏を昔と今と聴き比べて、どこか?なにか?うまくなったのか、考えることがあります。生徒さんの演奏ならいくらでも見つけられるのに、自分の演奏は「ダメ」なことばかり気になります。昔の演奏の「ダメ」もすぐにわかります。つまり「良くなったこと」が見つからないのです。練習している時には「これか?」「うん、きっとこれだ!」と思っているのに、あとで聴いてみると「違う」気がすることの繰り返しです。一体、自分はなにを目的に練習しているのか…うまくならないなら、練習しても意味がない。練習しないなら人前で演奏することを望んではいけない。音楽に向き合う資格がない。負のスパイラルに飲み込まれます。そんな経験、ありませんか?

 自分の演奏に満足できないから、練習をやめることは誰にでもできることです。一番、簡単に現実から逃避する方法です。
 自分がうまくなったと思える日は、最後まで来ないのが当たり前なのかもしれません。うまくない…のは、他人と比較するからなのです。自分自身の容姿に、100パーセント満足する人はいないと思います。性格にしても、健康にしても同じです。他人と比べるから満足できないのです。
 今日一日、過ごすことができた夜に「満足」することがすべてですね。
「欲」は消せません。生きるために必要なことです。本能でもあります。
欲を認めながら、自分の能力を認めることが生きること。それを、もう一度思い返して練習を繰り返していきたいと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音楽ファンを増やすために

 映像は昨年11月に実施された木曽福島でのコンサートの模様。この時はキッセイ文化ホールの主催によるコンサートでした。今年は同じ会場で、木曽福島町主催によるコンサートとなります。入場無料で100名のお客様が来場されます。
「クラシックコンサート」の明確な基準はありませんが、クラシックの音楽も演奏します。それが「つまらない」と思うかたは元より聴きに来られることは無いかもしれません。私たち夫婦のコンサートは「音楽ファンを増やす」事をコンセプトにしています。「お子様向けコンサート」ではありません。「音楽鑑賞教室」でもありません。ポップスだけのコンサートでもない「聴いて楽しめる」コンサートを目指しています。

 メリーオーケストラの演奏会も、デュオリサイタルも基本的には同じ考え方をもとにしています。メリーオーケストラはアマチュアとプロが「一緒に演奏する」と言う変わった形態の演奏です。私たち夫婦が「プロ」としての能力・技術があるのかないのか…それは私たちが決めることではありません。お客様の「満足度」がすべてだと思っています。コンサートを聴いて「楽しめた」と思える時間だったか?それが私たちへの評価だと思っています。クラシックだけを演奏するコンサートが好きな人にとっての「音楽」と、そうでない人が初めて体験する「音楽」は同じ演奏でもまったく違う価値のものになります。期待するものが違うのです。クラシック音楽のコンサートを楽しみにする人にも「初めて聴くクラシック」があったはずです。また「好きになったきっかけ」もあったはずです。
その出会いがまだ、ないという人が大多数です。まして「クラシック」と言う言葉に「古い」「つまらない」「長い」「マニアの好きな」と言うネガティブなイメージが付きまとう人も多くいます。「懐石料理」と聴くと「高級」「お金持ちの食べるもの」と言うイメージがあるのと似ています。
 コンサートのイメージを身近なものにする「コンサート」ですそ野を広げます。その後は、他のかたにお任せします!(笑)
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介