メリーミュージックブログ

演奏家夫婦が優しく丁寧に指導

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好奇心と音楽

映像はメリーオーケストラ定期演奏会で恒例の「指揮者体験コーナー」
今回のテーマは「好奇心」です。音楽を演奏したいと思う人の多くが、好奇心旺盛な人だと感じています。プロの演奏家の中で、音楽以外に興味を持たない人も、まれに見かけます。ちょっと偏っているように感じることもあります。

 

 いろいろなことに好奇心を持つ人の特徴は、「飽きっぽい」ことかも知れません。「浅く広く」趣味を持つ人と「深く狭く」な人に大別されることがありますが、「広く深く」もあるでしょう。「狭く浅い」趣味の人の事を「趣味がない」と言うのでしょうね。ちなみに私は理想が「広く深く」で現実は「浅く広く」です。性格的なものかな?

 好奇心は動物が持つ本能だと思います。子犬や子猫は初めて見るものに好奇心を持ちます。学習するうちに「警戒心」が芽生え、好奇心よりも自制心が強くなります。好奇心が薄くなって、いつも寝てばかりの生活になる、人や動物を目にします。本人がそれで満足なら、他人が口を出すことでもありませんね。

 音楽を演奏してみたいと言う好奇心は、いつの間にか薄らいでしまうものです。実際に楽器を手にして、音が出た時の感動も、時間と共に薄らいでいきます。楽器や音楽への好奇心が、変化するのは当然のことです。音楽以外の事に、好奇心が向くのも自然なことです。それは、小さい子供を見ているとよくわかります。次から次に新しいおもちゃを欲しがる子供もいます。でもやがて飽きて使わなくなるおもちゃの方が多くなります。大人の場合はどうでしょうか?
 大人になってから、それまで関心のなかったことに、好奇心を持つこともあります。高齢になってから新しい趣味を見つける人もいます。素敵なことだと思います。

 一般に「奥が深い」と感じることがあります。
表面的な事と違う魅力や難しさを指す言葉です。好奇心の多くは「表面的な事」への関心です。実際に練習して初めて知る「難しさ」があります。それが新しい好奇心になれば、掘り下げることができますが、好奇心を失えばその時点で「おしまい」になります。ひとつの好奇心から、新しい好奇心が生まれ、それが続くことこそが「上達の道」だと思っています。

 プロの場合にも同じことが言えます。周りの人から「素晴らしい」と言われ慣れてしまい、自分の演奏への好奇心を失ってしまう人を見かけます。
 逆にコンプレックスばかりが強くなって好奇心を失い、音楽から離れる人もいます。
 仕事として何かをする人にとって、常にその仕事に対して好奇心を持てるか?が分かれ目になります。同じ仕事でも、見方を変えることが出来ないと、マンネリ化します。演奏も同じだと思います。

 ただ楽器を演奏し続けていても、何も変化しないと思います。
曲に好奇心を持ったり、自分の身体に好奇心を持ったり、季節ごとの楽器の変化に好奇心を持ったり。いくらでも「知らないこと」があります。
 自分の考えを変えられない「偏屈」な人がいます。良く言えば「一途」とも言えますが、頭の中が幼稚園児のまま、大人になったような人っていますよね。
 そういう人の多くは、知らない事への好奇心よりも自分の知っている世界観の中だけで満足しているのでしょうね。成長が止まっているとも思えます。

 音楽の持つ、本当の奥の深さは私にはまだわかりません。
どこまで掘り下げても、新しい「謎」が出てきます。違う場所から掘ってみると、さらに新しい「謎」が生まれます。答えのない禅問答を繰り返している気がします。
 それでも趣味の音楽を楽しむ生徒さんたちには、少しずつでも手応えのある「質問」を投げかけ続け、出来る喜びを感じ続けられるように心がけています。
教室を2004年に作ってから今日までに、800人以上の人たちに音楽の楽しさを伝えていますが、当時から今もなお、習い続けてくれている生徒さんにも、常に新しい好奇心を持ってもらえるように、自分自身の好奇心を掻き立てながら、音楽生活を送っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

演奏者から考えるコンサートチケットの金額

 動画は、私たち夫婦が毎年楽しみにしている「ベルリンフィル12人のチェリスト」によるコンサートの映像です。ここ数年、コロナの影響で開催されず、寂しい限りです。
 サントリーホールでのコンサートに、過去何回か聴きに行っていますが、A席で10,000円ほど。この金額が「高いのか?安いのか?」
 結論から言うと、私たちはこの演奏会の「対価」としての金額は「納得できる」と思っています。安いのか?と問われれば、経済的なゆとりのない私たちにとって「贅沢な金額」であることは事実です。それでも納得できるのは、なぜでしょうか。そして、自分自身が演奏会を開く際の「料金」について感じることを書いてみます。

 前提として、演奏を食職業=生活の糧とする場合と、ほかに生活できる収入や財力がある場合で、状況はまったく違います。
 それは演奏のうまい・へたの問題ではありません。むしろ、聴く側=料金を払う側にとっては、興味のないことです。演奏者がお金持ちでも貧乏でも、関係ないのです。一言で言ってしまえば、聴く側にとってみれば、1円でも安い方がうれしいのは当たり前の事なのです。
いくらなら?コンサートに行きたいと思うでしょう。
聴く人の「お財布事情」と「価値観=隙からい」で決まります。
誰でも聴くことの出来る金額は「無料」以外、いくらでも同じだと言えます。
それが500円でも納得のいかない演奏会もあれば、30,000円払っても満足感の得られる演奏会もあるはずです。人によって違いますよね。


 演奏する側から考えます。
演奏会を開くために、必要な「経費」があります。
・ホールの使用料金、付帯設備(ピアノや照明など)の料金は、自分の家が会場でない限り支払わなければなりません。
・広告宣伝費。これも、自分でインターネットで宣伝して、自分でチラシを作り自分で配らない限り、費用がかかります。当日のプログラムも同様です。
・ 当日のスタッフ人件費。家族だけですべての作業、受付、アナウンス、誘導などができるなら別ですが、普通は必要になります。ピアノの調律費用も不可欠です。
・その他に、録音したり撮影すれば当然費用がかさみます。
これらの必要経費を押さえれば抑えるほど、規模が小さくなり、演奏者自身の負担が増えていきます。逆に、経費にいくらかけても痛くもかゆくもない「お金持ち」なら、2,000人収容できる大ホールを借りて、ラジオや雑誌にガンガン!広告を出し、無料チケットをばらまき、来場者が20人でも構わないのかもしれません。人はそれを「金持ちの道楽」と呼びますが(笑)

 職業演奏家が演奏会で収益、つまり「黒字」を出したいと思うのは、当然のことです。赤字で演奏会を開く余裕のある演奏家は別ですが。
 多くの場合、音楽事務所がコンサートを企画し開催します。
事務所は利益を出さなければ運営できません。赤字になることがわかっている演奏会は開きません。若手で無名の演奏家のコンサートを企画する場合、当然のこととして演奏家に、チケットのノルマを求めます。簡単に言えば「演奏者がお金を集める」ことが、開催の条件になります。1枚、3,000円のチケットを100枚売ろうと思ったら、どれだけ大変なことか、想像できるでしょうか?音楽仲間がたくさんいたとしても、それぞれに演奏会を開くための負担を抱えていますから、生活にゆとりがなくて当たり前です。親戚が100人いる人は、あまり見かけません。音楽事務所は、その収益を事務所の経費と利益にします。さらに、大きな利益を得るために、事務所が「先行投資」して著名な演奏家を招くための「資金」にもします。つまりは「事務所の利益」に消えるのが、チケット代金だと言えます。

 自主公演という形で開くコンサートの場合。当然のことですが、会場費、広告宣伝費を増やすことは、赤字になるリスクを高めます。かといって、高いチケット代金を設定すると、チケットを買ってくれる人が減るリスクが高まります。
 「いくらに設定したら?」
極論すれば、会場費、広告宣伝費、当日の人件費がすべて「ゼロ」なら、チケット売り上げがすべて「利益」になります。先述した通り、聴く側にすれば、どこに、支払ったお金が消えていようが問題になりません。演奏に満足できれば良いのです。
 料金を上げれば「高すぎる」と言われる。安ければ「持ち出し」になる。
一体、演奏かはどうすれば?良いのでしょうか。

 コンサートにかかる経費の一部でも、自治体や国が負担してくれる「文化」が日本に芽生えるまで、あと100年は、かかるでしょう。もっとかかかるかも知れません。なぜ?そうなるのでしょうか。
 演奏家たちが、聴いてくださる方たちに実状を伝えないことに、原因があると思います。事務所に所属する演奏家が、声に出せないのは仕方ありません。言えば「くび」になるのですから。ただ、現役を退いた演奏家や、指導者、さらにはフリーランスの演奏家たちが、みんなで聴衆に現状を理解してもらう「努力」をしなければ、演奏家が「儲けている」ように思われても当然ではないでしょうか?
 なにも演奏会で「経費一覧」を公開しなくても(笑)、プログラムやチラシに、率直な思いを書いたり、トークで伝えることは悪いことだとは思いません。
どうして?この金額になるのか。チケットの収益は、いったいどこに使われるのか?それを、一般の方々に伝えなければ、私たち演奏家のしていることは、ただの「道楽」か「金儲け」としてしか理解されないと思うのです。
 演奏家も聴く人も、音楽を必要としていることを共感できる「文化」を育てることは、黙っていてはできません。
 多くの皆さんの、ご理解とご協力を頂きたいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ヴァイオリンとピアノ

 動画は以前、私と妻浩子のデュオリサイタル時に、ケーブルテレビ局「むさしのみたか市民テレビ」の取材を受けた際の番組です。
 今回のテーマは、ヴァイオリン演奏とピアノについてです。

 私たちのように夫婦でヴァイオリンとピアノの「デュオ」が出来るケースは多くありませんが、ヴァイオリンだけで曲が完成する音楽は、それよりずっと少ないのです。つまり、ヴァイオリンの曲の多くは、ピアノと一緒に演奏して初めて完成する音楽がほとんどだという事です。
 私自身、中学2年生の時に、師匠の門下生発表会に初めて参加させていただき、ピアノの「伴奏」とレッスンで「伴奏合わせ」をした時の感動を記憶しています。それまで、ヴァイオリンを弾くと言うのは「ひとりで弾く」ものだとしか考えていませんでした。ヴァイオリンの教本や練習曲を練習して、レッスンに持っていき「合格」すると次の曲に進む…。その繰り返しがヴァイオリンの練習でした。
 通っていた公立中学校のクラブ活動で「音楽部」に入り、ヴァイオリンを弾いて合奏する楽しさを、初めて知りました。それでもレッスンは「別物」でした。
 発表会でハイドンのヴァイオリン協奏曲第1楽章を演奏し、少ない伴奏合わせの後、銀座のヤマハホールで演奏したときの緊張感も覚えています。

 音楽高校に進み、年に2回の実技試験や、友人との遊びアンサンブル。その経験から他の人と共に音楽を作る、楽しさと難しさを体感しました。
 親友とのアンサンブルで、光栄なことに、演奏するアルバイトの機会も頂けるようになりました。先輩に声をかけて頂き、室内楽のメンバーに入れてもらって演奏したのも刺激を受ける学びの場でした。
 やがて「人間関係」が「音楽の核(コア)」であることを感じるようになりました。見ず知らずの人とでも演奏は出来ます。練習を重ねる間に、親しくなることもありますが、本当に心を通わせられる人との演奏とは、根本的に何かが違う気がし始めました。
 大学生時代、プロのオーケストラにエキストラとして参加させてもらったり、アマチュアオーケストラでのエキストラ、レコーディングスタジオでの演奏など、お仕事としてヴァイオリンを弾かせてもらえる機会が増えて「間違えず演奏できること」で、次の演奏の仕事をもらえることを知ります。
 それがいつの間にか、レッスンに通って合格し、次の曲を練習することと、大差なくなっていることに気が付きました。
それは私の「不勉強」と心構えの問題です。多くの仲間は、それぞれの演奏で新しい事を吸収していたのだと思います。

 20年間の教員生活を経て、再び演奏をを主体としてヴァイオリンを弾く生活に戻りました。その後、リハビリに多くの時間を費やしました。
 私たち夫婦の演奏で、ピアノを伴奏とは考えていません。
演奏形態として、ヴァイオリン独奏・ピアノ伴奏という「呼び方」は確かにあります。また、曲によっても、そう(伴奏)と呼ぶ曲もあり、ヴァイオリンソナタのように、それぞれが「ヴァイオリン・ピアノ」と独立して紹介される音楽もあります。どんな形式の曲であっても、その曲がヴァイオリンだけでは完成しない音楽である以上、「一緒に音楽を作る」意識が何よりも大切だと思っているから、「デュオ=2重奏」という紹介をしてもらっています。

 ヴァイオリンの楽譜には、ピアノの楽譜は書かれていません。
一方でピアノの楽譜には、大譜表の上段にヴァイオリンやヴィオラの楽譜も書かれています。つまり「スコア」を見ながらピアニストは演奏しています。
私の場合、ヴァイオリンやヴィオラの楽譜を演奏する事は出来ても、ピアノの楽譜をヴァイオリンでも、ましてやピアノでも演奏する技術がありません。一方で、ピアニストは、ヴァイオリンの楽譜を「ピアノ」で演奏することが当たり前のように出来るのです。
 私の場合は、自分のパートを弾けるように覚えるまで練習します。
その曲の「音源」がある場合は、色々な演奏を聴いて、自分の「弾かない音」を確かめます。音源がない場合、妻のピアノを聴いてそれを確かめます。
 そのうえで、改めて自分のパート(ヴァイオリンやヴィオラ)を練習しなおします。さらに、ふたりで一緒に弾きながら、修正をお互いの楽譜に加えていきます。

 信頼関係とお互いを認められる気持ちがなければ、ひとつの音楽は完成しません。
 それ以前に、ヴァイオリニストは自分以外の「楽器」と一緒に演奏することを前提にして練習することが不可欠なのです。
 自分「だけ」で弾けるだけでは「アンサンブル」は出来ません。
自分が弾きながら、ほかの人が何を弾いているのか?どんなリズムでどんな和声になっているのか?を聴きながら演奏する「余裕」を持たなければ、音楽が完成しないのです。ピアノを弾ける必要は、絶対とは思いませんが、せめて自分のパートを「暗譜」するぐらいの練習は必要な気がします。
 あくまでも、アマチュアの場合の話です。プロはその技術を身に着けているから「プロ」なのだと思います。暗譜しなくても、他の音を聴く技術や、楽譜を注視しながら音を聴く能力です。聴音、ソルフェージュなどの「トレーニング」は、演奏家を目指す人なら、絶対に必要不可欠だと思っています。それを学ばずに卒業できる「音楽学校」に大いに疑問を感じます。

 長くなりましたが、音楽を楽しむ以前に、挫折してしまう人が多いのが趣味の音楽です。特にヴァイオリンは、ひとりで練習していて「つならない」と感じて当たり前なのです。ピアノのように和音が演奏できるわけでもなく、音の高さが定まらず、高さを考えれば音色が汚くなる…うまくなった実感が持てない楽器だからこそ、ぜひ!ピアノと一緒に演奏する「感動」を味わってください。
その楽しみを得るために、楽譜を見なくても弾けるようになることを目標にするのも、モチベーションの維持につながると思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

子供たちに平和と音楽を残したい

 NPO法人メリーオーケストラは「子供の健全な育成」と「音楽の普及」を目的として活動をしている団体です。
 子供と音楽と聴くと「音楽教室の話?」と思われそうですが、全く違います。
世界が平和でなければ、子供は生きていけません。
世界が平和であれば、音楽をいつくしむことができます。
子供が嫌いな人や、平和を求めない人がいたとしても、今、生きている大人は
「もとは子供」だったのです。平和だったから、今、生きていられるのです。

 音楽を戦争のために使った歴史がありました。「軍歌」です。
不幸な歴史です。日本に二度と軍歌が流れないことを祈っています。
動画で子供たちが純粋な気持ちで歌っている歌詞の中に
「世界中の 希望 乗せて この地球は まわってる」
未来を一番享受できるのは?子供です。大人の責任は、子供たちに未来を残すことです。身勝手な屁理屈を並べ、他国の人を悪く言う大人が、子供たちに明るい未来を残せるはずがありません。

 「子供のために戦うんだ!」というセリフは、綺麗に聞こえるかもしれませんが、共存する知恵を働かせることの方が大切です。
「助けあう」「支えあう」「認め合う」ことが音楽の基本です。
憎しみあい、否定しあう人が誰かと音楽を演奏しても、「軍歌」以外の音楽を演奏できるとは思いません。
子供たちに、笑顔で音楽を演奏できる環境を残すために、必要なのは
「核兵器」ではないはずです。助け合い、支えあい、認め合うことを「お花畑だ。きれいごとだ」と罵られても、私は構いません。それが出来なければ子供たちの未来がないと、私は信じています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

音楽家 野村謙介

演奏と身体の動き

https://youtube.com/watch?v=DR6CGXneIuI

上の動画、ユーディー・メニューインとヤッシャ・ハイフェッツの演奏です。
私たちが学生の頃、動画などなく、レコードと書籍でこの「神」たちの演奏を学びました。特に、メニューインの演奏方法について、日本語訳の本を何度も読み返しては「はぁぁ~」と心が折れた記憶があります。ヨガの呼吸法…鼻が詰まってできなかった。それはさておき、共通するのは身体の動きと、楽器の動き。
体幹が目で見えそうなくらいの「軸」があります。楽器と身体の「位置関係」が微動だにしません。どんなパッセージでも、それは変わりません。

 こちらは、ギドン・クレーメルのブラームス。一見すると、無駄に上下に動きすぎているように感じますが、よーく見ると、楽器と身体がまるで一つの「柔らかい塊」のように動きます。ちなみに、クレーメルが口を開けて弾いている姿、見慣れない人には「あご、外れた?」とか「鼻づまり?」とか。私は学生時代、師匠に「奥歯を噛んで弾いちゃダメ」と注意され「時々、口を開けたまま弾いてみなさい」と言われました。そのまんまクレーメル(笑)上半身に力を入れず、常に楽器と共に自然に動くことができるクレーメル。すごいです!

 そしてマキシム・ヴェンゲーロフのシベリウス。
自由気ままに動いている?いーえ。彼の動きには、彼の「音楽へのこだわり」がそのまま表れている気がします。頭の角度が極端に変わるのは、ヴェンゲーロフが意図的にそうしているのか、それとも無意識なのか、私たちにはわかりません。

 極めつけ、アンネ・ゾフィー・ムターのメンデルスゾーン。
どこから見ても「肩当て」が見当たらない。
しかも、肩は「素肌」の状態。男性なら上着の鎖骨部分に、「ウレタン」を入れて高さを出せますが、女性のこのドレスで、どうやって?楽器を保持できるのか。謎なんです。身体が動いても、どんなに左手のポジションが動いても、ヴァイオリンが「浮いている」としか思えないのですが。

 まとめますが、演奏中に身体が「動く」ことを良しとしないヴァイオリニストもいます。逆に動いても良いと言う人もいます。ただ、演奏は「音」が本質なのであって、表情は本来音楽とは無関係です。その表情に魅力を感じる人もいらっしゃいます。下の動画、好きな人!ちなみに音はありませんので。

 いわゆる「ビジュアル系ヴァイオリニスト」さまです。なぜ?そこに目線?なぜ?口が半開き?なぜ?腰をくねらせる?なぜ?首を振る?
ま。好きな男性に聴かないとわかりません。


 音楽と身体は「一体」のものです。分離はできません。
演奏するために必要な動きは止める必要なないと思います。
有害な動きはとめるべきです。
多くのアマチュアヴァイオリニストが「恥ずかしいから動かない」のですが、
自然に体を動かすことは、必要な練習です。ダンスにさえ、ならなければ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

趣味の演奏とモチベーション

 多くのアマチュア演奏家と接してきました。
1対1のレッスンだったり、アマチュアオーケストラメンバーを指導する場面だったり。自分自身が演奏技術を高めることの難しさを、演奏家になるための道を歩いてきた身として、その時々で音楽の楽しさを伝えてきたつもりです。
 そのアマチュア演奏家の中から、私と同じ演奏家への道を歩んだ人もいますが、全体で考えれば、100人に一人いるか?いないかの、ごく少人数です。
私とかかわった、多くの人が音楽を続けているのかどうかさえ、私にはわからないのが現実です。
 初めてヴァイオリンを手にする人に、専門家を目指しましょうと言うのは無茶な話です。私は「演奏を楽しむ人」を増やすことがライフワークだと思って活動しています。プロを育てることを目的にしていません。音楽大学でレッスンをする先生方は、ある程度の演奏技術を身に着けた学生に対し、さらに高いレベルに引き上げる役目を果たされています。

 初心者としてヴァイオリンを練習し、その後長くヴァイオリン演奏を趣味としていく人の「共通点」を考えることで、途中でやめてしなう人の原因を探ることになると思います。
 以前にも書きましたが、弦楽器はピアノと違い、基本的に単旋律を演奏する楽器であり、多くの場合にヴァイオリンの演奏だけで曲が完成しません。ピアノやそのほかの楽器の音と交わりあって、初めてひとつの音楽になるのが普通です。
 ひとりでヴァイオリンを練習する初心者にとって、メロティーだけを演奏することが、簡単に思えたり、とても難しく思えたりします。
 例えて言えば、カラオケで歌うことが好きな方は、おそらく「カラオケ」つまり伴奏の音楽と一緒に歌うことが好きなのだと思います。ひとりで黙々と歌の練習をする「カラオケ好き」もおられるとは思いますが、いわゆるア・カペラ=無伴奏で歌うより、カラオケの音楽と一緒に歌いたいのではないでしょうか?
 ヴァイオリンの練習は、カラオケ抜きで歌の練習だけをする時間がほとんどです。
 違う例えで言えば、演劇や映画で一人分の台本だけを読んで練習するのが、ヴァイオリンの練習に似ています。もちろん、台本には自分以外のセリフも書いてあります。音楽の場合、「スコア」にはすべての音楽が書かれています。
 台本なら、他人のセリフも読めるでしょうが、スコアを見てピアノの楽譜を音に出来る人は少ないのではありませんか?
 どんなに頑張っても、一人分の音楽だけを演奏する「ヴァイオリン」と、一人で音楽を完成できる「ピアノ」の違い。
 誰かと一緒にヴァイオリンを演奏する楽しさを知ることがなければ、ヴァイオリン演奏の楽しさを感じられなくて当たり前です。

 次に共通することを考えると「家族の理解と励まし」があることが、長く音楽を続けられる要因になっています。例外もありますが。
 子供の場合には、親のかかわり方が最も大きな要因です。
子供と一緒に、音楽に向き合える家庭の子供は大人になるまで演奏を続けています。
 大人の場合には、家族からの励ましと練習への理解の有無が大きくかかわってきます。もちろん子供と違い、自分の意志で続けられるものですが、技術の向上に行き詰った時に、応援してくれる家族がいることは大切です。
 友人でも良いのです。自分の演奏を聴いてくれる人がいることが、何よりも大きなモチベーションになります。

 この映像は今から11年前の映像です。演奏している小学校3年生の男の子、
幼稚園から私がヴァイオリンを教え始め、毎週お母さんと通ってきてくれました。この少年がその後、どんな成長を遂げていくか、ご存じの方もおられるのですが、機会があれば本人と対談したいと思っています。乞う、ご期待(笑)
 次に共通するのは「作業容認性」つまり、レッスンで言われたことに素直に応える「受容性」です。これは教える側との信頼関係でもあります。
信頼関係は生徒と弟子の両者が、共に信じあえなければ成立しません。
 レッスンで言われたことを、出来るまで疑いを持たずに頑張れる性格であることが必要です。「自分(自分の子供)には、できない」と思ってしまえば、その時点で上達は止まります。上達が止まればモチベーションも切れます。
指導者が無理難題を押し付けたとすれば、指導者の責任です。
多くの場合、指導する人は自分が出来たことを基準に、生徒にも「できるはず」と思い込みます。必ずしもそうとは限りません。それを理解して、生徒に乗り越えられる壁を与えられる指導者が必要です。
 指導者の願いは、自分を超える音楽家を育てることの「はず」です。
自分が出来ないことを、生徒が出来るようになった時に、心から喜べる指導者であるべきです。必要であれば、自分の教えられない技術を、他の指導者に習わせることが出来る指導者と、囲い込んで他の指導者に見させない「心の狭い」指導者がいるのも現実のようですが。

 最後に「音楽へのこだわり」がある人が長くアマチュア演奏家として、音楽を楽しんでいます。
 好きな音楽がない人が、演奏を楽しむことはあり得ません。
美味しいものを食べることに興味のない人が、美味しい料理を作れないのと同じです。
人間は嫌いになるのは一瞬です。好きになるのには、多くの場合時間がかかります。本当に好きなものに出会えるために、必要な時間はとても長いのです。
それまで興味のなかったことに、ある時突然、関心が沸いた経験は大人ならあるはずです。ただ、それが長く続いて本当に好きになるかどうか、その時点ではわかりません。
 カラオケ好きは、ずっとカラオケが好きです。
きっとそれば「楽しい」と知っているからです。
ヴァイオリンは楽しさを知るまで、時間がかかります。
ぜひ、長い目で音楽を楽しんでください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音楽と平和と

 人類の愚かさの象徴「戦争」がまた、起こってしまいました。
野生の動物たちが自分より弱い生き物を捕食するのは、生きるためです。
戦争は野生のそれとは全く違う「利益」を目的としたただの殺し合いです。
日本の中にも、「ちからにはちからで」ともっともらしいことを叫ぶ人がいますが、力を使う前に「あたま」を使うのが人類なのです。力比べをする「必然」がないところに一方的に暴力をふるってくる人間が、世界中にいます。それは街のチンピラと言われる人も同じことです。チンピラから身を守るために、いつもナイフやピストルを持ち歩かなくて済むのが、日本の「治安」です。治安とは「ルール」でありそれを守ることを前提にしているから成り立ち、守らない人を「罰する」ルールが浸透しているから保たれています。
 チンピラにしても、プーチンのような権力者にしても、ルールを守れない人間が現れた時に、力で対抗しなればわが身を守れないことがあります。
日本は税金の多くを「自国を防衛するための予算」として使っています。
その金額は世界的に見てもとても高い金額です。私たち日本人は、過去に他国を侵略し戦争で負けました。その結果、二度と他国に攻め入らないことを世界に向けて誓いました。その歴史認識を忘れることは、反省をしないヤクザと同じレベルです。

 平和は力でつくるものではありません。すべての人間が、生きるために必要なルールの中で生きることしか方法はありません。色々なルールを組み合わせて世界は平和を維持できます。話し合いのできない人は、ルールを守れない人間と同じです。

 今、ロシアの作曲家の作った音楽を演奏しないという妙なことが起こっています。チャイコフスキーの作曲した「1812年」は、大昔の出来事を題材にして作られた音楽です。チャイコフスキー自身はとっくに亡くなった人です。プーチンと友達でもなければ、戦争支持者でもありません。
 音楽の中には、特別な意味を持って作られた音楽もあります。
「国王賛歌」などの音楽は、目的をもって演奏されます。
日本が戦争時に「軍歌」を歌っていました。これも特殊な音楽の一つです。
 そうではない音楽までを、色付きの眼鏡で見るような行為は、正しいとは思えません。聴く人に誤解を与えたくない気持ちは理解できます。演奏者、主催者がお客様に対して、反戦の意思とウラジミール・プーチンへの抗議を表明すればそれで良いのではないでしょうか?
 むしろ、演奏者の中にプーチンの行為を擁護するメンバーのいるオーケストラの演奏こそ、糾弾されるべきではないでしょうか?
 音楽、芸術、スポーツと政治は直接の関りはありません。ただ、無関係でもありません。政治が腐敗すると音楽やスポーツが制約を受けることは、歴史を学べば誰にでも理解できます。
 私たちは、二度と戦争を起こしてはいけないのです。
世界中にそれを伝える責任を持たされています。
それを忘れて「議論だ」と言うのは、殺人の良し悪しについて議論するのと同じです。議論する必要のないこともあるのです。
 固い話ですみませんでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音楽・自由・生活

 ごくまれに、生徒さんから進路について相談されることがあります。
教員時代、なぜ?この私が?という部署「進路指導部」の仕事をしていた時期がありました。「適材適所」ですよ(笑)それはさておき…
将来、音楽家になりたい。というより、こんな私のような仕事をしたいという、
ありがたくもあり、光栄でもあり、こっぱずかしい気持ちで話を聞くことがあります。
 多くの場合、本人の気持ちは親とすれ違います。
我が子の将来、現在を心配しない親は親ではありません。心配して当たり前です。心配だからこそ、子供の将来にも口を出したくなるのが当たり前です。
一方で、子供の立場で言えば「自分の人生なんだから好きなようにさせて欲しい」という気持ちがありながら、親に生活させてもらっている感謝の気持ちもあります。素直で優しい子ほど、親に「忖度」します。と言うより気を遣います。
その両者が完全に、意見が一致することはなくて当然だと思います。
子供と同様に、親も初心者マークを付けた「親」なのです。自分が子供だった頃の記憶、失敗したことも含め、我が子には苦労をさせたくないと願う気持ちがあります。
 我が子にとって良かれお思い、東大に進ませ、官僚になってくれても、仕事に追い詰められて、自ら命を絶つ子供。親の気持ちを察するに余りありますよね。
自分(親)が、あの時、東大を目指せ!と言わなければ…そんな悔いを持ちながら生きることになったら…。

 なぜ?親は我が子を音楽家にさせたがらないのか?
親が応援してくれる例外はたくさんあります。私もその例外の一例です。
一言で言えば、生活が不安定だからです。音楽家と言う「職業」に我が子がなって、経済的に苦しむ「かも知れない」ことを案ずるのは当然です。
 なぜ?音楽家と言う職業は、収入が不安定なのでしょうか?
国によって、大きな差があります。私は日本でしか生活した経験がありませんが、ヨーロッパでの「音楽家」と言うステイタスとは、明らかに違うのを感じています。国、自治体、市民が音楽を大切に思うか?なくても良い程度に思うか?という違いが最大の要因だと思います。

 日本国内で、純粋に自分のやりたい音楽「だけ」を職業にして、生活できる人は、どのくらいいるでしょうね?統計を見たことがありません。
一言で「音楽家」と言っても、幅が広すぎるのです。音楽に関わる仕事をしていれば、音楽家だと言えます。ホールの舞台スタッフも、プロデューサーも調律師も「音楽家」だと言えます。演奏家…となると範囲が絞られます。それでも自分の好きな音楽、たとえばクラシックだけを演奏して生活できる「音楽家」もいれば、様々な音楽を演奏しないと生活できない「音楽家」もいます。
音楽の学校で教える人も「音楽家」です。趣味で演奏できるレベルの人が自宅で誰か生徒さんを教えれば「音楽家」です。

 教えたり、演奏したり、作曲したり、サポートしたり。
その仕事の対価を誰からもらうのか?によって、音楽家の「自由度」が大きく変わります。
 私は学校と言う組織で20年間、高給をもらいながら、音楽らしき仕事をできたとは思っていません。確かに、オーケストラ部を作り育てましたが、もしかするとそれは私にとって「欺瞞」あるいは「ストレスの発散」だったのかもしれません。純粋に音楽を楽しめる心のゆとりがなかったのです。日々、会議と成績処理、授業の準備に追われて、自分が音楽家だとは、口が裂けても言いたくなかったのが本音です。私の教員時代は「生活=お金のため」の日々でした。
すべておの音楽教員がそうだとは思いません。でも、組織の一員として働いた「対価」を受け取る以上、組織の命令には従わなければいけません。当たり前のルールです。
 プロオーケストラのメンバーでも、組織の一員であることは同じです。
私は、教員時代の終わりごろには、年収1,000万円以上の給与を得ていました。
その代わり、音楽はできませんでした。

 今、個人の生徒さんにレッスンをして、楽器の販売をして、ぎりぎりの生活です。それでも、この仕事を始めた時、元気だった父が本当にうれしそうに自慢していました。お金に困って相談したときも「おう!まかせとけ!いくらいるんだ」と明るく応援してくれた父です。その父は私が教員になったときにも「応援」してくれましたが、本当は悲しくて悔しくて、たまらなかったと話してくれました。それが、親、なんですね。

 音楽を職業にして、人並みの生活ができる「国」だったら、親も我が子が音楽家になりたいと言い出した時、反対しないでしょうね。そんな日本ではないですから。残念ですがそれが現実です。
 それでも、言いたいのです。子供の夢を応援して欲しい。
子供に言いたい。親のすねをかじって生きるのが「子供」だ。親に本当の気持ちを伝えて本気で頑張って見せるしかないよ。と。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音楽にまつわる「うそ・ほんと「

 音楽を演奏したり教えたり、広めたりする活動をしてきた私が、常日頃、出くわす、音楽にまつわる話の中にある、間違った情報「うそ」と真実「ほんと」について。
 動画は子供たちが主役のNPO法人メリーオーケストラを紹介するものですが、この活動や下の動画、私が経営する小さな音楽教室メリーミュージックでの生徒さんたちを見て頂くと、どんな印象を持たれるでしょうか?

  おそらく「趣味の音楽って楽しそう」という率直な感想を持たれる方が多いのではないでしょうか?それは間違いなく「真実」です。
 音楽を趣味にすることは、私の知る限り最高の楽しみの一つだと信じています。それでも、中には「才能がないと上手にならない」という間違った先入観を持っている方もいらっしゃいます。また「裕福な家庭でないと音楽は習えない」という思い込みもあります。

プロの音楽家はお金持ちという嘘

 これは一番多い間違いかも知れません。世間一般で「音楽家」と言う職業は「特殊な人種」として扱われることがあります。理由は様々ですが、先ほどの「特殊な才能がある」と言う思い込みや、「楽器が高いのだからお金持ちに違いない」
さらには「テレビで見る音楽家はおしゃれで外車に乗って現れる(笑)」と言うイメージなどなど。
 確かに一部の音楽家は「お金持ち」と言って良い収入を得て裕福と言える生活をしています。それは、ほんのごく一部!ほんの一握りの人たちだけです。
多くのプロ音楽家は、そのような「有名人」とはかけ離れた生活をしています。好きで選んだ職業なので、嫌なら違う職業に転職すれば良いだけです。
ですから、私は音楽家が貧乏だからと言って「可哀そう」と同情する必要はないとも思いますが、現実を知って頂きたい気持ちはあります。さらに、国や自治体が文化芸術にお金を出したがらない!と言う「民度の低さ」が一番の問題です。

裕福な家庭じゃないと…と言う嘘

 これも、良く言われます。「きっとお父様やお母様が音楽をなさっていたのですね」とか。露骨には言われませんが、きっと裕福な家庭で育った「おぼっちゃま」「おじょうさま」ばかりだと思われていますが、これも「大嘘」です。
 例外的にそういう方もいますが、どんな世界にもいるのと同じ割合です。
私の家庭は、父が銀行員、母は専業主婦という、いたって普通のサラリーマン家庭でした。資産家の家計でもなんでもなく(笑)、社宅暮らしがほとんどでした。音楽高校でも周りの友達は、ほとんど私と同じ環境の「普通の家庭の人」でした。むしろ、厳しい経済状況で、地方から単身上京し、風呂なし・トイレなしの6畳一間のアパート暮らしの友人がたくさんいました。それが当たり前でした。

クラシックにしか興味がないと言う嘘

 クラシック音楽を専門にしているから、普段から…いいえ。
人によってはそういう方も、いるかもしれませんが、私の音楽仲間の多くは違いました。ジャズ大好きなチェリスト、なぜかジュリー(沢田研二)とクイーンとロッド・スチュワート大好きなピアニスト(私の妻、H子さん)
 なぜか、法人女性歌手(中国人か!)ようするにアイドルや、女性シンガーの歌が大好きなヴァイオリニスト(今、これを書いている人)などなど。
 クラシックも聴きます。好きですが、いつも聴いているわけではありません。
むしろ、聴いていると「分析する」聴き方をしてリラックスできないという人が多いですね。

変わった人がいるという真実(笑)

  えーっと。確かに私から見ても、やや?だいぶ?普通の人と考え方や、行動パターンが違う音楽家「も」いるのは事実です。ただし、そうでない「私を含めた」音楽家の名誉のために申し上げますが、一般常識をもって普通の日本人として行動する人がほとんどです。
 おそらく、自分の好きなことに打ち込んで、「お金より音楽」と思う音楽家ほど、どこか…その…面白い性格になるようです。ただ、悪い人はいないのです。
人に危害を加えるような人はいません。
 プロなのに、ぼろぼろのヴァイオリンケースで楽器を持ち歩く演奏家。
 オーケストラの安い給料のほとんどを、レコードを買うことにつぎ込む演奏家。
 ひたすら楽器を買い替え続け、自己満足に浸る演奏家。
 掃除機の音ををステージで鳴らし、楽器として扱う作曲家。 
ちょっと、怖いでしょうか?(笑)

音楽家は人嫌いという嘘

 ステージで怖い顔をして演奏している演奏家でも、話をしてみると案外「明るい普通の人」がほとんどです。中には、ステージ降りても怖い人もいますが。
ただ、普段一人で黙々と練習することが多いので、人と会話をするのが下手な演奏家が多いのも事実です。だから?なのか、ただ演奏してお辞儀して演奏会を終わる人には、個人的に違和感を感じています。お客様に媚びを売るわけではなく、人として接することも必要だと思っています。

音楽家は漢字を書けないという真実

 これは私だけなのかも知れません。すみません。
いや、高校時代の同期男子は全員、現代文のテストで追試を受けていたので、恐らく真実です。
 なにせ、音楽高校の入試は、一般科目にかかるウエイトが低い。というより、私のころは無いに等しかったのです。授業も単位が取れれば良い。単位は、総授業回数の3分の2出席していれば、テスト0点でも単位が取れました。
 大学でも同様でした。なので、私「と同期の男子」の一般科目学力、特に漢字能力は「中学卒程度」で、しかも字を書かない生活でしたので、それは恐ろしいものでした。
 誰とは言いませんが、同級生のヴァイオリニスト「K君」は、卒業後年賀状の宛名に「野村 嫌介 様」と書いてくれました。素敵な男です。
 私は、中学校・高校で20年間、音楽の授業を担当しましたが、音楽理論の授業で黒板に「旋律短音階」と書こうとして、せんりつ…せんりつ…
だめだ!と思い、「メロティック短音階」と板書してその場をやり過ごしたトラウマがあります。生徒たちはノートに書き写していました。懺悔します。

終わりに…

 最後までお読みいただきありがとうございました。
音楽家という生き物、少し理解していただけたでしょうか?
これから音楽家を目指す人や、若い音楽家が「みんな」こうだとは思っていませんが、少なくとも私たちは、普通の人間です。ほとんど人畜無害であり、無芸大食です。どうか、皆様に暖かい目で見て頂ければと、思っております。


ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

楽譜の進む速さ

 上の映像は、ボロディン作曲のオペラ「イーゴリ公」の中の一曲「ダッタン人の踊り」から。8分の6拍子。プレスト。譜面には付点四分音符=100(一分間に100回)つまり、1小節1秒ちょっとの速さと書かれていますが、映像の冒頭部分プロオーケストラの演奏はそれより、ずっと速いテンポです。
 画像はファーストヴァイオリンのパート譜。音を聴きながら楽譜を見て、どこを弾いているか見つけられれば、あなたはかなりの上級者です。普通は絶対に見つけられません。それが普通です。はやっ!!!

 その後、メトロノームとパソコンの音で少しゆっくりした演奏と同じ楽譜。
いかがでしょうか?どこを弾いているか?お判りでしょうか?
この楽譜はファーストヴァイオリンのパート譜です。
オーケストラでは、ピッコロ・フルート・オーボエ・コールアングレ・クラリネット・ファゴットの木管楽器。ホルン・トランペット・トロンボーン・チューバの金管楽器。さらにハープ。ティンパニ・バスドラム・シンバル・タンバリンなどの打楽器。ファーストヴァイオリン・セカンドヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバスの弦楽器。これらの楽器が同時に演奏することもあれば、どれかひとつだけの場合もあります。
 自分が演奏するだけの楽譜が「パート譜」です。すべての楽器の楽譜を縦に積み重ねて書いてあるのが「スコア」です。指揮者はスコアを見ながら指揮をします。スコアは時によって、1ページに数小節しか書けないこともあります。どんどん次に進む…。大変です。

 動画最後に、もっとゆっくりの演奏になります。
1分間に付点四分音符60回。1小節2秒の速さです。それでも追いかけるのは大変ですよね。ましてや、これを演奏するのですから…。
速い曲を練習するために、楽譜を読むトレーニングが必要です。
CDなどの演奏を聴きながら、楽譜を見る練習をすれば、次第に慣れていきます。それでも速くて追いつけない時は、ゆっくり聞きながら読むことをお勧めします。

 本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介