映像はヴァイオリン製作者陳昌鉉さんが長野県木曽町に贈呈された「木曽号」を使って一昨年秋に木曽町文化交流センターで演奏したときの「鳳仙花」です。
陳さんは日本が「強制的に統治」していた韓国で生まれ育ち、戦後日本に渡り、独学でヴァイオリン制作者を志した私の尊敬する方です。
「ヘイト」と言う言葉が明確に何を指し示すのか?について専門家ではないので私には書けません。しかし、私たち一人一人の人間には、必ず「母と父」と言う人間が存在しているのです。仮に会ったことがない「両親」だっとしても、生物学的に考えれば、どんな人にも何代にも遡れる「祖先」がいるのです。祖先のいない人間は誰もいないのです。地球上に「人類」が誕生したときまでさかのぼって考えると、私たち一人一人の「祖先」はその時代にまで遡らなければ、私たちは今生きていないことになります。
間違いなく言えるのは、自分の「一番古い祖先」を知っている人は、地球上に誰もいないという事です。「日本の天皇家が!」と食いつく人がいそうですね(笑)系譜と言う意味で天皇の家系には「記録が多く残っている…ただし、その記録は「文字」でしかありません。「DNAだ!」へ~。神武天皇の「DNA」ってどこかで調べられるんですか?(笑)
その話はここまで。要するに私たちは「人種」や「国籍」「肌の色」で人を自分と違う「人種」だと決めつけています。そんな「決まり事」ができたのは、たかだか数百年前からですよね。自分の「祖先」が今、隣にいる人と同じかもしれない…それが真実です。私たちの「差別意識」は「自分が優れている」という傲慢な思い上がりが生んだ不幸な「勘違い」でしかありません。
音楽家の中にも、情けないことに「〇〇国民は最低だ!」とか「●●人は日本人よりバカだ!」と口にする人がいるのは事実です。よほど自分が優れた生き物だと確信している人だとしか思えません。実際にはかなり頭の弱い方だと思いますがご自分では「俺は賢い」と思っているから差別ができるんですよね。
音楽は「国境」がまったくいらない「音の芸術」です。
楽譜と言う記号を理解できれば、言葉を交わせない人とでも一緒に音楽を演奏できます。聴くことに至っては、まさに「誰でも」一緒に楽しむことができます。
争うことが「正義」だと勘違いしている人がいます。正義にも様々あります。
自分を守ることも正義。他人を守ることも正義。安直な考えで人を「見下げる」のは間違っています。
人間は「考えることができる」のです。
音楽を通して、他人を思いやる思考が大切だと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介