メリーミュージックブログ

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2022年

世代交代しても変わらないもの

 映像はチェリスト宮田大さんのレッスン風景。
現在36歳の宮田さん。こうしてレッスンをしている内容や話し方に「世代交代」を感じます。
 習う人に「年齢」や「演奏技術」の線引きありません。習いたいと思う気持ちは、他人からの評価とは無関係です。常にだれかから「習いいたい」と思う気持ちは演奏家にとっての生命線かもしれません。
 それらの人に「教える人」にも資格や基準はありません。伝えたい、残したいと思う気持ちがある人=指導者と、その人から何かを学びたい、吸収したいと思う人=弟子の「信頼関係」がなければ、なにも伝わることはありません。

 私たち60代が若い頃に受けたレッスンと、現代のレッスンは何が変わり、何が変わらないのか。
 当然のこととして、ある時代に「生きる人たち」は色々な世代・立場です。
社会全体、あるいは国内での人々が求める物も違います。
音楽以外の例で言えば、日本国内で美無教育を受ける子供たちへの「教育・しつけ」に対する大人の考え方の「変化」です。いわゆる「ブラック校則」が当たり前だった時代がありました。教師と児童・生徒とのかかわり方も変わり、学校と保護者の関係も変わりました。それこそが社会の変化だと思います。
 何が正しいのか?という基準も変わります。大きな変化は少子化と学校の増加です。音楽教育の世界にもその波と無関係ではありません。
「サマーキャンプ・音楽祭」と呼ばれるイベントは昔からありました。
公開レッスンも私が学生時代から頻繁に行われています。
 海外の演奏家や指導者が来日し演奏するのも、当たり前のことになりましたし、著名な演奏家が在京の音楽大学で「常勤」していることも珍しくなくなりました。
 海外の音楽学校に留学するのが、大変だった時代もありました。その当時の為替を考えても、1ドル=360円だったわけでどれほど大変だったかを考える参考になります。

 音楽教育もグローバル化しています。どこにいても、世界的な演奏者の指導が受けられます。海外のオーケストラの日本公演も「希少価値」はなくなりました。そんな現代のレッスンです。指導する人間の「質=内容」も変わってきました。
 演奏家自身が自分のファンを増やすためにも、レッスンの場を増やすことは有意義です。「人間」としての魅力が第一に酔われる時代ともいえます。
ただ演奏がうまい…だけでは、人としての無力とは言えません。レッスンを受けた人の「印象」が悪ければ、指導者としてだけでなく演奏家としても嫌われる時代でもあります。
 椅子にふんぞり返ってレッスンをするのが裕rされた時代から、本気で弟子に向きあえる指導者が求められている時代になりました。
 これからの日本音楽界を支えるのは、宮田大さんの世代の人たちです。
暖かく見守りたいと思うのでした。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介
 
 

アマチュアオーケストラの席順って何?

 上の表は「メリーオーケストラ極秘文書」(笑)冗談です。
お名前は「かりのおなまえ」です。その横にある数字(小数点)は、ヴァイオリンのバートと席順=座る位置を表しています。
たとえば「1.03」の最初の」1」はヴァイオリンのパート=1がファーストヴァイオリンで2がせKんどヴァイオリンを示しています。
その右の「.03」は3番目の席順を表します。
一番上の行の「前半1曲目」からアンコールまでの一覧表です。
じっくり見ていいると…目がチカチカしますよ。いや、一人ずつ見てみると気づくことがありますか?(テストみたい(笑))
たとえば、一番上にいる「ゆかさん」は、前半がファースト、公判がセカンドです。さらに、前半の1曲目は「1.01」なのでファーストヴァイオリンのトップに座ります。いわゆる「コンサートマスター」の位置です。前半2曲目になると、ゆかさんは「1.10」に移動します。おお!大移動(笑)
 おや?気が付いた人がいるかな?
「えりかさん」「みずきさん」「くららさん」「あやさん」
ずっと同じ数字!「ひいきだ!」(笑)この4名が、メリーオーケストラのヴァイオリン指導スタッフなんです。「野村謙介はさぼるのか!」はい。私、一応指揮などをしている手前、ヴァイオリンだけの面倒は見られません。
なぜ?4人も?実際、毎月4名の方が来られるわけではないのです。皆さんお忙しいので、誰か一人でも来てもらえるようにとの配慮です。本番で演奏して頂く席順は決めてありますが練習時はどのパートも指導してもらいます。

 この席順を決めているのは?
すべて私の独断です。誰にも相談もしませんし突然、会員にお伝えします。
「独裁者だ!」「ぷーさ(ち)んだ!」なんとでも行ってくださいませ(笑)
目的があります。ヴァイオリンのメンバーに、1回の演奏会で、出来るだけ色々な「体験」をしてもらうためです。
プロのオーケストラの場合に席順は「演奏技術の序列」を表します。
ファーストヴァイオリン>セカンドヴァイオリン
席順の2番>3番
ちなみに、コンサートマスターは「契約団員」です。他の団員と違い「1年(あるいは2年)契約」で更新をしなければ他のコンサートマスターに変わります。給料も一般の団員と比べはるかに高額です。休みも多い。さらに数名のコンサートマスターの中でも「序列」があります。それがプロの世界です。

 アマチュアオーケストラの中で、序列を決めることについて、私の考えを書きます。
20年間、中学・高校のオーケストラを作り育てた経験でわかったことでもあります。
「メンバーの向上心を高めるために序列は必要か?
これは、テストの成績を貼り出す方法についてと同じ問題です。
テストの「上位者」だけを貼り出す場合、それがやりがい=向上心につながる一面は確かにあります。全員の成績序列を貼り出すとしたら?向上心を高める効果より「みせしめ」の意味になります。成績が悪かった生徒にとっては、まるで公開処刑です。
 オーケストラのパート分け、席順をプロのように演奏技術の序列で決めたら?
これも、公開処刑になります。なぜなら、前の方で演奏していメンバーは「きっと上手」で後方のセカンドの人は「へたくそだから、あそこなのか」と客席に示していることと変わりありません。
 これでメンバーの向上心が高くなる?いいえ。ありえません。20年間の教員生活の間に、試したこともあります。逆効果です。人間関係を壊す結果以外になにも生まれません。

 以前書いたかもしれませんが、部活オーケストラで私が実践した「向上心を竹mる」手法を一つご紹介します。
 1.パートと席順を、学年や経験に関係なく「抽選」で決める。
 2.その結果、自分のパートや席順より「前=ファーストの1番など」で演奏したい場合は、その位置にいるメンバーに「公開オーディション」を申し込む
 3.申し込めるのは「同学年」または「上級生」に限り、下級生に対しては申し込めない。
 4.自分の位置から「後方=セカンドの一番後ろなど」への申し込みはできない。
 5.公開オーディションの判定は、指揮者(私)一人の判断で行う。
 6.オーディションの結果によって、二人のパート・席順は「そのまま」か「入れ替え」のどちらかになる。
 7.一人のメンバーは同じメンバーに複数回、挑戦できない。
どうですか?試してみませんか?(笑)特許申請はしていませんので、ご自由にお使いください。

 最後にアマチュアオーケストラにおけるコンサートマスターの役割と席順について考えを書きます。
 結論から言えば、「演奏前のチューニングの仕切り」をすることさえ、アマチュアには難しいことだということです。
アマチュアオーケストラのコンサートマスターをプロの演奏家に移植する方法もありますが、私は否定的です。むしろアマチュアのできる範囲のことで良いと思っています。ちなみに、メリーオーケストラの演奏会で「コンサートマスター」の場所に座る会員のチューニングは(実は全メンバー)ステージに出る直前に、私やプロの指導者がチューニングしています。ステージでは「A」を出しているだけです。(笑)それでも役目は果たせます。
 セカンドを演奏する方が難しい場合も多くあります。逆の場合もあります。
前方で演奏すると後ろからも音が聞こえます。その代わり、自分のパートの「弓」を見る「前の人」がいませんから怖いのです。後方で演奏するヴァイオリンは、前の人の弓を見ることができるので、アップ・ダウンの間違いは減らせますが、後ろから音がしないので不安になります。
 どこで演奏数か?によって、色々な違いがあるのです。難しさの種類も違います。それを体験することも、アマチュアの楽しみ方の一つです。
 単純に演奏のクオリティを高めるだけがアマチュアオーケストラの目指すものではありません。それを前提にして、パートや席順を考えるのが「指導者」の責任だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト・指揮者 野村謙介

ヴァイオリンはクラシック音楽を弾く楽器?

 映像は私が、ぼかしを全体に入れました。お許しください。
演奏しているのは典型的な「ロックバンド」にヴァイオリンソロの女性が加わっているものです。偶然に見つけた動画です。
 今回のテーマである「ヴァイオリン」という楽器は、いわゆる「クラシック音楽」だけに使用する楽器なのか?と言うお話です。

 先に申し上げておきますが、私はクラシック音楽を学んできた人間の一人としても、また音楽を聴くことを趣味としている人間としても、クラシック音楽というジャンルについて「つまらない」とか「古臭い」とは1ミリも思っていません。当然、ロックやポップスを「軽い音楽」とも思っていません。
 ヴァイオリンと言う楽器が、400年近い歴史を持つ古典的な楽器でもあり、その楽器のために多くの先人たちが音楽を作ってきた「歴史」を否定することは、誰にもできません。それを前提としてお読みください。

 この動画の演奏は、明らかにヴァイオリンに「収音」するための装置を付け、電気的に音量を増幅=大きくした上に、音色にも電気的な加工が加えられています。ただ、元のちゃんとした(笑)映像を見る限り、ヴァイオリンを演奏している女性は、クラシックの演奏技法を学び、相当の技術レベルに達している奏者であることは間違いありません。おそらく「クラシック音楽のヴァイオリン演奏を専門的に学び、全く違うジャンルの音楽を演奏している人」です。
 日本人のヴァイオリニストでも、何人もこの系統の演奏者がおられます。
私の良く存じ上げている先輩にもいらっしゃいます。
 間違った先入観を持たれないために付け加えますが、「この手」の演奏者が全員、クラシック音楽で「食えない=プロとして技術不足」で、この道に進んでいるとは「限りません。」限らない…と書いた裏に、正直に申し上げて私が「そう」感じる人も少なくないことも書いておきます。
 「クラシックの演奏で生活できる技術レベルにないから」ポピュラー音楽の演奏家に転身することを、悪いとは思いません。その人の考え方の問題です。クラシック音楽を演奏することや聴くことが好きな人が、それらの人を悪く言うのは「優越感」に浸りたいからだと思います。

 ピアノの演奏で考えれば、クラシックに限らず多くのジャンルで使用される楽器であり、電気的なピアノは常に進化しています。
 打楽器でも、管楽器でも、声楽でもクラシック音楽の演奏技法を学んだ人が、違うジャンルの音楽で活躍している姿は珍しくありません。
同じ楽器を使って、まったく違う「種類」の音楽を演奏することを、否定するのは間違っています。単純に「好き嫌い」の問題でしかありません。
クラシック音楽とハードロックの、音楽的な違いがあります。その違いを演奏者自身が理解していることと、本人が本当に「ハードロック」を好きなのか?という根本的なことが「プロ」としての前提だと思っています。
 趣味でヴァイオリンを演奏する人が、ハードロックを好きでも不思議でもなく、なんの問題もありません。その人が、好きなハードロックをヴァイオリンで弾きたいとも宇野は、いたって自然なことです。
 単純に考えて、電気的に音量を増幅しないヴァイオリンでドラムやエレキギターと一緒に演奏しても、ヴァイオリンの音はまったく!聞こえません(笑)
 クラシックの演奏スタイルと違う「音響空間」でヴァイオリンやピアノ、管楽器を演奏する場合の特別な知識と、特殊な技術をもった「スタッフ」がいなければ演奏は成り立ちません。違う「芸術」だと言えます。

 常に音楽の演奏取り巻く環境は変化しています。クラシック音楽を演奏する「ホール」も昔とは違います。クラシックでも聴く楽しみ方は変わり続けます。
伝統的な演奏スタイルを継承することも、文化や芸術を後世に伝える意義があります。
他方で実験的な試みや社会のニーズに合わせた変化に対応する能力・考え方も大切です。
時代によって上記のどちらかに偏ることもあります。
新しいスタイルや文化は「古い=伝統的な」ものがあってこそ新しいのであり、古いものを捨ててしまえば、新しいものも生まれ育ちません。
 クラシック音楽のヴァイオリン演奏方法を伝承しつつ、新しいスタイルに挑戦すること、それを許容することが延いてはクラシック音楽の演奏を残すことにもつながると思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 ※ぼかし加工のない元動画URL
https://www.youtube.com/watch?v=E2hZDzJp9Pc

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

プロと一緒に演奏するとアマチュアはうまくなる原因

 映像は、今月7日に行ったメリーオーケストラ第41回定期演奏会より「ダッタン人の踊り」の動画です。
 手前みそが多分に入りますが、純粋に「あれ?うまいなぁ」と思います。
メリーオーケストラ「らしくない」と言うか「そんなバカな」と言うか(笑)
 いや、アマチュアオーケストラの演奏レベルとしては、十分「じょうず」だと客観的に思います。「もしかして、アマチュアの人が演奏した振りをしてる?」(笑)いいえ!小学生の会員も中学生の会員も私より年上の会員も「みんな」必死で演奏しています。
 確かに会員以外の「仲間」たちの演奏技術が尋常でなく高いことは事実です。
プロのオーケストラで主席フルートを演奏していた人、現役のプロオケ団員。最近の日本音楽コンクールで入賞した人などなど、一人ずつの経歴の「合計値」はアマチュアオーケストラに数人、エキストラが入っている演奏とは比較になりません。
 それは「ずるい」ことでしょうか?
もしこれが録音でコンクールに参加するとしたら「インチキ」です。
お客様を「だましている」ことになるでしょうか?
私は指揮者として、このオーケストラの創設者として、NPO法人の理事長として、何一つ間違っていないと確信しています。

 アマチュアの演奏者=会員が演奏を楽しみながら、上達する事がアマチュアオーケストラの「原点」です。そのための手段として、プロの演奏家と一緒に演奏することは、最高の環境です。しかも、お客様にしてもよりレベルの高い演奏を「無料」で聴くことができるのですから、「音楽の普及」と言うNPO法人の目的に合致しています。
 さらに言えば、プロの演奏者たちが「無報酬」で演奏してくれているのは、紛れもなくこのオーケストラの趣旨に賛同してくれているからに相違ありません。
 多くの仲間たち=友情出演者たちは、演奏会当日の午前中に行うステージリハーサルだけで午後2時からの本番を迎えます。通常ならもっと「バラバラ」になって当たり前です。アマチュア会員たちは六か月練習しているとはいえ、当日にプロの人たちに合わせる技術はありません。プロの人たちがアマチュアに「合わせて」くれているのです。そのことを会員たちも体感しています。

 プロの演奏技術を吸収することは容易なことではありません。動画やCDでどんなに勉強しても、自分に合わせてくれることは不可能です。しかも、すぐ隣の席でプロの演奏を聴きながら演奏できる「贅沢な感動」を味わえるのです。
 私自身、学生時代からいくつものアマチュアオーケストラに「賛助出演者=エキストラ」として演奏に参加させてもらった経験があります。多くの場合、初めてお邪魔して、演奏だけして挨拶をしてから演奏料=謝礼を受け取って「さようなら」のお付き合いになあってしまいます。アマチュアメンバーとお互いに会話をすることもなく、エキスtら同志も交流はほとんどありません。
 それと違いメリーオーケストラの場合には、賛助出演者は全員が私自身と、何らかのご縁がある人たちばかりです。毎回のように参加してくださる方もいれば、都合がつかず他のお友達や後輩を紹介してもらう場合もあります。そうした「きずな」がメリーオーケストラの中には自然と感じられるのが最大の魅力であり、通常のアマチュアオーケストラにありがちな「冷たさ」を感じない理由です。

 どんなにプロの演奏者が加わってもオーケストラとしては「アマチュア」なのです。それは演奏技術の問題と言うよりも「アマチュアならでは「のものです。
 自分たちのできる練習を、それぞれのメンバーがそれぞれの環境の中で行なった「結果」がすべてなのです。プロの演奏に求められる物とは根本的に違います。
そのアマチュア演奏者がプロの奏者と交流し、その「音」に感動しながら自分も一緒に同じ曲をえんそうする経験。これこそが上達の秘訣です。
 先ほども書きましたが「コンクール」のように技術の優劣を競うのはアマチュアオーケストラにとっては無意味だと思っています。もっと大事なことは、演奏を楽しみながら「もっとうまくなりたい!」と感じられる演奏を目指すことです。これからも、メリーオーケストラの演奏にご期待ください。
 最後まで読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

練習中と本番中の「頭の中」

 映像は、アンドレ・ギャニオンの「めぐり逢い」をヴィオラとピアノで演奏したときのものです。なぜか…再生回数が多くて驚いています。

 今回のテーマは「頭の中」つまり、演奏者が「考えていること」について。
人によって違うのは当然ですが、多くのアマチュアヴァイオリニストの人たちとレッスンを通して、演奏しながら考えていることを確かめてきた経験と、自分の練習中と本番中に考えていることの「違い」を基に書いていきます。

 練習をしている時に考えていることは?
・リズムや音程(ピッチ)が正しいか?
・音色と音量が思った通りに弾けているか?
・間違ったり納得できない箇所の原因は何か?
・無意識のうちに姿勢や構え方が崩れていないか?
色々と考えていますが、自分を「観察」することがメインです。
いかに自分の音、音楽、演奏姿勢を「他人の耳と目」になって観察できるか?がポイントです。現実にはできないことですが、自分の音と姿を離れた場所から冷静に観察する「もう一人の自分」を作ることです。
 練習は「できるまで」続けることですが、何を?どのように?出来るようにしたいのかを、手探りしながら繰り返す「根気」が不可欠です。もう一人の自分=練習中の先生は、興奮せず・妥協せず・結果を焦らない先生が理想ですよね。
「ダメ!」「ダメ!」だけで熱くなっても効率は下がるだけ(笑)
「もうその辺でいいんじゃない?」と言うアマアマな先生も困りもの。
「できないならやめたら?」と言う短気な先生には習いたくないでしょ?
練習中に考える時には、冷静さと根気が必要です。

 では、演奏会やレッスンの時に考えることは?
多くの生徒さんが「家で練習していると、時々すごくうまくひける」とおっしゃいます。また、発表会などでは「全然、普段通りにひけなかった!」ともいわれます。どちらも「ごもtっとも!」だと感じます。むしろ、それが当たり前です。
 練習している時には、観察し修正することを繰り返しています。
レッスンや演奏会では、修正も繰り返すこともできないのです。観察だけは「出来てしまう」のですから、ストレスになるのは仕方ありません。
 緊張するなと言っても無理です。良い緊張は必要です。演奏中に「おなかがすいた…」と思った瞬間に暗譜が消えた経験のある私が言うので、たぶん緊張は必要です(涙)
 普段練習している時と、環境が違う場所で「一度でうまく弾こう」と思うのですから、冷静さがなくなるのは自然なことです。それをいかに?コントロールするかが一番重要です。

 何も考えずに演奏することは不可能です。普段、考えてもいない「作曲家の魂」をいくら思い浮かべようとしても無意味です(笑)では、なにを?頭で考えるべきなのでしょうか?
 私の経験で言えるのは「いつもより優しい先生がアドヴァイスをくれている」イメージを持つことです。演奏し始める時も演奏中も、いつもと同じ「もう一人の自分」が自分を助けてくれる・演奏をほめてくれる・失敗をしても優しく励ましてくれる「イメージ」です。
 自分の意識の「中と外」の両方が存在します。考えている「つもり」の事が意識の中です。考えなくても身体が動くのが意識の「外」です。
 私たちは日々の生活の中で、この中と外を実に頻繁に使い分けています。
 ついさっき、外したメガネを「どこに置いたっけ?」と探す私は、意識の外でメガネをどこかで外して置いています。
 意識の中で行動することを繰り返して初めて「意識の外」つまり無意識に動けるのが人間です。
 練習中にはできる限り、運動を意識の中に入れて繰り返すことです。考えながら演奏することです。
 本番やレッスンの時に、無意識でも指や手が動く「時間」もあります。日常生活ならば仮に思っていない運動があったとしても困らないでしょう。でも、車を運転している時、完全に無意識になれば事故の確率は間違いなく高くなりますよね。
 演奏は楽しむものです。本番で間違えないことだけを意識するよりも、もう一人の自分が、自分の演奏を楽しむ姿を想像する方が音楽に集中できるように私は思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

無信仰でも演奏します

 映像はカッチーニ作曲の亜アヴェ・マリア。
私自身、神様や仏様を信仰する人間ではありません。だからと言って、信仰する人を変だとは思いません。何かを信じる気持ちは、人間が想像する力を持っていることの証だと思っています。あ。「想像」なんて言ったら怒られるのかな(笑)
 通っていた幼稚園はキリスト教系の幼稚園でしたが、両親ともに無宗教でしたし、家にはお仏壇もありませんでした。そんな私が演奏する「アヴェ・マリア」がインチキ(笑)だと信者の方に言われるのかもしれませんが(言わない?)楽譜として手に入る音楽や、普通に耳にすることのある音楽は、誰のものでもないと思うのです。所有権の問題ではありませんからね(笑)

 宗教的な音楽に限らず、世界中に多数存在する民族の「伝統的な音楽」があります。時間的に何十年、何百年経過したら「伝統」になるのか定義は知りません。音楽の場合、人から人に「歌い継がれて」現代も演奏される音楽と、「作曲者が楽譜に残した」音楽があります。さらに「録音が現存する」音楽も、歴史としては短いながらも、あります。
 日本でも「雅楽」「民謡」など伝統的な音楽があります。演歌を「日本固有の音楽」と言えるかどうかは意見の分かれるところだと思います。
 地球が一つの大陸だった頃から始まり、恐竜がそこら中にいた時代を経て、巨大な隕石の衝突などで地球上に氷河期があって…とにかく、恐ろしく長い年月をかけて人類が誕生した「歴史」があります。
 音楽がいつ?始まったのかを答えられる人はいません。
そもそも、どんな音を「音楽」に感じるのか?音楽と言える音とは?
なんて考えだすと、良く寝られそうです(笑)

 一人の人間が、生まれてから物心がつくまでの期間に、聴いて育った音楽のほとんどは、覚えていないのが普通です。「胎教」とか「英才教育」をどこまで?科学的に証明できているのか知りませんが、まだ解明されていない「遺伝子」の中には、自分のご先祖様が聴いていた音楽に反応する「能力」が…ないのか、あるのか(笑)
 私たちが演奏する音楽は、いわゆる「西洋音楽」です。西洋って…じぶんんおおざっぱですね。いいんですけど、別に。
 少なくとも、私のように日本で生まれ日本で育った両親の愛第二、同じように日本で生まれ育った「日本製」の人間にとって、日本の音楽もヨーロッパの音楽も「音楽」であって、特別な違いを感じないのですが?
 それは私が生まれた1960年当時にはすでに、西洋で作曲された音楽が、日本中で流れていたはずですから、当たり前だと思います。生まれてからずっと、民謡以外の音楽を聴かずに育った人が大人になって、ある日ベートーヴェンの運命を生で聴いたら?「うるせぇな!」と思うかも。

 ヨーロッパに留学した音楽家の皆さんが「作曲家の暮らしていた土地に行ってみると、何か感じる」とおっしゃるのを度々耳にします。私は、留学経験が一日もない人間ですので、その「感覚」は想像できないのかもしれません。
 ひがみっぽく感じるかもしれませんが、留学した人たちの「感じる」ものは、先述の「想像力」だと言えます。確かに、写真や映像、音を聴いただけでは感じられない「香り」と「肌に触れる空気」は、その場でしか感じられない五感の一つです。それは外国に限らず、海辺、山道、雪道などでも感じられる感覚です。
 信仰する人は、神様や仏様を感じると言います。また、愛を感じると言う言葉もあります。それらは、人間の五感ではなく「想像力」で生まれるものだと私は思っています。現実に存在するものではないのです。ちなみに「空気」は目に見えないし触った感覚がないだけで、現実に存在しています。その証拠に、空気のないところに行けば…苦しくなって気付いた時には、違う世界にいます(笑)
 音楽は「音」です。空気の振動です。確かに存在します。
音を聴いて、何かを感じるのは人間の想像力です。そこに「民族の血」や「作曲家の魂」やら「思い」を感じようとするのは、人間の欲望です。それが悪いとは思いません。人間は欲の塊ですから(笑)
 感じる人が優れているような伝え方には、不快感を感じます。
自分の想像したものを、他人に求めるのは、ただの押し売りです。何も優れてい入ません。ショパンの心に触れた!とか、聴くと「こいつ大丈夫か?」と思うのは失礼でしょうか(笑)とは言え、想像するのは自由です。敢えて言うなら、それを「想像できたから●●が出来た」と他人に言うのも、ご本人の自由ですが、信じない人からすると「変な人」にしか思われないと思います。

 想像したことを、言語化するのが逃げてな人はたくさんいます。
現実には存在しない「もの・こと」を言葉にするためには、言葉のボキャブラリーが必要です。人間の「五感」をすべて使って、イメージを言語化すると、案外簡単に言葉に出来ます。
・触った感覚=やわらかい・冷たい・つるつるなど
・見える感覚=明るい・まぶしい・立ちはだかる・落ちていくようななど
・聴こえる感覚=ささやきのような・遠くの雷鳴・せせらぎなど
・味の感覚=甘い・からい・酸っぱい・舌の上でで溶けるなど
・香りの感覚=自分の好きな花の香り・ご飯前の台所の香りなど
音楽から想像する「もの・こと」は、なんでも良いのです。
正解も間違いもありません。人によって違って当たり前です。
想像「できない」のではなく、「していない」のです。
子供でも大人でも、記憶にある「五感」があれば何かを想像できるはずです。
出来るなら、自分の好きな「五感」を寄せ集めて想像しながら演奏したほうが、演奏していても気持ちいいはずです。わざわざ「苦しい」「悲しい」「辛い」「痛い」「臭い(笑)」五感を想像しながら演奏する必要はありません。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

 
 

出来ない!と出来た!の繰り返し

映像は、メリーオーケストラ第2回定期演奏会の様子です。
2002年の夏。場所は杜のホールはしもと。ちょうど20年前の映像です。
当時10歳だった子供たちが、今30歳になり私は…(笑)
出来ないと思うことにぶつかることは、日々の生活でもありますよね?
出来ないと思う内容も様々です。現実的に「不可能」なことも確かにあります。
ある日突然、病気が治ってそれまで「できない」だったことが急に「できる」ことは、残念ですがほとんど不可能です。生き物の命も、蘇らせることは出来ません。
 一方で、出来ないと思っているだけで「できるかもしれない」こともたくさんあります。さらに「急には=すぐには」できなくても、時間をかければ「できるかもしれない」ことはもっともっと!あると思いませんか?
 できないと決めてしまえば、出来るようになる「努力」もしません。
つまり「時間をかけること」から逃げている場合がほとんどです。
「できないかもしれない」「できる気がしない」これも同じことです。
少なくてもできる可能性があることを「できない」と言うのは、現実逃避とできない自分を見たくないという「保身」の現れです。
 「もう年だから」「才能がないから」「やったけどできなかったから」
言い訳を見つけるのは人間の特技ですね(笑)特に「やっらのに…」という言い訳を使う時、「どれだけやった?」と言う肝心の言葉が抜け落ちています。
出来るまでやる!
子供でも大人でも変わりません。
出来ていないのは、まだ努力が足りないだけです。才能?年齢?全然無関係です。山登りの「途中」で引き返せば登頂できないのは当たり前です。途中で「登れなくなる」ことも実際にあるでしょう。でもそこで「次こそは!」と思う気持ちがあるか?ないか?の問題です。

 できるように…の「できる」を誰が決めるのかと言う根本的な問題もあります。習っている先生が「合格」と言えば「できた」と思う人もいるでしょう。
 自分の基準で「できた」「できていない」と判断するのが日常的な練習です。スポーツでも似たようなプロセスはあると思います。ただ山登りや、勝敗が決まる協議の場合は「できた=勝てた」か「できなかった=負けた」と言う二進法で判断できます。「少し負けた」はありませんよね(笑)
 楽器の練習の場合には、この二進法は無意味です。当てはまりません。
仮に先生が「できた」と言っても自分自身が「できていない」と思うこともあるはずです。逆のケースもあり得ます。自分の「基準」が優先するのは、誰でも同じことです。
 音楽の「できた基準」に客観的な基準は存在しません。すべてが聴く人、弾く人の「主観」でしかありません。だからこそ、自分以外の誰かの「基準=意見」を聴くことが重要だと思います。もちろん、一番大切なのは自分の基準です。
 他人が「じょうず」と言ってくれようが「まだまだへただね」と言われようが、自分の気持ちが一番優先されるのが「アマチュア」なのです。プロの場合は違います。自分の基準だけで「じょうず」は通用しません。当たり前です(笑)
 プロであっても、自分の演奏に対する「できている?できていない?」と言う判断は常に必要です。アマチュアと違うのは、その「線引き」のレベルが決定的に違うことです。アマチュア演奏者の場合には、どんなレベルであっても自分が満足できれば「できた!」なのです。それで良いのです!
 「まだまだ」と向上心を持つことは悪いことではありません。ただ、人によって「基準」をやたらと高くするアマチュア演奏家がおられて、見ていて気の毒でもあります(笑)もっと言えば、プロの演奏を基準にするなら、その時点でアマチュアではなくなります。
 演奏を楽しむことが、本来の音楽です。その意味で考えれば、プロの演奏家の場合、心から自分の演奏を楽しめていない人もいる気がします。
 アマチュアの人が、じょうずに演奏できるようになりたい気持ちを持ち続け、出来なかったこと=つらさやストレスが、「できた!」と自分で思えた瞬間に、それまでの練習が報われる喜びが何よりも大切です。
 できないままで終わらない。少しでもできるようになったら、自分をほめてあげる。自分の基準を大切にする。時には人の基準も参考にする。
 時間をかけて、音楽を楽しみましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

レガートに演奏するには?

 映像は、ジョン・ウィリアムズ作曲の「シンドラーのリスト」を10年ほど前に演奏した動画です。スーパーマンのテーマやスターウォーズ、インディジョーンズ、AI、ジョーズなど多くの映画音楽を手掛けたジョン・ウィリアムズの悲しいメロディー。シンプルなリズムと覚えやすい旋律の素敵な曲ですね。

 ヴァイオリンでレガート=滑らかに演奏する時の「難しさ」について考えてみます。
 一般的に楽譜に書かれている「スラー」と「タイ」の記号が同じであることは、誰でもが知っています。ところがこの記号の本来の「奏法=意味」がレガートであることを知らない生徒さんが多くいます。legato=レガートというイタリア語で、音を切らずになめらかに演奏することを指しています。
 弦楽器の場合には、この記号が付いていると「同じ方向に弓を動かし続ける」と言う運動も意味しています。例えば、下の楽譜をご覧ください。

クライスラー作曲の「美しきロスマリン」の1ページ目です。
スラー=レガートの書かれている間にある音符に、スタカート=音を短く切る記号が書かれています。この「レガート」と「スタカート」は奏法として真逆の意味になります。印刷ミス?(笑)いえいえ。
 ピアノの楽譜などにもこの二つの相反する意味の記号が同じ場所に書かれていることはよくあります。
 レガートの記号を「フレーズ」として考えることもできますが、例外的な書き方ですす。
 弦楽器の場合には、先述の通り「同じ方向に弓を動かし続け」ながら「音を短く切る」事を示しています。アップで演奏擦り場合は「アップスタカート」ダウンでいくつもの短い音を続けて演奏する「ダウンスタカート」とも呼ばれます。
 同じような動きでも違う「奏法」を示す書き方があります。

クライスラー作曲「序奏とアレグロ」の一部。ダウンのマークが重音に連続している部分がご覧いただけます。重音に限らず、スラーとは別に同じ方向に連続して弓を動かす「指示」もあります。

 さて、レガートで音楽を演奏する場合、声楽=歌や管楽器の場合には、息を出し続けながら「切れないように」演奏することになります。管楽器なら「タンギング」は入れないはずです。言い換えれば「息が続く時間」がレガートの限界の長さでもあります。弦楽器の場合は「弓の長さ」と言うことになります。
弦楽器の場合、弓を遅く動かす時と速く動かす時で出せる音量が違います。
遅くなればなるほど、弓の圧力を弱くする必要があります。逆に言えば、遅くして弓の圧力が大きすぎれば、弦が振動できずつぶれた=汚い音になります。
 長いレガートを「フォルテ」で演奏しようとすると、圧力と弓の速度の「ぎりぎりのバランス」で弓を動かす技術が必要になります。レガートよりも音量を優先するなら「弓を頻繁に返す=反対に動かす」しか方法はありません。
 レガート=小さな音とは限りません。ピアノと一緒に演奏する場合には特に、ピアノの聴感的な音量とヴァイオリンの音量のバランスを考慮する必要があります。全弓を使いながら、元・中・先で均一な音量と音色を保つことは、弓を軽く速く動かすこと以上に高い技術を要します。スラーの中のひとつひとつの「音」に効果的なビブラートをかけることも重要なテクニックです。聴いていて不自然に感じない深さと速さのビブラートを考えながら、安定した弓の動きを保つために背中・肩・首・上腕・前腕・手首・指の連動を意識しながら、さらに滑らかな移弦に注意する。本当に難しいことだと思います。
 ゆっくりした音楽は「簡単」だと思い込まず、地道な練習を心掛けいと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

オーケストラで楽しむ趣味

 映像はメリーオーケストラ第41回定期演奏会で演奏した「いのちの歌」
村松崇継さんが作曲された曲を、メリーオーケストラのために田中大地さんにアレンジをお願いしました。リサイタルではヴィオラとピアノで演奏したこの曲、オーケストラで演奏すると違った感動が伝わってきます。

 オーケストラはクラシックを演奏するという「既成概念」があります。
一方で吹奏楽は「ポピュラーを演奏する」イメージが先行しています。
演奏形態=スタイルは、一人の人間だけで演奏するものから、オーケストラと合唱などが加わった「大人数」のものまでたくさんあります。楽器の組み合わせも様々です。吹奏楽…管楽器だけの演奏に読めますが、打楽器やコントラバス=弦楽器も通常含まれます。管弦楽…あれ?打楽器は?(笑)もちろん含まれます。
文字・言葉が思い違いを生んでいることもありますね。

 趣味で弦楽器、管楽器、打楽器を演奏する人にとって「合奏」は究極の楽しみだと私は思っています。もちろん、一人で楽しむことが一番!と言うかたもおられます。他人との人間関係が煩わしい…と思う気持ちも理解できます。
 ブームは去りましたが「カラオケ」は一人で楽しめる趣味でもあります。気持ちよく誰にも聞かれず、大声で歌うことが楽しいのでしょうね(笑)
 ピアノやギター、エレクトーンなどの楽器は、ひとりで演奏を十分に楽しめる楽器です。かたや、ヴァイオリンやチェロ、フルート、トランペットなどの場合hはひとりで演奏できる曲はごくわずかです。多くは「誰か」と一緒に演奏して初めて音楽として完成します。オーケストラは言うまでもなく、合奏の集大成です。
「初心者」だからこそ、誰かと一緒に演奏する楽しさが必要だと思います。

 オーケストラの「楽譜」の多くはクラシックと呼ばれる作曲家の曲です。
ベートーヴェン、モーツァルト、ブラームス、チャイコフスキーなど「有名」なクラシック作曲家のほとんどが、交響曲を書いています。ただ、これも当然ですが「聴いたことがない」交響曲の方が多く、演奏の難易度も高いのは事実です。
動画にあるような「ポピュラー」をオーケストラで演奏するのは「邪道」なのでしょうか?私はそうは思いません。どんな楽器で演奏したとしても音楽は音楽です。逆にどんな音楽でも、オーケストラで演奏できるはずです。
 ただし、ポピュラーをオーケストラで演奏するための「楽譜」が少ないのです。お金を出して購入できるのも、ほとんど海外のサイトからです。日本では需要が少ないのです。いのちの歌の楽譜は?当然、販売されていません。オーケストラの楽譜を書くためには、ただ音符や休符が書けるだけでは無理です。それぞれの楽器の「音域」と「音色」「音量」を理解していないと、書けません。作曲の技術と変わりません。
木管楽器=ピッコロ・フルート・オーボエ・クラリネット・ファゴット
金管楽器=ホルン・トランペット・トロンボーン・チューバ
打楽器=ティンパニ・バスドラム・シンバル・グロッケンシュピール他
弦楽器=ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバス・ハープ
これらの以外にも、色々な種類の管楽器・打楽器がオーケストラには加わります。それぞれの楽器が2~3つのパートに分かれていることが多く、スコアは大変な段数の楽譜になります。下の楽譜はいのちの歌のスコア1ページ目です。

 当然、それぞれの楽器の演奏者は自分のパートの楽譜=パート譜を見ながら演奏します。指揮者はこのスコアを見ながら指揮をし、練習で音の間違いを正すこともします。いかがですか?スコアは演劇の「台本」のようなものです。全員のセリフが書いてあります。演劇と違うとすれば、同時に何十人もの人、25種類以上のパートが一斉に演奏します。演劇では…(笑)ないですね。
 このスコアに書かれているすべてを「編曲者」が考えて書きます。出てくる音を頭の中で想像しながら。素晴らしい技術・能力です。
 紙の上の音符が、数十名の人間、様々な音色の楽器で「音」になるのがオーケストラです。ひとりで演奏を楽しむこととの違いがここにあります。
一人ずつの責任は、ひとりで楽器を演奏するよりもはるかに大きくなります。
「たくさんいるから、一人の責任は軽くなるんじゃないの?」と思われますか?
逆なのです。ひとりが間違った音や、間違った場所で音を出した場合、聴いている人は「誰が間違えた?」かわからないものです。つまりオーケストラ全体としての「失敗」になるのです。100人のオーケストラで99人が正しい音を出していても、一人が「半音」違った音を出したことで、音は明らかに濁ります。プロオーケストラの録音現場であれば「録り直し」です。全員がもう一度初めから演奏しなおします。それがオーケストラの怖さでもあります。
 アマチュアオーケストラメンバーに、それを求めたら?誰も演奏できないばかりか、誰も演奏したくないですよね?プロではないのです。間違っても仕方ありません。それでも!演奏する楽しみを優先するのが「アマチュアオーケストラ」です。

 ぜひ!あなたもアマチュアオーケストラのメンバーになって、楽器の演奏を楽しんでみてください。日本中にたくさんのアマチュアオーケストラがあります。規模もコンセプトも様々です。練習の頻度、内容も違います。何よりも「人」が集まるのですから世界中に、同じオーケストラは二つ存在しません。
 そのオーケストラの一員として演奏する「喜び」を体験してみてください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト・指揮者 野村謙介

半音・全音の聴感的な修正と間違ったチューナーの使い方

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 映像は「カール・フレッシュ音階教本」の1番最初に出てくる音階をピアノでゆっくり演奏している動画です。音階教本の中で「バイブル」とも考えられるこの教本、音階とアルペジオ、半音階などを徹底的に練習することが可能です。

 多くのアマチュアヴァイオリン奏者にとって「音程」「ピッチ」を正確に演奏することは大きな課題になります。当然、プロを目指す人や実際にプロになれた人間でもそれは同じことです。たくさんの生徒さんを見てきた中で、陥りやすい落とし穴とでもいうべき間違った練習方法と、本人の気付きにくい「音程感」について書きます。

 もっともよく目にするアマチュア弦楽器奏者の間違いは「チューナー」の使い方を間違っていることです。操作方法の事ではありません(笑)
 スマホのアプリにも多くの「チューナー」があります。測定精度や反応速度の優劣もありますが、使い方の問題です。
 「音を出す→チューナーを見る→修正する→次の音を出す→チューナーを見る…」を繰り返していませんか?「一音ずつ確かめている!」そんな満足感がありますが、ちょっと待った(笑)自分の耳で正しいピッチを「判断する」練習になっていませんよね?「いつか、正しいピッチを覚えられる!」いいえ(笑)それは無理です。正しいピッチや正しい音程を、自分で判断=記憶しようと思わなければ、いつまでも補助輪をつけた自転車で走っているのと同じです。いつも誰かに「修正」してもらわなければ、自分で正しいピッチを見つけられないままです。
 では正しいチューナーの使い方は?
 「開放弦の音を聴く→最初の音を出す→開放弦からの音程を耳で測る→チューナーを見る→修正する→もう一度開放弦から最初の音を探す→あっていると思ったらチューナーで確認し次の音を出す→前の音からの音程を自分で測る…」
 文章にすると長いですが要するに「自分の耳で開放弦=あっている音からの音程を測る習慣をつけ、あっていると思ってからチューナーで確かめる」繰り返しです。

 もう一つの方法です。チューナーでA=ラの音を出し続けます。
その音を聴きながら自分の音を聴いて「音程」を確かめる方法があります。

なんで?こんな面倒くさいことをお勧めするのでしょうか?
 「相対音感」の人がほとんどだからです。

 以前のブログでも書きましたが、絶対音感を持っている人はごくわずかです。
Youtubeの中に「怪しげな絶対音感」のことを「絶対音感」と紹介している人がいますが、私の言う絶対音感は「442ヘルツと440ヘルツを聞きわけられる・言われた音名の音を正確に歌える」音感です。この音感があれば、弦楽器の演奏で自分の出している音の高さに疑問を持つことはあり得ません。そんな便利な音感のない「私」を含めた多くの人は「相対音感」で音の高さを考えています。
 「ある音」からの「幅=高さの違い」で次の音の高さを見つる音感です。
チューナーは「絶対音感を持っている人」の耳と同じです。もうお分かりですよね?相対音感の人が、絶対音感を持つ人の「真似」をしても絶対音感は身につかないいのです。「そんなバカな」と言う人のために(笑)
たとえば「甘さ」の違う5種類の砂糖があったとします。どれも「甘い」砂糖です。絶対味覚(笑)がある人は、その一つ一つの甘さをすべて「記憶」しています。どんなに順番を入れ替えても、絶対味覚の人は、砂糖をなめた瞬間に「これは2番目に甘い砂糖です」と正解を言えます。
 相対味覚の人は?順番に二つの砂糖をなめていきながら「こっちのほうが甘い」、次にその次の砂糖を舐めて先ほどの二つの砂糖と「比較」するしか方法はありませんよね?これが「相対音感」です。正確に言えば「常に二つの違い=差を測る」ことです。一度に三つの違いを測ることは不可能です。音楽で言えば、「順番に二つの音の高さの差を測る」ことです。

 音階を練習する「目的」があります。一番大きな目的は「1番目と2番目、2番目と3番目…の高さの幅=音程を正確にする」ことです。もちろん綺麗で均一な音を出し続けるボウイングが求められます。音色と音量が揺れてしまえば正確な音程やピッチは測れません。2本の曲がった線同士の幅を測れないのと同じです。まっすぐな音を出しながら、音と音の「幅」を確かめる練習です。
 次の音名に変わることを「順次進行」と言います。上行も下降もあります。
隣同士の「ド→レ」も「レ→ド」も順次進行です。音階の場合、和声短音階の場合だけ「増二度=全音+半音の幅」がありますが、その他は「全音=長二度」か「半音=短二度」の順次進行です。まずはこの「目盛り」にあたる幅を正確に覚えることが「正確な相対音感」を身に着けるための必須練習です。
「簡単だよ」と思いますよね?(笑)いいえ。これが本当に正確にできるなら、その他の音程も正確に測れるはずなのです。嘘だと思ったら(笑)、あなたはゆっくり上記の音階を演奏し、誰かにチューナーで一音ずつ見ていてもらうか、そのチューナ-映像とあなたの音を同時に「撮影」してみてください。すべての順次進行「上行」「下降」がぴったり平均律で弾けるなら相当な相対音感の持ち主です。

 相対音感の人間は「音が上がる」と時と「音が下がる」時の「二音感の幅」が違って聞こえることがあります。それは「メロディー」として聴こえるからです。階段を上がる、下がるのと同じです。階段の幅が同じでも上がる時と下がる時で幅が違うように感じます。
 特に「半音=増一度・短二度」の幅はえてして「狭く」してしまいがちです。
相対音感の人にとって「少し高くなる」のと「少し低くなる」のが半音です。
この「少し」の感覚が決定的な問題なのです。一番狭い目盛りが狂っていたら?定規になりません。
 練習方法として、
A戦で「0→1→2→3→2→1→0」の指使いで以下の3通りをひいてみます。
①「ラ→シ→ド♮→レ→ド♮→シ→ラ」
②「ラ→シ→ド♯→レ→ド♯→シ→ラ」
③「ラ→シ→ド♯→レ♯→ド♯→シ→ラ」
できるだけゆっくり。特に次の音との「幅=高さの差」を意識して練習します。
これは、4の指を使う以前に半音と全音の正しい距離をつかむ練習になります。

 次に3度以上の音程=全音より広い幅を練習するときの注意です。
・1本の弦上で、1から4の指で4つの音が出せる原則を忘れない
・1と2、2と3、3と4の3か所をすべて「全音」にする「像4度」が最大の幅
例 1全音2全音3全音4=増4度 シ♭ド♮レ♮ミ♮など。
・上記3か所のうち、どこか1か所を半音にすると「完全4度」の音程になる
例1..1半音2全音3全音4=完全4度 (シ♮ド♮レ♮ミ♮など)
例2.1全音2半音3全音4=完全4度 (シ♮ド♯レ♮ミ♮など)
例3.1全音2全音3半音4=完全4度 (シ♮ド♯レ♯ミ♮など)
・上記3か所のうち、2か所を半音にすると「減4度」=「長3度」の音程になる。
例1.1半音2全音3半音4=減4度 シ♮ド♮レ♮ミ♭など。
例2.1半音2半音3全音4=長3度 シ♮ド♮ド♯レ♭など。

 次のステップで「移弦を伴う全音と半音」の練習をしましょう。
一番最初に、解放弦から全音下がって戻る練習
・E線0(ミ♮)→A線3(レ♮)→E線0(ミ♮)
・A線0(ラ♮)→D線3(ソ♮)→A線0(ラ♮)
・D線0(レ♮)→G線3(ド♮)→D線0(レ♮)
弦が変わると音色が変わるため、感覚的な「ずれ」が生じます。
もちろん、解放弦を使わず「4」の指を使えば、同じ弦ですがあえて「移弦」する練習も必要です。指の「トンネル」が出来なくても、まずはこの音程を覚えるべきです。

 最後はポジション移動を含む「全音・半音」です。
実は一番上のカール・フレッシュの画面は、G線だけで演奏する前提です。
つまり「ポジション移動ができる人」のための練習です。そうなると突然難易度が上がりますね(笑)ポジションで言えば、サードポジションから始まり、第5ポジションを経過して、第7ポジションまで上がりまた、戻ってきます。
 指使いで言えば、2→1で「レ→ミ」と全音上がります。ポジションが変わっても、弦が変わっても「音程=高さの差」は変わらないのです。それを耳で覚える練習が音階の練習です。

 半音のことを、短2度と言うほかに「増1度」とも言います。
ド♮→ド♯は「増1度」で「半音」です。短2度とは言いません。
ド♮→レ♭は「短2度」で「半音」です。増1度とは言いません。
…要するに(笑)音の名前と「半音・全音」の関係の両方を理解する必要があるのです。
 指使いで思い込むこともあります。例えばA線のド♯を見たら「2」の指で押さえたくなりますよね?同じA線のレ♭を見たら「3」の指が動きませんか?
どちらも同じ「高さ=ピッチ」の音です。もしもA線のド♮から弾けば、どちらも「半音」ですが使う指がきっと違います。おそらくド♮→ド♯は「狭く」なりすぎ、ド♮→レ♭は「広く」なりすぎる人が多いと思います。

 音階の練習はすべての練習の基本と考えられています。
言い換えれば、どんな音楽を演奏するのであっても、音階を正確に弾く技術が必要だということです。音階は下手で音程が正しいという人はいません。
音階を聴けばその人の「性格」が見えます。正確に美しく弾くことを大切にしているか?テキトーに演奏しているのか?判断できます。
 音を出して楽しむ「だけ」で終わるなら必要のない技術・能力です。
少しでも「うまくひきたい」と思うのであれば、半音と全音を正確にひけるように頑張りましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介