メリーミュージックブログ

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06月

モーツァルトと歌謡曲

https://youtube.com/watch?v=YcqaPENT-Dk

上の映像は、モーツァルトのヴァイオリンソナタ 21番 e moll K.304
デュオリサイタルで私と浩子さんが演奏したものです。演奏中の映像は撮影していませんでした(笑)
下の映像は、中島みゆきの「糸」を同じくデュオリサイタルでヴィオラとピアノで演奏したものです。この2曲でなにを比較しようって?そこが音楽の楽しみ方です。

 「旋律と和声をヴァイオリン(ヴィオラ)とピアノで演奏している」
この点は、モーツァルトのソナタも、中島みゆきの糸も同じです。
「曲の中に短調と長調の部分がある」これも同じ。
「ソナタは2つの楽章で構成されているが、糸は同じ旋律で1番・2番がある」
この点で大きな違いがあります。言い方を変えると、モーツァルトのソナタは「2つの曲から出来ている」という事になります。

 モーツァルトの音楽は完成度が高く、糸は低いのでしょうか?
ソナタは高尚で、糸は低俗でしょうか?音楽として台頭に比較してはいけないのでしょうか?
 すべての音楽に共通することを考えます。
・曲を作った人がいる。
・演奏に関わった人がいる。=人が演奏するとは限らない。
それ以外について、たとえば旋律だけの音楽もあります。和声だけで主旋律がない「カラオケ」も音楽です。演奏が声でも楽器でも機械でも、音楽です。
美しい旋律だけが音楽でもありません。リズムが感じられなくても音楽です。
当たり前ですが「嫌い」でも音楽は音楽なのです。

作曲された時代が古ければ「クラシック音楽」の部類に分類されます。
クラシック音楽に用いられる「様式・形式」で、現在生きている人が作曲したら?それは、クラシック音楽ですか?おそらく「ダメ!」ですよね。
以前のブログでも書きましたが、ゲーム音楽や映画音楽を「音楽」としてだけ聴いた時に、その作曲年代や作曲者を正確に言い当てられる人間は、作曲者本人以外に存在しないはずです。それでは、クラシック音楽と現代の音楽に何も差はないのか?と言えば、歴然とあります。それは…

クラシック音楽と言われる音楽を作曲した人たちと、その曲を初めて演奏した演奏者たちの多くは「現代音楽」もしくは「前衛的な音楽」を作曲し演奏していた人たちです。私たちは、バッハやモーツァルトの時代を知りません。文献や絵画で想像するしかありません。その当時の「観客=聴衆」の感覚も知りません。当時の人たちの生活も知りません。音楽をどうやって聴いて楽しんでいたのかさえ、想像でしかありません。
 私たちが生きている間に作曲された音楽を、私たちが演奏する時の様子を、モーツァルトの時代の人がもしも見たら、どう?感じるでしょうね。
「この音、なんの楽器?」
「あれ?俺の作った曲に似てるぞ?」
「え!?人間がいないのに音楽が聴こえる!」
「かっちょえー!この和声と旋律、いただきっ!」(笑)
これ妄想でしょうか?大きなタイムトリップは現代の科学では不可能とされています。もし未来にタイムマシンが出来ていたとしたら、私たちは未来の人に会っているはずなので、それがないという意味では未来にもタイムマシンができていないと言う科学者もいます。「いや!それは!」と言うお話もあるでしょうね(笑)話がそれました。すみません。

 クラシック音楽の作曲者は、試行錯誤しながら当時の聴衆の反発と冷笑に耐えながら音楽を作り続けました。その音楽は楽譜として残され、今も演奏することができます。もしも楽譜と言う「記号」がなければ、当時の音楽を「正確に」再現=演奏することは不可能です。民謡のように「音楽」が伝わることはあったでしょうが、少なくともほとんどの「クラシック音楽」は演奏できなかったはずです 。
 その音楽の「様式・形式」に慣れた、現代の私たちが作る音楽「ポピュラー」を大切にすることも、クラシックの音楽を大切にすることに繋がっていると思います。そうでなければ、クラシックの作曲者が作った音楽は、いずれ歴史の中に埋没します。今も誰かが「似たような音楽」を作り続けることに大きな意味があると思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

プログラムは「献立」

 映像は、デュオリサイタル13(2021年1月)の後半部分をまとめたものです。長い&多い(笑)こんなプログラムのコンサートって、邪道?かもしれませんね。多くの「ヴァイオリンとピアノによる」クラシックコンサートの場合、
「ヴァイオリンソナタ」が必ずと言っていいほどプログラムに組み込まれています。「それでこそ!」と言われればその通りです。過去14回のデュオリサイタルで、ソナタを全楽章演奏したプログラムは一回しか!(笑)ありません。私たちには、それなりに理由があるのですが、それが「音楽の切り取りだ」とのご意見も甘んじて受け入れます。むしろ、そちらがスタンダードだと思いますが、ソナタの単一楽章を演奏することに、不満を感じる人ばかりではないと言うのも事実です。以前にも書きましたが、多くの人が知っている「クラシック音楽」は1曲の中の一部分であることがほとんどではないでしょうか?それは、単にクラシック音楽を知らないからだという理由だけではないと思います。楽しみ方の違いでもあります。
映画は2時間程度の長さの物が多く、テレビの番組は長くて1時間位ではないでしょうか?演劇や歌舞伎、オペラやミュージカル、落語、ロックやジャズ、ポップスのライブなどで、演目の時間や休憩時間は様々です。ライブの場合、飲み物を飲みながら演奏を楽しむこともあります。クラシック音楽を昔から楽しむ文化のあるヨーロッパでは、子供を寝かせた後に、正装してコンサートに出かける「伝統」がありました。日本では考えられないことです。歌舞伎では「幕」の合間に食事をする「幕の内弁当」が今でも伝統として残っています。
イベントの楽しみ方も時代と共に変化して当たり前だと思います。

 コンサートの内容を紙に書きだした「プログラム」に曲目解説などの「ノート」を書き込めば、お客様に情報は伝えられます。演奏者は演奏だけで終始してもお客様は満足するでしょう。「音楽を聴くだけならの話です。音楽を演奏している「人」や演奏者が曲を選んだ「理由」と「思い」について、お客様に隠す理由もないと思います。私たちのリサイタルでは、曲管にお客様にお話をすることで、私たちがそれぞれの曲に対して思うことや、エピソードを私たちの言葉で語ります。トークの専門家ではないので、うまく話せなくてもお客様に伝わるものがあると思っています。

 演奏会全体のプログラムを組み立てる時に、調性を重視します。そのほかにもテンポ、曲全体の強さと高さも考慮します。聴いている人が飽きずに楽しめる「構成・進行」を考えているつもりです。思った通りに伝わらなくても、私たちの「思い」だけは伝わると思います。ここでまた、ヴァイオリンとピアノによるコンサートで、多く目にする傾向を考えます。
・特にテーマやコンセプトのないコンサート
・作曲家や時代・地域などに「スポット」を当てたコンサート
・知名度の高さ・希少性を意識したコンサート
・難易度の高い曲を選んだコンサート
などが多く見受けられます。他方、私たちのリサイタルのような「お子様ランチ」もしくは「昔ながらの定食屋ランチ」にも似たプログラム構成はあまり見かけません。もしかすると「簡単すぎて集客力がない」と思われているのかもしれません。集客力だけで考えれば、クラシックマニアの喜びそうなプログラムは考えられます。そのコンサートで、普段クラシックを聴かない人が楽しめるかどうかは別の問題です。私はメリーオーケストラのプログラムでも、リサイタルのプログラムでも一貫して、できるだけ多くの人に一曲でも楽しんでもらえるコンサートを目指しています。料理で言えば、プログラムは献立だと思います。一つの料理でおなか一杯になる献立=プログラムもあります。色々な料理が少しずつ出てくる献立もあります。コース料理はまさにそれですよね。

私の考えるプログラムはクラシックファンには物足りないプログラムだと思います。でも私を含め、クラシック音楽が好きな人間が、それ以外の音楽を聴かない理由はありませんし、少なくとも演奏を聴いてから好き嫌いを感じてもらいたいと思っています。「ポピュラーだから」「映画音楽なんて」「歌曲をヴァイオリンでひくなんて」という固定観念を持たずに、演奏を楽しんでもらえるコンサートを開き続けたいと思っています。
 いろいろなコンサートがあって良いと思います。他の人と同じようにしなければいけない理由もありません。自分や自分たちが考える曲構成=プログラムに自信を持ってコンサートを開いてほしいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

眠れる演奏

 映像は横浜にあるイングリッシュガーデンで撮影した写真に、ヴィオラとピアノで演奏した「アニーローリー」「オンブラマイフ」「「ロンドンデリーの歌」「私を泣かせてください」を重ねたものです。
 皆さんはクラシックのコンサートで演奏を聴いていて「気持ちよくなってうとうと」って経験ありませんか?私はその時間が大好きです(笑)
「入場料払ってまで寝るなんて!」「演奏者に失礼だろ!」と言うお考えもごもっともです。私は逆に感じています。自分が安らげる時間の為に、チケットを買って何が悪い?演奏しているときに、静かに寝ていて演奏者が気づくのか?いびきかいていないぞと。

 音楽療法と言う医学療法があります。患者の好きな音楽を聴かせることで、精神を落ち着ける効果が認められています。興奮しているときや、同じことをぐるぐる考えてしまう時に、人間は「β=ベータ波」を脳が出しています。一方で安らいでいるときには「α=アルファ波」が出ています。心が休まると「副交感神経」が刺激され、興奮したりイライラすると「交感神経」が刺激されます。
音楽ならなんでもよいわけではありません。心地よく感じる「音」は人によって違います。音色、音量、音楽の内容、歌詞の有無など、多くの要素の中で、その人が最も心地よい「音楽」を聴きながら身体も心も休ませることが「治療」につながります。ハードロックを聴いているとα波が出る人も事実いるのです。モーツァルトやクラシック音楽だけが「心地よい」のではありません。

 私たちのリサイタルも演奏会までに、多くの時間をかけて準備します。練習もします。それは「お客様に聴いてほしい」と思うからです。だからと言って、自分の演奏を聴いて「つまらない」と思う人がいても不思議ではありません。
また、聴き方にしても人それぞれだと思うのです。目をつむって聴く人もいれば、演奏者を観察している人もいます。他に聴いている人が不快に感じる「聴き方」は誰からも認められません。演奏が気に入らなければ、静かに曲間で退席すればよいのです。元より演奏が気に入るかどうかは、聴いてみなければわからないのですから「つまらないから、お金を返せ」とは言えません。
演奏を聴いていて、どうしても咳を抑えられなくなることも人間なら当たり前です。障がいがあって、うれしくなると声を出してしまう人もいます。それを演奏者が我慢できないなら、無観客で演奏会を行えば良いだけです。観客が咳ばらいをしただけで、演奏を中断し以後、演奏をキャンセルした「有名なピアニスト様」の逸話があります。私はその場にいませんでしたので、どのような状況だったのか知りませんが、仮に咳払いだけで腹を立てたなら、演奏者の「懐が狭すぎる」と思います。映画のセリフではありませんが「殿さまだって、屁もすりゃ糞もする。偉そうなんだよ!」だと思います。生理現象を我慢してまで、命がけで音楽を聴く必要はありませんよね。

 聴いてくれるかたが、心地よいと感じる演奏をしたいと願っています。
会場でじっと座って聴いてくださっているのは、お客様です。「おもてなし」の気持ちと「感謝の気持ち」があって、さらに自分の演奏を聴きながら「寝てもらえる」くらいの心のゆとりが欲しいと思っています。録音された自分の演奏を聴くとイライラするものですが、それでも我慢して何度も聞いていると、やがて自分の演奏を聴きながら寝られるようになります(笑)自分が聴いて不快に感じる演奏を、人さまにお聞かせするのは演奏者の「傲慢」だとも言えます。自分の演奏を自分の「音楽療法」に使えるようになりたい!いや…その前に、もう二度と精神を病みたくないと思うのでした(笑)
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

梅雨を乗り切る楽器管理方法

 映像は、2020年に相模原北公園で撮影した紫陽花(アジサイ)の写真にヴィオラとピアノで演奏したビリーブを合わせたものです。

 日本の梅雨は草花にとっては恵みの雨が続くシーズンですが、ほとんどが木で出来ている弦楽器にとっては「地獄のシーズン」です。楽器に使われている木は、水分をほとんど含まない乾燥した木で出来ています。だからこそ、空気中の湿度をまるで除湿機のように吸い寄せてしまいます。
 楽器を組み合わせている「膠=にかわ」は、表板や裏板の木が、水分を含んで膨張したことによって割れてしまうことを防ぐために、意図的に弱い接着力で木材同士を張り合わせています。高温になると膠は柔らかくなります。ますます接着力が弱くなります。治癒時にこの膠で張り合わされた、表板い・横板・裏板の接合部が「剥がれる」場合があります。職人さんに膠を付けてもらい、圧着と感想をする数日間は、楽器を演奏できなくなります。
 剥がれなくても、板が水分を含むことで、楽器本来の響きを失います。湿気た木を叩いても「カンカン」という音ではなく「コツコツ」という鈍い音になります。こもった音色になり、余韻が少なくなるのが梅雨時の弦楽器の「異変」です。

 特に古い楽器ほど、楽器が水分を吸い寄せます。新しい楽器は、楽器表面のニスに水分が残っており、さらにニス自体も厚みがあるので簡単には水分をしみこませません。その点、100年以上たっている楽器は、ニスが乾ききり薄くなっています。そこに湿度が加われば、当然木材が湿気るのは自然現象です。
 この梅雨時を乗り切る方法を私なりに経験からまとめます。

1.自宅で管理する方法
練習していない時間は、ケースにしまわないことです。
出来る限り風通しの良い場所に、「立てた状態」で管理するのが理想です。
エアコンの風が直接当たる場所は避け、エアコンを切っている状態であればできれば弱い風で良いので、扇風機やサーキュレーターで楽器の周囲の空気を動かすことで楽器が結露したり、余分な湿気を含まずに管理できます。
 ケースに入れない理由は簡単です。ケースの中で、ケースの内張や楽器を包んでいる布に、楽器の表面が密着します。楽器表面に湿気が常に当たる状態になります。ましてやケースの内部は、高音になればますます湿度が高くなります。
湿気た布団にくるまって、暑い夜を過ごせますか?その状態がケースに入れられたヴァイオリンです。極力、板に何も接しない状態が理想です。

2.外に持ち歩く場合
当然、ケースに入れるのですがケースの内部を可能な限り「乾燥」させることが大切です。自宅でケースの中に入っているものをすべて出してから、ドライヤーの温風で内張の布を手でさわれる熱さまで加熱します。その熱さならケースを痛めることなく、水分を飛ばすことができます。その後、完全に冷めるまで待ってから楽器をしまいますが、その時に「からからにアイロンをかけたタオル」を一枚、楽器の上に「掛け布団」のようにでかけてあげます。当然ですが、タオルも冷めた状態でないと大変です。このタオルがケース内部で、楽器の表面に一番近い空気の湿度を吸い寄せてくれます。このタオルを頻繁に変えてあげることで、ケースの内部、特に楽器の周辺の湿度が下げられます。
 やってはいけないこと。「水をためる除湿剤を入れる」ことです。万一、この水が楽器ケース内で楽器に係ることがあれば、どんな事態になるか想像してください。押し入れに入れて湿度を「水」に替えるタイプの除湿剤です。水分が実際に「水」になるので効果が実感できますが、ケースの中ではまさに「自爆行為」です。
シリカゲルを使った除湿剤は、周囲の空気から湿度を吸い寄せます。が!
そもそもヴァイオリンケースの「密封度」は大した数値ではありません。雨の水がしみこむ程度の密封度で、シリカゲルを入れてもケースの外の湿度を一生懸命吸ってくれているだけです。ケースの中の湿度はほとんど下がりません。
 ケースに付いている「湿度計」は信じてはいけません。ご存知の方なら、正確な湿度計の仕組みはあの「丸い時計」では作れないことがわかるはずです。あれはあくまでも「飾り」です。嘘だと思うなら、楽器の入っていないケースをお風呂場に持って行ってみてください。針が動かないものがほとんどです。振動で動いていることはありますが(笑)

 楽器にとって、過剰な湿度は良くありませんが、だからと言って乾燥のし過ぎも危険です。「楽器が割れる」まで乾燥することは日本では考えにくいのですが、クラリネットやオーボエなどでは、乾燥しすぎて管体が割れることがあるようです。ヴァイオリン政策の「メッカ」でもあるイタリアのクレモナ地方は、意外なことに湿度の高い気候だそうです。適度な湿度は必要です。
 湿度計に頼るのは賢明ではありません。むしろ、楽器の手入れを擦れば、楽器表面が「重たい」感じなのか「軽く拭ける」のかで湿度がわかるはずです。
温度と湿度の関係も絡みますが、あまり神経質になるよりも、演奏者本人が「不快に感じる」場所は楽器にとっても不快なのです。楽器を自宅に置いて出かける時にこそ、赤ちゃんを部屋に置いて出かけるくらいの「慎重さ」が必要です。
 楽器が鳴らない梅雨の時にこそ、楽器の手入れを丁寧にしましょう!
最期までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

同じ音楽を感じながら

 動画はフリッツ・クライスラー作曲「シンコペーション」
ピアニストと二人で演奏することが多いバイオリンやヴィオラの音楽は、どちらかが「主役」で片一方が「脇役」ではありません。以前にも「伴奏」と言う言葉について、疑問を呈しましたが、ピアノが「伴奏する」と言う言葉の裏に、ヴァイオリンが主役と言う意味が隠されているように感じます。
 ヴァイオリンソナタの場合に「ピアノ伴奏」と言う言葉は使われません。
ところが、ヴァイオリン協奏曲のオーケストラ部分をピアノで演奏するときに「ピアノ伴奏」と言うことが多く、動画のような「小品」を演奏する場合にも時々「伴奏」と言う言葉が使われます。伴奏とは「声楽や器楽の主奏部に合わせて、他の楽器で補助的に演奏すること。」だそうです。主奏部って要するに「主旋律を演奏する人」だと思われますが、ピアノが主旋律を演奏する部分があっても「伴奏」なんでしょうか?府に堕ちません。

 オーケストラの場合、指揮者が音楽の交通整理をします。具体的には「テンポ」や「音符休符付の長さ」「強弱」「バランス」について、演奏者=オーケストラの演奏者に指示を出し、実際に指揮棒や腕を使って、音楽を表現します。
 二人で演奏する場合、人によって違いますが私たちは、その場その場で「お互いに」合わせる=寄り添うことを目指して演奏しています。練習の最初の段階は、それぞれが自分の演奏するパートを一人で練習します。その後、二人で同じ音楽を演奏するときに、お互いがどう?演奏したいのかをお互いに探り合います。
言葉で確認することもあります。「こうするかも知れないし、しないかもしれない」ということも確認します。打ち合わせをしても、私が間違って演奏した場合に、臨機応変に対応してくれることが「たまに、よく、しょっちゅう」あります。
 どんなに事前に打ち合わせをしたとしても、会場で演奏する「本番」の時には、リハーサルと違う演奏になることもあります。それはお互い様です。
 お互いを意識しなくても、相手の演奏している音楽と自分の音楽が「一致」していることが実感できれば、それが「ひとつの音楽」だと思います。

息が合うと言う言葉は、同じ速度、同じ深さで呼吸することを指していると思います。相撲の立ち合いもそうです。また、逆に相手に自分の動きを「読ませない」ことが重要な武道や、ボクシングの場合は、自分の呼吸を相手と意図的にずらすことも必要です。
呼吸を合わせるとは言っても、二人で演奏する音楽のすべての時間、完全に同期=同じ息で演奏することは、物理的に不可能です。ただ、音楽を二人で同時に演奏している「意識」は常に保っています。
 ピアニストがヴァイオリニストを「視野に入れる」のは必要なことだと思います。なぜなら、ピアニストは両手でいくつもの声部を感じながら演奏し、さらにそこにヴァイオリンの声部が加わるのですから、楽譜と同時にヴァイオリニストの弓の動きが見えることで、安心して演奏できると思うからです。ヴァイオリンは「弓が動いていなければ音は出ていない」のですから。ヴァイオリニストがピアニストの指を見ながら演奏しても、効果は薄いと思います。ましてや、両手の動きが見える位置と向きでヴァイオリニストが立てば、客席にお尻を向けて演奏することになるからです。加えて、ピアニストの出す「音」が聞こえないヴァイオリニストはいないのです。その逆はあり得ます。どんな位置にヴァイオリニストが立って演奏しても、ピアノの音は聞こえますが、ピアニストにはヴァイオリニストの、音も聞こえない、弓も見えない状態で、合わせられるはずがないのです。

 どんなジャンルの音楽でも、演奏する人たちがお互いを認め合い、必要な意見のすり合わせをして、初めて「ひとつの音楽」になると思います。
「二人」という最小単位のアンサンブルは、聴く人にとってオーケストラとは違った面白さがあると思います。もとより、気の合わない二人の演奏は、どんなに演奏技術が高くても、二つの音楽が同時に鳴っているだけの「水と油」です。
時に溶け合い、時にどちらかを浮き立たせながら、音楽が広がることこそがアンサンブルだと思います。
 どうか!伴奏と言う言葉を使わずに、それぞれの演奏者を、対等な呼び方にしてください。簡単です。「ヴァイオリン△△、ピアノ〇〇」で良いのです。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

部活外注に物申す

 現在、日本政府は公立小学校・中学校の特別活動である、部活動の指導を「外注」することを検討しているようですが、元中学・高校の教員、音楽部顧問として20年間、部活動を指導した経験をもとに問題点を書かせてもらいます。

 「土曜日・日曜日のスポーツ系部活動を地域のスポーツ少年団などに順次置き換え文科系部活動も学校外に移行する」
というニュースを耳にしました。その理由として「顧問教員の働き方を考えなおす」という、もっともらしい事を政府は言いますが、そもそも間違っています。
 部活動は学校の教育活動です。したがって、その指導責任と安全管理、成績管理は学校にしかありません。単に働く教員の「休日出勤」だけの問題ではありません。学校で行う学習活動を学校外の組織・団体に「丸投げ」する発想です。
もしもそれが本当に正しい事なら、学校の授業は民間の学習塾と予備校に丸投げしても問題がないことになります。
「土曜日曜だから良い」と言う問題ではありません。
当然、生徒が保護者の同意のもとに、学校が休みの時間に、なにを学ぼうが遊ぼうが、それは学校の活動ではありません。まさに問題のすり替えです。
 さらに部活顧問の労働環境が問題なのは、部活動指導に限ったことではありません。多くの人が知らないことですが、教員には「時間外手当」がありません。
長い歴史を経て、教育職員には「教員調整手当」なるものが支給されます。額はまちまちですが、月額数千円です。「教員に時間外手当はそぐわない」という理由です。当たり前のことですが、教員にも「勤務時間」があります。休憩を除き8時間が一日の勤務時間です。その勤務時間を超えて生徒の指導を行うことが、あまりにも常態化してしまったために「一律の手当て」として考えられたのがこの調整手当です。しかも、定時に勤務を終えても、補習講習、教材準備や部活指導で何時間働いても同じ手当です。労働に対する対価が不平等です。部活顧問は業務命令です。教育現場では「校務分掌」と呼ばれます。土曜、日曜に出勤した場合に「休日出勤手当」が出る学校もあります。修学旅行の引率などの場合には別の手当てが出る学校もあります。ただ、宿泊を伴う引率の場合、生徒の安全管理・健康管理は24時間勤務となります。
 私学の場合は管理職や理事が人事権を持っているため、教諭はサラリーマンと何も変わりません。公立学校の場合、教諭の立場は公務員です。校長などの「管理職」は人事権を持っていない上、数年に一度人事異動があるので、それぞれの学校では「お飾り校長」として教諭たちから相手にもされていない場合が多いのも事実です。
「モンスターペアレンツ」は未だに学校の現場を委縮させ続けています。
私学の場合は「理事会」に、公立の場合は「教育委員会」に、児童生徒の保護者たちが直接「上申」することで、学校現場の問題を解決するのであれば良いのですが、「気に入らない」から、ありもしないことをでっちあげて、嘘でも「上申」できるのが現状です。現場の教員にも生活があります。悪いことをしていなくても、児童生徒から保護者にどう伝わるのかが気になりだすと、不安になるのは当然です。
「〇〇先生は、部活顧問なのに土日に部活をさせてくれない」と保護者が文句を言います。学校は託児所ではない!慈善団体でもない!そもそも、日曜日は学校が休みなのが当たり前!だと思うのです。

 生徒が学校で過ごすべき時間は、本来「国」が定めるものです。義務教育ならなおさらのことです。社会=一般の大人が、部活動と民間の活動を区別できていないことが諸悪の根源です。文科省が何を考えているのか?想像でしかありませんが「学校で生徒を預かる」時間を増やせば、親たちから支持されることを期待しているとしか思えません。
 私自身、NPO法人の理事長として「青少年の健全な育成」「音楽の普及」を目的としたオーケストラ活動をしています。例えば、この法人で「部活動の代わりをお願いします」と言われたら?絶対に断ります。部活動は学校の教育活動です。NPOの目的が何であれ、NPOは学校ではないのです。
「施設を使う使用料を補助するから」と言ってくるのが目に見えています。
足元を見て、児童生徒の学校教育を「売り払う」政策です。
被害者は子供です。国が子供を守る気持ちがない上に、「支持者を増やす」目的で考えた「姑息な悪法」です。
子供を家庭に返せ!
親なら子供を自分の手で育てろ!
そう思うのは間違いでしょうか?
最期までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音楽の標題やストーリーより大切な「聴く人の想像力」

 映像は、ドビュッシーの「美しい夕暮れ」と言う歌曲をヴィオラとピアノで演奏したものです。歌ですから「言葉=詩」があります。詩を読んだ作曲家が「音楽」を付けた作品です。歌を聴いて歌っている言葉のわかる人なら、歌っている内容が同時に伝わります。一方で歌っている歌詞がわからない場合は、「詩」ではなく「声」として感じます。当たり前です。それでも「楽しめる」のは、聴く人の「自由な想像力」で音楽を楽しんでいるからです。
 作曲家の感じた「詩」の印象と違って当たり前だと思います。
歌詞があろうとなかろうと、聴く人の「想像力」があるから楽しいのではないでしょうか?

 言葉を含まない音楽を聴いて「ストーリー」を感じるものでしょうか?
予備知識として、作曲家のイメージしたストーリーを知っていたとしても、聴く人が同じストーリーが感じられるものでしょうか?演奏する人が感じるストーリー性は、演奏者によって違って当然です。その演奏を聴いた人が、さらに違ったストーリー性を感じても感じなくても、それが自然だと思うのです。
 感じる人が「感受性が高い」とは限りません。むしろ「予備知識」に無意識に引っ張られているケースもあるのではないでしょうか?
歌詞の無い「音楽」が多いクラシックです。音楽の標題も、作曲者本人がつけた曲と、のちに誰かが標題をつけた場合があります。標題を見て先入観で音楽をイメージする場合もあります。その標題が作曲者のつけたものではない場合、本来は「曲名」がなくても良いはずで、むしろ私は「有害」だとさえ思います。

 ジャズにしてもクラシックにしても、あるいは映画音楽などにしても「聞く人の想像力」が一番大切だと思っています。特に、クラシックの音楽をあまり聞かない人たちに「クラシックの音楽とは!」と言う「余計なおせっかい」こそが音楽の純粋な楽しみ方を阻害していると思っています。
クラシック「マニア」が自分の感じるものや「ストーリー」を言葉にするのは自由です。その人の感じ方なのですから。ただそれを、まだクラシック音楽を楽しめていない人たち・子供たちに「これが正しいクラシックの楽しみ方・学び方」だと思わせてしまうのは、間違っていると思います。それこそが「クラシック嫌い」を創っていると思います。頭でっかちな「予備知識」で音楽を聴くよりも、聴く人の「真っ白なキャンバス=先入観のない状態」で音楽を聴いて想像する方が何倍も大切だと思っています。
音楽は特定の「物・人・事」を表わさない芸術です。
演奏する人、聴く人の勝手な想像こそが、音楽の楽しみ方ではないでしょうか?
「好きなように感じる」ことを優先すれば、もっと音楽を聴く人・楽しむ人が増えると信じています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

拍の速さと車窓の風景

 映像は、Youtubeで見つけた新幹線の運転席から見える風景です。
わたくし「ノリテツ」でも「てっちゃん」でもありません。悪しからず。
音楽の「拍」や「リズム」が苦手な生徒さん、さらにテンポの維持や変化に関する苦労は、プロの演奏家にも共通の悩みです。
 そこで今回は「時間と音」を「時間と風景」に置き換えて考えることで、拍やテンポについて考えてみたいと思います。

仮に、電車の車窓から見える「電柱」が一定の間隔て立っているとします。
音楽のテンポを変えずに一定の速さで演奏するとします。
電車の速度が速くなると、電柱を通過する時間がだんだん短くなります。
テンポが変わらなければ、楽譜の中で「1拍」にかかる時間、「1小節」にかかる時間は常に一定になりますが、テンポが速くなればその時間はだんだn短くなります。
つまり、「一定の時間を予測する能力」と「
下の動画はF1(フォーミュラー1)がレースコースを走っている時の映像です。酔う人は見ないほうが(笑)スタート時時速「0」から一気に200キロを超える速度までの風景と、同じような速度で走る他の車がまるで「止まっているように見える」ことにご注目ください。

https://youtube.com/watch?v=4Y-XbgGUGIk

いかがでしょうか?怖いですね~(笑)
速度が速くなると一定の時間に処理する情報が多くなります。
言い換えると、処理の速度を速くしないと間に合わないことになります。
さらに「常に次にやるげきことが読めている」ことが必要なのです。
F1パイロット(レーサー)は、走るコースのすべてのカーブ、直線の距離、傾斜を「完全に記憶=暗譜」して走っています。コースに出なくても、頭の中でコースを走る「イメージ」があります。そうでなければ、止まることさえできません。速いのは車の性能ですが、止まる・曲がれるのは操縦するレーサー=人間の運動能力なのです。これもすごすぎる!

 楽譜を「追いかける」速度は、どんなに速い音楽でも秒速「数センチです。
仮に秒速5センチなら、分速300センチ=3メートル、時速180メートル。
歩く速度は時速4キロ=4000メートル。楽譜を読む速度はそれほど速くない!
 他方で、1秒間に処理する音符の数で考えると、たとえば四分音符を1分間に120回演奏する速さ「♩=120」の場合、16分音符は1秒間に8つの音を演奏する=処理することになります。結構な処理速度が求められますね。すべての音符が16分音符なら、1分間に8×60=480個の音符を演奏することになります。
 ちなみに早口言葉で「なまむぎ なまごめ なまたまご」をメトロノーム120で鳴らしながら言ってみてください。それが先ほどの16分音符の速さと同じになります。楽譜を読む速さは、この処理速度によって決まります。演奏できるか?は、その処理速度に「運動」を加えることになるので、まずは読めなければ運動は出来ません。

 まとめて考えます。
1.予測する技術 
「次の拍の時間を予測する」ことが「テンポ」です。難しく聴こえますが、正確に「1秒」を感じることを練習することで時間の間隔は身に着けられます。音楽は常に「次の拍を演奏する時間」を予測しながら演奏する技術が必要なのです。
その「1拍」の時間的長さが一定の場合に初めて「リズム」が生まれます。拍の長さが不安定だとリズムは演奏している本人でさえ理解出来ません。
 次に来る=演奏する「拍」を予測する美術は、決して反射神経ではありません。

 長くなりましたが、リズムやテンポが苦手な人は、一定の時間で何かを繰り返したら、「時間を等分する」ことが苦手な人です。
ぜひ!日常生活の中から、リズムや拍を見つけてみてください。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ラから教える?ヴァイオリン「始めの一歩」

映像は正弦波=音叉の音で鳴り続ける442ヘルツのA=ラの音です。
チューナーの音より聞き取りやすいかもしれないですね。
さて、今回のお題は「初めてのヴァイオリン」を小さい子供に教える時の問題です。もちろん、大人の場合でも多くの人が音の名前「ドレミファソラシド」は知っていても、かなり怪しい(笑)ケースがほとんどです。
 中学校1年生に「ドレミファソラシドって覚えていて言える人」には、クラスのほとんど全員が手を挙げます。が、「反対からドから下がってすらすら言える人」になると激減します。「言えるぞ!」と言う人に、「ラから下がってラまですらすら言える?」あなたは、いかがでしょうか?多くの人が、「言ったことがない」のが現実です。単語として「ドレミ」や「ドシラ」は覚えていても、途中からの「並び」は言えないのが普通です。音楽家の皆さん。あなとも同じ脳みそです(笑)試しに「あかさたな…」はおしまいの「わ」まで言えますね?それでは、それを「わ」から反対に言えますか?どうぞ!
おそっ!(笑)
これが人間の脳みそです。

 さて、ヴァイオリンの「始めの一歩」は、開放弦で音を出す練習から始まることがほとんどです。左手で弦を押さえないで、出せる音は「ソ・レ・ラ・ミ」という4種類の音です。調弦してあれば、の話ですが。
 一方でピアノの「始めの一歩」では、多くの指導者が「ド」から教え始めるのではないでしょうか?両手で始めるにしても「真ん中のド」を境にして教えるのではないでしょうか?
 さらにソルフェージュの場合も、多くは「ド」から覚え始めます。
事実、子供のための音楽教室(編)のソルフェージュ1A=最初の本でも、ドから始まっています。次に「レ」さらに「ミ」と音が増えていきます。当たり前の話ですが、このドの音が「一番歌いやすい」と言う意味ではありません。子供の声の高さ、出しやすい声の高さは人によって違います。「ド」から覚える理由は、おそらく「ピアノ」を基準に考えられ始められたものと思います。

 小さい子供が、ヴァイオリンを手にして初めて開放弦の音を出せて、嬉しそうな表情をしているのを、見ているだけなら楽しいのですが(笑)
 そこから「音の名前」や「楽譜」に結びつける場合に、どうしても「ド」にたどり着くまでに長い道のりがあります。まして、ヴァイオリンの2弦=A線から練習していくと、多くの場合次に練習するのは、1の指=弦楽器では人差し指ですの「H=シ」です。そこまでは何とか出来ても、次に2の指を1の指から「離して押さえる」手の形が一般的なので「ド♯=Cis」の音になります。
「なんで?わざわざ♯で教えるの?」土木な疑問ですね。
当初、私自身は2(中指)と3(薬指)の間を開くことが難しいからだろうと思い込んでいました。ところが、実際にやってみると、1(人差し指)と2(中指)をくっつけることは、難しくないことに気付きました。さらにこの状態で、指を曲げても、別に違和感がないことにも気づきました。こうなると「はて?なぜ?ヴァイオリンは最初から1と2を開くのかな?」と言う疑問が解けなくなりました。ここからは推論です。

開放弦から始めて、1の指を「開放弦より全音高い音」が出せる場所に置かせることから始まります。そうすると、低い弦から順に「G→A」「D→E」「A→H」「E→Fis」になります。この時点でE戦で♯が付いてしまいます。
どうしても「F」を教えたければ、1の指を「下げる=上駒側に寄せる」ことを教えて、開放弦より「半音高い」位置を教えなければなりません。
1の場所を「変えること」を教えるか?それとも「開放弦より全音高い音の位置」を覚えさせるか?によって、FなのかFisなのかが決まります。これは「1の指」の問題です。

 A線の場合は1の指は通常、開放弦より全音高い「H=シ」の音を練習します。そして「2」を「1の指=H」に近付ければ半音高い「C=ド」が出せて、もう少し感覚を開いて2を押さえれば全音高い「Cis=ド♯」が出せます。
とりあえず先に進んで、「3の指」で「D=レ」の音を出すことが一般的なのですが、2の指からの「音程=距離」が半音なのか?全音なのか?によって、近づくか?離れるか?が分かれます。どちらにしても「D=レ」を教えたとします。
 すると2の指にを「C」にして、開放弦から順に演奏すると…
「AHCD=ラシドレ」と言う「短音階の最初の4音」になります。
一方で、2の指を「Cis」にすると開放弦から
「AHCisD=ラシド♯レ」と言う「長音階の最初の4音」が演奏できます。
要するに「2」の位置で「短調」か「長調」のどちらかになります。
「こら!嘘つくな!」と言う専門家のお声が聞こえそうです(笑)
はい。確かに「AHCD=ラシドレ」の前、後によっては、長調にもなります。
正解は「C dur=ハ長調」の第6音から演奏した場合「CDEFGAHC」と
「G dur=ト長調」の第2音から演奏した場合「GAHCDEFisG」が考えられます(難しい)
簡単に言えば「開放弦で出せる音から始まる=主音にする曲」を演奏しようとすると、短調か?長調か?が「2」の指の高さで決まると言う意味です。それでも難しい(笑)

 推論のまとめ。おそらく「長調の音楽から教えたい」と言う気持ちで2の指が3の指に近付く=1の指から全音分離れることが一般的になったものと思われます。もしも、ピアノと同じように「幹音=シャープやフラットのつかない音」から子供に教えたければ、それもあり!だと思います。その場合、指の位置は半音の単位で変わることになります。
 一方で、手の形=指と指の間隔を優先して教えたければ、どうしても幹音以外の音を教えることになります。
 小さい子供に「シャープってね?」と教えられるのか?そもそも近い出来るのか?と言われれば恐らく「無理」だと思います。
 ただ、音の高さを覚え、音の名前を覚える時期=絶対音感を身に着けられる限られた時期に「シャープ」という言葉まで覚えさせれば、一生の財産になることは事実です。現実に幹音だけの「絶対音感」はあり得ません。1オクターブ内の「12の音=すべての鍵盤の音」の高さを音名で答えられる=歌えることを「絶対音感」と言います。白い鍵盤の音名だけしか答えられないのは「絶対音感」とは言いません。ですから、シャープやフラットという言葉も覚えていく必要があるのです。細かいことを言えば「異名同音」が存在するのですが、どれか一つの言い方が=音名が答えられれば絶対音感があると言えます。ファのシャープとソのフラットは「同じ鍵盤=同じ高さ」の音ですから、どちらかの名前が言えれば「理解している」ことになります。

 ピアノの教本、ソルフェージュの教本、ヴァイオリンの教本を同時進行で教える場合に、ヴァイオリンだけが最初から「ラ」だとか「シ」が出てきます。
ピアノ・ソルフェージュで、ラやシが出てくるのはかなり後です。
「理想の順序」や「正しい順序」はないと思います。
結局のところ、ヴァイオリンとソルフェージュまたはピアノを「同時進行」で教えていくことが最も効率的な指導方法なのかな?と思うに至りました。
子供が「楽しみながら」音楽の基礎である「音名・音の高さ」と、楽器の演奏技術を学べるように教材を考えることが必要です。そうでなくても初心者用の教本や教材が少ないヴァイオリンです。自作も含め、複合的な「本当に新しいヴァイオリン教本1巻」が誕生することを願っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

耳に優しい音色と音楽

 映像は、フォーレのベルシューズ「子守歌」です。
ヴァイオリンの音色が「こもった」感じの音なのは、演奏用のミュート=弱音器を駒の上に付けて演奏しているせいです。練習用に使う「消音器=サイレンサー」とは意味合い・目的が違います。ちなみに金属製の消音器を付けると、音圧=音の大きさがテレビの音量程度まで小さくなります。一方で演奏用のミュートは、「音色を変える」ための道具です。

 さて、同じ音楽=楽譜でも、演奏の仕方で聴く人の印象が変わることは言うまでもありませんね。同じ材料と調味料を使って、違う人が同じ料理を作っても、同じ味にならないことと良く似ています。料理で言えば、材料の切り方、火加減、手順、味付けが違います。ヴァイオリンの演奏で言えば、何がどう?違うのでしょうか?

 もちろん、楽器と弓で音色が大きく変わるのは当然です。
ヴァイオリニストは自分の好きな音色の楽器を使って演奏できます。
ピアニストはそうはいきませんね。会場のピアノで演奏することがほとんどです。また、高額なヴァイオリンの場合、演奏者が借りて演奏する場合が良くあります。自分の好きな楽器かどうかの選択ではありません。
 自分の好きな音色を出すためのテクニックとは?

 前回のブログで書いた「弓の毛の張り具合」もその一つです。そのほかに
・弓の速度

・弓の角度
・弓の圧力
・弓を乗せる位置=駒からの距離
・ビブラートの深さ
・ビブラートの速さ
・ビブラートをかけ始める時間
・弦を押さえる力と指の場所
・ピッチ=楽器の倍音
・グリッサンドやポルタメント
・余韻の残し方=音の終わりの弓の処理
他にも考えられますが、これらを複数組み合わせることで、音色が大きく変えられます。
聴いている人が「優しい音(音楽)」と感じる場合と、「激しい音・強い音」と感じる場合があります。言葉で表すのはとても難しいことですが、少し「対比」を書いてみます。
・太い音⇔細い音
・固い音⇔柔らかい音
・明るい音⇔暗い音
・鋭い音⇔丸い音
・つるつるした光沢のある音⇔ざらざらした音
・力強い音⇔繊細な音
・重たい音⇔軽い音
・輪郭のはっきりした音⇔ベールのかかったような音
いくらでも思いつきますが、上記の左右は「どちらもアリ!」だと思います。
綺麗⇔汚いと言うような比較ではありません。
敢えて書かなかったのが「音の大きさ」に関するものです。
だんだん強くなるとか、だんだん消えていくなどの表現は「音の大きさ」で「音色」とは違います。
 また同様に音の長さについても書きませんでしたが、実は音の長さは「音の強さ」の概念に含まれます。「音の三要素」は「音の強さ」「音の高さ」「音色」です。いまは「音色」の話です。

 演奏者の好みで曲の解釈が変わります。
同じ楽譜でも、違って聞こえるのが当たり前です。「良い・悪い」「正しい・間違っている」の問題ではありません。フォーレの子守歌ひとつでも、人によってまったく違うのが当然です。大好きなヴァイオリニスト、五嶋みどりさんのえんそうです。

https://youtube.com/watch?v=nguAm1-qZvE


 世界的なヴァイオリニストの演奏と比較する「図々しさ」は私にはありません。
ただ、人によって音楽の解釈が違うと言う話です。お許しください。
 ヴァイオリニストの音色へのこだわりは、楽器選び、弓選び、弦選び、松脂選びなどの「ハード」と演奏方法「ソフト」の両面があります。
聴く人には「一度だけの演奏」です。演奏者が、自分の好きな音色に迷いがあったり、最悪「こだわりがない」場合、演奏のうまい・へた以前に「無責任な演奏」を人に聞かせていることになると思います。
 自分の好きな音を探し求めて、試行錯誤を繰り返すのが弦楽器奏者です。
一生かけて、楽しんでいきたいと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介