メリーミュージックブログ

演奏家夫婦が優しく丁寧に指導

TEL.042-782-1922

※原宿南教室〒252-0103
神奈川県相模原市緑区原宿南2-26-1

演奏の技術

指・弓・毛・弦の弾力

https://youtube.com/watch?v=05qBqizvjkE

今日のテーマはヴァイオリン演奏時の「発音」に関するものです。
擦弦楽器とは、弦を弓の毛で擦って音を出す楽器の事を指します。
ギターやマンドリンのように「弦をはじく」楽器とは発音方法が違います。
弓を使って音を出す楽器は、ヴァイオリン族=ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバスの他にも、胡弓などの中国伝来の楽器もあります。
弓の毛の多くは馬の尾の毛を漂白せずに使います。洗うそうですが、洗ってもおうまさんのお尻に近いしっぽの毛ですから、当然「ウンモ」笑の香りが消えないものも多いそうです。お食事中でしたらごめんなさい。
 ヴァイオリンの弓には、250本ほどの毛が張られています。
馬のしっぽの毛は顕微鏡で見ると凸凹があり、そこに松脂がついて大きな凸凹になって、弦との愛間に摩擦が起きて音が出ます。
 弓の毛、1本1本はとても細く、柔らかいものです。手で引っ張ると「ぷちっ」と切れる程度の強さです。他の動物の毛と比較して弾力性に富んでいます。
この毛を重ならないように弓に「張る」技術が職人さんの技です。
演奏している間に着れることもあります。また、経年劣化すると弾力性が下がり、毛自体も細くなります。演奏に使っていなくても、動物の毛ですから自然に劣化します。

 毛を張っている弓の木材は、フェルナンブーコというブラジルに生えるマメ科の木です。オレンジ色の木で木目はあまりはっきりしていません。古くからヴァイオリンの弓にはこのフェルナンブーコが用いられてきました。染料にも使われ、現在は数が少なく、ワシントン条約で弓の形をしたものでないと輸出できなくなっています。
 弓にするために、6角に削り熱処理で曲げて作られます。
先が細く中央部分が太く、元の部分には黒檀で出来た「毛箱=ブロック」と毛箱を引っ張り弓の毛を張るための「ネジ=スクリゅー」のための穴があけられています。重さは全体で60グラムと、生卵一個分ほどの重さです。弓先と全体のバランス、全体の弾力性、太さなどで演奏のしやすさだけでなく決定的に音色と音量を左右します。弓の木の良し悪しは、ヴァイオリン本体のそれよりも重要な一面も持っています。フランソワ・トルテ(1747 – 1835)やドミニク・ペカット (1810-1874)に代表されるフランスの名弓製作者の弓はヴァイオリン本体よりも希少価値が高いものです。

 そして「弦」です。弦はその昔、ガット=羊の腸を張っていましたが、その後、ガットの代わりに化学繊維のナイロンを使用したもの、金属を代わりに使用したものがあります。ガット弦は音質が柔らかいのが特徴です。
ナイロン弦は価格が安く、量産が容易であるメリットがあります。

金属=スチールの弦は音量が大きく安価です。それぞれに「短所」があります。
 ガット弦の短所は、ガットが伸びて安定するまでに時間がかかることです。
温度や湿度での変化でピッチが変わるのは、どの種類の弦にも言えることです。
 ナイロン弦の短所は、良い音の出る寿命が短いことです。最もポピュラーなトマステーク社製のドミナントは、焼く2週間で突然、余韻が短くなり明らかに音質が落ちます。
 スチール弦の短所はずばり「柔らかい音がでない」ことに尽きます。
どの種類の弦を選ぶのかは、演奏者の好みと演奏に求められる音量、音質さらには、「お財布事情」で変わります。ちなみにガット弦の寿命はナイロン弦よりはるかに長いので、コストパフォーマンス的には大差ありません。
 私は普段、ガット弦を使っています。唯一ガット弦を作っている「ピラストロ社」のオリーブ、またはパッシォーネを張っています。
弦には弾力性があります。固すぎる弦は押さえることにも向きません。

弦は駒の近くでテンション=張力が強く、固く明るい音が出せますが、圧力が足りないと高い裏返った音になりやすいリスクもあります。
一方で、駒から通り場所=指板に近い場所は、テンションが弱く意図的に「ソフトボーチェ=弱いかすれかかった音」を出す時に使用しますが音量が小さくなります。3本の弦を一度に演奏したい時などには、この部分を演奏することで同時に3本の現に弓の毛を当てて音を出すことが出来ます。
 演奏したい音量や音色によって、どの場所に弓を当てるか考える必要があります。

右手の指の弾力とは、指の関節の柔軟性です。当たり前ですが、骨は曲がりません。弓に触れる右手の指の各部分を、敏感にしておくことが求められます。
そして、弓を通して弓の毛と弦の「摩擦」と「弾力」を感じることが必要です。
 車で例えるなら、駒と上駒=ナットが「橋げた」で、弦が「橋=道路」で、弓の毛が「タイヤ」に当たり、指が「サスペンション」と「ハンドル」の役割を果たしています。乗り心地の良い車、高速でも路面に吸い付いて安定して曲がり、止まれる車、それが「弾力」です。

動力源は「右腕」です。それらが連動しあいながら、弦と弓の毛を「密着」させたまま動かすことで、弦が振動し駒を振動させ表板に、さらに「魂柱」を通して裏板に振動が伝わり、ボディ=箱の中で共鳴・共振して、大きくななった音=空気はf字孔から出てきます。当然表板も裏板も振動して音を出しています。

 弓の毛を強く張って演奏する人を多く見かけますが、私は必要最小限の「弱さ」を探して極力「弾力」を優先しています。強く張れば、強く圧力をかけられるので、より強い音を出しやすくなります。が、柔軟性を失うことになります。
 弓の木の「硬さ=強さ」にもよりますし、弦の種類にも、さらには駒の高さ=弦の高さによっても、弓の毛の張りは調整されるべきです。やみくもに強く張るのは、弓の弾力を失わせます。
 弓の毛の弾力と、弓の木の弾力は当然「毛<木」です。弓の毛を強く張りすぎれば、弓の木の弾力を減少させることになります。また、弓の中央部分の柔らかさを放棄することにもなります。
 そもそもなぜ?弓の木に、わざわざ反りを付けているのかを考えるべきです。
腰が抜けてしまった弓とは弓の弾力を失い、いくら毛を強く張っても、毛と木がすぐに当たってしまい、中央部分で「横方向の力」に耐えられず、ぐにゃっと曲がってしまう状態です。腰が抜けてしまうと弓は使えなくなります。弓の木を長持ちさせるために、弓の木に過剰な負荷を与えるような「強すぎる張り方」は避けるべきだと思います。

 音量を優先させたいのであれば、スチールの弦を張り、ガチガチに固い「剛弓」で弾けば良いと思います。ヴァイオリンの音量だけを求める演奏は、本来の美しい音色を求める演奏方法と矛盾しています。もちろん、弱いだけの音では、ピアノと一緒に演奏したときに「聴こえない」ことになります。
 弦と弓の毛の「密着」を考えて、あらゆる弾力性を意識しながら演奏することを心掛けたいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

目指す演奏って?

 動画は、クロード・アシル・ドビュッシーの「美しい夕暮れ」をヴィオラとピアノでライブ演奏したものです。原曲は「歌曲」です。フランス語で歌われる音楽を、ヴィオラで演奏することは、作曲者の意図したものと違うかもしれません。
原曲が管弦楽曲で、それに歌詞をつけて歌っている音楽も多いので、「反則!」とは言われないかな?
 今回のテーマは、どこまでもゴールのない?自分ができるその時々で「最善の演奏」です。

 さて、こちらはCDに収録した同じ曲です。自宅で何度か演奏しなおして録音した「美しい夕暮れ」お聴きになって違いを感じられるでしょうか?
 どちらも自分では満足のいく演奏ではありません。「なら演奏するな!」と言われても返す言葉はありません。その時点で自分と自分たちの出来る「最大の努力」をした「最善と思われる演奏」です。聴く人によって、満足感が違うのは当然のことだと思います。

 生徒さんが一生懸命に練習して、レッスンで「合格」して喜んでくれる姿がまぶしくて、とてもうれしく思えます。どんな人でも、その時点で最高の演奏があると思っています。楽譜通りに演奏できることを目標にする段階は、誰にでもあります。ゆっくりしたテンポでなければ演奏できないレベルもあります。途中で音がかすれたり、鳴らない音があったりしても、頑張って演奏した「成果」がその時の評価であるべきです。「もっと練習すれば、もっとじょうずにひける」のは当たり前です。一気にじょうずになれる?はずがありません。
小学校卒業の学力で突然、東京大学の入試を受けても受からないのと同じです。
勉強の場合、目指す進路に合わせた積み重ねの勉強方法があります。
ヴァイオリンやピアノの場合は、どうでしょうか?

 音楽の学校に入ること、コンクールで優秀な成績をとることを「目標」にするのは正しいと思いますが「目的」ではあり得ません。むしろ、それから先の道の方がはるかに長く、険しく、楽しいのです。
 趣味で演奏する人でも、プロの演奏家でも「目指す演奏」があるはずです。
間違えないこと・速く演奏できること
誰でもが思う「目指す演奏」ですよね。
では、それ以外になにを目指して練習しますか?
「それさえできないのに」と笑わないでください。
もちろん、速く・正確に演奏できる技術は目指すべきです。
人間が演奏し人間が聴く「演奏」は本来、その演奏の時だけの「一度きり」の芸術です。録音されたものを聴くことが出来るのは、便利でありがたいことですが本質的には音楽は「時」と共に終わり、印象と言う記憶に残るだけの存在だと思います。再現性は重要ですが、いつも同じ演奏が出来ると思う方が、どこか間違っているように感じます。
 練習して「間違えないで何度でも演奏できる」ことを目標にするよりも、一音ずつにこだわり、フレーズにこだわり、ひとつの曲として伝えられるものにこだわることの方が、人間らしい音楽になると思っています。
 感情の生き物である人間が、いつも同じ感情で演奏できるはずもなく、聴く側にしてもその時々で、感じるものが違うはずです。
 正解もない、間違いもないのが自分の好きな「音色」だったり「揺れ」だったり、もしかすると「ゆがみ」だったりするのではないでしょうか?
 完璧を目指すよりも、好きな音色を探し好きなテンポを考え、好きなビブラートを考え続けることが音楽への向き合い方で良いと思います。
 演奏を間違えないだけなら、AI技術を使って機械で演奏すれば、絶対に間違えません。その場限りの芸術だからこそ、自分の好きな演奏を探す努力に時間をかける「意味」があると信じています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

出来ない時には

https://youtube.com/watch?v=iMUspsipSuU

 この演奏は、私たちが最初に開いたデュオリサイタルの時のブラームス作曲ヴァイオリンソナタです。20年間の教員生活を終えて、うつ病を抱えながら音楽教室を経営し、やっと病気から抜け出して、改めてヴァイオリンに向き直った当時の演奏です。この時から、すでに14年以上の年月が流れました。いま聴くと、どこかたどたどしい(笑)演奏です。二十歳の時、初めてリサイタルで演奏したのがこのブラームスでした。

 生徒さんを教えている立場で、「自分はうまく演奏できない」と言うとまるで「嘘つき」か「詐欺師」のように思われそうですが、正直に言って自分のできないことだらけなのが真実です。
 出来ないレベルが違う?人それぞれに「苦手」なことがあるように、なんでもできる「ように見える」人でも、きっとできないと思うことはあるのだと思います。隣の芝生はなんちゃら(笑)です。
 さらに深く考えれば、周囲からは出来ていると思われていることでも、本人は「出来ていない」と思っていることも多いのではないでしょうか。逆から言えば、自分が出来ていないと悩んでいることも、他の人から見えれば「本当に出来ている」と感じられているかも知れないのです。

 練習が嫌いでした。練習しても出来るようになる「実感」がなかったからだと思い起こします。親に言われて練習し、レッスンで先生に「音程!」と注意される繰り返しでしたから、練習したくない少年(元)の気持ちが理解できます。
出来ない、ひけないと思う以前に「演奏しなきゃいけない」と思ったのが、音楽高校の受験をすることになった時でした。うまくできているか?考えることすらできませんでした。師匠のレッスン以外に、兄弟子のレッスン、さらに入試でピアノ伴奏をされている先生のレッスン、さらに週に2回の聴音レッスン。
自分がなにもできないことは、最初にわかっていたつもりなのに、レッスンのたびに「できていない」ことを思い知らされました。いまも手元にある当時の聴音ノートには、涙で真っ黒になった楽譜と先生の赤い「直し」が書き込まれています。出来ないから練習する。当たり前ですね。出来るようになりたいと、自分から言い出したのですから。

 こんな特殊な例は別として、出来ないと思ったことを、出来るようにするための「コツ」はなんでしょう?こんな特殊な体験をした私の立場で考えます。
「できない」と思わないことですね。かといって、できるようになると「信じなさい」と言われてもねぇ(笑)無理でしょう。
 出来ないのではなく、「やり方が間違っている」と考えるのがコツではないでしょうか。あるいは「見方が間違っている」のかも知れません。
 自分ができないと思っていることに対して、苦手意識を持つのは当然です。
諦めたくなるのも「やってもできない」と思い込んで「やらない」からです。
つまりは「思い込み」こそが、できない理由の一つなのです。
 納豆を食べたことがなかった私は、納豆の匂いが大嫌いでした。
ある時、学食で納豆だと気づかずに食べて「しまって」以来、納豆が大好きです。
 クライスラーの「序奏とアレグロ」の2ページ目中央辺り(笑)を高校生の頃に「むり」と諦めて依頼、数十年「むり」と思い込んでいました。デュオリサイタルでプログラムに入れる決心をして楽譜を「じっくり」読み解いていくと?
クライスラーの「癖」が呑み込めて、普通に演奏できることを知りました。
 自分の力だけで家を建てるのは無理。本当にそう? 少しずつ学びながら時間をかければ、家だって建てられると思わない?と、聴音を教えて下さった恩師「黒柳先生」が何度も私に言ってくださいました。聴音なんかできないと、無言で泣いている私に優しく言ってくださいました。

 ヴァイオリンの演奏で、物理的に演奏できないことは楽譜に書いてありません。仮にそう書いてあったとすれば、作曲者が「違う意図」で書いている場合です。バッハが3つの音を「付点2分音符」の和音で書いています。物理的に無理です。
 チャイコフスキーヴァイオリンコンチェルトは、作曲当時「演奏不能」と酷評されました。いまは?中学生がコンクールで演奏しています。物理的に演奏不能なのではなく、難易度が高いだけだったのです。
 ヴァイオリンのためにかかれている楽譜は、演奏できるはずなのです。
間違った指使いの数字や、ダウン・アップの印刷間違いは良く見かけます。
ひどい例だと「A線で演奏」という指示がありながら、A戦では演奏できない低い音が書いてあったり(笑)調弦を下げろと?こんな間違いはあり得ます。
 生徒さんに良く見受けられるのが、指使いを考えられずに「演奏不能」状態に陥ってやみくれているケースです。自分で「演奏できる指使い」を考えられるようにならないと、楽譜にかかれている音をどうすれば?演奏できるのかが、わからないのは当たり前です。これは経験と知識が必要なのであって「出来ない」のではありません。

 速く演奏できないという「出来ない訴え」が生徒さんの中でトップ10に入ります。ゆっくりなら演奏できるのに、ある速さを超えると、音がかすれたりピッチが外れたりする現象です。解決する「コツ」は。自分が演奏している運動を、観察することです。
・腕や指の筋肉の緊張が、無意識に強くなったり弱くなったりしいてる場合。
・必要以上の運動を無意識にしている場合。
・右手と左手の同期が出来ていない場合。
多くのケースはこの3つの原因です。それぞれに解決する練習が考えられます。
複数の原因が重なっている場合があります。ひとつずつ原因を探していく「観察」が不可欠です。
そして、一度に複数の原因を解決しようとしないことです。
関連していても、ひとつずつの原因に対して「治療=矯正」をひとつずつ行うことが唯一の解決策です。

 「ビブラートができない」これも多いお悩みです。以前のブログで書きましたが、人によって出来るようになる期間が違います。つまり、できない原因が違うのです。実際にその生徒さんに対して、色々な問診と触診(これ、気を遣うので難しい)をして、生徒さん自身が試してみないと原因が判明しないケースがほとんどです。むしろ、偶然にビブラートが出来るようになってしまう人もいますが、なぜ?どうやって?出来ているのかを言語化できないのが特徴です。
 力が足りない場合と、力が多すぎる場合があります。本人の意識、無意識にかかわらず、ビブラートが出来る「ポイント」を見つけることがコツです。
 なによりも、音の高さを聴き続ける「聴く技術」を高めないと、ビブラートが出来ているのか?どんなビブラートになっているのか?を判別できません。そのためには「平らな音」つまりビブラートをかけずに、均一な音色・音量・ピッチの音を出す練習を「聴きながら」続けることが必要です。

 一番難しい「できない」が、「他の人のようにうまくできない」というものです。この悩み自体が「自己矛盾」していることにまず、気付かないと解決できません。
 自分の演奏を他人と比較しているのは?自分自身です。他人からの比較ではありません。自分で「勝手に思っている比較」なのです。
そもそも比較とは、比較される人やモノ以外の「人」が行うものです。
特に「うまい・へた」という主観的で正解のない比較をすること自体が間違いです。数値化できないものの比較は、あくまでも人の主観で変わるものです。
ましてや自分の演奏を自分で他人と比較するのは、愚の骨頂です。
他人からの評価は甘んじて受け入れるべきですが、自分で他人との比較で思い悩むのは無意味です。

 苦手なことを克服するという意識の中に、すでに思い込みがあるのです。
自分の身体にとって「害」になるものに対して、アレルギー反応が起こりますよね?体質の問題、たとえばアルコール分解酵素の少ない人が多いのが日本人です。その人が無理にお酒を飲めば、アルコールを分解できず苦しむことになります。医学でまだ解明されていない「拒絶反応」がたくさんあります。事実、寒暖差アレルギーや気圧による体調不良は、最近になって「症状」として認知されるようなったばかりで原因は解明されていません。ですから、本当に「できない」ことも事実あるのです。
 思い込みで出来ないと感じることは、結果的に得られる喜びや達成感を、自ら放棄していることにもなります。努力する時間、練習する労力は節約できますが、どちらを取るかはその人次第です。努力して頂上に登りたい「山愛好家」とみているだけで十分!という「平地族」の違いです。
 ぜひ!思い込みから抜け出して、新しい角度から自分の演奏を見つめなおしてみてください。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

演奏中に考えること

 動画は世界的なフルーティスト「エマニュエル・パユ」が語る素敵なお話です。今回のテーマは、他人からは見えない「演奏中に考えていること」です。

 ヴァイオリンを練習する生徒さんたち、特に大人の生徒さんが陥りやすい「本番になるとうまく演奏できない」というネガティブな思い込みがあります。
また、本番に限らず練習中に、なにを考えながら演奏すれば上達できるのか?という問題があります。
 人それぞれ、演奏中に考えていることは違います。同じ人、例えば私の場合は同じ曲を弾いている時でも、恐らく違うことを考えています。ですから「正解」を出すことは不可能ですが、多くの生徒さんに聞いていくうちに、あるパターンを見つけました。

 初めて練習する曲の場合、当然ですが楽譜を音にすることに集中します。楽譜を使わないで練習する人の場合は、音を探すことに集中します。この段階で、音色に集中している生徒さんは、ほとんどいません。仕方のないことですし、順序で言えば間違っていません。

 その次の段階で何を考えているでしょう?多くの生徒さんが「間違えないこと」を考えます。うまく演奏できない部分を繰り返し練習するのが一般的です。
その時にも「間違えない」とか「失敗しない」ことを考えています。
ここからが問題なのです。

 ひとつには、うまく弾けない原因を「考える」事を忘れがちです。
さらに、同弾きたいのか?を試すことが必要です。陥りやすいのが「繰り返していればいつか弾けるようになる」という思い込みです。確かに、繰り返す練習は必要ですが「どう弾きたい?」を探さずに繰り返しているうちに、ただ運動だけで間違えないようにする練習をしてる場合がほとんどです。
 練習で思ったように演奏できるようにすることは、言い換えれば自分が今、どう弾いていてそれをどうしたいのか?という根本がなければ、うまく弾けない原因も見つけられないのです。初めから「こう弾きたい」というレベルではない!と思う人も多いのですが、思ったように演奏できない原因を探すために、現状を分析することに集中すれば、自然に自分の弾きたい「速さ」や「音色」や「音量」を考えることになります。

 体調がすぐれない時、お医者さんに自分の病状を伝えますよね。
身体のどの辺りが、どう痛いとか。その症状から医師が原因を推測するために、さらに検査をします。そして出された「病因」を解決するための治療や処方をするのが「順序」です。病状がわからないと、治療には結び付きません。

 ヴァイオリンを演奏しながら、なにを考えていますか?何に集中していることが多いですか?無意識にただヴァイオリンを演奏し続けていないでしょうか?
本番で、過緊張にならないために自分を信じることができ、考えなくても自然に自分の弾きたい演奏ができる「理想」を持つのであれば、練習中には考えることが必要だと思います。次第に、考えなくても「思った通り」の演奏が自動的に出来るようになるプロセスが必要です。勉強をまったくしないで「私は東大にいきます」と思って受験しても受かりませんよね?偶然を待つのは間違いです。失敗するのも、うまくいくのも「偶然」で片づけるのは簡単ですが、努力する段階で「偶然」を期待するのは間違いです。

 私は練習中に、自分が思った通りの演奏をしている「イメージ」を作ることに努力しています。そのために、一音ずつの「理想」と「現実」を常にチェックします。本当はどんな風に演奏したいのか。今、どんな音で演奏していたか?どうすれば…弓の場所、圧力、速度、ビブラートなどをコントロールすれば出来るのか?を考えます。考えて「これかな?」と推測した演奏方法で繰り返します。違えば修正して、また繰り返します。そのイメージを頭に作ります。右手の動き、弓の動き、左手の動き、音の高さ、音色、音量を「ひとつのイメージ」にまとめる練習を繰り返します。一度に複数の事に集中することは不可能です。
「ひとつのイメージ」になれば、それを思い描き、再現することに集中することは可能です。

 音の高さだけに固執しない。弓の使い方掛けにも固執しない。
自分の「理想」をイメージするための長い道のりですが、結局のところ「思ったように演奏できた」と言えるのは「思っていなければできない」という事なのです。音の高さだけを、間違えないで演奏できてもダメですよね?いくら、良い音でも音の高さが外れていたら、これもダメですよね?それらを「合体」させたイメージを作るために、常に音に集中して練習することをお勧めします。
自分の演奏する「音」にすべての答えがあるのですから。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

なぜ?初心者向けの曲が少ない?ヴァイオリン

 映像は、エドワード・エルガーの作曲した「6つのやさしい小品」という曲です。エルガーはイギリスの第二国家とも呼ばれる「威風堂々」や、「愛の挨拶」を作曲した人です。
 この曲は、1曲目から6曲目まで、すべてを「ファースト(第一)ポジション」で演奏できるように書かれています。と言うよりも、ファーストポジションしか演奏できない初心者が練習すRために作られていると言っても過言ではありません。初心者の…と言っても、音楽として考えると、とても素敵な音楽だと思いませんか?それぞれの曲は、数分で弾き終わる長さで、小節数から考えてもそれぞれ、長くても数十小節で終わります。
 最初の曲は、ほとんどの音符が四分音符で、臨時記号も数箇所だけで、あとの「幹音(CDEFGAHの白い鍵盤の音)だけで書かれています。
すべての曲が、それぞれに「目的」を持っているように感じます。
リズムと弓の配分、スタッカート、スラー、長調と短調など、ヴァイオリンの初心者に「技術」を意識せずに「音楽」として練習できる「楽曲」として完成しています。

 上の2曲は私たちのリサイタルで演奏されることの多い「歌」をピアノとヴィオラで演奏したものの一部です。ふるさと、瑠璃色の地球。
どちらも、素敵な旋律=メロディーと、これまた素的ピアノの和声=和音で作られています。特に、ピアノの「アレンジ」が歌を演奏する時の大切な要素になります。当たり前ですが、ヴィオラで「歌詞」は演奏できませんが、歌詞を意識して演奏しています。

 最後に、初心者ヴァイオリン奏者の、技術向上を目的にした「音楽」が少ない理由について考えます。
 練習用の「練習曲=エチュード」と「音階教本」は何種類も、販売されています。特に、左手の指を独立させて動かす「運動」を分類した練習用の楽譜、例えば「シラディック」や「セブシック」と言うタイトルの練習楽譜が主に使用されます。その中でも、ポジション練習のための「作品=巻」のように、特定の技術習得に特化した楽譜です。
 一方で、「カイザー」や「クロイツェル」「フィロリロ」など、練習用の「独自の音楽」を徐々に難易度を高くしながら練習できる「練習曲集」があります。
国内だと「新しいヴァイオリン教本」や「鈴木メソード」、「篠崎ヴァイオリン教本」などがすぐに手に入ります。ただ、収録されている音楽は、ヴァイオリンの技術向上を目的にした音楽ではなく、「演奏できるようになったら楽しい」という程度の段階で、曲が並べられています。特に巻が進むにつれ、有名な既成の協奏曲の一部や、小品がそのまま収録されているだけです。オリジナルの曲はほとんど入っていないのが現状です。

 音階の教本は「カール・フレッシュ音階教本」が、音階練習の「バイブル」ともいえる集大成です。すべての調で、ありとあらゆる「音階とアルペジオ」の楽譜が書かれています。一生かけて練習するための「経典」に近い?(笑)
簡単な音階の教本もありますが、本当の意味で音階を練習したいのなら、このカール・フレッシュを練習するしかありません。

 ヴァイオリン初心者に向けた音楽が少ない理由は、とても簡単です。
「作曲されていないのです。」
なぜ?世界中の作曲家たちが、ヴァイオリン初心者のための曲集を書かなかったのか?昔から、ヴァイオリンを教える先生、教わる生徒がいました。昔から「天才ヴァイオリニスト」と呼ばれる名手がいました。みんな最初は「初心者」でした。そしてみんな習ったのです。その時になんの曲を?どんな曲を練習したのか?記録がありません。ただ言えることは「楽譜を読む技術」は別のレッスンで身に着けて、ヴァイオリンの演奏技術だけを習うために「特定の音楽」がなくても練習できたということが言えます。
 ヴァイオリンの演奏技術は「ピッチの正確さ」と「ボウイングの技術」に集約されます。指導者によって、指導のプロセスが全く違います。ある先生は、ひたすら開放弦だけを練習させます。ある先生は、音階だけを練習させます。また違う先生は、持ちきれないほどの教本を買わせて練習させます。どれが正しいとは言えません。
私は「生徒の技術と知識、年齢と目的によって」指導方法を変えます。教本も変えます。楽譜の読めない生徒さん、読めなくても良いから演奏したい生徒さんなど様々です。その生徒さんに応じて、指導方法を変える「引き出し」を持つことが指導者の技術だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ヴァイオリンの傷

 写真は1808年に制作された私のヴァイオリンの表側です。
楽器を美術品として考えるならば、直接手で触れず、温度と湿度を管理した状態で保管するのがベストです。
 ヴァイオリンは美しい美術品である前に「楽器」です。音楽を演奏するための「道具」だと言えます。演奏家にとって楽器は単なる道具でないことは紛れもない事実です。ましてや、使い捨てるような類のものではありません。
自分の寿命よりも長く使用され続け、人々を魅了する音を出すのが楽器ですから、楽器の一生の一時期を「使わせてもらっている」と考えるべきだと思っています。

 どんなに大切に扱っていても、楽器に傷をつけてしまうリスクをゼロにすることは出来ません。残念なことですが、ほとんどの部分が木で出来ている弦楽器の傷は、元通りに修復することは出来ません。目立たなくすることはできますが。
特に、楽器の表側に小さな傷をつけてしまうことが多いようです。
 弓には固い金属の部分があります。スクリュー(ねじ)と毛をとめている金具です。楽器に当たれば、間違いなく傷がつきます。ピチカートで演奏する時や、勢いよくアップでE線を弾ききった時などが、一番リスクのある瞬間です。
 また、オーケストラの中で演奏する時などに、譜面台の角に楽器が当たるだけでも、傷はつきます。
 演奏する時に着ている洋服の、左襟元のボタンなどで傷がつくこともあります。
 肩当ての足ゴムが古くなって劣化し、ゴムが剥がれて楽器に金属の足が当たって傷をつけることもあります。
 楽器をケースに入れていても、蓋側に入れた弓の留め具を閉め忘れ、移動するたびに振動で楽器の表板に、無数の傷をつけてしまう場合もあります。
同様に、ケースの中の小物が移動中にケースの中で動き回り、楽器に傷をつけることもあります。
 目も当てられないのは、金属製の消音器(金属ミュート)を付けたままケースに入れて蓋を占めて、駒を割り、表板を割ってしまう悲惨な事故も起こります。
 ケースの蓋を閉めても、ファスナーや留め具をとめ忘れたり、移動中に留め具が外れてしまえば、楽器が転がり出て…という最悪の事故も起こりえます。
 満員電車の車内で、「セミハードケース」と呼ばれるヴァイオリンケースを抱えてもって乗っていて、押し合う人の圧力でケースがつぶれた事故は実際に起こっています。

 楽器に傷をつけたことに、気が付かないでいることもあります。
ある時に楽器の傷に気が付いて「いつの間に?」と頭を痛める生徒さんもいます。演奏し終わって、楽器を丁寧に拭いていれば、多くの場合には気が付きます。楽器が松脂でベタベタになっていても、気にしない演奏者を見かけると、楽器が可哀そうになります。楽器を、自分の身体以上に小まめにチェックするのが、上達するうえで最低限の心構えです。

 大切な楽器を綺麗にしようと、研磨剤の含まれた「汚れ落とし」で拭くのは、ニスを痛めるので極力避けるべきです。柔らかい布で、力を入れずに優しく、松脂と手の汗を別の布で拭き取ることが最適です。
 傷だらけになった楽器を見ると痛々しいものです。「痛い」と声を出せない楽器だからこそ、愛情をもって扱ってほしいと願っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

 

柔らかで温かい音で弾く

 以前、ヴィブラートについてのブログを書きました。
弦楽器奏者にとって、音色は言うまでもなく正解のない問題を解こうとするのに似ています。アマチュアヴァイオリニストにとってのヴィブラートは「憧れの奏法」だと思います。実際にYoutubeでバイオリンのビブラートと検索するだけで、そりゃまぁ驚くほどの動画があります。すべてを見るのは不可能です。動画をアップしている方々の「好み」や自らの経験で、アドヴァイス動画としていることはよくわかります。
 ただ、それらの方の実際の演奏がほとんどないのが残念でした。
ちょろっと(笑)弾いている方は多いのですが、自身の演奏を紹介しないのが不思議。当然のことですが、自分の演奏技術に自信満々!なヴァイオリニストなんでいないので、「練習方法や理論」と「実演」が一致しなくても仕方ないのかな?
 どんなに料理のレシピをたくさん作った人でも、その人の作った料理を食べたことのある人はほとんどいないのが現実ですが、音楽の場合は演奏を公開することで実際に近いヴィブラートを説明することは必要だと思います。

 音色を形容する言葉の中で「柔らかい」と「暖かい」という二つが私にとってとても大切なキーワードです。ほかにも「明るい」「力強い」「透明感のある」「など、その曲や弾く場所によって必要になる音色もあります。
 ヴィブラートを運動として練習するよりも、音楽の一部として考えるべきだと思っています。もっと言えば、ヴィブラートを何のために使うのかを考えなければ、単なるピッチの連続的な変化=波でしかないのです。
 聴いていて感じるものは、人によって違います。ヴァイオリン演奏にはヴィブラートが「当たり前」に思われていますが、必ずしもそうとは限らないと思います。それは声楽の世界でも言えることだと感じます。素直に心にしみる声
が好きです。


Andreas Schollの歌うシューベルトのアヴェマリア。
ヴィブラートがどうのうこうの…ではないしみわたる音楽を私は感じます。
声楽と弦楽器は、音のできる仕組みも違います。共通点も多いと思います。
好みの問題ですが、ヒステリックなヴィブラートが私は好きではありません。
柔らかく暖かく。
演奏することは「歌う事」だと信じています。
何かを伝える歌
何かを表現する歌
歌詞がなくても歌です。人間の声が持つ安らぎは、本能的なものです。
楽器で音を出すこと=演奏が歌に聞こえるように心がけることも、必要だと思います。楽器にしかできない演奏もありますが、音楽の本質は聴く人を幸せに感じさせる「音」であると考えます。
 こんな時代だからこそ、人の心に安らぎを感じさせる音楽が必要だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

身体の柔らかさ

 今日もレッスンで生徒さんたちが直面している「壁」を一緒に考えました。
必要以上の力が無意識に右手や左手に入ってしまう現象。
力を入れることは日常生活でも良くありますが、力を抜くことを意識することはあまりません。
 重たいものを持ち上げる時、固い瓶の蓋を開ける時など、力を入れる場面は思い浮かびます。また、驚いた時や危険を感じた瞬間に、無意識に体に力が入る経験をしたことのある人も多いと思います。身を守る「本能」があことを感じます。
 子供の頃、握力測定や背筋力の「体力測定」をした記憶がります。
筋力を増やすトレーニングは、多くのスポーツで必要になります

 ヴァイオリンを演奏する時にも、必要な力がありますが、必要以上の力は演奏の邪魔になるばかりではなく、練習疲労が強くなってしまいます。
・必要な最低限の力を見極めること。
・脱力した状態から瞬間的に力をいれ、すぐに脱力できること。
この二つを練習する方法を考えます。

 一番脱力できる姿勢は?
横になって寝ることです。簡単です(笑)
仰向けに寝転がったままで、両腕を持ち上げていると疲れますよね?
それが「腕の重さ」です。ヴァイオリンを弾いている時に、腕の重さを感じますか?ヴァイオリンが重く感じるのとは別です。本来、腕の重みを感じるはずです。
 腕を前方に持ち上げる筋肉は、腕の筋肉よりも背中と首周りの筋肉です。
つまり、背中と首に力を入れすぎると、腕の重さを感じなくなってしまいます。
楽器を持たずに、演奏する構えだけをしていると、腕が疲れてくることを感じるはずです。
 瞬間的に力を入れる練習は、脱力した状態で筋肉を観察し、一瞬だけその筋肉に力を入れ、すぐに脱力する練習を繰り返してみます。

いわゆる「ぴくっ」と筋肉が動く感覚です。じんわり、力が入っていくのとは違います。

 握力とは「握る力」です。弓を持つ、弦を押さえる時に必要な握力は、実はほんの少しの力です。実際、幼稚園児の力でも演奏できるのですから。
 必要以上の力を入れて弦を押さえても、音の大きさはもちろん、音色も変わりません。必要最小限の力を見極める方法は…
・右手=弓は出来るだけ「全弓」を使って大きな音で弾き続ける。
・左手親指を、ネック=棹の下側に入れ、指の腹で楽器を軽く持ち上げて開放弦=0で弾きます。
・左手の指を、弦に皮が触れるか?触れないか?の弱さで触りながら弾く・
・当然、音がかすれます。かすれた高い音が出る「弱さ」で触ります。
・弓をしっかり動かしながら、左手の指を少しずつ!指板に押し付けていきます。(一気に押さえては無意味です)
・左指の触っている場所の「音」が出始める「押さえ方」が最小限の力です。
・その力と「同じ力」で左親指を「上方向」に加えます。
 左手親指の役割は、弦を押さえる力を刺さることです。
左手人差し指の付け根と、親指で強くはさみすぎる人が多いので、
わざと指をネックの舌に入れ、人差し指の付け根で「はさまない」で練習してみることをお勧めします。
上記が「左手の最小限の力」です。

左手の指先を、弦に「落とす」または「軽く叩きつける」練習も重要です。
これも、じんわり握るのではなく、指の重さを利用して弦に落としたら、すぐに力を抜く練習を繰り返します。慣れてくると、弦に指が当たる音が聞こえるようになります。

 右手の力は、左手に比べとても多種多様です。
一番、気を付けるのは「背中と首の力を抜く」ことです。
肩を「ぎりぎりまで下げたままで弾く」ために、背中と首の力を抜くことが最もわかりやすい方法です。

 右腕を「前へ倣え」のように前に伸ばしても、右肩は上がっていないことを確認してみるのも一つの方法です。
 弓を動かしながら、常に「背中」「首」「肩」と言葉に出してみるのも練習方法のひとつです。力は瞬間的に入ってしまうので、この3つを言い終わらないうちに、最初の部位に力が入っていることがわかるはずです。
 右手の親指。弾いていいると隠れて見えません。
親指が「爪側に反る」のは間違いです。「手のひら側に曲げる」のが正解です。
弓を強く「握る癖」がある人は、まず弓を右手の「手のひらで包み込んで」やさしく持ってみてください。弓の先は弾けませんが、中央部分でならば音をだせます。優しく、力を入れずに持っても「いい音が出る」ことを体で覚えるまで繰り返します。
 右手の手首に、力が入りすぎる癖のある人もたくさんいます。っ上記のように「包み込んだ持ち方」で、「手の甲」が「弓の毛と平行」な傾きになっていることを確かめてみてください。
 G戦を弾くときは、右手の甲は天井に向いているはずです。
D線、A線・E戦と弓が「垂直に近づく」と手の甲が、だんだん右外側方向を向くことになるはずです。
 悪い例は、右手の甲が「自分の方を向いている=手のひらが前を向いている」状態で弾くことです。逆に、鎌首のように手首が「上がりすぎ」も良くありません。これらは「弓の中央部分」の話です。

 弓の重さだけでも、弓を動かせば音は出ます。右腕の重さを、
肘→手首→人差し指に伝え、親指でその反対方向の力を弓に加えます。
この力は「圧力」です。弓を「握りしめる力」は圧力になりません。無駄な力になって、手首や肘の自由を奪ってしまいます。握らず、親指と人差し指の「必要な力」を見つけることが大切です。

 最後に、私たちにかかっている「重力」を考えてください。
常に上から下にかかっています。楽器にも弓にも、腕にもその「重さ」があり、それをうまく利用して演奏することが大切です。
 自然にまっすぐ立った時、両腕を体の側面に沿わせて下げ、肩を極限まで下げるだけでも、自分の立ち方の「基本」が理解できます。
 楽器を構えて、弓を弦に乗せても腕の重さは変わりません。
「重さ」を感じながら、弓の毛と弦の「摩擦」を「指」で感じること。
左手で弦を押さえる力が「50グラム」なら、親指の上方向への力も「50グラム」で良いのです。楽器の重さと、弓の圧力は、鎖骨と耳の下の顎関節の骨で支えられます。

 長くなりましたが、弾いていてどこかの筋肉「だけ」が疲れたら、その場所に無意識に力がはいっていることが原因かもしれません。
疲れないように、良い音が出るように、寝ながら弾いている「つもり」で楽器を弾いてみて下さい。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介
 

演奏技術の違い

 誰もが思う事。もっとうまく弾きたい!
自分よりじょうずな人の演奏は、憧れや目標であると同時に
自分がうまくないことを思い知らされる気持ちにもなります。
じょうず、へた。おおざっぱな表現なので、「演奏技術の違い」という言葉で考えてみます。

 上の動画は、ヤッシャ・ハイフェッツという20世紀を代表するヴァイオリニストの演奏動画です。1901年に生まれ、1987年に亡くなるまで、まさに「演奏技術の最高峰」であり、神のようにあがめられたと言っても過言ではない演奏家でした。
 ヴァイオリンの演奏技術が「高い」と言われるのは、どんなことが出来ることを指すのか?
様々な見方があります。代表的なものをいくつか挙げてみます。
・速く弾いても音の高さをはずさない。
・音量が豊か。
・短い音にもビブラートをかけられる。
・弓を自由にコントロールできる。
などなど、言い方はいくらでもありますが共通していることは
「出来なくなりそうなことを、簡単そうに演奏できる」
という事になります。速さにしても、音量にしても、発音の正確さにしても
ある程度の「遅さ」なら出来ると思えることでも、その限界を超えた速さや音量、正確さを可能にしている事を「演奏技術が高い」と言って差し支えないと思います。

 演奏技術が普通」ってあるのでしょうか?
つまり、誰かと演奏技術を比較するから「違い」があるわけです。
自分しかヴァイオリンを弾ける人はいない!
と思えば、世界で一番じょうずなのは?そうです。私なのです!
いやいや(笑)そんな思い込み、ありえないと言うなかれ。
世界的なスポーツのアスリートの多くが、試合の直前に「自分は世界一だ」と自己暗示をかけて本番に臨むそうです。
私自身、人の前で演奏する場に立つときは、自分の演奏技術を信じます。
たとえ、途中で失敗したとしても、今この瞬間にこの場所でヴァイオリンを弾いているのは自分だけなのだから、自分が世界で唯一のヴァイオリニストなのです。本番中に、ダメ出しをする人は、いないものですよ(笑)

 練習している時は、そうはいきません。落ち込みます。
自分の演奏技術が低すぎることに、嫌気がさすことが毎日続きます。
生徒さんから「先生でも?」と言われます。生徒さんが思うのと同じことを、恐らくヴァイオリニストは全員?思っているのではないでしょうか。
 自分より正確に、かつ美しく演奏できる人が必ずいるのではないでしょうか?
それは、自分の顔より美しい顔の人がいると思うのと同じです。なぜなら、自分の顔を自分で見られないように、自分の演奏を客席で自分が聴くことは出来ないのですから。
 と。自分を慰めてみたりしましたが。
どうすれば演奏技術は高くなるのでしょうか?どこかにその秘密はないのでしょうか?

 この動画は4歳の生徒さんが初めて人前で演奏したときのものです。
習い始めて約半年。まだ楽器と弓をきちんと持つことは難しい段階ですが、それでも一生懸命演奏しています。
 もしも大人の方が「これは、子供だから」と感じられたなら、むしろ考えを
「自分がこの4歳の子供と何が違うのか?」と考えてみてもらえればと思います。なにも知らないのが当たり前です。そして、出来ることも少ないのが子供です。先生の言っていることを理解できる言葉も少ない中で、わかったこと「だけ」をやろうとしている姿。
 私も含めて、大人になるとつまらない「プライド」を無意識に持っています。
出来ないことがあると、出来る人をわざわざ探して「自分が劣っている」と自虐します。出来なくて当たり前なのです。
 演奏技術を高めたければ、自分の出来ることを一つずつ増やすだけです。
自分のできないことを知ることです。コンプレックスを持たずに、時間をかけて、探しては出来る方法を考えて、出来るまで練習する。その繰り返しだけが唯一の方法です。
 61歳の私が今から身に着けられる演奏技術が、どれだけあるのか?誰にもわかりませんが、一つでもできれば「儲けもの」です。
70代の生徒さんが楽しみながら楽器を練習しています。
趣味に年齢制限はありません。期限もありません。テストもありません。
毎日、楽器を弾けなくても、弾いた時間だけ上達していると思うことも大切です。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ピアノとヴァイオリン

 ヴァイオリンを初めて演奏する生徒さんの中で、それまでにピアノを練習した経験がある人と、そうでない人の違いについて考えます。
 一般的に、ピアノを習ったことのある人の割合は、ヴァイオリンに比べ恐らく10倍以上多いと感じます。もちろん、地域や時代によって変動しますが、ピアノは「習い事」の中でもポピュラーです。

 ヴァイオリンを演奏したいと思う人の中で、ピアノやその他の楽器を習ったことのある人と、初めての楽器がヴァイオリン…と言う人の割合は、意外かもしれませんが、6:4か、7:3程度です。つまり、半数近い生徒さんが「初めての楽器がヴァイオリン」です。年齢別に考えても大差ありません。
 ヴァイオリンは、どういうわけか?憧れの楽器=弾いてみたい楽器のトップ5?には入るようです。むしろ、ギターやフルートは個人で買って楽しんだり、中学校や高校の吹奏楽部で楽しめたりすることが大きな要因だと思います。

 そのヴァイオリンを練習する時、ピアノを弾ける人が優位なことがあるとすれば、楽譜を音にする経験があり、楽譜だけを見るとヴァイオリンの楽譜がとても「簡単」だという事です。ただ、楽譜を音楽に出来るか?という技術は、身に着けていなくてもピアノは弾けますので、弾けることと、楽譜を音に出来ることはイコールではありません。厳密に言えば、楽譜を読んでピアノを弾くことを習った人の場合の話になります。
 一方で、初めての楽器がヴァイオリンという方の場合、楽譜を音にするための技術も、持っていない場合がほとんどです。学校の授業でリコーダーを吹いたり、合唱をした時でも楽譜を音にしていた人は、ほぼ「ゼロ」です。

 ピアノを楽譜を見て上手に弾ける人なら、ヴァイオリンがすぐに弾けるようになるか?というと、答えは残念ながら「NO!」です。なぜなら、楽譜が読めたり、音の名前がわかって音の高さがわかっても、自分の出したい音の高さを、どうやったら弾けるのか?言い換えると、ヴァイオリンはどうすれば?どんな音が出せるのか?が、ピアノと比較してはるかに「わかりにくい」からです。
 さらに、ピアノは調律さえできていれば、「変な高さの音は出ない」構造です。ヴァイオリンは、開放弦を正確にチューニングしてあっても、その他の高さの音は、すべて自分の「耳=音感」で探して演奏する楽器です。むしろ、ピアノを習った経験のある人の方が、自分の出すヴァイオリンの音の高さが「気持ち悪い」と苦笑されます。
 もう一つの大きな違いが、両手の役割の違い=運動の分離が難しいことです。

 多くのそうした生徒さんが落ちる落とし穴があります。
左手で押さえる場所が違う=音の高さが違うと感じて、直そうとすると無意識に、右手の動きが止まることです。止まるまでいかなくても、非常に動きにくくなります。無理もないことです。私たちは両手を同時に使って、違う作業をすることが少ないのです。あったとしても、どちらかの手が「主役」で、もう一方の手は「補助的な役割」をする程度です。
 包丁を使っている時の、もう一方の手は「補助」ですよね?
両手でナイフとフォークを使って料理を食べている時でも、おそらくどちらかの手しか動いていないのではないでしょうか?
 音楽家同士の遊びの中に、こんなものがあります。試してみてください。

 右手で4拍子の指揮をしながら、左手で3拍子の指揮をする。
もちろん、同じ拍の長さ=テンポは同じで、同時に1拍目から指揮をスタートします。やりやすい、4拍子の図形で構いません。3拍子は単純に三角形の図形で構いません。
 せーの!
初めての人は恐らく2泊目で止まりますよね?笑
右手で4拍子の指揮を「1・2・3・4・1・2・3・4…」と繰り返すだけならできますよね?
左手で3拍子の指揮を「1・2・3・1・2・3…」と繰り返すのも、単独なら簡単ですよね?
はい。それを同時にスタートします!
仮に4拍子を口で言い続けて「1・2・3・4・1・2・3・4…」と言いながら、両手で4拍子と3拍子を同時に振ると、4拍子を3回繰り返して4巡目に入る瞬間の「1」の時に、左手の3拍子も「1」になるのです。
……………………??????
 3と4の「最小公倍数」は12です。つまり、4拍子を3回繰り返すと12泊、振ることになります。その時に3拍子は「4巡目の1拍目」になります=3拍子を4回繰り返すと12泊振ることになるからです。

 これ、電車やバスの中で、やらないでください。ついムキになってしまうので、周りの人が離れていくか、通報される危険性があります。自宅で鏡に向かって楽しんでください。

 さて、ヴァイオリンはこの「左手と右手の分離」に近いことをしながら、演奏することになります。ただ、私からすると、ピアニストが両手で同時に違う音を弾けることのほうが難しく感じています。
 右手と左手の分離と同期は、一朝一夕にできません。少なくとも、頭でどちらかの手に集中すると、もう一方の手は無意識になることが、上記の指揮の遊びで実感できると思います。
 あ。じゃんけんを両手でやるのも、むずかしいですよ。常に右手が勝つことと、常に違う形=グーかチョキかパーを変え続けて、何回?続けられますか?
 それはさておき、左手の押さえる場所=音の高さを修正する時に、意識的に(無理やりにでも)右手で全弓を使って大きくて良い音で弾き「ながら」音の高さを修正する「習慣」をつけることをお勧めします。
 もしくは、左手の練習をするときには、ピチカートで練習するのもひとつの方法です。
 右手の練習をしてから、左手の練習をする「順序」を決めることもお勧めします。なぜなら「音が出なければ、正しい音の高さにならない」からです。
 常に、右手に意識を集中し、音の高さは「耳で確かめる」ことも大切です。

 ピアノとヴァイオリンの構造の違いを理解した上で、練習法帆を考えると上達の近道になるだけでなく、ストレスの軽減につながります。
 あきらめずに!あせらずに!練習してください。
ピアノのように、どんどん弾けるようになる「上達した実感」はヴァイオリンではなかなか感じられません。ただ、練習しているうちに、無意識に出来るようになっていることに、「ふと」気付くものです。その日は必ずやってきます

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介