メリーミュージックブログ

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演奏の技術

長野県木曽福島「木曽おもちゃ美術館」で演奏します

2022年撮影「瑠璃色の地球」ヴィオラ・ピアノ

2023年10月7日(土)夕方6時30分と翌日10月8日(日)11時に、長野県木曽町に建つ「木曽おもちゃ美術館」で演奏します。
 主催は木木曽町(教育委員会)です。
おもちゃ美術館は20年前に廃校になった小学校を減築した施設。
演奏するのは「元」体育館で高い天井と木造の建物が、信じられないほど豊かで心地よい響きを、演奏者もお客様も楽しめる「ホール」です。

 演奏に適した会場…日本にある多くのホールは、実は「多目的ホール」です。
講演会や落語などを「聴く」時には、残響が少なく「聞き取りやすい」音響がホールに求められます。
 打楽器の演奏の場合「音の切れ」が求めmられます。余韻が長いと「切れの悪い」印象になります。これは吹奏楽にも言えます。
 一方で弦楽器の演奏には「余韻」があってこそ!だと私は確信しています。
伝統的な日本家屋の多くは「土壁」や「ふすま」「畳」「低い木製天井」で、基本的には「吸音材」に囲まれている状態です。狭い部屋で音が響かないことは、長屋が多かった日本では「必須条件」だったのかも知れません。
 ヨーロッパの古い家屋は「石」「レンガ」の外壁が多く、天井も高く(身長が高いせい?)日本の「吸音」とは真逆に「音を反射する」部屋がほとんどです。
 こうした文化の違いもあり、日本のホールでは残響の短いホールが圧倒的に多いのが現状です。残響時間をコントロールできるホールも昔からあります。
 電気的な残響ではなく、ホールの天井や壁面に、残響の長さを変えるための構造物を作り、演奏内容や好みに応じて「ある程度」残響時間を変えられるホールです。
 当然のことですが、同じホールでも満席の場合には残響時間が短くなります。
演奏者の「位置」でも音響は変わります。ステージで聴こえる残響と、客席で聴こえる残響時間も違います。特に「大ホール」と呼ばれる大きな会場の場合、楽器の「直接音」を楽しむことは不可能です。壁・天井で何度も反射した「間接音」をステージから遠く離れた客席で聴くことになります。

 木曽おもちゃ美術館は、昔の体育館を改装した会場ですが「木の響き」」を楽しむことができる、とても希少なホールだと思います。ピアノも当時子供たちが使っていたであろう「アップライト」ですが、そんなことは気にならないほど、癒される響きがあります。
 今回も「聴いて疲れない」「初めて聴いても懐かしい」「口ずさめる」曲を選んで演奏します。陳昌鉉さんが木曽町でヴァイオリン制作を「独学」で始めたこともあり、木曽町の名誉帳面です。陳さんが亡くなられてからも陳さんの作られたヴィオラで演奏し続けている私が、木曽町が陳さんから譲り受けたヴァイオリン「木曽号」を使って演奏します。
 詳しくは、下のチラシをご覧ください。

 

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音楽は技術だけで評価する芸術じゃないよ!

今回のテーマは音楽を演奏する・音楽を聴いて楽しむすべての人たちが共通に感じる「音楽の喜び」を言語化するものです。

 演奏の「うまい・へた」を点数化したり序列化したがる人がいます。私は「人の好み」こそが重要だと考えるので、機械的に技術=テクニックを競い合ったり、序列化することに疑問を持っています。むしろ、この序列化が音楽を純粋に・率直に「好き」と感ずる気持ちを阻害している気がしなりません。少なくとも先入観をあたえる「コンクールの順位」や「他人の評価」が音楽ファンを減らしていることは間違いないと思います。
 例えて言うなら、テレビが視聴率を優先して番組を組み立てることに似ています。人によって「見たい」と思う番組は違います。当然です。すべての人が満足する番組構成は不可能です。スポンサーがあっての放送です。一人でも多くの人が「見てくれる番組」を並べたいと思うのは仕方のないことです。それが「視聴率至上主義」を生みました。ある番組…例えば「旅もの」の視聴率が高ければ真似をする。「食レポもの」の人気があれば真似をする。「芸能人コメンテーター」が当たり前になったのもその一つです。どの放送局も「似たり寄ったり」個性のない番組ばかり。若者のテレビ離れの原因は?これではないでしょうか?

 他人の評価や流行を気にする民族性や文化は、国や時代によって大きく変わります。日本で考えれば「国民的ヒット曲」が消えてからすでに何十年経ったでしょう?
「流行」は他人の評価に影響される「集団心理」と、毎日いつもどこかで耳にする「刷り込み現象」によって、流行の度合いが決まります。ファッションも音楽も「個性を大切にする」より「誰かの真似」が圧倒的に簡単です。
 現代の日本では「誰かの真似」をする人が激減しました。ただ内心では「右に倣(なら)え」というのも日本人の気質です。偉い人の言う事・この大きな人に「従っていれば無難」と言うのも日本字的な考え方です。

 演奏の技術は「自分らしい音楽を表現するため」に高めるものです。人の真似をする技術も「技術」です。清水ミチコさんや、コロッケさんのような「特殊技術」は一朝一夕に身につけられる技術ではありません。観察力が並外れていなければ「本物」と「自分」を比較できません。ただ「真似」であることは事実です。「本物」があるから「真似」ができるのであって、本物が個性的だから「真似」を見ていて面白いのです。個性のない「本物」は誰も真似しないのです。
 個性的な演奏をするための「技術」は、まさに「個性的な技術」であり誰かと比較するものではありません。自分流の演奏方法、自分にしか出来ない技術を身に着けることこそが「技術の習得・修得」だと思います。

 音楽を聴く人にとって「うまいかへたか」を判断する能力や技術・経験は必要でしょうか?コンクールの審査員なら演奏技術を「比較する能力」は不可欠です。先述の通り「好み」を点数化したり序列化することは「脱個性」極論すれば「クローン化」することに近いものです。
コンクールで「いくつの音を失敗したか?」は機械でも数値化できます。人間が審査する必要はありません。
一曲で演奏する「何千」「何万」と言う音を、一度も失敗しないで演奏すると「満点」です。何回演奏しても、満点を出す「ロボット」が世界最高の演奏者ですね(笑)

 間違えない技術より、音楽を知らない人の心をつかむ演奏の方が大切だと思います。音楽評論家の「よいしょ」がなくても「好き」「良い」と感じる演奏があります。聴く人によって違うのです。それが「音楽」です。誰かが良いと言った音楽が「良い音楽」ではないのです。
 幼い子供が「間違えない演奏」をすると「神童」「天才」と呼ばれます。確かに指導者=大人の言った通りに、すべての音を演奏する「記憶力」と「労力」には脱帽します。それが「最高の演奏家」だとは思いません。指導者の考えた「表現と技術」を「真似」している子供を「天才演奏家」と言うのはどこか間違っている気がします。
 子供の純粋な「感覚」を引き出し、素材の美しさ=子供にしか出来ない演奏に「大人の穢れ(けがれ)」を加えないことが「大人の仕事」だと信じています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

気持ち=意思と身体=運動

 映像は「私を泣かせてください」をヴィオラとピアノで演奏したものです。
今回のテーマは演奏する時に「考えること」と「身体を動かすこと」の両立について考えるものです。
 結論から言えば、意識と無意識を「融合」させることだと考えています。
具体的に言えば、考えて何かをしようとする時、同時に考えなくても何かを出来るようにすることです。
 例えば、車を運転する時に、目で前方やサイドミラー、バックにらー、スピードメーターを見ながら、無意識にハンドルやウインカーを動かし、足てアクセルやブレーキを操作しています。考えているのは「見ているもの」についての情報処理…前方の信号や前の車の動き、歩行者などを見ながら次の行動を「無意識」におこなっています。これが「意識と無意識の融合」です。
 楽器を演奏する場合はどうでしょうか?
楽譜を見て演奏している場合、書かれている情報…音符や休符、弓や指、記号などを「読み取って」無意識に右手や左手を動かしているはずです。
さらに細かく言えば、左手の指番号を考えている時にでも右手の弓を動かす運動は「同時に」行われています。この場合の右手は無意識に動いています。
 人間は同時に二つの事に「集中」することは出来ません。
聖徳太子のように何人もの話を一度に理解する場合、実は頭の中では一人ずつの「声と言葉」を分離して、個別に記憶しています。そんなバカな!と思われますが、音楽の専門技術の中に「和声聴音」があります。同時にいくつも演奏される「音=和音」を楽譜に書きとるものです。これがまさに「聖徳太子」なのです。同時になっていても「いくつ鳴ったか」「なんの音だったか」「何分音符だったか」を聴きながら頭の中で処理=記憶していきます。訓練すれば誰にでも身に着けられる技術です。
 この場合は音に「意識」を集中させています。楽譜を書くと言う行動は無意識に近いものです。
 もっと身近なことで言えば「音読」がまさにそうです。
目では文字を読みながら、声では「読んで記憶したものを思い出しながら」さらに「目では先を読んでいる」ことの繰り返しが音読です。この場合、声に出していることが「主目的」なのですが、実際の脳は「読む」事に使われています。
 演奏しながら「何かを考える」のは当たり前のことです。
その時、考えていないことも「同時に無意識に」運動していることを忘れてはいけません。一つの事を考えている「だけ」のつもりでも、無意識にほかの事をしているのです。それができるのは「慣れ」以外にないのです。
 歩く時に両手・両足を動かすのも「慣れ=学習」の成果です。息をする・心臓を動かす・食べたものを消化する…これらは「本能」です。
 何も考えずに演奏することができたとしても、音楽を「創る」ためには考える力が絶対に必要です。自分の意志で音楽を創造することが、もっとも大切な「技術」だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音色を変える技術

 映像はサン・サーンス「序奏とロンド・カプリチオーソ」10年前の演奏です。
ヴァイオリンを演奏する…一言で演奏と言っても、楽譜に書いてある音符を音にするという意味もあれば、演奏者が楽器を使って「イメージを表現する」ことでもあります。
 ヴァイオリンは弓の毛で弦を擦って音を出すことが通常の演奏です。
音の高さは弦の太さ・張りの強さ・弦の長さで変わります。
音のと良さは、弦の振動の幅と筐体=ボディーの反響と残響で決まります。
音色は?どうやって変えるのでしょうか?
前提として「現状の楽器」で音色を変えることにします。
弦を張り替えたり、弓の毛や松脂を変えたり、楽器の調整をすれば音色は近Pんから変わります。それらに手を加えず「技術」だけで音色を変えることが、ヴァイオリン演奏の楽しみだと思っています。

 簡単に言ってしまえば「右手と左手」の技術の組み合わせです。
★右手…弓を扱う右手の使い方。弓を弦に押し付ける力のコントロール・弓の傾け方=弦にあたる弓の毛の量・弦に弓を当てる駒からの距離と力の方向・弓の場所による毛の張りの強弱の活用・前述の技術の組み合わせ
★左手…弦を押さえる指の場所・抑える力の強さ・ヴィブラートを始めるタイミング・ヴィブラートの深さ・ヴィブラートの深さ・これらの組み合わせ
★右手と左手の組み合わせ…上記の技術を組み合わせて音色の変化を作る

 厳密にはもっと細かい「技術」がありますが、おおざっぱに言っても上記のような「音色を変える技術」があるわけです。
 楽譜で支持されている弦の指定、音量の指示はあくまでも「指示を書き込んだ人の意図」であり必ずしも作曲家の意図=指定とは限りません。出版社によって指示が違うのは日常茶飯事です。
 自分で音色を変える楽しさを「発見」することがヴァイオリンの演奏の醍醐味だと思っています。
 ぜひ!楽譜に書かれていない音色の世界を楽しんでみてください!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

出来る・出来ないは2進法。音楽は無限の創作活動。

 映像はモリコーネの「愛を奏でて」
演奏の合間のトークもカットしないでいてみました。
 今日のレッスンで「決めたことを出来るように練習しているうちに、音楽が詰まらなくなってしまった」と言うテーマで生徒さんと話しました。
 自分で考えるにしても、レッスンで先生のアドヴァイスを受けるにしても、誰かの演奏に刺激されて技術を習得しようと練習する場合でも「できるまで」練習する気持ちは大切です。
 しかし、それがいつの間にか「できるまで」と言う有限のもの…出来ないものが「だめ」でできれうば「まる」になってしまうものです。
 本来、なぜ?そうするのか?そうしたいのか?と言う「音楽の根っこ」があるはずです。ヴィブラートにしても音色にしても、弓の場所にしても…すべてが「試み」なのです。正解ではないのです。
 例えていうなら料理の「レシピ」です。
素材が楽譜です。その楽譜をどう?調理するとどんな料理になるのかを「誰かの好み」で書いたものがレシピです。そのレシピ通りに作ったとしても、自分が美味しいと思えるかどうかは別の次元の問題です。誰かほかの人が食べても、その人の味覚に合うか?合わないか?はレシピとは無関係です。
 突き詰めて言えば、音楽を「こう演奏しよう」と決めた時点と、次に演奏したときで「良い」と思うものが変わって当然なのです。ましてやおきゃ客様の反応もまったく違うものです。自分で試した「技術」「解釈」を何度も繰り返し演奏し、人に聴いてもらうことで「こう弾くとあぁ聴こえる」と言う結果の蓄積ができます。その積み重ねっこ曽我「プロの技術」だと思います。
 失敗することを恐れ、決めた通りに演奏しようとすれば、その音楽を始めて演奏したときの「感動」「喜び」「驚き」が薄れていきます。毎日、同じレトルト食品を食べているのと似た感覚です。
 失敗するリスクは「新しい発見」につながります。それこそが創作活動です。
指示通りに作る音楽は「創作」ではなく「無機質な音の連続」でしかありません。
 自分の感覚を研ぎ澄ますことが練習の目的です。出来るようになることが目的ではありません。テストで100点を取って「合格」する事とは違うのです。
 失敗を恐れずに音楽を「料理のように」楽しんでください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

弓の速度をコントロールする

 映像は私の地元、相模原市橋本駅前にある「杜のホールはしもと」での演奏風景。ラフマニノフ作曲「ヴォカリーズ」の演奏です。
 このホール、残響が美しい!演奏していて気持ちのよいホールです。
さて今回のテーマは「弓の速度」です。ヴォカリーズの演奏を見て頂くとよくお分かりいただけると思いますが、弓の速度は常に一定…とは限りません。
 もちろん、基礎技術として「同じ音色」「同じ音量」でダウン・アップがそれぞれに演奏できるように練習することは、日々欠かさずに練習します。
一方で曲の中で「一音」の中でも音色や音量を変えることが音楽的に求められる場合もあります。逆に言えば、すべての「一音」を「べた塗」すれば全体が平面的なな音楽になります。音の立体感=奥行を表現するために、ヴィブラートや弓の速度・圧力をコントロールする技術が不可欠です。
 同じ長さの音符でも、意図的に弓の速さ=弓の量を変えることで、音色が大きく変わります。音の大きさをコントロールするのは、むしろ「圧力」と「音の立ち上がり」が大きく影響します。弓を速く動かせば音が大きくなると「勘違い」している人も見かけます。弓の速度を遅くすれば「詰まった音=芯のある音」に近づき、逆に速くすれば「空気の含まれた音=軽い響きの音」が出せます。圧力との組み合わせでさらに大きな変化量が生まれます。
 また、演奏する弓の「場所」も本来は音色に影響します。}弓先と弓元は「硬い音」を出すのに適しています。一方で弓中は「ソフトな音」「軽い音」を出すのに適しています。
 これらの要素を考えながら弓を決めることが大切になります。ホールの響きや曲によって弓の速さも変わります。
 ぜひ、自分の好きな曲で試してみてください!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

感性は鍛えられる?

 映像はデュオリサイタル10で演奏したメンデルスゾーン作曲「歌の翼に」をヴィオラとピアノで演奏したものです。
 音楽を演奏する人の「感性」は技術や知識のように増やしたり、強くしたりできるものでしょうか?それとも…
 そもそも感性と言う言葉は心理学辞典によると「美しさや快さなどの認知や評価はもとより,味覚や嗅覚のように感情を伴う感覚,質感・速度感・広がり感といった知覚的印象の認知も,感性の範疇に含まれる。感性は,感覚から感情までを含む多様な「知覚」を意味する古代ギリシア語のアイステーシスaisthesisとも関連する。」とあります。感覚も感情も完成の一部なのですね。
 感覚はトレーニングよって「敏感・精細」にできます。聴覚で言えば単に「音が聞こえる」と言う意味もあれば「音の高さを答えられる」事も聴覚の一部です。動体視力も資格の一部です。ボクシングの選手やF1パイロット、プロ野球の選手のように高速で動くものを、瞬間的に「見る」能力が求められることもあります。
 一方で「感情」は鍛えたり強くしたりできるでしょうか?
感情を抑える「理性」簡単に言えば「我慢すること」はある程度強くすることももできますが限界がありますよね(笑)「堪忍袋の緒が切れる」「我慢の限界」と言われる状態です。
 音楽は「音」を「音楽=作品」として感じることで初めて音楽になります。
自分と同じ「人間が作った作品=楽譜」を音にして、その音から「感情」や「感覚」を湧き上がらせることが「演奏」だと思います。つまり、ただ音を出すだけの段階では特定の感情…悲しい・楽しいなどや、感覚のイメージ…暖かい・冷たい・軽い・柔らかいなどのイメージは感じられず、「サウンド・ノート」ではなく「ノイズ=聞き取れる空気の神童」でしかありません。
 感性をより「敏感」に「精細」にしたいと思うのであれば、何よりも自分の記憶を呼び覚ますことです。感情の記憶は日々、無意識のうちに積み重なるものです。多くの記憶は長く覚えていられないものですが、強く印象に残った「感情の記憶」は誰にでもあるものです。私たちの年齢で「昔…」と言えば大体10年以上前の話ですが、小学生が「昔ね~…」と言うと思わず吹き出します。感情を伴う記憶が多いほど、音楽のイメージを作りやすいはずです。
 感性はずばり「その人の経験」から膨らむものだと思います。
もし、今までに一度も悲しい経験をしたことのない人がいたら「悲しい」と言う感情は理解できません。楽譜を「音楽」にする時に、ぜひ自分の記憶の扉を開いてみてください。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音量と音色

 映像はデュオリサイタル12で演奏したモーツァルト作曲アヴェヴェルムコルプスです。この演奏会では手の指が何度も攣ってしまうアクシデントに見舞われました。年齢的なものと心臓の不調に気づかなかったことが原因です。
 さて音量と音色。あなたはどちらを優先しますか?
良く「ストラディバリウスの楽器は音量が豊かだ」と言われます。
実際に計測機器で測るとデシベル的には他の楽器と変わらない事実は有名です。
「高音の倍音が多い!」と言う人もいますが、これまたオシロスコープで計測すると実際には他の楽器と大差ありません。
 つまりは演奏する人の「好み」の問題でしかないのです。
明るく感じる音色は高音の成分が多い迷路です。
柔らかっく感じる音色は逆に高音の成分が少ない音です。
音量は「音圧=デシベル」で表しますが先述の通り、ヴァイオリンの音量はピアノや金管楽器に比べて小さな音です。
 音量を大きくしようと弓に圧力をかけて、弓を早く動かせば最大の音量が出せますが…そもそもヴァイオリンの音量差=ダイナミックレンジはピアノに比べて小さな差しかありません。
 音量の変化と音色の変化を「組み合わせる」ことで、実際の音圧より音量差を感じるのが人間です。明るい音と深いヴィブラートで聴覚的に大きな音に感じます。その逆をすればより小さく感じます。
 ぜひ音色をt音量を組み合わせてみてください!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ヴァイオリンの発音(アタック)をコントロールする

 映像は10年前。デュオリサイタル5で演奏したチャイコフスキー作曲の懐かしい土地の思い出より「スケルツォ」です。
 今回のテーマは弦を弓の毛でこすって音を出すヴァイオリン・ヴィオラなどの、発音について考えます、
 言葉で言えば「子音」を考えると理解できます。
例えば「あ」は発音した瞬間も伸ばした「あー」も同じです。
一方で「か」は喉の奥で[K」の子音を作り口の形を「あ」にすることで「か」に聴こえます。伸ばせば「あー」になります。
同様に「た」「だ」「ば」「ぱ」「さ」「ざ」など同じ母音でも子音が変われば発音する言葉が変わります。
 ヴァイオリンの子音は「アタック」とも呼ばれます。管楽器の場合には「タンギング」つまり舌の使い方でコントロールすることが一般的だと思います。
 発音する前の「準備」が最も大切です。
腹話術の得意な人は「ま」と言う音を唇を閉じることなく言えるようですが…
普通は唇を閉じなければ「ま」と言えません。
 ヴァイオリンの場合、弓の毛を弦にあてる=押し付ける「圧力」と、弓が動き出す「瞬間」の弓の速度でアタックが決まります。
 言い換えれば音が出た後でどんなに頑張っても「アタック」はつかないのは当たり前です。音が出る前に弓をコントロールできなければ子音をコントロールできません。
 さらに細かく言えば、右手指の柔らかさもアタックの強さをコントロールする要因です。アタックの強い「硬い音」「立ち上がりのはっきりした音」を出そうとして、指を固くしてしまう生徒さんを見かけますが逆効果です。
 指の関節を緩めることでアタックがコントロールできますのでお試しください。
 最後までお読みいただき。ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

左手の親指を考える

https://youtube.com/watch?v=LbTladT3qpo

 映像はデュオリサイタル14で演奏したピアソラのカフェ・ナイトクラブをリメイクしたものです。
 今回考えるのは左手の親指について。
演奏するヴァイオリニストの体形・指の長さ・掌の大きさはすべて違います。さらに筋肉量も人によって違います。楽器の大きさは基本的にミリ単位の違いしかありません。楽器の重さや厚みも大きな違いはありません。
 つまりヴァイオリニストごとに演奏する際に使う関節・筋肉が違うことになります。自分に合った楽器の構え方や弦の押さえ方、弓の持ち方を探すことがとても大切です。その際に左手の親指は、実際に弦を押さえる4本の指以上に大きな役割を持っています。
①弦を押さえる力に反発する力
②楽器の揺れを抑える役割
この二つが親指の役割になります。
A.親指のどの部分をネックにあてるか
B.親指をあてるネックの場所
C.力の方向
この3点を意識します。
親指の指先に近い部分をネックに充てた場合、指の付け根からの「距離」が長くなるために1~4の指先を開く幅を大きくできますが、反面1~4の指先が下方向に力を加えにくくなります。言うまでもなく弦を押さえるためには、指板の「丸み」の中心に向かって力をかけるのが原則です。

一方で親指の「下=手のひら側」例えば親指の第1関節と第2関節の「中間」にネックを当てた場合、弦を押さえる1~4の指は理想的な向きで弦に置くことができます。ただし指を開くこと=1~4の指の間隔をあけることが難しくなります。
 掌が小さい人や指が比較的短い人の場合には、弦を押さえるために「開く力」を強くする必要があります。

 親指の役割は左手の5本の指の中で、実は最も重要なものです。
ネックに触れる指の場所、指の触れるネックの場所を、自分の手の大きさや筋力に合わせて探して決める必要があります。さらに親指の柔軟性は年齢と共に変わります。無理のない親指の位置を探すことは常に必要な事だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介