メリーミュージックブログ

演奏家夫婦が優しく丁寧に指導

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楽器・弓

デュオリサイタルに思う

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 写真は「昔々あるところに…」(笑)古い写真でごめんなさい。
今回のリサイタルで15年目。その年月の長さを考える時に、自分たちの生きてきた「年月」との比較して約4分の一という「割合」になることに、ちょっとびっくりします。私がヴァイオリンを習い始めてから約55年。浩子さんは…ご想像にお任せします(笑)。とは言え、二人ともそのすべての年月、楽器に向き合えたわけではありません。確かに幼いころから楽器を習っていた…ことは間違いありませんが、だからと言って音楽だけに向き合えたとも言えません。ほとんどすべての「音楽家」がそうだと思います。

 二人でリサイタルを…と思い立ってから今日までも、様々な経験を重ねてきました。もちろん、それ以前の「音楽」への向き合い方もそれぞれに違いました。
 その時が私にとって、何度目かの「スタート」になることを、当時はぼんやりとしか考えていませんでした。ヴァイオリンから否応なく離れていた長い年月から「リサイタル」と言う演奏活動に復帰するまでに、実に28年年の年月が経っていました。20歳の時に初めてのリサイタルを、上野学園エオリアンホールで開かせてもらいました。

  デュオリサイタルをスタートして、二人で新しい人生のスタートも切りました。多くの友人や生徒さん、先輩や家族に支えられて生きることになりました

  演奏活動を続けることは、生徒さんたちに私たちが師匠や友人たちから感じとってきた「音楽」を伝えるためにも、必要不可欠なことになりました。
 演奏活動を生活の中心にされる友人も多い中で、年に1度のデュオリサイタルが「少ない」と思われるかもしれません。ただ、私たちにとって「身の丈」にあった回数で演奏活動を継続することが、永く音楽とかかわる人生を送るためにも大切なことだと思っています。
 来週のリサイタルに向けて、最後の調整です。無理のきかない年齢になりました。自分たちのできる範囲の努力と準備をして、お客様をお迎えしたいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

歌を弾く

 映像は友人の作曲家、Ikuya Machida君がアレンジしてくれた「ビリーヴ」を陳昌鉉さんのヴィオラを使って、浩子さんと自宅で撮影したものです。
 ヴァイオリンなど楽器を使って「歌」を演奏する場合、特にクラシック歌曲ではなくポップス系の音楽を演奏すると「安っぽく」聴こえてしまうことがあります。演奏技術の不足と、アレンジの稚拙さが原因の場合がほとんどです。
旋律は美しいのに、ピアノのアレンジが…いま百(笑)と言う楽譜がほとんど。
かと思えば、ヴァイオリンが旋律を演奏していたと思ったら、ピアノが旋律を演奏し始めて、ヴァイオリンは「ひゃらひゃらら~♪ぴろりろり♪」もしかしたら?オブリガードのつもり?なのか意味不明な「別物」をひかされると言う「あるある」なアレンジ。ヴァイオリンにメロディー弾かせてくれ!(笑)
 綺麗に弾けば、綺麗な曲がたくさんあります。
もっと「現代ポップス」に光を当てましょう!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリス 野村謙介

肩甲骨の位置と鎖骨下筋

 さて、今回のテーマはヴァイオリン演奏時の肩の位置を考えるお話です。
私は中学生の頃から大学を卒業するまで、演奏中の肩の位置を「前方=胸側・下」にすることを心掛けてきました。もう少しわかりやすく言えば、背中にある「肩甲骨」を開いた状態…まだわかりにくい(笑)。「大きなドラム缶を両手で抱えて持つときのイメージ」です!…だめ?
・背中が「たいら」になるイメージ。
・両肘を出来るだけ前に出した時の肩甲骨と肩の位置
如何でしょうか?少しイメージできました?
この肩の位置で演奏することで、両腕が身体から前方に離れ、自由度が増えることを優先した「背中と肩の使い方」です。
この場合、身体の前方…つまり胸側は「狭く」「窮屈な」状態になります。
鎖骨が両方の肩より「後ろ」にあるイメージです。逆から言えば、両肩が鎖骨より前にある感じです。

 鎖骨の下にある筋肉が「鎖骨下筋」と言われる筋肉で、その下には「大胸筋」があります。
 話を背中側に戻しますが、肩甲骨の位置と肩の位置は連動しています。さらに、肩の位置と身体の前の鎖骨下筋も連動しています。つまり「背中と肩と鎖骨」のつながりなのです。

 私は「肩当て」を使いますが、鎖骨の少し下に肩当てを当てています。左肩=鎖骨の終端が、楽器の裏板に直接当たるような肩当ての「向き」にしています。
 この構え方で先述の「肩甲骨・肩・鎖骨下筋」の関係を思い切って変えてみました。
・肩甲骨の間隔をやや狭める。
・両肩をやや後ろ・下方に下げる。
・鎖骨下筋を上方・前方に持ち上げる。
簡単に言うと「胸を張った立ち方」のイメージです。
子の場合、両腕・両肘は今までよりも体に近づきます。それでも、自由度は大きく損なわれないことに改めて気が付きました。
 さらに、首を後方・上方向に持っていくことで、楽器の安定感が大幅に増します。
 背中から首にかけての筋肉がゆるみ、自然な位置に肩がある感覚です。
さらに背中に「有害な緊張」がある時にすぐに気が付きます。
背中の緊張を緩めることで、肩の周りの筋肉の緊張がゆるみます。
肩の緊張が緩めば、上腕・前腕の緊張も緩められます。

 楽器の構え方、肩の位置などはヴァイオリニストそれぞれに違います。なぜなら、筋肉量も違い、肩関節の柔らかさも人によって大きく違うからです。
首の長さ…と言うよりも、鎖骨の微妙な位置や筋肉の付き方、形状も人によって違います。
それらの「個人差」がある中で、自分の身体に合った構え方や、肩の位置を見つけることの重要性は言うまでもありません。
 師匠から習ったことの「本質」を考える年齢になって、改めて自分の身体を観察できるようになった気がします。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

演奏者と聴衆の「距離感」

 映像は8年前に駅前教室で開いたコンサート。アンドレ・ギャニオンの「めぐり逢い」をヴィオラとピアノで演奏したものです。完全に「普段着」で演奏している私と、最前列のお客様との距離は1メートル以内(笑)
 今回テーマにした「距離感」は実際の距離とは少し違う「感覚的な距離」についてです。物理的な距離は、演奏者と聴く人の距離=メートルで表せます。近ければ「良く見える」「演奏する楽器の音をダイレクトに聴くことができる」し、離れれば「全体が見える=演奏する人は良く見えない」「会場に響く音の広がりを楽しめる」と言う違いがあります。行きなれたコンサート会場だと、どの場所=どの席で聴くのが一番好きか?までわかっていることもあります。
 演奏者から考えると、お客様との物理的な距離は、真正面で最前列の人を対象に考えるのか?最後列で左右のどちらかによっている人の聴こえ方を優先するのか?あるいは、ホール中央を基準にして考えるのか?演奏差によって考え方は様々です。可能な限り、どの場所で聴いても「心地よく聴こえる」方法で演奏するのが「おもてなし」の心です。真正面で最前列の人が「気になって気が散る」と言う演奏者もいれば、まったく気にしない(私(笑))人もいます。これも人それぞれです。

 本題の「距離感」は、演奏者と聴衆の「親しみ」や「人間同士の関係」で変わってきます。一般的に聴衆が演奏者のことを良く知っている(例えば昔の友人)場合と、まったく知らない場合に大別されます。前者の場合には、聴く側も演奏する側もお互いに親しみを持っています。演奏する人の話し方や、普段の姿を知っている聴衆の「親しみ」は、演奏に「プラス」される部分があります。
一方、まったく知らない演奏者の演奏を聴く場合、特に初めてその演奏者のコンサートを聴く時には「興味」の対象は演奏そのものが最大で、次に演奏する姿や表情、さらには演奏者の「話す声」にも初めて接することになります。
 音楽だけ=演奏だけを純粋に楽しみたい…そのほかの要素は「いらない」と言う人は、演奏者を「人」として感じていないように思います。
少なくとも私は、初めて誰かの演奏を見たり聞いたりするときに、その「人」に興味が行きます。演奏する表情や市政、動き、衣装にも好奇心が動きます。
 さらに、演奏者の「言葉=話す姿」に一番の関心があります。日本語で話してくれる演奏者の場合、その内容と話し方で演奏者の「人としての魅力」を感じる場合と感じない場合があります。私だけなのかも知れませんが、演奏者を「人」として近くに感じる人の演奏に共感します。話す内容が「自慢話」「うちわネタ」「ありきたりのテンプレートご挨拶」の場合、正直「だめだこりゃ」と思います。演奏者が舞台でマイクを持って話をすることに対して「不要だ」「邪道だ」と言うご意見も耳にします。その方の「好み」です。演奏者は演奏だけすればよい。と言う考え方ですが、私は演奏しているのが「人」だから音楽を聴きたいのです。ましてやコンサートでCDと同じ演奏をするだけなら、CDの方が気楽に楽しめます。ポップスのコンサート=ライブに行く「ファン」が期待するのは?CDでは感じられない「生身のアーディスト」を感じることだと思います。
むしろそれが「ライブ」だと思うのです。クラシックは?同じだと思います。
 話下手でも構わないのです。照れ屋でうまく話せないのも、聴く人にとって「なるほど!そういう人なんだ!」と受け入れられるものだと思います。演奏中に下手な役者のような表情を「作る」よりも、1分間でも話をすれば、その演奏者の「素顔」が伝わると思います。
 知らなかった人同士が、コンサートで「知り合い」になれるのです。
演奏者と聴衆が気持ちを交わすことができれば、きっとまた演奏会に行ってみたくなるはずなのです。聴く側も、演奏する側も「人とのふれ合い」をもっと大切にすることが、クラシック音楽の発展につながると考えています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音楽の「揺らぎ」とは?

https://youtube.com/watch?v=8bonX5-kuFQ

 映像は木曽福島でのコンサートで演奏した瑠璃色の地球。ヴィオラとピアノで演奏しました。
 クラシック音楽とポピュラー音楽の「違い」は様々あります。例外も含めて考えれば厳密に「違い」を言葉にすることは不可能かもしれません。
 クラシック音楽を学ぶ時、テンポを「維持する」事と「揺らす=変える」事を多く学びます。一定の速さで音楽を演奏する技術と、その真逆に意図的に速さを変える技術はクラシック音楽のほとんど全てで用いられる技術です。一人だけで演奏している時にも、アンサンブルやオーケストラで誰かと一緒に演奏する場合にも必要不可欠な技術です。トレーニングの仕方も様々あります。メトロノームを使った練習や、時計の秒針を使ってトレーニングすることもできます。
 一方、ポピュラー音楽の場合に「一定の速さ」で演奏することは、多くの曲で「当たり前」の事です。その昔、レコーディングスタジオでヴァイオリンを演奏するお仕事をしていた際に、演奏者がモニター(ヘッドフォン)で聴く音を選べました。「ドンカマ」と呼ばれる電子メトロノーム音を選ぶこともできました。また、ヴァイオリンより先に録音されたドラムの音やベースの音を選択することもできました。要するに「指揮者不要」だったわけです。この方法で色々な楽器を順番に録音していく方法を「重ね録り」「マルチトラック」などと呼びます。一度に「せ~の!」で録音する方法しかなかった時代には、当然考え付かなかった録音方式です。この方法なら、それぞれの楽器を別々に録音するので「録り直し」の回数が格段に減る上に、あとからヴァイオリンパートだけをやり直すことも、音量のバランスを変えることも自由自在になります。すべての楽器の録音が終わって出来上がったもの=メインボーカルが入っていないものが「カラオケ」と呼ばれるものです。現在のカラオケと言う言葉は、この録音方式で生まれた言葉なのです。
 言うまでもなく、この方式で録音サウル場合、途中でテンポが「揺れる」のは編集する人にとっても、演奏する私たちにとっても「煩わしいことでしかありませんでした。現代は録音がすべて「データ」つまり電気信号としてコンピューターに記録される方式です。昔は「テープ」を使って録音するのが当たり前でした。一秒間に38センチの速度で録音ヘッドを通過する「テープ速度」で録音していました。巨大な10インチのリールに巻き付いたテープでも、約45分しか録音出来ません。録音するのも大変は事だったのです。
 その限られた条件での録音を効率化するためにも、テンポの揺れは「御法度」だったのポピュラー音楽です。

 クラシック音楽の場合、テンポの揺らぎ=揺れは演奏家の「こだわり」で生まれます。テンポを変えずに演奏する時にも「意図」があります。
なんとなく、テンポが変わってしまう…駈け出したように速くなったり、いつの間にか遅くなったり…無意識に変化することは「ダメ」とされています。だからと言って、先述のポピュラー音楽のようにテンポをキープさえしていればよいか?と言うと、それも「ダメ」なのです。難しいですね~(笑)
 音楽の揺らぎは、楽譜に書き表される「リタルダンド」や「アッチェレランド」とは根本的に違います。作曲家が指示している速度の変化は、作曲家の感じた「揺らぎ」だと考えています。もちろん、それはとても重要なことですが、どのくらい?「だんだん遅く」「だんだん速く」するのかは、演奏者の「感じ方」で決まります。さらに、楽譜に作曲家が書かなかった「揺らぎ」を演奏者が感じ、表現することは演奏者に許された表現の自由(笑)だと思います。
 指導者によっては「そこで遅くしてはいけない!」とか「もっと速くしなきゃ!」と生徒に自分の感じ方を押し付ける人がいます。正しく伝えるのなら「…私なら」という接頭語を付けるか「例えば」として違う選択肢の速さを生徒に示して、好きなように演奏させるのが正しい指導だと思います。合奏ではそうもいきませんが(笑)みんなが好き勝手なアッチェレランドをしたら、収拾がつかなくなります。二人だけのアンサンブルでも、それぞれに違った「揺らし方」の好みがあります。どちらが正しい…という答えは存在しません。歩み寄るしかありません。
揺らすことが常に心地よい…のではありません。それも大切なことです。
揺れると気持ち悪く感じる場合もあります。逆に、常に同じテンポで揺れずに演奏していると「不自然」に感じることもあります。多くの生徒さんは「揺らす」ことを怖がります。むしろ揺れていることに気付かない場合が多いのですが(笑)意図的に、ある「拍」だけを少しだけ長くすれば、次の拍が始まる時間は後ろにずれる=遅れます。この一拍の「揺らぎ」も立派な揺れなのです。
聴いている人が「自然に感じ」「揺れに気付かない」ことが最も自然は揺らぎだと思います。心地よい揺らぎは、例えれば不規則に吹く「そよ風」の中で感じる感覚です。あるいは、静かな湖面にぷかぷかと浮かんでいる時に感じる「静かなさざ波」にも感じられます。決して「暴風」や「大波」ではないのです(笑)
 怖がらずに実験することです。注意するのは「癖になる」ことです。例えば、小節の1拍目を「いつも遅く入る」癖は無意識にやってしまいます。また、音型に気を取られすぎる場合も「癖」が出ます。上行系クレッシェンドで「いつも遅くなる」のも癖。3連符なのに「1.5:1.5:1」でいつも演奏するのも癖です。
 何度も試してからひとつを選ぶこと。正解はありません。自分の「個性」を違和感なく表現するために、必要な努力だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

客席で聴こえるヴィオラとピアノ

 映像は11月23日(祝日・水曜)に木曽町文化交流センターで開催されたコンサートよりヴィオラとピアノで演奏した村松崇継さん作曲の「Earth」
撮影してくださったの福島小学校の教職員。客席の片隅からビデオカメラで圧営してくださったものです。カメラに付いたマイクで録音されているので、客席に聴こえているバランスに近いものです。

 この曲について以前のブログでも書きましたが、村松崇継さんがフルートとピアノのために作曲され、ご自身のライブコンサートでチェリスト宮田大さんと共演されている動画に触発されて(笑)ヴィオラで演奏できるようオリジナルでアレンジして者です。宮田さんはご自身のコンサートツァーで演奏されているようです。ピアノの「楽譜」がとても音符の多い(笑)、かなり派手目な曲なので、弦楽器でメロディーを演奏すると、二つの楽器のバランスが心配でした。
 この動画をご提供いただき、改めて聴いてみると「思ったよりヴィオラが聴こえてる!」ことにやや驚きました。頑張らなくても大丈夫なのかも!って今更思う(笑)リサイタルでも演奏する予定なので、とっても有意義な動画になりました。
 うーん。それいにしても、私だけを撮影すれたのは辛い…。カメラのアングル的にピアニストが映りこまなかったようですが、鑑賞には堪えません。見ないで聴いてください(笑)

 こちらも同じコンサートアンドレ=ギャニオンの「明日」をヴィオラとピアノで演奏したものです。以前、ヴァイオリンで演奏したものですが、ヴィオラの太さ、暖かさ、柔らかさも好きです。間奏で私は何をしたものやら(笑)
 今回、リハーサル時にホールの響きを確認してくれる人がいなかったため、とても不安でした。残響が短い多目的ホールだったこともあり、客席に届く音がどうなのか…録音されたものを聴くことで初めてわかるというのも辛いものです。
 来年は「木曽おもちゃ美術館」の残響豊かなホールで演奏予定で、今から楽しみにしています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

長野県木曽町コンサート終了

 2022年11月23日(祝日)長野県木曽町「木曽福島」でのコンサートを無事に終えました。主宰された木曽福島町生涯学習課の皆様、会場にお越し頂いた多くのお客様に心から感謝を申し上げます。昨年11月に長野県「キッセイ文化ホール」主催で実施された同じ会場でのコンサートを今年は木曽町が引き継いで開催してくださいました。来年もまた、開催していただけることになりました。

 昨年は相模原と木曽福島を「日帰り」と言う強行スケジュールでしたが、今年は前泊することにして11月22日昼間、八王子から特急あずさに乗って塩尻~中央本線特急しなので現地に向かいました。

 木曽町が予約してくださった宿「御宿蔦屋」伝統と風情を感じる中に、新しい設備とおもてなしの心、素晴らしいお料理の旅館でした。駅にお迎えに来てくださった木曽町生涯学習課のかたに、この宿に行く前に是非!見て欲しい施設があるのでご案内したいとのお話で、11月19日にオープンしたばかりの施設「木曽おもちゃ美術館」へ。廃校になった小学校を使った、木曽ヒノキをふんだんに使った「木のおもちゃ」で子供も大人も心から楽しめる素晴らしい美術館。
到着したときにはすでに閉館していましたが、反省会をされているスタッフの皆様に出迎えられ案内された、「元体育館」の天井を取り外し、階段状の木のベンチを客席にしたホール。足を踏み入れた瞬間に感じた「木の残響」は、国内のどのコンサートホールにも勝る、物凄く自然で豊かな響き!あまりの興奮を抑えきれず、持っていたヴィオラとヴァイオリンでステージに置かれていた「小学校で20年前まで使われていた」アップライトピアノを使って数曲、演奏させて頂くことになりました。施設で働くスタッフが全員(笑)をお客様にしてのコンサート。演奏中からあちこちで聴こえるすすり泣きの声。皆さんが開館に向けて日々疲れ聴いておられたらしく、こんなホールだったんだ!という感動もあっての涙。「写真とっても良いですか?」「どーぞ!」「動画とっても良いですか?」「どーぞ!」「SNSにアップしても良いですか?」(笑)「どーぞどーぞ!」という事で、アップされた動画がこちら。

https://www.instagram.com/reel/ClR3P_OBj1a/?utm_source=ig_web_copy_link&fbclid=IwAR2T76JIaUQ-5GmJpRrv-tpzZv5Jo5S6KUZ-zVnOKkWlldO9DlZotnVDJLg

 見学と演奏を終えて旅館で休み、翌日は朝から雨。おいしい朝食を頂き、歩いても2分ほどの演奏会場「文化交流センター」に木曽町の車で(笑)移動。
 ホールには大昔のスタインウエイが私たちを迎えてくれました。このピアノも廃校になった小学校の体育館に眠っていたもの。昨年私たちが気付くまで、木曽町長、教育長も誰もその価値を知らなかったと言う事実(笑)
 リハーサルを終えて、浩子さんが居残りリハの動画。

・パガニーニの主題によるラプソディ
・椰子の実
・彼方の光
・Earth
・明日
・アニーローリー
・瑠璃色の地球
・美しきロスマリン
・アリオーソ
・ハンガリー舞曲第5番
アンコールに応えて
・我が母の教え給いし歌
・ふるさと
12曲を木曽町所有の陳昌鉉さん製作のヴァイオリンと、愛用のヴィオラこれも陳昌鉉さんの2010年製作の楽器…で演奏しました。
 木曽福島では「木曽音楽祭」と言う伝統的なクラシック音楽フェスティヴァルが介されていますが、私たちのコンサートは「身近に感じるコンサート」として、クラシック以外の音楽も町民の方々に「無料」で楽しんで頂くイベントです。
 来年、先述の木曽おもちゃ美術館でもぜひ!コンサートをと言う話も進んでいます。また楽しみが増えました。
 最後にコンサートに来てくださった皆様、木曽町の皆様に心よりお礼を申し上げます。
 お読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

二刀流って二硫か?(笑)

 写真はどちらも陳昌鉉さんの 製作された楽器です。
木曽福島で開催されるコンサートでこのヴァイオリンとヴィオラを使用します。
ヴァイオリンは陳昌鉉さんが名誉町民である木曽福島町に寄贈された楽器です。
縁があって昨年に続き2度目の演奏になります。

 なぜ?わざわざヴィオラの演奏もするの?ヴァイオリンだけじゃダメなの?
そう思われても当たり前ですね。
 ヴァイオリンの音色とヴィオラの音色を、一回のコンサートで楽しめる…これも「あり」だと思うのです。もちろん、違う演奏者が演奏するケースもあります。ただ、同じ演奏者が「持ち替え」て弾き比べ=聴き比べすることで、楽器による「違い」が明確になります。
 私自身から考えれば、同じ曲でもヴァイオリンで演奏した「音楽」とヴィオラで演奏した「音楽」が違う事を感じています。単に音色や音量の違いだけではありません。それほどに違う2種類の楽器であることを、聴いてくださるお客様に体感していただくことで、アンサンブルやオーケストラでなぜ?ヴィオラという楽器が必要なのかも理解されるのでは?とも思っています。
 ヴィオラはヴァイオリンよりも個体差の大きい楽器です。自分の気に入ったヴィオラに出会う確率は、ヴァイオリンよりも低いかも知れません。そもそも製作される本数が違います。ヴィオラの「良さ」を知ってもらうことで、ヴァイオリンの良さも再発見されるかな?と思っています。
 ヴァイオリンとヴィオラの演奏方法が「違う」のは当然です。「似て非なるもの」なのです。ヴィオラは「ヴァイオリンがうまくない人が演奏する楽器」と言う大昔の定説があります。演奏方法が似ていて、弾き手が少ないから…確かにそんな時代もありました。でも本当に美しいヴィオラの音色を聴いてもらえれば、その間違った説が覆せると信じています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

うまく弾くより、大切に弾きたい。

 映像は前回のデュオリサイタルで演奏した、村松崇継さん作曲MIYABIこと竹内まりあさん作詞の「いのちの歌」をヴィオラとピアノで演奏したものです。
 自分で聴いて演奏は「傷」だらけです。この演奏で自分がなにを伝えたかったのか…。演奏できることへの「感謝」です。歌詞の最後「この命に ありがとう」にすべてが込められた音楽に感じながら。「生まれてきたこと 育ててもらえたこと 出会ったこと 笑ったこと その すべてに ありがとう」という詩から続く「いのち」への感謝。演奏できることは「命がある」ことです。私たちは生きていることが「当たり前」で、今生きていることに感謝する意識を持っていません。「生きていてよかった!」と言う言葉は、九死に一生を得た人の言葉だと思っています。「死ななくてよかった」と思うのに、普段は生きていて当たり前って矛盾していますよね。それ以外の場面で「今までの人生で最高に幸せ!」と感じる時にも、このセリフが出ますが(笑)それまで生きていて感謝してこなかったのか!と突っ込みたくなりませんか?(笑)

 さて、テーマは「大切に弾く」ことの「大切さ」…かぶってます。
少しでもうまく弾きたいとか、うまく弾けないとか、自分はうまくないとか…自分の演奏に納得できない人は(私もです)「上手な演奏」を理想にしています。そのくせ、何が上手なのか?について、じっくり考えもしないで「自分はへただ」と思い込む謎(笑)このテーマは過去にもブログで書きましたが、演奏する人にとって最大の「命題」です。
 音楽を大切にすることは、自分の考え方を大切にすることです。
もっと言えば、自分が生きること、生きていることを大切にすることだと思います。「けっ。安っぽい説教か」と思う皆様。ごめんなさい(笑)あくまで私自身の「懺悔」です。お許しを。
 ヴァイオリンを演奏して生活するための「学校」を卒業し、ヴァイオリンから20年間離れて生活したのは「生きるため」に他なりません。その長い時間を終えて「再スタート」してから18年と言う時間が経ちました。まだまだ演奏したい気持ちもあります。ヴァイオリンに「蓋」をした20年間がなければ今、ブログを書いている私も存在していません。
 楽器を演奏するひとは「じょうずに弾きたい」という一種の「麻薬」にはまります。楽器に限らず、スピードの出せる車に乗ると「もっと速く走りたい」という欲望=麻薬に駆られます。パソコンの性能も同じです。「もっと」と言う欲の根源が自分自身の力ではなく、他人の作った「比較」の世界から始まっていることに気付かないのが最も恐ろしいことです。
 楽器も音楽も「誰か」が造り出したものです。それをただ、演奏して楽しんでいるのが「演奏者」です。さらに他人が自分よりじょうずか?自分の方がじょうずか?は「他人の技術」の問題をただ自分と比較しているだけです。自分の技術とは無関係なことに、イライラしたり「負けない!」と思うのは考えてみれば「アホらしい」ことだと思うのです。
 自分の出している音を、練習中も大切に思う事。楽譜に書かれている音を、大切に思う事。楽器を大切に思う事。
大切にすることを「怯える」と同義語にしないことです。むしろ反意語「雑に扱う」「無視する」に注意すべきです。演奏することに怯えていては、大切にできません。テキトーに「チャラビキ」するのが最も「雑な演奏」です。
 いくら言葉や外見を装って「大切にしているの!風演技」をしても、聴く人には嘘がばれてしまいます。その違いは、時間が経てばたつほど、明確になります。偽物は時間と共に「劣化」します。本物は時間と共に「深化」します。絵画にしても文学にしても建築物にしても、時間が経っても人々に愛され続ける「本物」と、「中古」として価値が下がり続けるものに分かれます。
 演奏はその場だけの芸術です。録音は「時間を切り取ったもの」です。
私たちが演奏する「音楽」は、無意識にしている「呼吸」と同じです。
じょうずな「呼吸」を目指すより、呼吸できることに「感謝」するべきです。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介


音楽の重さと軽さ

 映像はクライスラーの「美しきロスマリン」を代々木上原ムジカーザで演奏したときのものです。同じ曲を杜のホールはしもとで演奏した動画が下の映像です。

 テンポの違い、弾き方の違いで音楽のイメージが大きく変わることがお分かりいただけるかと思います。好みは人によって違います。今回のテーマである「音楽の重さ・軽さ」は音楽を演奏する人の「技術」に関わるお話です。

 そもそも、音楽=音には物理的な「質量=重さ」は存在しません。人間の感覚的なものです。音楽以外にも「重苦しい雰囲気」「重たい話」と言う言葉や、「軽い食感」など実際の「重さ」とは違う表現で「思い・軽い」と言う言葉を使います。音楽の場合の重さ・軽さとは?どんな感覚の時に使うのでしょうか?
「重く感じる音楽や音」
・遅い・長い音・大きい・芯のある音色
「軽く感じる音楽屋音」
・速い・短い音・大きくない・高い音
例外もあります。さらに前後との「相対=比較」でも重さは変わります。
当然、組み合わせられて、より「重く・軽く」感じるものです。
これは推論ですが、私たちが実際に感じる「重たい物・軽い物」を持った時の「感覚」と関係があるようです。
 重たい荷物を手に持って歩く時、遅くなりますよね?腕や肩、腰、背中、足にも「力」を入れます。長い時間や距離を歩くと息切れします。速く「下に置きたい」気持ちになります(笑)
 軽い荷物なら?何も持っていない時と同じ速度で歩けます。走ることもできます。もしそれまで、重たい荷物を持っていたら「軽くてらくちん!」と思うはずです。
 ところが!「重厚」と言う言葉と「軽薄」と言う言葉を考えると、どうも…重たい方が「偉いらしい」(笑)気もしますね。「重みのある言葉」とか「軽率な行動」とか。「重たいことはいいことだ」あれ?どこかで似たような歌を聞いた覚えが…(笑)重鎮…まさに偉そう過ぎて嫌われる人の事。

 音楽で重たく感じることが「良い」とは限りません。ちなみに「軽音楽」と言う表現でポピュラー音楽をまさに「軽蔑」するひとを私は「軽蔑」します(笑)
ブルースやジャズが「軽い」とは思いません。クラシックが「重たい」と言うのもただの先入観にすぎません。
 曲によって、重たく聴こえるように演奏したほうが「ふさわしい」と思える曲もあります。逆に軽く聴こえるように演奏「したい」と思う場合もあります。

 映像はフォーレの「シシリエンヌ」をデュオリサイタル12で演奏している映像と、デュオリサイタル9の演奏にぷりんの写真をつけたものです。
 一般にこの曲は、下の演奏のテンポで演奏されることが多いのですが、ゆったりしたシシリエンヌの場合「安らぎ」や「落ち着き」を感じる気がしてあえて、テンポを遅くして演奏してみました。これも好みが分かれますが「このテンポで弾かなければいけない」という音楽はあり得ません。弾く人の「自由」があります。それを聞いた人が「これもいい」と思ってくれるかも知れません。

 最後に、演奏を意図的に重くしたり、軽くしたりする技術について。
前述の通り重たく弾きたいのであれば、実際に「重たい荷物を持って歩く」時の筋肉の使い方を演奏中に感じてみることです。速くは出来ないはずです。力を抜いてしまえば荷物を落としてしまいます。常に「一定の力」を維持することが必要です。さらに坂道を上るとしたら…音楽で言えば「クレッシェンド」と「音の上行」が同時にあれば、ますます「遅く・苦しく」なるはずです。
 軽く演奏したいなら、身体の力を「外」に向かって開放するイメージで演奏してみます。楽器を「中心=コア」に感じて、楽器から外に向かって「広がる」イメージを持つと、筋肉の使い方が「外側」に向く力になります。脱力するだけでは、まだ「重さ」が残っているのが人間の身体です。重力には逆らえませんから(笑)、浮上することは出来ません。力を身体の外に「放出」する方向に力を使えば、軽くなるイメージがつかめるはずです。
 一曲の中にはもちろん、ひとつの「音」にも重さの変化が付けられます。
軽く弾き始めてから、徐々に重くできるのが弦楽器や管楽器、声楽です。
その「特徴」を最大限生かすことも、弦楽器奏者の技術です。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介