メリーミュージックブログ

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楽器・弓

音色を作る技術あれこれ

映像はヴィオラとピアノで演奏したアザラシヴィリ作曲のノクターン。4年前の代々木上原ムジカーザでの演奏動画です。
これまでにも演奏の練尾について色々な考察をしてきました。
ヴァイオリン、ヴィオラで演奏される「音色」は演奏者によっても楽器個体によっても異なります。演奏者の技術によって音色が決まると言っても過言ではありません。同じ個体の楽器を違う演奏者が演奏すれば違う音色になります。一方で演奏者が違う個体のヴァイオリン、ヴィオラを演奏したときの「違い」は演奏者の違い程に大きなものではないと思います。ストラディバリウスを新作のヴァイオリンに持ち替えて演奏しても聴いている人が気付かなかったという実話を知っています。思い込みで新作のヴァイオリンの音がストラディバリウスだと信じ込み「やっぱりストラディバリウスはいいですねぇ!」と感動しながら話しかけてきた人に思わず笑ったと言うお話です。
楽器を操るのが演奏者です。演奏技術た高いほど「自分の好きな音色」を出せます。初心者の場合、楽器をコントロールする技術が足りないために「楽器固有の音」を自分好みの音に変えることができません。その意味で初心者ほど楽器に依存する面が大きくなります。

音色を「作る」技術には何が必要でしょうか?
まず「微妙は違いを感じる耳」です。
音の高さ・強さと比べて音色の違いは数値化出来ない話は以前にもブログで書きました。誰かの演奏を聴いて同じ音色を再現することは極めて難しいことです。一つの原因は「楽器の場所」が全く違うからです。演奏している時の耳元で鳴っている音と、何メートルも離れ空間に広がり反響音も聴くのとで「同じ音」でもまったく違って聴こえます。もう一つの理由は「力=身体の使い方」は他人が感じられないからです。自分自身の身体でさえ今、身体のどこに?どの向きで?どのくらいの時間?どのくらいの力をかけているか?を瞬間的に判断できません。同じ音色が出るまで繰り返す間に、指・関節・筋肉をどう?使っているのか観察し続けて初めて同じ音色を再現できるようになります。
似たように聴こえる音色でも集中して聴くと倍音の含まれ方が違うことに気付き身体の使い方を変えることで修正が可能です。
自分の音色が他人にどう?聴こえているのかをリアルタイムに自分自身の耳で確かめることは不可能です。出来れば何人かの人の「印象=感想」を参考にするのが一番現実的です。聴く人によって聴こえ方が違い表す言葉も違います。同時に何人かの印象を聴くことでお客様にが感じる印象に近いものが得られます。リハーサルがそのチャンスです。自宅で練習する時であれば同じ種類のマイクとヘッドホンで録音したものを聴き比べるのも音色を確認するのには良い方法だと思います。思っているほど=演奏しながら自分の耳で聴いている時ほど、高音が少なくこもった印象に聴こえたり逆だったり。

音色を作る弓の使い方と弦の押さえ方・ビブラートの技術。
・弓への圧力と時間
弦に弓の毛をどの方向で銅の位の力で押さえるか?その力=圧力をどれだけ保持するか?
・弓を置く弦の場所
駒からの距離が短いほど高音が多い音色になります。
・弓の毛の量
弦に当たる毛の量は傾きと圧力で変えられます。毛の面と弦が平行になる傾きの時、最も強い圧力がかけられます。少ない毛の量で圧力を弱くすれば弦だけが振動し楽器本体の木を振動させない「細い音」が出せます。
・弓の速度
弦との摩擦=圧力と違い「運動の速さ」を速くすれば弦の振動を妨げず、遅くすれば弦の振動を押さえる働きがあります。音の高さによって弦の振動する速さが変わります。1本の弦で高い音=ハイポジションの場合、弦は速く振動します。弓の速度は毛の表面の凸凹と弦を「引っかく速さ」です。毛の凸凹が小さく・少なくなってしまった毛の場合、松脂で出来た凸凹だけが音を出すことになります。
・弦を押さえる指の場所
指の腹=肉球部分で押さえれば弦の振動を止め切らないので高音Gあ少なくこもた柔らかい音色になります。余韻はほとんどなくなります。指先の固い部分で弦を押さえれば逆に高音の多い明るい音になり余韻が長くなります。
・押さえる力の強さ
意図的に弱く押さえることで余韻を押さえた音色を作れます
・弦と指の角度=爪の向き
後述するビブラートとの関係で、真上から見た状態で弦に対して45度の角度で押さえるのが原則ですが、ビブラートの深さや速度によっては弦と平行に近い角度で指を置くと音色の変化量を増やせます。
・ビブラートの深さ
音の高さの変化量で大きく動かせば多くの種類の倍音を得られます。
浅くすれば=幅を狭くすれば一定の音色を保つことが出来ます。
・ビブラートの速さ
好みによりますが速すぎると異なった高さの倍音を消してしまい響きが窮屈な音色になります。遅すぎると倍音の余韻が消えてしま詩「波」にしか聴こえなくなります。
・ビブラートをかけ始めるタイミング
音の最初から深さ・速さを変えずにビブラートすれば短い音でもビブラートの効果が得られますが、一方で聴く人の耳に音の高さの印象が残りにくくなります。ノンビブラートの音を意図的に混在いさせることで音色の変化がフレーズの中に生まれます。

最後に「聴き方=楽器と耳の位置・首の力」の違いについて考えます。
音色の変化は聴き方によって感じやすくも逆に感じにくくもなります。まず楽器と耳の位置と距離が変われば音量も音色も変わって聴こえることです。表板に耳を近付ければ大きく聴こえます。耳を遠ざければ小さく聴こえます。実際に出ている音と関係なく「聴こえる」だけであり会場に聴こえる音の変化ではありません。常に一定の位置関係と距離で演奏すること=姿勢を保持することも音色の決定に不可欠な事だと思います。
また、構え方によって楽器の微妙な音色の変化に気付きにくい構え方もあると思います。首に無意識に強い力がかかっていると、高い音の聴力が下がります。突然大きな音がした時に反射的に肩が上がり、首をすくめる姿勢になるのは人間の防御反応です。首に力を入れ続けた姿勢は音色を聴き分けにくい姿勢だと言えます。
同様に息を止めた状態を続けると、徐々に筋肉が硬直し音への反応が鈍くなります。
大きい音のパッセージを連続して練習した直後には、一時的な難聴状態になっています。特に高音を強く弾き続けた後に高い音が鳴っているように感じるのは、やはり耳が防御反応している証です。
できればしばらく耳を休めてから集中して音が聴こえる状態になってから練習することをお勧めします。

音色に正解はありません。人の声が皆違うように演奏者によって好みの音色が違います。聴く人にも同じことが言えます。好きな歌手の声は理屈抜きに心地よいものです。
音楽によって、旋律や和声によって音色をコントロールするのは、会話や演劇の「台詞」に抑揚や声色を変えて読むことに似ています。
棒読みすれば、どんな素敵な文章や詩も感情のない「声」になります。音楽も同じです。楽譜には書かれていない「音にした時に感じる感情」を演奏者の考える音色で演奏することが、演奏者の個性につながると信じています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

聴く人・弾く人・作る人

 映像は「悲しみのクラウン」をヴァイオリンとピアノで演奏したものです。
オリジナルの楽譜に手を加えて演奏しています。
 今回のテーマは音楽に関わる「お金」の話が中心です。
「芸術をお金に置き換えるな」と思われるかもしれませんが、古今東西「音楽」を含めて絵画もその他の美術品も「お金」が関わらないことはありません。
 聴く人・昼人の立場で考えれば「楽しめればただ=無料が理想」です。
また演奏を単に楽しむ=自分で聴いて楽しむだけの場合、楽譜を手に入れるお金がかかることも「覚えた音楽を思い出して演奏する」こともあります。
 演奏する人が「生活するために演奏する」場合、対価として誰かからお金をもらうことが生活の糧になります。聴いた人がお金を払う場合もあれば、演奏会を主催した「人」や「組織」が演奏者にお金を払う場合もあります。
 演奏家が自分で演奏会を企画・開催するときには、広告宣伝にもお金がかかります。宣伝しなくても、自宅で演奏する場合でなければ「会場費」を支払います。その他にもピアノの調律費が必要になるケースもあります。
ホールで働く人、調律をする人たちも「お金」が必要なのです。
 楽譜を書く=作曲をする人の収入は?楽譜を買ってくれる「出版社」や「演奏家」からお金を受け取るのが一般的です。演奏したと人からお金を貰える作曲家はほとんどいないのが現実です。作曲者自身が演奏する場合には、上記の「演奏家」としての収入や支払いが必要になります。
 言うまでもなく「作曲家」がいなければ、演奏する楽譜がないことになります。演奏家が居なければ、音楽を聴くことは出来ません。聴く人が居なければ、演奏家の収入がなくなります。この三者の関係は「音楽」がある限りお互いに必要不可欠な存在なのです。
 現代、音楽を聴く方法は昔と大きく変わりました。
・録音する方法がなかった時代
・放送がなかった時代
・コピーがなかった時代
バッハやモーツァルト,ベートーヴェンが生きていた時代には上記のすべてがありませんでしたが、作曲家も演奏かも「お金」を貰って生活できていました。
 音楽を聴いて楽しめる人が限られていた時代でもあります。当時は「クラシック音楽」と言う概念はありませんでした。当たり前ですね(笑)
 音楽を聴くためには「演奏家が目の前で演奏してくれる」ことが前提でした。
演奏する音楽の楽譜は、作曲家が手書きしたものを「写譜屋」という専門職業の人が書き写して、オーケストラのパート譜を書いていました。
 印刷技術が発達してからも、コピー機はありませんでしたから楽譜は「買うもの」でした。

 作曲家が時間をかけて作曲した楽譜が「コピー」と「パソコン」で無尽蔵に、無制限に無秩序に拡散しているのが現代です。一度手にしてしまった「利便」を人々から取り上げることは非常に難しいことです。「コピーガード」をいくら開発しても、それを乗り越える技術がいたちごっこtで現れます。
 作曲で生計を立てる人を守るための「根本的な方策」を議論しなければ、今後、新しい楽は誕生しなくなります。
 「作曲者の権利」をいくら叫んでも、時代に合った新しい方策を考えなければ無意味です。
 同じことは「演奏家の生活」も今の法律と支払い・受け取りのシステムでは守れません。むしろ、現在の日本では演奏家の権利が最も低く扱われています。
 ほとんどの演奏家がフリーランス。生活保障がなにもありません。
「利益目的」つまり、入場料金を頂いて開催するコンサートの場合、作曲家ではなく「権利管理団体」がお金を「かすめとる」ことが許されているのが現状です。作曲者へ支払われるのであれば納得できます。当たり前のことです。しかし、ほとんどの作曲者は誰かが…自分が作った曲を自分が演奏した場合でも、手元にはお金が届きません。演奏者は作曲者自身が演奏した場合も含め「金払え」と言われます。権利を管理するための「手数料」であって「作曲者への支払い」ではないのです。
 さらに言えば、入場料を頂いたとしても先述の通り「経費」が掛かるのが当たり前で、赤字になる場合も珍しくありません。「赤字になるなら開催するな」と言うのは簡単です。演奏家が生活できず、演奏の機会がなくなればホールも存続できません。調律師も舞台スタッフいなくなります。
 当然、演奏会もなくなり演奏を聴くことができなくなります。

 とても難しい問題に思えますが、実は「原理を考える」ことで答えはすぐに見つかります。
1.演奏者が作曲者が求める会化を「直接支払う」
2.聴く人は演奏者が求める対価を「直接支払う」
たったそれだけの事なのです。「非現実的だ」と思われるかもしれませんが、ネットの発達した現代、支払いを求める側も支払う側も「ネット上で直接」取引ができるのです。演奏会のチケットでさえ、ネットで購入できるのに作曲者への使用料金が「支払えない」理由があるでしょうか?
 そもそも演奏する場合に「作曲者への許可申請」が必要なのか?不必要なのか?不透明なのです。「管理団体」は現代の世界では不要なはずです。
「作曲者が自分で演奏会を調べるのは不可能だ」と吠える人がいますが、作曲者がネットで演奏許可の申請を受け、対価を支払ってもらい許可を出せば「必ずお金が入る」のです。管理団体に「任せる」からお金が入らないのです。要するに「手間を惜しんで稼げるはずがない」とも言えます。
ましてや管理団体が利益を上げること自体が無駄な中間マージンです。
 時代にあった音楽家の「生活を守る活動」を法律の整備と共に考えなければ、未来が先細くなってしまうばかりです。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

楽器の弾きこなす意味

 映像はピアソラの作曲したアヴェ・マリア。ヴィオラとピアノで演奏したものです。陳昌鉉さんのヴィオラ、私にはとても魅力的に感じています。
 今回のテーマは前回のブログに引き続くものです。
演奏者が楽器の個性を引き出すこと。違う言い方をすれば、楽器の弾きこなすことでもあります。先日、会社で税理士さんと「なぜ?ヴァイオリンだけ特別に高いのか」と言う話題になりました。皆さんはどう?考えますか?
 ピアノの「最高峰」と言われるフルコンサートグランドピアノで約2500万円。
パイプオルガンは建物と一体化していることが多く、単純に楽器だけの金額を評価することは不可能です。
 フルート、トランペット、ティンパニなどなど多くの楽器がある中で、ヴァイオリンだけが「10億円以上」のがっきがあります。はてな?素朴な疑問ですよね。結論は「楽器の性能・ポテンシャルとは無関係に資産取引の対象」なのです。ゴッホやピカの絵画、人間国宝の作った焼き物などが本人の意思や、「物としての価値」ではなく「金儲け=ビジネス」の道具になっています。
 ヴァイオリンは300年以上前に「完成された楽器」とされています。その頃から現在まで、壊れずに=修理を続けながら演奏し続けてきた楽器に「プレミア的な価値」があるのは自然なことです。ただそれは、楽器の音色とは無関係です。

 さて、楽器を弾きこなす技術とは、いったいどんな技術でしょうか。
一般に「うまい」とされる演奏は「正確性」「再現性」が判断の基準です。
 この二つの技術は、楽器がどんなヴァイオリンであっても不変です。
ストラディヴァリならうまく弾ける?魔法か!(笑)初心者にとって「正確に何度でも演奏できる」事は大きな課題になります。どんなに上達したとしても、それはゴールのないものです。単純に「ミスの数」だけで点数化することもできます。フィギアスケートの審査と似ていますね。
 ではうまければ楽器を弾きこなしていると言えるでしょうか?
楽器はすべて、音色も音量も違います。「木材」を主材料にする以上、当たり前の事であり、それはストラディヴァリの楽器であろうと、大量生産のヴァイオリンだろうと「差」があることには変わりありません。
★楽器による個性を知るこための技術
1.演奏方法のバリエーションを持つこと
2.弾き方による音色や音量の小さな違いを聞き取る耳
3他人の意見を聞き入れる心の広さ
★個性を引き出すための技術
1.楽器との対話=自分の技術と楽器の個性を常に客観視する気持ち
2.楽器の変化と自分の聴こえ方の変化を並行的に観察する力
3.自分の好きな音色・音量を維持する根気
4.時間をかけて楽器と対話する「一途な気持ち」
 多くのヴァイオリニストが自分の楽器に不満を持つようです。それは初心者、アマチュアよりも「プロのヴァイオリニスト」に強く表れるようです。
 アマチュアから考えれば「それだけの技術があるからきっとわかるんだろう」と推測します。楽器の違いが判り、自分には物足りないと「買い替える」事がヴァイオリニストのステイタスなのでしょうか?そうしなと満足できるヴァイオリンに巡り合えないのでしょうか?
 楽器を「人間」として考えてみると答えはすぐに分かります。
完璧な人間はいません。自分が「パートナー」として選んだ相手に完璧を求めるでしょうか?パートナーのために自分を完璧にできるでしょうか?
 欠点があり長所があり、変化するのが人間です。長く付き合えばさらにその変化は大きくなります。相手の変化、自分の短所をお互いに「受け入れながら」いるのが人間同士のパートナーですよね?どちらかが、我慢できなくなれば「コンビ解消」(笑)になるのは仕方ないと思います。一方だけが我慢することはお互いのためになりません。
 楽器は自分で変わることは出来ません。演奏する人が「変える」事はできます。人間に例えるなら「言葉を話せない乳児(あかちゃん)」にも似ています。
親の思う通りにならないのがあかちゃんです。それでも「愛情」があるから受け入れられる。
ヴァイオリンを「買い替える」ことは「道具なんだから」と思えばできることです。それを「自分の子供」だと考えたら「気に入らないから買い替える」って…出来ないと思います。自分が育てる。自分も成長する。それが楽器を育て、自分を成長させることだと思います。
 赤ちゃんが、言葉にならない意思表示をするとき、親は子供のすべてを観察して「もしかして?」と子供の意思を探りますよね。ヴァイオリンにそれをしているでしょうか?
 楽器の個性は人間の個性と同じだと思います。相手によって変わるものです。
人間はヴァイオリンを選べます。ヴァイオリンは演奏者を選べません。
 どんな楽器だろうと、その個性を最大限に引き出すために何年かかろうと、一生かかろうと私は厭いません。私にとって今のヴァイオリンとヴィオラは「大切な家族」なのです。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

弦楽器の価値は楽器で決まるのか?演奏者で決まるのか?

 映像は陳昌鉉さんが2010年に作られたヴィオラで演奏した赤とんぼです。

 上の画像はそのヴィオラの写真とラベルです。一般に新作の楽器はオールド(製作から100年以上経過した楽器)より「価値が低い」とされているのが弦楽器の不思議な「定説」ですが、私はこの固定観念は間違っていると確信しています。
 誤解のないように言葉を足せば「古い楽器が新しい楽器より価値があるとは限らない」と言うことです。
「ストラディヴァリはどうだ!」「グヮルネリは?」「アマティはどうだ」
必ず食いつく人がいますが(笑)「名作」と言われている楽器を、初心者が演奏して良い音が出ると思いますか?「プロが弾かなければ価値がわからないんだ!」と仰る方が、プロの演奏するストラディヴァリの作った楽器と新作のヴァイオリンを聴き比べて「当たる確率」は50パーセントと言う世界的なデータを否定できるでしょうか?「聴く人の耳が悪いだけだ!」いいえ。それも違います。
プロのヴァイオリニスト、ヴァイオリンの製作者が聴いても結果は同じです。50パーセントの確率です。つまり?
 演奏する人の技術の差の方が、楽器の違いよりも大きい
事は紛れまない事実です。演奏する技術が足りなければ、どんな楽器を演奏しても「それなり」の音しか出せません。言い換えれば、その人が安い楽器を演奏しようが高い楽器を演奏しようが「大差はない」のです。
 楽器を買えれば音色も音量も変わります。それは事実です。
演奏技術が高いほど、楽器の個性を見つけられ、固有の音色を引き出せます。
楽器固有の音と演奏者の「相性」がすべてです。要するに好みの音を持っている楽器に根巡り合うことが、演奏者の喜びであり「運命」なのです。
 高い楽器を手に出来ないから、演奏技術が低い。
論理的に間違っていますよね。
 高い技術があれば、どんな楽器でも良い音が出せる。
これ、間違っていませんよね?
つまり、演奏技術を高めることが楽器の価値をあげることになるのです。
 陳昌鉉さんの作られた楽器を「オールドには劣る」と決めつける人を見かけます。自分の好みではない音…だと言われれば否定は出来ませんが、それは「好み」の問題であり客観的な基準・事実ではありません。
「日本で一番おいしいラーメン屋さん」
ありえないですよね(笑)それと同じことです。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

大きな小品(笑)

 映像はサン・サーンス作曲「序奏とロンド・カプリチオーソ」
10年ほど前の演奏です。この曲はソロヴァイオリンとオーケストラで演奏するのがオリジナルの楽譜です。ピアノとヴァイオリンで演奏することも多いの楽曲の一つです。サン・サーンスはヴァイオリン協奏曲も作曲していますが、この「ロンカプ」はヴァイオリンコンチェルト…とは呼ばれません。
 単一楽章で完結する楽曲は「小品」として分類されます。が…この曲、かんり大曲です(笑)

 オーケストラと共演する場合とピアノと共演する場合の違い。
・オーケストラは楽器の種類が多い(弦・木管・金管・打楽器)
・オーケストラの音量差=一人~全員演奏のが大きい
・オーケストラは音色の違う楽器とヴァイオリンの共演
・オーケストラで演奏する楽器はほとんどが「純正調」ピアノは「平均律」
・オーケストラとの練習は大がかり(笑)
などなど違いは様々です。ヴァイオリンコンチェルトをピアノとヴァイオリンで演奏する場合、オリジナルの演奏とは全く違う「音」になるのは当然です。
作曲家が意図した音色や音量のバランスも、オーケストラとピアノでは違います。
 作品によって、オリジナル=オーケストラとソロヴァイオリンがあっても、ピアノとヴァイオリンの「楽譜=音楽」を聴いて素晴らしい!美しい!と感じる曲も多くありますが、残念!な楽譜も多くあります。
 この序奏とロンド・カプリチオーソの「オリジナル」をご存知の方にとって、ピアノとの演奏は「物足りない」と感じる人もおられますよね?
 もちろん「好み」の問題がありますが、ピアノとヴァイオリンで演奏するロンカプ「も」好きな人もいます。
 ピアノは「オーケストラの代用楽器」ではないのです。フォルテ・ピアノと言う一つの楽器です。そのピアノで演奏して美しい曲もあれば、「?」と言う楽譜もあります。ヴァイオリンでも同じことが言えます。
 クラシック「おたく様」の中には「オリジナルの楽譜=編成でなければ良さがない!」と言い切る方もおられますが、私はそう思いません。音楽の「好み」は人によって違うのです。作曲家の「狙い」とは別に演奏する人・聴く人の好みがあります。それが音楽だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

G線上の「無言歌」

 G線上…と言えば「アリア」が思い浮かびますが、実際には他にもG線だけで演奏するように指示された曲があります。
 たとえばその一つが、このメンデルスゾーン作曲クライスラー編曲の「無言歌・五月のそよ風」です。
 過去にヴァイオリンで演奏したこととヴィオラで演奏したことがありますが、ヴァイオリンでは指示通り、すべてG線だけで演奏しました。
 ヴィオラで演奏したときにはその「効果」より楽器の構造上の「無理」があるためにD線も使って演奏しました。それが下のものです。
聴き比べて頂くと楽しいかな?

 再度までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ヴァイオリンの音色の特徴は

 映像はシューマン作曲の3つのロマンスより第2番。
上の演奏は私と浩子さんがヴァイオリンとピアノで演奏したときのもの。
下は原曲であるオーボエで演奏している動画です。
 単純に比較するのもおかしいのですが、オーボエの特性・特徴を感じやすい旋律でヴァイオリンで演奏した場合との違いがはっきり分かります。
 下の映像はカヴァレリルスティカーナ間奏曲をヴァイオリンとピアノで演奏したものです。

 この曲のオリジナルである弦楽合奏とハープ・パイプオルガン・木管楽器での演奏を私が指揮したときのものが下の動画です。

 ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロがユニゾンで演奏する分厚い音色を、ヴァイオリン一丁で再現することは不可能です。ただ旋律の美しさは変わりません。
 原曲のイメージは作曲者のイメージでもあります。演奏する楽器が変われば雰囲気も変わります。出来る限りオリジナルの印象を残しながら、新しい音楽として正留津させられればと願っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ピアノとヴァイオリン

 シューマン作曲の3つのロマンスより第2番。原曲はオーボエとピアノのために作曲されています。ピアノは色々な楽器と一緒に演奏される楽器です。
 ヴァイオリンを演奏する立場でピアノの演奏する「音楽」と融合する=溶け合うためには、楽器の特質=音色や構造の違いを理解するだけでは足りません。
 ピアニストとヴァイオリニストがそれおぞに「お互いを共有する」ことです。
自分だけではなく、相手だけでもなく。自分と相手を「一人の演奏者」として認めある事です。音楽の中ではある部分でどちらかが「主導的」で一方が「受動的」になることも必要です。音楽=楽曲をお互いが理解して初めて一つの演奏が成立します。
 演奏の「傷」を恐れるよりも、一緒に演奏しなければ完成しない音楽に喜びを感じることが何よりも大切だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

小品の定番曲?

 映像は今から14年前!デュオリサイタル2杜のホールはしもとでの演奏動画です、二人とも…若いと言うか(笑)当たり前ですが14年年月が経てば見た目も中身(笑)も変わるのが人間です。変わっていないのは使っている楽器ぐらい。
 変わらないものの一つに「曲=楽譜」があります。演奏は言うまでもなく毎回違うものです。今回のテーマ「小品の定番曲」ですが、私たちが演奏する曲は主に「小品」と呼ばれる曲です。厳密な定義はありませんが、小品とは呼ばないものに「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」や「ヴァイオリン協奏曲」があります。編成=演奏人数の問題ではなく、1曲の演奏時間が短い物や、楽章が複数「ない曲」が小品と呼ばれるようですね。
 愛の挨拶はエドワード・エルガーの作品です。エルガーは愛の挨拶の他にも多くのヴァイオリン小品を残しています。またヴィオラのための小品も書いています。ヴァイオリンの小品が演奏されるのは、なぜか?小品ではない曲のコンサートで「アンコール」と言うケースが多いのは事実です。ヴァイオリンの小品は「デザート」的な扱いなのでしょうか?

 多くのヴァイオリンとピアノで演奏する小品を書いたフリッツ・クライスラー。自身が演奏するための曲を作曲し、数多くの作品を残しました。代表作の一つ、愛の悲しみの演奏動画。

 こうした小品を文学に例えるなら短編小説や詩などに近いものがあります。
また食事に例えるならソナタや協奏曲がコース料理で、小品は「一品料理」かも知れません。いずれにしても読む人や食べる人がその時々に選べるものです。
 コンサートで小品だけを演奏するのは、いわゆるクラシック音楽マニアからすれば本来の楽しみ方ではないと言われるかもしれません。演奏する人と聴く人が同じ楽曲構成=プログラムを求めていれば他の人が口を挟む意味はありません。バッハの無伴奏ヴァイオリン曲6曲をすべて演奏するコンサートを「聴きたい」と思う人がいても不思議ではありません。同様に小品だけのコンサートで楽しみたいと言う人もいるはずなのです。
 短い音楽が軽薄で、長い演奏時間の曲が崇高だとは限りません。
小品を組み合わせる難しさもあります。言ってみれば色々な料理を少しずつ楽しめることに似ています。フルコースの料理もあれば、飲茶のような料理もあります。要は食べる人・聴く人のニーズに応えながら期待を超える完成度にすることが何よりも大切なことだと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ヴァイオリンとヴィオラの聴き比べ

 今回のテーマは同じ曲を音じ人間がほぼ同じ時期に、同じ音域で演奏したヴァイオリンとヴィオラの音色の違いです。
 上の映像はデュオリサイタル7で演奏したロベルト・シューマンの歌曲「リーダークライス作品39」を前半はヴァイオリンとピアノ。後半の背景が赤くなっている動画はヴィオラとピアノで演奏しています。
 好みの問題が分かれるのは当然ですが、一般的にヴィオラはアンサンブルやオーケストラで「影の存在」と思われがちです。
 ヴァイオリンより低くチェロより高い音(笑)
そんな印象を受けるヴィオラですがただ単に音域の違いだけではありません。
ヴァイオリンに比べてボディーのサイズが大きく、低音の響きの量と質がヴァイオリンとは全く異なる楽器です。
 同じ演奏者が同じ曲を演奏するとより違いが明確になります。
ピアノと一緒に演奏することで音の熔け具合がわかります。
 ヴィオラ特有の音色は管楽器で言えばホルン・トランペット・コルネット・トロンボーン・チューバ・ユーフォニウムなどとの音色や音域の違いに似ています。サキソフォンでもソプラノ・アルト・テノール・バリトンなどの違いがあることはご存知の方も多いかと思います。
 私は原曲が歌曲の場合にヴィオラで演奏するのが好きです。
ぜひお聞き比べください。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介