メリーミュージックブログ

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相対音感で暗譜する工夫

 

ちまたで有名な「ヴァイオリンは絶対音感がないと弾けない」という大嘘があります。もはや、差別かよ!と怒りたくなるほどのデマです。
 ヴァイオリンに限らず、歌であれそのほかの楽器であれ、絶対音感があれば演奏が楽になる面は確かにあります。
 そもそも絶対音感の意味さえ知らずに語る人がいるから困ったものです。
人間が音として聴くことのできる、空気の振動はヘルツと言う単位で表すことができます。おおざっぱに言えば、その音の高さにイタリア語なら「ドレミファソラシ」英語なら「CDEFGAB」日本語なら「はにほへといろ」と言う名前を付けたのが「音名」です。細かい説明は省きますね。
 音を聴くと音の名前で答えられるのが「絶対音感」です。
言葉を覚える幼少期に、聞こえる音と音名を繰り返し覚えさせると、どんな人でも絶対音感が身に着けられます。超能力とか天才とかとは、全く関係ありません。むしろ、絶対音感がないのが普通なのであって、特別なトレーニングをある時期にすると身に付く感覚です。大人になってから身に着けるのは、不可能ではありませんが、かなり大変な労力と時間を要します。


 絶対音感でない音感を「相対音感」と言います。
この音感はトレーニングによって、精度が高まる感覚です。
ちがう感覚でたとえると、お弁当屋さんが、決まった重さのご飯を盛り付ける作業を何百回、何千回も繰り返すうちに、測りを見なくても1グラムの誤差もなくも盛り付けられるようになる感覚に似ています。
 音感で言えば、ある音名の音(たとえばドとか、ラなど)を、ピアノや音叉などで聴いてから、その他の音の名前を応えられるようにトレーニングするのが、相対音感の制度を上げていく方法です。もちろん、同時に2つ、3つの違う高さの音がある状態=和音を聞き取るのも、同じ方法でトレーニングを繰り返せば、だれにでも 音名に置き換えることが出来るようになります。
 音楽の学校で行われる「聴音」という授業科目があります。
先生がピアノで弾く旋律や和音の連続を、限られた時間で楽譜に書くという科目です。
 同じように「ソルフェージュ=視唱」と言う科目があります。
これは、まったく聴いたことのない「新曲」を、何の楽器も使わずに、限られた時間、例えば15秒とか30秒で、「予見=声を出さずに頭の中で音にする」して歌い始めるという科目です。良い声で歌う必要はまったくありません。ただひたすら、正確な「リズム」と「音の高さ」で「止まらずに」最後まで歌い通すことをトレーニングします。これも、時間を掛ければ誰でも身に着けられる技術です。

 さて、私は相対音感しかもっていないヴァイオリニスト・ヴィオリストです。
高校と大学で、当時日本で一番聴音とソルフェージュが難しく、厳しかった学校で鍛えられました。入学試験はもちろんのこと、卒業のために必要なグレードが決まっていました。そのグレードに達しないと卒業できないという厳しいものでした。
 その私が視力をほとんど失っている今、新しい曲を楽器で演奏するために、必要不可欠な事が「暗譜」です。
先述の音楽学校で、初見で楽譜を演奏できる能力もトレーニングされましたので、車の運転が出来る視力があった当時は、楽譜を見ただけで演奏することは簡単なことでした。と言うより、それが当たり前の事でした。
 それが出来なくなった今、上の映像のように、楽譜を1小節ごとに画面いっぱいに表示されるようにすることで、楽譜を見ることが出来る視力が残っています。ありがたいことです。感謝しています。
 1小節ずつ覚えていくわけですが、ここで引っ掛かるのが「相対音感」です。

 頭の中に、楽譜をイメージすることもあります。
その時に「音名」と「音の高さ」を覚える必要があります。
「指の番号や弦を押さえる場所で覚えれば?」と思う方がおられるかと思いますが。どんな短い曲でも「音の名前」で演奏する習慣がある上に、長い曲になってさらに調も途中で変わる曲の場合、指の番号だけでは記憶することは不可能です。
 この曲「Earth」は何度も調性=調号が変わります。臨時記号の音も頻繁に出てきます。頭の中で、音名と音の高さが「ずれそうになる」状態が起こります。
つまり、それまで演奏していた調の旋律=メロディーと同じ旋律が、違う調で出てきた時、音楽の理論として「転調」を覚えないと弾けなくなります。
Gdur=ト長調から始まって、平行調のEmoll=ホ短調を通過し、Bdur=変ロ長調、Esdur=変ホ町長、さらにHdur=ロ長調を通り、やがてDesdur=変ニ長調に転調…。まだ間違ってますね(笑)
 これを間違えずに覚えないと暗譜できません。
絶対音感があれば、必要のないことなのかも知れませんが、ないものは努力で補うのです。
 さぁ!覚えるぞ!

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

憧れの記憶

 映像は、ヘンリック・シェリングが演奏するバッハ、無伴奏ソナタ第1番のフーガ。実は動画では初めて見ました。
 高校生時代、試験の課題だった無伴奏の曲。
当時、シェリングのバッハ無伴奏ソナタ・パルティータの全集を買い、
ひたすら聴いていました。私にとって、最初の憧れの演奏家だったような気がします。
 おそらく同じころに、イツァーク・パールマンの文化会館でのコンサートに、安良岡ゆう先生(同門で大先輩だったので下見をしていただいていました。)のご紹介で、プログラムにサインをしてもらった思い出があります。
 グローブのような手で、にこやかに握手をしてもらったのを忘れません。
ただ、演奏に関してはなぜか?このシェリングの演奏が好きでした。

 他の人の演奏と、どこがどう違うのか?
無理やり違いを探し出せば、きっと言語化できると思いますが、
むしろ言葉にしたくない「憧れ」なのだと思います。
 同じように、好きになれない演奏もありました。
いや、あったはずですが。
覚えていないんです(笑)
 自分が憧れる演奏や、人。自分にないものを、その演奏や人に感じるからでしょうね。でも単なる「偶像=アイドル」とは違います。演奏を通して感じる、演奏者の人柄を、自分の中で作っているという意味では、偶像なのかもしれません。プライベートをすべて知りたいとも思いませんしね。

 師匠の演奏にあこがれていなかったのか!と怒られそうですが、
以前のブログでも書いた通り、弟子は師匠以外からの「刺激」も感じるのです。
純粋培養のように、弟子を自分の手元から手放さない「指導者」がいますが、私は間違っていると思います。現実に、多くの方が色々な師匠に弟子入りしています。
 久保田先生は、海外からの指導者が来ると、レッスンを受けるように勧められました。ご自身も非常に関心をもっておられました。謙虚な姿勢が、心に残りました。

 話をシェリングの演奏に戻します。
何よりも、発音と音の処理が大好きでした。←なんだ、結局分析してる。
アタックの有無、アタックの強弱、アタックの種類
重音のコントロール。レガートの美しさ。
すべて、右手の使い方。
今、こういう演奏をする演奏家、少ない気がしています。
あぁ、もっと勉強すれば良かった!
 と思うので、60過ぎても勉強します。

ヴァイオリニスト 野村謙介
 

音楽の幅

 映像は、2013年2月17日に杜のホールで開いた、メリーオーケストラ第22回定期演奏会の一コマです。
 ギターのソロを弾いてくれているのは、私が教員時代に顧問をしていた軽音楽サークルで、当時高校生だったJIROこと小山じろう君。
 「軽音楽」って言葉、印象が悪すぎます。いかにも「軽薄」と言わんばかりの差別用語に聞こえます。「重音楽」ってあるのかよっ!(笑)と突っ込みたくなります。

 人々に愛される音楽は、時代とともに変わることもあります。
国や地域によっても違います。同じ国、同じ時代でも色々な音楽が同時に「流行」したこともありました。
 話を現代、西暦2022年2月に日本で生きている私たちに絞ってみます。
自由に好きな音楽を、気軽に聴くことが出来る環境があります。
音楽を分類することがあります。
・演奏形態
・作曲された時代
・演奏される国や地域
当然、複数の分類にまたがった、分類もできます。
 先ほど述べた「軽音楽」を調べると、
「流行歌風の音楽、ダンス音楽、ジャズ音楽などの総称。
対義語:クラシック」
 だそうです。ん?では、クラシック音楽とはなんぞや?
「直訳すると「古典音楽(こてんおんがく)」となるが、一般には西洋の伝統的な作曲技法や演奏法による芸術音楽を指す。宗教音楽、世俗音楽のどちらにも用いられる。」
となるようですが。
 案外、テキトーですよね。
自分の好きな音楽に、理屈を付ける意味はありません。
どんな音楽であれ、その人が好きな「音楽」なのです。
食べ物で言えば、和食・中華・洋食などの、おおざっぱな分類も細かい分類もあります。好きな食べ物の「属類」なんて考える必要がないのと同じです。

 クラシック音楽と言われる種類の音楽にも、大きな幅があります。
自分の好きな音楽「以外」を軽薄扱いしたり、長くてつまらない音楽と決めつけるのは、人間として愚かだと思います。これも食べ物の好みと同じです。
 音楽を分類するよりも、自分の好きな音楽を少しでも増やす方が、幸福だと思いませんか?
 メリーオーケストラでも、私と浩子のリサイタルでも、偏った音楽にならないことを大切にしています。
 聴く人の好きな音楽もあれば、聴いたことのない音楽や、嫌いと思っていた音楽をあって当たり前だと思います。
 先入観や食わず嫌いでクラシック音楽しか認めない人や、ガチガチの「クラシックおたく」の方には、不快な思いをさせてしまいました。申し訳ありません。

メリーオーケストラ代表・指揮 野村謙介
 


学校の序列と個性

 時は2月。私立中学校では入学試験の真っただ中。
私立中学に限らず、一般の高校や大学、音楽高校や音楽大学でも、入学試験の季節です。
 今回のテーマは、そうした学校ごとに、誰が、何の基準で付けたのか?学校ごとの序列と、実際の中身と個性について考えます。

 映像は私が20年間勤務した私立中・高の、「部活オーケストラ」の定期演奏会です。場所は、横浜みなとみらいの大ホール。2000人収容のホールが、ほぼ満席の演奏会でした。 
 常識的に考えれば、私立学校の部活動が活躍することは、生徒集めのための「最強の武器」になります。経営者はもとより、管理職も大いに応援するだろうと、誰もが思います。
 実際には、まったく違いました。
「校内の体育館で十分だ」
「たかが学芸部の発表会で、ホールを借りるなんてもってのほかだ」
管理職から言われた言葉です。嘘のようですが、真実です。
当然のことながら、その話は表には出ません。
コンサートを見た方は、さぞや理解のある学校だと思うでしょう。
実際に、このオーケストラで演奏することが目的で、受験する子供がたくさんいました。それも、表には出さないのです。
ばか
でしょう?管理職だけが、ばかだったのか?
 いいえ。管理職にゴマを擦り、媚び諂う(こびへつらう)教員しかいませんでした。みなとみらいホールで演奏できるまでの、16年間。教員たち、管理職と戦い続けました。表には出ませんが。
 学校の中で起きていることは、表に出さないことの方が多いのです。

 学校の序列は、表に出ている事だけを評価されます。
評価するのは、受験生でもなく、在校生でもなく、教員でもなく。
評価のひとつは、卒業生の「進路」です。
もう一つは、学校外の組織・団体が付ける「偏差値」です。
どちらも、実は黒い闇の中で決まっています。
 進路が闇?ありえないとお思いでしょうが、学校は卒業生の進路を公開する義務はありません。責任もありません。自分たちに都合の良い「進路」だけを発表します。
 偏差値は?多くは、塾と予備校が算出する「適当な数字」です。
これも表には出ませんが、私立学校の多くが、塾や予備校を「接待」します。
 常識的に考えれば、逆?少なくとも、塾が生徒を希望の学校に入れたいから、学校「を」接待するのでは?と思いますが、事実は違います。表には出ませんが。
 学校の評価は、本来であれば在校生とその保護者、さらに勤務する教育職員からの「真実の内部」を評価するべきです。
 学校の設備、環境は、誰の眼にも公正な「序列」があります。
音楽学校で言えば、演奏会用のホールのある学校と無い学校の差。
交通のアクセスの良さ、悪さ。
建物の新しさ。などなど、「お金のかけ方」で設備や場所が決まります。

 音楽大学の話です。
私が高校を受験したのは、1976年です。
当時、音楽の学校には「入学の難易度」が歴然とありました。
 言うまでもなく、偏差値や受験倍率ではありません。
一言で言えば、入学できる生徒の「レベル」が違っていました。
受験で演奏する曲、ひとつにしても、難易度の高い学校と低い学校がありました。合格できる演奏技術はさらに違いました。
 桐朋という音楽の学校は当時、設備・施設の面で、音楽学校で「最低」だったかも知れません。それでも、入試のレベルが他の学校と、比較にならない難しさでした。しかも、高校入学時に支払う金額は、日本で一番高い学校でした。
ボロい建物が二つあるだけ。当然、ホールもない。グランドもなく、普通科のグランドを借りて体育の授業が行われる。図書館は短大校舎にある、小さなもの。
 それが、真実の桐朋でした。

 私は当時、学校に大きな不満を感じたことや、学外で恥ずかしい思いをしたことは…
 国鉄の定期券を買うとき以外には、ありませんでした。
「桐朋女子高等学校 音楽科 (共学)」の身分証明書を出して、
武蔵小金井駅の通学定期券購入窓口で「ふざけてんのか?」とマジ切れされた記憶は、一生消えません。学校名は未だに変わりません。仕方ないのですが。
 授業料は、多くの指導者に使われていました。
本当にたくさんの実技指導者が顔を並べていました。
弦楽器の指導者(先生がた)の名簿は、驚くほどの人数と顔ぶれでした。
 高校で、一クラス30人。1学年3クラスで90人。ホームルーム教室は、地下。
クラス全員が集まるのは、週に一度だけのホームルームだけ。あとは、それぞれの履修でバラバラ。授業のない時間は、学校外でお茶をしていようが、ゲームセンターに行こうが、何も言われずお咎めなし。
下校時間は、夜9時。
こんな学校が日本にあるのか!
と、思ったのは高校の教員になってからです。当時は、高校ってそういう学校だと当たり前に思っていました。
 その学校で、日々時間さえあれば、レッスン室を取り合い、練習した。
という仲間がほとんどで←こら。
 音楽を学ぶ上で必要な科目は、基本的にすべて「必履修・必修得」が原則でした。その面だけは、異常なほどに厳しいのが、「個性」でした。
 オーケストラは当然、必修。ただし「能力別」に3つのオーケストラに分かれ、演奏会に出られるのは、一番上の「マスターオーケストラ」と、時々前プロで演奏できる、その下の「レパートリーオーケストラ」。高校と大学の新入生と、レパートリーオーケストラに上がれない、高校2・3年生、大学2~4年生の「ベーシックオーケストラ」
 そうです。高校生と大学生が同じオーケストラで演奏します。
すべてが能力別です。弥が上にも、全員の実技レベルの序列が公開されます。
 不満はありませんでした。それが当たり前だと思っていました。

 現在の桐朋は、どうやら当時と比べ「個性」がなくなってしまったようです。
それは、私立学校として致命的なことであることに、経営陣が気付けていないのでしょう。ほかの音楽学校に「ないもの・ないこと」を探すべきなのに、「あるもの」を真似して、結果的に堕落していく危機感を感じます。
 他の音楽大学も、どうやら似たり寄ったりの気がします。
何よりも、指導者が自分の「地位」にしがみつく姿を見ると、終わった感。
 白い巨塔
ご存じですよね?国立大学病院の「地位」にこだわる医師たちと、医師としての在り方にこだわる人間との、深いテーマでした。
 「私が教授で、い続けるために」他の指導者を排除する人間に、
まともな音楽を演奏できるはずがありません。猿山の猿、以下です。
音楽を学ぼうとする若者を、本当に大切に思う「音楽家」であれば、自分に足りない能力を認められるはずです。一人のヴァイオリニストが教えられるのは、一人分の技術と考え方「だけ」なのです。それだけでは、自分を超える音楽家は絶対に育たたないことを知らない、愚かな「教授」が多すぎます。
 自分は絶対だ、と思い込むのは、自分の家の中だけにして頂きたいのです。
どんなに優れた音楽家だったとしても、その人を育てたのは「絶対に一人ではない」からです。そんなことさえ、理解できない人を「教授」にするのは、大学の恥です。そのことを、学生と他の教育職員が、声にしなければ、その大学はやがて消えてなくなります。その時には、その「教授」は骨になっているのです。

 これから学校を選ぶ人へ。
ぜひ、そこで働く人に話を聞き、その学校に通う生徒や学生に話を聞いてから、学校を決めて欲しいと思います。
 学校に入ってから、しまった!と思えればまだ、やり直せますが、恐らく多くの人は、騙されたまま卒業します。
 学校は「学ぶ場所」です。遊ぶ場所ではありません。
今回も、気分を害される方がおられましたら、お許しください。
まか、そんな方はこのブログをお読みにはならないと思いますが(笑)
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

元教員のヴァイオリニスト 野村謙介

 
 
 

指導者の存在

写真は私の尊敬する師匠、故久保田良作先生が、門下生の夏合宿最終日に開かれる、コンサートのリハーサルで指揮をされている写真です。

 ヴァイオリンに限らず、楽器を演奏するために、インターネットや教則本で独学で練習する人と、誰かに教えてもらう(習う)人がいます。
 学校で習う勉強は、本来なら学校で行われるものですが、コロナの影響で自宅に居ながら勉強する時代です。独学に近いですね。
 歌舞伎や能のような伝統芸能で「独学」は聞いたことはありません。
落語の政界でも、師匠から弟子に伝承されるのが「芸」です。
 スポーツの場合、科学的な理論に基づいた練習で、人間の運動能力が向上しています。誰かに弟子入りしなくても、世界新記録を出せる選手が誕生します。

 話をヴァイオリンの演奏に絞ります。
多くの演奏家が、指導者に教えてもらいます。
 そして、優れた指導者と呼ばれる人の弟子に、優れた演奏家が育っていることも事実です。優れた指導者…って、どんな指導者でしょう?

 ヴァイオリンの演奏技術を、お弟子さん=生徒さんに教える仕事をしている立場で、自戒を込めて考えます。
 お弟子さんが目指す演奏・音楽が、はっきりしている場合と、なんとなく…という場合に分けて考えます。その時点の演奏技術や年齢は、別の問題です。
 分かりやすい例でいえば、音楽高校や音楽大学に進学する人は、少なくとも学校の入学試験に合格するという、目標を持ちます。入学後、何を目指すのか?は、時代とともに個人差が大きくなっています。昔はほとんどの生徒・学生が「音楽家になりたい」と思っていたように思いますが、この頃は、そう思う人の割合が減っているようです。
 目標を持った人が、師匠=先生に習うのは、演奏技術だけではないはずです。
演奏技術・方法・練習方法だけなら、今時インターネットで学べるでしょう。
人から人に伝承されるものは、技だけではありません。
人格、思想、性格、話し方など、日常生活の多くが師匠から弟子に伝えられます。弟子の立場で言えば、その師匠からの教えの中に、受け止めがたいものがあっても自然です。師匠が酒癖が悪かったり、レッスン中にケーキを食べていたり、レッスン中にスマホをいじり続けているのを、快く思えないのは当然です。
 中には、師匠を変える弟子もいます。理由は様々です。それがすべて悪いとは全く思いません。その人にしかわからない理由もあるはずですから。
 師匠と弟子の関係は、当たり前のことですが
師匠が弟子を大切に育てること
弟子が師匠を尊敬すること
の二つです。このどちらかが欠ければ、師弟関係は成り立ちません。「仮面師弟」です。相関関係ですから、どちらかだけの問題もあり得ます。
いくら大切に思って教えようと思っても、弟子のやる気がなければ無理です。
いくら尊敬したくても、指導技術や指導方法に問題があれば、これも無理です。

そうは言っても、順序は明らかにあります。
1.弟子が師匠を探す
2.弟子入りを申し出る
3.師匠が受け入れる
という順序が大原則です。
師匠が弟子を捜し歩く…まるで現代の音楽学校の経営者のようです(笑)
音楽学校で、師匠=指導者が優れていれば、生徒・学生は集まります。
なぜなら、先述の通り音楽学校を受験しようとする人は、「合格したい」という目標を最低限持っているからです。合格してから、その生徒がさらに高い目標を持てるような指導をする指導者がいれば、自然に受験生は増えます。

 私のように、街で(田舎ですけど、すみません)生徒さんを集め、レッスンをしたり楽器を販売して生計を立てている人間にとって、生徒さんを「探す」「集める」という仕事が必要になります。
 なぜなら、趣味で音楽を楽しみたいという人は、明確な目標を持っていないからです。言い換えれば、「いつ、やめても気にしない」人を対象に演奏を教えるのです。弟子…とも言えないかもしれません。習う側から言えば「お金を払って、趣味を楽しむ」だけなのです。
 もちろん、そうではない「お弟子さん」に出会うこともあります。
趣味であっても、音楽を楽しみたいという気持ちを持ち続けて、演奏技術を高め、演奏できる音楽の幅を広げるために、指導者の出来ること、やらなければならないことが、たくさんあります。
 専門家を目指す人を教えているなら「嫌ならやめなさい」の一言で終われます。私たちがそんなことを生徒さんに言えば、生活できなくなるのです。
 生活のために、指導者、音楽家としてのプライドを捨てるのか?と、勘違いされそうですが、全く違います。
 趣味の音楽を教え、音楽を愛好する人を増やさなければ、音楽の専門家は生活もできず、社会で不要な存在になるのです。趣味で楽器を演奏する人が増えれば、クラシックの演奏会に興味を持つ人も増えるのです。
 「音楽大学さえあれば、音楽が途絶えることはない」
と本気で思う人がいたら、言ってあげたい。
 「買う人の来ないデパートが存在できるかよ!」
少なくとも音楽は、本来楽しいものです。
ただ、人によっては不要な存在でもあります。
そんな音楽を一人でも多くの人に「楽しんでもらう」ことが、指導者の責務であり、存在する意義だと思っています。

久保田良作先生は、決して威張らない先生でした。
出来の悪い私のような弟子にも、本気でレッスンをして下さいました。
一人で演奏するための技術だけではなく、一緒に演奏する「楽しさ」を教えて下さいました。
門下生同士のつながりを大切にされました。
音楽に向き合い、ご自身も演奏活動を続けられました。
指導者として、私は久保田良作先生以上の方を存じ上げません。
自分自身が、その先生の指導を、少しでも伝承できればと願っています。
 偉大な指導者は、ふんぞり返ってレッスンしません。
ですよね?(笑)
 お気を悪くされた方、申し訳ありませんでした。

田舎街のヴァイオリン指導者 野村謙介


Youtube再生回数の謎

多くの音楽愛好家が、音楽を「検索」するのに使うツールでもあるこのYoutubeという動画閲覧サイト。テレビやラジオと違い、自分の好きなものだけを、無料で視聴できるのがすごい!もちろん、スポンサーのコマーシャルがあってのYoutubeです。私は定額料金を支払ってこのコマーシャルを見ずに閲覧していますが、それもサイトの収入になるわけです。

ちなみに、上の動画。再生回数が「6.3万回」なんです。
は?6万③千回?誰が見るの?って思いませんか?私は思います(笑)
何度も続けて視聴しても、視聴回数にカウントされません。ですので、
私が63,000回見たわけではございませんので。


7年前に「チャールダーシュ」のタイトルでアップした、何でもない動画です。
恐らく、「チャルダッシュ」などの検索をした際に、関連の動画で偶然、表示されたりした回数が増え、再生回数が増えると、見る人の目に留まる…という連鎖かな?なんにしても、私がアップしている数百の動画(多くがメリーオーケストラの動画です)の中で、一番再生されています。

凝った映像でもないし、音もカメラの席から録音した普通のステレオ録音。
演奏は…へたッ!(笑)
みょ~に速いのは。リサイタルのアンコールに演奏していて、早く終わりたかったから…
だったと思います。その程度の記憶です。
場所は地元の杜のホール はしもと。メリーオーケストラの「本拠地」
こんなに再生されるなら、もっとちゃんと弾けば良かった(笑)

世の中に「ゆーちゅーばー」なる職業が出来て、子供たちのなりたい職業の上位になっているという現代。
私は、その類ではございません。もとより、そんな気合もありません。
音楽家の中で、ユーチューバーとしても活動している人を見かけます。
恐らくは、収入よりも「広報活動」としての効果を狙ってのことだと思います。
ただ、私が思うのは…
Youtubeを見る人の中で、どの程度の人がコンサートに来てくれるか?
もちろん、広報はしないより良いのは当たり前です。
残念なのは、演奏家が「なんちゃって」痛々しいゆーちゅーばーの真似をしている動画を見ることが増えたことです。演奏するだけなら、何も問題ないのです。
何か人々に伝えたい気持ちがあって、メッセージを伝えたり、シリーズを組んでアップするのは良いと思います。
ちなみに、多くのYoutube動画は、プロの編集者が動画を編集しています。
まるで、自分だけで撮影し、自分で編集してうように見える動画の多くが、プロの手がかかっていることを理解しないと、さらに痛い映像になります。
演奏家は演奏をアップするのは、リスクを伴います。
宣伝と同時に、批判を浴びるからです。
今は「悪い評価」は押せなくなりましたが、それでもTwitterなどで情報は拡散されます。
「〇〇って、へただよね」と言われるのを覚悟のうえでアップすることになります。
わたし?
言われても、減るお客様がいないので、へっちゃらですwww

今の時代、自分から発信しないと生きていけない時代です。
その意味で若い演奏家の人には、動画をアップする時に、
「なにが喜ばれるのか?」をリサーチする努力と、
「どんな動画が再生されるのか?」
「自分になにが出来て、何ができないのか?」
ということを、ちゃんと考えて発信してほしいと願っています。
演奏の良し悪しだけでは、広報にならないのは辛いことですが
これも時代の流れです。
みんな、がんばってください!

ヴァイオリニスト 野村謙介

ホールとピアノによる違い

上の二つの動画。
同じ曲「レイナルド・アーン作曲 クロリスに」
同じ演奏者「野村謙介Vla・野村浩子Pf」
ほぼ同じ日時(その差1か月以内)
さらに同じヴィオラ(2010年 陳昌鉉氏製作)
同じマイクセッティング(ピアノ=BLUE ( ブルー ) / Bluebird SL・ヴィオラ=sE ELECTRONICS ( エスイーエレクトロニクス ) / SE8 pair)
同じ録音機材(TASCAM タスカムDR-701D)
違うのは?
ホールとピアノです。
上の映像は代々木上原にあるMUSICASA(ムジカーザ)という定員100名ほどのサロンホール、
下の映像は相模原市緑区にある定員298名のホール、もみじホール城山。
ピアノは、上のムジカーザがベーゼンドルファーModel 200(サロングランド) 、
下の映像のもみじホール城山がベヒシュタインC.BECHSTEIN M/P192。
聴き比べてみてください。

同一プログラム・2会場でのリサイタル。すでに14年続けています。
開始当初は、地元の525名収容できる大ホールと、ムジカーザで開催していましたが、私たちには収容人数が多すぎて(笑)、このもみじホール城山に代わりました。
ホールが違うことで、音色の違い、残響時間の違い、お客様との距離の違いがあります。
当然、弾き方も変えます。

ピアノの違いは、ピアニストにとって宿命的なことです。
どちらの会場のピアノも、ドイツのメーカーで大きさもほぼ同じです。
演奏会当日に調律をお願いしているのも、同じ条件です。
それでも、まったく違う個性のピアノです。
どちらが良い悪いではなく、好みの問題です。
この演奏を生で聴き比べると、もっと!すごい違いを感じられます。

ぜひ、生の演奏会に足を運んでみてください。

ヴァイオリニスト 野村謙介

メリーオーケストラ演奏会終了

今年で20周年、第40回の定期演奏会を無事に終えました。
回を重ねるごとに、このメリーオーケストラに参加してくれる多くのプロの演奏家たちが、「すばらしい」と称賛してくれます。
私は単純な人間なので、素直にうれしく、誇らしく思っています。

言うまでもなくメリーオーケストラは「アマチュアオーケストラ」です。
プロの演奏家が、高い技術で演奏する音楽とは、演奏技術も表現できる音楽の内容も、まったく比べられるものではありません。
むしろ私は、比べるべきではないと思っています。
プロの演奏を真似することは、アマチュアには無理なのです。
同じ楽譜を同じ編成で演奏しても、出来上がる音楽は「別のもの」なのです。
「アマチュアだから下手で良い」と言う意味ではありません。
逆に言えば「プロは、じょうずで当たり前」なのです。
アマチュアオーケストラの定義てなんでしょう?
「演奏会で入場者からお金をもらうか?」ではありません。
現実にアマチュアオーケストラの多くが入場料を徴収しています。
メリーオーケストラも過去数回、ひとり500円ほどの入場料で演奏会を開いたことがあります。結果。お客様がそれまでより、半減しました。
演奏会を開くために、ホールの使用料、賛助出演者への交通費、お手伝いの方への交通費など、メリーオーケストラの場合でも1回の演奏会で、約75万円ほどの費用がかかります。その費用を、会員と賛助会員の方たちからの「大切なお金」で支払い続けています。
NPO法人(特定非営利活動法人)だから、公的な支援があると思っている方もおられますが、違います。
また、多くのアマチュアオーケストラが演奏会で広告をプログラムに掲載して、収入を得ていますが、NPOの場合、これも基本的にできません。
「法人」ですから、メンバーは正確には「社員」です。
通常の法人社員なら「給与」をもらえますが、NPO法人の場合、社員には給与を支払ってはいけません。それでも「法人」なのです。
そんな理由もあるのだと思いますが、私が調べた範囲では、日本中に「NPO法人オーケストラ」はどうやメリーオーケストラだけのようです。

なぜ?NPO法人にしたの?
素朴な疑問ですよね。
「社会や人のために、国が定めた、何種類かの「目的」を達成するだけの業務を行い、
利益を目的としない団体」がNPO法人です。
メリーオーケストラの場合は、
「青少年の健全な育成」
「音楽の普及」
という目的のために
「月に一回の公開練習」
「年に2回の定期演奏会」
を実施し、
「会員からの月会費3,000円、賛助会費一口年間2,000円」を活動の資金とすることが「定款」で決められています。
さらに「毎年1回の定例総会を開く」「理事と幹事による役員会をおく」ことなどが決められています。「貸借対照表」も公開する義務があります。
つまりは、「目的が明確な団体である」ことを表しているオーケストラなのです。
…大したメリットはありません(笑)
ただ、メリーオーケストラの「主旨」を考えた時、これ以外の目的もなく、
これ以上の活動も無理なので、どんぴしゃ!だとも言えます。

音楽を通して、子供の成長を見守り、人の輪を広げる活動です。
そこには「技術や年齢、居住地域、しょうがいの有無」などは関係ないのです。
その上で、演奏のレベルを維持することと、お客様と一緒に音楽を楽しめることが不可欠なのです。
クラシックばかりではなく、大人が聴いて楽しい曲ばかりではなく、どんな人にでも楽しめる「コンサート」を「継続」することは、本当に難しいことです。
一人はオーケストラは出来ません。多くの演奏仲間に理解してもらって、初めてできることです。
そんな思いが、参加してくれるプロの演奏家の共感を得られるのは、プロの演奏家として、とても誇らしい事であり、光栄なことです。
「自己満足で終わらない。けれど、常に良い音楽を目指す」
音楽の「美しさ」には、プロもアマも関係ないと思います。
技術は「目指す音楽」がなければ、無意味だと思います。
メリーオーケストラの音楽は、演奏する人、お聴きになる人が、「楽しい」と思える音楽です。そんなオーケストラが日本にひとつ、あっても良いと思っています。
これからも、皆様のご理解とご協力を、心よりお願いいたします。

NPO法人メリーオーケストラ 理事長・指揮者 野村謙介

オーケストラを身近な存在に

今(2022年1月12日)から20年前、2002年1月14日(日)
小さな小さな「メリーオーケストラ」と名のついた、弦楽器による演奏集団が、初めての演奏会を開きました。
次があるのかないのか(笑)さえわからないのに、「第1回定期演奏会」と銘打って、再開発を終えたばかりの橋本駅前に、出来たばかりの「杜のホールはしもと」を会場にしました。定員520名。どう考えても大胆すぎる。

当時、私は中学・高校の教諭(いわゆる先生)として働いていました。
その学校も1985年に新設された時に、たった一人の音楽教諭として着任しましたが、誰の力も借りることが出来ない環境で、11人の部員でスタートしたオーケストラを2002年当時には150人の日本でも1・2の規模のスクールオーケストラにしていました。
地域の子供たち、自分の子供たちが演奏できるようなオーケストラを、地元で探しましたが、当然!ひとつもありませんでした。
「ないなら作る」
という安直な発想で、2001年に準備を始め「楽しい」という意味がある(だろう)と思う「メリー」という名前のオーケストラを立ち上げました。
4歳から小学校5年生までの子供たちのヴァイオリン。
ヴィオラ、チェロ、コントラバスはプロの仲間に演奏してもらいました。
子供たちが私の家や、ホールの練習室、さらには合宿で練習し、本番ではめいっぱい!ドレスアップして舞台に立ちます。
予想をはるかに上回るお客様に来場いただき、子供たちは初めての舞台で緊張しながらも、弾き終えた感動、信じられないような大きな拍手を体験しました。
ふるさと、夕焼け小焼け、赤とんぼなどを、なんとか全員で演奏し、少し難しい曲は弾ける子供たちだけで演奏しました。それでも余りに時間が短かったので、最後にプロだけの演奏も加えてコンサートを成立させました。
この演奏会が、まさか20年間、毎年2回の定期演奏会を開き続けることになることは、私も含め誰も想像していませんでした。

1回、2回の演奏会を開いてやめることなら誰にでもできることです。
継続することが、どれだけ大変なことなのかを知りました。
メンバー同士のいざこざ、指導に自ら関わってきた地元のヴァイロン指導者の
「生徒持ち逃げ」、運営自体を保護者に任せられない「信頼感欠如」など。
さらには自分自身の退職と、うつ病と闘いながらの演奏会。
それでも「NPOにしたら?」という当時のホール館長の軽い言葉を真に受け、自力で県庁に通って特定非営利活動法人(NPO)化を成し遂げました。
夏には台風、冬には大雪に見舞われたこともありましたが、演奏会は開き続けました。
メンバーの子供たちは成長とともに地域を離れるケースもありました。
それでも当時小学校5年生だった女子メンバーは、音楽高校、音楽大学と進学し、メリーオーケストラの指導者になっていました。やがてその「子」が「母」になりました。今はまだ幼く、お仕事で海外にお住まいですが、きっと帰国されたらメリーオーケストラの「2世代目メンバー」になってくれることを夢見ています。

オーケストラは器楽演奏の規模がもっとも大きな演奏形態です。
演奏に必要な「こと」「もの」「ひと」があります。
一番必要な「こと」は「絆」です。
どんなにお金があっても、人との絆がなければオーケストラは成立しません。
そして「もの」として必要なのは「ホール」です。
毎回の演奏会ごとに、ホールの抽選会に参加しています。
会場がなければ演奏会は開けないのです.
さらに必要な「もの」はずばり「お金」です。
ホールは無料では使えません。練習会場を借りるにもお金がかかります。
演奏会で参加してくれる仲間に、最低限の交通費を支払うのにもお金はいります。楽譜を作るのにも、備品を購入するのにもお金がかかります。
そして「ひと」です。
演奏する人も、聴いてくれる人も、応援してくれる人も必要なのです。
もちろん、こんな演奏に興味のない「ひと」もいます。
もっとクラシックだけやれ!という人もいます。
色々な意見を言ってくれる人も必要です。
メリーオーケストラの財産は「ひと」なのです。
今まで演奏に少しでもかかわってくれた人。
一度でも演奏会に来てくれた人。
賛助会員になってくれた人。
オーケストラ活動を20年間続けるためのエネルギーは
すべて「人」からもらいました。決して自分の力ではありません。
人の輪が広がることが、音楽を広めることです。
音楽でつながれば、人と人の「和」ができます。
争いも戦いもいらない「和」それこそが「平和」です。
メリーオーケストラを続けることが子供たちの明るい未来につながることを
ただ、願っています。

NPO法人メリーオーケストラ理事長 野村謙介



14年目のリサイタル終了

今回で14回目となる、浩子とのデュオリサイタルが無事に終わりました。
14年前…2007年の冬に始まった二人だけで演奏するコンサート。
これまでに165曲の曲を演奏してきました。数えてみて自分でびっくり。
当初はヴァイオリンとピアノでの演奏でした。
2010年からヴィオラとヴァイオリンを持ち替えてのコンサートになりました。
ヴィオラは高校時代から好きでした。学校のオーケストラで初めて演奏し
「ハ音記号」に戸惑いました。
学生時代、演奏のアルバイトでヴィオラを弾く機会が多かったので、実家に仕事の依頼の電話がある時「ヴィオラの野村さんのお宅ですか?」と言われるようになり、父親に「いつからヴァイオリンをやめたんだ」と叱られた(笑)
やめていませんでしたよ!ただ、ヴィオラが好きだったのと、圧倒的にヴィオラを弾く人が少なく、オーケストラのエキストラもヴィオラが常に足りない時代でした。

メリーオーケストラの運営、指導、指揮、事務作業と、
メリーミュージックの経営とレッスン、同じく事務作業。
年に2回のメリーオーケストラの定期演奏会、年に2回のメリーミュージック生徒さんによる発表会。加えて、年末と年始のリサイタル。
このイベントのための準備が常にある中で、レッスンをしています。
どれが大切?すべてです。すべてが私のライフワークです。
教員時代と比較し、年収は100分の1以下です。これ、本当です。
NPO法人メリーオーケストラの理事長
だけど、無報酬です。
有限会社メリーミュージック代表取締役(いわゆるしゃちょー)
だけど、現在無報酬(会社に貸していたお金を返してもらいながら生活)
だけど
高給取りの教員生活には、ぜっつっつっつっつっつっつたい!戻りません。
命をかける仕事ではありません。私にとっては。ですけれど。
妻の浩子には、本当に申し訳ない気持ちです。感謝の気持ちしかありません。
その浩子と演奏する時間「だけ」は、ほかの事を考えずに好きな音楽を作ることに全力を出せます。体力も年相応です。ふたりとも、病気と共存しながら、前向きです。

いつまで、このルーティンを続けられるのかわかりません。
「ライフワーク」は「生きている限りやる」ことではなく、「生きがいとしてやる」ことだと思っています。無理をして続けても、生きがいに感じなければ意味はありません。その時には、気持ちよくすっぱり!やめるつもりです。
何が初めにできなくなるのか?わかりません。考えることもしません。
楽しいと思える瞬間があれば、つならない事務作業(ごめんなさい!)も必要だから乗り越えられます。
楽しさも苦労も、比べるものではありません。
楽しさを期待しても、苦労を心配しても、結果は変わりません。
「楽しい」と思えることのためになら、苦労は「苦しい労働」ではなく、「労働」と思えます。
音楽家ですと、ふんぞり返る(笑)より
音楽屋です!と笑って答えたいと、いつも思っています。

メリーミュージック代表・メリーオーケストラ代表 野村謙介