メリーミュージックブログ

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04月

「天才」を破壊する大人のエゴイズム

映像は「渡辺茂夫」と言うヴァイオリニストの特集番組です。
5歳でヴァイオリンを父から習い、毎日8時間の練習を重ね7歳でプロのヴァイオリニストとして演奏活動を開始。国内のオーケストラと共演し来日したハイフェッツに演奏を聴いてもらいアメリカのジュリアード音楽院でガラミアンのレッスンを受けることを勧められ14歳で一人留学。指示したガラミアンから弓の持ち方を変えることを求められ指導に従い…。これらはすべて客観的な事実ですが「彼」の心の中を正しく知る事は誰にもできません。ヴァイオリンから離れ一人暮らしを始め、住んでいたアパートで睡眠薬を大量に服用した事も事実です。
「もし」と言う言葉は本人にとっても、ましてや周囲の人間が後になってから考えても無意味なことです。ただすでに14歳と言う年齢でヴァイオリニストとして必要な技術を身に付けていた「彼」に留学は必要な事だったのか?ハイフェッツに悪意があったわけではなく、恐らく本人も「さらに上達すること」を望んでいたかも知れません。ガラミアンにしても「善かれ」と考えて弓の持ち方を変えることを求めたのだと思います。
 ここからは私の想像です。
音楽に限らず何かを学び高い評価を受けた人はさらに上を目指す気持ちが増幅されるのだと思います。ある意味で人間の限界を超えてしまう次元が「頂点」なのかも知れません。当然ですが人間には超えられない壁が必ずあります。肉体的な限界と精神的な限界です。通常の=平均的な人間の努力や我慢の限界と、それを多少なりとも超える努力と我慢の出来る人の中で「天才」と呼ばれる人が誕生します。多くの人にとって憧れであり「雲の上の人」に感じるその本人にしか感じられないであろう「本当の限界」を超えようとしたときに肉体か精神が破壊されるのではないでしょうか。普通の人間にとって「すごい」ことが普通のように感じるのかも知れません。
 肉体にも精神にも個人差があります。同じ時間同じことをして「辛い」と感じる人もいれば「平気=辛くない」と感じる人がいるのが当たり前です。どちらが正しいとか優れているかの問題ではなく個人差です。一方で一人の人間=例えば自分自身の感覚や肉体が変化することも事実です。練習すること、学ぶこと、経験することで出来ることが増えたり理解できることが増えたりする変化もあれば、加齢が原因で出来なくなる・理解できなくなることが増えることも変化の一つです。

 自分自身を制御することは一番簡単そうで一番難しい事だと思います。だからこそ信頼できる他人からのアドヴァイスと助けが重要だと考えています。
 レッスン=師匠と弟子と言う特殊な人間関係の中では何よりも大切なのは教える側=師匠の「謙虚さ」だと考えています。先述の通り人によって感じ方が違います。同じ言葉、同じ態度でも人によって受け止め方が違います。特に従順=素直な生徒に対して配慮することが出来なければ指導する資格がないと思います。簡単に言えば「教えやすい弟子」へのレッスンが一番危険だと言えます。弟子は師匠に逆らわないことが「善」とされます。
信頼関係と「服従」を混同するのは命に係わる違いです。信頼は双方が相手を認め合い、お互いが謙虚な気持ちの時に初めて成立します。極論すれば「体罰」を容認する人間の勘違い=相手が自分を信頼していると思い込む事で生徒を傷つけても「愛のむち」だとか「言葉で理解でないから仕方ない」と自分を正当化します。これこそが「エゴイズム」です。自分が正しい=生徒が間違っているという考え方は利己主義でしかありません。
 教える側に立つことは色々な場面であることです。それを「上に立つ」と言う表現にすることが危険な一歩です。人を「崇める」のは個人の自由です。しかしそれを他人にも供することは「人を蔑む(さげすむ)」行為になります。価値観や感覚を他人と共有しようとする努力は大切ですが「強要」するのはエゴです。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト野村謙介