メリーミュージックブログ

演奏家夫婦が優しく丁寧に指導

TEL.042-782-1922

※原宿南教室〒252-0103
神奈川県相模原市緑区原宿南2-26-1

2022年

歌詞がなくても歌に聴こえる音楽

 映像はメリーオーケストラが演奏する「いのちの歌」
作曲は村松崇継さん、作詞はMIYABI=竹内まりあさん。
昨年末、今年年明けに実施した私と浩子さんのデュオリサイタルでは、ヴィオラとピアノで演奏しました。
 今回、メリーオーケストラ第41回定期演奏会で演奏しよう!と決めてから、ホルン奏者で編曲のお仕事もされている音楽仲間、田中大地さんにいつものように(笑)アレンジをお願いしました。演奏会当日まで、すべての楽器が揃う事がないので、毎月一度の練習時にその場にいる楽器メンバーで、リズムと音の確認作業をし続けました。原曲=オリジナルの演奏が多数あります。
様々な歌手が歌う動画をたくさん見つけられます。
それぞれの歌手が、それぞれのアレンジで演奏しています。
ピアノをひきながら歌う人、ピアノと弦楽アンサンブルで歌う人など。
ただ、歌のない状態=インストゥルメントで演奏している動画はあまり見受けません。歌詞のすばらしさが先行しているのかな?いやいや!メロディーとハーモニーが素晴らしい!間奏も素敵な転調をしています。
 こうした「歌もの」と呼ばれる楽曲を、歌なしで演奏すると歌詞を知らなくても「美しさ」を感じる音楽があります。このいのちの歌もそのひとつです。

 

 こちらは、昨年末にヴィオラとピアノで演奏した「いのちの歌」に歌詞を入れた動画です。同じ曲、同じキー=フラット5つの調性ですが、オーケストラの演奏と全く違う味わいがあると思います。どちらが良い?のではなく、個性が違ってきます。
 オーケストラの特色は…
・音色が多彩=楽器の種類が多い
・音量の幅=小さい音と大きい音の差が大きい
・パート数が多いため、複雑な副旋律・対旋律を作れる
・アンサンブル=調和を取るために指揮者が必要
 などです。では?ヴィオラとピアノだと?
・旋律楽器=ヴィオラの繊細な音色・音量の変化が浮き立つ
・ピアノとヴィオラ2種類の音色で聴きやすい
・指揮者が不要
どちらが簡単…とも言えません。

 いずれの演奏も歌詞はありませんが、音だけを聴いていて感じる「風景」が、歌詞の内容を見事に表しているように感じます。
 器楽の演奏で「歌う」と言う言葉を使うことが良くあります。「歌うように弾く」は、歌詞を感じてひくこととは違います。もちろん、歌詞のある楽曲を楽器で演奏する際に、歌詞を思いながら演奏することもありますが。
 楽器を使って歌うとは、自分が自分の声=言葉で、相手に自分の意思を伝えようとする「ような」器楽演奏だと思っています。感情のない言葉や、意味のない声でしゃべっても、誰も魅力を感じないと思うのです。それは楽器で演奏する時も同じです。
 語りかけるように歌う
 訴えるように歌う
 喜びを歌う
 悲しみをこらえて歌う
ただ「歌う」と言っても様々なシーンがありますね。
楽器を演奏している時に感じる感情を、表現するのがテクニックです。
間違えずに演奏するのがテクニックだと思い込んでいる人がいますが、それは「メカニカル」です。機械のように正確に演奏できると言うのは、現代で考えれば「いくらでも機械で速く間違えずに何度でも演奏できるよ」と言う結末に落ちます。
 歌がなくても、詩の内容を知らなくても、美しい音楽を演奏することは可能だと思います。難しい「分析」や「歴史」を知らなくても、聴いた瞬間に鳥肌が立つような=弾きこまれるような演奏は出来るはずです。演奏者が自分の「感じたもの」を表現するテクニックさえあれば。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

日本に唯一のNPO法人オーケストラ

映像は、NPO(特定非営利活動)法人メリーオーケストラ第41回定期演奏会での「ダッタンの踊り」です。今回、初めて挑戦したボロディンの作品。壮大なスケールと圧倒的なエネルギーに満ちた音楽を、アマチュアの会員と音楽家の仲間たち総勢68名で演奏しています。
 演奏の細かい傷はあります。多くの原因はアマチュア会員の技術の限界と、当日の午前中1回だけのリハーサルで、午後に演奏会と言う条件によります。
もっと何回もリハーサルをすれば、もっと演奏のレベルが高くなるのは当然です。しかし、営利を目的としない「NPO」として、演奏会に係る費用、練習に係る費用のすべてを会員と賛助会員の負担で行っているので、これが限界です。
毎月一度の練習に集まる会員が、約半年間練習して当日を迎えます。
リハーサルで初めて全員が揃うことにも慣れました。当日にすべてのプログラムを2回ずつ演奏するわけで、体力的な負担も大変なものです。
 これまで20年間、積み重ねてきたのは演奏技術だけではありません。
何よりも「人との絆=人の輪」です。このメリーオーケストラにしかない、個性があります。

 ジュニアオーケストラではありません。大人のメンバーもいます。
一般のアマチュアオーケストラと違い、目的と活動内容は定款によって決まっています。オーケストラの収支や活動内容を毎年、役所に提出します。法人ですから法人税の対象となりますが、減免申請することで免除されています。税務署への申告も必要です。それら多くの「事務」をこなしながらの活動になります。

子供も大人も高齢者も、初心者もプロも、クラシック好きもジャズ好きも。
演歌も、ミュージカルも,J-POPも、クラシックも。
演奏する人と聴く人が、誰一人取り残されないコンサートです。
それぞれに特化したオーケストラがあります。
演奏技術の高さで考えるなら、プロオケよりうまく演奏できるはずがありません。
子供だけに限定すれば、大人は参加できません。
継続しないオーケストラなら「寄せ集め」で事は終わります。
営利を目的としたオーケストラではない事を公的に認められたオーケストラです。入場料を頂かないコンサートを継続するために、会員の会費と賛助会員の賛助会費で運営します。会員でない「プロ」たちに、謝礼をお支払いできない事情があります。それでも参加してくれるプロがいるのは、彼らが本当に音楽を愛し、子供たちと市民に音楽の楽しさを伝える「魂」を持っているからに相違ありません。そんな音楽仲間を心から尊敬します。

 日本で唯一無二の「NPO法人オーケストラ」は音楽業界に取り上げられることもありません。非営利という言葉が「偽善」に聞こえるのは無理もありません。
株式会社としてオーケストラを立ち上げたと言うニュースは話題になりますが、
演奏家の営利をいくら前面に押し出しても、日本の音楽文化は変わらないと考えています。

演奏家が演奏して、多くの人が聴きにくれる環境を作ることが何よりも先決です。文化はお金で買えません。人々が欲することが「文化」になるのです。需要のない娯楽、一時的な流行は文化として根付きません。
 オーケストラって面白いねと、子供でもわかるものでなければ、本当の文化だとは思いません。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

NPO法人メリーオーケストラ 理事長 野村謙介


アマチュアオーケストラの演奏技術とは?

 映像は、メリーオーケストラの演奏するオペラ座の怪人。
この音楽に限らず、ミュージカルや映画、ドラマなどのために作曲された音楽がたくさんあります。それらの映像を見たり、ストーリーを知っている人もいます。当然、見たことがない、ストーリーも知らないという人もいます。
 その人たちが同じ音楽を聴いて感じるものも違って当たり前です。
「この音楽はこんな場面の音楽」と言う関連を知らなくても音楽だけを聴いて、勝手に想像することができるのが「音楽」の楽しみでもあります。
 逆に言えば、音楽を聴く前にその音楽が使われたり、作られた「背景」を知ることで、新しいイメージが生まれて楽しめることもあります。
 どちらも「音楽の楽しみ方」として正しいと思っています。

 楽器を演奏する楽しさと難しさは、実際に演奏しなければ実感できないのは当たり前です。聴く楽しみとは違う次元の楽しさが体感できます。当然、演奏するための技術を身に着ける練習が必要です。練習して初めて、難しさと楽しさを実感できます。思っていたよりも難しいことを発見することもあります。
 独学で身に着けられる限界も、実際に練習してみなければわかりません。
練習して自分で納得できる演奏ができるまでの時間は、練習の質=内容で大きく変わります。練習方法は無限と言えるほど、たくさんあります。
 ある人が上達できた練習方法が、他の人にも効果的とは限りません。
一人一人の生活環境と目的によって、最適な練習方法を選んでくれる指導者が必要です。

 オーケストラで演奏するメンバーは、一人一人の演奏技術が違います。特に、アマチュアオーケストラの場合には、その差は「初心者」から「専門家レベル」まで様々です。プロオーケストラの場合は、オーディションに合格できる演奏技術を持っている人しか演奏していません。
 メリーオーケストラの場合、演奏会までの約6か月間、月に一度の合奏があるだけです。それ以外は各自が自分のペースで楽器の練習をします。言ってみれば「メンバー任せ」です。演奏技術が人によって違い、練習できる時間も千差万別、それでも一緒に演奏することに全員が「満足」できる充実感と達成感を維持する秘訣とは?

・演奏会での成功経験~達成感
・合奏練習で得られる連帯感~音楽仲間との交流
・必要で正しい演奏技術の指示~プロ演奏家による合奏指導
・お互いの環境を認めあう優しさ~練習意欲の喚起
・持続できる運営~資金面、指導体制の構築
これらは、私自身の経験に基づいています。
公立中学での穏やかで和やかな音楽部活動、師匠の門下生による合宿での合奏、音楽高校・音楽大学で学んだ専門的技術と合奏、プロのオーケストラででエキストラとして演奏した経験、20年間の中学・高校での教諭として勤務した経験、さらにメリーオーケストラを20年間育ててきた経験、自分が今も音楽に関わっていられる現実と過去、それらすべてが「アマチュアオーケストラの指導」につながっています。

 演奏している人が楽しんでいなければ、聴いている人が楽しいはずがありません。音楽は学ぶものではなく、感じるものです。だからこそ、演奏を楽しむための「スキル」が必要だと思っています。オーケストラは家族に例えられます。また、社会にもたとえられます。多くの楽器と、さらに多くの人が同じ音楽を演奏することは、一人で演奏することに比べて膨大な労力と準備が必要です。
家族が助け合うように、社会が支えあうように、オーケストラはお互いの演奏者を必要としています。誰か一人が書けただけでも、元気がなくなります。苦しみを共有できなければ、楽しみを共有することは出来ません。
 メリーオーケストラは、いつも新しい賛同者を待っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

手作りの味~退化する日本人

上の画像は2022年8月7日に実施する、NPO法人メリーオーケストラ第41回定期演奏会で使用したチラシ=ポスターの素材と出来上がったものです。
毎回のように、会員が手書きで書いてくれる素敵な「書」で作っています。
一文字でコンサートへの思いを表すのも、ずいぶん長く続いています。
パソコンで「行書体」などの様々なフォントを使えるようになった現代ですが、人が書く味わいのある文字は、見る人を惹きつけますね。

 スマホ、クラウド、コンピューター、デジタル、AIなどなど、私たちの生活は年々「機械化」されて「便利」になっている反面、人が手で作る暖かさも消えていく気がします。私(昭和35年生まれ)の場合、小学生の頃の記憶にある「機械」は、現代の若い人からは想像もできない「不便」なものです。
洗濯機は、手でハンドルを回して洗濯物を絞る「機械」が付いていました。
お米はお釜かお鍋で炊いたものを「ジャー」に入れていました。
温めなおす時には「蒸し器」を使っていました。テレビは白黒で、チャンネルもボリュームもテレビの前面についていて「リモコン」なんてありませんでした。
電話は「黒電話」当然、ダイヤルを指で回していました。
コピー機が出来たのは恐らく中学生頃です。それまで、楽譜は買ったものか手書きで写したものでした。
 そんな生活に不便さを感じることはありませんでした。当たり前だったのです。私の親世代、さらにその親世代の人たちにすれば「なんて便利になったんだ!」と思っていたはずです。
 生活が便利になるのは、良いことです。それは間違いありません。
ただ、その陰で人が「退化」していることも事実です。
運動機能が退化するだけではない気がします。
「感覚」も退化している気がしています。特に「人に感謝する気持ち」が退化していることを悲しく感じます。
 自動的に機械がやっている…と思い込めば、ありがとう!と言う言葉が消えていきます。料理も、書類も、音楽も「人が作っていない」と思えば感謝の気持ちは生まれません。とても恐ろしい気がします。

 生活する中で、不便に感じたり不満に感じることがあったとき、それを解決してくれるのは「人」です。不便や不満を解決するために「機械」を作っているのは人間です。ただ、実際に動くのは機械なのです。
 テレビに映っている人、ヘッドフォンから聴こえる音楽を演奏している人は、確かに私たちの眼の前にはいません。「仮想」の世界です。
 冷凍食品を作っている人がいます。味付けや食感を研究している人がいます。
でも電子レンジに入れて「チン」で料理が出来上がります。
 いずれ、テレビに映る人、演奏する人、料理を作る人が「ロボット」になる時代が来ます。見る、聴く、食べるのが「人」になる時代です。それが進むと、その人さえ「ロボット=機械」になる時代が来ると思いませんか?
 機械が機械を作る技術は、すでにあります。今は人間が「指示」を出していますが、やがて機械が支持を出す時代が来るはずです。
 生物としての人が感じる、喜びや悲しみは機械には不要です。
感情が退化することが、人類の終わりを意味していると思います。
便利の陰に隠されている「ありがとう」の気持ち。
忘れたくないですね。
最期までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

 

10代のオーケストラと40歳の顧問・指揮者のエネルギー

 2001年3月、横浜みなちみらい大ホールでの演奏。
中学生・高校生のオーケストラ(ハープだけはプロ)の演奏です。
パイプオルガンも当時高校生。指揮をしている私が40歳。
 演奏の技術、オーケストラの完成度以前に「エネルギー」がハンパないです。
このホールで演奏会を開いて2回目でした。子供たちが生き生きと演奏している姿。指揮者がぐいぐい笑引っ張る「むちゃぶりしています。
 今、振ったら楽をすることを考えそうです。子供たちの「テンション」を上げ続けることが顧問としての第一の仕事。学校の反対を理論でねじ伏せ、客席を満席にすることを条件に開く演奏会なって、どこかおかしいですね(笑)会場には、紺離職はおろか、顧問以外の教員は一人も顔を見せず「そこまで嫌うか?」
 若い人の持つ「情熱」は、どんな技術にも勝ります。
今は今で「楽しむ」技を覚えた私です。この生徒たちも今は「おじさん・おばさん」の仲間です。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

日常生活と音楽と

 映像は我が家の姫「ぷりん」トンキニーズ、女の子、7歳です。
子供のころから{犬派」だったのですが、7年前に出会った瞬間から猫派に寝返りました。すみません。あ、でも、いまでも犬大好きです。

 と言うお話ではなく(笑)、今回のテーマは「音楽」と、生きているすべての人の生活とのかかわりです。
 まったく同じ生活を送る「日」はありません。また、自分とまったく同じ生活を送る人もいません。「似たような生活」になることがあります、たとえばケガや病気で入院したとき、同じ病室にいる患者さんの生活は、起きる時間から食べる時間、寝る時間までが同じです。その人でも、退院すればまた「日常生活」に戻るのです。
 人それぞれに、日々それぞれに、違った生活をするのが、私たち人間です。

 音楽を演奏することを職業とする人の「日常生活」とは?
その人の、音楽との関わり方と、生計の立て方によって大きく違います。
プロのオーケストラで演奏する「正規団員」の場合でも、給与だけで生活できる人とアルバイト=副収入がないと生活できない人がいるのが日本の現状です。多くは後者です。
 ソリストと呼ばれる、ごく一部の演奏家の場合の年収も人によって大きく違います。ただ、オーケストラの団員とは比べ物にならない年収です。
 オーケストラメンバーの場合、多くはほぼ毎日「出勤」して練習か演奏会で日々の生活を終えます。サラリーマンと変わりません。
 ソリストの場合、演奏会の頻度にもよりますが、世界中で演奏するソリストの場合、移動移動の繰り返しに多くの時間を割くようです。移動した先で、練習する時間も限られ、すぐに演奏会。終わればすぐに移動。体力勝負ですね。
 音楽大学で学生を指導する「先生」の場合、会議などの「校務」も含めて学校からの給与で生計を立てられる人と、その他の副収入がないと生活できない人がいますが、多くは後者です。「教授」であれば恐らく前者ですが、大学でレッスンをする人の多くは「講師」つまり教授と言う肩書ではない人がほとんどと言っても過言ではありません。
 

 私の場合は「会社経営」で生計を立てていますが、これを音楽家と言えるか?については自分なりに疑問も感じますが、気持ちとしては間違いなく「音楽」で生きているつもりです。
 フリーランスの演奏家の場合、収入は不安定になる人がほとんどです。コロナの影響で生活が苦しくなり、音楽以外の仕事で生計を立てているフリーの音楽家が日本中にいます。それを放置している「日本の政府」が世界の中で最低の政府であることは言うまでもありません。

 アマチュア、つまり趣味で楽器を演奏する人にとっての日常生活。
これもひとそれぞれ、全くと言っていいほどに違います。生活のために必要なお金を得るために「働く」人もいます。家庭で家族を支える「仕事」をする人もいます。働きたくても事情があり、働けずに家や施設で暮らす人もいます。
 そんな中で楽器を演奏する楽しみを持つ人を、私は心から尊敬しています。

 プロでもアマチュアでも、どんな生活にしてもその人が望んだ生活とは限りません。他人の生活がうらやましく感じられるのも珍しい事ではありません。他人の生活をすべて知っている人はいません。自分の生活「だけ」が基準になります。日々の生活に「満足感」「幸福感」「充実感」を感じられるか?と言うのも、自分だけの基準で感じるものなのです。他人と比べられるものでは絶対にありません。
 音楽と言う「楽しみ」を生活のコア=核にすることは、どんな生活をしていたとしてもできることです。
 生活の「時間の中心」つまり、一日24時間、一週間、一か月という単位の中で音楽に関われる「時間」だけを考えれば、ほとんどの人は、ごく一部のはずです。週に1日、1時間だけ楽器を演奏できる人にとって、その1時間の楽しみが「生活のコア」であっても不思議ではありません。
 その1時間以外の時間に楽器を演奏できないからこそ、楽しめる1時間。
それまでの時間を「楽しみ」のために使う時間だと考えられれば、音楽がその人にとって、何物にも代えられない「中心」になるはずですよね。
 時間だけが生活の中心ではないと思っています。先述の通り、生活の基準は人によって違います。どこにも「平均」はありませんし、幸福感の「ボーダーライン」もありません。すべては個人の「考え方」で決まります。

 現実に自分が少しでも、一時間でも楽器に触れていたい、音楽に関わっていたいと思う気持ちは、音楽家の誇りでもあり「証」でもあります。それができない生活だからと言って、自分が音楽から離れるのは「逃げ」だと思います。
私自身は20年間、ヴァイオリンから遠ざかりました。ほとんど楽器のケースも開けませんでした。日々の生活は「サラリーマン」として生き、家族を支えることに徹しました。その期間にもしも「ヴァイオリンを弾きたい!」と思っていたら退職していたか?おそらく生活のために、現実的には「住宅ローンのために」やめられなかったと思います。その20年間、自分の楽器から遠ざかっている間は「ただ家族のため」に生きました。そして今。
 ぷりんと浩子という、二人の姫と共に暮らす人生の「コア」には音楽があります。お金もない、時間も体力もない、健康に不安もある生活ですが「音楽」が人生の「ど真ん中」にあることだけは疑いません。それが他人からどう?見えるかは関係のないことです。音楽に関わって、家族と暮らせれば満足です!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ヴァイオリンと弓を持って歩く時

 ヴァイオリンと弓をを手に持って、舞台に上がる時、あるいはホールの中で移動する時に、「楽器を守る持ち方」を教えてくれない先生が多すぎる!その先生に習った生徒が先生になって生徒に、正しい楽器の持ち方を教えられない!
 今日、レッスンに来た生徒が、通っている学校の部活オーケストラで、指導者に「どうやって、楽器を持ってステージに出るの?」と聞かれ、生徒が私が教えた「正しく楽器を保護する持ち方=上の写真」を示したところ「ずいぶん、えらそうな持ち方だね」と嫌味を言われ「間違ったアホの典型の持ち方」を指導されたと言います。下の写真がその「アホの持ち方」です。楽器と弓をぶら下げて歩く「アホの図。 

ヴァイオリン、ヴィオラと弓を持って「歩く」ことが、どれだけ危険な事か知らない人間は、ヴァイオリンなんぞ教える資格はありません!恥を知りなさい! 
 舞台に出る時に、他のメンバーが「悪気なく」楽器にぶつかったら?
ぶつかった人の責任は「ゼロ」です。ぶつかって壊れる持ち方をしていた人間の「過失」が100パーセントです。これ、保険の常識です。保険以前に「ヴァイオリン弾きの常識」です! 
 弓を「だらん」とぶら下げて歩いて、もしも自分の脚に絡んだら?折れるに決まってますよね?他人の脚にからんでも、折れます!弓は折れたら「全損」という事も知らない人間は、弓を持つ資格なし! 
 「知らなかった指導者」は、今日から生徒に正しい持ち歩き方を教えるべきです。。それが指導者の「責任」です。 現実にあった「事故」を紹介します。

 私が高校生の頃に、門下生発表会で銀座ヤマハホールで、出演前に、舞台裏で人が一人通れるほどの、幅の狭い階段を上がったところにある小さな部屋で音だしをしていました。その後、演奏の時間が近づいたので、その部屋から私は楽器と弓を持ち、階段を下りて踊り場で折り返し、さらに下りようとした、その瞬間に…
 同期の女の子が舞台で演奏を終えて、ヴァイオリンを身体の前に持つ形で、階段を上がってきていました。おそらくドレスで階段を上がりにくかったのでしょう。曲がり角で、お互いに「死角」でした。私の脚の「ヒザ」とその女の子のヴァイオリン表板が、不幸にして、まともに激突しました。その子のヴァイオリンは表板が割れ、駒も割れました。お互いに、どれだけショックだったか、想像していただけますか?いくら私が謝っても、澄む問題ではありません。その子の涙を一生、忘れることはできません。 
 もし、あの時に楽器を右手でかばって、上がってきてくれていたら…でも、それは現実に起きてしまいました。 

 私の生徒たちには、発表会で「数歩」歩くだけの時でも、正しい楽器の持ち方で歩かせます。それが習慣になり、当たり前にならなければ楽器を守れません。「えらそうな持ちか方」と言った人が、どのようなヴァイオリンをお持ちのかたか存じませんが、1万円のヴァイオリンでも右手の腕で駒の部分をかばって歩くのが「当たり前です。写真に「アホがヴァイオリンを持つ図」を2枚。正しい持ち方を一枚。その時の右腕と駒部分のアップを一枚、載せます。どうか!学校でもレッスンでも、生徒に楽器を守ることを第一に教えて下さい。私は、この持ち方を自分の楽器を手にした時に、職人さんに一度だけ言われました。それで覚えました。覚えられないなら、ヴァイオリンはやめるべきです。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

オーケストラ演奏会は準備の結晶

 上の図はNPO法人メリーオーケストラ第41回定期演奏会の舞台設営図。
指揮者を含め、71名の演奏者が演奏に参加します。その他にも、受付・客席ドア係(非常誘導)・舞台ドア係などのスタッフが10名ほど、演奏会を支えてくれます。今回の配置は「対向配置」ファースト・セカンドのヴァイオリンが、舞台の左右に分かれ、向き合う形で演奏します。メリーオーケストラ定期演奏会を、第1回から20年間、使用し続けている「杜のホール はしもと」の舞台は、この編成で狭く感じるホールではないのですが、感染対策と「チェンバロ」「パイプオルガン」「ハープ」「ピアノ」の音を一台で演奏できる電子ピアノを背理する必要があり、ドラムセットも使用するため舞台上には、隅から隅まで(笑)演奏者と楽器があります。この舞台図は「イラストレーター」と言うソフトで自作したものです。

 アマチュアやプロのオーケストラがたくさんありますね。素晴らしいことだと思います。それぞれのオーケストラに個性があります。演奏する曲の「志向性」もあります。当然、規模も様々です。
 自分で立ち上げ育てた「スクールオーケストラ」のメンバーが150名になった頃、全員が演奏できる舞台を持つホールは、限定されていました。その巨大オーケストラの練習と運営、演奏会の準備をほぼ、一人で行なっていた経験が今に至っています。違うとすれば、学校と言う場所には印刷、製本、裁断などの「機械」が揃っていました。メンバーが多かったので、楽器の量も4トントラックにやっと積み込める量でした。さすがに運転は業者にお願いしました。楽器の移動は、生徒たちがテキパキと全員がスタッフになって動いていました。よほど、指揮者が怖い人だったか「聖人」だったかどちらかですね。←いまさら言うか。

 オーケストラの演奏は、弦楽器・木管楽器・金管楽器・打楽器・鍵盤楽器のすべてが含まれる「合奏形態」でおこなわれます。それらすべての種類の楽器を使う「曲」はあまり多くありません。
 例えば、トロンボーンが編成に含まれていない曲も多くあります。
チューバの場合、さらに少なくなります。ハープも編成に書かれていない曲の方が多いですね。ちなみに、かの有名な(笑)「ピアノ」はピアノコンチェルト以外で合奏に含まれる曲は、クラシックと呼ばれる音楽には数曲しかありませn。
映画音楽やポピュラーの場合には、意図的に作曲者がピアノを含める場合がよくあります。

 毎回、演奏する曲を考える際に必要になるメンバーと楽器を考えます。
決めた曲の楽譜が手に入らない場合には、プロの編曲者にメリーオーケストラの編成と技術レベルに合わせて編曲をお願いします。
賛助会員への案内はがきの作成、楽譜を印刷し、当日のリハーサルから参加される仲間の楽譜も用意します。
広報のためのポスターを手作り。前日の舞台設営の準備。
当日の打楽器移動の人員配置、タイムテーブルの作成、配布するプログラムをイラストレーターで作成し印刷、お弁当の手配、演奏会後の撤収の計画等々。
41回目の同じ会場でのコンサートとは言え、まったく同じメンバー・同じプログラムの演奏会は二度はありません。すべてが「初めて」の繰り返しです。
 リハーサルが無事に終わるまでが私の仕事です。この繰り返しにいつか?幕を下ろすとしたら、相当に前から計画することになるのか?それとも、突然「おしまい」になるのか?誰にもわかりません!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト・事務員 野村謙介

1(単音)+1(単音)=∞(重音)

 映像は、ドボルザーク作曲、クライスラー編曲の「スラブ舞曲第2番」です。
和音の定義は「二つ以上の異なった高さの音が同時に鳴った時の響き」です。
「ドミソ」や「ドファラ」のようにきれいに響く和音に限らず、半音違う高さの音が二つの音が鳴っていれば「和音」です。同時に発音しなくても=途中から重なって二つになっても、和音です。
言い方を変えれば、同じ高さの音がいくつなっていても、和音ではありません。

 ヴァイオリンの演奏技法のひとつに、この和音を演奏する技法があります。
「重音」と言う言い方をすることがあるのですが、先述の通り「同じ高さの2音」を同時に演奏しても和音ではないので、ヴァイオリンの開放弦と同じ高さの音を「左側の弦」で、開放弦と一緒に演奏する場合「和音」ではなく「重音」と言うのがふさわしいのかな?と私は思っています。2本の弦で同じ高さの音を演奏すると、明らかに1本の時とは違った音色になります。
 さらに厳密な事を言えば、1本の弦を演奏している時にでも、他の3本の弦が共振していますから、音量の差が大きいものの、常に「和音」を演奏している事にもなります。

 さて、私も含め多くのヴァイオリンを練習する生徒さんがこの「重音」の演奏に苦労します。
ピアニストが同時に4つ、時には5つ以上の和音を連続して演奏する「超能力」は凡人のヴァイオリニスト・ヴィオリストにはありません。
 たかが!二つの音を続けて演奏するだけなのに、どうして?難しいのでしょうか?ピアニスト、管楽器奏者、指揮者にも知って頂ければ、救われる気がします笑。

・弓の毛が常に2本の弦に、同じ圧力で「触れる」傾斜と圧力を維持すること。
・左手の指が「隣の弦」に触れないように押さえること。
・2つの音の高さを聴き分ける技術と、和音の響き=音程を判断する技術。
・連続した和音の「横=旋律」と「縦=和音の音程」を同時に判断する技術。
・ピアノの「和音」とヴァイオリンのピッチを合わせること。
・指使い=同時に弾く2本の弦の選択を考えること。
・重音でのビブラートを美しく響かせる技術。
その他にも、片方の弦を鳴らし続け、もう一方の弦を「断続的に弾く」場合など、さらに難しい技術が必要になる場合もあります。

 特に私が難しいと感じるのは、2本の弦を同時に演奏したときの「和音の音色」が単音の時と、まったく違う音色になる「不安」です。
特に、一人で練習して「あっている」と思う音程=響きが、ピアノと一緒に演奏したときに「全然あっていない」と感じる落ち込み(涙)
 生徒さんの「和音のピッチ」を修正する時にも、「上の音が高い」とか「下の音を下げて」とか笑。生徒さんにしても頭がこんがらがります。
初めて重音を演奏する生徒さんの多くが、弓を強く弦に押し付けて=圧力を必要以上にかけて、2本の弦を演奏しようとします。理由は簡単です。そうすれば、多少弓の傾斜が「ずれても」かろうじて2本の弦に弓の毛が触る=音が出るからです。弓の毛は柔らかいので、曲がります。特に、弓の中央部分に近い場所は、弓の毛の張り=テンションが弱いので、すぐに曲がります。ただ、この部分は弓の毛と、弓の棒=スティックの「隙間」が最も少ないのが正しく、無理に圧力をかけられません。初心者の多くが「弓の毛を張り過ぎる」原因が、ここにもあります。張れば張るほど、弓の持つ「機能=良さ」が失われることを忘れてはいけません。弓を押し付けなくても=小さな音量でも、重音をひき続けられる技術を練習することが必須です。

・弓を張り過ぎず、2本の弦を全弓で同じ音量で演奏する練習。
・調弦を正確にする技術。
・右隣の開放弦と左側の「1」の指で完全4度を演奏する。
・右側の開放弦と同じ高さ=完全一度の音を左側の弦で探す。
・左側の開放弦と右隣「3」の指でオクターブを見つける。
・左側の弦を2、右側の弦を1で完全4度を見つける。
・左側の弦を3、右側の弦を2で完全4度を見つける。
・右開放弦と左0→1→2→3→4の重音を演奏する。

・左開放弦と右0→1→2→3→4の重音を演奏する。
上記の練習方法は、音階で重音を練習する前の段階で、「重音に慣れる」ためにお勧めする練習方法です。
ご存知のように、1度・8度、4度・5度の音程は「完全系」と呼ばれる音程=音と音の距離です。
・空気の振動数が「1:1」なら同じ高さの音=完全1度です。
・空気の振動数が「1:2」なら1オクターブ=完全8度です。
・空気の振動数が「2:3」なら完全5度=調弦の音程です。
・空気の振動数が「3:4」なら完全4度です。
それ以外の2度、3度、6度、7度の音程に関しては、何よりも「ピアノと溶ける和音」を目指して練習することをお勧めします。
厳密に言えば、ピアノと完全に同じ高さの音で演奏し続けようとするのなら、調弦の段階で、A戦以外の開放弦は「ピアノに合わせる」ことをすすめます。
特にAから一番近い開放弦「G」の開放弦を、ヴァイオリンが「完全5度」で調弦すればピアノより「低くなる」のは当たり前なのです。
 メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲第1楽章などで、全音符以上の長さで「G線の開放弦」を演奏する曲を、ピアノと一緒に演奏するのであれば、予め調弦の段階で、ピアノの「G」に合わせておくべきです。オーケストラと一緒に演奏するなら完全5度で調弦すべきです。

 偉そうに(笑)書き連ねましたが、実際に重音を演奏するのがへたくそな私です。もとより、絶対音感のない私が、2つの音のどちらか一方の高さを「見失う」状態になれば、両方の音が両方とも!ずれてしまうことになります。
単音で演奏している時には、その他の弦の開放弦の「共振」を聴きながら音色でピッチを判断できますが、2本の弦を演奏すると音色が変わり、その共振も変わる=少なくなるために、より正確なピッチを見つけにくくなります。
 ピアノと一緒に練習することで、少しずつ正確な「和音」に近付けるように、頑張って練習しましょう!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

演奏の楽しみ方、色々

 映像は、今から20年前の2002年、1月14日におこなったメリーオーケストラ第1回定期演奏会の様子です。モーツァルトのディベルティメントニ長調。
小学生の会員とプロの演奏者が同じステージで「一緒に」音楽を楽しみました。
楽器の演奏を楽しむ人は、世界中にたくさんいます。
それらの人たちが演奏する楽器も様々です。どんな楽器でも演奏を楽しめます。
手軽に持ち歩ける楽器ハーモニカやオカリナから、パイプオルガンまで大きさも様々です。一人で和音を演奏できるピアノやオルガン、ギターやハープもあれば、一人では和音を演奏できないフルートやトランペット。限られた「重音」が演奏できるヴァイオリンやチェロ。本当に楽器の特徴も様々です。

★楽器を演奏すること「そのこと」が好きな人もいます。
極端に言えば、曲が演奏できなくても「音を出すことが好き」と言う人も立派ンアマチュア演奏家です。
★自分の好きな音楽を演奏することを楽しむ人もいます。
ジャズやポップス、クラシックなどどんな音楽でも立派な音楽です。
★一人で楽器を演奏することが好きな人もたくさんいます。
生活の中で楽器を演奏できる時間は、限られています。自分の好きな時間に自宅で一人、楽器を演奏することが、最も現実的なことです。
★誰かと一緒に楽器を演奏する「楽しさ」を知った人の多くは、「一緒に演奏する」友達ができます。もちろん、気の合わない人と一緒に演奏するのは楽しい事ではありません。楽器をひくのは好きでも人間関係が煩わしくなることも、残念ですが、稀にあります。
★プロでもアマチュアでも音楽の多くは、誰かと一緒に演奏されるものです。
言い換えれば、一人だけの演奏より数もジャンルも楽しみ方も、誰かと演奏するほうが圧倒的に「楽しみが広がる」と思います。

「人と一緒に演奏する技術なんてありません」と仰る生徒さんがたくさんいます。気持ちは理解できます。確かに、自分以外の演奏を聴きながら演奏する「技術」には何よりも慣れが必要です。慣れるためには「技術」より「決意」が必要ですよね。
 メリーオーケストラ会員=メンバーのほとんどは、楽器演奏の初心者です。「まさか!と思われそうですが事実です。会員の中には、若いころ(笑)部活動で吹奏楽を経験した人や、他の団体を辞めて参加している人も数人います。
では、どんな技術があれば?オーケストラで演奏を楽しめるのか?という話です。
1.楽譜の「ドレミ」と「音符の意味」を少しでも理解できること
2.自宅で練習できること
以上です。本当に!
楽譜を音にする技術を身に着けるためには、何よりも「自分を追い込む」練習を繰り返すしかありません。それを、自宅で繰り返すことで、合奏に参加して楽器を演奏することができるようになります。当然、始めのうちは、楽譜を目で追いかけるのが精いっぱいか、どこを演奏しているのか?迷子になるのが普通です。
 一人で演奏して楽しむ人=ひとり演奏者の多くは、楽譜を覚えることより、自分の知っている音楽を演奏したいですよね?早い話「主役」である「主旋律」だけを演奏するのが「ひとり演奏」です。
 一方で誰かと一緒に演奏する場合、自分が演奏する音楽が相手の「支え=副旋律」を演奏することも必要になります。覚えにくいメロディーの場合もありますし、CDや動画を聴いても「聴きとれない」場合もあります。一緒に演奏する人が全員ん、同じ旋律を演奏することを「ユニゾン=斉唱(奏)」と言います。「校歌斉唱!」でみんなが同じ旋律を歌った記憶がありませんか?「二部合唱」の場合、二つの声部が同じ旋律を歌ってしまえば「斉唱」ですから、違う旋律を「時々」歌うのが一般的な二部合唱です。

 自分の演奏する音楽と、同時に誰かが演奏する音楽が「ひとつの音楽」になる。それを「特別な音楽」と思い込むのは、楽器は一人で演奏するものだと思い込んでいる人の勘違いです。
 私たちが生活していて耳にする音楽は、ほぼ100パーセント「複数の人が演奏している音楽」です。オーケストラやクラシックを聴かない人でも、「一人だけで演奏している音楽」ばかりを聴く人がいるとしたら、かなりのマニアです笑。
 J-POP、映画音楽、ゲーム音楽(複数の音色が同時に鳴っています)、ドラマやニュースのテーマ音楽、コマーシャルなどなど…無意識に聴いている音楽は、いくつもの声部=旋律が同時に演奏されている音楽です。人間が演奏していない音楽もありますが、今は「演奏する楽しみ」がテーマですので割愛します。
 ある時は主旋律を演奏し、ある時は誰かと一緒に主旋律を、ある時は副旋律を、ある時はリズムを、ある時は「休符」で他の演奏者を目立たせる…などなど、それが「合奏」の楽しみです。
 合奏するためには、誰かと交流することが不可欠です。それが「苦手」な人もいて当然です。無理に…とは思いませんが、音楽をもっと!楽しみたいと言う気持ちと「苦手だなぁ」と言う気持ちを天秤にかけて、よしっ!音楽だ!と決意するのも「あなた自身」なのです!
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介