メリーミュージックブログ

演奏家夫婦が優しく丁寧に指導

TEL.042-782-1922

※原宿南教室〒252-0103
神奈川県相模原市緑区原宿南2-26-1

演奏の技術

差別に反対します。

私たちが耳にする音楽。演奏する人が「何人」だとか作曲者が「どこの国の人」だとかで好き嫌いを考える人がいるとしたら…気の毒な人だと素直に思います。
「日本(人)が一番だ」「外国人は嫌いだ」と決めつける人が聴いている音楽のほぼすべては、昔のヨーロッパに住む「外国人」が考え作られた理論に基づいて作られています。そもそも「人間」を国籍や肌の色、話す言語で差別し優劣を付けること自体が「愚かな人間」「歴史を学べない知能程度」だと私は感じます。
日本だけでなく世界を「地球の歴史」だと考える知能がある人なら理解できると思いますが、元々地球には巨大な大陸が「ひとつ」あって、地殻の変動で現在の地球=地理になりました。人類の誕生も科学的な研究を「事実」として認識できる人なら「差別」「区別」が如何にばからしい事なのかを理解できるはずです。
人間は過去も現代も「戦争」を繰り返します。人間が人間を殺しあう行為が戦争です。
戦争は自然現象で起こるものではないことも小学校低学年程度の学習能力があればわかります。どんな戦争もごく少数の人間が「火種」を作り多くの人を騙しながら「戦争」に発展します。戦争が終わって、振り返ることの出来ない人は人間としての知性の欠如した人間です。史実を認めない人は「妄想」「幻想」の世界に浸ることが生きがいなのだと思います。
今、日本で巻き起こっている「〇〇ファースト」ブーム。お粗末な話です。
自分の考えを押し通すために「嘘」と知りながら他人を貶める行為は、もはや人間以外の「けだもの」以下の知能だと感じます。野生の動物は無意味に他の生き物を殺しません。自分が生きるために最低限必要な行為として自分より弱い生き物を食料にします。戦争で他国、自国民を殺傷する人間はどんな生物より下等な存在です。
もし、音楽を「愛する」と感じる人であれば、愛する自由があることを知るべきです。
愛することを他人に強要し「愛さないこと」「憎むこと」も他人に求めるのは、明らかに人間としての「知性」「理性」がない人間だと思います。

どんな人間にも等しい自由があるのが「平和」です。一握りの人間だけが正しいという発想は自滅行為です。他人を見下す人は相手からも見下されて当然です。他人の自由を奪うことに疑問を感じない人は自分の自由を奪われても何も言えないはずです。
「選ばれた」人間が他人を傷つけたり差別したり自由を奪う「権利」はありません。
小学校の学級委員が「明日からみんな僕の奴隷だぞ」と同じレベルです。
私は何よりも「自由に生きたい」と願っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

演奏技術と演奏能力

一般的に技術は「何かを成し遂げる=創り上げる」ために必要な力と言われます。
音楽で言えば演奏者がある曲を表現=演奏しようとするのに必要な技…と言えます。
技さえ身に付けることができれば、表現能力を高められるのか?と言う問題です。
つまり「技術がなければ表現できない」前提で必要な技術は、表現しようとする物=音楽がなければ無意味だという事です。
速く走りたいと思わない人に速く走る技術は不要なのです。
さらに言えば表現したい音楽は、「知性」と「感受性」で出来上がる音楽が大きく変わります。
技術と知性・感受性のバランスこそが大切だと考えています。

技術はあるレベルまでであれば人から習う・教わる事ができます。
知性もある程度は人から学べます。義務教育レベルの理解力があり日々の様々な場面で「学び取る」意識があれば知力は必然的に増えます。演奏に必要な知識も当然ですが学ぶことができます。学ぶ意志があれば…ですが。
「感受性」は感性とも言えます。人によって育つ環境や生活環境が違えば感性にも違いが出ます。同じ環境で育った子供でも異なった感性を持ちます。環境だけではなく、科学的に説明しがたい「脳の働き」の一つだと思います。同じ演奏を聴いて感じるものが違う。同じ料理を食べて美味しいと感じる人と美味しくないと感じる人がいる。これが感性の違いです。
感性は技術のように習う事ができません。育てる方法も実際にはありません。「感受性を高める教育」なんて現実には存在しません。教える側の感性を子供に押し付けるのが「教育」だと思い違いしている人がいます。

音楽を演奏する人にとって知識と技術を修得することが必須であることは誰にでも理解できます。しかし「感受性・感性」が豊かであることの重要性はわかっていても「教えられない」からなのか、軽視される傾向があります。
当然のことですが技術の優劣は機械的に判断できます。正しいピッチ、正しいリズムで演奏できる・できないをAIが判断することも可能です。「カラオケ点数」はAIができる前からありましたね。より速いテンポで正確に演奏できれば「優秀」だと言えます。
感性…音楽では一般的に「音楽性」とか「表現力」と言われますが、これの序列は不可能です。正解がないからです。間違いもないのです。人が変われば表現したい音楽が変わるのです。指導者の感性を生徒・弟子に感じてもらうのは必要なことです。極端に言えば「先生の真似をする」過程もあって当然です。生徒が先生の演奏=音楽性に違和感を感じられるのは成長です。

最後に「能力」つまり音楽の表現力を高めたいと願うのであれば、何を大切にすべきなのか?と言う問題について考えます。
これまで学校、プライベートでレッスン、メリーオーケストラの指導を通じて感じてきた表現の能力の「違い」をまとめます。
☆技術と知性(学習能力)・感受性はすべて比例する
☆表現意欲が高い人は技術・知性が後からでも修得できる
☆いずれかの要素に否定的な人は表現能力が低い
☆他人が教えられない感受性は幼少期から抜きんでている
☆言語化能力が低い=語彙が少ない人は感受性も低い
☆他人に過剰反応する人は技術の習得は早いが感受性は伸びない。

☆技術の優劣に固執する人は感性が乏しい
上記はもちろん私の個人的な印象です。違っていても当然です。
教わる人も教える人も、お互いを信頼できる関係だあることが何よりも大切だと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

演奏とパフォーマンス

動画はNPO法人メリーオーケストラの定期演奏会映像。子供たちが手作りの「コスプレ」をしながらヴァイオリンを暗譜で演奏しています。
「学芸会じゃないんだから」と批判的な意見もあるかも知れませんが、音楽に対する姿勢は見た目だけで判断するべきではないのです。練習に6か月間の期間をかけて楽譜を見ないで弾けるまで子供たちが練習します。初心者の子供が演奏できて、聴いていて違和感のないオリジナルのアレンジをしています。来場されたお客様が楽しんで笑顔になる。子供たちの演奏に惜しみのない拍手を送る。その喝采を受けた子供が達成感と同時に音楽の楽しさを体感すると言う連鎖が生まれます。

音楽を演奏する時、楽譜を元に「音」を第一に考える一面と、曲の組み合わせや音楽の解釈=弾き方を考える一面、さらに曲のアレンジを新たに考えて演奏するケースや、コンサートやライブでの「演出=パフォーマンス」を考える場合があります。
当然「音楽」が一義的に重要です。その他の要素、例えばプログラム構成や楽譜=アレンジの選択、コンサートでの演出は演奏と比較すれば重要度は低いと言えます。

音楽に演奏以外の要素は不要と言う考え方もあります。
しかし、厳密に言えばクラシック音楽を楽譜の通りに演奏する場合でも一音ずつ「音へのこだわり」があります。楽譜に書かれていない「音色」や微細な強弱の付け方を、演奏者の解釈で自由に表現できる範囲があります。これも一種の「演出」と言えます。

演奏を録音しCDなどに記録する場合に「電気的な処理」が不可欠です。
どんな録音方法であっても空気の振動=音を電気信号に変換しない限り、録音はできません。アナログ、デジタルの問題以前の事です。
処理の過程で音量や音色が変化するのは避けられない事実です。
録音会場で聴こえていた音をそのままに録音、再生することは先端技術を持ってしても不可能です。言い換えれば録音・再生される音楽は「別物」だと言えます。
その電気処理でも「演出」があります。音を創るエンジニアの技術と編集・加工の現場で決定権を持つ人の「好み」で生の演奏とは違う音楽が出来上がるのが現実です。CDやYouTubeの演奏に対して「〇〇さんのヴァイオリンは音が小さい」とか「音色が固すぎる」と言う論評は演奏者へ向けたものではなく、電気的に音を処理した「影の人」への言葉なのです。決して演奏者の問題ではありません。

実際に演奏する音をマイクやスピーカーを通さずに「生=アコースティック」で聴く演奏会の場合には演出は不要でしょうか?
例えば舞台の照明と客席の明るさも一つの演出です。
また細かいことで言えば空調=室温も一種の演出です。
クラシックのコンサートで必要以上の演出はむしろ違和感がありますが、
演奏者のトークが不要だという考え方と、あっても良いと言う意見もあります。前者の意見の人もアンコールの前には演奏者の「一言」があるのは許せると言うケースが多いのも事実です。
この問題は当然、演奏者側の考え方で決まる問題です。
トークが「苦手」と言う人は当然演奏だけで終始するでしょう。
お客様との一体感やコミュニケーションを持ちたいと考える人は、曲間にトークを入れるかも知れません。当然、聴く人の好みがわかれますが、私の感じるお客様がクラシックコンサートに抱く印象の中に「怖い顔をして演奏し続けて一言もしゃべらずに終わる」のがクラシックだと思っている人が多いように感じます。音楽だけを聴きに来た人にとってトークは無駄な時間です。
どちらが正しい?と言う答えはありません。
どちらにも一長一短あることは事実です。

最後に演奏会に来場者が期待することについて考えます。
前提として事前に「演奏者」がわかっている事は当然ですね。
一人だけの演奏なのか?二人なのか、ゲスト演奏者がいるのか、オーケストラなのかなども事前に告知されているケースがほとんどです。
演奏曲目がすべて(アンコールを除き)告知されている場合もありますが、ポピュラーのライブのように「当日のお楽しみ」と言う告知の仕方もあります。
演奏の合間のトーク、演奏時間、休憩、椅子の固さなどは当日にならないとわからないのが一般的です。これも聴く人によって印象が変わります。
演奏会に何を期待して行くのか=来るのか?
音楽を聴きに。それは当然です。それだけでしょうか?
聴くだけなら自宅でも外出先でも移動中でも音楽は聴けます。
好みのイヤホンやヘッドホンで、好きな曲を好きな演奏者の録音で聴けばむしろ「音」はそちらの方が好みに近いでしょう。交通費もかからず、時間も必要ありません。入場料もいりません。
演奏会・ライブで「しか」味わえない楽しみや感動とは?
一つには「来場者同士の一体感」があります。
さらに録音物にはない「緊張感」かも知れません。CDに録音された演奏は、100回聞いても変わりません。生の演奏は「一度きり」の出会いです。
自分の好きな演奏ではない演奏になるかも知れません。期待を超える感動を味わえるかもしれません。聴いてみなければ感動は得られません。もしかすると不満だけが残るかも知れませんが…。その「わくわく感」と「ドキドキ感」が生演奏を聴く楽しみでもあります。
演奏する側から考えれば、聴く人が不快に感じない環境を準備することが先決です。会場の温度も照明も大切な「おもてなし」の一つです。
自分のできる最大限の準備をしてお客様を迎える気持ちこそがすべてだと思います。期待に応えられない「かも知れない」のは事実ですから準備は大切です。
パフォーマンスは「コスト」と関連します。つまり聴く人の「満足度」は演奏会のすべてのパフォーマンスによって決まると言えます。演奏だけがすべてではないと私は確信しています。
最後までお読みいただきありがとうございました

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介。

「美しい音」と音の三要素

動画はヴァイオリンとピアノで演奏した「ふるさと」
どんな音楽でも「音」が使われます。当たり前ですが…。
「音の三要素」は一般的に以下の三つを言います。
1.音の大きさ
2.音の高さ
3.音色
これを見て「あれ?音の長さは?」と感じますが、音の長さは「聴こえる音の高さと大きさ」の組み合わせによって決まる者なのです。
さらに「音色」とは?
おんしょく・ねいろ。どちちの読み方も間違っていません。
一見すると非常に抽象的で「色」と言う文字から音を何かに比喩した言葉に見えます。しかし音色は間違いなく三要素の一つなのです。むしろ他の二つより複雑で表現の難しい要素でもあります。

音を分析する時「1.音の大きさ」は「音圧」で表します。大木の場合は「デシベル」と言う単位で表されます。
次に「2.音の高さ」は「空気の振動の速さ」を数値で表す場合と、「ドレミ」などの音に付けた名前=音名で表す場合があります。
一秒間に空気が振動する数を「ヘルツ」と言う単位で数値として表すこともあります。
ちなみに現代のA=ラの音は442ヘルツが一般的です。昔は今よりもずっと低い音の高さ=少ない空気の
動数のA(ラ)で演奏されていました。
最後に「3.音色」の表現に「単位」があるでしょうか?
実はありません。例えば2丁(2台)のヴァイオリンで、それぞれが「442ヘルツのA」を同じ音量で演奏した場合、音色は異なったものになります。高さも強さも同じなのに「音色」だけが異なる…。
そもそも音色ってなんでしょう?
音色を分析する時「周波数特性=音に含まれる異なった高さの小さな音の含まれ具合」を計測するする測定装置「スペクトル・アナライザー」を使用します。簡単に言えば「音色」は「周波数特性」だとも言えます。
442ヘルツの音として聴こえる=周波数が表される場合でも、442ヘルツの音より高い音や低い音が含まれていても「A=442ヘルツの音」といえるのです。
442ヘルツの音だけの「音色」は、音叉を叩いた時の音です。
人間の声は「声帯」が振動して作られた音が、身体の色々な部分を振動させ、共鳴して「声」となります。声を出す原理は皆が同じなのに、同じ声=音色の人は非常に少ないのです。同じ性の家族、例えば父と息子や男兄弟の声はよく似ています。声帯や骨格が似ている事が理由の一つです。

最後になりましたが「美しい」と感じる音…。同じ音を聴いた全員が「美しい」と感じることは確率的には非常に低いものです。
人間は「美しい!」と感じることのできる生物です。
さらにそのことを言語化する知能を持っています。
もし、他の生物が同じように美しいと感じる感覚があっても
下の動画は私のヴィオラとと浩子さんのピアノで演奏しTあドボルザーク作曲の「私に構わないで」の映像です。元の音声と「周波数特性」=音色を機械的に変化させたものを聴き比べられるように作りました。
生の演奏では、こんなに違う事はありませんがホールの響きや、楽器のコンディションによって、同じ人間が同じ曲を演奏しても音色は変わります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

誰がために演奏するのか?

動画はラフマニノフ作曲ハイフェッツ編曲の「ここは素晴らしい場所」と日本名で表される曲です。
自分(自分たち)の演奏を「誰か」に聴いてもらう場合と、誰にも「聴かせない」場合があります。練習を誰かに「聴かれる」ことが嫌だと言う人は珍しくありません。稀に「公開練習」つまり練習風景を誰かに聴いてもらう演奏もあります。通常、練習は誰かに聴かれることを前提にしていません。とは言いながら、誰かのアドヴァイスを受けたいときには、その人の前で演奏し指摘されれば「弾き直して修正する」つまりは練習を聴いてもらうことになります。
誰にも=先生にも自分の演奏を聴かれたくない!と言う人もいます。
一人だけで練習し、誰にも自分の演奏を聴かせないことも演奏のスタイルの一つです。自分が楽しめるなら何も問題ありません。「聴きたい」と言う人がいても「嫌です」で終了です(笑)

「誰かに自分の演奏を聴いてほしい」と考える人はアマチュアの場合、非常に少ないのが実状です。理由は様々です。「人に聴かせるレベルではない」という人も多く「笑われる位なら弾かない」と言う人もいます。「失敗して落ち込むのが関の山」「アマチュアは自分が楽しければ十分!」など、考え方も色々あります。私はそれを否定しません。
「もったいない」と言うのは本人の評価ではありませんから。
「聴かせて欲しい」とお願いしても本人の意思が優先されます。当然です。「公開処刑」「拷問」するのは人間として間違っています。

どんな人が「誰かに聴いてほしい」と思うのか?
演奏の評価は「自己評価」と「他人の評価」があります。
何を基準に演奏のレベルを決めるのか?実は何も基準はありません。
同じ演奏でも聴く人によって「良い演奏」にも「良くない演奏」にもなり得ます。自分以外の「誰かの評価」に左右されるのは自分の評価に自信を持てないからです。「よくわからないけど好きじゃない」とか「音楽を普段は聴かないけれどなんとなく好きな演奏」と言うのが正しい評価なのです。評論家や専門家、マニアの評価が正しいと思い込むのは明らかに間違っています。まさに「それはあなたの考えですよね?」という世界です。

自分の演奏に自信が持てない!これが自然だと思います。
むしろ「自分の演奏は誰かに聴いてもらうべきだ!」と考える人は相当な自信家、自己顕示欲の強い人です。「聴いてもらいたい」と「聴かせてあげる」は全く違います。前者は謙虚な気持ちを持つ人で後者は「思いあがった演奏者」です。そこにはアマチュアも演奏の専門家=プロも違いはありません。
自信過剰な演奏者に言わせれば「自信がないなら人に聴かせるな」と言いそうです。
多くのプロ演奏家の場合、演奏技術がアマチュアの平均より高いとは思います。
例外もあります。これは以前のブログでも述べましたが「アマチュア<プロ」と言うレベルの違いはありません。もちろんプロとして認められる技術には一定の水準があるとは思いますが、先述の通り「評価」は絶対値ではなく聴く人の主観です。
「聴いてもらいたい」と考えるのは自分の演奏で誰かが喜んでくれると言う「体験」をした人に多く見られます。聴いてくれた人が喜んでくれることは、演奏する人にとって至高の喜びです。例え自分の演奏に納得が出来ない場合でも、誰かが喜んでくれることは嬉しいのです。むしろ謙虚な気持ちを持った演奏者の演奏の方が、思いあがった演奏より喜ばれると思っています。プロの演奏でも感動しない演奏があります。もちろん「好み」の問題ですが専門家ではなく、マニアでもない「普通の人」が聞いて感動する演奏は「演奏者の思い」を感じるのです。聴いてもらいたい!一人でも楽しんでもらいたい!という、普通の人の立場で演奏する演奏にこそ感動があります。
マニアや評論家の評価は「言葉遊び」に近いものです。自分は音楽を良く知っている。たくさんの演奏を聴き比べた経験がある!そのことを強調するのがマニア・評論家の言葉です。感動より「優越感」を楽しんでいるように思えます。

演奏できない人にとって誰かの演奏を聴くしか音楽を聴く手段はありません。
演奏する側にとって「誰が?聴いてくれるのか?」を気にする必要なないのです。
自分が出来る練習を精一杯した上で、仮に演奏で失敗しても聴いてくれた人が「良かった!」と思える可能性が少しでもあるなら、演奏をためらう理由はないのです。
評価を求めず「喜び」を求めることが演奏だと私は確信しています。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト・指揮者 野村謙介

「善人」だけの集団「メリーオーケストラ」

「善人」の定義
人は皆、個性を持っています。
私の考える「善人」とは…
自分と他人の共存=仲間としての人間関係を作ろうとする人。
☆他方で「善人」ではない人をここでは「悪人」とします。
「悪人」の定義は…
☆自分が正しい・強いことが優先し他人との共存を望まない人。
ここから音楽を例えにしながら善人・悪人についいて考えます。

「独りだけの世界」
もしも無人島に独りだけで取り残されて、自給自足の生活を余儀なくされたら。
その人が善人でも悪人でもすべては「自己責任」「自己満足」なので、誰からも助けてもらえない代わりに、誰からも批判されることもありません。
聴いてくれる人の誰もいない独奏がこれに当たります。
もし善人なら「誰かと話をしたい」「もっと楽しく快適に生きるために誰かと仲間になりたい」と考えるでしょうね。
もし悪人なら、自分より劣った人がいないことがストレスで、不快な時に八つ当たりする相手がいないこともストレスです。

「二人の場合」
考えられる組み合わせは3つです。
「善人と善人」「悪人と悪人」「善人と悪人」
1.まず善人が二人だけいる世界。
お互いを「仲間」として共存するために自分が妥協することも出来て、相手に理解してもらう努力もおしまない関係です。自分も相手も、今以上に快適に生きるための知恵を出し合い平和に生きることができます。
音楽で例えるなら「2重奏」「2重唱」ですね。
自分と相手の調和・協和・思いやりがなければ音楽になりません。お互いがお互いを成長させることにもなります。
2.悪人が二人だけの世界
結果は2種類です。それぞれが「独り」に戻るか、相手を力で排除して満足するか。相手がいなくなれば結局一人になります。そこに気付かないのも悪人ならではです。
3.善人と悪人の世界
この場合が一番不幸です。善人は相手と共存しようとするでしょう。しかし悪人は善人を自分の「支配下」に置き、善人を「奴隷」として生かすか気に入らなければ善人を排除・亡き者にするでしょう。つまり「異常な世界」が出来ることになるのです。

「3人以上の場合」
1.善人が少なく悪人が多い場合
悪人は本質的に悪人同士でも共存はできません。
しかし根本に「優位性」があるので善人を支配し奴隷化すること・排除することに快感を覚えます。あくまでも「悪人同士」は仲間ではなく序列争いの中に自分をおくだけなのです。善人は悪人からの暴力や排除行為に対して、善人同士の協力で生き抜こうとします。力ではなく「理性と知性」で生きるのが善人です。最終的に悪人はまた「独り」になるしか道は残っていません。
2.善人が多く悪人が少ない場合
悪人は善人と協調することを拒みます。数の論理で善人が中心の社会が出来ても、悪人は力で善人を倒すことしか考えられません。倒せなければ悪人は「孤立」つまり独りで生きるしかありません。

「善人だけのメリーオーケストラ」
子供と大人、初心者と演奏の専門家、考え方も個性も違う多くの人が「オーケストラ」として一緒に音楽を創り出す行為は「悪人」には出来ないのです。
他人を尊重し敬意をもって接する心。
自分のスキルを高めることで他人を助ける心。
目的を達成するための努力を惜しまない協調性。
すべてが「善人」の証です。
メリーオーケストラは「子どもの健全な育成」と「音楽の普及」と言う目的を達成するための活動を「オーケストラ」と言う「社会・集団」で行っています。
家族のようでもあり、学校のようでもあり、大きく言えば一つの「国」にも似ています。
他人と序列を争う事の無意味さを知っているのも善人の集まりだからです。自分と仲間を何よりも大切にすることを「口に出さない」のは当たり前だからです。
「愛国」「愛社」「愛校」を叫び、他人に自分の「愛」の定義を押し付けるのは「悪人の悪人たる」所以です。
メリーオーケストラは誰とも競わずに、日々成長しています。時間がかかるのは別の角度から見れば「持続性が高い」事を表しています。24年間の歴史の中にこそ「悪人のいないオーケストラ」がこれからも善人の集まりだと言い切る証があると思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。

NPO法人メリーオーケストラ理事長 野村謙介


オーケストラを身近に

映像はNPO法人メリーオーケストラによる「ジュラシックパーク」の演奏です。ジョン・ウィリアムス作曲の映画音楽。
今回のテーマである「オーケストラを身近に」ですが、多くの方にとって「オーケストラの演奏会で生の演奏を聴く」機会は特別なことであり、関心も低いのが実状だと思います。
言うまでもなく「管弦楽=オーケストラ」は合奏という演奏形態の中で最大の規模です。当然、演奏する人数も編成によって、50~80名ほどの人が演奏します。合唱と違い、楽器の種類が多いために必然的に演奏者が多くなる面もあります。
弦楽器=ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバス
木管楽器=オーボエ・フルート・ピッコロ・クラリネット・ファゴット
金管楽器=ホルン・トランペット・トロンボーン・チューバ
打楽器=ティンパニ・大太鼓・小太鼓・鍵盤打楽器・シンバル
曲によってはハープやパイプオルガン、まれにピアノが加わることもあります。
それらの楽器を演奏する人は、それぞれの楽器をただ楽譜通りに演奏する技術の他に、他の演奏者と時間=タイミングとピッチ=音の高さを「揃える」技術が求められます。
1曲の中で、それぞれのパートが自分の楽譜を見ながら、他のパートとは違う「音楽」を演奏します。自分の演奏する音楽だけを知っていても合奏はできません。例えれば演劇で役者さんが「台本」に従って台詞を声で読みながら、身体を使って自分の役を演じます。他の役者さんが直前、今、或いは次に言う台詞も覚えなければ、話がつながらなくなります。

さて、そのオーケストラの演奏会を生で聴こうとすれば「入場料・チケット代金」が必要になることが殆どです。海外の有名オーケストラ演奏会などの場合、一番安いチケットでも5,000円ほど。S席と呼ばれる、見るのにも聴くのにも条件の良い席だと10,000円以上するのが通常です。
「高い!」と感じますよね?だから行かない(笑)ごもっともです。
プロのオーケストラは演奏会で利益を出せなければ、演奏者への給料を支払えません。次の演奏会のホールを押さえ、広告をし、事務職の人に給料を支払う、それらの利益が必要です。ホールを使うのでホールに支払う金額もチケット代金の利益で支払われます。つまり、演奏会の入場料やチケット代金は「演奏会を開催するための費用」なのです。

私が設立し24年間、毎年2回の定期演奏会を実施してきたメリーオーケストラは「特定非営利活動法人=NPO法人」です。活動の目的と、目的を達成するための事業を限定し、厳しい審査に通らなければNPOとして認可されません。
法人ですから「会社」ですが、一般の会社と違って社員に給与を支払ってはいけません。社員とはメリーオーケストラの場合「演奏する会員=メンバー」です。会員は毎月、法人に「会費」を納めます。現在は月に3,500円の会費を子供の会員も大人の会員も納めています。さらに活動に賛同する「賛助会員」が賛助会費を納めることも、法人の規則である「定款」で定められています。当然、毎年予算・決算・事業報告・事業計画を役所に提出し、法務局に登記して決算は貸借対照表の公開も義務づけられています。一般の「市民オーケストラ」と比べ、はるかに厳しい条件があり、だからと言って助成金や補助がいつも出るということもありません。「じゃぁ何故?NPOにしたの?」と思われますよね?
事実2026年現在、国内でNPO法人のオーケストラは、メリーオーケストラただ一つです。「オーケストラ連盟」はありますが、連盟はオーケストラ組織ではありません。
「活動の透明性」「目的の明示」がNPOにした理由です。
先述の通り、オーケストラの演奏会を開くための費用は、メリーオーケストラの場合でも最低でも50~60万円。曲の編成が大きくなれば80万円ほどの費用が必要になります。会員だけでは、必要な演奏者が足りないのです。すべての楽器の演奏者が会員なら、会員だけで演奏できますが、それでも会場費・広告費などは最低限かかります。
不足する楽器の演奏者は「賛助出演者」として、無報酬で参加してくれています。プロもいれば、音大生もたくさん参加しています。
では、費用は誰が負担しているのでしょうか?
相模原市民文化財団=ホール運営組織からの助成金が上限10万円いただけることもあります。それ以外の費用を「会費」と「賛助会費」さらに会員が支払う「演奏会参加費」で賄っています。
「入場料を頂けば?」NPOでも活動に必要な資金を、活動=演奏会の入場料で賄うことは認められています。「特定の活動が非営利であること」が条件なのです。ただ、入場料を頂くと「アマチュアなのにお金を払わないと聴けないの?」と言う方もいらっしゃいます。理解して頂けないのです。

何よりも「青少年の健全な育成」と「音楽の普及」を目的としたオーケストラなので、一人でも多くのお客様に会場にお越し頂き、演奏する子供たち=会員の感動と達成感を得ることを大切にしています。
音楽を普及させるために、普段は音楽を聴かない方にも関心を持っていただくことが活動の趣旨なのです。
メリーオーケストラは「特別なオーケストラ」です。演奏は?私の耳を基準にして言えば「特別な音」がします。もちろん、プロのオーケストラのような正確さ・クオリティはありません。でも「演奏に向かう姿勢」「一体感」はプロと変わらないと思います。
ぜひ!一度でもメリーオーケストラの演奏会に足を運んで頂きたいのです。クラシック好きな方でも、ポピュラーや映画音楽が好きな方でも、きっと楽しめる曲があります。
皆様のお越しを心からお待ちしています。

NPO法人メリーオーケストラ理事長・指揮者 野村謙介

音楽はすべての人に平等な楽しみ

動画はシューベルト作曲の「アヴェ・マリア」を私(ヴィオラ)と妻のピアノで演奏したものです。今回のテーマは「音楽」を広い意味で考えた時に、特殊な教育を受けた人や「マニア」と言われる人に限定された楽しみではない!ことを結論とします。

楽器を演奏する楽しみ方。好きな音楽を聴く楽しさ。
「学校で習う音楽=音楽の授業」では、両者を体験します。
残念ながら現代日本の義務教育課程で、音楽を「楽しむ」事は大きな目的ではありません。むしろ「成績」を付けるための授業になっていると言えます。無理もないことです。週に1時間=40分程度の授業で「楽器を演奏する楽しさ」を感じられる技術を教えることは不可能です。30人以上の児童・生徒に一人の教師が演奏技術をどうやって伝えろと?鑑賞まで「成績のため」の手段になります。
音楽を聴いた感想を言語化する技術や能力は、音楽の能力ではありません。国語の能力です。正直に「つまらなかった」と書けば、鑑賞の能力が低いと評価されるのが授業です。

話を「演奏する楽しさ」に絞ってみます。
楽譜を音に出来るか?という技術・能力は楽器演奏に「不可欠」ではありません。とは言え「記号」である楽譜を音にすることは、文字を読むことと非常に近いもので、日本語で言うならひらがなとカタカナが読めるレベルの学習で、楽譜の意味は理解できます。
それが「面倒だ」と言う人が、楽器を楽しく演奏したい気持ち・夢を実現できるか?と言われれば、正直「怪しい」と言えます。
楽器の演奏に必要な知識、技術の量と、楽譜を読み解くのに必要な技術を比較すれば、圧倒的に「楽譜は簡単」なのです。

楽譜を音にできれば、楽器の演奏は「即」楽しいか?
答えは残念ながら「いいえ」です。それは演奏する本人が「思ったように演奏できないストレス」を感じるからです。このストレスは、いつかなくなるのか?の答えも「いいえ」なのです。
つまり、楽器を思ったように=理想の演奏ができるようになるまでの時間・期間は「無限に必要」だという事です。
音楽大学に行けば誰でも思ったように弾けるか?無理です。
プロになった人は思ったように弾けるか?いいえ。
アマチュアはどうすれば良いのでしょうか?一生、演奏を楽しむ夢は叶えられないなら、最初から楽器なんて弾かない方がまし!(笑)
事実、多くの人が思ったように演奏できずに、演奏することから離れていきます。「自分に向かない」「才能がない」
本当にそうでしょうか?

私自身、60年近くヴァイオリンを練習して未だに思ったように演奏できません。「レベルが違う」「理想が違う」と生徒さんから言われますが、実は生徒さんの「悩み・ストレス」を私もずっと感じています。私「だけ」が、才能がなく、努力が足りない…そうなのかも知れません。ただ、これまでに多くの人に楽器の演奏を指導し、生徒さんと一緒に「弾けない理由」を考えてきた経験から「実はみんな同じだった!」ことを知りました。
自分からみて、自分より上手な人がいますよね?
上手な人は自分より「優れている」と思ってしまいます。
そこが間違っています。何も自分は劣っていないのです。
自分にしか演奏できない音楽に「自信」が必要です。
「へた」で良いのです。自分より上手な人のように演奏する必然性は?全くないのです。音楽は自由なのです。「こう!演奏しなければいけない」と言う規則も決まりもないのです。
奏でられる音は、言葉のように特定の意味を持たないのです。
音楽は人を傷つけないのです。それが音楽なのです。
楽譜に書いていない「音楽」を作る楽しさは、すべての人に与えられた権利かも知れません。
ぜひ、好きな曲を好きなように「演奏している」気持ちで楽しんでください。出来ないことにイライラするより、音楽を作っていることに素直に感動すれば良いだけです。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

安っぽい愛国主義に違和感しかかんじない

動画は韓国の作曲家「チョン・ファンホ= Jung Hwan ho」氏の作曲による「Blooming Day」日本語だと「開花日」や「花の咲く日」と訳せます。
初めてこの曲(歌)をYouTubeで聴いた時から、歌詞の韓国語は分からないものの、音楽の素晴らしさに惹きつけられました。
作曲家チョン氏に演奏の許諾をお願いするDMを送ったところ、
「日本の方々に聞いて頂けるなら光栄です」とご快諾いただき、オリジナルの楽譜までお送り頂きました。

音楽に国境はない。これは古くから世界中で当たり前の事として言われていることです。「クラシック音楽」に限って考えても、ほとんどの著名な作曲家が、様々な国を渡り歩き作曲活動を続けていました。彼らの中には、独裁者に利用されることを拒み、他国に移住した人も数多くいました。彼らにとって「国籍」や「民族」「国家」よりも大切にしていたことがあったからです。「人として生きる」事が何よりも大切な事だったからに相違ありません。

近年「国家」「民族」が誤った捉え方をされている気がします。
一部の人…それが国を代表する人の場合、その国民は生命の危機さえをも感じる事態に直面します。個人の考え方に違いがあるのは当然です。「愛国」と言う意味の捉え方も、人によって違います。むしろ、それが自然なことです。
「愛国とは!」「愛国者とは!」と言う定義を、他人に押し付けることの愚かさと恐ろしさを知らない「知性の低い人間」が一番、恐ろしいと思います。
日本は過去に「帝国主義」と言う名のもとに、個人の尊厳を踏みにじってでも「愛国精神」をすべての国民に強要しました。その結果は「歴史」を素直に読めば、小学生にでも理解できる「過ちの連続」だったのですが、それさえ認められない、或いは曲解し「そんな事実はなかった」と歴史認識が出来ない人もいます。
「自分の国が正しい。他国が悪い」と思うのは個人の自由です。しかし、それを「国策」として広めてしまうのは、世界で孤立する道を選ぶことになります。
現代、自国で作られたものだけで生活できる日本人は、誰もいません。「自給自足」している日本人でさえ、電話やパソコン、自動車、農機具の殆どは、日本以外で作られた材料や部品を使って作られています。日本に限ったことではありません。資源の豊かな国でも、技術を海外から「輸入」している国もあります。観光資源で旅行者からの外貨で成り立っている国もあります。

他国民・自国民という言葉の定義さえ定かではありません。
「国籍」を複数持つ人はたくさんいます。その人は「何人」?ですか。
「民族」「血縁」として、日本人…これだって、祖先に日本人以外の民族の血を持つ人がいるかも知れませんよね?それは人類、すべてに言えることです。
「〇〇人は日本から出ていけ!」と叫ぶ知能の低い人がいます。
自分自身に「〇〇人」の血が流れている可能性を知らずに叫ぶ愚かさ。
「日本人ファースト!」って誰でも自分が一番大切で、自分の家族が大切なのは当たり前です。それをあえて「野村家ファーストだ!」って人前で言ったら?
「あいつ、頭が狂ったな」って思われます。当然です。
そもそも「自分が一番!」って他人に言う人間を、周囲の人が「そうだね」と思うでしょうか?むしろ「可哀そうな人だね」と同情されるはずです。

武器を持って戦う前に、言葉でお互いを理解できるのが「文明人」です。
気に入らなければ、相手を攻撃するのは「知能の低い生物」です。
相手を理解する「能力」は、自分を理解してもらう能力です。
その能力が低い人は「自分が一番」だと思い込みます。ただ単に、コミュニケーション能力の欠如した「悲しい人」です。私は「学力」も「品性」も不足した人間ですが、他国を悪く言うほど自分を蔑みたくはありません。
そして「武器」より「言語」で他人と理解しあえる人間でありたいと思っています。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

オリジナルアレンジ楽譜

動画はヴィオラとピアノで演奏したドボルザーク「私にかまわないで」(私を一人にしてとも呼ばれます)の演奏動画です。この曲をチェロの素晴らしい演奏で初めて聴いて以来、自分たちも演奏しよう!と言うことで、ヴィオラで演奏できる調性(キー)に移調して楽譜を作りました。ヴァイオリンでも同じ高さのままで演奏が可能です。
「ありそうでない楽譜」販売もされていない楽譜でした。無料の楽譜ダウンロードサイトにも、この調性の楽譜はありませんでした。「ないなら作る」のが私たちの考え方です。初心者のヴァイオリン愛好家でも演奏が可能な、ゆったりした曲ですね。この楽譜も「ぷりんの楽譜」として販売しています。サンプルをご覧ください。

お気づきの通り、楽譜はヴァイオリンで演奏できる「ト音記号」とピアノスコアになっています。もちろん、ヴィオラで演奏したい方にはハ音記号の「アルト譜表」で作成します。1セットで1,000円。PDFファイルでメールに添付してお送りします。お申し込みは以下のフォームに必要な事項を入力して送信してください。ご希望があればお好きな調に移調することも可能です。ぜひ!素敵な曲を演奏して楽しんでください!

ぷりんの楽譜申し込みフォーム
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