今回のテーマは「肩書き」についてのお話です。
様々な職種で担当や役職などの「肩書き」と呼ばれるものがあります。
「〇〇部△△課 課長」だとか部長だとかの肩書きもあれば、政治の世界なら「〇〇知事」や「△△大臣」やらも肩書きです。
その他に「経歴」の中に過去に得た資格や授与された「名誉」を書くことも一つの肩書きと言えます。「〇〇コンクールで入賞」とか「△△音楽大学を優秀な成績で卒業」などの曖昧な物も肩書きに見られる場合もあります。
演奏家にとってそれらの肩書きは一体どんな意味を持つのでしょうか?
プロの演奏家として「演奏の仕事」を得るため、多くのお客様を集めるために肩書きが使われる場合が殆どです。例えばコンクールでも歴史や権威によって肩書きとしての「レベル」が変わります。ピアノで言えばショパンコンクールやチャイコフスキーコンクールでの「入賞」は他のコンクールとは別格の「権威」があります。ヴァイオリンでも似たような違いがあります。コンサートを企画する音楽事務所や企画会社にとって演奏者の肩書きは第一に優先される基準になります。マスコミの取り上げるニュースとして扱われるコンクールで「優勝」「入賞」すれば事務所同士の取り合いがあるほどです。コンサートのチケットも1年先まで売り切れ!と言う人も肩書きがあってのことです。
一昔前…今から50年前なら「ヨーロッパに留学」だけでも立派な肩書きになりました。
また国際コンクールで日本人が優勝したり入賞することも、以前は大きな話題になりましたが、今や「それで?」程度に扱われることも珍しくありません。どれも「マスコミ」が取り上げる話題としての違いであって、演奏者の力量や音楽的な個性とは別の話です。
音楽に限らず「学歴社会」と言う言葉があります。昔なら「東京大学卒業」と言えば「天才」か「神童」と呼ばれていた時代もありました。イメージとして「すごく頭のいい人」と誰もが疑わなかった時代がありました。今は?(笑)昔なら「大蔵官僚」にキャリアとして入省できるのは「まず東大卒」次に「旧帝大」でした。その官僚が本当に賢い人なのか?に疑問がで始め
世界的な「学力基準」で日本の東大のレベルが異常に低い事も今や常識になっています。
演奏家の「技術と音楽性・個性」をコンクールの肩書きで測れるか?と言う疑問があります。以前にも書きましたがコンクールの序列結果は「審査員の好み」で決まります。世界中のどんなコンクールも基本的には審査員「次第」で順位が決まります。
審査委員はコンクール参加者より優れた技術を持った人…のはずです(笑)から、1位に鳴った人は2位の人より「優秀」な演奏家のはずです。しかし聴く人によって評価が分かれるのも事実です。同じ演奏でも審査員が変われば順位が変わって当然です。だからと言って審査員を100人、500人並べたから正しい序列が出ると言うものでもありません。実際には非現実的なことです。
演奏する人間にとって自分の演奏を聴いてもらう「機会」がなければ誰にも聴いてもらえません。評価さえ受けられません。それは一番つらく、悲しいことです。
演奏家を夢見て毎日休まず何時間も練習し、高い楽器を親に買ってもらい、レッスン代を払ってもらい、高い授業料の音楽高校、音楽大学に通う学費も親に頼ったり「借金」である奨学金を受けたり…ある意味では人生の一番楽しい時期を「音楽」にすべてつぎ込んだ結果が
「誰にも聴いてもらえない」これが殆どの「音大卒業生」の実態です。こんな事を書くと「夢を壊すな」と叱られそうですが事実なので仕方ありません。
音楽学校に入学して精一杯努力して身につけた知識、演奏技術、経験は本人にとって「かけがえのない宝物」です。それが例え肩書きにならなくても問題にはなりません。
同じようにコンクールでの結果=肩書きは本人の技術とは無関係です。何故なら「コンクールを受けた人の中での序列」なのです。コンクールを受けない演奏者の方が圧倒的に多いのです。「うまい人だけがコンクールにチャレンジする」とは限りません。現実に世界中のソリストと呼ばれる「一流演奏家」の中でコンクールの肩書きのない人はいくらでもいます。音楽大学を卒業していない人も数えきれないほど存在します。
肩書があれば演奏家になれる…とも限りませんし、逆に肩書きが何もなくても素晴らしい演奏者として多くの人を感動させることも当たり前にあります。
肩書きは「評価」ではなく演奏の仕事を「もらいやすくする」「とりあえず聴いてもらえる人を集められる」ための道具だと言えます。肩書き「だけ」で演奏を評価するのは根本的に間違っています。自分の耳で聴き、素直に評価するのが正しい姿です。
演奏者の「努力の結果」として肩書きを得ることも事実です。肩書きの為に努力するのも「手段」として否定はしません。ただ、肩書きがないことにコンプレックスを持つ必要な全然ないのです。自分の演奏を聴いてもらう場を自分で作ることも、かけがえのない経験になります。大手の音楽事務所のように集客できなくても決して悲観しないことです。
「下積み経験」のない役者、芸人はすぐに飽きられることは芸能の世界では常識です。
世襲制度のある伝統芸能でも「皇族・王族」の社会でも「人として」学びのない人は、人間の「底の浅さ」がすぐに見破られます。
肩書より大切な事が絶対にあります。誇りと謙虚な気持ちを忘れなければ努力の結果を評価してくれる人が必ず増えることを確信して頑張りましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介