学校オーケストラ

 国内の中学校・高等学校での部活動オーケストラで楽器を楽しむ子供たちと、趣味で楽器を演奏する子供・大人との共通点、相違点を考えます。
上の動画はどちらも、私が20代から40代まで勤務していた私立中・高の部活動オーケストラ、定期演奏会の映像です。場所は横浜みなとみらい大ホールです。
二つの映像は実施年が一年違いますが、どちらが先か?わかる人はいないと思います。(実際に演奏した元生徒以外は)
 総勢150名という大所帯のオーケストラですが、開校当初は11名でした。20年かけてこの規模に育ちました。
 練習は週に一回の合奏。後は生徒の自主的な練習です。下校時間は中学生午後4時30分。高校生が午後5時でした。外部からの実技指導者を呼ぶことは、基本的に許されていませんでしたが、退職数年前からは数名の指導者を呼べるようになりました。
 要するに、「普通の部活動」の範囲内で活動してきた「普通の部活動」だったと断言できます。「いや。普通じゃない」「楽器は?」「演奏会の費用は?」など、様々な疑問があると思います。もちろん、それらの「壁」がありました。それを一つずつ乗り越え続けた結果の映像です。
当然ですが、こうした活動には「反対意見」が付いてきます。
部活動は学校教育の一部です。私立ならではの「制約」があります。
学校経営者や管理職の意向に逆らえば「即、くび」になります。
「部活動とは!」という概念さえ、管理職の思った通りになるのが私立です。
その中で子供たちのオーケストラを育てることは、常に管理職との闘いの日々でした。

 さて、音楽の話をします。学校で練習できる生徒たちは、朝、昼休み、放課後の中で、自分の都合のよい時間で、練習することができます。もちろん、顧問教員が校内にいることと、登校時間、下校時間の制約の中でです。
 生徒によって、練習できる時間には差があります。登下校に時間のかかる生徒、塾などに通うう生徒、ほかの部活と「兼部=掛け持ち」している生徒など、事情は様々です。週に一度の合奏だけは、「可能な限り」参加することを求めました。合奏に参加できない生徒にも、参加する権利がありました。
 ほとんどの生徒は4月に入学した時点では、楽器未経験者です。中にはピアノを習って「いる」または「いた」という生徒も、ちらほらいましたが多くの生徒は楽譜を読むのも危なっかしい、ごく普通の子供でした。
 それらの生徒がオーケストラに憧れ、または在校生の部員に勧誘されてオーケストラのメンバーになります。当然、楽器も持っていません。
 開港当初は、学校に少しずつ購入してもらった楽器で練習していました。
学校取引業者から、一番安いほうから「2番目」レベルの楽器を買いそろえました。ヴァイオリンで言えば、当初はセットで7万円程度のものでした。
やがて、部員が多くなり「過ぎて」学校の備品で賄いきれない人数の部員になるころ、開校から10年以上経っても開校時の楽器は、十分に使用できる程度の「維持管理=メンテナンス」をしていましたが、備品の数が足りません。
 そのころになると、多くの生徒が自分の楽器、つまり「親が買ってくれた楽器」を持つようになりました。当然、保護者の理解がなければ、10万円程度の楽器を購入してくれるはずはありません。ちなみに、楽器の個人購入は、入部の条件ではありません。学校の楽器だけで活動したいという生徒には、学校の楽器を使用してもらいました。

 学校以外で趣味の楽器演奏の場合、教室の楽器を「レンタル」で練習する生徒さんもいますし、それおぞれのお財布に合わせた金額で、楽器を購入する生徒さんもいます。その点で、部活動と同じです。
 練習できる時間も、人によって違うことが共通しています。
「合奏」があるヴァイオリン教室は少ないですね。
相違点はそれだけでしょうか?

 部活動の場合、新入生を教えるのは「先輩」ですから、いわば素人です。つまり、「素人が素人に素人のできる技術を教える」のですから、間違った演奏技術、練習方法で教えることがほとんどです。
 さらに悪いのは、合奏を指導する人=多くの場合顧問が「素人」である場合です。
誤解されそうなので、ここで言う「素人」には、2種類の意味を持っています。
・楽器演奏を上達させる指導の「素人」
・学校教育の目的を理解できない「素人」
です。前者の場合、どう練習すれば上達するのかを知らずに指導する人です。
後者の素人は、教育活動の範囲を超えて、やみくもに技術向上に走る人です。
どちらも、学校部活動の指導者としては、不適任です。
学校で音楽系の部活動を指導するのであれば、教諭=学校教育の専門家と、プロの演奏家=音楽指導の専門家で「ペア」を組むことで解決できます。

 学校外の「音楽教室」で教えているのが「専門家」だと思われがちですが、
実際のところ先述の「先輩」程度の人=「趣味で演奏できる人」が、生徒さんからお金をもらって教えている場合が見受けられます。
 そもそも「音楽指導者」という資格は存在しません。学校の教諭には当然、国家資格が必要です。もっと言えば「音楽家」という資格も存在しません。
これまた誤解されそうですが、音楽大学を卒業した人を音楽家と言っているわけではありません。

 ご存じの通り、ン 五嶋龍さんは「音楽大学」卒業ではありませんが、世界的な素晴らしいヴァイオリニストですから。むしろ、音楽大学を卒業していても、専門技術、ましてや指導技術の乏しい卒業生も多いのですから「音楽教室は音大卒業生が教えなければならない」とは思いません。
「教えられる技術があるかないか?」です。

 最後に、「モチベーション」について。

この動画は、先述の部活動オーケストラ定期演奏会、最後の一コマです。
引退する高校生と、それを同じ舞台で見送る後輩の中学生・高校生。
一種の卒業セレモニーですが、この生徒たちの涙は純粋な涙です。
入部したばかりの中学1年生も同じ舞台に立って先輩の後ろ姿を見ています。
客席には、この生徒たちにあこがれる「未来の部員」がたくさん見ています。
「あの舞台に立ちたい」「一緒に演奏したい」と入学試験を受ける受験生が多くなったのもこの時期です。学校は「あえて」その事実を隠しましたが(笑)
楽器をひきたいというだけの気持ちの先にある「夢」がモチベーションです。
子供であれ、高齢者であれ、自分の夢のひとつに「あんな風にヴァイオリンをひけたら」という夢があっても良いと思うのです。
 プロの演奏家を見て「あんな風に」とはなかなか思えません。
ところが、部活動だと?同じ年齢に近い人たちが「目標」になるのですから、この違いは、ものすごく大きいのです。
 音楽教室でコンクールを積極的に受けさせる先生も多いのですが、目的はこれでしょうね。生徒の「モチベーション」を維持させるための手段。もちろん、技術向上や自分の技術のレベルを知るためにもコンペディションを受けることは無意味だとは思いません。
 ちなみに、部活動内でモチベーションを高めるために私がしていた指導の一つは、「演奏したいポジションを公開オーディションで決める」という方法です。最終的なポジションは、指揮者であり顧問だった私の一存で決めていましたが、他の部員も見ている中で、自分が演奏したい「席」に、抽選で座っているたの部員に対して「挑戦」します。挑戦された側は公開のオーディションを受けるか、自ら引き下がって挑戦してきた人の席に移動することを選びます。一種の「下剋上」です。うしろに下がるための「挑戦」は認められません。これも、生徒たちにとって、「やりがい」にもなり「緊張感」にもつながる方法でした。
 どんなコンクールを受けるより、自分たちの仲間をライバルにすることが何よりも大切な緊張感だと思っていました。
 趣味で演奏するひとたちに。
まず!自分の先生の演奏を「目標」にしてください。
指導者は生徒が自分より、じょうずになること=じょうずにすることが目的なのです。生徒の立場で「先生を目指すなんて失礼」だと勘違いする人がいますが、先生を目標にしないことの方が、よほど失礼ではないでしょうか?
先生の前で「〇〇さんの演奏って、先生より素敵」!」って言えます?(笑)
先生の技を盗む。先生の演奏を真似る。先生が弾いている時に観察する。
それが最大の「モチベーション」につながると考えています。
私はレッスン中に、生徒さんと一緒に演奏することがよくあります。
この方法は「希少」らしいのですが、一緒に弾くことで生徒さんが感じられるものがたくさんあります。
百聞は一見に如かず
と言いますが、
百言は一音に如かず
だと思っています。言葉で言うより、弾いて感じさせるレッスン。
ひとりても多くの人に、長く楽器演奏を楽しんでもらいたいと願っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

演奏中に考えること

 動画は世界的なフルーティスト「エマニュエル・パユ」が語る素敵なお話です。今回のテーマは、他人からは見えない「演奏中に考えていること」です。

 ヴァイオリンを練習する生徒さんたち、特に大人の生徒さんが陥りやすい「本番になるとうまく演奏できない」というネガティブな思い込みがあります。
また、本番に限らず練習中に、なにを考えながら演奏すれば上達できるのか?という問題があります。
 人それぞれ、演奏中に考えていることは違います。同じ人、例えば私の場合は同じ曲を弾いている時でも、恐らく違うことを考えています。ですから「正解」を出すことは不可能ですが、多くの生徒さんに聞いていくうちに、あるパターンを見つけました。

 初めて練習する曲の場合、当然ですが楽譜を音にすることに集中します。楽譜を使わないで練習する人の場合は、音を探すことに集中します。この段階で、音色に集中している生徒さんは、ほとんどいません。仕方のないことですし、順序で言えば間違っていません。

 その次の段階で何を考えているでしょう?多くの生徒さんが「間違えないこと」を考えます。うまく演奏できない部分を繰り返し練習するのが一般的です。
その時にも「間違えない」とか「失敗しない」ことを考えています。
ここからが問題なのです。

 ひとつには、うまく弾けない原因を「考える」事を忘れがちです。
さらに、同弾きたいのか?を試すことが必要です。陥りやすいのが「繰り返していればいつか弾けるようになる」という思い込みです。確かに、繰り返す練習は必要ですが「どう弾きたい?」を探さずに繰り返しているうちに、ただ運動だけで間違えないようにする練習をしてる場合がほとんどです。
 練習で思ったように演奏できるようにすることは、言い換えれば自分が今、どう弾いていてそれをどうしたいのか?という根本がなければ、うまく弾けない原因も見つけられないのです。初めから「こう弾きたい」というレベルではない!と思う人も多いのですが、思ったように演奏できない原因を探すために、現状を分析することに集中すれば、自然に自分の弾きたい「速さ」や「音色」や「音量」を考えることになります。

 体調がすぐれない時、お医者さんに自分の病状を伝えますよね。
身体のどの辺りが、どう痛いとか。その症状から医師が原因を推測するために、さらに検査をします。そして出された「病因」を解決するための治療や処方をするのが「順序」です。病状がわからないと、治療には結び付きません。

 ヴァイオリンを演奏しながら、なにを考えていますか?何に集中していることが多いですか?無意識にただヴァイオリンを演奏し続けていないでしょうか?
本番で、過緊張にならないために自分を信じることができ、考えなくても自然に自分の弾きたい演奏ができる「理想」を持つのであれば、練習中には考えることが必要だと思います。次第に、考えなくても「思った通り」の演奏が自動的に出来るようになるプロセスが必要です。勉強をまったくしないで「私は東大にいきます」と思って受験しても受かりませんよね?偶然を待つのは間違いです。失敗するのも、うまくいくのも「偶然」で片づけるのは簡単ですが、努力する段階で「偶然」を期待するのは間違いです。

 私は練習中に、自分が思った通りの演奏をしている「イメージ」を作ることに努力しています。そのために、一音ずつの「理想」と「現実」を常にチェックします。本当はどんな風に演奏したいのか。今、どんな音で演奏していたか?どうすれば…弓の場所、圧力、速度、ビブラートなどをコントロールすれば出来るのか?を考えます。考えて「これかな?」と推測した演奏方法で繰り返します。違えば修正して、また繰り返します。そのイメージを頭に作ります。右手の動き、弓の動き、左手の動き、音の高さ、音色、音量を「ひとつのイメージ」にまとめる練習を繰り返します。一度に複数の事に集中することは不可能です。
「ひとつのイメージ」になれば、それを思い描き、再現することに集中することは可能です。

 音の高さだけに固執しない。弓の使い方掛けにも固執しない。
自分の「理想」をイメージするための長い道のりですが、結局のところ「思ったように演奏できた」と言えるのは「思っていなければできない」という事なのです。音の高さだけを、間違えないで演奏できてもダメですよね?いくら、良い音でも音の高さが外れていたら、これもダメですよね?それらを「合体」させたイメージを作るために、常に音に集中して練習することをお勧めします。
自分の演奏する「音」にすべての答えがあるのですから。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

なぜ?初心者向けの曲が少ない?ヴァイオリン

 映像は、エドワード・エルガーの作曲した「6つのやさしい小品」という曲です。エルガーはイギリスの第二国家とも呼ばれる「威風堂々」や、「愛の挨拶」を作曲した人です。
 この曲は、1曲目から6曲目まで、すべてを「ファースト(第一)ポジション」で演奏できるように書かれています。と言うよりも、ファーストポジションしか演奏できない初心者が練習すRために作られていると言っても過言ではありません。初心者の…と言っても、音楽として考えると、とても素敵な音楽だと思いませんか?それぞれの曲は、数分で弾き終わる長さで、小節数から考えてもそれぞれ、長くても数十小節で終わります。
 最初の曲は、ほとんどの音符が四分音符で、臨時記号も数箇所だけで、あとの「幹音(CDEFGAHの白い鍵盤の音)だけで書かれています。
すべての曲が、それぞれに「目的」を持っているように感じます。
リズムと弓の配分、スタッカート、スラー、長調と短調など、ヴァイオリンの初心者に「技術」を意識せずに「音楽」として練習できる「楽曲」として完成しています。

 上の2曲は私たちのリサイタルで演奏されることの多い「歌」をピアノとヴィオラで演奏したものの一部です。ふるさと、瑠璃色の地球。
どちらも、素敵な旋律=メロディーと、これまた素的ピアノの和声=和音で作られています。特に、ピアノの「アレンジ」が歌を演奏する時の大切な要素になります。当たり前ですが、ヴィオラで「歌詞」は演奏できませんが、歌詞を意識して演奏しています。

 最後に、初心者ヴァイオリン奏者の、技術向上を目的にした「音楽」が少ない理由について考えます。
 練習用の「練習曲=エチュード」と「音階教本」は何種類も、販売されています。特に、左手の指を独立させて動かす「運動」を分類した練習用の楽譜、例えば「シラディック」や「セブシック」と言うタイトルの練習楽譜が主に使用されます。その中でも、ポジション練習のための「作品=巻」のように、特定の技術習得に特化した楽譜です。
 一方で、「カイザー」や「クロイツェル」「フィロリロ」など、練習用の「独自の音楽」を徐々に難易度を高くしながら練習できる「練習曲集」があります。
国内だと「新しいヴァイオリン教本」や「鈴木メソード」、「篠崎ヴァイオリン教本」などがすぐに手に入ります。ただ、収録されている音楽は、ヴァイオリンの技術向上を目的にした音楽ではなく、「演奏できるようになったら楽しい」という程度の段階で、曲が並べられています。特に巻が進むにつれ、有名な既成の協奏曲の一部や、小品がそのまま収録されているだけです。オリジナルの曲はほとんど入っていないのが現状です。

 音階の教本は「カール・フレッシュ音階教本」が、音階練習の「バイブル」ともいえる集大成です。すべての調で、ありとあらゆる「音階とアルペジオ」の楽譜が書かれています。一生かけて練習するための「経典」に近い?(笑)
簡単な音階の教本もありますが、本当の意味で音階を練習したいのなら、このカール・フレッシュを練習するしかありません。

 ヴァイオリン初心者に向けた音楽が少ない理由は、とても簡単です。
「作曲されていないのです。」
なぜ?世界中の作曲家たちが、ヴァイオリン初心者のための曲集を書かなかったのか?昔から、ヴァイオリンを教える先生、教わる生徒がいました。昔から「天才ヴァイオリニスト」と呼ばれる名手がいました。みんな最初は「初心者」でした。そしてみんな習ったのです。その時になんの曲を?どんな曲を練習したのか?記録がありません。ただ言えることは「楽譜を読む技術」は別のレッスンで身に着けて、ヴァイオリンの演奏技術だけを習うために「特定の音楽」がなくても練習できたということが言えます。
 ヴァイオリンの演奏技術は「ピッチの正確さ」と「ボウイングの技術」に集約されます。指導者によって、指導のプロセスが全く違います。ある先生は、ひたすら開放弦だけを練習させます。ある先生は、音階だけを練習させます。また違う先生は、持ちきれないほどの教本を買わせて練習させます。どれが正しいとは言えません。
私は「生徒の技術と知識、年齢と目的によって」指導方法を変えます。教本も変えます。楽譜の読めない生徒さん、読めなくても良いから演奏したい生徒さんなど様々です。その生徒さんに応じて、指導方法を変える「引き出し」を持つことが指導者の技術だと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介