究極のアンサンブル

ベルリンフィルハーモニーオーケストラのチェロメンバーによるコンサート「ベルリンフィル12人のチェリスト」を聴きにサントリーホールへ。
2年に一度ほどの来日公演を毎回楽しみにしている私たちです。
ご存知の方も多いかと思いますが、ベルリンフィルは世界最高峰の演奏技術と長い歴史を持つオーケストラです。運営を団員自らが行うことも特筆すべきことです。現在は、サイモン・ラトルという指揮者が指揮をしています。昔はあの、カラヤンが指揮者でした。そのベルリンフィルのチェロメンバーが単独で演奏会を開くようになって40年以上経ちます。日本では1973年に初めての演奏会を行いました。
多くの動画やCDが世界に広がっていますが、オリジナルのアレンジによるクラシック、ジャズ、映画音楽、タンゴなど多彩なレパートリーを持ちます。
一人一人の演奏技術は、考えれば当たり前ですが「世界一の技術」です。
その一人一人の演奏技術を12人で一つの音楽に仕上げます。
通常、ソリストが集まってアンサンブルをした場合の演奏会が多く行われます。それはそれで素晴らしく、聴きごたえのある演奏です。
また、このベルリンフィル12人のチェリスト以外にも、世界中のオーケストラで団員によるアンサンブル演奏会が行われています。

ではこの12人の演奏の何が?私たちの心を動かすのでしょう?
とても簡単には言い尽くせませんが、あえて一言で言うなら「伝統と人間性」だと感じます。
長い歴史を持つアンサンブルです。メンバーも変わっていきます。演奏会場や時代の音楽も変わります。その中で毎年、あるいは毎日、メンバー同士のオーケストラ「チェロパート」としての活動を伝承しています。チェリストたちの演奏会も同じことです。彼らが演奏会を開き、またそのための練習をするときには「ベルリンフィルは合奏できない」つまり演奏会も練習も成り立ちません。そのことを、他のメンバーが納得したうえで彼らは演奏を継続しています。これも伝統です。そして、オーケストラメンバー、チェリスト一人一人の「人間性」が問われます。
プロのオーケストラ。しかも世界トップのオーケストラです。聴衆の期待も世界一です。その期待に応えるための「企画」は前述したとおり、自主運営だからこそできるものだと思います。メンバー全員がお互いを認めなければ絶対にこの企画は成り立たないはずです。
チェリストたちの演奏会を聴いていて思うこと。

「誰も犠牲にならず全員が主役」だと感じます。
もちろん、12人が演奏していて指揮者はいません。扇形に配置された演奏位置で、お互いが全員を見ることができる配置です。
とは言え、歴然と「トップ」がいます。全プログラムの中で、次期トップがトップの席で演奏する曲もあります。これが次世代のアンサンブルへの伝承なのです。そのトップが曲の中で「休み」になっている時間もあります。
オリジナルのアレンジは曲によって、12人全員がおそらく全員違う音を出す瞬間もあるように聞こえ、ある時は12人が4つ、6つのパートに分かれていることもあります。その時々に全員が自分の楽譜だけでなく、隣のメンバー、さらにその隣…全員が何をしているのかを把握しています。そうでなければできない演奏です。
これは想像ですが、練習の段階で12人「以外」のメンバーの助言があるはずです。「バランス」を指摘する「13人目のメンバー」です。
聴いていて「絶対!ヴァイオリニストがどこかに隠れて弾いている」と感じる瞬間、「バンドネオン奏者が隠れている」「トランペットが」「打楽器が」そんな音色の多彩さは個人の演奏技術の高さだけではなく「バランス」を完全に把握しているからできる技だと思います。
プログラムはどの曲も短く、最後のアンコールまで「飽きない」演出です。
そのすべてのプログラムが綿密に計算されたバランスで演奏されます。
時には心憎い演出もあります。うまい!だけではなく、楽しい・すごい・悲しい・不思議という人間の感情が自然に湧いてきます。
彼らの人間性が音に現れます。舞台上で、聴衆に対して礼を重んじる姿勢も感動的です。おざなりな「挨拶」はしません。世界一の演奏者なのに「おごり」がまったくありません。むしろ「謙虚さ」を感じます。すごいことです。

この演奏を聴くと、アンサンブルってなに?と改めて考えさせられます。
私の勝手な評価をさせてもらえれば
「彼らの目指す演奏は音楽の神に近づくこと」
彼らの演奏は世界無二のものです。比べるものはありません。
その演奏を生で聞くことができる幸せを感じています。

メリーミュージック 野村謙介

音楽教室ってなに?

以前も書いたことがありますが、このテーマは時代とともに変化する答えを持っています。
メリーミュージックも小さいながら音楽教室の一つです。
そこに通ってくる生徒さんの一人一人が、違った目的を持っています。
私たち「教える側」はその生徒さんの目的を達成することをお手伝いして、代金を頂いています。生徒さんは「お客様」であると言えます。

そのお客様と私たちの間にある「契約」はなんでしょうか?

音楽を楽しむために通ってくる生徒さんにとって、「楽しくないレッスン」「楽しくない練習」が必要だと私たちが考えることがあります。
一見矛盾したことのようですが、楽しむ内容によるのです。
音楽を「演奏して楽しむ」ために通われているのですから、演奏できるようにレッスンをするのですが、生徒さんが今までやったことのない練習をしてもらい、知らなかった技術と知識を学んでもらうことが、必要不可欠なのです。
その必要不可欠なことを私たちが教えていくとき、生徒さんが納得してくれないとレッスンは成り立ちません。
ほとんどの生徒さん、そしてそのご家族は、その必要性を理解してくれます。しかし…
中には「楽しいだけで十分」「難しいことはやりたくない」「そのために、お金を払っている」という気持ちを感じてしまう生徒さん、ご家族もいらっしゃるのが現実です。
「そんな生徒なんているの?」と思われるかもしれませんが。
これは、私たち教える側にはどうすることもできない「生徒さんのリクエスト」なのです。先ほど書いた通り「契約」があってレッスンをしています。
その中身はレッスン代金やレッスン時間に関することがほとんどです。
音楽教室を「私立の高校」に例えて考えてみます。
生徒自らの意思で受験し、授業内容、規則に納得して入学します。
その学校で規則に反することをしたり、授業内容についていけなければ、生徒が辞めさせられても納得しなければならない「契約」があります。
音楽教室に置き換えると、生徒さんは「弾けるようになりたくてレッスンを受ける」場合と「ただ楽器に触って音を出したいだけ」という生徒さんがいる、あるいは「それでも構わない」教室と、「弾けるようになる努力をする人だけを受け入れる」教室があると思います。
この違いはものすごく大きな差です。
つまり、私たちが何を生徒さんにレッスンをするのかという根本に関わることなのです。
「上手に弾けなくても」というのはあくまで上達のプロセスであり、生徒さんの主観と私たち教える側の評価は違います。そのギャップを埋めながら時間をかけて生徒さんの技術を向上させるのが私たちの仕事です。
一方で「楽しければいい」という生徒さんを拒まない、または「拒めない」教室の場合、私たちはなにを教えれば良いのでしょうか?極論すれば「何も教えなくても音は出せる」とすれば、生徒さんが楽器を使って音を出しているのを「聴いているだけ」でレッスン代金を受け取ることになります。

多くの音楽教室が生徒さんを募集することに躍起になります。それは経営上、当たり前のことです。私立の高校でもそうであるように。
生徒さんのどんなリクエストにも応えるのが良いのでしょうか?
契約の段階、つまり教室の方針として「上達する意思のある生徒さんだけを募集」するのが良いのでしょうか?
人、それぞれに音楽の楽しみ方は違います。聞くだけでも楽しめます。
楽器を上手に弾けなくても、音が出せるだけでも楽しめます。
「グレード」「クラス」などで、内容を区分けする教室もあります。
それでもクラスやグレードとは関係なく、上記のような「生徒さんが求めるもの」が変わることもあり得るのが事実です。レッスン当初は「音を出すだけで十分」で始めたものの、面白くなって上達を目指す方もいます。その逆に、はじめは高い目標を持っていても、途中で挫折してしまい「もう十分」と辞めてしまう生徒さんもいます。そのひとりひとりの生徒さんに、日々レッスンをするのが私たち音楽教室で教える教師です。

誰が正しいのでもなく、どれが素晴らしいとは誰にも言えません。
だからこそ、私たちは「一人でも多くの方に演奏技術を高めることで、さらに多くの楽しみを体感してもらいたい」と願うしかないのです。
時代が変わって、「お金を払ったから好きにやらせろ」という人も増えるでしょう。そうなれば、音楽教室で教える先生はいなくなってしまいます。
私たちと生徒さんの「師弟関係」があってこそ!のレッスンだと思っています。

メリーミュージック 野村謙介