アマチュアオーケストラのすすめ

日本中にたくさんのアマチュアオーケストラがあります。
私が立ち上げて、特定非営利活動法人(NPO法人)として認定してもらい活動を続けている「メリーオーケストラ」もアマチュアオーケストラです。

NPO法人
よく聞く言葉ですが、実はあまり実態は知られていません。
国がその団体(法人)に認めた活動を行うのがNPO法人です。
メリーオーケストラの場合は「青少年の健全な育成」と「音楽の普及」という二つの目的を達成するために「月に一度のワークショップ(公開練習)」と年に2回の「定期演奏会」さらに「施設等への訪問演奏」を行います。
その他に目的を達成するための活動が許されています。
一般のアマチュアオーケストラと違い、活動の内容、社員(メンバー)、収支や財産の提出が義務付けられています。もちろん、定例社員総会や必要にも応じて理事会も開き、その議事録も必要になります。
運営の費用は、社員(メンバー)からの会費、賛助会員(メンバーでなくてよい賛同者)からの賛助会費です。これも設立時に作成し提出し認められた「定款」に書き込まれます。演奏会の入場料をいただいても構いません。ただし、広告収入は「その他の事業」となるので課税対象となり、多すぎれば問題となります。
理事を含む役員は「役員報酬」を定款で定めれば受け取ることができます。
ただしこれは法人の課税対象となります。
また、音楽で生計を立てている人への謝礼を支払うと、これも課税対象となります。
もちろん、メンバー(社員)が報酬を受け取ることはできません。
つまりプロの演奏家たちが集まってNPO法人オーケストラを作って給料をもらって生活することは「不可能」なのです。

その手間の多さは、普通のアマチュアオーケストラと比較してかなりの量になります。
では、そこまでしてNPO法人にするメリットは?
ずばり。「団体の透明性を高め、活動に賛同してくれる方を募る。」ことです。だからと言って、助成金があるわけでもなく、優先的にホールが確保できるわけでもありません。
長い時間をかけ、多くの市民に活動の趣旨を理解してもらい、その人数を増やすことがメリーオーケストラの活動趣旨なのです。

アマチュアオーケストラですから、プロのオーケストラのような演奏は出来ませんし、もとより目指していません。
演奏技術を高めることはとても重要なことです。
ただ、何のために演奏技術を向上させるのか?という焦点が、メリーオーケストラのの場合は、先述の二つの目的なので、言い換えれば「演奏技術を高めること」が第一の目的ではないのです。
私のリサイタルと同様に、ひとりでも多くの方がコンサートで「楽しかった」と思いながら、笑顔で帰られるコンサートを目指していますので、難しい曲は避けています。
難しいというのは「聞いていてよくわからない」つまり、普段あまり音楽を聴かない方でも、親しみを持てる「難しくない」という意味です。
どんな曲でも演奏は「難しい」のです。
それはプロであれ、アマチュアであれ同じことです。
どんなに短い曲でも、どんなに楽譜の簡単な曲でも、良い演奏をしようとすれば「難しい」のです。
ましてや、趣味で演奏を楽しんでいる人にとって、楽譜が難しければ演奏を楽しむ以前に、ストレスになってしまします。
賛否両論ありますが、アマチュアオーケストラが大曲を演奏することに、私は無理を感じています。
メリーオーケストラには4歳の子供から80代の方までが会員として活動しています。
その多くのメンバーが初心者です。つまり、楽譜が難しくなればなるほど、参加できる人が減ってしまいます。
入会のためのオーディションを行うアマチュアオーケストラがたくさんあります。
技術を高め、難しい楽譜を演奏し、完成度を高め、クラシックファンの期待に応えようとするならそれも「あり」です。
演奏技術の高い人だけを集めるのなら、最終的にはプロのオーケストラが一番うまいのです。
アマチュアの割にはうまい。
という評価は私個人としては「意味がない」と思っています。
アマチュアの演奏には、他の演奏と比較する必要性がないのです。
どこそこのアマチュアオーケストラより上手に弾けるなんて話を聞くと
「何がしたいのかなあ?}と疑問に思います。

演奏者たち一人一人が音楽を楽しめること。
その演奏をコンサートで見て聞いた人たちが純粋に感動できること。
その活動を継続すること。

それが私にとってアマチュアオーケストラのあるべき姿です。
メリーオーケストラは活動を始めて16年目です。
今回の演奏会(第33回)には、私の母校である桐朋学園で学んだ人が
私を含めなんと13名。他の音楽大学を卒業した人も6名。現役の音大生が3名。みんな交通費だけで参加してくださっています。本当にありがたいことです。
その方たちと一緒に4歳のちびっこも席を並べて演奏します。
9曲のプログラムの中には、ドボルザークのチェロコンチェルトやベートーヴェンのロマンスがあるかと思えば、小学生が歌い、オーケストラが伴奏する曲があり、荒城の月があり、オペラ座の怪人があり、ビッグバンドのメドレーがあり…。
音楽のジャンルという垣根を超え、演奏技術や経歴の垣根を超え、年齢の垣根もなくし、どんな人が聞いても楽しめるコンサートを開き続けるアマチュアオーケストラ。

もうすぐ演奏会です。

メリーオーケストラ
理事長・指揮者
野村謙介

音楽大学に通う人に

音楽大学に通う若い人たちに思うことを書きます。
時代が変わっても、音楽を学ぶ気持ちに変わりはないはずです。
「プロ(職業音楽家)」を目指すのか、純粋に「音楽を学びたい」のか。
私たちの学生時代(30年以上前)にも、卒業後の進路としてプロを目指していない人も中にはいた「かも」知れません。それはそれで間違ってはいません。
音楽を学ぶことは、今も昔も音楽大学に通わなくてもできることです。
また、通いたくても経済的な理由で進学できなかった人も多いことも変わりません。
音楽大学に入学するための事前の努力は、入学後に学ぶための「土台」となります。
その土台をスタート地点とすれば、入学後の一日一日が延々と続く「学ぶ」時間です。学ぶことは「練習と授業」だけではありません。日々の生活そのものから、自分に必要な何かを学び取れる人は、人間として、音楽家として成長し続けます。

「自分はどこを目指すのか?」
せっかく努力して音楽大学に入っても、自分の目標を見つけられなければ、時間は無情なほどに早く過ぎていきます。
私自身は演奏が専門ですので「演奏家」について書きますが、おそらく作曲や音楽学でも同様のことが言えると思っています。

目指す演奏が自分の師匠にあるはずです。
レッスンで自分に演奏を教えてくださる先生(師匠)の演奏を目標にするのは当たり前のことだと私は思ってます。むしろ、そうでないなら習う意味はないと考えます。
その師匠が仮にいわゆる「演奏家」ではない場合も考えられますが、優れた演奏家が優れた指導者であるとは限らないことは言うまでもありません。
一方で優れた指導者が優れた演奏家であるとも限らないと思います。
ただ後者の場合、指導者が弟子を上手にすることが「うまい」のであって、弟子の立場から見れば、師匠の求める演奏、指導の内容を忠実に練習し、師匠の要求に応えていくことが「目標」であるわけです。
いずれの場合も、弟子が師匠から学び取ることは容易なこと、安直なものではありません。教える側からすれば「もっと!」「まだまだ!」と思ってもそれが弟子に伝わらず、歯がゆい思いをしていることも多いのです。
音楽大学で学ぶ人にとって、自分の演奏技術を認識するのは、師匠からの言葉以外には、他の学生との比較になります。もう一つ、重要なのは自分で自分の技術を評価することです。その3つのバランスが一番大切です。
師匠の言葉、他の学生との比較、自己評価。
偏りがちなのは、2番目の他の学生との比較です。成績や順位。これはとても大切な評価ポイントですが、あくまでも「その時いる人との比較」ですから、むしろ流動的な評価です。学校の中、学年の中での評価です。一喜一憂する必要はないのです。
自己評価を客観的にできるようになるための学生生活です。
自分に足りない技術と知識を常に発見しようとする姿勢は、ともすると「後ろ向き」と思いがちですが、上達したいのなら自分の欠点を長所に変える覚悟がなければ無理でしょう。
自分の長所を見つけるのは自分ではなく、師匠です。
自分の欠点は師匠からの指摘と、もう一人の自分からの指摘です。
もう一人の自分を常に持つことこそが「客観的な練習」です。
友人との競争より、もう一人の自分からの指摘に負けないことが重要です。
若いからできることをしてほしいと思います。
そしてやがて、自分が経験と年齢を重ねたときに、若い時の記憶がどれほど重要だったのかを知ることになります。後悔してもどうにもならないのが、若い時に苦労することを避けた「甘え」なのです。

若い音楽家のみなさん。
どうか夢を諦めないで大きな目標を見据えてください。
これからの音楽世界を作るのは、若い人たちなのですから。

野村謙介

デュオリサイタルを終えて



今回で10日目となった私(野村謙介)と浩子先生とのリサイタルが1月6日に無事終わりました。
12月24日のもみじホールでのリサイタルと、アンコール以外のプログラムは同じものですが、全く違った音響、雰囲気、ピアノ(ベヒシュタインとベーゼンドルファー)での演奏。両方の演奏会に来ていただいた方に、その違いを堪能していただけたと思います。

私たち、プロの演奏家が演奏する場合、アマチュアの方と違った責任があります。
それは単にお客様から入場料をいただくか否かという問題だけではありません。
アマチュアの演奏家(オーケストラを含め)が演奏をして入場料を取るのも今や当たり前の時代です。
最も大きな違いは、お客様の期待に応える責任です。
もちろんアマチュアの演奏会でもお客様は期待してきます。
ですが、プロの演奏家が開くコンサートには、違った期待があります。
そして、プロである以上、どんな状況であってもお客様を満足させる演奏技術、会場のセッティングなどが求められます。
そんな重荷を練習で克服するのがプロだと思っています。

今回の演奏会で私がつけているサングラスのようなもの、これは実はただのサングラスではありません。

HOYAという光学メーカーが開発した夜盲症(暗いところでものを見ることができない症状)の患者のための特殊な機械なのです。

MW10という商品名になりますが、まもなく国内で発売が始まります。
今回着用しているのは、その試作機です。HOYAの協力を得てステージから暗い客席のお客様の姿を見ることができました。今までには味わえなかった感動です。

演奏とは直接かかわりのないことですが、私のような目の病気(網膜色素変性症
)を持つ人でも、音楽家を目指せる時代になったことを皆様に知っていただくことも大切なことだと思っています。
また、今後街中でこの眼鏡をして白い杖を突いている人を見かけたら、
「半盲」の人なんだなと気づいてあげてください。完全に光を感じられれない人を「全盲」といいます。私は少し見えてはいるものの、白い杖を突く必要のある「視覚障害」なのですが、なかなか街中で理解してもらえません。
白い杖を突きながら、スマホや携帯を捜査している姿を見ると「このひと、偽物の障碍者もどき?」という冷たい視線を感じます。

そして、この機械が私たち夜盲症の患者にとって「補装具」として認定されるまでに皆様のご理解とお力が必要です。厚労省と自治体が障碍者の補装具としてこの機械を認めてくれないと全額を私たちが負担することになります。
貴重な税金を使って一人の患者の生活を少し改善するだけのこと…。
でもその少しのことが私たちの生きがいになるのです。
見えなかった夜の道が見える。
一緒に歩く家族の見ている夜の道、暗いお店の中、映画館、コンサート会場の客席で「同じものが見える」感動。

ぜひ、皆様のご理解をお願いいたします。

最後に、演奏会を応援してくださったすべての方々と、ご来場くださったお客様に心からお礼を申し上げます。

ありがとうございました。

野村謙介