メリーミュージックブログ

相模原市橋本駅前の音楽教室 042-771-5649

TEL.042-771-5649

※駅前教室〒252-0143
神奈川県相模原市緑区橋本2-3-3
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神奈川県相模原市緑区原宿南2-26-1

2015年

メリーオーケストラ第28回定期演奏会のお知らせ

8月16日(日)午後2時開演。橋本駅北口ミウィ7階、杜のホールはしもと。入場無料。小さなお子様も入場可能です。
5才から大人までの会員が、音大生、プロの演奏家と一緒にステージで演奏します。今回で28回目となる演奏会。曲目はディズニーのメドレーや子供の大好きなトトロなどのアニメの音楽から、ベートーヴェンまで多彩です。開場は午後1時30分。事前のお申込みや整理券は不要です。どなたでもお楽しみいただけます。相模原市教育委員会後援です。

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子どものために

メリーオーケストラで音楽を楽しむ子どもたち。小学生たちが遊びの感覚でバイオリンを弾いています。大人と一緒に朝から夕方まで練習するメリーオーケストラ。地域、年齢、技術の枠に一切とらわれず、子供の健全な育成と音楽文化の普及を目的とするNPO法人メリーオーケストラ。子供を支える大人の役割と、音楽が人を一つにする実感をここでは当たり前に味わえます。
一人でも多くの方にこの活動にご協力頂けたらと願っています。
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プロを目指して

メリーミュージックに通ってくる多くの生徒さんは初心者です。
趣味で音楽を演奏する楽しみを感じてもらっています。
その生徒さんたちの中に、音楽家への夢を持つ生徒さんも出てきます。
ヴァイオリンであれ、ピアノであれプロの音楽家を目指すのは大変なことです。
でも、特別な才能が必要なのではありません。
小さなときから習っていれば誰でも上手になるわけではありません。
楽譜を見ているようで、実は楽譜に書かれている音符や休符ではなく
指の番号だけを見て弾いている子供もたくさんいるのが現実です。
プロの演奏家になるために、必要な練習は趣味で演奏する人が学ぶものと
少し違います。プロに求められる技術はただ単に自分の好きな音楽を
自分流に弾けば良いと言うもではないからです。
まだ、だれも演奏したことのない、出来たばかりの楽譜(音楽)を
楽譜を渡されてすぐに演奏できることもプロの必須条件です。
また、色々な作曲家の音楽を演奏できることももちろんです。
ヴァイオリンの場合、3才の子供が弾ける大きさの楽器があります。
ただ、ピアノと違い「音を出す」ことと「音の高さを決める」技術を
同時に習得する必要があるために、一人で練習してできるようにはなりません。
どうすればきれいな音が出るのか。どこを押さえれば正しいピッチの音がだせるのか。
理屈ではそれほど難しいことではありません。
ただ、どうしてきれいな音が出ないのか?今弾いている音が正しいピッチなのか?
は自分でわかるようになるまでは誰かに教わらないとできません。
自宅で練習するときに、親が教えてあげるのが最善の方法です。
親が演奏できなくても良いのです。レッスンで子供が言われたことを
自宅で子供に教えてあげるだけの事です。ピッチはチューナーを使えば
誰にでも計測できます。
さて、メリーの受験生たちはこれから、自分の進路をどうやって決めるでしょう。
私はどこの音楽学校であれ、本人の意思があれば上達できると思っています。
一番大切なのは自分が尊敬できる師匠(先生)に出会えるかどうかです。
人間同士のことなので相性もあります。限られた先生の中で自分がついていける先生に
出会い、周りからの刺激を受けながら、音楽仲間と一緒に成長するのが音楽学校です。
プロになるための技術を学び、精神を鍛え、さらに高いところへ登るための環境が
音楽学校なのです。メリーはこうした「専門家育成」の場でもあります。
誰でもやる気があればプロになれる。
そう、信じて頑張れる人だけがプロになれる。

紫陽花ツアー

今年も相模原北公園の紫陽花を楽しんできました。
今年はぷりんも一緒です。スリングと呼ばれる肩からかけるバッグのようなキャリーにおとなしく入って時々眠そうにしていたぷりん。
すれちがう猫好きな人に写真を撮られながら。
この公園、とても広く木々が自然に近く生い茂ったところもあって、観光地に旅行に行った気分です。幼稚園児の遠足とシニアの写真愛好家が楽しんでいました。
毎年、なにか変化があって嬉しいことです。

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心とからだの健康

メリーミュージック生徒さんの中で最高齢、今年85歳になられる女性が
昨日、私たちのCDをお買い上げくださいました。
昭和4年生まれ。私の父親と同い年です。
足の指が少し痛いんですけど、風邪も引かず、買い物も食事のしたくも
ぜーんぶ自分でしてるんですよー。とのお話。
どうして、そんなに気持ちもお体も元気なんですか?
と真剣にお聞きしたところ、お答えは
落ち込まないことでしょうかねー。
と明るく教えてくださいました。
ご主人を大分前になくされ、お一人で暮らしている生徒さん。
毎日、一日中私と浩子先生のCDを流しっぱなしで聴いてくださっているそうです。
野村先生と浩子先生にお会いできたおかげで本当に元気になったんです。
そういわれて「はいそうですか」とも思えず(笑)でも…
人との出会いに本心から感謝することができるからこそ、
明るく落ち込まないで生きていられるのかな?とも思いました。
自分の身に降りかかる「不幸」は人に理解されるものではありません。
それを不幸と考えず、受け入れて明るく生きることを目標にしたいですね。
病気や天災から逃げる方法はありませんから、遭遇してもそれは「偶然のできごと」です。
小さな失敗や、目の前の苦労を「大変だ」と思って落ち込むよりも
他にいいこともあるさと、好きなことを考えていれば、いつか時間はすぎていきます。
時間を大切にするって、自分らしく生きるという意味だと思います。
人それぞれ、幸せに感じること、不幸に感じることは違って当たりまえ。
だから、他人を巻き込まないで自分が好きなことをすることが一番だと思います。
親の世代の生徒さんに教えられることばかりのメリーミュージックです。

アメイジング・グレイス


人それぞれに悲しみや悩みがあります。どんなときにも笑顔でいることって、とっても難しいことですよね。なきたいときには泣くのも大切なことだと思います。
みなさまの心に蓋をしている素直な気持ちに、私たちの演奏が触れられたら演奏する喜びで私たちも嬉しくなります。天使のようなぷりんの画像を見ながら癒されて下さい。

録音技術の進歩

時代が変わり、音楽を聞いて楽しむ方法も変わってきました。
小学生の子供たちは「レコード」を知りません。カセットテープも今や懐かしいものになってしまったようです。
MDが時代の最先端だったのも懐かしい話です。
CDが主流となり、レンタルCD店もあちこちにありました。
ところがそのCDも次第に下火になってきています。
インターネットの普及で音楽も「配信」で楽しむ時代になりました。
便利になったことは間違いないのですが、音楽を聴いて楽しむというのは
必ずしも便利なだけが楽しみではないと思いませんか?
演奏を楽しむために、コンサートへ出かけることは決して便利ではありません。
人間が目の前で演奏する音を、大きな空間で楽しむことは非日常の趣味の時間ではないでしょうか?
CDの音質は素晴らしいといわれています。
空気の振動である「音」をマイクを通して電気信号に変換します。
昔、レコードが出来たばかりの頃、マイクの変わりに「ラッパ管」といわれる
筒のようなものに向かって演奏し、それを直接レコード盤に針で溝を掘って原盤を作りました。
そんな時代のレコードは雑音が多く、回転むらも多いものでした。
どんなに機械が進化しても、人間の感覚は変わっていません。
現代のCDに記録できる情報はすでに私たち人間が「音」として感じられる
空気の振動数を超えています。聞こえない空気の振動は音ではありません。
まして、スピーカーやイヤホンの性能がどんなに上がったとしても、
コンサート会場で聞く音とは全く違うものなのです。
会場には自分も含めたくさんの人がいますよね?みんな息をしていますよね?
その息だって本当は音なのです。演奏者から10メートルも離れたら演奏者の息よりも
隣の席の人の息の方が大きいでしょ?それでも音楽は聞こえてきます。
つまり、生の演奏には「雑音」が元々含まれていると思えばいいのです。
不快に思う雑音も確かにあります。が、すべての雑音を消していくと
実はものすごく気持ちの悪い、不自然極まりない音の空間になるのをご存知でしょうか?
放送局や録音スタジオの一部にある「無響室」という部屋があります。
残響をすべて消し去り、部屋の外からの音を完全に遮蔽し、空気の流れも音にならない
ゆっくりした流れにしてある特殊な部屋です。この部屋に入った瞬間、とても不気味な感覚に包まれます。
CDの録音はこうした部屋で行うこともあります。そこで電気信号に変えられれたデータを
電気で加工してイヤホンやスピーカーで聞いたときに、まるで広い部屋で聞いているような
「錯覚」を作り出すのです。雑音といわれるものは一切ありません。むしろ、演奏者の息が雑音に感じます。

私たちが録音に使っているのは、こうした特殊な部屋ではなく私たちが生活している
自宅のリビングです。厳密に言えば雑音だらけです。エアコンや照明器具の音、
時にはマイクの近くで寝ている愛娘「ぷりん」←にゃんこですの寝息も入っているかもしれません。
録音に使っている機材はデジタル記録用のものですが、その空間だけは普通の空間なのです。
デジタルの録音技術のなかで最もポピュラーなのが「パンチイン」と呼ばれる、言わば「いいとこどり」です。
失敗した音だけを何度でも弾きなおして、その音だけを入れ替える。
実は昔から用いられてきた録音方法なのですが、もはやクラシックの世界でも
当たり前になっています。聴いていてもわからないように処理できるので、いくら聞いてもわかりません(笑)
その方法を使うことで演奏者は失敗を気にせずにのびのび演奏できる…のですが
言い換えると緊張感はなくなります。私たちの録音はこの手法を使わずに「一発取り」といわれる
途中で録音を止めない方法で作っています。何度か録音しなおすことはします。
何度もやればうまくいくと思いがちですが、実は段々疲れてくると集中力が落ちて
どんどん下手になるんですね。これが(爆笑)
そんな録音風景を思い描きながら、今回のCDローズをお聞きいただけると、より一層楽しめるではないでしょうか?

お待たせしました!

FB_IMG_1432382305956てすCD第三弾「Tendernessローズ」完成しました!
サンプルもお聞き頂けるようになりました。
お申し込み、サンプルの試聴はこちらのページからどうぞ!
皆様のお申し込み、心よりお待ちしております。
発売開始は6月6日です。
申し込みページ

CD第三弾

テンダーネス文字小多くの方に優しい気持ちをお届けしている私たちのCDアルバムtenderness
皆様からのご期待にお応えできる第三弾を作ります!
収録予定曲(順不同)
☆タイスの瞑想曲
☆カヴァレリア・ルスティカーナより間奏曲
☆トロイメライ
☆パガニーニの主題によるラプソディ
☆真夏の夜の夢よりノクターン
☆アメイジング・グレイス
☆オンブラ・マイフ
☆夜の歌
今回もバイオリンとヴィオラを取り混ぜた演奏です。
まもなく予約受付開始致します!

教育と音楽

教育という職業に関わって30年ほどの年月が経ちました。
桐朋学園大学という言わば「職業音楽家育成学校」で学んだ私が
卒業後、すぐに普通科中学・高校で音楽の教員として働くことになったのは
偶然が重なってのことでした。卒業するまで多くの学友と同じく
自分「も」演奏家になるのかな?と漠然と思っていました。
そんな私が20年間という長い時間を一つの私立学校で音楽の授業だけでなく
担任をしたり、教務の仕事で成績管理をしたり、生徒指導をしたり、保護者と面談をしたり、
修学旅行の引率をしたりと、本当に音楽とは無縁に近い生活をしていました。
勤めだしたのがその学校の新設のときだったので、ただ一人の音楽教諭として
なにもない(音楽室の設計から備品の選定まで)ところから始まりました。
当然の事ながら、教諭として何の知識もない状態でスタートしながら、唯一つ
自分にしか出来ない指導があるだろうと音楽顧問としてオーケストラを編成する夢を
追い続けました。当初、10人の男子生徒(男子校だったので)を集めて始まりました。
3年間で60名の男子だけのオーケストラに育てました。今考えても信じられないような
神業です(笑)
その音楽部を150人編成のオーケストラに育てました。全校生徒1200名の学校で
150名が音楽部。石を投げれば音楽部員に当たるとまで言われました。
なぜか?本当になぜだったのか理解できませんが、ほとんどの教員、特に管理職教員から
猛烈な「野村たたき」を受け続けました。出る釘は打たれる…そう言い聞かせながら
ひたすら無視して自分の夢だけを追いました。退職する2004年までに私自身が学んだこと。
組織の恐ろしさ>教育
教える側も教わる側も、結局は周囲の人間の流れる方向に逆らえないのが学校という組織だという
悲しい事実でした。桐朋に学んだ頃、学生だった自分はそんなことを考えたこともありませんでした。
学校組織の見えない圧力が教育を阻んでいます。
事なかれ教育。付和雷同が一番。人と違うことをすればいじめられる。
教員間でのいじめは生徒同士のいじめの比較になりません。なにせ大人のすることです。
隠蔽する知識も渡世術もあります。決して表に出ないこのいじめが、こどもに伝わらないわけがありません。
音楽は自分を表現することであり、同時に他人を受け入れることでもあります。
誰かが作った音楽を演奏する時点でその作曲家の思いを受け入れることになります。
お客様の前で演奏することも同じです。一緒に演奏する仲間との信頼。友情。
教えてくれる師匠への尊敬の念。自分を慕う後輩への優しさ。ライバルでもあり
かけがえの無い友との出会い。
そんな音楽を愛する人たちの純粋な学び舎でる学校にいた時代と、学校教育の現場のギャップ。
私は今の学校教育に多くの疑問を持っています。
部活動が当たり前のように日曜日も夏休みもお盆も年末年始もなく行われる異常さ。
それを黙認する教育委員会と文科省。部活指導をしなければ怠慢だとクレームを言う保護者。
塾に通わなければ学校の勉強ができないと当たり前に思っている保護者。
先生を尊敬しようともしない子供たち。子供を管理しなければならなくなってしまった教員。
生徒を叱るだけで「体罰」と騒ぐマスコミ。こどもの学ぶ自由を奪う教科書への国家の干渉。
音楽の授業を「その他の教科だから」とどんどん減らしていく文科省。
音楽の授業で「ドレミ」さえ教えられない教員。
そんな不満をストレスに感じながら働くことに疲れ果てて、自分で音楽を教える道を選びました。
自分の責任で教え、自分の力で演奏会を開くこと。生活は貧しくても心は豊かです。
長文、最後までお読みいただきありがとうございました