メリーミュージックブログ

演奏家夫婦が優しく丁寧に指導

     

メリーミュージック

   

2004年創業バイオリン教室・ピアノ教室・ビオラ教室・楽器店です
神奈川県相模原市緑区原宿南2-26-1

演奏の技術

モチベーションを持続させる秘訣

 映像は趣味で楽器の演奏を楽しむ生徒さんたちの演奏を切り抜いた動画です。あ。私と浩子さんも弾いてますが(笑)
 楽器の演奏は、演奏する人にとって楽しい事のはずです。
しかし実際にはどうでしょうか?多くの人にとって楽器を弾く楽しさが徐々に薄れ、楽器や音楽に対する関心が無くなっていく流れは自然なことかも知れません。「音楽大学に合格するために!」や「コンクールで優勝するために!」と言う高い目標を持つ人なら話は別ですが、大多数のアマチュア演奏家にとって「モチベーションを維持する」事は楽器を上手に弾くこと以上に難しいことかも知れません
 以前のブログで「部活動」で演奏レベルが高くなる理由を書きましたが、部活動で楽器を演奏する「目的」は様々です。部活動自体が目標を持っているケースもありますが本人が楽しいと思えば3年間の中学校生活・高校生活の間、楽器の演奏を楽しめます。
 卒業しても楽器の演奏を続ける人は全体の1割に満たない人数だと思います。多くの人は「満腹」なのか(笑)卒業後に楽器から離れます。演奏の楽しさより「友達との時間」の楽しみが大きかったのかもしれません。

 どうすれば長く楽器の演奏・練習を楽しむことが出来るのでしょうか?私自身の演奏経験と多くの生徒さんと関わってきた経験から「秘訣」を探してみます。
1.常に新しい目標を見つけること
2.一緒に演奏する仲間を作ること
3.自分の演奏を誰かに聴いてもらうこと
4.練習すれば上達することを信じること

この4つに集約されると思います。もちろん4つすべてを満たす必要はありません。ひとつでも十分にモチベーションは維持できます。
 私自身は音楽大学卒業後、中学高校の専任教諭として20年間勤務した期間、ほとんどヴァイオリンの練習は出来ませんでした。現実的に仕事のない日に楽器を練習する気力も体力もありませんでした。
生徒たちの指導で楽器の音を出すことはありましたが「練習」とは言えません。長いときにはほぼ1年間、楽器のケースを開けることも出来なかった時期もありました。音大時代に毎日のように6時間、時には一日中、楽器を練習する生活をしていた自分が「就職」を境に楽器から離れた生活になったわけです。
 楽器を弾けないストレスよりも仕事のストレスが膨大だったため(笑)楽器を弾きたいとも感じませんでした。不思議ですね。
 退職後に自らの音楽教室を駅前に開き、朝10時から夜9時まで休憩も取らず、定休日もなく(当初はありませんでした)レッスンをし続ける日が始まりました。自分の楽器の練習をする時間が…作れませんでした。この時も楽器を練習するより「レッスンをする」事しか出来なかったので練習したいと考えることもありませんでした。

 そんな日々からの転機は浩子さんとのデュオリサイタル開催でした。2007年から練習を開始して2008年に松本と相模原でのコンサート実施に向けて私の「リハビリ」が始まりました。学生の頃に戻ったような練習の日々が始まり、レッスンも月曜日を定休日に設定。人間らしい生活が始まりました。
1回目のリサイタルは「弾きたい曲は全部弾こう!」実際、2度目を開催できるかどうかも決まっていなかったので、今考えると「なんで?こんなにたくさん弾いたの?」と恐ろしくなるほどの曲数でした。私にとっては22年振りの練習でしたが「目標」がはっきりしていたこともあり毎日当たり前のように練習できました。
「秘訣」のひとつ「一緒に演奏する仲間を作る」事の実践です。もし私と浩子さんとの再会がなければ練習することもなかったかもしれません。「人任せ」に聴こえるかも知れませんが、人との出会いは自分以外の「誰か」の存在があることが前提なのです。音楽に関わった生活をしていても「演奏したい」と言う気持ちが無ければ練習は空虚なものになります。

 「練習すれば上達すると信じること」は自分自身の考え方の問題です。以前のブログでも書きましたが、自分の演奏を客観的に聴くこと・観察することは最も難しいことです。
練習しても思ったように演奏できない時・練習する時間が取れない時に「負のスパイラル」に陥りやすいものです。人間にはバイオリズムと呼ばれる「周期的な波」があります。
身体的にも精神的にも「波」を感じるのは人間が持って生まれた生きるための防衛本能とも言われています。どんなに「頑張ろう」と意志が先行しても肉体がついていかないこともあります。逆に身体は健康なのに精神が不安定になることもあります。同時に落ち込むこともあります。つなり「休息」することが私たちのDNAにはプログラムされていて、脳と肉体に無理をさせないように出来ているのだと思います。
「練習・音楽に気が向かない」ことは誰にでもあることだと思います。まれに「練習が辛いと思ったことがない」と言う人の話を聴きますが私には信じがたい話です(笑)「常に新しい発見をする」ことがモチベーション維持の秘訣だと書きましたが、いくら練習しても新しい問題解決が見えない時もあります。
 例えて言うなら「大好物」を毎食、毎日食べ続けたら?恐らく1週間もしたら「他のものを食べたい」と感じるのではないでしょうか?
人間の味覚は日々微妙に変化しますが、同じ香り、同じ味、同じ食感のものを食べ続ければ「飽きる」のは当然です。いくら目先を変えても大差はないでしょう。
 楽器の練習でも毎日同じことをしていれば「飽きる」日がきます。まして「趣味」で演奏する人にとっては演奏レベルを高めることより「楽しむこと」が目的なのですから、楽しく感じなければやめたくなるのは当然ですよね?

「音楽が楽しい」と感じる瞬間は、音楽に接している時に感じるものです。そして音楽は一人で苦しんで練習するべきではありません。自分以外の人と「共感」しあえることが音楽の本質です。
すべての音楽は「誰かが誰かのために作る」ものです。作曲にしても演奏にしても同じです。「人に聴いてもらえる演奏ではない」と思っているのは自分だけです。もし自分の大切な人に自分で音楽を演奏して届けようと思ったら?「ヘタだから」と思うより喜んでもらおうと考えるはずです。それが音楽になります。
 大切な人へのメッセージを言葉や行動ではなく「音楽」で伝えられる幸せは「最大のモチベーション」です。家族でも今はいない人でも「誰かのために」演奏してみてください。

きっと何かが変わります。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

はじめの一歩

 映像は2001年。メリーオーケストラの第1回定期演奏会で演奏した「ふるさと」
決して「すごい」と言う演奏ではありません。出来たばかりのホールで小さな子供とプロの演奏家が一緒に簡単な曲を演奏している「だけ」に思われて当然です。
この時に私自身はまだ中‣高の教員をしていました。学校では授業と会議、事務作業と部活オーケストラ150名の指導・運営に追われていました。
 この年に家を建てる事が出来て町田市から相模原市に引っ越してきました。
そんな地元に子供が演奏できるオーケストラを作ったのが「メリーオーケストラ」です。当初「子どものための」と言う枕詞を付けていました。演奏会では大人も一緒に演奏していますが主役は小さな子供たち。一番年上の子供が小学校5年生でした。この演奏会に初めて来場された方の中には、もしかすると今もメリーオーケストラの演奏会に来てくださっている方もいらっしゃるのでは?
本当に長い年月が流れました。25年間…四半世紀ですね。

 上の映像は今年(2026年)2月のメリーオーケストラ第47回定期演奏会でのアンコール「ふるさと・夕焼け小焼け」の演奏です。
同じオーケストラです。規模や楽器の種類、技術のレベルは25年前とは違うオーケストラに感じますが「中身」は同じです。第1回の演奏会で弾いていた人はいませんが、第2回、第3回から参加しているメンバーは今でも何人か一緒に演奏しています。
 オーケストラに限らず「人間」にも「地球」にも「宇宙」にも「誕生」があります。人間が作る機械や道具などには明確は誕生の瞬間はありませんが、誕生してからの変化は人間にもオーケストラにもあります。オーケストラは人間の集まりです。「音楽」は年を取りません。年月が経っても変わらない芸術が音楽です。

 一人ひとりの人間が年月と共に変わっていくことは「成長」でもあり「老い」でもあります。多くの人が一つの音楽を演奏するオーケストラは「家族」に例えられますが、確かに家族も増えたり減ったりして年月と共に変化しますが、人間の一生よりも長くひとつの家族を維持することは不可能です。オーケストラはメンバーが変わっても「中身」が変わらなければ終わりはありません。
 オーケストラの「中身」とは?簡単に言えば「目指すもの」です。
より高い演奏技術を目指すオーケストラもあります。珍しい音楽だけを演奏することを目標にしたり、映画音楽やポップスを演奏することに特化したオーケストラ、歌劇場でオペラの音楽を演奏するために作られたオーケストラもあります。
 メリーオーケストラが目指すものは?
これは私の考えですので「メリーオーケストラの目指すもの」とは違うかもしれません。

子供たちが音楽で人と触れ合うための組織・オーケストラの演奏を生で聴く体験を、身近な楽しみにする人を増やすという大きな「目的」を持っています。そのために何よりも必要なのは「継続すること」です。どんな素晴らしい活動も1回で終われば「成長」「変化」は望めません。人間が長く生きることで経験を重ねてより深い人生を味わえるように、オーケストラで演奏する人・聴く人にとって「継続=演奏し続けること」の意義は他のどんなもの…演奏技術レベルや完成度の高さよりも尊いものだと思っています。

 地球にもいつか「終焉」が来るように人間の命も永遠ではありません。すべての人がすべての「終わり」を見届けることはできません。仮に宇宙に終わりがあったとしても目撃できる人はその時に生きている人だけです。もちろん誕生にしても同じです。宇宙の誕生を見た人間はいませんし地球の誕生を見た人もいません。自分の誕生を自分で覚えている人もいません。自分の親の誕生を見たことのある人もいません。「最初」と「最後」に立ち会える事は人間の一生の中で数多くあることではありません。一般に始まりは嬉しく・喜ばしく、終わりは悲しく・辛いと思われます。出来ることなら終わりの瞬間に立ち会いたくないと思うのは自然なことかも知れません。
 終わる時を自分で決める時もあります。小さなことで言えば子供がゲームを終わる時や仕事を終える時です。意図せずに終わってしまう事に直面してしまう事も生きていれば体験するものです。
「終わり良ければ総て良し」と言うことわざがあります。
「竜頭蛇尾」と言う言葉もあります。
 初めてのヴァイオリン・初めてのオーケストラを体験する人にとって「中身」を忘れないで練習することが継続する秘訣です。目的や目標のない趣味は終わりが来ても辛くもなく、悲しくもありません。演奏は一人で楽しむより「人と一緒に演奏できる」ことが最大の楽しみだと私は思っています。どんな人も「最初は初心者」です。5年経っても10年経っても「初心者」で良いのです。上級者が楽しいとは限りません。音楽の「楽しみ方」を考えてみてください。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

NPO法人メリーオーケストラ理事長 野村謙介

どうして部活動オケでうまくなるのか?

 映像は2004年春。横浜みなとみらい大ホール。演奏するのは中学生と高校生。ハーピストだけはプロです。パイプオルガンも高校生がみなとみらいのオルガニストのレッスンを受けホールの許可を得て演奏しています。指揮は私です。2020席にほぼ満員のお客様を迎えて演奏。私にとってはこれが最後のみなとみらいでした。この年の12月に退職しました。
 今回のテーマは中学生・高校生が学校の「部活動」で何故?短期間のうちに楽器が演奏できるようになるのか?と言う「謎」を解く内容です。前提の話ですが、部活動は「特別活動」という教育活動の一部であり「地域のサークル」ではありません。あくまでも「学校」の安全管理と校則の範囲でのみ活動が許されるものです。夜遅くまで練習したり毎週のように土曜・日曜・祝日にも練習を行うのは明らかに教育活動を逸脱した「違法性の高い活動」です。保護者が同意すれば良いと言う安易な問題ではありません。このテーマはまた別の機会に。

 さて本題です。中学校・高校だけなら3年間、中・高一貫校なら6年間。同じ学校で楽器を練習できます。3年・6年と言うと短くも長くも感じるものです。それは子供にとっても大人にとっても同じことが言えます。
 部活動ではなく「趣味」「習い事」として楽器を練習し始めてから3年間・6年間という期間は長く感じますか?それとも短いでしょうか?例えば幼稚園の年長だった子供が3年間で2年生、6年間で5年生になりますね。大人の場合は…30歳で始めた人と70歳で始めた人にとって「違い」があるとすれば、日々の生活の内容=仕事の有無・自由な時間の長さによって感じ方が変わるものです。一般的に大人が趣味として何かを始めて「5年間」続けば、恐らく一生の趣味になる確率が高いように思います。始めてから1年目は頑張って練習したのが2年目、4年目になると「フェードアウト」してしまうケースも多いですね。
 子供でも大人でも「毎日練習する」事は一番難しいことです。
子供であれば学校の宿題、塾、ゲームの「合間」に親に言われて仕方なく楽器を弾くのが10分?5分?
大人の場合は仕事が終わって帰宅してから楽器を練習できる人はまずいないでしょう。仕事がお休みの日や家庭で家事をされている方なら、子供が学校に行っている時間や「隙間」を見つけて練習するのが精一杯だと思います。つまり多くの「趣味演奏家」にとって毎日練習するのは「無理」なのです。
 部活動の場合はどうでしょうか?学校の校則の中で許される時間帯、例えば始業前の30分とか昼休みの20分、放課後の30分など楽器を練習する時間を校内で作ることが出来ます。しかも「毎日」です。
教えてくれる人がいなくても、極端な場合「自己流」で間違った演奏方法・練習方法だっとしても毎日楽器を思い切り練習できるという環境があります。それが「3年間」「6年間」続きます。
 もうお分かりですね?そうです「部活動」は学校で毎日、楽器を練習できるから上達が早いのです。単純にそれだけの事です。
「才能」とか「指導者の技術」「楽器の値段」はほとんど関係ありません。事実、私が20年間学校でオーケストラを「ゼロ」つまり何もなかった新設校に着任して「オーケストラ」とも言えない11人の生徒から指導を始め、毎年20名以上の新入部員を迎え入れ、学校の方針で外部の指導者を呼ぶことが許されなかったため、当初はすべての楽器=管楽器も打楽器も一人で指導していました。

 毎日の練習が上達の「重要な要素」であることは間違いあれません。部活動に限らず音楽家を目指す人が毎日練習するのも同じことです。では毎日練習できなければ「上達しない」のか?と言えばそれも嘘です。例え3日に1度だけ30分練習したとしても、1週間に30分だったとしても練習すれば必ず上達します。違うのは積み上げられる「厚み」です。練習から次の練習までに時間が長ければ、前に練習したことを身体が忘れてしまいます。脳の記憶も同じです。初めて覚えたことは時間をあけずに「思い出す練習」が効果的です。次第にその間隔を長くあけて思い出す練習を繰り返すことで「強い記憶」になります。勉強で丸暗記する時にも有効な記憶方法です。
 付け加えるなら、部活動は楽器の練習の他に友人との会話や一緒に遊ぶなどの「楽しい事」があるから続けられるものです。部活動をやめる原因の殆どは人間関係のトラブルです。楽器の練習に飽きたり、上達しないストレスが原因でやめる生徒よりも圧倒的に友達や先輩・後輩との関係が崩れてやめる子供が殆どです。この点は「趣味」の場合と大きく違います。習い事や趣味の場合には演奏以外の「楽しみ」が少ないことも事実です。結果的に「うまく弾けない」ストレスがドロップアウトの最大原因になります。
 趣味で楽器の演奏を「長く楽しむ」秘訣は、自分以外の人と演奏する楽しみを見つけることです。「一人が好き」と言う性格の人も多いのですが楽器、特にヴァイオリンや管楽器の場合には「誰かと一緒に演奏する」ことが音楽の最大の楽しみになることを知らない人が大多数です。ピアノは違います。一人で演奏して十分に楽しめます。
 アマチュアオーケストラにも様々なコンセプトの違いがあります。
より高い演奏レベルを追い求める人たちが集まったアマチュア団体もあれば、メリーオーケストラのように初心者でも参加できて、演奏会で多くの楽器が加わりプロと一緒に演奏する感動を味わえるオーケストラもあります。
「自分は大人だからうまくならない」「我が家の子供は音楽に向いていない」どちらも大きな間違いです。到達するレベルは練習の内容と時間で変わります。才能や年齢には一切関係がありません。
 体力も必要ありません。金属製の弱音器を付ければテレビの音圧と同レベルの音量に小さくできるので夜中でも練習は可能です。
持ち歩くのもヴァイオリンなら楽ですし置き場所にも困りません。さらに「飾って楽しむ」事もできます。「ヴァイオリンは高い」と言う神話にも似た話がありますが、実際にはギターやテニスラケットと同じかもっと安い金額でも購入できます。一度買って丁寧にメンテナンスをすれば自分の一生よりも長く使えるのがヴァイオリンです。
 できなかったことが出来るようになる楽しみこそ趣味です。
あなたも「大人の部活動」のつもりで楽器を練習してみませんか?
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

子どもの心と音楽の関わり

 映像は私が2001年に創設し現在も代表(理事長)と指揮を務めているNPO法人メリーオーケストラの定期演奏会の演奏風景です。
 今回のテーマは幼児期から思春期の子供たちの「心=精神・行動」と音楽の関りについて考察する内容です。
 子供と大人の「関係」には家族・親族との関りと、それ以外の大人との関りで何から何まで違うものです。最も大きな違いは「保護責任」と「同居」の有無です。親は自分の子供に対して他の子供とは違う接し方をする事は「当たり前」に思われがちですが、なぜ?違うのかについて考えることは案外少ないものです。
単に「血縁」だけが家族の絆ではありません。同じように「法的な関係」だけで絆が生まれるものでもありません。

多くの場合「大人」の側に問題がある場合、「子供の心」に歪みが生まれたり精神的な不安定さが現れる様です。特に「親」と言う特殊な立場になると、我が子「だから」と言う気持ちが常に行動に出てしまいます。他人の子供の失敗は許せるのに自分の子供には厳しく当たることは珍しい事ではありません。
 子供と「先生」の関り方の場合、大人=先生の経験と知識・技術によって子供の個性を理解する能力に差が生まれ、当然接し方にも「うまい・へた」と言う差が生まれます。「相性が大事」と言われますが、何よりも先生としての資質・能力があっての話です。

 子供と音楽。あまり関りがなさそうに感じますが、私自身の子供時代の記憶と「中学・高校」の教員として子供に接した20年間の経験、さらにメリーオーケストラとレッスンで子供たちと保護者と接した経験をもとに考えると「子供の成長と音楽」は非常に大きな関連があると確信するようになりました。
 言うまでもなく子供は大人以上に個性がはっきりしています。「子供はみんな一緒」と考えるのは大きな間違いです。身体以上に「精神=感受性の個性」は大人とは比較にならない「差」があります。すべての子供の個性が違うので「ひとまとめ」にすることはできません。分類するのも意味がありません。例えば「内向的・外交的」と言う分け方や「素直・反抗的」「反応の速度」などで区別するのも安直です。子供の内面は大人以上に繊細で複雑です。大人は「自制心」で制御できますし、理屈やTPOで自分の態度を抑制することもできます。言い換えると大人は子供より「鈍くなっている」とも言えます。

同じ年齢・月齢の子供に同じ音楽を同じ条件で聴かせた場合の「反応」は全く違うものです。演奏の技術・楽器・音楽の種類とは無関係です。子供によって「好きな音楽」が明確にあります。もちろん「なぜ?」を言語化する事は子供には出来ません。しかし「反応」は明らかに違います。「親の好きな音楽」とも残念ながらほとんど関係性は見られません。音楽を聞く時の子供の精神状態によっても変わります。音楽に興味を示す子供を「天才」とか「神童」と考えるのは間違っています。どんな子供でも精神状態に波があります。穏やかな時には眠くなります。交感神経が活発になると「元気」「行動的」になります。音楽を聴いて眠る時は精神が穏やかな場合が殆どです。
 小学校や中学校に通う子供たちにとって「音楽」と言えば学校での授業「音楽の時間」が思い浮かぶようです。実際に学校での音楽授業は「鑑賞」「実技=歌唱・器楽」が主な活動になります。鑑賞の教材としてクラシックやポピュラー音楽を聴いて「鑑賞文」を書かせることで「鑑賞の能力」と言う観点が成績=評価の材料になりますが、現実には「作文の能力」を評価しているに過ぎません。また「合唱」「合奏」でも基本的には楽譜を音にする技術・知識を学習する時間はなく、誰かの「真似」をして歌う・演奏するのがもはや当たり前になっています。

 義務教育での「音楽授業」の内容は私が中学校・高等学校の教諭をしていた1980~2000年の頃にも多くの問題が指摘されていました。最大の問題は授業時間数の減少という現実的なものでした。当時の文部省=現在の文科省が示す「標準授業時間数」を基準にすべての教科・科目の週当たり授業時間数が決められていました。週に1時間、多くても2時間が音楽の授業時間数。行事や祝日が重なれば学級によって「月に1時間」になってしまうことも珍しくありません。その時間内で指導する内容も文部省が指定していました。実際には「無理難題」を押し付けられた教員は四苦八苦するのですが、教育委員会も文部省も「知らん顔」です。これが現実です。

 学校教育の音楽授業で子供たちに音楽の美しさや演奏する楽しさを感じさせることは物理的に困難です。小学生7~12歳頃の子供にとって学校での「学び」と「刺激」は生活の大きな部分を占めます。昭和の時代に「国語・算数・理科・社会」と「体育・図工・音楽・道徳」さらに「家庭科」が加わりましたが土曜日が「半ドン=午前中授業」と言う生活が繰り返されていました。当時から音楽の授業は今と大差ありませんでしたが少なくとも現代の小学校のように「あれもこれも」というカリキュラムではなかった記憶があります。

「読み書きそろばん」それ以前は「寺子屋」が子供の学びの中心でした。戦時中を除き「子供の教育」は日本でも国家として重要視されていました。学校で習わない・習えないことは「家庭」に任せられました。子供が多かった時代、家には母と祖父や祖母も一緒に暮らす家庭が多かった時代がありました。昭和の中・後期「高度経済成長」の時代になり徐々に「家庭」の環境が変化しました。核家族化が進み共働き家庭が急増し「かぎっ子」と言う言葉が流行語にもなりました。
子供が学校外で学ぶのは「塾」と「お稽古事」になりました。
 昭和35年=1960年に生まれた私の小学校時代、東京も地方も1クラスが40人以上、1学年6学級以上の子供が学校にあふれていました。
その中で「塾」に通う子供は1学年に数名でした。習い事の多くは「ピアノ」が最も多く、ヴァイオリンを習っているのは小学校で1~2名でした。中学生になった頃にもその人数はあまり変わりませんでした。
1985年に教員になった当時、中学生でピアノを習っている・習っていたと言う生徒がクラスの約半数を占めていました。多くは女子生徒でしたが中には男子もいました。ヴァイオリン、エレクトーンを習っている生徒も1学年に数名いました。多くの生徒は自宅にピアノが「置いてある」時代でした。

 令和の現代で「習い事」が出来る児童・生徒は私が小学校低学年だった頃=1965~1970年頃に戻ってしまったように感じます。
自宅にピアノがある家庭は今や「すごーい」とびっくりされる状態です。住宅街を歩いていてピアノの音が聴こえる事は「過去の話」になりました。アパート・マンションでは「楽器演奏不可」が殆ど。一軒家でも場所を取るピアノは「邪魔」になりました。
 子供たちが学校外で音楽を楽しむ・学ぶ環境が「お金持ちの家庭だけ」になってしまいました。悲しい限りです。
 少子化が進み「高校・大学」に進学する事は以前に比べ簡単になりました。学校を選ばなければ「誰でも」高校・大学に進学できます。入学金・学費を払うために共働き・少子化は益々進行します。
 子供たちにとって「音楽を楽しむ」ことはもはや贅沢なのでしょうか?部活動で合唱や吹奏楽を楽しんでも学校を卒業すれば「終わり」と言う子供が大多数です。

 子供が家族と学校以外で「音楽を習う」ことの特別な意味について最後に書いておきます。
 子供の中には学校での集団生活が困難な子供がたくさんいます。
勉強や運動が得意ではない子供はもっと多くいます。家族にその責任を押し付けるのは間違いです。社会全体の責任です。
 子供一人一人に対して「一人の大人として」接する中で、学校や家庭では感じられない「楽しさ」を感じることもあります。多人数で行動する事に抵抗がある子どもに「〇〇スクール」「〇〇学級」は結局「楽しくない場所」になります。
楽器の演奏は「自分だけの世界」を作ることができます。
出来なかった事が出来るようになる感覚を体感することも出来ます。
先生とのレッスンの中で交わす言葉、態度も不思議なことにレッスンの時間・回数が増すごとに変化していきます。
一言で言えば「子供が心を開く」事です。
成長の過程・速度には大きな個人差があります。幼少期の個人差は家族にとって「もしかしたら…」と過剰に反応しがちです。
集団で授業を行う学校では「個人差」だけでは対応できない一面があります。さらに教員の経験不足によって置き去りにされる子供が存在する結果にも繋がります。
 楽器の演奏には「思考」と「運動」の組み合わせが必要です。多くの場合に「出来ないこと」がストレスになるのは大人も子供も同じです。大人の「指示」に対する容認性は子供によって違います。
それらの「違い」に応じて子供へのアプローチ方法を変える技術が必要です。子供の出来ること、得意な事、好きな事を観察して見つけ「糸口」を見つけることが出来なければ子供のレッスンは子供にとって「命令に従うだけ」の時間になります。

「心」は育てるものではなく「育つ」ものです。子供の精神状態は大人よりも遥かに繊細で敏感ですが「割れもの」を扱うような接し方は逆効果です。もちろん「スパルタ」や「暴力支配」は論外です。恐怖心や「餌」で大人の思った行動をさせるのは「虐待」でしかありません。大人は自分の育った記憶が「教育」のベースになりがちです。
自分が受けた教育や「しつけ」を基準に考えるのは多くの場合不幸な結果を招きます。自分の子供だから「わかる」と思ったり「子供のため」と思い込んだ行動にも落とし穴があります。
 第三者の大人と子供の「信頼関係」は何よりも子供にとって心地の良い体験です。レッスンが子供の「楽しみ」になれば音楽は子供にとって「友達」になります。大人になっても記憶のどこかに「音楽は楽しい」と感じられる人になって欲しい。そのためにも「音楽」という存在を大切にしてほしいと願っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございます。

音楽は国境を超える

 映像は韓国の作曲家「チョン・ファン ホ」氏が作曲した曲を「イ・ヘウォン」さんが歌う「あなたは」(日本語直訳)です。
以前にもチョン氏の作品「開花日」を演奏するために楽譜をお願いし日本国内での演奏許諾もお願いしたところ、ご本人から丁寧なメールを頂きました。
 韓国では「アートポップ」という音楽ジャンルが確立され、多くのクラシック歌手・ピアニストが演奏しています。
韓国の言葉で歌う歌詞の内容はすぐに理解できる人と、私のようにAIを使って日本語に訳さないと理解できない人とで楽しみ方は違うのは仕方ないことです。日本の童謡を他国の人がすぐに理解できないことも同じです。それぞれの国で使われる言語が違うのは「文化」の一つです。
 器楽による音楽=歌詞のない音楽にも地域や国の「伝統」が感じられる場合があります。日本で言えば「雅楽」などもその一つです。また身近な音楽では「演歌」の歌い方も演奏法として独特なものがあります。沖縄の音楽も独特な音楽です。
 私たちが当たり前に感じている様々な音楽にも「ルーツ」があります。地球上のあらゆる場所で「人類」が誕生して以来、数知れない音楽が生まれ歌われていたはずです。記録として残っている「音楽」はここ1200年ほどの「最近」の事です。音そのものではなく「楽譜」やその元祖とも言える記号が唯一の記録です。それらの楽譜を「クラシック音楽」と呼んでいますが実のところもっと古い時代にも音楽はあったはずです。「超クラシック」ですね(笑)

 さて話をテーマに戻しますが「国境」とは何でしょうか?
人類の歴史は戦いの歴史だったと言う人がいます。太古の昔から戦争で自分の「国」や「思想」のために殺し合い「国境」ができました。しかし実際に地球に「線」があるわけではないので「大河」や「山脈」が国境になっていた時代が長く続きました。緯度や軽度で国境を分け始めたんは現代になってからです。時には「壁」が国境になりましたが人間の英知があれば、その影が人々の手で打ち壊されて元通りの「国境のない一つの国」になることもあります。
 日本は周囲を海に囲まれた島国です。しかし地球の歴史で言えば、現代の地球上のすべての「陸地」は一つの大陸だった事が分かっています。本当に長い時間をかけて今の「地球」になったわけです。
現在の日本で他国に行こうとすれば海を超える必要があります。船か飛行機に乗らない限り他国の「地面」を踏むことは出来ません。
空気は繋がっていますので「空気にも国境はない」ことになります。
 他国の文化を知らない人同士が「交流する」ために言語はとても重要な「アイテム」になります。リアルタイムに相手の話している内容を感情まで含めて正確に理解する「翻訳機」がすぐに出来るでしょう。今現在は、どうしても他国の言語を理解するためにタイムラグがあります。
 言葉の「壁」を超えて他国の人と交流できるものはたくさんあります。スポーツ、料理、音楽などもその例です。もちろん文化の違いで「理解困難」なケースもあります。例えば日本の国技「相撲」を初めて見た海外の人は「裸で野蛮!」と感じます。またインドの人たちが食事を右手の「指」を使って食べることに「不潔」と感じる人もいます。「生魚」を食べることに違和感のある国の人もいれば、ウサギや鳩を食べる文化、クジラを食べる文化を理解できない人もいます。
 国や地域で異なる伝統と文化があります。そのすべてを誰もが理解できるとは限りません。しかし「否定」するのは明らかに不当な事です。間違っています。少なくても他の人に迷惑をかけない範囲であれば「自国の文化」について他人が口を挟むのは傲慢です。

 音楽に使われる「楽譜」は現在、世界で統一されています。例外はありますが、ほぼすべての国の人が同じ楽譜で同じ音楽を同時に演奏することができます。これが「音楽は世界の共通語」と言われる所以です。
 韓国のチョン・ハン ホさんから頂いた楽譜も「歌詞」と「タイトル」の文字を除いてすべて私たちが理解できて演奏が可能です。
動画で歌っているイ・ヘウォンさんはクラシックのソプラノ歌手としてソウル大学からドイツに留学し、イタリアのオペラでも歌う「現役のクラシック歌手」ですが、クラシックだけではなくポップスも歌える方のようです。歌声を聴いていると引き込まれるのは私だけは無いと思います。素晴らしい表現力ではす。
 チョン・ハン ホ氏がこの曲をの日本人の私たち夫婦がヴァイオリンとピアノで演奏することを「日本で私の音楽を聞いてくださる方が増えるが光栄です」と仰います。素敵な方だと思います。いつか機会があれば韓国で演奏してみたい気もしますが(笑)、この音楽が「韓国の方の作品」と聞いて毛嫌いする人がいたとしたら…情けないと言わざるを得ません。長い人類の歴史を理解すれば私たちが聞く音楽には、すでに国境がないのです。
アメリカの音楽は素晴らしい!でもアメリカの音楽の根源はアメリカ以外の国の人によって作られた音楽です。
ロシアは嫌いだ!と言いながらチャイコフスキーの音楽を知らずに聴いている人もいます。
「偏見」が人間の文化を壊します。「無理」が人を傷つけます。
国際交流は政治家だけの仕事ではありません。私たちが出来る交流を増やしていけば立派な「外交」になります。
 小さな事ですが、これからも色々な国の音楽を演奏していこうと思います。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

楽器と弓を選ぶ技術と経験

 ヴァイオリンやヴィオラを演奏するすべての人にとって「楽器・弓」が必要なのは言うまでもありません。演奏する「きっかけ」も様々です。今回は楽器と弓を選ぶ技術・経験について考えるものです。
 ヴァイオリン・ヴィオラを「楽器」として表記します。
楽器・弓を借りる場合と購入して演奏する場合があります。
学校の部活動や音楽教室で一定期間、無料・有料でヴァイオリンやヴィオラのセット(楽器・弓・ケース・肩当てなど)を借りて演奏する場合を考えます。最大のネックは「メンテナンス状態」です。特に部活動や知人から無償で借り受けて使う場合、その楽器の状態は購入当時=新品だった時と明らかに違う状態になっているはずです。
 楽器を演奏した後に必要な「日常的な手入れ」がどんな楽器にもあります。加えてある一定の期間ごとに必要な点検と必要な修理があります。点検で修理の必要がなくても「交換・補充」するべき事もあります。使用中に楽器に傷を付けたり間違った手入れをしまえば、表面に表れない致命的なダメージがある場合もあります。
 上記の「メンテナンス」を行っていればヴァイオリン・ヴィオラ・弓の「寿命=耐用年数」は数10年、楽器によっては100年以上演奏が可能になります。
 よく「安い楽器はすぐに使えなくなる」と言う言葉を聞きますが本当にそうでしょうか?

私の経験で言えばメンテナンスを怠らなければ、趣味のレベルであれば楽器として演奏できる場合が殆どです。
 むしろ安い楽器を購入する人の多くは「選び方」を知らず、価格だけを基準に選んでいる人です。もちろん購入できる金額に限りがあるのは誰でも同じです。趣味の楽器に10万円なんてとんでもない!と言う人もいて当たり前です。販売されている金額と、楽器・弓の「価値」は比例しません。これはあくまでも「使う人の価値観」で決まるものです。同じ楽器店で10万円の楽器・弓と100万円の物を弾き比べて見れば分かります。まったく違いを感じないケースも良くあります。
価格の安い方が良く感じることもあります。選ぶ「人」によって評価が変わるのがヴァイオリン・ヴィオラ・弓です。
 ではどうやって?選ぶの賢明なのでしょうか?

 「自分で演奏して選べる人」と、演奏の技術が楽器・弓の「個性」を「判別できない人」に分かれます。
 この二つに明確な基準はありませんが、何より重要なことは「多くの楽器・弓を弾き比べた経験」です。当然ですが知識も重要です。何よりも自分で演奏して楽器と弓の違いを言語化し、聴いている人=購入しようとする人が聴いて納得出来る明確な「個性」を見分けられる人に選んでもらうのが理想だと思っています。
 私自身は中学生2年生の時に師匠に紹介して頂いた職人さんから「良い楽器が入りました」と言う電話を受けて、母親と一緒に工房に伺って職人さんの話を聞いて「即決」して…と言っても親が買うのですが(笑)帰りました。当時の私は楽器の「差」など分かる技術も知識も、経験もなく、当然両親も同じでした。師匠を信じた。それだけです。
私の購入方法が正しいのか?と言われれば、すべてのケースで正しいとは言えない気がします。「師匠との信頼関係」がすべてだからです。その意味で楽器店の店員さん、音楽教室の雇われアルバイト講師を「信頼できる」と言う人がいるなら(笑)薦められる楽器・弓を購入するでしょう。
 大切な事を書いておきます。
購入した楽器・弓は「購入者の責任」で選んだことになります。
選定したり薦めてくれた人、楽器店の責任を後になって追及するのは殆どの場合「クレーマー」に近い扱いをされます。楽器店によっては購入した楽器・弓を一定期間・一定の条件で引き取る=売買契約の解除を認めているケースもあります。また、同じ系列の楽器店などで購入した楽器・弓よりも「高額」な楽器・弓に買い替える場合に限って条件付きで「下取りします」と契約時に書き添える楽器店も昔はありました。が…よく考えると一種の「値引き」を提示しているだけです。以前のブログでも書いた通り「利益」が楽器の価格には含まれています。自由主義経済の基本です。その楽器の価値が購入時より高くなり、購入した価格=販売店の利益を含めた価格より高くなっていれば、「買った価格」かそれに近い価格で下取りしてくれる可能性もわずかにあります。今現在で言えば「投資価値」のある楽器・弓にしか当てはまりません。つまり数千万~数10億円で取引されている物だけの話です。買ったら値段は下がる。それをきちんと理解して購入してください。

 最後になりますが楽器と弓の「基本的な選び方」を書いてみます。
自分で楽器・弓の違いを明確に判断できない時や、実際に手に取って演奏して決められない場合のポイントです。
「製作者・メーカー・型番の信頼性」です。
販売されいている楽器にこれらが明記されている場合と「不明=ノーラべル」の2種類があります。ノーラベルは製作者も年代も「何故か不明」なのです。本来は楽器にも弓にもラベルや刻印があるのが常識です。敢えてそのラベルを剥がして販売し弓の刻印を消して販売する「理由」があります。一つはラベルや刻印が明らかに「偽り」の場合です。販売する楽器店が判断して剥がしたり消したりする行為を「詐欺」とは言えません。むしろ良心的な作業かも知れません。
 一方でラベルや刻印があり製作年、型番などが書かれている場合ですが「本当か?」と疑ってかかるのが正解です。もちろんですが「嘘」と分かっていてラベルを張り替えたり刻印を後から押して「本物」として販売する意図があれば「詐欺」に当たります。
しかし実際には「鑑定士」は世界中に数えるほどしかいませんし、鑑定するのはストラディバリウスやらグヮルネリばかり。趣味で購入できるメーカーの量産楽器の「鑑定」など誰もしてくれません。
むしろ量産楽器のラベルをわざわざ作って貼ったりしても利益が出ませんから、多くの場合は「本物」ですが。
次に考えるポイントは「相場」です。今はネットの時代です。
何年に誰が=どのメーカーが作った・販売した楽器なのかを入力すれば「取引価格」を世界中で調べることが簡単にできます。
中古の場合の相場も分かる場合もあります。楽器店で販売された価格は消去されることが殆どです。理由は?お分かりになると思います。信頼が損なわれるのを防ぐためです。
ネットオークションで取引された金額が残っている場合があります。
ただこの数字も信頼するには不安があります。楽器を実際に弾かず、写真だけで入札=購入しようとする人の「眼力」に疑問があります。
私なら相場より安く出品されている楽器・弓は「まず難あり」と判断します。楽器店で買い取ってもらえないからオークションに出品する。という事はその楽器を落札しても実際にはいくらの価値がある楽器なのか判断できないことになります。購入して一生、使い続ける覚悟があるならネット購入も「あり」ですね。

長々と書きましたが「選定」を実際に仕事としてきた私自身、自分が演奏する「以外の楽器」を過去に弓も含めれば1,000件以上関わってきました。「間違いない」と選定しても購入した人が本当に納得して今も使っているのか?までは責任が持てるものではありません。
ただ多くの経験から演奏する人の好み・演奏方法を理解した上で、実際に私が「試奏」する場があればきっと満足できる結果になると思っています。楽器・弓の選定は「出逢い」であると同時に「技術・経験」が不可欠なことです。もしも私がお役にたてるならお気軽にご相談ください。お応えできることもあるかも知れません。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ピアノ・バイオリン・ビオラのレッスンメリーミュージック

メリーミュージックは2004年8月に開業した音楽教室・楽器店です。
神奈川県相模原市緑区原宿南2丁目に建つ赤い外壁の一軒家
桐朋学園大学卒業の演奏家夫婦(野村謙介=バイオリン・ビオラ 野村浩子=ピアノ)が経営・指導しています。
月曜定休日。土曜日日曜・祝日も朝10時から夜9時までレッスン
個人指導。音大・音高受験対応
代表 野村謙介はこれまでに私立中・高校で20年間音楽教諭として勤務し150名の部活動オーケストラを設立し指揮者として指導
NPO法人メリーオーケストラを創設し理事長・指揮者として活動中
現在までに1,000人を超える生徒に楽器演奏を指導
初めての方も上達を望む方も大歓迎です
高齢者も障がいのある方でも安心してレッスン可能
演奏を楽しみたいと思う方のサポートをライフワークにしています。

練習は間違えないため?何のため?

 映像はヤッシャ・ハイフェッツのマスタークラスレッスン。
習う側の技術も「半端ない」ですね(笑)
さて今回のテーマは以前にも触れたことのある「練習」の目的や内容について考えるものです。
 私自身、師匠のレッスンを受けて自宅や学校で練習する時間に何を考えていたのか?あまりはっきりした記憶がありません。
 高校・大学時代に友人との室内楽を同時にいくつも掛け持ちしたり、毎週授業として行われていた「オーケストラ」のために譜読みをしたりと毎日の殆どが何かしらの練習時間でした。「一日、何時間練習すると良い」などと言われますが、時間の問題ではないと考えています。決まった期日までに弾けていないと「困る」から練習していたのが先ほどの私の例です。レッスンで先生に怒られないため(汗)、室内楽で合わせた時に止まらずに弾けるようにするため、オーケストラで怖い指揮者の先生に捕まらないため(笑)などなど。
 遡って考えれば「音楽高校入試」に合格するために必死になった課題曲を練習したのも「試験日までに」と言う目標があったのも事実です。
 こうして考えると「勉強」「学問」と同じですね。入試やテストのために、小学生なら宿題を終わらせることも「勉強」でした。塾に通うう人ならさらに勉強が上乗せされるわけです。目標が明確な勉強・練習は「結果」もすぐに判明します。

 趣味でヴァイオリンを楽しむ方が練習する時、目的を考えなくても目標がなくても楽しめれば何も問題はありません。
 一方でプロのヴァイオリニストの場合には次の演奏会までに仕上げる「目標」があります。
 目標のない練習を続けられる人も少ないながらいるようですが、多くの場合はモチベーションが維持できずに練習からも遠ざかります。
と言うよりも「練習」と言う概念が無くても楽器は演奏できますよね?楽器を弾くことが純粋に好きで楽しいと言う人にとって、それが「練習」だとは感じなくても良いわけです。むしろ練習は目標や目的を達成するために「必要」に感じて楽器を弾くことかも知れません。
 では練習…目標や目的があって楽器を演奏する場合に焦点を合わせて考えてみます。

 レッスンで指導を受けている場合であれば前回=直近のレッスンで指摘されたり修正されたことを改善し次のレッスンでその成果を師匠に確認してもらい出来ることなら「合格」点をもらって次の課題を貰うための練習が一般的です。課題の内容は様々です。楽譜を読み間違えていたりリズムを間違えて至り、指定された弓使いや指使いを読み落としていたり。もっと全体的に「音程が悪い」と指摘されることもあります。弓の持ち方、弦の押さえ方、楽器の構え方を修正されることもあります。こうした指摘は自分一人で練習するよりも遥かに効率的だと言えます。
 毎回レッスンで同じことを指摘される場合もあります。特に持ち方や構え方、姿勢のように修得までに時間がかかる内容は何度もレッスンで注意されるものです。楽譜の間違いを何回も注意されるのは「練習不足」が原因であることが殆どです。レッスンの時に注意されたことを覚えていなかったり、楽譜には書き込んだものの自宅で練習する時に見落としていたり「集中力」が足りないとも言えます。
 趣味でアンサンブルやオーケストラを楽しむ人にも自宅での練習が必要です。もちろん人によって練習できる時間は皆、違います。
少しでも前回の合奏で指摘されたことや出来なかったことを自分で練習する事で、合奏全体のレベルが変わります。
私の持論ですがアマチュアオーケストラを楽しむなら「暗譜するまで練習する」事をまず求めます。理由はシンプルです。合奏は一人で好きなように演奏する事とは全く違う技術「自分以外の音を聴く・合わせる」が必要だからです。自分が一人で弾くこと=楽譜にしがみついていないとどこを弾いているのかわからない状態で、合奏しても他人の音を聴くゆとりは生まれません。自分が演奏していなければ色々な楽器の音を聴いて楽しめる…とは別の事です。きちんと演奏できなくても「楽譜を覚える」事はできます。ますはその練習が不可欠だと思っています。プロは楽譜を見ながら他の音を聴き分けるトレーニングをしています。プロの「真似」はできませn。

 一人で練習する時に多くの場合「間違えずに弾けるようにする」ことを目標にします。その間違いにも色々な場合があります。音の高さ=半音以上の違い・リズム・ボウイング・指使いなどは、間違いと「正解」がはっきりしています。一方で微妙なピッチの「ズレ」や不規則に起こる「音のカスレ」「弓のバウンド」などは問題がなくできると感じる時と「ダメだ」と感じる時がランダムに発生してなかなか「いつも問題ない」状態に到達しないものです。
 つまり「分かりやすいミス」と「修正しにくいミス」があるという事です。前者を修正するのは比較的短時間で集中すれば改善します。その短時間の中でも後者の「不意に発生するミス」が含まれる事は想像できます。ただ何かを修正しようと集中していると他の「ミス」に気付きにくくなるのが人間です。
・リズムに気を付けているとピッチが怪しくなる。
・ピッチに気を取られると音色と音量が怪しくなる。
・間違えずに弾こうとすると音が汚くなる。
など無意識に「どれかを取ればどれかが消える」状態の連続になりやすいものです。
 多くの場合に解決する練習方法として以下の方法をお勧めしています。
・まず楽器で音を出す以前に歌う・ピアノで弾く練習。
・左手に問題がある場合には、右手だけ=開放弦でリズム通りに弾く練習をする。
・右手に問題がある場合、左手=指だけ動かしながら弓を持たずに動かす練習=エアーヴァイオリン(笑)
・額の限られた部分の練習をする時は2音感を「往復」する練習。
・全体を通して練習する時間を必ず含める。
大体、上記の練習で「足し算」ができます。楽器の演奏は複合的な意識と運動の組み合わせで行われています。一つの音に複数の意識と運動が伴います。「同時」に出来ないことを組み合わせて練習を繰り返すのは時間と労力の無駄である以前に「解決にならず違う問題を引き起こす」原因になります。私はこれを「分解」と言います。
楽譜を分解し技術を分解し「パーツ」を丁寧に仕上げることで初めて「合体=組み合わせ」が可能になります。
 長い曲、難しい曲ほど分解が不可欠です。そして少しずつ大きな部品に組み立てる時に「違う組み合わせ」で仕上げていくことも大切です。例えば「リズムをすべて四分音符で弾いていみる」ことや「弓をすべて返して弾いてみる」「違うテンポで弾いてみる」などの工夫で壊れにくい構造物=演奏に近付けると思います。
簡単に短時間で弾けるようにするのは「わらで作った子豚さんのおうち」です(笑)小さなトラブルで止まってしまったり、どこを弾いているのか分からなくなる致命的な「事故」を招きます。また聴いている人に安らぎをもたらしません。安心感は何よりも大切なことです。
 私も自分の演奏を自分が生徒になって練習しています。皆さんもぜひ、もう一人の自分を考えて練習してみてください。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

音大出たら音楽家になれるの?

 映像は2004年に私が教員だった最後の年、横浜のみなとみらいホールで実施した部活動オーケストラの定期演奏会の一コマです。外山雄三作曲「管弦楽のためのラプソディー」を中学生と高校生が演奏している動画です。

 私のプロフィールに掲載している事ですが桐朋女子高等学校音楽科(共学)を経て桐朋学園大学を1984年に卒業。1985年4月に開校した横浜市内「某」私立中・高等学校の教諭として採用され2004年12月まで務めました。音楽の授業や校務分掌(教務や生徒指導、進路相談など)の業務と部活動の顧問として音楽部オーケストラを学校開校時から指導・指揮を続けました。退職当時に中高合同のオーケストラは150名の部員を抱えるまでに大きくなりましたが1985年当初は11人の男子生徒だけでスタート。その後毎年10~30名の部員が入部しましたがほぼ全員が「楽器初心者」でも合奏は週に一回。いわゆる「ブラック部活」とは無縁の健全な(笑)活動でした。

 退職後にメリーミュージックと言う音楽教室・楽器店を立ち上げ同時にメリーオーケストラの創設と指揮を行って現在に至ります。
 私が現在65歳ですが16歳の時=約50年前に音楽高校に入学してから半世紀が過ぎたことになります。ながい…(笑)
「音大を卒業すれば音楽家になれるの?」の答えは
「いいえ」です。正確に言えば音楽大学を卒業して得られるのは「学士」と言う大学卒業の資格だけです。一般の大学を卒業した場合と全く同じです。つまり「音楽家」と言う職業に関する資格はひとつもないという事になります。医師免許や看護師、薬剤師、調理師などのような国家資格が一つもなくても「音楽家です」と名乗れるのが真実です。
音楽大学に入学するためには「入学試験」に合格する必要があり卒業するためには大学が定めた授業を履修し単位を取得する必要があります。これも一般の大学と変わりません。

 そもそも…ですが音楽家という言葉は「職業音楽家」を指す場合と「アマチュア音楽家」を表す場合があります。これも厳密な定義のない言葉の一つです。少なくとも音楽を作る・演奏する人は音楽家の「仲間」ですが、今は「職業音楽家」を音楽家と限定して話を進めます。
 音楽高校・音楽大学は何のためにあるのか?結論は「音楽を学ぶ環境」指導教員や施設=楽器や練習室・合奏室などを備えた学校で、音楽を学べる教育機施設だと言えます。
 学ぶ意志がある人が試験を受けて入学し、授業料を納めて音楽と一般の教育を受けるのが「音楽学校」です。学ぶ意志のない人にとっては価値のない学校だと言えます。
 数多(あまた)ある音楽高校・音楽大学は何が違うのか?
指導教員と施設、学ぶことのできる内容が違います。
指導教員が違えば学べる内容が変わります。施設が貧弱だったり量的に不足があれば学ぶことに制約が生じます。学べる内容を決定するのは学校です。「必修得」つまり必ず履修し単位を修得しなければ卒業できない「単位」が学校によって大きく違います。
通常なら「楽に=簡単に卒業できる学校」が喜ばれますが、音楽の学校に関して言えば「最悪」の結果を招きます。
少子化の日本で生徒・学生を集めたいという経営的な考えが「入学・卒業しやすい学校」方向に向かえば、学校の質は日々刻々に低下し続けます。学ばない生徒、学生が増えれば、学びたい人のモチベーションも下がります。指導する教員のモチベーションもさらに下がります。最終的に「音楽学校」としての存在意義がなくなります。
 音楽高校・音楽大学を選ぶなら「入学・卒業が最も難しい学校」を選ぶべきです。楽な学校を選ぶのは妥協と言うより時間とお金の無駄になるリスクが非常に高いことを考える必要があります。
「自分だけが頑張れば良い」と言う考え方もありますが「学友」に恵まれることも音楽家として活動する上で必要な経験です。そもそも指導教員がやる気の無い人であれば得られるものは何もありません。

 最後になりますが音楽大学を卒業しても音楽家として生活できない人と、音楽大学を卒業していなくても音楽家として生活できる人の「違い」について考えます。
 先述の通り音大には学ぶ環境があります。一般の大学と比較すれば間違いなく環境は整っています。卒業生の統計的な「就職先」を考えれば音大卒業生でも一般企業に就職する人も多いことがわかります。
 現実に現在の国内で「音楽家の需要」を考えれば明らかに「供給過多」の状況です。
 私見ですが今後AIが進化・普及する中で音楽の専門的な知識・芸術を持つ人の需要が増える可能性を感じています。「逆だろ?」と思われるでしょうがご存知通りAIは「学習する人工知能」です。音楽を作る人の感性、演奏する人の個性を一番求めているのは「AI産業」だと考えています。今現在でも作曲したり演奏する「AI」は存在しますが、さらに高いレベルの音楽を作り演奏するためには優れた音楽家の「データ」が必要不可欠です。
さらに普及しAIを使って演奏を楽しむ人が増加すれば「指導する人間」の必要性も増加する可能性があります。AIが演奏のアドヴァイスをしてくれる時代ですが「人間に習いたい」と言う欲求が生まれる時代が必ず到来します。
 音大を卒業と無関係に「知識と技術を高める意識」と「人間同士の関り」を常に意識しながら時間をかけて「学びの人生」が音楽家の条件になると思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介