映像はみなとみらい大ホールでの演奏。外山雄三作曲「管弦楽のためのラプソディー」中学生・高校生150名による演奏です。
指揮は「何人以上の演奏から」という基準はありません。私の大好きな「ベルリンフィル12人のチェロ奏者」は指揮者を「必要としていない」アンサンブルの頂点だと考えています。
私の経験で言えば「指揮法」を本ではなくビデオで学んでから、それまでの自分の指揮が如何に「いい加減」だったかを思い知りました。
指揮法を学ぶこと、特に斎藤秀雄指揮法で学ぶ「運動」「図形」は文字を読んでも必要性を感じられませんでした。ビデオの中で秋山和慶先生が実施にピアニストに指揮をされる映像と解説を聞いて、なぜ?運動や図形に名前を付ける必要があったのかを感覚的に理解できました。
指揮者が自分の考える音楽を演奏者に「指揮」で伝えるために、何よりも音楽と指揮の運動・図形が常に「整合」している事が大事だと気づかされました。
指揮者が「言葉」で自分の意志を演奏者に伝えることは、ある意味で非常に簡単なことですし必要な事でもあります。音楽の解釈が指揮者と演奏者で一致しない時=指揮者の考える音でなかった時に、言葉で修正することも可能です。
しかしよくよく考えてみれば、演奏者は言葉を使わずに自分の表現したい音楽を伝えています。演奏する前に「私は…」と曲の解釈を聴衆に伝えてから演奏することも一つの表現手段だと思います。ただ多くの「演奏」は言葉ではなく「音」で演奏者の意志・感情を聴く人に伝えます。
指揮者が指揮で、音楽を演奏者に伝えられないとしたら?指揮者は演奏中=演奏会で指揮台に立って指揮をする必要があるでしょうか?練習でしか「言葉」は使えません。もしも指揮が演奏者に何も伝えられないとしたら「指揮」とは言えないのでは?と考えています。
指揮者の「動き」で指揮者の意志を演奏者に伝える「基本」が斎藤秀雄指揮法に解かれています。「こういう音楽を演奏して欲しいときには」「次に出す音を急激に大きくしたいときには」などを分類し、名前を付けることで指揮者が音楽に集中できるように考えられた指揮法だと思います。演奏者がアマチュアであっても、合唱でも合奏でも指揮者の指揮は演奏者に「理解しやすい」ことと「一貫性がある」ことが求められます。フォルテだから大きく腕を動かす。ピアニッシモだから小さく。三拍子だから三角形。レガートだから軟体動物のようにグニャグニャ動く。演奏者が音をだす「点=時間」を指揮から感じられない。多くの「自己流指揮者」が陥る「勘違い」です。
文字からだけでは感じられない「音楽」をビデオで学べる時代です。オーケストラを実際に指揮している姿より、はるかに分かりやすい映像で指揮法を学べる教材は一見の価値があります。
指揮に関心のある方、お気軽にお問い合わせください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ヴァイオリニスト・ヴィオリスト・指揮者 野村謙介

コメント