部活・アマオケの指揮者

未分類

 今回は学校部活動とアマチュアオーケストラにおける指揮者の役割について考えていきます。
上の映像はNPO法人メリーオーケストラが演奏するラヴェル作曲「ボレロ」
このオーケストラを創設し指揮者として、NPOの理事長としての生活が25年にもなりました。
メリーオーケストラは「アマチュアオーケストラ」です。ただ演奏者の中にはプロの演奏家も多く含まれ、音大生も一緒に演奏しています。「会員」は基本的にアマチュア演奏者です。子供もいれば高齢者もいます。会員の練習は毎月1回。午前と午後に参加できる会員とプロ数名の指導をお願いしながら練習を公開しています。年に2回の定期演奏会を開催し続けているので、演奏会ごとの練習期間は約6か月です。回数にして5~7回です。
 演奏会の前日夜に会員が舞台の設営を行い、演奏会当日の朝、打楽器などの搬入作業が終わり次第、全員が初めてそろってリハーサル。約2時間のリハーサルで昼食をはさんで演奏会。
 会員は半年かけて練習し、プロの方は当日の午前中のリハーサルです。
演奏会で使用する楽譜はメンバーが常に最新の書き込みをした楽譜を、ネットでダウンロードできる仕組みを作っています。

 上の映像、私が別人のように若いですが(笑)一応「同一人物」です。
中学・高校の教員時代に神奈川県内の高校生たちを集めた「合同ストリングスオーケストラ」の指揮を仰せつかり、徳島県での全国大会で演奏した時のチャイコフスキー「弦楽のためのセレナーデ」と「ミュージカル ヘアースプレー」
 演奏している高校生たちの通う高校に、必ずしもオーケストラや室内楽の部活動があるわけではありません。演奏者の約半数は私が勤めていた学校の高校生ですが、練習は学校の「年度」が始まる4月から全国大会の8月までの限られた期間。学校によって試験時期も違い、練習の回数は非常に限定されます。そんな中で生徒たちが「伸び伸び」でも「達成感を感じられる」演奏ができるように、県内の高校教員がサポートします。
 この徳島大会は思い出深い大会で、出発の日に羽田空港に集まった生徒と私たち引率教員。
運悪く台風が接近し、徳島行の飛行機が「天候調査中」で数時間待機。その間、引率チームは陸路で徳島に行く手立てを必死で探すも見つからない。諦めかけた頃に「伊丹空港」行きの飛行機が飛ぶことになり「行けるところまで行こう」と言う事で全員を飛行機に乗せ、伊丹空港から四国徳島までのバスを手配。伊丹についてチャーターしたバスに乗り、本州と四国をつなぐ橋を渡る時、台風の暴風でバスがジェットコースター並みに揺れる。橋を渡り切り、夜10時ごろに宿にたどりつき、冷たくなった晩御飯を食べながらニュースで「本州との橋はすべて通行止め」と。ギリギリ滑り込みでした。翌日のぶっつけ本番。さすがに生徒たちも不安な表情で出番を待つ控室。リハなし。しかも「弦セレ」と「ミュージカル」他の県はどこも「クラシック」ばかりのプログラムに「ヘアースプレー」の文字がぷかぷかと浮いていました(笑) そんな不安そうな子供たちに「失敗したら責任は俺がとるから好きなように弾け」と笑い飛ばしたのを思い出します。弦セレを弾き終え、予定通り休む間を開けずに異世界に突入(笑) 最後には会場の高校生たちに手拍子を強引に(笑)求めて終了。

 前回のブログで「指揮者とは」と言うテーマで私見を書いていますが、斎藤秀雄氏は「世界に通用する演奏家を育てる」ことに人生を捧げられた偉大な指導者です。育てられた弟子の多くは実際に世界中で演奏活動を行う「一流演奏家」になっています。
 では斎藤秀雄「指揮法」はプロを育てるための技法かと言えば、結論は「すべての演奏家にとって有意義な技法」だと私は思っています。これも前に書きましたが指揮法を学ばなくても指揮はできます。演奏もできます。「指揮法」は同時に演奏する多くの人を一つの音楽に向かって進むためのガイドをする役割だと思います。
 狭い意味で指揮は「演奏をまとめる」役割ですが「指揮者」の役割には様々な違いあります。
「音楽監督」は演奏会の企画立案、会場スタッフとの連携、時にはマネージメントの領域にも責任が及ぶ重要なポストです。「客演指揮者」はその対極にあります。演奏に責任を持つだけです。
 部活動やアマチュアオーケストラでの指揮者とは「音楽監督」であるべきだと考えています。
音楽=演奏だけを考える指揮者は部活動・アマチュアオーケストラにとって不可欠な存在ではありません。むしろ、どんなに高名で優秀な指揮者を呼んでも演奏者が「指揮」を理解できなければ無意味です。もっと言えば生徒やアマチュア演奏家に「演奏の場=環境」を作ることこそが指揮者の役割だと思います。
 少なくとも指揮者は「音楽の専門家」であるべきです。音楽に関心のない教員に指揮者は務まりません。オーケストラでのすべての楽器を演奏できる指揮者はいません。合唱のバスからソプラノまで歌える指揮者もいません。だからと言って「音楽を知らない」で指揮をすることは不可能です。多くの演奏を聴き、多くの楽譜を読み、すべての演奏者に音楽的な要求を「理論的」に求める能力が必要です。自分が指揮を見て演奏した経験のない人が、何も学ばずに指揮をするのは「音楽への冒涜行為」です。サッカーをしたこともない、興味もない人が突然「キャプテン」「監督」「コーチ」になるのと同じことです。

 部活動演奏集団とアマチュア演奏団体に共通している事。
理解者と協力者が少ないことです。これは外部からは判断できない=周知されていないケースがほとんどですが「価値観の違い」が大きな壁になります。学校の場合、公立学校と私立学校で根本的な違いがあります。「教員の異動=転勤」の有無です。私立学校には基本的に転勤がありません。
一方で公立学校では長くても10年ほどで他校に異動の辞令が交付されます。
実はこの問題は「一長一短」あります。私立は管理職の任期も長く教員同士の人間関係もほとんど変化がありません。理解のない=音楽に関心のない管理職がいる場合「不毛な戦い」を強いられます。しかも管理職が変わるまでの長い期間。公立の場合、管理職=学校長は数年で変わります。悪い言い方をすれば「雇われ校長」「お飾り校長」でもあります。多くの場合、教員同士もいつ異動になるか?お互いにわからないので「距離感」を保った人間関係を構築できます。
 アマチュアオーケストラは「私立」のケースが殆どです。学校と同じです。メンバーの入れ替わりはありますが、コンセプトや運営方法、練習の方法は継続が可能です。

 最後になりますが、これから指揮をしようとする方へ。老婆心で書いておきます。
「長いものに巻かれるな」守るべきは「演奏者」であり演奏を楽しみにしている一般の聴衆です。
 音楽に関心がない人にとって「演奏会」は子どもの発表会と同レベルです。オーケストラと吹奏楽の違いを知りません。何よりも「演奏会の意義」を知りません。指揮をする相手=演奏者は音楽が好きな人です。指揮者の周りには「音楽好き」な人たちが集まるかも知れませんが、残念なことに世の中=日本では「音楽愛好者」は全体の10分の1以下だと言う事です。その中で演奏しようとするのが私たち・貴方たちです。壁は次から次に出現します。それを一つずつ乗り越えるのも指揮者の仕事だと思います。周り中の人が「演奏会なんて無駄だ」と相手にされなくても、演奏の意義を訴えるのが指揮者の務めです。「敵を作ってまで指揮をしたくない」と思うなら指揮をしないことです。そもそも指揮をする相手=多くの演奏者から「批判」されることも指揮者の宿命です。
誰もが「小澤征爾」のように指揮者を崇めてくれるはずがありません。
 プロの演奏者だけを相手に指揮をする「指揮者」の役割とは別の責任があることをお伝えできればと思い長いブログになりました。最後までお読みいただき、、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト・指揮者 野村謙介

コメント

タイトルとURLをコピーしました