メリーミュージックブログ

演奏家夫婦が優しく丁寧に指導

     

メリーミュージック

   

2004年創業バイオリン教室・ピアノ教室・ビオラ教室・楽器店です
神奈川県相模原市緑区原宿南2-26-1

05月

楽器の音「心理」と「科学的分析結果」

動画のリンクをクリックして映像をご覧ください。
https://youtu.be/zrt3lx05dlw?si=oWwAAiUrRPDj5UDc

 まず最初に書いておきたいこと。音の好みに絶対値は存在しないことです。100人のうち99人が「おいしい」と感じた時でも「おいしくない」と感じた一人の人の感覚が間違っているとは誰にも言えません。
一方で比較する対象を同じ基準で分析した結果=数値については明らかに客観的な事実です。「良い音」「弾きやすい」と言う表現はまさに「主観=感覚」を表すものです。その判断には聴く人の心理が大きく影響します。「心理的バイアス」と言う言葉があります。AIによると「心理学における「バイアス(認知バイアス)」とは、過去の経験や先入観、固定観念により、情報の解釈や意思決定が非合理的に偏る心理現象です。脳が速く処理しようとする「思考のクセ」で、無意識のうちに思い込みや偏見が生じ、判断ミスを誘発します。」とあります。
山での遭難事故の多くもこの「認知バイアス」が原因で起きています。楽器の音や歌声を聴いて先入観や固定観念で「判断の間違い」をしてもケガもしないし命にも関わりません(笑)気楽に考えても大丈夫ですね。
「世界的に高い評価の古いイタリア製の楽器」と言う言葉や、過去にその楽器を使って演奏していた著名なヴァイオリニストの名前からさらに「固定観念」が増強されることもあります。それらの情報が「認知バイアス」になります。実際に「何が?どう?他の楽器と違うのか?」と問われた使用者が「全く違う」とか「まるで生き物のように」とかすでに使用者自身も認知バイアスで正当な判断が出来なくなっているように感じます。
例えばアマティ・ストラディバリ・グヮルネリと言った職人が作ったヴァイオリンと他の職人の楽器の「違い」を事実をもとに比較すると
「それまでの製作者が作ったヴァイオリンと形や木の厚み、木材の科学的な加工に独自の方法を取り入れた」という事が言えます。
当時詳細な「レシピ」に当たる制作方法は残されていないことも共通しています。「秘伝のスープ・レシピ」と同じです。
その「新しい制作方法」によってそれまでに作られていたヴァイオリンとは音色・音量・弾き心地、さらに耐久性も大きく変わったと思われます。それも推測です。そしてその後に彼らの作ったヴァイオリンの「形・厚み」を正確に計測して作られた多くの「コピーヴァイオリン」が誕生したのは事実です。しかし肝心の「レシピ」が残っていないため木材の加工、ニスなどの「処理方法」が不明だったために「秘密」「謎」と言う枕詞が付くようになり、ますますバイアスが高まTる結果になりました。
 現代の分析技術、特に分子レベルの解析と放射線を使った解析によって「謎」だった部分が明らかになってきました。今後もさらに解析が進むことになるでしょう。
 現在、既に木材の薬品や熱、紫外線による加工・処理の跡が解析されています。得られた木材の「構造」に近くなる処理を施して現代のヴァイオリン製作者が作成したヴァイオリンの「音」がストラディバリの製作したヴァイオリンと比較した結果が動画の内容です。
「どの音が良いと思うか」と言うブラインドテストで半数以上の人が「コピー」を選びました。その結果にも大きな意味はないと思います。「良い」は「好き」と同意語であって主観=感覚だからです。
つまり「認知バイアス」の入り込めない状況で比較した結果、ストラディバリの楽器の音が「良い」と多くの人が感じられなかったと言うのは事実です。す。

一言で「謎」を説明すると今まではヴァイオリンを製作する「木材」への薬品を使った処理は想定されておらず、ましてや分析技術に限界がありました。そのため現代のヴァイオリン製作には「自然乾燥させた木材」を使用するのが一般的でした。「まさか」と思われる結果とも言えます。ストラディバリとグヮルネリでは使用した薬剤が違う事も明らかになり、ストラディバリでも製作した年代のよって異なっている事まで解析されています。「ミョウバン」「石灰」「塩」などは300年前から身近にあったものでした。「弱アルカリ性」に木材を処理することは中国の楽器に関する書物にさらに昔からの残されていたことですが、ストラディバリ、グヮルネリも同じように木材を加工し耐久性を高めていました。さらに高熱と恐らく日光に当たる=紫外線を当てる事もしていたことが分析結果から推測されています。
今回の動画では「木材腐朽菌」による処理を木材に施した楽器を使っていますがこれも「科学的根拠」に基づいた製作方法です。
「ストラディバリの楽器は神聖なものだ!」とお怒りになる方もいるでしょう。しかし既にストラディバリウスは目に見えない修復、虫食い後などによって製作当時とは「違う楽器」になっています。もちろん良い意味での経年変化と一流演奏家に演奏され続けた事による「鳴りやすい楽器」に変化し維持されている事も承知しています。
しかしいずれストラディバリウスもグヮルネリウスも使用できない状況に劣化することは避けられない事実です。その時になって「ヴァイオリンがない」と騒ぐのはあまりにもお粗末です。むしろストラディバリウスが良い変化をしたように現代のヴァイオリンを育てる努力と、少しでもストラディバリウスに近いヴァイオリンを製作しさらに変化を観察する事の方が遥かに重要だと考えます。
「新しい楽器は良い音がしない」と言う先入観・固定観念が間違った判断を引き起こしています。現代の製作者を否定してしまえば近い将来に健康なヴァイオリンが消滅することになります。
「一流の演奏家」が認知バイアスで誤った判断をすれば、その音楽を聴く人も同様に先入観を持ってしまいます。テレビ番組でストラディバリウスの音を当てるコーナーを毎年見ていますが、あれで正解するのは単なる2分の1の確率=偶然です。もしもA・Bではなく5つ選択肢があれば結果ははっきりします。五分の一に分かれるはずです。つまり5人に4人は「はずれ」になるのが正常です。なぜならテレビを見ている人はスピーカーかイヤホンで音を聴いているので「電気的に加工された音」でしか判断できないこと・さらにストラディバリウスの楽器の音を解析できる耳を持っている人は誰もいないことです。
予め演奏前に2種類の音を聴いて「正解」を知らされていて、今度はカーテンの向こうで見えないように演奏したら?恐らく7~9割の人が正解するでしょう。

 最後に「心理学的に」ヴァイオリンの音についてまとめます。
人間の耳は限られた振動数の「音」を聴いています。さらに人によって聴こえ方には違いがあります。同じ音を聴いた人でもそれぞれに「聴こえ方」が違います。それが人間の「感覚」です。
「良い」「好き」や「嫌い」と感じるのは耳の問題ではなく「脳」による判断です。主な判断基準は「記憶」によるものです。
生まれて初めて、目の前で演奏するヴァイオリンの生の音を聴いた人が「好き」とか「嫌い」とか判断するとしたら「直感」です。自分にとって心地よいか?耳障りな音か?の違いです。演奏者の技術で変わります。初めて食べたラーメンや納豆が「美味しくない」と感じれば、次に食べる前に「美味しくない」と先入観が働くのと同じことが楽器の音でも起こります。
 良いヴァイオリンとは!と言う間違った先入観を持ってしまった人が、他の人にまでその「間違い」を広めることに危機感を感じています。少なくとも高いヴァイオリンが良いヴァイオリンと言う固定観念から抜けることが必要だと思っています。
 最後までお読みいただきありがとうございます。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

「強さ」より「優しさ」に憧れる年齢

 映像はラフマニノフ作曲「祈り」と訳される曲を3年前にに演奏した動画です。
以前のブログで才能ある若い演奏家を破壊する大人のエゴイズムをテーマにしました。
また前回のブログでは演奏の評価に関する私の考えを書きましたが、今回は自分自身が年齢を重ねて自分の演奏や他の人の演奏に対する「感じ方・好み」の変化について考えるものです。

 自分と同世代の音楽仲間に囲まれて音楽を学んでいた時期(15~23歳頃)に自分の演奏や友人や後輩、先輩の演奏に何を感じながら練習していたかは正直に言ってあまり覚えていません。ただ周囲の「自分よりじょうずな人」への憧れや追いつきたいと言う思いはあったと思います。同学年の友人とアンサンブルを楽しみながら学ぶときも心のどこかで「負けたくない」と言う気持ちがあったのかも知れません。「能力主義」の学校でしたから高校1年生も大学4年生も学年に関係なく一緒に演奏し、演奏技術によって学内のオーケストラも毎年学年当初に発表された能力別の3つのオーケストラに振り分けられていました。
周りにいるすべての学生が友人でもありライバルでもありました。
 その高校大学での生活で得た多くの技術・知識・経験が卒業後にすぐ役立つ…とは限りません。多くの卒業生は「プロ」としてオーケストラに入団=就職しました。ただピアノ専攻の人や作曲専攻の卒業生は「就職」と言うよりもさらに勉強の日々が待っています。
私は卒業後、親の不安をよそに(笑)好きな事をしながら演奏のアルバイトで遊ぶお金を稼いでは日々を楽しく暮らしていました。卒業した年の5月頃?に新設される中・高校の音楽教諭公募の張り紙を学生課の事務職員に紹介されたこをが「運命の分かれ道」でした。
 翌年4月から20年間の教員生活が始まることは想像外でした。その間はヴァイオリンを真剣に練習する時間も気力もなく過ごしました。友人たちの音楽活動を「見て見ぬ振り」をする日々でした。中学生・高校生の部活オーケストラを作り指導し大きくすることに没頭していたのは、そんな「挫折感」を紛らわしたかったからかも知れません。

 2~3年で辞めるつもりだった教員生活が20年間になり退職したときには44歳という「中年のおじさん」の年齢でした。その後両親の介護や自分の家庭の問題を抱えながら自分で経営する音楽教室・楽器店とNPO法人メリーオーケストラの活動に追われながら日々を過ごしました。レッスンや楽器の販売をしながら自分の練習に打ち込む「意欲」は芽生えませんでした。
 そして大学時代にアンサンブルを一緒に学んだ浩子さんと再会し、二人でリサイタルを開く相談が決まったのが2007年です。大学を卒業して23年ぶりにリハビリをスタートしました。
 自分の演奏を学校の生徒以外の前ですること自体が嬉しくて毎日が新鮮でした。
学生の頃から好きだった曲…特に小品ばかりを20曲以上!演奏したのが1回目のリサイタル。今二人で振り返ると「頭がおかしいよね」と笑うような曲数ですが当時は「これも弾きたい・あれも弾きたい」と言うのが本心で何曲あるのか?お客様がどれだけ大変か(笑)?考えていませんでした。

 自分たちの演奏を動画や音声で記録していたのは生徒さんの参考にする目的の他に、自分の演奏を客観的に聴いて問題を見つけるためです。未だに自分の演奏に「合格」は出せません。
それでも次の演奏の機会を自分で作るのは何故なんでしょう?演奏することが「目標」になり練習する事が「日課=ライフワーク」になることの嬉しさはそれまでの人生では感じたことのないものです。
そうは言いつつも年齢を重ねると身体の自由が少しずつ削られていくことを感じます。
集中力・瞬発力・持久力が下がり筋肉が日常的に痛いなんて…若いときには想像すら出来ませんでした。毎日学校で8時間でも10時間でも個人の練習や合わせ、オーケストラ授業で楽器を弾いても一日5食食べて翌日には元通りでした。
 生まれつきの病気が進行し、楽譜を読むことが出来なくなってからも新しい曲に挑戦しています。「たかが」1ページの楽譜を覚えるのに何日、何週間かかったとしても覚えるしか演奏する方法がないので若いとき以上に「暗譜脳」だけは使っています。

 「強い」より「優しい」演奏が好きになり、自分も目指す気持ちは恐らく若いときから無意識に持っていた感覚なのだと思います。ただ若い頃には「楽譜を見てすぐに間違えずに正確に速く弾けること」が第一に求められていました。プロの演奏家としての「大前提」だったので当たり前かも知れません。ソロにしても難易度の高い曲を短期間で仕上げることが「じょうず」と言われる条件でした。むしろその基準で他人のことも評価していた気がします。
 聴く人が安らぎを感じる演奏。音楽を初めて聴いた人が「心地よい」と感じ笑顔になれる演奏。クラシックマニアが「すごい」と評価するよりも普通の人が「良かった」と言う言葉に演奏の意義を感じています。.
 速く・強く・正確に演奏するための技術のレベルはプロとしての必要条件かも知れません。
もしそうならば私はアマチュアと呼ばれても気にしません。「優しい」「美しい」「心地よい」演奏をするための技術を求めたいと思っています。
 最後までお読みいただきありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

演奏の評価ってなんだろう?

 映像はシューベルトのアヴェ・マリアをヴィオラとピアノで演奏したライブ映像。自分では課題だらけの演奏です。当たり前ですが。
 さてクラシック音楽の演奏者に対する評価には「マスコミ・評論家の評価」と「実際に聴いた人の評価」があります。YouTubeでのナレーションも影響力の大きさを考えればマスコミの評価に準ずるものだと思います。
 一般に「良い評価」が多く伝えられます。そこには「感動」「衝撃的」「涙」「絶賛」「鳴りやまない拍手」などの文字がおどります。
実際にそうだったのか?(笑)と感じるのも正直な気持ちです。
そもそも演奏のどこに?なにに?対しての評価なのでしょうか。

 コンクールは審査員が評価をして参加した演奏者の序列を決めるものです。複数の審査員がいれば評価も分かれます。それぞれのコンクールで最終的な序列の決定方法が違います。最高点と最低点を切り捨てる方法や平均値で順位を決める方法など様々あり、審査委員の人選や人数もすべて違います。「観客による投票」も順位とは別に発表されるコンクールもあります。
 一方で「普通の聴衆」=専門的な技術や知識のない人が演奏を聴いて感じる「感想・印象」があります。これも一種の「評価」であることは間違いありません。むしろ演奏会の客席に座る殆どの人は「普通の人」のはずです。
 「曲が好き」だから演奏が良かったと言う人もいます。自然なことです。作曲者を知らなくても初めて聴いた曲でも「好き」と感じることがあります。先入観を持たずに音楽を耳にした時に感じるものこそが「評価」だと私は思っています。
「この人は〇〇コンクールで」とか過去の演奏会で「感動の声が」とか言う他人の評価が先入観になります。ビジネスとして考えればこれこそが「販売促進=営業」の技術です。口コミが最大の広告であることは企業に務めた人なら誰でも知っている事です。大げさでも「大盛りに盛った話」が多少の嘘を含んでいても人が集まればビジネスが成立します。

「音楽産業」の一つにクラシック音楽に関わる人たちの「経済活動」があります。演奏会を開くためのお金も「誰かが誰かに支払う」のです。そして演奏する人の得るお金は?演奏者自身が主催者の場合ならチケットの売り上げから経費を引いて残った金額が「売上」になるわけです。
「クラシックを金勘定で考えるな!」と思われるかも知れませんが、演奏する人間が霞を食べたり段ボールを食べて暮らせるわけもなく、生活できることが前提条件です。
 話を「評価」に戻します。
「演奏する人間=演奏した音楽以外」の評価がクローズアップされているケースがあります。「年齢」「身体的な障碍」「生い立ちなどのバックボーン」「国籍」などは本来演奏とはまったく無関係です。
上記の例えから「7歳と言う幼さで視覚障碍を持ち、両親が事故で亡くなった音楽家の子供で日本人」なんて(笑)書かれていたら人の眼を弾きますよね。もちろんフィクションですが。

これは極端な例えですが「近い話」ってあるような気がします。

 純粋に演奏を評価する場合、演奏のどこに感動したのか?という捉え方ができます。
 ヴァイオリンを演奏する人が感じるヴァイオリン演奏を聴いた時の感動と、ピアノの演奏を聴いた時の感動は実はまったく違うものです。
演奏技術の評価はその楽器を演奏できる人の中でも「演奏者より高い技術のある人」が聴いた場合とそうでない場合で評価が分かれます。
 普通の聴衆=演奏家でない場合には「何がすごいのわからない」はずです。速い曲を弾いている姿を見れば「すごい」と感じます。さらに他の情報「年齢」や「容姿」など演奏とは別の要素も印象に加わります。
「簡単そうに聞こえる曲」ゆっくりしたテンポの音楽や聴いたことのある「歌」などの場合に「すごい」と言う印象は残らないものです。
もちろん専門的な技術を持った人が聴けば音色、表現の技術の高さもわかります。

 結論。「情報(他人の評価)よりも演奏を聴いた自分の印象・感想を大切にする」ことです。今はネットでのクチコミ情報や「評価・ポイント」も疑わしい時代です。大手のネット通販でも詐欺まがい、中には本当に詐欺で被害にあう人が後を絶たないのが現実です。
どんなにネットで高い評価があったとしても、実際に自分が「良い」と感じるかどうかは別の問題です。飲食店の情報と似ています。
自分が「素人だから」「よくわからないから」と言う気持ちで他人の評価を鵜呑みにするのは決して正しい事ではないと思います。
専門家や有名な演奏家が高い評価をした…と言う情報が真実かどうかは疑ってかかるのが正解だと思います。「〇〇フィルハーモニーの演奏者が絶賛し涙を流した」と言う情報のファクトチェックは誰もしていないことが殆どです。
自分の耳と感覚で好きな演奏を楽しめたならそれが一番だと思っています。私はそんな演奏を目指してこれからも精進します。
 最後までお読みいただきありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

演奏者が聴く自分の音と他の楽器の音

映像は長野県木曽町で演奏したバッハ作曲「アリオーソ」。ヴァイオリンは木曽町が所有する陳昌鉉氏が製作した楽器。ピアノはかなり古い時代のスタインウェイです。
今回のテーマはヴァイオリンを弾きながら聞こえる自分の楽器の音と一緒に演奏している「他の楽器の音」について聴こえ方・聴き方・演奏方法を考えるものです。
 楽器によって自分の演奏する音の聴こえ方に大きな違いがあります。
極端な例で言えばパイプオルガンの演奏者は設置された数多くのパイプに送り込まれる空気によって建物=演奏会場に響く音を鍵盤の前で聴きます。
ヴァイオリンの場合は音源が耳元から10センチ程の場所にあり、顎の骨や鎖骨を通しての「骨伝導=楽器の振動を直接感じるもの」もあります。
同じ弦楽器でもチェロの場合には筐体=ボディがヴァイオリンよりはるかに大きく弦も太く長く張力も強いので音量=物理的な音圧も大きくなります。耳元と言うより座っている自分の前方に音源がある事になります。
声楽の場合は音源が声帯で口の中、頭蓋骨、胸部を振動させたものすべてを耳と身体で感じることになります。
 こうした楽器ごとの聴こえ方の違いがある中で、さらにピアノやオルガンのような他声部楽器=一度に多くの音を演奏できる楽器と、管楽器や基本的な弦楽器の演奏方法で出される「短声部=旋律だけを演奏する」楽器に分類できます。
 ピアノやオルガンも他の楽器や声楽と一緒に演奏することもありますが作品の多くは1台のピアノ・オルガンで旋律も和声も演奏できる楽器です。
 管楽器や弦楽器、声楽の場合は逆に一人だけで演奏する曲は非常に少なく多くの曲は他の楽器、他の演奏者と一緒に演奏して音楽が完成されます。

 一緒に演奏する人がある曲でも「一人での練習」が必要になります。いわゆる「譜読み」の段階から始まり、指使いやボウイングを考えながら(ヴァイオリンの場合ですが)音量や音色を考えながら練習する時間です。この時に一緒に演奏する「音・音楽」を想像しながら練習することは経験と楽譜を見る技術があれば可能です。アマチュアの演奏者の場合に「自分の事で精一杯」になるためにこの練習が不足しがちです。
 実際に一緒に練習することを「あわせ」などと言いますが、二人の場合でもオーケストラの場合でも最終的な楽器の編成で練習することを指します。オーケストラの場合には指揮者がすべての楽器の音を聴くことが出来る唯一の場所=指揮台から聴きバランスなどを演奏者に指示します。演奏する位置によっては自分の楽器の音より他の楽器の音の方が大きく聴こえる場合もあります。逆にオーケストラの一番「後ろ=奥」で演奏する金管楽器がフォルテで演奏すればヴァイオリンの音はまったく聞こえないのでは?とも感じます。
 こうした「あわせ」の時に自分の楽器の音と他の楽器の音を「聴き分ける」技術が必要になります。ただ分離するなら音量も音色も違うので誰にでも出来ますが「統合=一つの音として聴く」技術が必要になります。時に二人で演奏する場合にはお互いが相手の音と自分の音を「自分の音」として考える思考が必要です。
 一人で練習して居る時には自分に聞こえる小さな音…例えば弦に指を載せた瞬間の音がピアノと一緒だと聞こえなくなることもあります。弓の速度や圧力を「ほんの少し」変えて自分に聴こえる音色の変化がピアノの音にマスクされて聞こえなくなることもあります。
音量の変化も一人で練習している時には感じていたクレッシェンドが感じられなくなることもあります。考えれば当然のことです。ピアノは同時にいくつもの鍵盤=音を演奏しています。さらに音量の変化幅もヴァイオリンよりはるかに大きな楽器です。

 ピアノの音を聴きながら自分の音を聴く。
一種の「マルチタスク」です。頭の中で同時に聞こえる2種類の楽器の音を冷静に考えながら自分の音に集中して演奏する…これ、かなり難しいことだと思います。あれ・もしかして私だけ?(笑)
 録音された自分たちの演奏を聴くとき、マイクの位置によって二人の音量のバランスがまったく違って聴こえます。それぞれの楽器に近付けたマイクで別々のトラック=チャンネルに録音しバランスを整えるのが「スタジオレコーディング」です。ライブでの録音は通常「記録」として録音することが主目的なので、お客様からの見た目で邪魔にならないことも大切な条件になります。
 と言うよりも(笑)ライブ=コンサートの場合には客席での聴こえ方が一番大切なので録音は本来の目的ではありません。演奏しながら客席で二人の音のバランスは自分では確認できません。私たちの場合には調律師の名取さんに少しでも聴いてもらいアドヴァイスをもらっています。名取さんが居ない時、さらに誰も知り合いがいない地方の会場ではお互いの音を客席で順番に聴いて「想像」するしか方法がありません。あとは経験と勘が頼りです。

 曲によってお互いの音が聞こえにくい曲もあります。ヴァイオリンの音域も関係しピアノの音の数・音域も関わります。ヴァイオリンの立ち位置でも聴こえ方が変わります。ピアノの「蓋=屋根」の開け方でも変わります。ピアニストからの「視界の中」にヴァイオリンがあるか?も関わります。
 私たちは最終的に「ホール全体に二つの楽器の音が届く」事を考えている「つもり」です。
練習の時にホールの響きを想像することは不可能です。色々な位置でヴァイオリンを弾くこともあります。ピアノの近くだったり少し離れた距離で演奏してみたり。聴こえ方がお互いに変わります。ピアノは動けませんから(笑)ヴァイオリンが動きます。
 曲によって調性=キーを変えることも多くあります。バランスよく聞こえる調、オクターブを考えて「リアレンジ」します。以前のブログでもヴァイオリンとヴィオラで同じ曲を演奏した比較、違う調性で演奏した比較もしていますのでご興味あればお読み頂ければと思います。

 一人一人の演奏者は自分の音に最大限の集中をします。当然です。
客席で演奏を楽しむ方の殆どは「ひとつの音=音楽」として聴いています。
例えるな「2種類の素材の料理」です。どちらかの主張が強すぎればどちらの素材とも美味しくなくなります。別々に食べても口内調味…口の中で一つになっても「惜しい」と感じる料理は単品よりも難しいと思います。
 別々の音色・楽器の音が違う種類の新しい音になります。曲の中で一つの音のように溶ける場面もあればどちらかの音が鮮明に浮かびあがる場面もあります。
それを確かめるのが「あわせ」だと思います。学生時代は本番の前に数回合わせればとりあえず?納得していた気がします。それで「完成」させることが出来るプロもいらっしゃいます。
私たちの場合は常に試行錯誤の繰り返しです。「これ!」と言う正解がない道を迷いながら歩くのも音楽なら楽しいものです。間違ったからと言って誰も傷つきませんから(笑)
 最後までお読みいただきありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

ヴァイオリンの成長と寿命

  今回のテーマは理論的な面と主観的な感覚の両面からヴァイオリンの「成長=良い音に変わる変化」と「寿命=良い音が出せなくなる」状態について考えるものです。理論について私の知識では判断できないので論文を解説している動画を使います。感覚的な面は自分が使用してきたヴァイオリン・ヴィオラを元に書いていきます。

 冒頭の動画は理論的なヴァイオリン=木材の経年変化をまとめた部分から再生されるようにリンクを張ってあります。詳細を見たい方は動画の最初から見直すことをお勧めします。
 結論を一言でまとめてしまえば木材を伐採してから200年頃が「固さ」「音の響き」のピークだという事です。それまでの間は特に振動を音に変える効率が上がり続ける「過渡期」であり、一方で木材の「固さ=強度」は150年から徐々に劣化してくことが科学的に証明された事実です。当然、伐採後の防腐処理や使用環境によってこの数値は変わりますし木材の個体差も関係しますが「理論上」とは多くのデータを基に導き出されるものです。演奏家の「感覚」とは別の次元で「正しい」と言えます。
 ストラディバリウスは良い音を出すヴァイオリン。それを否定する意味ではありません。

ただ現実問題として「劣化」は避けられない事実です。修復をすれば元の楽器から徐々に遠ざかっていきます。最終的には表板も裏板も違う部材に変えたとしても「ストラディバリウスです!」と言えば言えます(笑)

 この動画では触れていませんが「名器」と呼ばれるヴァイオリンに使われている木材を分子レベルで解析し「前処理」つまり楽器を作る前に木材にどんな処理をしたか?と言う事を分析する論文もあります。演奏する私たちが知る由もないことですが、ストラディバリもグヮルネリもそれぞれに「薬品」に木材を漬け込んでいた(笑)のは間違いないようです。細胞や分子レベルまでの分析が出来るようになり、楽器を破壊することなく調べた結果なので疑いの余地はありません。
 300年前に今の科学技術があった訳でもなく、さらにその300年前には色々な大きさ形のヴァイオリンがあった事を考えれば、アマティやストラディバリがどれほど優れた楽器製作者だったかを示しています。

 二本目の動画でシューベルト作曲「アヴェ・マリア」の演奏に使用しているヴィオラは陳昌鉉さんが2010年に製作された楽器です。
演奏しているのは2012年12月。5月に陳昌鉉さんがご逝去され、追悼と感謝の気持ちを込めて演奏したものです。
 陳昌鉉さんは常々「ストラディバリのような楽器を作りたい」とお話しされていました。

このヴィオラの顎当てを私好みに削って頂くために工房に伺った際に私が「生まれたばかりの楽器なのに《おじいちゃん》のような深い音」と表現すると陳昌鉉さんは嬉しそうに笑いながら「ありがとうございます!何よりも嬉しい言葉です」と仰っていました。
「ヴァイオリンのメッカ」と呼ばれるクレモナで少し前に「イタリアの楽器は100年経ってからいい音になるんだ!」と自分の楽器について謎の自慢をしていた有名な製作者がいましたが(笑)100年後に製作者も演奏者も間違いなく「お星さま」になっていますから証明できる人はいません。ある意味「言ったもの勝ち」ですが。
ストラディバリの楽器は出来た当時から「素晴らしい楽器だ」と評価され多くの演奏家、楽器商が彼の楽器を買い求めた結果、信じられないほどの数の楽器を生涯にわたって作り続けました。つまり「100年後に!」なんてストラディバリは言っていないし、当時「新作」だった彼の楽器が本当に素晴らしかったことは事実なのです。

 ここまで書いて「ちゃぶ台返し」をします(笑)
ヴァイオリンを作る製作者=職人は何故?自分の作ったヴァイオリンが「良い音」だったり「演奏しやすい」と分かるのでしょうか?製作者の中には自分でもヴァイオリンの演奏ができる人もいます。しかしどう考えてもヴァイオリンとチェロを同等に弾きこなす人だとは考えられませんし、そんな技術も時間もなかったはずです。「演奏者からの意見=評価」に素直に耳を傾ける謙虚さのない製作者が良いヴァイオリンを作れるとは思いません。先ほどの「100年後」を豪語した製作者は、自分の作ったヴァイオリンの「評価」が自分の予想以下だったから「ふっかけた」としか思えません。本当に演奏者が弾いて「素晴らしい」と評価をしていたなら「100年後」と言う言葉は出てこなかったはずです。今現在の音が固すぎたりキンキンしていたり楽器が鳴らなかったりという不満や評価を素直に受け入れていれば、きっといつか本当に良い楽器製作者になれたかもしれません。
 楽器は演奏者が演奏して初めて「楽器」になるものです。どんな楽器でも演奏の技術が優れた人が演奏すれば「楽器の価値」も高くなります。粗雑に扱われ演奏技術の不足した演奏家に乱暴に使われたヴァイオリンに「楽器が良くない」と暴言を吐く人を私は軽蔑します。

 製作されて300年経過した楽器を「最高の楽器」と決めつけ崇める事には違和感しか感じません。既に修復を重ね木材は往年の響きや強さを失っている楽器が最高だとしたら出来たばかりのヴァイオリンを誰が?育てるのでしょうか?あまりにも身勝手な考え方だと思います。

 人間と似ていると思います。子供の頃に親や周囲の人に愛されて、正しいマナーやモラルを身に付けた人と、甘やかされわがまま放題に育った人の違いです。さらに言えば、どんな子供=ヴァイオリンでも大切に愛情を持って育てれば、人=ヴァイオリンとして成熟した大人になります。人もヴァイオリンも「生まれ」が大事なのではなく、育つ過程が一番大切だと思います。

 新作ヴァイオリンは良い音がしない…これははっきり言って「嘘」です。すべての新作楽器を否定するような考え方は間違っています。

 しかしヴァイオリンは冒頭に書いたように作られてから200年ほど経過したときが「全盛期」だと言えます。それまでの200年間、何人ものヴァイオリニストに大切に演奏・管理されればという条件があります。300年経った楽器を大切にするのは「伝統を継承する」意味しかありません。むしろ今後は演奏に使用するのではなく「貴重な歴史的資料」として管理すべきだと思います。若いヴァイオリニストにストラディバリウスを貸し出すよりも「これから成長する」ヴァイオリンを大切に演奏させるべきだと考えています。

 最後までお読みいただきありがとうございますした。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介