久しぶりの投稿です。
今日2026年9月30日(水)66歳になることが出来ました。
1960年=昭和35年の今日、この世に生を受けました。
それが「誕生日」なら今日は67回目の誕生日ですが(笑)
銀行員の父、5歳年上の兄を育てながら私を生んでくれた母。
どうも二人目の子供には「女の子」を待望していたことを感じさせる写真が複数存在しますが(笑)それでも両親にとって二人目の男の子誕生は嬉しかったようです。
父は3人の妹がいる家族。母も妹、弟のいる家庭の長女。
そんな時代でしたから二人の子供は当たり前だったのかもしれません。
私が生まれてすぐに心臓に病気が見つかり(心室中核欠損症)、ショックで母は母乳が出なくなり、当時の医療では手術しても生存の確率は50%と言われ、父も半ば覚悟をしていたそうです。そんな乳児を抱えて父は北海道の札幌支店に転勤が決まり、当時は「特別待遇」として私は飛行機で札幌に。その後の検査で心臓に開いていた穴は自然にふさがりました。
健康を絵にかいたような兄と違い、病弱だった幼児期に、今度は薄暗い玄関で靴を手探りで探している私に気付いた両親が訪れた国立小児病院眼科で治療法のない進行性の「網膜色素変性症」の診断を受けます。
私が盲学校に通う必要があるのか、それとも普通学級に通えるのか?
主治医に相談した結果を手紙で受け取り、めでたく公立の小学校に入学。この時の手紙が奇跡的に実家に残っていて、後に私の障害年金需給の決め手になりました。
そんな私が音楽を学び、音楽高校に進学出来たのは、つまるところ「素晴らしい先生たちとの出会い」がすべてだったと思います。
もちろん両親が苦労して楽器を買い、日本で一番高い入学金を支払ってくれなければ今の私はいません。本当に恵まれた子供だと思います。
大人になることが思春期の私にとって最大の不安でした。
夜、一人で外出する不安。仕事につけるのか?人並みに生活できるのか?
毎晩、不安な気持ちになりながら、日々を過ごしていました。
目の病気の進行は40代までほとんどありませんでした。
これは「運」でしかありません。
これから自分自身がどう?なるのか考えても意味のない事だと思っています。音楽に固執する気持ちはありませんが、他人に自分の人生を預けるような生き方だけは避けたいと思っています。出来ることを続けられれば十分です。
最後に。天国にいる両親に感謝!です。
ヴァイオリニスト。ヴィオリスト 野村謙介

コメント