今回のテーマは演奏技術について考えるものです。
映像は昨年のハイフェッツ国際コンクールで第1位になったヴァイオリニストの演奏です。
あくまても「好き嫌い」を極力排除して可能な限り「演奏技術」に絞って考えてみたいと思います。
ヴァイオリンを初めて練習し始めたばかりの「初心者」にも演奏技術は間違いなく存在します。ヴァイオリン・弓などの「楽器の個体差=価格の違い」も問題ではありません。
ヴァイオリンで音を出す技術だとも言えます。どんな音をどんな音色でという視点になると主観的な要素が中心になります。良い音、音量が豊かなどの評価も聴く人の主観です。
1.「正しい音の高さ(ピッチ)」で演奏する精度
2.「雑音を出さない演奏」の確率
3.「楽譜に書かれた強弱・テンポなどの指示通りの演奏」のレベル
この3項目以外に「技術」と呼べるものがあるでしょうか?
音楽を聴く人の「能力・技術の違い」によってはレベルの差=違いが判断できなくて当たり前です。例えば上記「1」のピッチの正確さを聴き分ける耳の精度=感覚は人によって違います。
音の高さを厳密に計測するには本来「周波数」を計測する機械が必要です。
チューナーと呼ばれるものにも様々な物があります。スマホなどのアプリでも周波数を表示できるものがあります。ただ「反応速度」つまり細かい=短い音やピアノの音とヴァイオリンの音が同時に鳴っている時の「ヴァイオリンの音だけ」を計測できるチューナーとなると、一般に使われているものでは計測不可能です。人間の耳は「ヴァイオリン音だけ」を音色の違いから聴き分けることが出来ます。その音の「瞬間的なピッチ」を判断できる耳は演奏者にとって必要な感覚です。正確なピッチで演奏できる人であれば他人の演奏のピッチに対しても精度の高い「評価」が出来ることになります。この精度を高めることもヴァイオリン演奏に不可欠なトレーニングです。
上記「2」の雑音の有無については「どこまでを雑音と言うか?」の基準がありません。
弓の毛で弦を擦った「摩擦」で音を出している通常の演奏方法でも雑音を「ゼロ」にすることは物理的に不可能です。何故なら「摩擦の連続」で発音する以上、常に弦の振動「以外の音」が含まれているからです。ピチカートの場合は指ではじいた直後から「余韻」として音が消えるまでの時間が「音」になりますから摩擦音=雑音はありません。この摩擦音=雑音の量が多ければ「ザラザラ」した印象の音に聴こえ、「ゼロ」にはなりません。当然音量を大きくするために「強い圧力」で弦を擦る必要が生まれるため雑音も比例して大きくなります。
「左手の指が弦を押さえる音」は通常の生演奏では客席に聞こえるほど大きくありません。昔の録音方法では記録されない音量ですが、現在の録音は演奏者に近い位置に小さな音も収録出来る感度の良いマイクを立て、テープレコーダー特有の「サー」っという雑音を一切含まないデジタル録音で記録されますので「弦を押さえる音・離す音」まで記録されます。これを「雑音」と言うか?は個人の見解によって違います。
「3」について、楽譜の出版社によって指示が異なっているの場合が殆どです。特に時代が古くなるほどその「違い」は大きくなります。ある楽譜には「フォルテ」で、違う楽譜には「指示なし」と言う場合です。演奏者が使っている楽譜を確認しながら「あ。ピアノにしては大きいような」と言う主観が入ってしましますが「指示に従った変化ができるかできないか?」と言う意味のレベルです。
ここまでお読みいただければお気づきのようにいわゆる「じょうずな演奏」の定義が聴く人の能力によって変わってくるという事です。技術の違いがすべて判断できる人は、演奏している人と同等かそれ以上の技術を持った人でなければつじつまが合わない!と言う事になります。
「楽器が弾けなくてもピッチやミスは判断できる!」と言い切る方もいますが実際に自分が出来ないこと=到達していな技術レベルの違いを本当に判断できるのか?と聴かれれば「できない」としか答えられないはずです。違う楽器、例えば私がトランペットの技術のレベルについて何か言えるか?口が裂けても「技術」についてコメントは出来ません。「ピッチ」や「雑音に聴こえた音」「印象」は表現できますが何が難しいのか?知らない人間が技術についてものをいう事は「無礼者!」(笑)だと思っています。その意味では指揮者って最悪の無礼者だと思います。すみません。
前回のブログで書きましたが「AI」の進化・コンピューターの処理能力の高速化で人間と同じように間違える演奏も機械が考えて「演奏」できる時代です。人間の出したヴァイオリンの音を記録=録音しパソコンに波形データとして取り込みそれを鍵盤に振り分ける「サンプリングキーボード」は20年以上前から実用化されています。ヴァイオリンの音を「生で聴く」時と同じ音色・音量で再現する再生装置も技術的には既に可能です。つまりヴァイオリニストの代わりにその人が出す音とまったく同じに聞こえる音を鳴らすスピーカーです。大した技術ではありません。楽器と演奏者が演奏しながら微妙に動くことで起こる微妙な変化も、スピーカーを同じように動かすことで再現できます。
ましてや「録音物」であれば、もはや人間の演奏と見分けのつかない音を再現することは問題なく出来る時代です。「ビブラートは?」それも再現できます。音色は「好み次第」でどんな音にも作り変えられます。サラサーテだろうがウィニアウフスキーだろうが(笑)どんなテンポでも演奏にミスはありません。
人間の演奏技術が「ミスのない演奏」こそが高い!とするならそれを聴く人が判断できることが前提になります。一部の人の中で「すごい」だけの話です。
F1やスポーツのように誰が見ても納得できる「技術レベル=数値の序列」を演奏に求めるのは大した意味を持たないと思います。好みが優先して当然だと思います。一部の「レベルの高いヴァイオリニスト」の評価で「きっとこのヴァイオリニストはじょうずなんだ」と思い込み、拝みながら聴くよりも身近な人の演奏に「じょうず!」と拍手する方が人間らしい音楽の楽しみ方だと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介
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