メリーミュージックブログ

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視覚障碍が与えてくれたこと

視覚障碍が与えてくれたこと

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映像は今年2026年1月のリサイタルで演奏した「グラン・タンゴ」に過去のリサイタルで私たちが演奏した176曲のタイトルと作曲者を入れた動画です。
18年間続けているリサイタルの第1回では楽譜を見ながら演奏することが可能でした。
「網膜色素変性症」と言う進行性の目の病気は生まれつきの病で、現在も治療法が確立されていない難病として認められているもので国内だけでも5万人以上の患者がいます。
 夜盲症の症状と視野狭窄(視野が欠けていく)症状で進行が進むと失明に至ります。
進行の速度や症状には大きな個人差があります。私の場合、4歳頃に診断を受けて以来50年近くの長い間大きな進行は見られず、楽譜を見ながら演奏することも可能でした。
 50歳を過ぎた頃から進行速度が早まり現在は右目の視力は殆どありません。
それでも左目で大きな楽譜を少しずつなら読み取るだけの視力が残っています。
生まれつき、あるいは幼い頃に失明している演奏者は世界中にたくさんいます。
ポピュラー音楽の世界でもスティビーワンダーやレイーチャールズなども全盲です。
クラシック音楽ではヴァイオリニストやピアニストの日本人演奏家も活躍されています。
 私の現在の状態は「半盲」と呼ばれる状態です。いつまで?この状態Gあ維持できるか誰にもわかりませんし、IPSS細胞による治療がいつから認められるのか?も不明です。
不安やストレスがないと言えば嘘になります。今まで出来ていた事が徐々に出来なくなるのは誰でも不安に感じるものでしょう。生まれつきの病気でなくても事故や病気、ケガなどで身体の自由が一部失われることは誰にも起こり得ることです。加齢によって不自由に感じることが増える人も少なくありません。そうした変化をネガティブに考えることは自然な感情ですが、出来ることが少なうなって初めて「出来る」ことに感謝する気持ちGあ生まれることも事実です。リサイタルはこれからも続けていきます。新しい曲を演奏する場合に楽譜を元にして演奏するクラシック音楽の場合に、通常より時間がかかっても演奏することは出来るはずです。
全盲の演奏者が点字楽譜を用いて楽譜を覚える場合や、音と介助者の力を借りて音楽を覚える場合でも最終的に「演奏できる」能力が残っていれば悲嘆することなく演奏したいと思っています。

 視力と視野が普通の人より低く・狭くなった私が感じる演奏と「視覚」の関係について書いてみます。先述の通り以前は初見で楽譜を見ながら演奏することが出来ましたし、音楽高校・音楽大学で楽譜を音にするスキルも身に付けました。アマチュア演奏家が楽譜を音にすることが難しいと感じるのは才能ではなくトレーニングの有無が原因です。楽譜に書かれた記号を楽器や声ですぐに音楽にする技術はトレーニングによって身に付けられます。
 しかしそれだけで「音楽」が仕上がることはあり得ません。どんなに初見の技術Gあ高くなっても「音の羅列」を「音楽=意味・感情を感じるもの」に仕上げるための思考=頭脳を使った練習の時間が必要です。思った通りに演奏できるまでの時間が長い人と短い人はいます。それは「演奏技術の高さ」です。難しい=弾きにくいパッセージを短時間の練習、もしくは練習しなくてもすぐに思った通りの正確さと速さで美しく演奏できる技術もトレーニングで上達します。この演奏技術が高ければ「思ったように演奏できるまでの時間」が短くできるのでより多くの曲を演奏することが可能になります。
 思ったように…言葉では短いのですが「思う」ことが変化=深化します。もっと言えば変化してこそ!音楽が深まる者だと確信しています。

 私たちが生活する中で経験・体験を重ねて多くの「記憶」が脳に蓄積されます。
たとえ無意識であっても良い記憶も恐怖や不安の記憶も脳には残るものです。
楽譜が同じでも感じるもの=想像するものが変化するのが人間です。10際の子供と60歳の大人が同じ絵を見て想像する量も質も違うのは生きた時間=記憶の量による違いです。
年を取ると覚えることが難しくなる…多くの人が口にしますが私は疑問を感じます。
子供は新しいことに出会う=新しく覚えることが多いから覚える量が多いのです。
60歳になっても「初めて」の体験や感覚を感じることはあります。ただ「初めて」と思っていないだけで🅂実は新しい記憶が脳に残されている意味では子供と同じです。
 さらに子供は道筋通りに何かを覚えようとしません。新しい興味があればそれがパオ婚でもスマホでも触って確かめて自分の見たい映像をやゲームを見つけます。ところが大人はまず「壊してはいけない」「間違った操作をしてはいけない」とブレーキをかけながらマニュアルを読んでみたり恐る恐る進みます。当然、たどり着くまでに子供より時間がかかります。
単純に「記憶」することだけを、子供と大人で比べれば恐らく大人の能力農法が勝っている結果になるはずです。ましてや子供にとって興味のないことは覚えようという医師が働きません。「認知症」が高齢になってから発症することが多いのは事実ですが、若くてもアルツハイマーなどの病気の人は記憶が消えてしまいます。「忘れる」のは人間の防御反応の一つだと言う説もあります。また脳の萎縮や組織の一部が病気や事故で傷ついた場合に「記憶障害」が怒ることと通常の記憶力を混同するのは違う気がします。

 私自身の経験ですが視力が低下し視野が狭くなったことで今まで違った演奏が始まった気がしています。簡単に言えば「見ることに頼らない」演奏です。見えないので当たり前ですが(笑)
 見える事が当たり前の人間は当然ですが見た方が簡単なら見ようとします。
楽譜を見ながら弾いた方が暗譜するより楽です。覚える「意義・必要性」を感じないからです。では見ながら演奏することでマイナスになることはないでしょか?
 これを考えるにはまず「見ながら演奏することのメリット=プラス要素」を考えることです。なにかありますか?初見は楽譜が必要です。当然です。その段階から練習る=考える時間があります。考えたことを楽譜に文字や記号で書き込めば後ですぐに思い出せます。
楽譜を見ることが演奏の「プラス」になることはないと考えます。強いて言えば「覚えなくても良いのでたくさん曲を同時に練習できる」ことでしょうか。もう一つは「覚えるまで楽譜を見ることができる」ことです。見えなくなって感じることです。
 昔、試験で弾く曲を暗譜するのが当然でしたから意識せずにある段階から楽譜を水に練習して言ことを覚えています。「いつの間にか覚える」という事です。
楽譜を水に演奏する時に次の音を思い出せなくなる事や「不安」があると、どうしても楽譜を見ながら弾きたくなります。暗譜で演奏することに不安がなくなる状態にする「練習」で何が変わるでしょうか?これが「プラス」の部分です。
 以前にも書いたことがありますが舞台や映画、テレビの役者さんが台本を水に演技するのは見ている人がいつの間にか演技を「本物」に感じさせるために必要だからだと思います。
役者さんが台本を手にして目を落としながら台詞を言えば見ている人は「読んでいる」事で芝居=嘘の世界だと感じてしまいます。ストーリーに入り込めません。当然、感情移入も難しくなります。しかし「朗読」の場合は読み手の「声」だけで聴く人の想像力を掻き立てるものなので「視覚=見た目」は大きな問題になりません。
 音楽も「音」の世界ですから弾く姿や楽譜の有無で評価が変わる事はありません。
レコート、CD、ラジオで演奏者がどんな服装で楽譜を持ていても分かりませんよね。
楽譜を見ずに演奏することは演奏者が音楽「だけ」に集中する上で有意義な事だと思います。
演奏しながら次の音を楽譜から読み取る「視覚からの脳の働き」を無くし、次の音に必要な身体の動かし方と音のイメージを作ることに集中することができます。
 人間は何かに集中すれば他の運動や感覚は「無意識」になります。次に出す音をどうやって?どんな音に?と言うことに集中しているとすれば楽譜は無意識に眺めているだけです。
逆に楽譜からの情報を得ることに集中すれば、音のイメージや身体の動かし方は無意識になります。これは「脳の働き」なのでマルチタスクが得意か苦手か?と言う問題ではありません。
 楽譜は作曲者の考え出した音楽の設計図です。それを実際の「音楽」にするのが演奏家です。楽譜に書かれた曲を自分の技術で音楽にする「練習」の段階で楽譜から離れ、自分の身体と「意思」で音楽を演奏する考えで言えば音楽を覚える事は「自分の言葉で感情を伝える」ことに似ています。他人の書いた言葉=台詞・台本を自分で租借し自分の感情を人に伝える気持ちを持って演奏したいと思います。
 これからも「音の世界」を楽しみたい。出来ることが減っても楽しめると信じています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト野村謙介

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