映像はドボルザーク作曲の歌曲「私を一人にして」をヴィオラとピアノで演奏したものです。
今回のテーマは私も含めて過去に視唱からのレッスン=指導を受けた経験のある人の当時と現在の違い、さらにその自分が生徒さんに対してレッスンで何を伝えているのか?を考えるものです。
まず何よりも幼いことろから私に音楽を指導してくださったすべての恩師に感謝をお伝えい🅂ていと思います。すでにご逝去された先生が増え寂しい気持ちになります。
今更ながら当時もっと真剣に視唱の言葉や演奏、何気ない事も含めて学んでおけば良かったと反省しています。一生涯「学ぶ」事が音楽に関わる人間の宿命でもあると考えています。レッスンで直背う指導を受けなくても、音楽海外の人からも学ぶことはたくさんありますがやはりレッスンで学んだことは特別な意味があると思います。
昔私がまだ小学生、中学生の頃にNHK教育テレビで毎週決まった時刻に「●●のお稽古」と言うタイトルの番組が放映されていました。ピアノ、ヴァイオリン、フルート、ギターなど日本を代表する演奏家の先生が子供たちにスタジオでレッスンする番組でした。夕方の時間帯で子供も親も一緒にテレビから多くのことを学んでいた気がします。その楽器を習っていない人でも楽器演奏の難しさや楽譜に書かれておる記号の意味や演奏方法をなるほど~と思いながら見ることのできる貴重な番組でした。
今と違いビデオも普及しておらずインターネットもYouTubeもない時代ですからテレビでレッスンを見られることは感動的なものでした。今はYouTubeで世界中の演奏家やすでに亡くなってしまった演奏家の演奏動画、音源を気軽に大量に見聞きすることができます。演奏方法を動画で説明するチュートリアル動画は星の数ほど存在します。演奏家なのか?さえ分からない人が語る演奏テクニックや音楽の解釈を見ていると正直「なんだ?」と首をひねるものもあります。多くのチュートリアル動画は「自分の演奏について」語っています。レッスンを通して演奏技術のアドヴァイスをしている動画は極わずかです。「マスタークラス」と呼ばれる上級者への公開レッスン風景も見つけられます。その中でレッスンを受けている人が今現在、演奏しているのかは定かではありませんが貴重な体験をされている事を感じます。
教育テレビの「○○のお稽古」は全国にレッスンを公開するので受ける生徒の緊張を考えると恐ろしくなります。
私自身がヴァイオリンのレッスンを受けた中で大きく分類すると以下の3つのことに分かれます。
1.演奏技術
2.音楽の解釈や表現
3.練習する内容=課題の提示
上記の1には曲ごとの指使い・ボウイングなども含まれますがすべての曲に共通する「構え方=姿勢」「楽器と弓の持ち方」「手・指の形」「腕・指の動かし方」が最も大切な事だと今でも考えています。
2の解釈や表現の仕方を言葉や演奏で指導される先生もおられましたが何よりも「考え方の違い=演奏の個性」を学ぶきっかけになりました。
3はレッスンで生徒に不足している技術を身に付けるために、どんな練習・練習曲をどのくらいの量と時間で練習すべきなのかを毎週、あるいは不定期なレッスンで指導して頂くことができました。
自分の演奏を目の前で見て、聴いてレッスンをされる・する事がレッスンだと思います。
「オンラインレッスン」が無意味だとは考えません。遠隔地の先生から指導を受けられるメリットは技術の賜物です。限界があることも事実です。音色・音量の微細までは伝わりまん。さらに身体の使い方=力の入れ方・色々な角度から見た手や腕の動きなどは実際に目の前に生徒がいて初めて分かることです。教わる側にしても師匠の演奏=音色などは感じられず自分が見たいと思う動きを確認することはオンラインレッスンでは伝わりません。
これはYouTubeのチュートリアル動画でもまったく同じことが言えます。まして自分の演奏を見聞きして問題を指摘してくれるわけではありません。あくまでも「中の人の個人的な考え」を参考にできるだけです。多くの動画を見ていますが、むしろ見る側の技術と経験が足りなければ、自分に必要な事か?やるべきことか?の判断が出来ないはずです。色々と試すことは面白いかもしれません混乱する結果にもつながります。
レッスンで学んだことや感じたことを師匠の求めるレベルまで出来るようにするのが練習でありその過程をレッスンで見てもらい修正されるのもレッスンの意味です。
私は幸運なことに多くの素晴らしい恩師に出会うことができました。本当に幸運でした。
自分自身の練習・努力不足が原因で師匠たちの求めている事の「10%」も理解できていなかった気もします。それでも私の恩師はそんな不出来で不謹慎な私を見捨てられませんでした。
レッスンを受けた中には「室内楽」つまりピアノや複数の人たちと一緒に演奏を見て頂くレッスンも受けました。実技=ヴァイオリンのレッスンは中学・高校・大学の間「久保田良作先生」お一人のレッスンを受けることができましtあ。学友や知人の中には途中で違う先生に「弟子入り」されていました。きっと理由があっての決断だと思います。何よりも師匠と弟子の「相性」が合わなければお互いに不幸です。求めるものを受け入れられない人間関係ではレッスンが成立しないのは当然です。
レッスンを受けている期間に感じられるものと、時間が経って初めて感じるものがあります。単に「結果」だけを見るのではなく「弟子=学んだ人間」が演奏を続ける間の経験が重なり挫折したり乗り越えたりする中で初めtえ感じる「レッスンの有難さ」です。
教える側が「感謝しなさい」と生徒に求めるのは愚の骨頂です。間違っています。
教えることも学ぶことだからです。レッスンをしながら生徒に教えられる=気付くこともその一つです。生徒はすべて違う人間です。真剣に向き合うほど生徒の「人間」を感じられます。
その一人一人に教える自分が順応することがレッスンの技術に繋がります。指導経験の浅い人のレッスンは自分の演奏を生徒に伝えることがレッスンに感じます。生徒を観察する技術が足りないからです。教えても出来ないのは生徒の努力が足りないから・能力が低いからと考えるのは指導者の傲慢であり指導者としての適格性が足りないと言えます。教え方が悪い、生徒の科札が足りない事が原因だと自覚することが生徒の成長を助けます。
最後に今も音楽に関わって生きていられることを両親とすべての恩師に感謝したいと思います。お読みいただきありがとうございました。
ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介
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