映像は学生時代からの友人作曲家「久木山 直」Kukiyama Naoshiさんが作曲し
「こんなの書いたよ。良かったら弾いて~」と楽譜を送って頂き、お言葉に甘えて練習して自宅で録音した演奏に2014年3月末に私の実家があった東京都小金井市の都立小金井公園の桜を撮影した写真をスライドショーにした映像です。
久木山氏から楽譜を頂いたのが3月29日の夜。一緒にPCを使った「音源」も頂きました。
桜が散るまでに!とまず楽譜を覚える作業からスタート。
昨日(4月8日)自宅で浩子さんと演奏して録音しました。
初見でも演奏可能!と言うアマチュアもいると思います。
全体にリズムの変化が少なく、音域もG線の「C=ド」からE線の「D=レ」までの音域。
臨時記号も数箇所だけ。テンポはゆったりした曲です。
「すぐに覚えられる気がする」と感じる方もおられると思いますが私には「超難関!」でした。
何より「旋律」の大きな部品=フレーズが覚えにくかったこと。日本語で例えるなら段落・文節の切れ目が合間になっていて、それぞれが少しずつ違うという特色があります。
以前のブログでも書きましたが「楽譜を覚える」事と「楽譜を見ないで音楽を演奏する」事は全く違います。演奏しない人の場合=音楽を聴いて楽しむ人が楽譜を一度も見なくても好きな演奏を何十回、何百回と聴くうちに小さな雑音や細かい部分まで無意識に覚えることは珍しい事ではありません。楽譜は作曲者と演奏家をつなぐ「指示書・設計図」です。実際に出来上がったものを使う人にとっては設計図を見る必要などありません。
今回の「SAKURA」をヴァイオリン・ピアノで演奏した音源はどこにもありませんでした。当然ですよね。作曲者が「こんなの書いたよ」と教えてくれた曲ですから。
楽譜を「見ながら」演奏できる視力が私にあればなぁ‥と考えました。正直に書けばストレスですが受け入れるしかありません。覚えれば良いだけです。
多くの方が覚えた「九九」をどうやって覚えたか?覚えていますか。
同じように学校で習った「歴史の年号」「国名と首都の名前」「地図の記号」「円周率」「元素記号」「三角関数」など覚えたものの、その後の人生で一度も!思い出す場面がなかった記憶も「苦労して覚えたことは覚えている」(笑)ってありませんか?
忘れてしまいそうで覚えている事もきっとあります。例えば自転車で片手を離して走ったり「立ちこぎ」した人は多くても大人になってほとんど!自転車に乗っていない人は多いはずです。10年以上乗っていなくてもきっとすぐに走れて片手走行も出来るでしょう。
鉄棒の逆上がり、水泳なども同様です。何故か?身体が覚えている運動です。
楽器の演奏もとても良く似ています。一度でもヴァイオリンを練習した人は楽器と弓の「持ち方・構え方」をずっと覚えています。
記憶のひとつ「道順・道程」があります。今ならナビゲーションと言う現代文明のツールを使うでしょうが昔は「地図」と「記憶」がすべてでした。
目的地までの経路を複数覚えている場合もあります。学校の行きかえりの道順や歩きなれた道で「いつもと違う道」を選んで歩いた経験はありませんか?
「ランドマーク」つまり目印になる建物や看板、風景を記憶して歩くこともあります。
人に道順を教えるケースで「八百屋さんの角を右に曲がって‥」などですね。
初めて通った道を反対方向「帰り道」に同じ道を歩いているはずなのに「あれ?この道で合ってるのかな?」と感じたことはありませんか?風景がまったく違うので当然のことです。
私たちはGPSで自分のいる場所を確認していません。周囲の風景、見たことのある建物など「記憶」を頼りにしています。
音楽を演奏する時に楽譜を見ながら演奏するのは地図を見ながら目的地=楽譜の終わりまで進んでいるのとよく似ています。楽譜には次に演奏する音や休符、強弱の指示などが書かれています。地図で言うなら信号の名前やコンビニ、道路の曲がり具合です。
地図を見ながら車を運転した経験をお持ちの方なら、どれほど危なっかしいことか想像が出来ると思います。膝の上に地図を乗せて信号で止まるたびに地図を見てページの切れ目ではさらに大変でした。
楽譜を見ながら演奏するのはまさにこの状態だと思います。車の運転と違って演奏で間違えても違反になりませし(笑)誰も傷つけませんが危なっかしいことは確かです。
もし楽譜が風でふわ~っと飛んでしまったら?譜めくりに失敗したら?
楽譜の最後までを、どんな指使い、弓使いでも到達出来て途中の風景を楽しみながら進めるか?だと思います。
「SAKURA」は実は覚えにくい曲でした。今、どこを弾いているのか?迷子になりやすい曲なのです。同じような建物が立ち並ぶ団地の中で迷子になった気分です。
まず音楽のフレーズ=段落で切ることから始めます。段落ごとに「特色」を見つけます。
最初の音や音型=音の上下などを考える作業です。次にその段落がどんな順序で連結されて全体像としてどこに?山があるのかを考えます。さらに「差分」つまり段落ごとの違いを見つけます。似ている段落の場合やまったく違う音型、独特のリズムがある段落の「並び方」を考えます。
並行して「音色」を考えていきます。音楽のすべての場所=音符休符には違った風景があります。同じ音の高さ・長さでも異なった風景があります。それを考えて記憶していきます。
弦・指と次の音との「つなぎ方」を決めていきます。この作業は先ほどの「車の運転」では感じない・必要のない事かも知れません。敢えて例えるなら道路が混んでいて「抜け道」を考える時の思考に少し似ていますが「楽しむ」事を目的とする演奏とは意味が違います。
時間がかかる作業です。見ながら演奏し思いついた指、弓を記入すれば次に演奏する時に見てすぐに分かります。楽譜に色々な事を書き込んで練習した記憶が私にもあります。書いたのに無視したり(笑)間違えることも「ざら」でしたが‥。
時間をかけて「作った音楽」を何も考えずに最初から最後まで自然に通せるようになるには「身体の記憶」が必要です。逆上がりと似ています(笑)私の場合、回数だけを重ねるよりピアノと一緒に演奏して音の全体像を感じたり「録音」と言う緊張感を作って記憶を上書きする事が効率的ですが人によって違うと思います。
楽器を持たずに「思い出す」事で記憶の薄い部分が浮かび上がります。これも大切なプロセスです。
実際に人前で演奏する場合に、記憶した事と違う事を意図的に行ったり、無意識に違う指使いで演奏してしまったりします。本来はない方が良いのかもしれませんが人間なので記憶が薄れることも当然あり得ます。そんな時に「身体の記憶」と「脳の記憶」を組み合わせて次の音に進みます。これが「最終形」なのか?私にはわかりません。
いずれにしても楽譜を覚えることと「音楽を覚えて演奏する」ことがまったく違う事を少しでもお伝え出来たらと願っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介
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