楽器の練習で得られるもの・失うも

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ヴィオラとピアノで演奏する「糸」

久しぶりのブログです。映像は自宅で演奏した「糸」です。中島みゆきさんが作詞作曲され、歌われていた「歌」です。
 私たちがヴァイオリンとピノアのために作曲された曲の他に、いわゆる「歌もの」を多く演奏するのは、第一に旋律が人間の歌える音域で(当たり前ですが(笑))、聴く人が覚えやすいこと。言い換えれば作曲する人にとっては「音域の制約とモチーフの設定」が器楽曲より多く求められることになります。
「大衆音楽」を卑下する人がいますが、元よりクラシック音楽の多くが「大衆音楽」だったことを忘れてはいけませんよね。
 それらの「歌」と今回のテーマである「練習」にどんな関係性があるでしょうか?

 指導者の端くれでもある私が「練習で失うもの」を書くってどんなもの?と思いますが、私が経験し感じてきた自分と、自分以外の演奏家、さらには生徒さんたちを指導してきて思う事は「練習でうしなうものがある」ことtです。
当然ですが「得られるもの」があるから練習するのです。練習しなければ、得られるものはありません。誤解のないように(笑)
 得られるものは?「演奏技術」と「音楽的知識・演奏経験」です。これは、練習の時間にある程度比例して得られるものです。
 同じ人が、毎日1時間練習した場合と毎日4時間し続けた場合、得られる技術・知識・経験は恐らく4倍近い差があるでしょう。
 違う人と比較した場合は?おそらく時間には比例しません。内容と練習の仕方が根本的に違うのですが、結果が違って当たり前です。誰かが毎日4時間練習しているかrあ、自分も同じ時間連取すれば、同じように演奏できるように…「なりません」(笑)
 練習には当然、体力と時間が必要です。前提として「環境」がなければ練習は出来ません。連取する「場所」と「時間」と「体力」、一番大きな要素は「練習する時間、それ以外の事ができない」ということです。
 言ってしまえば、練習するために生活の中の「何か・どこか」を削ることになるのは当然です。子供であれば、遊ぶ時間や勉強する時間を削って練習することになります。
大人であれば、働く時何か休息する時間を練習に充てることになります。だから練習が「悪い」とは言っていませんので悪しからず(笑)

 練習に使う時間が多いほど、その他の時間を多く削ることになります。一日が24時間であること、人間は睡眠したり食事をしなければ生きられないことを考えれば、ある意味で誰もが公平に「時間」を持っています。
 練習することで、充実感を感じたり、技術を得られることが嬉しいのは喜ばしいことです。その人の「幸せ」な時間でもあります。
 よく考えると「もしも練習している時間を違う事に使っていたら?」どんな幸せがあるか?どんな人生になるか?比べることは不可能だという事です。
 病気になった時、薬をの飲んだ場合と飲まなかった場合の「結果」を、同じ人がお暗示時に比較できないのと同じです。「もしもあの時…」で後悔することも、逆に安堵することも可能性としてあり得ます。練習に毎日4時間使ったから、全員が後悔しないとは限らないのです。毎日4時間を例にすれば、一週間で28時間です。丸一日の時間より長くなります。活動する時間が仮に「16時間」だとすれば?約二日分の活動時間を一週間で「消費」したことになります。これを1っカ月、1年続けたら?さらに幼い頃に年々も続けていたとしたら?練習した時間は、取り戻すことはできません。何度も書きますが「得られる結果は全員違う」のですから、良かったと思う人も言えれば、大きな後悔を感じる人もいるはずです。

 音楽の世界で「一流のプロ」と呼ばれる方の多くが、毎日何時間も連取し続けたと語られています。中には練習が嫌いだったと言う人もかなりの割合で存在します。嫌いな練習を続けてきた「結果・成果」として、一流の演奏家の地位・称号を得たのであれば、満足でしょう。それを「素晴らしい」と思うのも当然です。一方で、一流の演奏家の中に、40代の若さで引退宣言し、これから先は好きなことをして暮らしますと笑顔で話す方もおられます。周囲からは「もったいない」という事もあっても、本人の価値観です。
「神童」「天才」と呼ばれた演奏家の中で、絶頂期であるはずの20代で、精神を病む人がたくさんいました。共通しているのは「これ以上うまく弾けない」と言う気持ちと、周囲からのプレッシャーです。幼い頃から「良い子」で「素直」で「真面目」な子ほど上達します。そして、大人になって精神のバランスを崩す結果とになります。

 我が子が毎日、ゲーム三昧で勉強も練習もしないと「ぼやく」のも親です。心配だからですよね。当間の事です。冷静に考えれば、子供が好きなことをして「育つ」のは今も昔も同じです。練習が好きな子供が「仮に」いたとすれば、勝手に練習するはずですが、およそ今まで聴いたことはありません。親の「期待」に応えよるとする、良い子が好きではなくても練習するのを見て「素晴らしい」と思うのは、どこか間違っている気がします。本当に練習好きなのでしょうか?

 練習はしなければ上達しません。練習すれば誰でも上達する可能性があります。
「何歳で・何年度」「どのレベルまで」上達すれば「一流の演奏家なれる」かも、実は決まっていません。統計はありません。もっと言えば、楽器によって違います。声楽を子供の頃から必死になって練習しても無意味なので🅂う。金管楽器を幼稚園児は吹けません。
幼い頃から演奏できる楽器は「鍵盤楽器」とヴァイオリン・チェロ」「ギター」に限定されます。厳密に言えば、ピアノを幼い子供が演奏しても、大人の音は出せません。体格Tと筋肉量が違いすぎるからです。子供用の分数ヴァイオリンで、大人のヴァイオリンの音も出ません。ただ「技術」だけは身につきます。それ、必要不可欠ですか?(笑)
 子供が好きなことをしながら、伸び伸び育つこと。大人が生活のバランスを維持しながら、人生を楽しむこと。それが原点でだと思います。
 何かを魏勢にして得られたものにも、価値はありません。その価値が本当にその人にとって、かけがえのない物かどうか?を思うのは、人生の執着に近いときだと思います。
無理をしてまで練習することの「危険性」を考えるべきです。
 音楽は命を懸けて演奏するものではありません。本人が命を懸けて「楽しみたい」と思える年齢になっても楽しみたいと言うのなら、だれも止められません。ボクシングで、まさに命がけで戦う人たちの心理は、ボクシングを見るだけの私たちには到底、理解不能です。ただ音楽で誰かを傷つけたり、不幸にすることはなく、誰かに勝った!負けた!という事もないのです。あくまで自分の「満足感」だけが欲しいのです。そんなことに、命を懸けさせる親に、私は言いたいです。
「子どもの人生を決める権利は親にはない」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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