クラシック音楽ビジネスを考える

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 映像は、ヴィオラとピアノで演奏した、メンデルスゾーンの「歌の翼に」
デュオリサイタル10、ムジカーザでの演奏です。ヴァイオリンで演奏できる音域の曲をこうしてヴィオラで演奏すると、違った味わいを感じます。

 今回のテーマは、クラシック音楽の演奏をビジネスとして考えるものです。
演奏することで生活するために、なにが必要でしょうか?
 当然、演奏技術は不可欠ですが、その演奏技術を誰が評価するのかという根本的な問題があります。もっと言えば、演奏技術とはなにを指している言葉なのか?と言う定義があるのでしょうか?

 一般にコンクールで優勝した、あるいは入賞した人の演奏は「演奏技術が高い」と言って間違いないと思いますが、それはそのコンクールでの演奏を評価した結果です。その演奏以外の演奏が常に高いと言う証明ではありません。
 コンクールで入賞していない人の演奏技術が「低い」とは限りません。
「評価が欲しければコンクールで入賞すればいい」と言う考え方もあります。
では、「○○音楽大学卒業」と言う肩書は、必要でしょうか?現実に何人もの優れた演奏家・音楽家は、音楽大学を卒業していません。言い換えれば、音大を出たから素晴らしい演奏家になれるわけでもありません。
 つまり「肩書」が演奏家にとって、どれだけの価値があるのか?と言うお話です。私は肩書は単なる「ブランド」だと思っています。少なくとも、演奏を聴いたことのない人の「肩書」と演奏技術は関係ないとさえ思っています。
 有名ブランドの洋服やバッグを、着たり持ったりすることに「喜び」を感じる人のように、肩書を見て演奏者の優劣を決めている、人や組織・プロダクションが多すぎると思います。
 演奏技術の評価基準は「間違えないで正確に演奏出来る」ことしかないのでしょうか?だとしたら、以前にも書いたように人間の演奏より、ロボットのほうがはるかに演奏技術は高いのですが?
 演奏の「センス」は評価不能だと思います。優劣は存在しない「好み」の問題です。だとすれば、自分の好きな「演奏家」を選ぶのは、聴く人と演奏する人の「センス」がすべてではないでしょうか?一般の人に演奏技術の優劣が判断できるものではありません。「誰かがうまいと言ったからうまいんだろう」と思っているだけです。同じことは、ヴァイオリンという楽器に「優劣」を付けたがる人たちにも言えます。「だれそれの作ったヴァイオリンは素晴らしい」「新作ヴァイオリンなど論外」と言うヴァイオリニストを良く見かけますが、本当にその方がヴァイオリンの「良し悪し」を見極めているとは到底思えません。
誰かが良いと言えば良い。有名レストランの料理をありがたがって食べる「食通」と同じです。人によって「美味しさ」の基準が違うのが人間なのに、他人が美味しいと言うから美味しいに決まっている!って、味覚音痴でしょ?(笑)
 演奏の好き嫌いこそが、普通の人の聴き方だと思っています。
演奏する人がどんな人なのか?を知っていればなおさら、その人の演奏に親近感がわくものです。演奏者の「人柄」も演奏家としての「資質=価値」だと思っています。クラシックの演奏が一般になかなか浸透しない理由の一つが「演奏を聴いても演奏家の顔や声を感じない」事にもあるのではないでしょうか?
 現実に、テレビで良く見かける「ヴァイオリンを演奏する芸人さんたち」は、顔や髪形、声や話し方、果ては「色気」で人気があるのも事実です。演奏の技術云々よりもそちらで「ファン」が増えるのは現実です。別に私たちがみんな、あの人たちのようにテレビに出る必要もないわけです。

 演奏会に来てもらいたいのなら「自分を知ってもらう」ことが必要だと思うのです。

 演奏家、音楽家はプレゼンテーションが下手な人がほとんどです。
一般企業で営業をする立場の人なら、顧客にプレゼンをして実績を作らなければ「窓際」で一生終わります。物作りをする人にしても、自分の商品をアピールできなければ、生き残れないのが現代の社会です。「音楽で勝負する」以前に、自分の演奏する音楽を「プレゼン」する努力と能力がなければ、生き残ることは出来ない時代なのです。
 誰かにコンサートを開いてもらう時代は、もう終わると確信しています。
なぜなら「中間マージン」が大きすぎるからです。演奏家が自分でプロモーションする力があれば、肩書がなくても音大卒業でなくてもお客様は集められる時代です。
 自分で自分を売り込める「自信がない」人は、生活できない時代になります。
他人の評価を待っている演奏家、肩書にすがる演奏家には見向きもされない時代が来ます。
 音楽家にとって「財産=商品」は、自分自身なのです。それを聴衆に「直接販売」するのがこれからの音楽ビジネスだと思っています。アナログで良いと思います。現にストリートピアノに人気があるのは「リアルに人が演奏している」からです。配信で生活しようとするよりも、自分の声で人を呼ぶ勇気と自信を持つことだと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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