上達の個人差はなぜ?生まれるのか。

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 今回のテーマは「個人差」について考えるものです。
人はそれぞれに違う「個体」です。育つ環境も違います。当然、性格も容姿も違います。それらの「人」が他の人と同じようなことができることと、出来ない(と感じる)ことがあります。
 二本の足で歩くことが難しい人も、たくさんいます。多くの歩ける人たちの中で、走れる人がいます。これも多くの人間が出来ることです。その走る行為の「速さ」を比較したとき「個人差」が現れます。100メートルを何秒で走ることができるか?たった数十年の間に「10秒以下」で走る人が次々に現れました。これは人間が進化したのでしょうか?それとも科学の進歩で、人間の筋力を増強する「技術」の成果なのでしょうか?
 同じ時代を生きる人たちの中で「能力差」があります。演奏にも「個人差」があります。「感性の違い」「解釈の違い」もあれば、「演奏技術の違い」もあります。たとえば、同じ年齢の何人かの子供たちに対して、意図的に同じようなレッスンをしたとしても、演奏技術の上達速度には必ず「個人差」が生まれます。
当然、評価も「同じ基準」で行う必要があります。例えば、リズムを正確に演奏する能力・ピッチを正確に演奏する能力・音名や用語を覚える能力などの違いです。練習環境・練習時間の違いが最大の要因であることは間違いありませんが、それ以外にどんな「違い」があるのでしょうか?

 「知識」「聴覚」「運動」の三つの観点から考えます。
 まず、知識を覚える「能力」と「好奇心」の個人差です。単純に楽器で音を出すというレベルでも、弦の名前やダウン・アップの違い、指番号など「覚える」ことがいくつもあります。それらを覚えることは「学習能力」とも呼ばれます。
同じ月例・年齢の子供でも、大人でもその能力や好奇心に大きな差があります。
教え方による違いもありますが、習う側の「個人差」が顕著に現れます。

 次に音を聴き、音の高さを聞きわける「聴覚」の個人差です。
いわゆる「聴力」とは違います。二つの違う高さの音を「どっちが高い?」と答える感覚の問題です。幼児の場合、言語化する能力の違いはありますが、大人の場合は「聴覚の違い」が明らかにあります。この感覚はトレーニングによって精度が上がります。幼児の時期から「音の高低」を聞きわける習慣のある・なしで、大人になってからスタートする楽器演奏技術に影響します。
音の高さを判別する力を判断する実験方法があります。試してみてください!
日本語…できれば標準語で(笑)以下の言葉で「音の高低」を答えられますか?
「かっぱ、ラッパ、かっぱらった。」
まず、「かっぱ」の「か」が高いか?「ぱ」の方が高いか考えてください。
両方を同じ高さで発音すること「も」できますが、あえて大げさに発音する時、どちらかが高くなり、もう一方が低くなります。さぁ!どちらでしょうか?
高い王の音をドレミファソの「ソ」で、低いと思う方の音を「ド」で弾いてみるとわかりますか?
「ド・ソ」か「ソ・ド」のどちらが「かっぱ」に聴こえますか?
童謡に「ラッパ」も「ド」と「ソ」の組み合わせで「ラッパ=トランペット」に聴こえるのは?
最後の「かっぱらった」の「か」「ぱ」「ら」「た」に「ド」を二つ、「ソ」を二つ当てはめて答えてください。正解は次回ののブログに(笑)うそです。

正解
かっぱ=ド・ソ
ラッパ=ド・ソ
かっばらった=ド・ソ・ソ・ド
です。当たってました?
方言によって違っていたらごめんなさい。
例えば「顎=あご」を岡山弁では「あご=ソド」あを高く言います。標準語では「あご=ドソ」ごを高く発音します。子供の頃、両親の岡山弁を聴いて育った私は、東京の小学校で「ソド」であごの事を普通に言っているつもりで、笑われた記憶があります。これらが「音の高低」を判断する聴覚です。皆様はいかがでしたか?
 ヴァイオリンで、ほんの少しだけ高すぎたり、低すぎたりして、先生から「音程!」と言われ続けたのは私です(笑)いわゆる「ピッチ」に対するセンサーの制度を高めるトレーニングが大切です。チューナーを有効に正しく活用することを強くお勧めします。
 ピッチだけではなく、音色を聞きわけるのも聴覚です。
高音の成分が多い音と少ない音の「音色の違い」を聞きわける技術。
たとえば、駒の近くを演奏したときの音色と、指板の近くを演奏したときの音色の違いです。駒の近くの音は「硬く」感じます。高音の成分が多いのが原因です。弓が少しだけ「跳ねている音」だったり、隣の弦に弓の毛が振れている「雑音」だったり、弓を返す瞬間の「アタック」だったり。聴かなければわからないこと=聴いて判別することがたくさんありますね。

 最後の個人差が「運動能力」です。足が遅いとか、球技が苦手…というお話ではありません(笑)楽器を演奏するために、指や腕を動かします。それが「運動」です。ヴァイオリンを演奏する大人の生徒さんが、弓やネックを「ちからいっぱい」握りしめている…一番多く見られる問題の一つです。
そもそも、4歳の子供でもヴァイオリンを演奏できるのに「大の大人」の握力・筋力が必要だと思いますか?(笑)4歳児と手をつないだ時の「弱さ=柔らかさ」で十分なのです。大人は身体がかたい・子供は柔らかい…とは限りませんよね。子供でも屈伸が出来ない子供もたくさんいます。大人でも180度開脚できる人はたくさんいます。思い込み=大人の言い訳を捨てましょう(笑)
 子供の筋力が大人より弱いのに、子供がヴァイオリンコンチェルトをバリバリ演奏できるのは?
「あれは子供用のヴァイオリンだから」いいえ(笑)普通のグランドピアノでショパンやリストを演奏する子供の場合、オクターブ届かないのにちゃんと弾いている動画を見かけます。ヴァイオリンだけは、子供の身体の大きさに合わせた楽器がありますが、大人用のヴァイオリンと構造も材質も全く同じです。つまり、子供の運動能力でヴァイオリンは演奏できる!ということです。
「私は運動神経ガ鈍いから」「体育の成績が悪かったから」大人の言い訳ですね(笑)これも無関係です。楽器の演奏に必要な「運動能力」は特殊なものです。
「瞬間的な運動」と「持続する運動」を使い分けることです。
さらに「脱力」も瞬間的な脱力と、徐々に脱力する運動があります。
難しいのは前者「瞬間的な力」を入れたり、抜いたりする運動を体得することです。以前のブログで、何度か書いていますので参考になさってください。
 力の「量」は少なくて良いのです。4歳児の「筋力」で良いのです。
プロの演奏を見ていると、物凄く筋力を使っているように見えるのは「外見的」なものです。ちなみにオーケストラの演奏中に一番、筋力を使う人は?
たぶん指揮者だと思います。え?まさか?と思う方、ぜひオーケストラの演奏動画で「引き画面=全体が映っている映像」をしばらく見てください。一番運動しているのは、指揮者だと思います(笑)

 最後に上記の「個人差」で演奏家の優劣が決まるか?というお話です。
結論から言えば「優劣ではなく個性になる」ということです。
大人になってから楽器を始めて、プロになる人は珍しくありませんし、むしろそれが自然だと思います。子供が大人のような演奏をすることの方が「異常=普通ではない」なのです。子供のころから習っていないからうまくならない…それも大人の言い訳です。むしろ、楽器の演奏以外の職業のほとんどは、大人になってから技術を学ぶものですよね?
 楽器の演奏練習で、子供と大人の違いは?
「自由に使える時間の量」だけです。
厳密に言えば「言葉の読解能力」や「集中力の長さ」「筋力」で言えば、大人の方が優れています。国や地域、家庭環境によっては、子供の頃から働かなくてはいけない=自由な時間がない子供もいます。多くの大人は自分で生活する「お金」を稼ぐために仕事をしなければなりません。自由な時間が少ないのは事実です。それぞれに「練習できる時間」に差があります。ただ、それだけ=時間の多さが「演奏家になる=上手に演奏めの条件」ではありません。
 プロの演奏家に求められる「技術」を趣味で演奏を楽しむ人が求めたい気持ちは理解できますし、憧れの演奏を真似することも楽しいものです。趣味の演奏と「プロ=職業演奏家」の演奏に、明確な違いや基準はありません。プロになれる練習方法や最低限の練習時間も、明確なものはありません。
どんな人でもじょうずになれます。到達レベル、目標レベルは人によって違います。上達速度に個人差があるように、あるレベルに到達するための「期間」も個人差がります。年齢に制限はありません。大人だからできない…と思い込むのは大人だけです(笑)逆に言えば、小さいときから練習すれば必ずじょうずになるとも言い切れません。「継続は力なり」です。やめないこと、あきらめないことで得られる「上達」を自分個人のものとして受け入れ、楽しむことが最も大切なことだと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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