45年前の自分と音楽と

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上の1枚目と2枚目の写真は、高校1年生の時、クラスで江の島に「遠足」に行った時の集合写真。3名目の写真は、恐らく高校2年生?で恩師、久保田良作先生門下の発表会時に撮影したもの。寺神戸君や、吉野先輩の顔も。
それぞれの人に、歴史があるわけで長生きすると、歴史も増えます。
記憶のあるなしに関わらず、現実に体験してきたことが歴史です。
音楽高校である「桐朋女子高等学校音楽科(共学)」に間違って合格したのが15歳で今61歳。写真の当時も音楽に関わって生きていて、それ以前にも音楽との関りは「それなり」にありました。中学生当時の音楽部仲間と、今も交友しています。

 音楽の学校で学ぶことで、得られるもの。
演奏の技術、音楽の知識。それだけなら、音楽の学校に行かなくても身に着けられます。それ以外に何が得られるのか?普通科の学校・が医学と何が違うのか?
 学校での友人が「音楽仲間になることです。普通科の高校でも、音楽仲間と巡り合えます。バンド仲間や吹奏楽部仲間など。ただ、音楽科の学校だと、友人がすべて音楽を学ぶ人なので、当然音楽の仲間でもあります。
 そうは言っても当時、すべての級友、同期の生徒と仲が良かったわけでもありませんでした。1学年90人の中で、男子11人。その中でピアノ専攻5名がA組、弦楽器3人がB組、フルート1名作曲2名がC組にまとめられて(笑)いました。

 音楽の学校で知り合った当時、誰がうまい、誰それの技術は…という話も良く出ました。声を掛けられれば、誰とでもいっしょに演奏しました。
 若気の至り。なんとなく無意識のうちに、刺々しい関係にもなりました。
同じ門下生の中でも、学年で誰が一番うまい…と言う序列が常にありました。
その人間関係に耐えられる、メンタルの強さと同時に、音楽から離れた人間関係も築くことが必要でした。中には「一匹狼」で寡黙に過ごしている人もいましたが、それがすべてだったのかどうかは、本人でなければわかりません。
 音楽仲間と思えるようになったのは、実は割合最近の事のように思います。
いわゆる「現役」の世代は、友人との関係よりも仕事である音楽と向き合うことで、ほぼすべての日常が終わります。生き残りゲームの真っただ中にいるのですから当然です。
 年齢を重ねると、体に抱える「病気の歴史」も嫌ですが増えてきます。
身体が今までのようには動かせない、演奏するにしても「力で押し切る」演奏はしたくもないし、出来ません。逃げのように思われますが、他の演奏家との「距離」は昔よりも近くなった気がします。誰がうまいか?より、あいつは元気か?生きているのか?という世代なのかもしれません。
 現実に、高校・大学時代の友人、近い世代の人が何人も世を去られました。
中には、30台になる前に亡くなってしまった友人もいます。年齢が近いということは、親世代の年齢も近いわけで、介護に直面する人がほとんどの世代です。
 そんな共通の歴史観をもつ、音楽仲間が一緒に演奏できる場を作ってみたいと思っています。「○○記念オーケストラ」のような「すげぇだろ!」な存在ではなく、普段着で演奏を楽しめるオーケストラ。次世代の若者、子供たちとも一緒に演奏できる空間が、日本にあるでしょうか?当然、「プロ」とか「元プロ」という肩書=プライドを捨てて集まることが前提です。演奏を心から楽しめるのであれば、演奏技術より大切なものが感じられるはずだと信じています。
 そんなオーケストラに、メリーオーケストラがなってくれたらなぁ…と、のほほんと思うのでした。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野謙介

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