この演奏は、私たちが最初に開いたデュオリサイタルの時のブラームス作曲ヴァイオリンソナタです。20年間の教員生活を終えて、うつ病を抱えながら音楽教室を経営し、やっと病気から抜け出して、改めてヴァイオリンに向き直った当時の演奏です。この時から、すでに14年以上の年月が流れました。いま聴くと、どこかたどたどしい(笑)演奏です。二十歳の時、初めてリサイタルで演奏したのがこのブラームスでした。
生徒さんを教えている立場で、「自分はうまく演奏できない」と言うとまるで「嘘つき」か「詐欺師」のように思われそうですが、正直に言って自分のできないことだらけなのが真実です。
出来ないレベルが違う?人それぞれに「苦手」なことがあるように、なんでもできる「ように見える」人でも、きっとできないと思うことはあるのだと思います。隣の芝生はなんちゃら(笑)です。
さらに深く考えれば、周囲からは出来ていると思われていることでも、本人は「出来ていない」と思っていることも多いのではないでしょうか。逆から言えば、自分が出来ていないと悩んでいることも、他の人から見えれば「本当に出来ている」と感じられているかも知れないのです。
練習が嫌いでした。練習しても出来るようになる「実感」がなかったからだと思い起こします。親に言われて練習し、レッスンで先生に「音程!」と注意される繰り返しでしたから、練習したくない少年(元)の気持ちが理解できます。
出来ない、ひけないと思う以前に「演奏しなきゃいけない」と思ったのが、音楽高校の受験をすることになった時でした。うまくできているか?考えることすらできませんでした。師匠のレッスン以外に、兄弟子のレッスン、さらに入試でピアノ伴奏をされている先生のレッスン、さらに週に2回の聴音レッスン。
自分がなにもできないことは、最初にわかっていたつもりなのに、レッスンのたびに「できていない」ことを思い知らされました。いまも手元にある当時の聴音ノートには、涙で真っ黒になった楽譜と先生の赤い「直し」が書き込まれています。出来ないから練習する。当たり前ですね。出来るようになりたいと、自分から言い出したのですから。
こんな特殊な例は別として、出来ないと思ったことを、出来るようにするための「コツ」はなんでしょう?こんな特殊な体験をした私の立場で考えます。
「できない」と思わないことですね。かといって、できるようになると「信じなさい」と言われてもねぇ(笑)無理でしょう。
出来ないのではなく、「やり方が間違っている」と考えるのがコツではないでしょうか。あるいは「見方が間違っている」のかも知れません。
自分ができないと思っていることに対して、苦手意識を持つのは当然です。
諦めたくなるのも「やってもできない」と思い込んで「やらない」からです。
つまりは「思い込み」こそが、できない理由の一つなのです。
納豆を食べたことがなかった私は、納豆の匂いが大嫌いでした。
ある時、学食で納豆だと気づかずに食べて「しまって」以来、納豆が大好きです。
クライスラーの「序奏とアレグロ」の2ページ目中央辺り(笑)を高校生の頃に「むり」と諦めて依頼、数十年「むり」と思い込んでいました。デュオリサイタルでプログラムに入れる決心をして楽譜を「じっくり」読み解いていくと?
クライスラーの「癖」が呑み込めて、普通に演奏できることを知りました。
自分の力だけで家を建てるのは無理。本当にそう? 少しずつ学びながら時間をかければ、家だって建てられると思わない?と、聴音を教えて下さった恩師「黒柳先生」が何度も私に言ってくださいました。聴音なんかできないと、無言で泣いている私に優しく言ってくださいました。
ヴァイオリンの演奏で、物理的に演奏できないことは楽譜に書いてありません。仮にそう書いてあったとすれば、作曲者が「違う意図」で書いている場合です。バッハが3つの音を「付点2分音符」の和音で書いています。物理的に無理です。
チャイコフスキーヴァイオリンコンチェルトは、作曲当時「演奏不能」と酷評されました。いまは?中学生がコンクールで演奏しています。物理的に演奏不能なのではなく、難易度が高いだけだったのです。
ヴァイオリンのためにかかれている楽譜は、演奏できるはずなのです。
間違った指使いの数字や、ダウン・アップの印刷間違いは良く見かけます。
ひどい例だと「A線で演奏」という指示がありながら、A戦では演奏できない低い音が書いてあったり(笑)調弦を下げろと?こんな間違いはあり得ます。
生徒さんに良く見受けられるのが、指使いを考えられずに「演奏不能」状態に陥ってやみくれているケースです。自分で「演奏できる指使い」を考えられるようにならないと、楽譜にかかれている音をどうすれば?演奏できるのかが、わからないのは当たり前です。これは経験と知識が必要なのであって「出来ない」のではありません。
速く演奏できないという「出来ない訴え」が生徒さんの中でトップ10に入ります。ゆっくりなら演奏できるのに、ある速さを超えると、音がかすれたりピッチが外れたりする現象です。解決する「コツ」は。自分が演奏している運動を、観察することです。
・腕や指の筋肉の緊張が、無意識に強くなったり弱くなったりしいてる場合。
・必要以上の運動を無意識にしている場合。
・右手と左手の同期が出来ていない場合。
多くのケースはこの3つの原因です。それぞれに解決する練習が考えられます。
複数の原因が重なっている場合があります。ひとつずつ原因を探していく「観察」が不可欠です。
そして、一度に複数の原因を解決しようとしないことです。
関連していても、ひとつずつの原因に対して「治療=矯正」をひとつずつ行うことが唯一の解決策です。
「ビブラートができない」これも多いお悩みです。以前のブログで書きましたが、人によって出来るようになる期間が違います。つまり、できない原因が違うのです。実際にその生徒さんに対して、色々な問診と触診(これ、気を遣うので難しい)をして、生徒さん自身が試してみないと原因が判明しないケースがほとんどです。むしろ、偶然にビブラートが出来るようになってしまう人もいますが、なぜ?どうやって?出来ているのかを言語化できないのが特徴です。
力が足りない場合と、力が多すぎる場合があります。本人の意識、無意識にかかわらず、ビブラートが出来る「ポイント」を見つけることがコツです。
なによりも、音の高さを聴き続ける「聴く技術」を高めないと、ビブラートが出来ているのか?どんなビブラートになっているのか?を判別できません。そのためには「平らな音」つまりビブラートをかけずに、均一な音色・音量・ピッチの音を出す練習を「聴きながら」続けることが必要です。
一番難しい「できない」が、「他の人のようにうまくできない」というものです。この悩み自体が「自己矛盾」していることにまず、気付かないと解決できません。
自分の演奏を他人と比較しているのは?自分自身です。他人からの比較ではありません。自分で「勝手に思っている比較」なのです。
そもそも比較とは、比較される人やモノ以外の「人」が行うものです。
特に「うまい・へた」という主観的で正解のない比較をすること自体が間違いです。数値化できないものの比較は、あくまでも人の主観で変わるものです。
ましてや自分の演奏を自分で他人と比較するのは、愚の骨頂です。
他人からの評価は甘んじて受け入れるべきですが、自分で他人との比較で思い悩むのは無意味です。
苦手なことを克服するという意識の中に、すでに思い込みがあるのです。
自分の身体にとって「害」になるものに対して、アレルギー反応が起こりますよね?体質の問題、たとえばアルコール分解酵素の少ない人が多いのが日本人です。その人が無理にお酒を飲めば、アルコールを分解できず苦しむことになります。医学でまだ解明されていない「拒絶反応」がたくさんあります。事実、寒暖差アレルギーや気圧による体調不良は、最近になって「症状」として認知されるようなったばかりで原因は解明されていません。ですから、本当に「できない」ことも事実あるのです。
思い込みで出来ないと感じることは、結果的に得られる喜びや達成感を、自ら放棄していることにもなります。努力する時間、練習する労力は節約できますが、どちらを取るかはその人次第です。努力して頂上に登りたい「山愛好家」とみているだけで十分!という「平地族」の違いです。
ぜひ!思い込みから抜け出して、新しい角度から自分の演奏を見つめなおしてみてください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介