右手と左手の分離

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今回のテーマは、ヴァイオリンを演奏する時に必要になる、目に見えない壁「体を別々に動かす難しさ」です。
ピアノの場合に、左右の指、合計10本を「独立して」運動させる技術が必要「だと思います」←推測にしたのは、自分ではできないので(笑)
ヴァイオリンやビオラ、チェロ、コントラバスの場合には、右手が弓で音を出し、左手が音の高さを変える役割がほとんどです。「ほとんど」と書いたのは、右手の運動で、弦を変えれば音の高さを変えることが出来たり、左手の指で弦をはじく(ピチカート楽譜上では+の記号が付いています)奏法があるので、すべてでは無いという意味です。
その全く違う役割の右手と左手の運動を、同時に、別の運動としてコントロールすることが「左右の独立=分離」です。

人間は同時にいくつもの運動を行うときに、実は同時には運動の指示を出していません。というよりも、指示を出している(考えている)意識がありません。
自動車の運転をするときに、ハンドル・アクセル・ブレーキの操作や、ウインカーの操作などの「運動」を同時に行いながら、目では道路の状況や標識を「見て」います。つまり、意識としては「視覚」からの情報に、手と足を「意識せずに」動かすことが出来るのです。教習所で、ハンドル操作とアクセル、クラッチの操作がうまくかみ合わなかった経験はありませんか?
ひとつの運動に集中すると、その他の運動を意識することはできません。
右手の動きに意識を集中している時に、左手への意識は「無意識」になります。
その逆もあります。無意識の状態で、意識して動かしたときの運動を再現できるのは「学習=反復」しかありません。回数が少なければ、自分の思った動きとは無関係に「暴走」するのが人間が運動する「宿命」です。
繰り返し、ひとつの運動に集中し、考えなくてもその運動が再現できるまで繰り返すことを積み重ねれば、右手と左手は分離できるのです。

コンピューターの世界で考えると、「マルチタスク」という言葉が使われます。
同時に複数の違った「計算」を行うことを指します。この性能が悪いと、たとえば動画を見ながら、同時に何か違うソフトで仕事をすると、動画が突然止まったりすることになります。機械の場合には「処理速度」と「処理する機械の多さ」さらに「記憶する容量」が性能を決定します。
人間の脳は、現代のスーパーコンピューター以上の能力を持っています。
ただ、使い方がマニュアルになっていません(笑)マニュアルになったとしても、恐らく広辞苑の何百冊分の量になると思います。
私たちは「無意識」に行動できます。機械は命令する信号がなければ、自分で何かをすることはありません。機械の暴走は、故障によって勝手に誤った「信号」が出てしまうことを指します。人間は考えなくても運動できる能力を持っています。この能力を最大限に活かすトレーニングを繰り返すことで、「何かに集中していても、ほかの運動ができる」能力を身に着けられます。
① 運動のひとつひとつを意識する時には、ほかの運動は行わない。
② さらにほかの運動を意識する練習の初めは、その運動にだけ集中する。
③ 次にこの二つの運動を同時に行い、どちらか一方に集中しても、もう一つの運動がきちんと行われているかを「時々意識して」確認する。
この繰り返しで、複数の運動を同時に「無意識に正確に」行えるようになりますが、それでも常に違う運動をこまめに「意識」することが最大のチェックポイントになります。
間違っても、最初から複数の運動を同時に行わないことです。
楽譜に集中しながら、右手の運動に集中することは不可能です。
順番に。焦らずに。ひとつずつ積み重ねる。できたと思っても、何度もこの作業を繰り返す。
さぁ!頑張って、欲張らずに練習しましょう!←これ、自分に言い聞かせています。

CPU性能が悪すぎるヴァイオリニスト 野村謙介

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