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「偉大な演奏家」の安売りに一言

「偉大な演奏家」の安売りに一言

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映像はミルシュテインのヴァイオリン。1935年の録音だそうです。
「偉大な演奏家」と言う言葉を耳にする度に「偉大って何?」と感じます。
ちなみにAIに聴いてい見ました。
「「偉大(いだい)」とは、並外れて優れており、功績や魅力、存在感が非常に大きいことを意味します。単に大きいだけでなく、多くの人から感心されるほど素晴らしく、尊敬を集める対象に対して使われます。」だそうです。
「凡人」の真逆と考えれば当たらずとも遠からず?(笑)
 今の時代「多くの人」が何を指すのか?昔とは基準になることが違います。
ネットのなかった時代に多くの人が「知る」ためにはテレビ、ラジオ、新聞、書籍が情報のすべてでした。演奏家の評価はレコードの販売数、コンサートの場所・回数・観客数が最も大きな判断材料でした。
 演奏者が「尊敬」に値する人なのか?これは実際に本人を知る人だけが感じられることです。「噂」や「伝説」が真実とは限らない事は今も昔も変わりません。尊敬されるのは「演奏」ではなく「人格」です。大人が子供を「尊敬する」という言葉には無理があります。もちろん大人の中には子供より貧しい考え方の人もいます。ただ「尊敬」は長い時間をかけて築きあげて業績や行動を「敬う」事です。子供の技術が大人より高っかったとしても「尊敬」と言う言葉は相応しい言葉だとは思いません。

 演奏家の「業績」は演奏です。指導者、教育者としての活動は演奏の評価とは別のものです。演奏の評価については以前のブログで書いていますが聴く人によって全く違って当たり前です。演奏技術の「レベル」を云々出来るのは同じ楽器の演奏家だけです。一般の人が聴いた「感想」と「技術」は違う事を考える必要があります。
 普通の人=一般の聴衆が「素晴らしい」と感じる演奏をする演奏者で、他の人の演奏を知らなくても「引き込まれる」「感動する」演奏があります。他人の「情報」ではなく自分の耳で聴いた感想が本来の「評価」です。
 音楽以外の世界で「偽マスター」「自称達人」と呼ばれる人がいます。
「格闘技」「伝統武術」などの場合、実際に本物のボクサーや格闘家と対戦すれば結果は誰の眼にも明白になります。
「日本を代表する」とか「世界的な」と言う枕詞も結構怪しい(笑)ケースがあります。
音楽のコンクールにも「ピンからキリ」までレベルや伝統の違いがあります。
高い演奏技術を持っている人でも「偉大」と呼ぶに相応し人もいれば「え?そう?」と多くの人が首をかしげる人もいます。むしろ自分にとって偉大な師匠=尊敬する先生を他の人も「偉大」と感じるかは別の話です。「多くの人」と言う定義もありません。
 ヴァイオリニストで考えれば「ハイフェッツ」「オイストラフ」の名前を知らないヴァイオリニストはいなくても、実際に演奏を生で聴いたことのある人や本人を「知っている」人はほとんどいない時代です。動画のミルシュテインやシゲティ、メニューインなど「有名な」ヴァイオリニストを挙げれば恐らく10人では終わらないと思います。「20世紀を代表する」と言う表現もあります。誰が決めたの?(笑)とも思いますが今現在も演奏活動をしている人に「偉大な」と言う称号を付けて呼ぶのは如何なものかと思います。むしろ後世の人が振り返って「あの人は偉大な演奏家だった」と言うのが本人への敬意を示す言葉だと私は思っています。
「偉大な音楽家に育てたい」と言う言葉にも違和感があります。指導者が優れていて弟子が指導者への敬意を持つ人であれば弟子の技術も高くなります。
「偉大」な演奏家は目指してなるものではないと思っています。自分の評価を高める事を「目的」にする演奏に私は心をひかれません。常に謙虚であり自分の演奏を聴いてくれる人への感謝を忘れない演奏家にこそ「偉大な演奏家」と言う称号が付くべきだと考えています。
 最後までお読みいただきありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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