メリーミュージックブログ

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生き方は弾き方

生き方は弾き方

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 映像はケーブルテレビ局「武蔵野三鷹テレビ」の取材を受けた際(2020年)の映像です。
1960年=昭和35年9月生まれの私が60歳(当時)でした。高齢者施設で演奏したときに利用者の素敵なおばあちゃまに「お二人はご夫婦ですって?まぁ!年の差婚ね!」にこやかに言われましたが(笑)敢えて突っ込みません。
 今回のテーマは音楽を「創る・演奏する」事と人間が日々「生きる・体験する・感じる」事の関りを考える内容です。お付き合いください。

作曲家が亡くなった後には「楽譜」が残されます。その作品は作曲家が残した音楽です。
一方で演奏家が没後に残せるものは「録音別」です。実際に人前で演奏する行為だけが演奏だとは言い切れません。演奏する「姿」が映像として残せる時代になってから多くの先人演奏家の演奏する映像を見られるのは科学・文明の進歩のおかげです。
指導者・教育者が後の世に残すのは「人材」です。どんなに優れた楽譜が残されていても、演奏する人を育てる人がいなければ「独学」ですべての知識や技術を身に付けるしかありません。現代ならインターネトや録音・録画の記録、書籍などから知識や情報を得られますが「人間から学ぶ」事とは次元が違うものです。
 すべての音楽家にとって「生きた証」がその人の音楽だと言えます。

 人間は全員が「人と違う生き方」をします。似たような生き方をする人がいたとしても必ずどこかが違います。自然なことです。
 生まれた環境が同じ場合=例えば双子など‥でも、育つ間に異なった環境に出会います。
音楽に出逢い、関りを持ち始める「きっかけ」も人によって全く違います。冒頭の動画の中でもその話題から始まっています。
 きっかけがはっきりしなくても、生きているどこかの時期からそれまでと違う「音楽との関り」が始まっています。
「音楽を生活の糧にする」つまり職業として音楽と関わりを持つ年齢も様々です。一般的には社会に出て独立した生計を立てる年齢で「欲業音楽家」になりますが、子供の頃からプロとして活動する人も世界的に見ても珍しい事ではありません。例えば7歳でプロオーケストラと共演したり有名なホールでコンサートを開催する「子供」もいます。当然そこには大人が絡んでいますし「お金」も大人Gあ管理することになります。
 音楽を専門的に学ぶ学校を卒業してプロの音楽を目指す人も言えれば一般の4年制大学で音楽以外の学問を学んでからプロになる人も以外なほど多いのが現実です。
 音楽を学ぶだけの生活‥毎日8時間練習する人の場合、起きてから寝るまでの時間で3回の食事以外の殆どの時間を練習に使っていることになります。友達と遊んだり本を読んだり、テレビを見たり時には家族で旅行したり‥そんなごく普通の生活をしながら子供は多くの事を体験し学びます。「勉強」だけではない学びです。他人とのコミュニケーションを学び社会のルールを学び「常識」と言われる事も身に付けていく生活の中で人は成長します。
 子供の頃、特に多感な時期に経験し学んだことは年齢を重ねてから表に現れることが多く感じます。学校であっても会社や企業などの組織でも徐々に自分より若い人と共同で作業することが増えます。
そんな時に無意識に「人との接し方・言葉遣いの違い」が出てきます。他人への配慮や年下の人や「部下」と言われる立場の人に対して高圧的な態度を取る人は幼い頃から、どこか?間違った価値観を植え付けられた人だと思います。
「年功序列」「能力主義」色々な場面で他人とかかわりを持ちます。
音楽を他人と演奏する時に相手をパートナーとして考えられるのはお互いにとって素晴らしいことです。相手を知らず、お互いに他人行儀な関係や「無意味な上下関係」で演奏する場合も多いのが現実です。
動画内で離している通り私自身はどんな人と演奏する時も「相手を敬う気持ち」を持つことが何よりも大切だと思っています。もちろん「教える側と習う側」の関係性の場合には少し違う意識を持ちます。
しかしアンサンブル‥オーケストラであっても二重奏でああっても「対等な関係」の中でこそお互いの音楽に同期し同じ音楽を創ることが出来ると信じています。高圧的な人「カリスマ」と呼ばれる人を中心にした演奏を聴くと「支配する人される人」に感じます。
 どんなに優れた技術を持っている演奏者・音楽家でも同じ人間です。癖もあれば短所もあります。完全無欠な人間は地球上に一人もいません。お互いに欠点を持ち、個性を持っています。認め合って初めて「共感」出来るはずです。

音楽は創造的な活動です。たとえ趣味でも変わりません。
人間の想像力があって初めて成立するのが音楽だと思います。
聴く人が楽しめる音楽を創造し提供することは決して特別な事ではありません。コンビニに並ぶ商品を作る人・運ぶ人・並べる人・売る人すべてが他人の歓びのために生きています。身の回りにあるすべての物や「事」は自分以外の誰かが作ってくれたものです。誰がどこでどうやって作ったものか?誰が運んでくれたものか?それを想像する力があれば「差別的思想」「排他主義」「愛国主義」がいかに愚かな事か理解出るはずです。自分・自分たちだけで生きていくとこは不可能な現代に音楽も同様に「他人があっての音楽」なのです。
 生きること、そのものが音楽なのかもしれません。どんな音楽にも人間が関わっています。演奏者、作曲者が生きていたから生まれた音楽です。聴いてくれる人が喜んでくれるから演奏して嬉しいのです。
 これからも「命」を大切にしながら音楽と共に生きていきたいと願っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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