映像は「いのちの歌」村松崇継作曲の音楽をヴィオラとピアノで演奏した音声に、私たちの結婚お披露目に集まってくださった人たちとのパーティーの写真をスライドショーにしたものです。
人との関り…相手によっては好きになれない人がいるのも現実だと思います。考え方や価値観の違う人同士がお互いを理解しあえる関係をお互いが作ろうとしない限り共感しあうことは不可能です。理解しあえなくても共存する知性と理性がある人と思考を停止し一時的な感情に任せて他人を排除する人に分かれます。
結論を先に書きます。
人間のいのちは誰かとつながっているのです。
私たちの親、さらにその親、さらに…と遡って行くと私たちの「祖先」が必ず生きていた時があったことを理解できます。
例えば千年前の祖先が生きていたからその次の世代の「親になる人」が生まれました。もしも千年前の祖先が子供を作る・生む前に死んでいたら?当然現在の私は存在していないのです。わかりますよね?渡したち人間のご先祖様が生きていた時代に、もしも全員が互いに殺しあったととしたら?現在生きている人間の殆どは生まれてこなかったはずです。
病気やケガで命を落とす人も昔は今よりもたくさんいました。平均寿命も現代の半分程度かそれ以下だったと言われています。
それでも「彼ら」が生き残ってくれたので私たちは生まれました。
現代の科学でも地球上に生きる人間すべてのDNAを解析し、祖先をたどることは不可能です。将来それが可能になった時、地球の裏側に澄んでいる見ず知らずの人と「血縁関係」が判明!することもあり得ます。「人種」「国籍」「家族」と声高に叫ぶ人の知能の低さがわかります。自分の祖先=ご先祖様さえわからない人間が、他人を「他国民」とか「人種が違う!」なんて将来の笑い話のネタです。
いのちは世界中の人と、きっとどこかでつながっているのです。
2026年の現在、世界のあちこちで分断が起きています。
そのすべては非科学的な「感情」が原因です。先に述べた通り考え方の違いがあり、生まれた地域や国も違います。肌の色、言語、文化、信仰も人によって違います。厳密に言えばクローンでない限り、すべての人間は異なった生物だと言えます。ただ科学的に考えれば、それらの違いは大きな違いではなく、互いに「自分と違う!」と断言する根拠はどこにもないのです。共存することを平和と言い換えるなら、他人を認めず排除しようとするのが戦争です。共存できない人間は結局は誰とも共存できません。「自分と同じ」と言う根拠がないのですから。はっきり言えば「戦争の行きつく先」は人類の消滅なのです。
自分だけが生き残れると思う知能の低い人間は、結局自分も死滅する事を予測できない低能な人間です。
最後に「いのちの歌」の歌詞を残したいと思います。
作詞されたのは「MIYABI」こと竹内まりや。
この詩を読んで理解できる人なら、現在の「分断」が無意味であることも理解できるはずです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
生きてゆくことの意味
問いかけるそのたびに
胸をよぎる
愛しい人々のあたたかさ
この星の片隅で
めぐり会えた奇跡は
どんな宝石よりも
たいせつな宝物
泣きたい日もある
絶望に嘆く日も
そんな時そばにいて
寄り添うあなたの影
二人で歌えば
懐かしくよみがえる
ふるさとの夕焼けの
優しいあのぬくもり
二人で歌えば
懐かしくよみがえる
ふるさとの夕焼けの
優しいあのぬくもり
本当にだいじなものは
隠れて見えない
ささやかすぎる日々の中に
かけがえない喜びがある
いつかは誰でも
この星にさよならを
する時がくるけれど
命は継がれてゆく
生まれてきたこと
育ててもらえたこと
出会ったこと
笑ったこと
そのすべてにありがとう
この命にありがとう
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