もしも…

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 写真は私と兄、母を父が撮影した写真です。私はどれ?ってすぐわかりますね(笑)札幌の社宅に住んでいた頃の写真です。3歳頃かな?60年前の写真になります。
「もしも」と言う仮定の話は、意味がないか?いえいえ。自分が生きている限り、反省をもとに新しい生き方を始められますから「もしもあの時」と言う反省は有意義です。
 多くの「もしも」は、選択肢が複数ある場合に、違う選択をしていたら?と言う振り返りに使われます。
 結論を言ってしまえば、現実の「今」が正しく、違う選択をして生きていた自分がいれば、その自分が正しい。結局、何を選んだとしても結果は一つしかないのです。

 音楽に関わることで生計を立てている今の自分は、生まれた時から親や自分が選んだ選択の「成果」です。
 両親が私にヴァイオリンを習わせてくれた時、両親とも数十年後の私を想像していなかったはずです。もしも、ヴァイオリンを習わせてくれていなければ今の自分は存在しなかったはずです。遡れば、上の写真で妙な笑い方をする(笑)私の身体が弱くなければ、ヴァイオリンを習わせる気持ちにならなかったかも知れません。もしも、私の目の病気がなかったら、ヴァイオリンを習わせようと思わなかったかもしれません。
 その後、もしも久保田良作先生に巡り合わなければ、ヴァイオリンを習い続けてはいなかったはずです。公立中学で、顧問をされていた室星先生に出会わなければ、教員になることはなかったはずです。
 もしも父が借金をしてまで、私にヴァイオリンを買ってくれていなければ、ヴァイオリンは弾いていなかったと思います。
 もしも、中学3年生の私に「音楽高校を受験してみますか?」と久保田先生に仰っていただけなければ、音楽高校の存在さえ知らなかった私たち家族が、桐朋を受験する選択はしなかったはずです。
 もしも、黒柳先生にSHMと楽典を教えて頂いていなければ、桐朋には合格しなかったはずです。
 もしも、桐朋に受かっていなければ都立の高校に通っていたはずです。
 もしも、音楽大学で留年しなければ教員にはなっていませんでした。プロのオーケストラに入団していたかも知れません。
 もしも、教員になっていなかったら今の自宅は建てられていなかったはずです。多くの生徒たちにも出会わず、新設の学校にオーケストラを作ることもなかったはずです。
 もしも、2004年に退職していなければ、ヴァイオリンに二度と触ることもなかったはずです。
 もしも、ミクシィで浩子姫と何十年ぶりかでつながらなければ、リサイタルを開くこともなかったはずです。

 選択の連続・偶然の連続が今の自分を生かせています。これからも変わりません。選択に悩み続け、どれか一つだけを選ぶことが続きます。
「生きること」と言う選択もいつか終わります。選択ではなく、生まれたことと同じように、自分で人生の終わりを決めることは出来ないのが「自然の摂理」です。少なくTも「生きるか死ぬか」と言う選択をすることは、自分を生み育ててくれた両親への裏切りです。生きることを願いながら、楽しみながら音楽に向き合いたいと思っています。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

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