無信仰でも演奏します

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 映像はカッチーニ作曲の亜アヴェ・マリア。
私自身、神様や仏様を信仰する人間ではありません。だからと言って、信仰する人を変だとは思いません。何かを信じる気持ちは、人間が想像する力を持っていることの証だと思っています。あ。「想像」なんて言ったら怒られるのかな(笑)
 通っていた幼稚園はキリスト教系の幼稚園でしたが、両親ともに無宗教でしたし、家にはお仏壇もありませんでした。そんな私が演奏する「アヴェ・マリア」がインチキ(笑)だと信者の方に言われるのかもしれませんが(言わない?)楽譜として手に入る音楽や、普通に耳にすることのある音楽は、誰のものでもないと思うのです。所有権の問題ではありませんからね(笑)

 宗教的な音楽に限らず、世界中に多数存在する民族の「伝統的な音楽」があります。時間的に何十年、何百年経過したら「伝統」になるのか定義は知りません。音楽の場合、人から人に「歌い継がれて」現代も演奏される音楽と、「作曲者が楽譜に残した」音楽があります。さらに「録音が現存する」音楽も、歴史としては短いながらも、あります。
 日本でも「雅楽」「民謡」など伝統的な音楽があります。演歌を「日本固有の音楽」と言えるかどうかは意見の分かれるところだと思います。
 地球が一つの大陸だった頃から始まり、恐竜がそこら中にいた時代を経て、巨大な隕石の衝突などで地球上に氷河期があって…とにかく、恐ろしく長い年月をかけて人類が誕生した「歴史」があります。
 音楽がいつ?始まったのかを答えられる人はいません。
そもそも、どんな音を「音楽」に感じるのか?音楽と言える音とは?
なんて考えだすと、良く寝られそうです(笑)

 一人の人間が、生まれてから物心がつくまでの期間に、聴いて育った音楽のほとんどは、覚えていないのが普通です。「胎教」とか「英才教育」をどこまで?科学的に証明できているのか知りませんが、まだ解明されていない「遺伝子」の中には、自分のご先祖様が聴いていた音楽に反応する「能力」が…ないのか、あるのか(笑)
 私たちが演奏する音楽は、いわゆる「西洋音楽」です。西洋って…じぶんんおおざっぱですね。いいんですけど、別に。
 少なくとも、私のように日本で生まれ日本で育った両親の愛第二、同じように日本で生まれ育った「日本製」の人間にとって、日本の音楽もヨーロッパの音楽も「音楽」であって、特別な違いを感じないのですが?
 それは私が生まれた1960年当時にはすでに、西洋で作曲された音楽が、日本中で流れていたはずですから、当たり前だと思います。生まれてからずっと、民謡以外の音楽を聴かずに育った人が大人になって、ある日ベートーヴェンの運命を生で聴いたら?「うるせぇな!」と思うかも。

 ヨーロッパに留学した音楽家の皆さんが「作曲家の暮らしていた土地に行ってみると、何か感じる」とおっしゃるのを度々耳にします。私は、留学経験が一日もない人間ですので、その「感覚」は想像できないのかもしれません。
 ひがみっぽく感じるかもしれませんが、留学した人たちの「感じる」ものは、先述の「想像力」だと言えます。確かに、写真や映像、音を聴いただけでは感じられない「香り」と「肌に触れる空気」は、その場でしか感じられない五感の一つです。それは外国に限らず、海辺、山道、雪道などでも感じられる感覚です。
 信仰する人は、神様や仏様を感じると言います。また、愛を感じると言う言葉もあります。それらは、人間の五感ではなく「想像力」で生まれるものだと私は思っています。現実に存在するものではないのです。ちなみに「空気」は目に見えないし触った感覚がないだけで、現実に存在しています。その証拠に、空気のないところに行けば…苦しくなって気付いた時には、違う世界にいます(笑)
 音楽は「音」です。空気の振動です。確かに存在します。
音を聴いて、何かを感じるのは人間の想像力です。そこに「民族の血」や「作曲家の魂」やら「思い」を感じようとするのは、人間の欲望です。それが悪いとは思いません。人間は欲の塊ですから(笑)
 感じる人が優れているような伝え方には、不快感を感じます。
自分の想像したものを、他人に求めるのは、ただの押し売りです。何も優れてい入ません。ショパンの心に触れた!とか、聴くと「こいつ大丈夫か?」と思うのは失礼でしょうか(笑)とは言え、想像するのは自由です。敢えて言うなら、それを「想像できたから●●が出来た」と他人に言うのも、ご本人の自由ですが、信じない人からすると「変な人」にしか思われないと思います。

 想像したことを、言語化するのが逃げてな人はたくさんいます。
現実には存在しない「もの・こと」を言葉にするためには、言葉のボキャブラリーが必要です。人間の「五感」をすべて使って、イメージを言語化すると、案外簡単に言葉に出来ます。
・触った感覚=やわらかい・冷たい・つるつるなど
・見える感覚=明るい・まぶしい・立ちはだかる・落ちていくようななど
・聴こえる感覚=ささやきのような・遠くの雷鳴・せせらぎなど
・味の感覚=甘い・からい・酸っぱい・舌の上でで溶けるなど
・香りの感覚=自分の好きな花の香り・ご飯前の台所の香りなど
音楽から想像する「もの・こと」は、なんでも良いのです。
正解も間違いもありません。人によって違って当たり前です。
想像「できない」のではなく、「していない」のです。
子供でも大人でも、記憶にある「五感」があれば何かを想像できるはずです。
出来るなら、自分の好きな「五感」を寄せ集めて想像しながら演奏したほうが、演奏していても気持ちいいはずです。わざわざ「苦しい」「悲しい」「辛い」「痛い」「臭い(笑)」五感を想像しながら演奏する必要はありません。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介

 
 

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