動画はファリャ作曲のスペイン舞曲をクライスラーがアレンジした曲です。
今回のテーマは、一般の人から見える指導者とプロの演奏家との共通点・相違点と、実際に両者を経験した立場での両面から考えてみたいと思います。
楽器の演奏技術を教えて対価を受け取る人を指導者とします。
楽器を人前で演奏し対価を受け取る人を「演奏家」としてみます。
もっと広い定義も可能ですが、音楽の専門家でない人の目線で今回の定義を決めています。
・指導者がいなければ演奏家は生まれないのか?
多くの場合は指導者によって演奏家が育てられますが、必ずしも誰かから指導を受けなくても演奏家になることは可能です。
・指導者はプロの演奏家を育てることが使命なのか?
これも結論から言えば「そうとは限らない」と思います。
音楽大学に通う学生でさえ、プロの演奏家を目指していない人がいるのは事実です。ましてや、専門家を目出していないアマチュア演奏家にこそ、指導者が必要に思っています。
・優れた演奏家は優れた指導者か?
応えは「いいえ」だと思います。もちろん、優れた演奏家であり優れた指導者もたくさんいます。ですがこれも、イコールの関係ではありません。そもそも、人に教えることが好きではない演奏家も多くいます。実際、教える時間がない演奏家もいます。
・指導者は演奏家でなくても良いのか?
演奏のできない人が演奏を指導するのは「無理」です。
今回は、演奏家の定義を「対価をもらって演奏する演奏家」としていますので、演奏家としての演奏技術があれば、指導することは可能です。
演奏技術の低い指導者もいます。自戒を込めて書きますが、指導者自身が自らの演奏技術を高める意欲、努力をしていない人であったり、「○○音大卒業」とか「△△音楽祭に参加」などの肩書にうぬぼれる指導者が、生徒を教えられるとは思いません。
・指導者は演奏家より「下」なのか?
おおざっぱな言い方をしましたが、様々な意味があります。
たとえば「年収」「社会的信頼」だけで比較することもできます。
また音楽家としての「プライド」は本人が考えるもので違ってきます。
日本において、演奏家として生計を立てられる人数は、極わずかです。
毎年多くの「演奏家の卵」が音楽大学や専門の学校から誕生しています。その数を分母として考えると、演奏することで生活できる人は、数パーセントにも満たない数です。それほどに、需要と供給のバランスが悪く供給過多なのです。
プロの演奏家の一つとして「プロオーケストラ」の「正団員=社員」がいます。
プロのオーケストラで演奏している人の中で、正団員ではない「短期アルバイト=エキストラ」がたくさんいます。その人たちもプロの演奏家ですが「雇用」の形態が違います。
正団員としての「給与」だけで生活できる人は、日本ではごく一部です。
指導者にも色々なケースがあります。自宅で教えている人、音楽教室に雇われて教える人、音楽高校や音楽大学で演奏を教えている人などです。
こちらの場合も比較される内容は様々です。ちなみに、楽器演奏を指導するための公的な資格はありません。学校で教師として働く場合でも、場合によっては教員免許がなくても、演奏技術を教えて対価を得ている人もいます。ましてや、音楽教室や自宅で指導する場合には、なんの資格がなくても指導できるのが事実です。その意味では、演奏家の場合も「公的な資格」がない点では同じです。
演奏家になれない人が指導者なのか?
答えは「違います」私は確信しています。
先述の通り、指導者には演奏家としての技術が必要不可欠だと思います。
だからと言って、指導者の演奏技術が演奏家の技術より低いとは思いませんし、そうあってはいけないと思っています。
では、指導者を目指す人はどうすれば良いのでしょうか?何を学ぶべきなのでしょうか?
演奏家としての技術を身に着ける練習と勉強は、演奏家を目指す人と全く変わらないはずです。それを含めて必要なものは、以下の3点だと考えています。
1.演奏家として評価される演奏技術
2.演奏技術を言語化する能力
3.人に対する適応力
演奏家でも共通の「努力」や「経験」は言うまでもありませんが、何より指導は「対面」であり限られた時間内で、自分の教えたいことを伝える能力が求められます。適応する力は、迎合することではありません。常に自分と相手との考え方や生き方、価値観の違いを擦り合わせる能力です。
最後に現在、演奏課や指導者を目指している人と、その指導者に伝えたいことです。
師弟関係は、両思いであることが何よりも大切です。双方が互いを認め合え、信頼できる関係がなければ伝えられるものは限られています。
習う側からすれば、師匠を尊敬できること。師匠は尊敬できる存在であること。
そして、常に次の世代に伝承することを考えることです。伝承は技術だけではありません。人の生き方、考え方こそが後世に伝えられるべきです。
優れた演奏技術があっても、人として魅力のない人や、他人を受け入れないわがままな性格の人は音楽家としての素養に足りません。演奏の評価だけを評価してくれるのは、容姿だけを評価されるのと同じです。音楽は自分で作った芸術ではありません。ラーメン屋の「秘伝のスープ」とは違うのです。先人が今に伝えた音楽があるからこそ、私たちが音楽を演奏できるのです。思い上がりは捨てるべきです。一流と言われて悪い気持ちになる人はいません。ただ、本当にその人の音楽が評価されるのは、次世代、さらにその次世代に「レジェンド」として評価される人かどうか?だと思うのです。
これからも優れた指導者を育てたいと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ヴァイオリニスト・ヴィオリスト 野村謙介