動画はラフマニノフ作曲ハイフェッツ編曲の「ここは素晴らしい場所」と日本名で表される曲です。
自分(自分たち)の演奏を「誰か」に聴いてもらう場合と、誰にも「聴かせない」場合があります。練習を誰かに「聴かれる」ことが嫌だと言う人は珍しくありません。稀に「公開練習」つまり練習風景を誰かに聴いてもらう演奏もあります。通常、練習は誰かに聴かれることを前提にしていません。とは言いながら、誰かのアドヴァイスを受けたいときには、その人の前で演奏し指摘されれば「弾き直して修正する」つまりは練習を聴いてもらうことになります。
誰にも=先生にも自分の演奏を聴かれたくない!と言う人もいます。
一人だけで練習し、誰にも自分の演奏を聴かせないことも演奏のスタイルの一つです。自分が楽しめるなら何も問題ありません。「聴きたい」と言う人がいても「嫌です」で終了です(笑)
「誰かに自分の演奏を聴いてほしい」と考える人はアマチュアの場合、非常に少ないのが実状です。理由は様々です。「人に聴かせるレベルではない」という人も多く「笑われる位なら弾かない」と言う人もいます。「失敗して落ち込むのが関の山」「アマチュアは自分が楽しければ十分!」など、考え方も色々あります。私はそれを否定しません。
「もったいない」と言うのは本人の評価ではありませんから。
「聴かせて欲しい」とお願いしても本人の意思が優先されます。当然です。「公開処刑」「拷問」するのは人間として間違っています。
どんな人が「誰かに聴いてほしい」と思うのか?
演奏の評価は「自己評価」と「他人の評価」があります。
何を基準に演奏のレベルを決めるのか?実は何も基準はありません。
同じ演奏でも聴く人によって「良い演奏」にも「良くない演奏」にもなり得ます。自分以外の「誰かの評価」に左右されるのは自分の評価に自信を持てないからです。「よくわからないけど好きじゃない」とか「音楽を普段は聴かないけれどなんとなく好きな演奏」と言うのが正しい評価なのです。評論家や専門家、マニアの評価が正しいと思い込むのは明らかに間違っています。まさに「それはあなたの考えですよね?」という世界です。
自分の演奏に自信が持てない!これが自然だと思います。
むしろ「自分の演奏は誰かに聴いてもらうべきだ!」と考える人は相当な自信家、自己顕示欲の強い人です。「聴いてもらいたい」と「聴かせてあげる」は全く違います。前者は謙虚な気持ちを持つ人で後者は「思いあがった演奏者」です。そこにはアマチュアも演奏の専門家=プロも違いはありません。
自信過剰な演奏者に言わせれば「自信がないなら人に聴かせるな」と言いそうです。
多くのプロ演奏家の場合、演奏技術がアマチュアの平均より高いとは思います。
例外もあります。これは以前のブログでも述べましたが「アマチュア<プロ」と言うレベルの違いはありません。もちろんプロとして認められる技術には一定の水準があるとは思いますが、先述の通り「評価」は絶対値ではなく聴く人の主観です。
「聴いてもらいたい」と考えるのは自分の演奏で誰かが喜んでくれると言う「体験」をした人に多く見られます。聴いてくれた人が喜んでくれることは、演奏する人にとって至高の喜びです。例え自分の演奏に納得が出来ない場合でも、誰かが喜んでくれることは嬉しいのです。むしろ謙虚な気持ちを持った演奏者の演奏の方が、思いあがった演奏より喜ばれると思っています。プロの演奏でも感動しない演奏があります。もちろん「好み」の問題ですが専門家ではなく、マニアでもない「普通の人」が聞いて感動する演奏は「演奏者の思い」を感じるのです。聴いてもらいたい!一人でも楽しんでもらいたい!という、普通の人の立場で演奏する演奏にこそ感動があります。
マニアや評論家の評価は「言葉遊び」に近いものです。自分は音楽を良く知っている。たくさんの演奏を聴き比べた経験がある!そのことを強調するのがマニア・評論家の言葉です。感動より「優越感」を楽しんでいるように思えます。
演奏できない人にとって誰かの演奏を聴くしか音楽を聴く手段はありません。
演奏する側にとって「誰が?聴いてくれるのか?」を気にする必要なないのです。
自分が出来る練習を精一杯した上で、仮に演奏で失敗しても聴いてくれた人が「良かった!」と思える可能性が少しでもあるなら、演奏をためらう理由はないのです。
評価を求めず「喜び」を求めることが演奏だと私は確信しています。
ヴァイオリニスト・ヴィオリスト・指揮者 野村謙介
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